ある悪魔の日誌より抜粋。


洒落になってねぇよ。まじで。










 話は唐突に、何の脈絡もなく、それが必然であるかのように始まった。


 他者の存在を許さない、狭量な風の精霊が踊り狂う中を、一つの巨大な風が風切り音も高らかに西を目指して突き進んでいた。
 目撃者はいなかったが、もしいたとしたら腰を抜かすか、あるいは1000年生きても見られるかどうかという光景に、歓喜の余り滂沱の涙でも流すだろう。
 雲間を抜き、巨大な瞳を持った頭が姿を現す。一つ、二つ、三つ…。陽光に鱗を輝かせ、鼻腔から高熱の息を噴き出す。

『ふしゅう〜〜』

 物語から抜け出したような、美しく、雄大な、巨大なドラゴンが灰色に渦巻く空に浮かんでいた。
 赤い鱗は1つ1つが人の手の平ほどもあり、鈍く光る光沢は金属のそれを思わせる。頭の先から尻尾の先まで50mはありそうだ。通常知られているドラゴンの大きさは、最大でも9m位だと言うから、このドラゴンの大きさが尋常でないことがわかるだろう。
 だが、このドラゴンが常識外れなのは大きさだけではない。それ以外の部分、つまり見た目もまた常識外れと言えた。
 丸太のように太い首が、切り株を思わせる胴体から三本生えており、それぞれの形もまた各々異なっている。更に、首が三本あるだけでも異常なのだが、始末の悪いことに、このドラゴンには上半身しかなかった。腹の下からいきなり細くなり、本来なら腰があるべき部分から、直接長い鞭のような尾が生えているのだ。なんともちぐはぐだ。それを補うように翼は大きく、腕も場合によっては足として使えるようにだろう、自分の体長ほどの長さほどに大きく発達していた。混沌の影響でも受けたのだろうか。確かに混沌の影響を受ければどんな姿にだって成りえよう。尤も、それを彼に言うのは自殺行為だろうが。
 剥製に加工する際、足を切り落とされた所為で、世の人々に決して地上に降りることがないと信じられた極楽鳥とその姿が重なる。
 そして鋸歯のような背鰭が冠毛のように全身を飾り立てている。
 おぞましく、されど美々しい。
 まさに異形だ。
 見る者が見れば、その竜こそ赤い流星の二つ名と共に神の軍勢と雄々しく戦った、伝説の流星竜だとわかっただろう。

 はたして生ける伝説は、この辺境の地で何をしているのだろうか?






『『『気力もたまった。そろそろ行くぞっ、ユイ!!』』』
「おっけい!やっちゃって!」

 轟くような竜の叫び声が辺り一面に響き渡り、竜の背中に乗っていた自称平凡な主婦「碇ユイ」は耳を押さえながらもそれに応えた。煽りながらも彼女の顔が複雑に歪む。

(はてさてどうなることやら)

 彼女は余り意味のない破壊行為を好まない。
 しかしながら、彼、つまり流星竜が本気で暴れると辺り一面焼け野原となる。だが、それくらい派手にやってもらわないと、彼女はとある場所に行くことができないのだ。いや、行けないこともないけど遠回りになって時間が惜しい。なによりその方法は面倒くさい。

(ま、仕方ないか)

 肩をすくめてユイは嘆息した。
 彼女の仕草に、見てはいなかったがドラゴンは軽く一度だけ頷いた。これから起こることは、ユイが望んでやったことだと最後の確認をしたわけだ。同じ事かも知れないが、そう思うことで彼の心は少しだけ楽になる。
 とどのつまり、俺は悪くない。悪いのは全部ユイ、てことだ。
 責任転嫁と世に言われる行いである。
 破壊の権化のような彼だが、ユイ同様、無駄な破壊は好きではない。勿論、破壊を無くすことは出来ない。しかし破壊とはすべからく意味のある物ではないといけない。焼け跡から花が生えてくるように。
 彼はそう考えている。

 そう、これは意味のある破壊なのだ!
 破壊からの再生、それこそ心理!


『『『まずは防御機械を破壊する!!』』』


 蝙蝠のような形状をした翼を大きく開き、鼻先を地面に傾けて、ドラゴンは滑空体制に入った。後方にかすれた飛行機雲を残しながら突き進む。
 ぐんぐんと地面が近づいていき、それと共に彼らの目的地である、邪悪な気配がプンプンとする沼地が見えてきた。かなり広く、首を動かさないと端が視界に入らない。草一本生えていない沼には、腐った水がどんよりと溜まり、普通の生き物を拒絶する瘴気を発している。そこかしこで熱を持った腐敗臭混じりの正気が渦を巻いているのが見えた。
 いや、それだけだろうか?
 よく見るとどろっとした沼の上を幾つもの小さな影が飛んでいることが分かった。虫か何かが飛んでいるのか。

「……神聖なる虫。神に仕えるアバッドンの類族」

 ユイはぽつりと小さな影の正体を呟いた。吐き捨てるように忌々しげな顔をして。
 ドラゴンが相槌を撃つように軽く頷き返す。彼の視線もその小さな影を正確に捉えていた。

『あれが世界の保全に勤める存在がすることか?』
「世界の秩序を守るために、生態系を壊してしまう…。所詮、自分を大きく見せて全知全能を名乗ってるだけの存在だから」
『違いない。自分の主張が矛盾していることにも気づかない奴だからな』

 2人の言うアバッドンの類族…。
 見た目は金属でできた人の顔を持った蝶だ。ただし、形(なり)は小さいがその恐ろしさはそこらの毒虫とは比べ物にならない。普段閉じられた口から吐き出す溶解液は、純金であっても溶かしてしまう。心も魂を持たず、反射的な行動で一定以上近寄った存在を無機物、有機物の区別無く破壊する恐るべき魔法生物だ。
 酸を浴びなくとも、尻の毒針で刺されると、とにかく痛くて7日7晩悶え狂う。
 別名、鉄蝗。
 アバッドンともアルペーとも呼ばれる。ややこしいことに、同じく神に仕える魔法生物にアバッドン、アルペーとまったく同名の存在がいたりする。さすがにややこしいから、後者はドビシと呼ばれることもあるが…。


 ユイと同じく、ドラゴンもそれを六つの目で確認したのだろう。
 三本ある首のうち、真ん中に生えている後方に二本の角を伸ばした首が吼えた。
 ただでさえ赤い鱗が、焼けた鉄のように赤さを増していく。


『いっくぞぉ!ミズノエノ・ビームぅ!!!』


 その声と同時にドラゴンの全身が眩いほどに赤く輝き、赤い光球と化した。まるで粘土から腕が伸びるように合計9本の光の触手が生まれ、しばし空中で踊った後、導かれるように沼に向かって一直線にほとばしった。
 空気が焼けるゴゴゴッという音にユイは耳を押さえ、周囲を取り巻く焼け付く光を避けるため硬く目を閉じる。

「ちょ、ちょっとは手加減してよ!」

 ユイは足だけでドラゴンにしがみつきながらそう言うが、このドラゴンは今までのドラゴンたちと異なり、彼女のお願いを綺麗さっぱり無視した。なんと言っても彼の目に入る異性は、白竜のアイスちゃんのみなのだから。たとえユイでも眼中に無し。でもアイスちゃんの眼中にも無し(涙)。
 そうこうする内に光は途中でお互い絡まりあい、一本の極太の光線になると次々と迎撃のために上昇してきたアルペーに襲いかかった。


 ずごごごごごごごご……


 最初の一匹が光線に接近した直後、地響きのような音が周囲に轟いた。
 一瞬遅れて光線の周囲に幾つもの光の玉ができ、そして弾けるように消えていく。まるで蚊柱のように群がるアルペー達が、声一つあげずに光となっていく。一瞬遅れて飛来した衝撃波により、その光はかき消すように吹き散らされていく。
 目前で繰り広げられる夏の夜空の特製の花火のような光景に、良く知っていたはずのユイも息を飲んだ。
 直接命中していないはずのアルペーも消し飛び、生物を拒絶していた瘴気もまた吹き飛ばされてしまう。
 このドラゴンが放った光線は、直撃しなくても高熱と衝撃波だけで、恐るべき被害をもたらすのだ。もちろん、直撃した虫たちは爆発することもなく、プラズマの雲に呑み込まれて一瞬で蒸発してしまう。

 眼下に光の柱が立ち上ると同時に、光球は元のドラゴンへと戻った。翼を広げたまま空中停止をするドラゴンの口元がにんまりと歪む

 たったの一発!
 ただの一発でアルペーの9割を全滅させたドラゴンは快哉を叫んだ。
 思った以上に素晴らしい一撃となり、非常に気分がいい。快心の一撃とはまさにこの事。だがこれで終わらせるつもりは彼には更々ない!

 普段はブレス一発吐くのに遠慮しないといけないが、今日は特別なのだから!
 だからこれくらいで済ますものか!
 やってやる。てってーてきにヤッてやるぅ。ぐっへっへっへ。


 酔っぱらいか麻薬中毒患者のように目をねっとりとさせ、明らかにドラゴンはそんなことを考えていた。




『まだだっ!!!
 我が身に宿る魔獣ゼットンよ、その力の0.1%を、0.01ピコ秒解放することを許可する!』



 その言葉にユイの全身の毛が逆立った。

 うぞっ!?

 ドラゴンが、叫んだのは伝説ですら忘れているような、世界を焼き尽くした魔獣の名前だ。
 わかるユイは勿論、よくわからない第三者が聞いてもひたすら洒落になってないような。
 ドラゴンの全身が再び真っ赤に輝く。真ん中の首が目を輝かせ、恐ろしい牙を見せつけるように口を大きく開けた。ユイが声にならない悲鳴をあげ、頭を抱えてドラゴンの体の影に隠れるように身を縮める。
 喉の奥でちらちらと光が瞬くのが見え、

『ゼットン・ナパーム!!!』

 キュゴガガガガガガガッ!!!!


 空気と空間が軋み音をあげる。先ほど以上に凄まじい威力のエネルギーが渦を巻いて唸る。轟音が響き、ドラゴンの口から、光と熱以外にも絶対ヤバイ何かをばらまいている巨大な火の玉が発射された。
 凄まじい速度で発射されたそれは、後に自分の直系の数十倍の太さがあるプラズマの帯を残して突き進む。
 何者にも邪魔されることなく、と言うより邪魔することができる存在がいるのだろうか?
 とにかく、火の玉は先の光線によって沼にできた小さな穴に命中した。


 ドゴンッ


 一瞬遅れて轟音が響き、信じがたい大きさの雲がユイ達の眼前に広がった。衝撃波に目を細めながら、翼を広げてドラゴンはその場に押し止まる。数十秒後、肩の影から恐る恐る顔をのぞかせながらユイは眼下を見つめ…そして言葉を失った。

(やりすぎ〜)

 事情を知らなかったら、何が起こったかとても分からないだろう。
 水と高熱源がぶつかることによって、水蒸気爆発を起こしたのだということを。
 煙と舞い上がった砂埃にユイはけほけほとせき込むが、ドラゴンは気にもとめた様子もなく沼があったところ ─── 今はもう無い ─── を見下ろした。
 彼の視線の先には不思議な物があった。
 沼底の泥に埋もれていた金属と石材で作られた謎の物体が。
 一瞬、知らない者が見れば巨大な建築物かと錯覚するかも知れない。だが、それは間違いだ。
 乾いた泥がこびりつき、表面がドロドロに溶け、巨大な穴が開いてシチューのようにぐつぐつ煮えたぎっているが、それは金属の大扉だった。誰が使うのかと疑問に思うこともできないくらいに巨大な。


『『『続いてあの扉を破る!!!
 ふっ、天界の連中めつまらん真似をしやがって!!!』』』


 余計なことを、つまらないことをとか言いながらも、とっても嬉しそうな顔をするドラゴン。暴れる理由ができて本当は感謝したいくらいだ。
 だから頼みたくなかったのよ。とユイは項垂れげんなり。

 と、ドラゴンの体が再び眩く輝き始めた。
 たちまちユイはドラゴンの背中で飛び跳ねるように身を捩る。でもドラゴンは無視。

「きゃ〜〜〜!!! あついってば!
 それするならするって先に言ってよ、もう!!!」

 先の光線と違い、今度の光は竜の体が赤熱化したために生じた光のようだ。ユイはぶちぶち文句を言いながらも大急ぎで耐熱防御の呪文を唱え、これ以上服が焦げないようにする。とは言っても不意打ちの赤熱化の所為でだいぶ焦げてしまっている。
 服はともかく、先がチリチリとカールした髪の毛を整えるのはとっても大変そう。

『焦熱竜よ!目を覚ませ!
 真・シャイーンザンボラー!!』


 全身を赤熱化させたドラゴンは、そのまま沼の底の大穴に向かって飛び込んでいった。
 高熱で金属を溶かしつつ天から放たれた雷のように扉をぶち抜く!
 数百メートルほどの距離を打ち抜き、続いて尻尾を束ね合わせ、三つ編みを編むように絡ませてつくった巨大なドリルで穴を穿っていく。右端に生えていた、角を一本だけ生やしている頭がなんとも間延びする声で叫んだ。


『ガボラ〜〜ドリル〜〜〜〜!!』



 土を岩を削り、土砂を後方に噴き出しながらドラゴンは地の底奥深くへと潜っていき…。
 数十秒後、地下に数キロも潜った時、ドラゴンとユイは唐突にひらけた空間へと躍り出た。異様な雰囲気に包まれた空洞に浮かび、確認するように2人は周囲に視線を投げかける。硫黄臭い、瘴気混じりの空気が肺を焼き、じっとりと湿った空気が肌に粘り着く。凄まじい高熱を放ちながら大地を流れるのは水ではなく、溶岩の河だ。太さが何十メートル、あるいは数百メートルはありそうな岩の柱が幾つも幾つも、それもとても広い感覚でそびえ立って天井を支えている。まるで背骨のようにも見え、見る者を不安に思わせる。大地も、水も、空気さえも、外の世界からの訪問者である2人を拒絶しているようだ。
 それも当然だ。

 端も端だが、そこは間違いなく地獄だったのだから。

 入り口を封印されたときはどうしようかと思ったユイだったが、無事に扉を開けることができて嬉しいのか、ろくでもない世界のただ中だというのに喜びの声を漏らした。ドラゴンもまた久しぶりに暴れることができて嬉しいのかニヤニヤする表情を隠そうともしない。

「やった、ついたわ!」

 右腕を高々とあげて、ユイがガッツポーズを決める。同じくドラゴンもそれに習おうとするが、寸前になって警告の叫びをあげた。視界の角をよぎる巨大な影!


『喜ぶのはまだ早い!』


 翼を広げて体勢を立て直し、大きく弧を描くように飛んで距離を取りながらドラゴンは叫んだ。
 横目で見下ろす地面にひび割れが走り、そこから巨大な固まりが植物の芽が伸びるように飛び出してきた。金属の腕が隙間を大きくし、大地を砕きながら、巨大な…、彼らよりも巨大な固まり、金属製のゴーレムが姿を現した。

「あれは!?」
『似たような物を以前見たことがある!
 天界の連中が用意したゴーレムだ!』

 天界の住人が用意した、最大級の破壊兵器『クレージーゴン』
 見た目こそ箱のような胴体に、お飾りのようなひょろ長い足をはやしたちぐはぐな姿だが、鉄より固いアダマンタイトのボディは生半可な攻撃では傷一つつかない。そしてその轟腕は嵐の巨人を捻り潰す。
 これこそ天界が誇る最強、最後のガーディアンだ。
 ギチョン、ギチョンと軋み音と歯車の回るカチカチと規則正しい音をたてながら、不埒な侵入者であるユイ達に迫る。


【ここより先に……汝ら邪悪な魔物達は……とおさ…ってこら、喋ってる途中の攻撃はルール違反…】


『『『やかましい』』』



 ゴーレムの言葉は途中で止まった。
 素早くその体に取り付いたドラゴンが、もの凄い膂力で振り回し始めたのだ。最初こそ普通の飛行機投げのように大人しい廻し方だったが、回転速度はあっと言う間に尋常ではなくなった。尻尾を地面に突き立て、それを軸にしてコマが回るような高速回転を行う。
 具体的に言うと、ぼやけた残像もろくに分からない。
 気分でも悪くなったのか、それとも言いようにされることが気に入らないのか、クレージーゴンはドラゴンを掴んでその回転を止めようとペンチ状の手を伸ばす。だが、掴んだそばからはね除けられ、その努力はむなしく果たされない。

【は〜な〜せ〜】

「にゅおおおお〜〜〜っ!? き、ぎぼちわるい〜〜〜」

 瞬きする間もなく、ミキサーに放り込まれたフルーツのようにゴーレムの体はボロボロと崩れていった。魔力を伴った空気に全身を研磨されているのだ。
 頃合い良しと見たのか、右端の角の生えてない頭が叫んだ。


『大スカイドン落とし〜〜〜!!!』


 パッと手が離された。
 当然充分すぎるほどの運動エネルギーを溜め込んでいたゴーレムは、悲鳴をあげる間もなく空を舞うことになる。止まろうにも遠心力で押さえつけられ、指一本動かすことが出来ない。錐揉み回転しながら、もの凄い勢いで天井にぶつかり、そのまま突き破ってユイ達が入ってきた穴から、遙か彼方、地上にまで飛び出していく。だがそれで終わらない。そのまま体の欠片をまき散らして空の彼方にまで飛び去り、その後にキランと小さな輝きが生まれた。
 直後、ひび割れができるほど勢いを付けて地面に、地面に開いた穴を通ってドラゴンの目前にクレージーゴンは落下した。
 そして、トドメとばかりに、自分自身を弾丸にしたドラゴンのタックルが炸裂する!


『二段返し〜!!』


 真っ直ぐに伸ばされたドラゴンの頭が、破城槌のようにめり込み、胴体を砕かれて口(?)から体液をまき散らすクレージーゴン。
 もちろん、ここまで手痛いダメージを受けて活動できるわけがない。

【そ、そんな……これで………終わり?
 お、おのれ〜次を見てろよ〜〜】


 一瞬の静寂の直後、クレージーゴンの体が爆発四散した。
 肩から千切れ飛んだ腕が力無く地面に転がり、腕だけになりながらも足掻くようにしばらく動いていたが、最後まで聞こえていた歯車がかみ合う音も聞こえなくなった。胴体の残骸から、じんわりとバッテリー液のような液体が滲み、地面に吸い取られていった。

 それを見下ろしながら、ドラゴンは満足そうに口の端を歪めて笑みを浮かべる。

『『『ふっ、他愛もない…って、おい』』』

「おえ〜〜〜っ、うおぇげ〜〜〜っ」

 背中に朝ご飯を吐き戻すユイにもの凄く嫌そうな顔をして。









「ありがと。助かっちゃった」
『『『良いってことよ、気にするな。だけど例の件忘れるないでね』』』


 クレージーゴンの残骸をバックに、ユイがパタパタ手を振る向こうで、ドラゴン……ゲッターは翼を縮めて天井の穴をくぐろうとしていた。
 曰く、もう用事は済んだのだから、いつまでもここにいる必要はない。ユイが帰るときは、別の道を使うだろう。マクロスにでも頼め。
 ニヒルに決めたぜ…と自分に酔いながら、赤き元素竜…ゲッターは帰っていった。
 流星竜ゲッター、彼こそは複数体の元素竜の集合体。炎と光を司る最強のドラゴンの一体なのだ。
 もちろん、エルダードラゴンなのだから本名を呼ばれることをかたく嫌うことは変わりない。

『『『バイバイキ○〜ンでございま〜す♪』』』

 馬鹿だけど。











 ゲッターの背中を見送りながらユイはちょっと考え込んでいた。

 あいっかわらず頭悪いわね、彼。

 ぢゃなくて。

 額に手を当てて、ゆっくりゆっくりゲッターの最後の言葉を考えてみた。

(例の件?
 何の事かしら?私、タイラント…ゲッターくんになんか約束したっけ?
 あ、もしかしてアレかしら。アイスちゃんによろしくとかなんとか。根性あるのか無いのかわかんない竜(ヒト)ね。
 どうしようかしら?世話になったことは確かだし。
 ん〜、やっぱ無視しちゃえ。告白くらい自分でできないようなチキンはダメよねぇ)


 結局、頼まれた事はしないんですね。

 やだ、するわけないじゃない。



 それはそうと。

 ゲッターが一生ものの勇気を振り絞った頼み事を忘れると、ユイはじっとどんよりとした空気の中、目前の大顎を見つめた。もちろん顎と言っても比喩的な意味で本物というわけではなく、獣のそれを模した門だ。
 だが、それだけに恐ろしさもつのる。
 誰が、いったい何の目的でこんな所に、こんな恐ろしげな物をつくったのだろう…と。
 さすがにユイもその答えは知らなかったが、気にするようなタマじゃない。
 この顎…もとい大扉がどこに通じているか知ってるだけで充分だ。
 抜け道、裏穴、どう言おうと変わらない。要するに地獄の外れから、地獄の中心部に通じている秘密の高速道路。ケルベロスや鬼の船頭がいない裏ルート。誰も知らないはずの道。全ての亡者が知りたいと願う脱出路にして、地獄の非常口。
 なぜ彼女がそれを知っているのか。例によって謎だ。


「ん、それじゃ行きますか。キョウコ、変わってないと良いけど」

 彼女としては珍しく。不安そうな顔でユイはそう呟いた。
 キョウコはともかく、あの子が変わってないと良いけど…。














Monster! Monster!

第14話『ザ・スクリーマー』

かいた人:しあえが









 ニコニコとほかほかご飯をお椀に盛りながら、エプロンを付けたマユミは新しい同居人に振り返った。
 やっぱりエプロンドレスを着てメイドの格好だけれども、それはともかく彼女の笑顔は取っても爽やか。見てるこっちも爽やかサン。

「綾波さん、ご飯はどれくらい?」
「8分。食べ過ぎると太っちゃうもの。
 でも食べないと大きくなれない…二律背反なの」
「今の綾波さんは太るとか気にしないで、たくさん食べた方が良いですよ」
「そう……食べていいのね?
 はしたないとか、マナーを守れとか言わないの?
 爺は言うの。だから食事するときの爺は嫌いなの」
「くすっ。言いませんよ。はい、どうぞ」

 私と同じ事で気を揉んだことがあるんだな〜。と笑いながらマユミはご飯が8分に盛られたご飯茶碗を手渡す。
 色々あってぼろぼろになったドレスに替わり、ユイのお古の藤色のワンピースを着たレイは、漬け物をポリポリ食べながらちょっと顔を上げた。ちょっと丈が合ってないが、ふんわりした飾りの少ないワンピースは清楚なレイによく似合っていた。

(漬け物…。初めての味。癖になりそう。
 ご飯がすすむちゃん)

 とか何とか考えながらも、レイは茶碗を受け取ってマユミの言葉ににぱぁっと顔を明るくする。表情は変わっていないけれど、頬を少し染めて。
 今までこんな事を言われたことはなかったので、本当なの? と疑問を瞳に込めながら。
 ほっぺたにご飯粒がついていて、そこはかとなく可愛かった。
 マユミはくすくす笑うとそっと手を伸ばし、ご飯粒を取ってやった。
 急に目の前に手が来たんで最初ビクッとしたが、すぐに落ち着き、なんでか頬を赤らめるレイ。その姿から判断して、心の中で甘えていい人一番を書き換えているに違いない。

「ありがとなの」
「どうしたしまして」

(凄くお姉さんって感じがするの……)

 ぽややんとした暖かい空気に包まれ、2人の姿は、傍目から見たら仲の良い姉妹に見えた。
 当然、一緒にご飯を食べていたシンジにもそう見え、心が暖かくなる一方、つい先日のことを思い出して、彼は背筋が薄ら寒くなるのを感じていた。

(仲良いけど、仲とっても良いけど。おととい、マジに殺し合いしてたんだよね、この2人)













(妄想……もとい回想)


 シンジとマユミがすることやって、同じベッドの中で抱き合いながらじゃあお休みと…寝入ろうとしたとき。


 突然、毛布の中でぶるっとシンジは体を振るわせた。
 心地よい気怠さも眠気も吹き飛び、うなじと背中の毛を逆立たせながら不安そうに身じろぎをする。背筋を走る言いしれぬ悪寒。悪い予感を感じた。そして物理的な、言いしれぬ寒さを。

(な、なんで寒気が…)

 砂漠の夜はとても冷え込む。だが海が比較的近い位置にあり、すぐ側を大河が流れる第三新東京市は、そうそう氷点下になったりはしない。全身ずぶぬれで外をうろつくならともかく、屋内で寒さを感じることなどあるはずがない。
 だが、今彼が感じている寒さは氷点下の寒さだった。

(なんで、どうして?)

 先日のこともあり、シンジはなにがしかの凶兆ではないかと警戒した。暗闇で目を見開き、部屋の隅の暗闇を見通すように視線を動かす。

(…何もいない。いつも思うけど、なんで見えるんだろ)

 普段は何も見えないのだけれど、こう言うときは何故か見通すことが出来る。
 しかしすぐにシンジは背筋を震わせる寒さについて考えた。なにか、敵意他の感情を持った何者かが彼を狙っているのだろうか。またミサトみたいな魔物に襲われるのは避けたい。と言うか、避けねば。
 ちょっとぐらいならいいかなぁ、と考えたことは健康な男の子ならいたしかたあるまい。

「マユ…!?」
「はい?」

 ちらっと横に眠るマユミに目を向けると、マユミもまた目を見開いていた。暗闇に彼女の目が赤く光る所を見てしまい、シンジはちょっと怖いと思ってしまう。そう言えば、すっかと忘れていたけどマユミはアンデッドだったと今更ながら、大事なことを思い出していた。

「シンジさん、気を付けて下さい。高い魔力を持った何者かが接近しています…」

 シーツを胸元に引き寄せて、胸を隠しながらマユミはそう言った。彼女の高い魔力探知能力は、急速な速度で接近する巨大な魔力の塊をハッキリと知覚している。明るいところで見れば、髪の毛が一本逆立っているのを見ることが出来ただろう。
 敵の規模、魔力の質に探りを入れるマユミ。

(2体の強力な魔物。片方は私と互角…。でももう片方は!)

 内心、これは先日のドラゴンレベルの魔物じゃないの?
 と不安に思いながら、マユミは呪文を唱えて服を呼び出し、その裸身を漆黒の服で纏った。闇が具現化し、夜をくりぬいたように黒いビロードのような服が彼女の体を包みこむ。何かの骨でつくったような不思議な形の留め具が、夜空に浮かぶ銀の星のように黒一色だった服を白く彩り、神秘的な美しさを彩った。さらに彼女の右手に、箒が現れ、次の瞬間骨と昆虫を組み合わせたような不思議な形状に変化する。続いて、彼女の頭の上に真っ黒なつばひろの帽子がちょこんと現れる。最後にバサッと鳥の羽音のような音をたてつつ、漆黒のマントが彼女の背中でたなびいた。
 これこそ、後の世に天業戦士と語り伝えられたマユミの姿だ。ただしくはその前段階なのだが。

「マユミさん?なにが…」
「来ます!」

 あせあせとシンジがシャツとズボンをどうにかこうにか着終わったとき、碇家の上に巨大な翼が現れ、月の光を覆い隠した。物理的な圧力さえも感じさせるような威圧感に2人は身をすくめ、同時に2人の鼻腔をつんとした臭いが刺激する。緑竜は毒ガスのブレスを吐くため、強烈な刺激臭を漂わせているのだ。
 マユミは目を見開いた。

「この臭い!この感じ!
 グリーンドラゴン、いえ空魔竜なの!?なんでこんなところに!?」

『安心しな、お嬢さん。俺はあくまで運び屋さ。君たちには手出ししない。
 ちなみに俺は空魔竜じゃない。大空魔竜だ』


 朗々と響く声でガイガ…ガイキングはそう言った。途中まで送るだけのつもりだったが、レイのお願いに脆くも屈し、ライディーン同様パシリにされたらしい。
 まだユイにはかなわないかも知れないが、この図々しさ、かなり見込みがある。

(ほぅ、彼女もなかなか…)

 何を感心してるのやら。
 レイに見えないように顔をほころばせながらガイキングはニヤニヤ笑う。
 送ったついでに、場合によってはレイに加勢してやろうかとも思ったガイガンだったが、思いの外マユミが可愛かったのでここは静観しようとあっさりひよる。節操無しとも、根性無しとも言う。
 レイには裏切り者と言われるだろうけど、まあいいやとか考えるあたり、節操無しはともかく根性無しはちょっと違うかも知れないが。

 美少女達の恋の鞘当て…美しい。
 しっかり頑張れ、少年よ。


 レイが軽やかに自分の背中から飛び降り、雪雲へと変化したのを確認すると、ガイキングは翼を大きく広げて、未だ傷癒えぬ第三新東京市上空に舞い上がった。ちらっと下を見ると、自分の影の中で、レイが変化した雪が、碇邸の窓の隙間から室内に入り込むところが見えた。

(どっちも頑張れ女の子)

 既に1万年以上生きてる彼から見れば、マユミもしっかり女の子。いや、大半寝てたから、3000年生きてても充分女の子か。
 なんだか愉快になってガイキングは笑いたくなったが、何とか堪えた。
 うっかり笑ったらブレスを吐き出してしまうかも知れない。一回のブレスで最大数万人の人間を殺せるのだ。下手に笑ったら第三新東京市は壊滅してしまう。決して息をもらすことは出来ない。
 なんと言っても、もしかしたらあの子達は、もっともっと愉快な物を見せてくれるかも知れないのだ。生きることに膿んでしまった自分達が、楽しいと思えるような何かを。
 1000年ぶりの笑いを堪えながら、ガイキングは月に向かって飛び、そして姿を消した。









 竜が消えたことにマユミは内心安堵の吐息を漏らしながらも、緊張の面もちで眼前の空間を睨み付けていた。彼女の視線の先では、窓の隙間から入り込んだ微細な雪の結晶が、渦を巻くように集まりだしていた。それがただの雪ではないことは、その動きを見るまでもなく、痺れるほど高い魔力と敵意でハッキリとわかった。

(なにものかが姿を変えているのね)

 自身も砂や昆虫の集合体に変化できるマユミはめざとく雪の正体に気がついた。
 強い魔力を持った誰か…魔法使いか、それとも雪の魔物だ。いずれにも命を狙われる、もとい敵意を向けられる心当たりはないが昨日の今日である。油断はできないだろう。一応、シンジに心当たりはないかと少し探りを入れるが、少々不安に思っているだけで心当たりはないようだ。

(となると……誰が?)

 加持の敵討ちという可能性もあるが、加持は死んでないし他人に敵討ちを頼むような性格ではない。短い間だったが、マユミはそこで考えることをやめた。なんにしろ、相手が名乗るだろう。

 雪は次第のその量が多くなり、渦巻く向こう側が見通せなくなるくらいに密度が濃くなっていく。見る見るうちに雪の体積は増えていき、ついには人間一人分の体積を持つに至った。

「人…なの?」

 シンジが呟いた次の瞬間、雪の塊は粉々に砕け散り、周囲にキラキラと光る氷の微細な粒をまき散らした。僅かな月の光を反射し、室内に虹色の万華鏡が姿を現した。氷の粒が生み出す光の芸術。シンジとマユミはその光景に目を奪われる。
 光の瞬きが消え去ったとき、2人の目の前に冷たい目をした一人の少女が姿を現していた。

「女の子…誰?(か、母さんに似てる)」
「………(碇君が見てる。ちょっと恥ずかしい)」

 深紅の瞳は光線兵器のように一直線にマユミを睨み、雪のように白い肌は闇の黒と美しい対称の美を醸しだし、少々乱暴なシャギーカットにかられた蒼銀の髪は、ドワーフの匠の芸術品のように輝いていた。彼女の処女雪のような美しさは、闇でさえも陰らせることはできない。
 シンジは馬鹿みたいに口を開け、マユミは相手の美しさ、そしてあまりにもユイに似てることに一瞬言葉を失うものの、すぐに少女の正体に気がついた。俗にフラウ(お嬢さん)と呼ばれる少女の姿をした妖精だ。その中でも雪の乙女、地方によっては雪女と呼ばれる雪を友とし、温血動物の命を糧とする魔物。
 その上位種、いや神とも言うべき大妖魔!

「なっ!?
 スノーホワイト!? なんでスノーホワイトなんて上級妖魔が!?」

 マユミの叫びに、くすっとスノーホワイトこと、レイは口元を歪めた。
 これから断罪することにはかわりないが、相手が自分の正体を知っていることは少しだけ嬉しかった。余計な説明をする手間が省けるというものだから。なにより、獲物であるマユミが自分の正体を悟って怯える姿は、見ていて楽しい。

 でもよく見たらマユミは全然怯えていない。驚いてるだけだ。
 ちょっとどころでなく、むぅっとするレイ。怖がらないなんて生意気。

「少しは知識があるのね。でも、知っていようといまいと、すぐに関係なくなるわ。
 ガイキングさん、やっちゃって」
「え?」

 レイの言葉にビクッと体を震わせながらマユミは天を見上げる。いくら彼女でも元素竜には到底敵わない。戦いになれば、勝つなんて考えるだけでも不遜なことで、どれだけ粘れるかという話になってしまう。
 対照的にレイは凍り付いたような笑みを浮かべ、ガイキングがマユミを一撃の元に粉々にすることを期待して待つ。だが、先に述べたようにガイキングはとっくに帰っていた。
 レイは数秒ほど待つが当然、何の反応もない。ちょっと寒い。

「いないの?どうして?ガイキングさんの嘘つき。手伝うって言ったのに。嘘つきは嫌いなの」

 ガイキングの気配が遠くに消えていくことに安堵しつつ、いきなり駄々っ子みたいになったレイに戸惑いながら、マユミは恐る恐る声をかけた。

「は?あの、あなたは…?(なんか急に雰囲気が)」
「な、なんでもないの。気にしないで欲しいの。少し話を戻すの。えっと、『関係なくなるわ』からなの」
「あ、はいわかりました。えっと、どうしてですか?」

 律儀につきあうマユミにちょっと感謝する。横で痛い物を見るようなシンジの視線は敢えて気がつかないことにする。

(碇君の視線は当面無しなの。
 つき合いの良い泥棒猫さんに、ちょっと感謝なの)

 レイの瞳が真っ赤に染まる。恥ずかしかったのかほっぺたもちょっと赤いところが素敵に台無しである。
 とにかく、真面目になった彼女はこれから始まる凄惨な殺戮を思い、感情が高ぶるのを止められないでいた。スノーホワイトは本来残酷な種族ではないが、非常に嫉妬深く、冷酷だ。ゆえに今レイがまき散らすマユミへの殺意はいかほどの物か。

「だってあなた死ぬもの」

 物理的な重さを感じそうなレイの殺気に、マユミは身構えながら息を飲んだ。見た目と先のやり取りに騙されてしまいそうだが、この殺気、この魔力、それに伴って生じる凄まじい冷気に膝をつきそうだ。間違いなく自分に匹敵、あるいはそれ以上の力を持っている。

「さあ、山岸マユミさん。最も旧い、最も強制力のある儀礼「シグルドの宣誓」に則り(のっとり)あなたに決闘を申し込むわ」
「決闘!?」
「そう。碇君をたぶらかした泥棒猫さん。本来なら、こんなことせずに即座に粉々にうち砕いても良かったけど。
 でも、そうしたら碇君も混乱すると思う。それにあなたも納得いかないでしょう?
 だから、決闘を申し込んであげるわ」

 白い息を吐き出しながら、マユミは蹌踉けるように2、3歩後退した。
 ちょっと天然さんみたいだけど綺麗な女性だなっと思った。それにしても決闘を申し込まれるとは思わなかった。もちろん、不死の女王である彼女は、恐怖に震えるとかそう言ったことはない。ただいきなり決闘を申し込まれたことに、少しばかり混乱していた。

(け、決闘ですか!?それも碇君をたぶらかしたって…、私が悪者なんですか?)

 驚きつつも、マユミはどうしようかと考えた。レベルの低い者同士の戦いならともかく、高レベル同士の戦いは周囲に与える影響が計り知れない。特にすぐ側にはシンジが居る。彼自身、そこそこ戦えるが流れ弾の一発にでも巻き込まれたら…。
 不安に思っているマユミの考えを悟ったのだろう。レイは唇の端を歪めて忌々しげにマユミを、次いでシンジを優しく見つめた。

(この私が碇君を危険な目にあわせると思ってるの。酷いことを考えてるの。碇君に、私が傷一つでもつけるわけ無いもの)

 表情を変えないまま、レイは雪のように繊細なドレスの胸元に腕を突っ込むと、ごそごそと何かを探し始めた。息を飲んでシンジ達がレイの動作を見守る。

 10秒、20秒…1分、2分。

 見つからなくてイライラしてきたのか、眉間にしわが寄ってきた。ドレスに皺が寄って伸びるくらいごそごそやるが、やっぱり何も見つからない。
 気温云々に関係なく、かなり寒い。
 彼女の様子にいたたまれなくなったのか、寒くて仕方なかったからか、シンジが恐る恐るだが話しかけた。可愛いのに…と少しばかり同情した目をして。

「ね、ねぇ。君何探してるの?」
「う、あの銀玲石なの。でもみつからないの」
「どんな石なの?」
「あの、これくらいでまん丸なの。触るととっても暖か……碇君には冷たいの」

 ぺたんと耳を伏せた犬みたいな顔して、手を振り大仰な動作で一生懸命説明するレイの言葉に、ふーんとシンジは相槌を打った。頷きつつちらっとマユミの目を向ける。
 マユミも迷子の子供を見るような目になっているから、近寄っても心配ないだろうと判断し、シンジは音もたてずにレイの側まで近寄った、急に近くに立ったシンジに、一瞬、レイはビクッとするが、すぐ近くでシンジに顔をのぞかれて真っ赤になった。

「無くしちゃったの?」
「そ、そうみたいなの(ああ、こんな近くに碇君。ドキドキなの)」
「それがあったらどうなるの?」

 シンジの匂いを感じて、ますます真っ赤になりながらも、レイはちらっとマユミに視線を向けた。

「あの人を吸い込めたの。そして石の中に私も入るの。そこで戦うの。その中なら外に被害はないの」
「へぇー」
「それだけじゃないの。その中では、魔法は使えないの。でも私は特殊能力が使えるから問題ないのって、あ…」

 それズル。

 うっかり余計なことまで言ってしまったレイは沈黙した。

(強引に引きずり込んでなし崩し的に勝利して、碇君とラブラブ愛の生活を満喫する予定だったのに)

 なんと言うか、いきなり目論見がダメになったことと、シンジとマユミが自分を見る眼がとっても痛くて居心地悪い。どうしてそんな目で見るんだろう?
 その場の雰囲気が嫌になったのか、それともそろそろ終わりだから締めようと思ったのか、マユミがトコトコとレイに近寄る。そしてじっとレイの顔を見つめた。真っ向から目を見つめられてレイは驚き、視線をそらせようとするが威圧されたのか体が動かない。
 動けなくなったレイに、マユミは一言一句を噛み締めるようにゆっくり話しかけた。

「ズルはダメですよ。それに周りに被害を与えたくないって言うなら、どこか適当なところに結界を張るとか、砂漠の真ん中で戦うとか色々ありますよね」

 小さい子をしかるみたいにマユミは言った。
 正論だねっとシンジは思いそうになったが、よくよく聞けば戦うことに対して異議を唱えていないことに気がつき、少しどころじゃなく体を硬直させる。
 なんですか洒落になってません。

「ま、マユミさん。あの、戦うつもりなの!?」
「当然ですよ。シグルドの宣誓で申し込まれた以上、断っても良いけど、せっかくだから断るわけにはいきません。
 それに、いくら相手が子供でも人のことを泥棒猫とまで言う人には、少しお仕置きしないと…」


 気分悪いですよね♪


 マユミはにこやかに笑っていたが、シンジにはその眼がマジになっていることがわかった。今までマユミが本気で怒ったことはなかった。少し見てみたいと思っていたシンジだったが、まさかここまで洒落にならないとは。いや、かつて一度だけ見たことがある。変な商売になるからとマユミを隠し撮りしようとしたケンスケに対し、殺気をばらまきながらにっこり笑うと言うことが一度あった。

(こ、これは…あの時以上だ)

 怒りが向けられている相手が自分でないにも関わらず、全身から流れる汗が止まらない。

 洒落になりませんよ、マユミさん。


「マユミさん、怒ってるの?」
「まさか、怒ってませんよ。
 ただ、気持ちよく眠っていたこの良き夜に、いきなりたたき起こされて、少々ご機嫌斜めになってるだけです。
 それじゃあ、えっと…」

 何か説いたげに首を傾げるマユミに、何を言いたいか悟ったレイがぼそぼそと呟く。

「レイ。綾波レイ」
「じゃあ綾波さん。明日、一番鶏が鳴いたときを合図に決闘を始めましょう。
 場所はあなたにも私にも不利にならないように、疑似空間を作りましょうね」

 普段眠そうに垂れている目をつり上げ、マユミはそう言った。笑ってる顔がかえって恐怖を感じさせる。恐怖のあまり口から血を吐きそうだ。
 さしものレイもこれには異議を唱えられない。
 怖い。

「……う、わかったの。それで良いの。仕方ないの」

 実年齢はともかく、自分より年上に見える人から洒落にならない威圧を込めた目で睨まれてレイは無意識の内に頷いた。もしかしたら、喧嘩を一番売ってはいけないタイプの人に喧嘩を売ったんでは…と不安に思いながら。
 ちょっとユイの怒った時に似てるとも思った。暗黒闘気を煙突の煙みたいに噴出させてる所なんか特に。





(僕、いったいどうなるんだろ…)


 いつぞやの白昼夢が当たったことにいやーんと思いながら、シンジはシンジで顔色を悪くしていた。この分だと、その他の白昼夢も当たるんじゃなかろうか。

(ねぇ、どうなの作者の人?)


 さあ?



続く






初出2002/04/30 更新2004/11/23

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