その日、まだ日も昇りきらない早朝。
 第三新東京市から僅かに離れた砂漠の真ん中に、奇妙な魔力の澱みが発生した。澱みと言うが、それは自然現象ではなく、何者かの意志が介在して発生した純然たる力の流れの産物であった。
 澱みと空間と触れあう部分に小さな放電が起こり、砂に混じる砂鉄を巻き上げたり、渦を巻かせたりしている。
 直径、およそ300mの球形をしたそれは、徐々に大きくなりながら、ゆっくりと、だが確実に現実と非現実の境を浸食していた。間近で見ればもっと分かるだろうが、虹色の輝きは朝日と複雑に混じり合い、非現実的な美を創りだしていた。
 ある意味、天地開闢に匹敵する異常事態だが、それを見ていたのは幾羽かの鳥と、数人の人間(?)達だけだった。

 その内の2人は、眼鏡をかけた色んな意味で濃そうな少年と、砂漠のど真ん中だというのに暑苦しい黒いジャージを着た少年だ。2人は哀れみの浮かんだ、でも敵意と妬みが1割ぐらい混じった顔で、頭を抱え、あさっての方向を見て座り込む少年を見つめていた。
 少々くどいが彼らの目に浮かぶ感情、それは哀れみ…じゃなくて、羨ましい…でもないな。なんつーか複雑極まりない何かだった。もう少し補足するなら、彼が羨ましいのは確かだが、かと言って彼と同じ状況、立場になるのは、第三新東京市で一番高い塔(地上50m)からロープレスバンジーより勇気がいる。やっぱいいや。でも妬ましいぜ。
 そういう目だった。
 ジャージの少年が首筋を掻きながら、本気なのか冗談なのか分からないことを口にする。彼に続いて、眼鏡の少年も口を開く。
 無駄だと思うけど、やってみな。簡単に書けばそう言う類のことを言うために。

「なぁ、シンジ。今更やが本気で逃げた方がええんとちゃうか?」
「無理だろう、これは。逃げたらホントに殺されかねんぞ。
 でも逃げることをお薦めするぞ」

 逃げろ、逃げるんだルークシンジ!

 なんでか縁もゆかりもない幽霊にまで逃げろとか言われる黒髪の少年、…シンジ。
 謎の幽霊サン、どもありがとーございましたー。

 それはともかく。

 逃げろと言う2人の自分を案じる視線は、背中越しでも充分に感じ取れた。親友の気遣いをありがたく思う一方、逃げたら本当に命がピンチに陥ることもわかっていたので、役に立たない助言なんか使った便所紙以下だ。とか思ってたりする。
 てーか助けろよ。
 もっと役に立つ助言してくれよ。
 たとえば、2人とも戦うのをやめてくれるような感動ものの説得するとか、命を賭して助けてくれるとか。涙目になったシンジの目はそう言っていた。

「逃げろ言う前に助けてよ…」
「いやや」
「命が惜しい」
「この前の痴女さんの時は助けてくれたのに…」
「「やばさが違う」」


((誰がそこまでするか))

 虫のいい要求は却下された。つか、そこまで甘えるな友よ。
 だろうなと思いつつ、シンジは妙に疲れた顔をして項垂れた。役に立たない友人はともかく、できることならほとぼりが冷めるまで逃げたい。でも逃げちゃダメだ。もとい、逃げられるわけがない。逃げられるなら逃げるのだが。
 事実、普通の女の子2人による争奪戦なら、『あっ!』とか何とか言って気を逸らした隙に、後ろも見ずに『2人とも愛してるよ』とか言って全速力で逃げ出したかもしれない。さいってー。
 まあ、実際の所相手が普通の女の子であったとしても、妙なところで義理堅いシンジだからどうすることも出来ず中途半端な優しさで、両方の女の子を傷つけることになるかも知れない。

 だが、今目の前に巨大な亜空間を作っている2人の美少女が相手では、どっちにしろケンスケの言うとおり逃げることは不可能だ。逃げることは死ぬことだ。だから彼の足は逃げる努力を放棄している。逃げたところできっと捕まる。逃げちゃダメだという言葉は、自分自身に対する欺瞞でしかない。
 そもそもテレポートできる相手から、どうやって逃げるというのか。
 未だに結魂とはどう言うことかわかってないシンジは、どこに隠れてもあっさりマユミに居場所が見つかることを、心底から不思議に思ってる始末なのだから。余談だがシンジがその気になれば、自分の居場所を隠蔽することもできるのだが、魔法の魔の字も知らないシンジには、今のところ無理。


 無理、絶対。


 それに…なんだかんだ言っても、シンジが逃げるはずがない。
 そもそも本気で逃げるつもりはない。
 矛盾しているようだが、恋は思案の外とも言う。
 これから起こる惨劇(確定)はシンジが被害者ではなく、彼のお嫁さん同士が相争うことによって起こるのだ。基本的に自分より他人の痛みが気にかかるシンジに、彼女達が争うのを無視して逃げるなんて出来ない。出来るはずもない。逃げたら両方の女性を激しく傷つけることになってしまう。
 マユミは既に述べたとおり彼の奥さん。そしてもう一方の少女、レイはどうやら彼の許嫁らしい。




「君は」
「あなたは」
「何者なの(なんです)?」

「私はユイお義母様から正式に認められた、碇君の許嫁…」


 嬉しい言葉のはずなのに!

 体が雷竜の鱗に触ったみたいに震えた。擬音で書くと、ガクガクブルブル。
 その事をレイが告げた昨夜のことを思い出すと、砂漠の中だというのに背中の震えが止まらない。
 突然の事態と衝撃の告白に、『母さん、許嫁ってなんのことなのさ。聞いてないよ』とシンジは驚き、呆れながらあの人ならやりかねない、と思った。未だに自分をおもちゃにするこの場にいない母をなじりたい、罵りたい。一方、レイはうっすらと頬を染めながら、ユイを心の中で罵倒して苦々しげな表情をするシンジに抱きつき、猫が甘えるようにスリスリと体を擦り付ける。

「許嫁。それはとっても甘美な言葉。私と碇君の関係…」

 とか言いながら。
 華奢だがやわらかく、とてもいい匂いのするレイの肢体にシンジの心は、状況を忘れて鼻の下を長く伸ばす。喩え美人と結婚してても、これは無理あるまい。
 もちろん、マユミが黙っているはずがない。
 怒って雷撃呪文とか唱える前に、大きく深呼吸して気持ちを落ち着かせる。

 すーはーすーはー

 その間もスカートのスリットからさらけ出された、産毛一つない真っ白な足を、シンジに見せつけるようにしてレイが甘えてたりする。

「碇君。私のこと好き?」
「え…あの、その、君が何を言ってるのか」
「…嫌いなのね」
「いや、その、そうじゃなくて。嫌いじゃないよ。嫌いじゃないけど…。
 まだ会ったばかりで良くわからないけど、でも悪い人じゃないってのは分かるし、それに…」

(なんで成すがままなんですかっ!)

 恨みに燃えた目でマユミはシンジを睨むが、戸惑っているシンジは気付きもしない。

(男の人って…)

 そういえば父親と兄もそうだったなぁ…と懐かしい記憶を思い出す。今のシンジに比べれば大分余裕がありはしたけれど。
 ともかく予想通りの反応に、マユミはじんわりと目に涙をためて、どうしようかと考えた。

 レイに対抗してシンジに抱きついて甘えるとかは、性格が性格だからできない。シンジは喜ぶだろうが。それは彼女のすることではない。どっちかというとマ○。
 代わりにニコニコ笑いながら、こめかみに血管を浮き上がらせて2人の間に割り込んだ。
 いきなり引き離され、レイは不快そうな表情を隠そうともせず目を向ける。目が合うと同時にマユミは丁寧に言葉を掛けた。

「どういうことか、きちんと…お話しして下さい」

「や」

「お話しして下さい(話さないとしばく)」


「うっ…わかったの(あうう、ユイお義母様みたいに怖いの…)」


 後でこの事を聞いたケンスケが、ぼそっとだが聞こえるように『正妻 VS 愛人』とか凄いことを言って、にっこり笑ったマユミとレイに殺されかけたりしたが、それは実に些細なことだ。
 漠然と戦いの場の用意が終わろうとしているのを感じ取り、なぜかシンジは変なことを思い出していた。かつて見た、春先に無駄に元気になってる雌猫同士のケンカを。何というか、凄く今の状況がはまって見える。

 お互い爪を立てあって、噛みつきあって血塗れで…。

 背後霊さえ見えそうだ。
 少しクラッと来たのは貧血を起こしたからだろうか。漠然とした、だがリアリティありすぎる予感にシンジはおののく。


「誰か、母さん以外の人、僕を助けてよ…」

 母さんは僕をおもちゃにするから嫌。


 いーやーだーねっ!
 命惜しいし。


 シンジの願いも虚しく、天上の神でもそう言って逃げそうなくらい、彼らの眼前にて刻一刻と高まりつつある魔力とその緊張は大きかった、











Monster! Monster!

第15話『レジオナルパワー』

かいた人:しあえが









 やがて、亜空間は不気味に唸ることをやめ、徐々に水面にできた波紋が消えていくように落ち着いていった。詳しい知識が無くても、亜空間が現実世界にしっかりとした楔を打ち込んだことがわかる。
 大きさは直径1kmくらい。だが話によれば中の大きさは直径3km程度だという。そして外は所々にサボテン、ちょっとしたオアシスに草木が生えている砂漠だというのに、亜空間の中は、荒れ地に岩が柱のように林立する不思議な世界になっていた。


 いよいよだ。


 緊張からゴクリと喉を鳴らすトウジ、ケンスケ。
 だがカラカラになった喉はいささかの唾液も生み出さない。ただいがらっぽくなった。
 今はそのいがらっぽさも心地よい。
 存外、自分はこういう解説という仕事が向いているのかも知れないな。ケンスケはニヤリと笑いながら思った。

「始まるぜ」

 突如、空気がぶんぶんと唸りはじめ、亜空間の一角に真っ青な魔法の火柱が立ち上った。
 ケンスケが水晶と謎の金属板、魔法の石、そのほかを組み合わせて作ったカメラを構え、トウジはおもむろに魔法拡声器のマイクを口元に寄せる。そしてトウジの妹、アオイは『おせんにキャラメル〜』と場違いにのんびりした声を出しながら、彼ら以外誰もいない中、籠を持って売り子を始めた。
 いや…徐々に、徐々に人が集まりはじめていた。その中に見知った顔を見つけ、シンジは驚きのあまり声も出ない。

(な、なんでー!?)

 いつの間にかトウジの隣に座らせられていたこと、そしてなぜかいるトウジの妹の姿にもシンジは驚きを隠せなかった。なんて暇な…ぢゃなくて。
 2人の戦いは秘密のはずなのに、なぜ人がいるの!? …と。
 そういえば、戦いは明け方薄暗い頃にはじめるはずなのに、今はちょうど朝ご飯を食べ終わった時間。

 ねぇ、どういうこと?
 特に僕の額に貼られた『賞品』って書かれた紙は?

「そら、お約束言うやつや。出番待っとるだけやったらそのうち忘れられるし。
 こっちからぐいぐいいかなあかんのや。
 ま、これも名前のあるキャラの性(さが)おもうてあきらめぇ」
「そうそう。
 良し、カメラの自動追尾設定完了。高い金出したんだし、これくらい当然だよな。
 ぼちぼちもっと集まって来るんじゃないか?」

 シンジと視線を合わせないようにしながら、トウジとケンスケはそう言った。
 要するにシンジ達をネタに一儲けしようと言うのだこの2人は。
 鈍いと言われるシンジでも、その事はよく分かった。
 さすがは砂漠の男、抜け目無いと言うべきか、それでも友達?って友情について考えるべきか。後者だろうなぁ。


 あの、もしかして僕達見せ物?
 集まるって、どういうこと?…まさか名前のある人達が出て来るの。この間の痴女さんとか。


「さすがシンジ。こういう事に関しては鋭い。感心するよ」
「恋愛に関しては鈍いなんてもんやないのにな」

 てめぇにだけは言われたくねぇな。
 そういう目でシンジはトウジを睨むが、トウジは耳をほじりつつ戦闘の舞台をぼんやり眺めていた。剃刀のようなシンジの視線も見事に無視。ここまで徹底的だと、氷河の氷並に清々しい。
 その時、青い魔法の火柱に続き、その反対方向に水色の魔法の火柱が噴き上がった。

『戦闘開始やで!』
『さて、この戦い、実況は私、相田ケンスケ!そして解説は』
『鈴原トウジや』
『でお贈りさせていただきます!』

『かち割りもあります〜』



 がぁぁぁぁぁっ!!!


 話が違う!混ざってる!変な話が混ざってるよ!!
 ああ、お約束のように僕縛られてるしっ!!!せめて右腕だけでも
 アオイちゃんものんきに売り子しないでよ!
 って、なんでか客がちらほら居る〜。

 シンジは声にならない叫びをあげたが、もちろんトウジ達は無視だ。













 伝説の妖魔、不死者の王。無機王のマユミ。
 雪の妖神、スノーホワイトのレイ。
 亜空間に入り込む前、2人は無言で互いを見つめ合う。
 戦いが終わった後、立っているのは果たしてどちらなのだろう…。いずれも負けられぬ身なれど、勝てるとは限らない。
 その力はどちらも自然現象を、天候さえも操り、その気になれば国一つ滅ぼすことも容易いだろう。
 敵対してるとしても、互いの力と能力には敬意を表する。こんな出会いでなかったら、友達になれたかもしれない。


「手加減しません」
「来なさい。泥棒猫」

 故にこそ、2人が最初にしたことは舌戦と、相手の様子見だった。

「ど、泥棒猫ですって!?」
「聞こえなかったの?
 耳まで悪いのね泥棒猫さん。無様ね」
「その言い方は止めて下さい」
「ふっ」
「こ、今度は鼻で笑った…」
「カルシウムが足りてないみたいね。そんな短絡的なおつむでどうやって碇君を誑かしたのか…。
 ああ、その無駄に大きい胸とかでなのね。納得したわ」
「む、胸は関係ないわ」
「脳に回す栄養まで胸にやるから短絡的なのね。よくわかったわ」
「人の身体的特徴をあげつらうのは、良く…ないです」
「知らないわ、私は人間じゃないもの」
「……っ」



『容赦ないのぅ、綾波言うのは。姉さん泣いとらんか?』
『アレは俺でもきついぞ。どこで覚えたんだあんな言葉』
『あ、あとでなだめるのが大変なのに…』

 トウジ達の言葉を確認するまでもなく、舌戦は一方的なまでにレイの勝利で終わった。
 今にも高笑いしそうなレイと対照的に、涙をにじませ、真っ赤な顔をしてブルブル震えていたマユミだった。なんとか大泣きする寸前で、深呼吸をしつつどうにかこうにか精神の再構築を終えたようだ。

「許さないから…」

 珍しく声を荒げて呟くと、レイを上目遣いに睨みつつ亜空間の中に飛び込んだ。数瞬遅れてレイも亜空間へ飛び込む。
 待つほどもなく、2人は砂漠とは違う荒涼とした岩場に姿を現していた。
 お互い何をするでもなく、魔力の流れを感じ取ろうと意識と精神を研ぎ澄まし、静かに相手の出方をうかがう。


(何を召還する気かしら…)
(どんな魔法を使ってくるの?)


 魔力の源こそ異なる2人だが、戦い方は似ているようだ。
 すなわち、相手の攻撃をまず受け、それから反撃する守りの人。逆を言えば被害が小さい、あるいは全くないロングレンジからの攻撃を行うと言うことだ。態勢が整っていない内に、遠くから強力な攻撃をされたら…。

 先に動いた方が不利。

 どちらも相手のタイプに気がつき、ほぞを噛んだ。

 とは言うものの、このまま黙ってお互いのいるところを睨んでいても話は進まない。

 まず動いたのはマユミだった。
 軽く舌打ちをすると、とんとんと持っていた杖の石突きで地面を叩いた。同時に、地面に広がっていた彼女の影が濃くなる。
 露出しているのは胸元から上と、手首、足首まで隠すワンピースに身を包み、頭には鍔の付いたとんがり帽をかぶった彼女の姿は、まさに物語に出てくる魔女そのもの。その一方で金属のような光沢を帯びた肩当て、ふくよかな膨らみを包み込んだ胸当てなどの所為で、彼女は鎧に身を包んだ騎士のようにも見える。
 この姿こそ、レイが初めて碇家に姿を現したとき彼女が取った姿。彼女が戦闘態勢に入った証。
 今の彼女は、シンジにあふんあふん言わせられてるだけの彼女ではない。

「……………闇よ。集いなさい」

 ぽつりと、小魚が水面に跳び上がったときのような、小さく微かな声が漏れた。それを合図に彼女の影が大きく、まるで意志を持っているかのようにうごめき始めた。同時に彼女の被っていた帽子がぐぐっと動き、彼女の顔全体を影で覆い隠す。
 今の彼女は全身、僅かに口元以外を漆黒の闇に包まれた闇の落とし子。
 刃向かう者は、魂すらも刈り取ってしまう。
 影の奥で、彼女の目がアンデッド特有の赤い光を放つ。レイの赤とはまた違う、ぬめるような赤色だ。

「ふふふっ、能力を全開にするなんて初めてだから。だから、どうなるかはわからないわ。
 でも悪いのはあなたですから。私を泥棒猫と言ったあなたの」

 誰に対する言い訳なのか? 彼女の自身にもわからない。ただ彼女がそう言い終わったとき、形を持った闇が吹き荒れた。







『おおっと、マユミ選手に動きが! 彼女の周囲を闇が覆ったぞっ!?
 これは一体、どういうことでしょう鈴原さん?』

『知らん』

『役にたたねー。じゃ、シンジ』
『お、怒ってる。マユミさん、心の底から大マジで怒ってるよ!
 だって仕方ないんだ、カヲル君は使徒だったんだ!』
←錯乱








 3馬鹿は放っておいて少しマユミの能力の説明をしよう。
 今彼女が全身に纏わせた闇は魔法で生み出された物ではない。いや、魔法の闇であることは間違いないが、マユミが何らかの魔法を使ったわけではない。その逆、つまり彼女が普段押さえ込んでいたものを解き放った結果なのだ。

「ふーん腐っていくんだわ。知らなかった」

 闇が覆い尽くした大地が、ゆっくりと腐り始め、沼地のようになっていくのを見て、マユミは感慨なさそうに呟いた。正確に言うなら、土が腐っているわけではなく、土と土の粒の間に僅かに存在した有機体が腐っている。
 これこそ、彼女、無機王となった不死者がもつ特殊能力、『闇』
 この闇は物理的な密度すら持ち、触れた有機体を腐らせ、中心に存在する不死者(マユミ)を太陽の光、熱などからある程度守る効果がある。人間が中に入れば、その動きを束縛され、弱い生命は入り込んだだけで死んでしまうだろう。

 それだけではない。

 闇の中に、うっすらと白くぼんやりとした影が浮かび始めた。
 一つだけではない、幾つも幾つも…。


「ヒィ───!!!!」


 絹を裂くような悲痛な悲鳴が亜空間に木霊した。常人なら、それだけで恐怖に震え、気絶しかねない叫び声だ。もちろんアンデッドであるマユミには、その手の精神攻撃は一切通用しない。ただうるさく感じるだけだ。
 騒々しさにマユミは少し眉をしかめ、ジロッとそれを一瞥した。騒がしいのは嫌いです。そう言うように。


「ヒィッ!!」


 既に死した身で何を恐怖するのかわからないが、その一瞥に恐れおののきながら、マユミの闇に惹かれてこの世に実体化したゴースト、レイスの群はたちまち四方に散っていった。 消え去ったわけではない。闇から離れて見えなくなっただけだ。
 その哀れな身の上には多少の同情はするが、生きている人間を自分と同じ境遇に引きずり込もうとする、情けなく傷を舐め合おうとするだけの他のアンデッドを彼女は余り好かない。正直、問答無用で引導を渡してやろうとか思ったりもするが…。

「幽霊が勝手に集まってくるから、あんまり本気出したくなかったんですけどね」

 元々、満足のいく死を遂げる者など数えるくらいしかないのだ。しかも死神も数が少なく、その仕事は充分成し遂げられてるとは言い難い。実体化できないだけで、とかくこの世は霊魂で満ちている。一々相手をしていたらそれだけで人生が終わってしまう。
 マユミが闇を解き放っている限り、幽霊達は実体化していく。
 一種の制約として受け入れるべきなのだ。

「できれば自主的に成仏して欲しいけど…無理でしょうね」

 力試しと憂さ晴らしに数体ほど消滅させてやろうかと思ったが…。キリがなさそうなのでやめた。
 死んだ後、成仏することを恐れている霊相手に、悟りを開くことを期待するのもかなり虚しい。数十年間、あるいは数百年間死霊をやってないと自主的に成仏しようなんて考えないだろう。
 ため息をつくと、マユミは杖を持ち直して岩棚に立ち、眼前に広がる荒れ地を見渡した。

「行くわよ」


 死霊達を従え、闇を纏うマユミ。
 彼女の姿はまさに死者の女王。夜の愛し子。
 岩棚の上に立ち、その肢体を闇に包まれた彼女は恐ろしくもあり、美しくもあった。
 死者の女王という呼び名を、本人が望むと望まないとに関わらず。

 やがて何か名案でも思いついたのか、彼女の口が可愛らしくほころんだ。

「そうだ。燻りだしてみましょうか」




























 マユミが何かぶつぶつと魔法の呪文を唱え始めた頃、レイはレイで戦闘モードに移行するかしないかで迷っていた。あの姿になれば、まず間違いなくこの勝負は勝てると彼女は踏んでいる。
 なにしろ、あの鎧はユイに作ってもらった彼女専用の鎧だ。装着したことによって上がる戦闘力は、あの女(マユミ)に決して劣らない。いや、圧倒的に上を行くだろう。
 ただ、唯一にして絶対的な欠点…見た目が著しく悪くなる欠点があった。

「碇君、怖がるかも知れないもの」

 中から外は見えないが、きっとシンジは自分達を見ている。
 それはまずい。
 戦いに勝っても、シンジは自分を見て怯えてしまう。それくらい恐ろしい姿なのだ。少し考えると、レイは戦闘モードに移行することを辞めた。舌戦では圧勝だったが、それで相手の実力を低く見るほどレイは甘い人生を生きてはいない。まだお互いの手の内を見たわけではないし、最初の激突をしたわけでもない。少し戦ってみて、戦況が不利だったときに鎧を着ても良いだろう。
 切り札、奥の手は最後に使う物なのだから…。そして使うときは、別の奥の手を用意して使うべきものだ。

(そう、それで良いの。私は最強の雪の女王だったんだもの。このままでも勝てるわ)

 それが願望に過ぎないことはレイにも内心わかっていたが、彼女はそう決心した。

(ん?)

 その時、レイは自分の周囲に細いキラキラした物が漂っていることに気がついた。はじめ、エンジェルヘアー(蜘蛛の糸)かと思ったが、数瞬遅れてそれが自分を囲むように、まとわりつくように漂っていることに気がついた。

(いけない)

 普段ぼんやりさんなレイだったが、この時の行動は早かった。
 彼女の瞳が一回り大きくなり、白い部分が無くなって全てが赤く染まる。同時に彼女の周囲の気温が急降下し、太陽の光できらきらとさんざめく霧が発生した。間髪入れず、その霧は氷点下の世界を生み出した。


「凍れ」


【キュアアアアッ!】



 たちまちの内に彼女を取り囲んでいた糸が凍り付き、同時に幾つもの白い影が、苦しみの怨嗟をあげながら実体を現した。
 白く透き通る人間に似た姿をしたなにかが。
 上半身はしなびた人間そっくりで、下半身は腰の所から蛇の尾のように先細りとなって存在せず、背後の風景が見えるくらい全身が透き通っている。くぼんだ眼下の闇の奥で、生ある存在への恨み辛みを瞬かせる。それは死霊(レイス)と呼ばれる霊体のアンデッドだ。枯れ木のような指先で哀れな獲物を一撫でするだけで、対象を凍えさせ、そして生命力を永久に吸い取ってしまう強力なアンデッド。少し腕に覚えがある程度の人間では、太刀打ちもできないだろう。この世界ともう一つ別の世界に重なって存在する霊体は、魔法の武器か、魔法でないと決して傷つかないのだから。あるいは神聖なる神の奇跡を用いるかだ。
 ではあるが、レイの相手をするには彼らこそ力が足り無すぎた。

 レイを中心に広がる冷気に巻き込まれ、レイスは苦痛の悲鳴をあげた。
 霊体の体にすら影響を及ぼす氷の冷たさの恐ろしさよ。
 今彼らは自らの甘さと、彼我戦力の差を思い知った。

 勝てない!

 命令があったわけではないが、レイに一撃を喰らわし、あわよくばマユミの覚えを良くし、恩恵を賜ろうと浅薄に思っての行動だが…。
 今彼らは己が判断の甘さを痛切に後悔していた。

「霊体用の技…。あるの」

 レイの繊細な指先が空中に不可思議な軌跡をなぞり、魔神を呼び出す魔法陣を描き出す。一瞬で消え去る光の魔法陣だが、レイにとってはそれで充分だ。自らの意志でレイに襲いかかった、不遜な死霊達を滅ぼす力が実体化する。


「氷雪の魔神グロスト!
 綾波レイの名に置いて命じる。その嘆きの叫びをここに実体化させなさい!」


 一瞬、彼女が指さす先に、鶏冠のような物を生やした、鱗まみれの水色の巨人の姿が浮かび上がった。
 巨人は万歳するように両手を高々と掲げると…一言、力ある言葉を呟いた。

「ナイト・オブ・ダイアモンドダスト!」

 次の瞬間、空気が一斉に縮み、周囲の気圧が激変した。
 惑星の自然現象では決してあり得ない、氷点下200℃という極寒の嵐が吹き荒れた!
 岩が、大地が、空気が凍り付いて軋む。

【ヒィィ!?】

 激変した気圧変化で野獣の叫びのような轟音が響く中、凍り付いた土の欠片が掃除機で吸い込むように冷気の中心へ吸い込まれていく。氷の爆発ならぬ、爆縮が起こったのだ。レイの放った冷却呪文が周囲の気温が急降下させ、その結果大気密度が激減させた結果だが、そら恐ろしい破壊力と言えよう。

(いやだ、いやだ。消えたくない…)

 吹雪の中、レイス達は魂すらも凍り付かせ、そして粉々にうち砕かれた。魂を砕かれた彼らは二度と成仏できず、永遠の苦悶に泣き叫びながら地獄にも人間の世界にもいられなくなる。



 強烈なバキュームによって高さ1mほどの蟻塚のような物ができあがった広場に、すとんと軽やかにレイは着地した。着地すると同時に、凍り付いた地面からキラキラと微細な氷の粒が巻き上がる。
 周囲の気温は氷点下30度を下回っているが、彼女には心地よい気温だ。全てが白銀に染まり、キラキラと輝く中、レイはくすっと楽しそうに笑った。

(次はあなたの番なの)





















『す、すさまじい!両者、すでに世間一般の魔法使いのレベルを超えています!
 さて、鈴原さん!』


 器用に2人の姿をレポートしていたケンスケは、脳内物質を良い具合に分泌させながら、隣で目を奪われていたトウジに向き直った。

 こんな素晴らしい戦いのナレーションができるなんて、まったく実況冥利に尽きるぜ。

 とか考えてるんだろうな。

『なんや』

 ふむ!と鼻息荒いトウジ。久しぶりの出番に彼も興奮気味だ。

『この勝負、どっちが有利だと、いや、どっちが勝つと思いますか!?』
『難しい質問や。なんと言っても、ワシは綾波言うのの実力をしらんからのぉ。だが、今の魔法の破壊力から考えて、姉さんと五分五分やないか思う。となると先手を取った方が有利や』
『なるほど、ありがとうございました。…あの2人の美女に挟まれたシンジはどう思う?』


 なるほどと頷きつつ、ケンスケはシンジにマイクを向けた。
 また逝ってると呆れ返りつつ、ケンスケ怖ぇとか考えるシンジ。

『え? んーと、その。2人とも怪我しないと良いな。だって、綾波さんって子、母さんの関係者みたいだけど、詳しく事の真相を聞いてもいないんだよね。だからそのさ、色々と…』

 うじうじしだしたのでケンスケはさっさとマイクを戻して、試合場に目を向け直した。

『おっと、マユミ選手の方に何らかの動きが見えたぞっ!!それでは皆さん、4番スクリーンにご注目下さい!」
















 長々とマユミは呪文を唱えていたが、やおら目を見開き、鳥のようにその両手を広げた。同時に彼女の服を飾る装飾が、彼女の手に持つ杖が眩く輝く。その光が地面に照射されたかと思うと、まるで空間そのものを削り取ったかのように、不気味な空洞がその虚ろな口を開いて見せた。
 マユミはマユミでポーズを決めつつ、首を斜めにちょっとかしげて、腕はきっちり決め!

「出なさい!出ないととーってもご機嫌斜めだわ!
 出よ鉄蝗(アバッドン)!!
 ドビシ!」


 ぶばばばばばばばばばばばばばばっ!!!

 鈍く、重い羽音を立てながら無数の影が一斉にその穴から外の世界に飛び出していった。
 ぶんぶんと羽音を響かせながら、実体を持ったことを喜ぶかのように飛び回る。
 マユミは微かに口元に笑みを浮かべ、シンジ達観客は一様に口元を押さえて呻いた。それぐらい気持ちが悪い姿をしていた。子供くらいの大きさがある虫…たしかに気味が悪いだろう。具体例を挙げれば、小さいから目立たない口の構造などが、実にはっきりわかるのだから。
 この座布団くらいある巨大な虫こそ、ユイ達をちょっぴり悩ませた神の使い魔、アバッドン(アルペー)の類族、アバッドン(アルペー)である。
 ややこしいからかドビシと言う名前もあるので、その名で呼ぶのが一般的だったりする。

「お〜ほっほっほっほ!
 ドビシは虫型妖魔としては戦闘力はともかく、索敵能力はトップレベルに位置する存在!
 勝手をした死霊とは、レベルが違うわ!」

 人が変わったように高笑いするマユミの声をバックに、蠍の毒尾と鋼鉄の鎧を持った人面蝗はレイの姿を求めて一斉に亜空間内部に広がっていった。外で見ていた人間には、たらいに張られた水に、墨汁を一滴落としたように広がっていくのが見えたことだろう。
 彼らの目的は一つ、レイを見つけ、その位置を逐一マユミに伝えること。  虫使いであるマユミによって召還されたドビシ達は、その視覚の一部を彼女と一方的にリンクされている。つまり、ドビシの見た映像がマユミにも伝わるのだ。
 そしてもう一つ、彼らには命令が下されている。
 すなわち、あわよくば彼女の命を絶つこと!

 今、猟犬が解き放たれた。
















 マユミがドビシの群を召還したとき、レイはレイで彼女の下僕となる魔物を召還していた。
 こう言っては何だが、お互いの手の内は大体わかっている。マユミもドビシが決定打になるとは、まさか思っていないだろう。なら、その期待に応えてやらなくては。彼女が自分の足下に無様に這い蹲るという、レイ自身の期待に応えて貰うためにも。

「ガンダー!私に仕える氷蝙蝠たち!迎撃しなさい!」

「「「「きゃっひゅー!」」」」

 レイの召還により姿を現した4体の蝙蝠……と言うには、いささか異形の魔物が嬉しそうに雄叫びをあげた。
 折り紙を折って作ったような角張った手足を持ったそれは、人間のように直立歩行をし、鮫のようにごつごつした肌を持っていた。そこだけ滑らかな二等辺三角形の頭からカタツムリのように突き出た目をクリクリと動かし、吸盤のある手をわきわきと握ったり閉じたりさせている。嬉しい証拠だ。
 目前に迫った戦いが嬉しくてしょうがないのだろう。

『KOHHHHHH!!』

 と、氷蝙蝠ガンダーの一体があつぼったい魚のような口を開き、薔薇を瞬時に凍らせる冷凍ガスを吐き出した。その視線の先には、亜空間の空を飛ぶドビシの群があった。

【ぶばばばばばばばばっ】

 まともに冷凍ガスを浴び、先行していたドビシの一団はたちまちの内に氷の彫像と化し、直前まで保持していた、激しい運動エネルギーの所為で粉々に砕け散った。
 それを合図に、4体のガンダーは一斉にV字型の翼を広げた。さほど広いわけではないが、それでもガンダー自身の体高が3m強あることもあって、その威容は見ていた人間に言葉を失わせる。
 鈍純な見た目に反し、羽ばたいてるわけでもないのにゆっくりとガンダーの体が浮かび上がる。

「お行きなさい。そしてあの泥棒猫の凍り付いた生首をここに持ってくるの!」





 数分後。

 マユミとレイ、2人の中間地点は地獄とかしていた。
 ガンダーは冷凍ガスを吐き、数体のドビシを粉々にうち砕く。その一方、ドビシはドビシでガンダーに取り付き、割れたガラスのように不揃いな歯を突き立てる。苦痛の悲鳴と青色の血をまき散らすガンダー。直後、超低温のガンダーの体液を浴びて、ドビシは悲鳴をあげる間もなく粉々に砕け散る。
 一体、一体なら圧倒的にガンダーが上だが、数が違いすぎる。その一方でドビシもまた、レイを見つけられず、身に纏った低温故に近寄るだけで命がけのガンダー相手にその数を減らしていった。

 空中で相争う魔物達。
 その死骸が、血が雨のように降り注ぐ中、マユミは春雨の中の散歩のようにゆっくりゆっくりと足を進めていた。闇を出すことを止め、服装以外は普段の彼女に戻っているようだ。さすがに寄ってくる死霊達が鬱陶しかったようだ。
 今の彼女は眼鏡のレンズをキラリと光らせながら、戦いの趨勢を見守っている。地面に落ちて痙攣するドビシや、それもできず粉々の破片になったドビシを見つめて感慨深げに呟いた。

「思ったより、やるもんですね。特殊能力に頼るだけかと思いましたけど」

 想像以上にレイの能力が高かったことにまず感心した。油断はしないと戒めていたつもりだったが、多少甘く見ていたらしい。
 自分が魔法使いタイプ、つまり肉弾戦に弱いことを知って、ガーディアン兼アタッカーとしてガンダーを召還したことにも感心した。ガンダーはその冷凍ガスのブレスだけでなく、強力な腕力を持つことでも有名なのだ。
 相手の弱点を素早く把握し、そこをつくなどなかなか戦略眼がある。最初の印象では、とてもそうは思えなかったのだが。

(意図的に隠していたのね。あなどれないわ)

 実は考え過ぎなのだが、マユミはそう判断すると用心しながら頭上に視線を向けた。いまだガンダーとドビシは争っているが、彼女としては残念ながら趨勢はガンダーの方に傾いていた。もう数分もすればガンダーはマユミに矛先を向けるだろう。
 500体のドビシが、ガンダー4体に勝てないとは…。

 面白くない。

 舌戦に続き、魔法合戦の出だしに負けたような気がして、マユミはくっと唇を噛み締めた。相手をわずかでも甘く見たこと、そして自分が慢心していたことに我慢が成らない。まるでシンジの一部取られたような気分だ。

(次は私が取らないと)

 すっとマユミは杖を持ち上げ、握りの部分についた宝石部分を空に舞うガンダーの一体に向けた。その瞳と杖の宝石に剣呑な光が宿る。


「三億年獣赤角光線(ガランレーザー)!!」

 マユミが呪文を唱えた瞬間、
 杖の宝石が赤く輝き、刹那直径1mはありそうな極太の閃光が、不運なガンダーの胸を刺し貫いた。

【GYUYEEEEE!】

 瞬時に体液を沸騰、蒸発させ、口から内蔵を吐き散らしながらガンダーは爆散した。突然のことに何も出来ず、唐突な死に襲われた彼は、何を思っていたのだろう。ドビシも数体が閃光に巻き込まれ、パニックに陥ったようにガンダーを攻撃する事も忘れてぶんぶん飛び回る。

「静かにして下さい」

 冷たいマユミの声が聞こえた瞬間、全てのドビシとガンダーの動きが止まった。
 自分が召還したわけでもないガンダーですらも動きを止める。それだけの強制力が彼女の言葉にはあった。
 人間だったら顔を蒼白にしているガンダー、ドビシを交互に見た後、マユミは小さく、だがハッキリと言った。

「合体を許可します。このあと私に始末されたくなければ、全力で戦って下さい」

 急に静かになった世界の中心にたたずみマユミは言った。
 その言葉を合図に、敵でなく、自分の主への恐怖に震えたドビシの群が一斉に一カ所に集まり始める。口調こそ丁寧だが、怒り狂っていることは想像に難くない。普段大人しい人間ほど、怒るときは恐ろしい。ドビシでなくとも必死になろう。
 一方、ガンダーが目をきょろきょろさせながらマユミと、ドビシの群に視線を向けた。レイの命令を遂行したいのは山々だが、今見せつけられたマユミの能力の高さは冗談に成らない。異形の魔物とはいえ、自殺願望があるわけではない。レイの命令も大切だが、死ぬのはイヤだ。でも結局レイの命令には逆らえないんだけどね。
 それにドビシがしていることも気がかりだ。
 彼らが躊躇するのは無理無からぬ事。だが攻撃しないからといって、マユミは敵を見逃すほど、甘くはなかった。

「じゃ、あとはお願いします」

 マユミが呟いた直後、ドビシの群だった塊から、三条の光線がほとばしった。
 マユミに意識を集中していたため、ガンダーの回避は遅れ、光線は翼に直撃した。光線は翼を撃ち抜き、ガンダーは悲鳴をあげながら墜落する。

ズズンッ×3

【KOHHHHHH!!】

 落下の衝撃に顔を歪ませ、苦痛に耐えつつ起きあがる彼らに向かって、巨大な生物がゆっくりと歩み寄っていた。苦痛よりも驚きに、ガンダーは飛びだした眼弊を震わせる。
 不気味に口の下についた目と、両膝にある目を動かす異形の魔物。巨大昆虫そのものだった最初の姿と似ても似つかないが、彼こそ合体して、一体の巨大生物へと変容したドビシだ。エイに手足をはやしたような体の体長は5mを越え、頭頂部、腹の真ん中にギザギザの牙が生えた口があり、鎌のような翼を持ったその姿は、ドビシの帝王と呼ぶに相応しい。

 やっていいっすね!?

 餌を前にした犬のようにドビシは尻尾を立てる。マユミはチラッと目だけを動かしてそれを見ると、コクンと軽く頷いた。


『ゴアアアッ(なんか気に入らないんだよ、このナメクジ野郎はっ!!)』
【KOHHHHHHH!!!(やるかてめぇっ!!あの人がおらんのなら合体した言うてもてめぇなんか怖かねぇぞっ!!)】

 うなり声をあげ、お互いを殴る蹴る光線を浴びせると熾烈な戦いを繰り広げる4体の妖魔達。いやはや、なんとも。
 見ていた人間達が賭を始めるくらいに、エキサイティングな戦いが始まった。
 組んずほぐれつどったんばったん。












 背後の戦いを後にしながら、マユミはゆっくりゆっくりと歩を進めていた。
 そしてとある広場まで来ると、何をするでもなく右、左とゆっくりゆっくりと周囲を見渡し始める。

「いるんでしょ。出てきたらどうです?」

 ここに間違いなくいる。
 マユミはそう確信したのか、誰もいない空間に向かってそう声をかけた。
 もし居なかったら寒いし間抜けなことこの上ないが、彼女には何かの確信でもあるのか、しつこく声をかけ続けた。レイと異なり、生粋の魔法使いでもあるマユミは魔力感知の能力に長けている。実のところドビシを使うまでもなく、レイがどこにいるのかは大雑把で良いならわかるのだ。

「でてきたらどうです? このままだと、あなたのペットは全滅しちゃいますよ。可哀想じゃないんですか?」

 少し焦れながら、情に訴える作戦に出てみたが、やはり返事はない。
 思った以上に相手は冷静、あるいは強情なようだ。
 肩をすくめると同時に、マユミはレイの性格を考えた。昨日少しやり取りしたこともあって大体悟っている。大雑把に言うと…。

(わがまま)

 とどのつまり、子供なのだ。
 それも小さな世界で育てられたが故に、幼さを色濃く残してしまった大人に成りきれない子供。年齢的には10代半ばだが、精神年齢は10歳前後なのではないだろうか。ただ知識はあるようなので、その分短気になっている。

 とすると、怒られるとわかっていても、子供が親の前に出てこないわけにはいかないことを言うのがベストだろう。




「いつまでも隠れてるなら、私の勝ちって事で」




 数秒後、銅鑼を叩いたときのようにほわんほわんと響くような声が周囲に木霊した。


『いやなの。それダメなの。碇君は、碇君は渡さないもの』


 マユミの目前の空間が切り裂かれ、忽然と現れた異次元の扉の中から姿を現しながら、レイは視線で人を殺せるならと言わんばかりの目つきでマユミを睨み付けた。
 それを風にそよぐ柳の葉のように受け流し、マユミはレイにむかって挑戦的な瞳を向けた。今度はペースを握られないように、彼女の方から挑発的な言葉を投げつける。

「じゃ、前座はこれくらいにして、お仕置きです」
「お仕置き!?」

 なぜかお仕置きという言葉に過剰反応するレイ。腰が後ろに引けて、尻尾があったら丸めているくらいの怯えようだ。手で頭とお尻をガードしてるところもまた興味深い。

 ユイさん、あなた一体どういう教育したんですっ!?

 レイのおののきようが、昔の自分にちょっと重なってびっくりする。でもなんだかその姿が可愛くて、敵だって言うのに今は亡き妹、弟みたいに思えて、ちょっと微笑ましくなる。少し意地悪したくなったりした。
 意図的にユイの笑い方を思い出しながら、口の端をちょっと歪めニヤリと笑う。

「お尻叩いちゃいますから。覚悟して下さいね♪」
「お尻!? や、なの。頭ぐりぐりされるのも、お尻叩かれるのもいやなの!」

 あ、ちょっと嗜虐心そそられるかも。

 落ち着かず、不安そうに頭をフルフルするレイの姿に、そんな危ないことを考えてしまうマユミ。彼女自身がいじめられッ子属性だというのに。存外、シンジに一方的に攻められるだけの毎日は、嫌なわけではないが、フラストレーションが溜まるのかも。

「とにかく、シンジさんのそばにいる権利があるのはどちらなのか、今ここで、決着を付けてあげます!」
「あうう、の、望むところなの!負けないの」



























 そのころ、ユイは目前に無意味にそびえ立つ門を見上げながらため息をついていた。

「見る度、派手になるわねぇ…」

 親友の実家がお金持ちなのは知っているが、それにしてもこれだけのお城を造るのは並大抵の費用ではない。それをいともあっさり成し遂げる財力が少しどころじゃなく羨ましい。もちろん、財産が欲しいわけでなく、自分より上の部分があることが悔しいだけだ。
 まあ、魔界では金銀財宝などの財産なんて余り意味を持たないんだけど。
 魔界で物を言うのは財宝より力…なのだから。まあ、その力も充分すぎるほど持ってるのだが。

 少し脱線したが、ユイと彼女の親友のキョウコ。2人は、全てにおいてライバルだった。
 過去行われた数多の戦いを思い返し、ふと寂しさと懐かしさに囚われるユイ。
 自由奔放で、世界は私のためにあると思っていた青春の日々。それはキョウコも同じだっただろう。まあ、少なくともワケわからん高笑いをあげてれば満足という、色んな意味で終わった性格ではあったが。
 今も時々、思うことがある。


 キョウコ、恋愛とかそう言うのをすっ飛ばして、飯をおごってくれたからって結婚したんぢゃないでしょうね。


 すげー有り得そうな想像にユイは情けなさそうに眉をひそめた。
 もしそうだとしたら、一時でもアレをライバルと認めた自分が恥ずかしくてしょうがない。
 穴があったら入りたい。すみすみ。
 キョウコの旦那の気弱そうな、自信なさげな、でも優しい顔を思い出して苦虫を噛みつぶした顔をするユイ。少なくとも、男の趣味に関してはユイも人のことを言えないのだけど、その手の事実は巨大な心の棚の奥。

 それはともかく。

 ユイはライオン頭のノッカーに手を伸ばすと、ゴンゴンと無造作にそれを叩きつけた。
 手加減という言葉を心の棚においてるせいか、一撃、一撃と叩く度にヒビが入るが気にしない。どうせ彼女の家じゃないし。

 魔法のノッカーが涙を流したときになって、ようやく叩くのをやめる。正確に言うとひん曲がって、それ以上叩けなくなったから叩くのを止めたのだが。

「使えないノッカーね」

 あんまりや…。ノッカーは本気で泣いた。
 それを無視して、ユイはすぅっと息を胸一杯に吸い込むと。


「おーいキョウコー!
 私ー!ユイー!
 居るのはわかってるんだからさっさと出てこーい!」


 そう宣いながら両手のげんこつをポカポカ扉に叩き続けた。
 なぜか発泡スチロールに指の跡を付けるみたいに、ぺこぺことへこんでいく。どう見ても鋼鉄とか、その手の金属で出来てる扉に見えるのに。
 ユイが特別変なのではなく、扉が変なのだと思いたい。

「でーてーこーいー」



ズゴゴゴゴゴゴゴ…


 その時、振動が始まった。
 地震かと思われたが ─── なにしろ地獄では地震なんて日常茶飯事 ─── その震動が地面ではなく、目の前の城から伝わってきていることはすぐにわかった。

「やっと起きたのかー!
 いつまで寝てるのよキョウコったらー!」


 なおもゴンゴンと扉を叩きまくるユイ。へこみ、窪みどころかヒビが走る大扉。
 実際やってることはともかく、その姿、表情、喋り方など、まるでおきゃんな少女時代に戻ったみたいだ。完全にキョウコなる人物が寝ていると決めつけているところも見逃せない。ここらへん、やっぱりレイの育ての親だなぁと納得せざるを得ないだろう。

教訓:子は親の鏡、蛙の子は蛙。



「おーきーろー!長旅でお腹減ってるのよ!」


 これだけ叫んでも城が揺れているだけで、中から人が出てくる気配はない。留守にしてる可能性もあるがユイはそう考えなかった。

「無視したわね!キョウコのくせに!」


 なぜそうなる!?


 私が決めたから!


 スカートをなびかせながら後方に大きく跳ぶこと30m。その地点でユイは両腕を胸の前で交差させるとなにやら怪しげな呪文を唱え始めた。ざわざわと彼女の髪の毛がうねりだし、彼女の背中が輝いて、眩い光が立ち上る。それは翼…純白の、光で形作られた翼だった。

 そう、これこそ彼女の必殺技の一つ!

「必殺!ドラ…」

『世界を滅ぼす気かあんたはっ!!』

 突然、ユイの頭が何者かによってはたかれた。
 殴った獲物は厚紙を折ってたたんで作る、いわゆるハリセンにしか見えないが、どういうワケかユイは顔面から地面に激突し、ゾリゾリと紅葉おろしを作りながら門まですっ飛んでいった。

 そしてパチンコの玉のように門の鉄柱にぶつかり、『ぐぇぶっ』と蛙を踏んだような呻き声を上げるとユイはそのまま轟沈した。
 ピクリとも動かない。
 だくだくと怪しい液体がバケツの水をこぼしたみたいに広がっていく…。
 つまり、顔から血ぃ流しつつ、気絶したのだ。あのユイさんが。


『いきなりなにする気なのかしらね、ユイは。はぁ、友達は選ばないとなぁー』

 屍同然になったユイを見下ろしながら、謎の人は重いおもーい劣化ウランより重そうなため息をついた。
 とは言うものの、どこの誰だか知らないけれど、な〜んとものんきな雰囲気の謎の人物だ。
 やがてやれやれと肩をすくめると、指をパキンと鳴らす。同時に殴られ、蹴られ、抉られた大扉がヒィヒィ悲鳴をあげながら内側に開いていく。

 これは修理しないとダメね。

 はあやれやれと再び重いため息をつきつつ、謎の人物はユイを睨め付ける。このままほっておこうかという、甘い誘惑に必死にあらがっているようだ。

『ほんと、友達は選ばないとね』

 やがて、今だピクリとも動かないユイの足を掴んで引きずりつつ、城の中に入っていった。妙に疲れた空気と、地面にナメクジが這ったような血の跡を残して。







続く






初出2002/05/03 更新2004/11/23

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