「行くわよ!」
「カマーン。なの」

 2人の力ある言葉に応じ、大地が震え大気が凍る。
 遂に絶大なる力を持ったデミ・ゴッドの戦いが始まった。

 片方は大地の理(ことわり)を知る大魔導師にして死霊術師、ついでに妖術師でもある無機王『山岸マユミ』

 他方は雪と氷、極北の風に愛でられし雪の落とし子、スノーホワイトの精霊使い『綾波レイ』

 超絶の存在の争いに、天とて成り行きを見守る他はない。
 見よ!魔力渦巻く空を、大地を!
 マユミが一声呟けば、大地がうねり、雷が柱のように降り注ぎ、レイが腕を一振りすれば、風が轟き、砂漠がツンドラの大地と化す。
 マユミの頭上では漆黒の雷雲が捻れながら濃さを増していき、レイの頭上では白い雪雲が雪を降らせながら同じく濃さを増していく。2人の睨み合う中間地点では、土と水、相克する2つの力のぶつかり合いで、空間さえもが軋んでいる。2人の力は極めて高い。そして拮抗している。

 この戦いが平穏無事に済むはずがないのだ。
 当人達にとっても、関係者一同にとっても。…良かれ悪しかれ。
 願わくば、死者のでんことを。


 いや、マジで。たのんます。


 戦いの場から離れた現実空間にて、やんなるくらいに土気色になったシンジの顔が、如実に現状を物語っていた。
 今第三新東京市に生きる人間にとって、この2人の戦いに最も身近な存在と言えば…間違いなく彼であろう。当事者と言っていい。2人の美女の思い人なんだから。
 だのに彼の顔色はさえない。いや、悪いと言って過言ではない。
 ふしゅふしゅと熱水鉱泉のように暗黒闘気を噴き出し、レイを睨むマユミと、バナナで釘が打てる世界をナチュラルに作り出すレイ。その間に挟まれたんだから、まああまり気分がいいわけ無いけど。なんか今にも嘔吐しそうな顔色の悪さだ。
 それに引き替え、周囲の人間達の気楽そうなこと。
 勝手に見物している観客達を、賭の胴元であり、解説者であるトウジ達をシンジは睨む。
 場違いな八つ当たりだと分かってはいるが、世の不公平を呪わずにはいられない。

(どうして人の不幸を金儲けのネタにするかなぁ…?)

 睨みながら、生き馬の目を抜く世界を生きている人間とは、とても思えないことをシンジは考える。甘いというか、優しすぎる考え方と言うべきか。
 儲け話だと思ったら、たとえ戦争だろうが災害だろうが疫病だろうが、多数の人の不幸であっても、そこに首を突っ込んでいく。人の不幸につけ込みながら商売をする。それが人間という存在だ。
 とは言え、シンジの気持ちは分からなくもない。関係のない者達は、万一の流れ弾の恐怖におののきながらも、そこはかとなく惨劇に胸を躍らせていたからだ。こんな面白そうなスペクタクル、一生に早々見られる物じゃない。

 周囲の人間達の無責任な流血の期待、無力な自分に胸が悪くなったのか、貴賓席で縛られたままのシンジは、忌々しそうに歯を噛み鳴らした。


「くっ、なんでこんなことに。
 マユミさん、無事でいてほしい…。
 だって、ぼくまだマユミさんにあれとか、これとか色々してないんだ。
 親父臭いかなと思ってまだしてなかったんだ。それに台所でとか、オイルを使うとかは後始末が大変だし。
 綾波さんも、怪我しないでほしい。だって、母さんに似た雰囲気は何だけど、あの天然さんぽいホヤッとした笑い顔が、可愛いんだ。甘えるんだ。スリスリしてくれてなんか気持ち良いんだ。理想のお母さんみたいな感じがするんだ。
 それに僕の許嫁とか言っていたし、スレンダーなところもマユミさんとは違う楽しみが、その」

 所詮シンジの考えなんてこんなもんだ。
 昨日の記憶でも思い出して、トランス状態にでもなったのかそのまま人として、言ってはいけない領域まで喋りそうになる。すでに2人、いや3人一緒に同じベッドで色んな事をしてるところを想像して、緩みまくった顔になっている。このケダモノめ。

「もう思いっきり焦らして向こうからおねだりするくらい…」

 はあはあ荒い息を吐きつつ頬を染め、わきわきと握ったり絞めたりする右手は、何を掴んだつもりになってるんだろう。微妙にやらしい指の動きだ。
 隣に座って解説していた、右手が友達のトウジは呆れた顔をしながらも、両手が友達のケンスケ同様、ぐぐっと筋が浮くくらい拳を握りこんだ。指の関節部が白くなり、力がこれ以上ないくらいに込められる。
 夢、幻のごとくなり。

「なあセンセ。殴れちゅーとるんか」
「だったら手伝うぜ、マイ・フレンド」

 できれば作者も手伝いたい。
 と、さすがにトウジ達が出す暗黒闘気に気付いたのか、シンジは顔面を蒼白にして言い訳開始。

「や、その、違うよ。僕はただ可愛い女の子にはケンカして欲しくないだけだよ」

 すげー白々しいセリフだな。
 せっかくだからとマイクを切っていなかったために、観客席にもシンジの呟きは聞こえていた。会場中の敵指数増加。もう突き刺すような視線が刺さる刺さる。

(シンジのくせに生意気だ…)×たくさん

 余談だが、第三新東京市においてシンジの評価は高いとは言えない。
 確かに中性的な美少年と見られてはいるが、怠惰で現状に甘んじる性格は、あまり好ましいとは言えなかった。消極的すぎるのだが、才能の浪費は、才能のあるなしに関わらず他者から見ても気分の良い物ではないのだ。才能のある者からは反感を買い、才能のない者からは妬みと憎しみを買う。
 だから彼は幼い頃からもてると言うことはあまりなく、友達も少なかった。最近は多少改善されたようだが。それでも、広い街なのだからシンジよりもっと金持ちもいれば、美形の人間もいるしスポーツ、芸術に秀でた人間もたくさんいる。要するに、今更努力してももう遅い、もうちょっと時間が経ち、努力の結果が出なければ話にならない。…はずなのだが。
 だと言うのにシンジは若くしてもの凄い美人の嫁さん、マユミと結婚した。しかも遺跡からたくさんの財宝を持ち帰って大金持ちから、超々大金持ちに。それだけでも噴飯ものだというのに、時をおかずして、マユミと甲乙付けがたい美少女が、『私、許嫁だもの』とか言いながらシンジをめぐってマユミと争う。

 たとえマユミ達の正体がなんであれ、男としてこれほど羨ましいことはあろうか。

 自分は格好いいとか、もてるとか思っていたヤツのプライドを著しく傷つけたことは想像に難くない。特に買い物してるマユミをナンパし、『結婚してますから』の一言と、左手の薬指で輝く銀の指輪で撃破、撃沈、トラトラトラ! された伊達男達の憎悪は凄まじい。

「夜道であったらちょんぎってやる」

 と、遊び人達の間でまことしやかに囁かれたという。
 人間という者は愚かしく、今まで自分より格下と思っていた人間が自分を超えたことを容易に認めようとはしない。だから第三新東京市の遊び人達も、シンジが自分達の上を行った事実を決して認めようとしない。それこそかつてのシンジ同様後ろ向きな行いだというのに。
 その一方、多くの女性達は、シンジが冒険をきっかけに多少は真面目に生きようと、自分を変える努力を始めたことを、好意的に見てくれるようになった。マユミがいなければ、さりげなくシンジにアプローチした者もいただろう。現にトウジ達に言い寄る女の子達は結構いたのだから。狙いが彼ら自身か、財宝なのかは敢えて秘すが。
 それがまた彼らの嫉妬を煽る。
 大したことのない、砂場の砂山のようなプライドだが、それだからこそ彼らの憎悪は深い。
 影での嫌がらせ、悪口など尋常でない行為が繰り返された。
 嫉妬に狂って自分を省みられなくなった男(女も)は醜い。

 しかし、シンジはそれら有形無形の悪意に気がつくことはなかった。
 彼自身が相当に鈍いと言うこともあったが、それよりも大きな理由があった。

 そのいずれも、先にその事に気付いたユイとマユミによって、妨害工作、組織ごと叩きつぶされていたからだ。
 血も凍る恐ろしい方法で。









 シンジを闇討ちしようとした伊達男は気がつくと、両手両足を拘束されて、石の寝台に寝かされてることに気がついた。頭が燃えるように熱く、手足が重い。薬でも使われたのだろうか。

(確か…女に出会ったはず)

 酒を飲んで帰宅途中、シンジを見かけ、からんでやろうと思ったその時、目の前にすこぶるいい女が立っていた。夜で、しかも明かりの影から話しかけられたせいか、女のシルエットしかわからなかったが、よく見ようと思う前に、意識を失っていたような気がする。
 たしか、その女が何かを言っていたような…。

「私は闇に舞う蝶、パピヨン。
 マユミ様に仕える召使い…」

 ふっと広がる甘ったるい匂いと、闇の中で光る、目らしい青白い光が最後の記憶だった。

(一体、俺は…? ん?)

 ふと、空気の動く気配を感じ、目を動かす。
 すぐ側に、自分を殺意と敵意だけでできた目で睨み下ろす2つの影がいた。
 素顔を晒しているのに、不思議と記憶に残らない。魔法でも使っているのだろうか、顔に意識を向けることが出来ない。おののく男をよそに、2人とも無言で作業を続け、こつこつとしめやかな靴音が響き、男の息をする音と、砥石でナイフを砥ぐ、生理的嫌悪を呼ぶ音だけが響く。
 遂に堪えきれなくなったのか、恐怖を隠そうともせず顔を真っ青にして男は叫んだ。

「な、なんだあんたら!?」
「だいたいわかってるでしょ。
 彼…碇シンジに危害を加えようとする者に、制裁を与える組織のものよ」
「なっ!?まさか、本当に!?」

 噂には聞いていたが、まさか本当にあったとは…。
 驚愕し、脂汗を流す男の顔を映すナイフを手で玩びながら、背の低い方の影が瞳を輝かせた。

「準備できましたよ、ユ○さん」
「あら、マ○ミさんありがと。さ、どうしちゃおっか」

 『去勢』、『実験』、『男色』、『女装』、『たわし』とか書かれたルーレットを鼻歌歌いながら回し、ダートの狙いを定める2人に、男は泡を噴きながら、嘆願する。
 洒落になってません!怖い、助けて!

『ノォ───ッ!!
 キメラの材料なんかにしないでくれぇっ!!!』


「「ををっ、それナイス」」

『や、うそ?ホント?え、本気?』









 なんて犠牲者がどうなったとか、当事者でもないとわからないことがまことしやかに囁かれるようになれば、シンジをどうこうしようと思う奴など、普通いるはずもない。タマにいるから世の中面白いのだが。
 そう言うわけで、押さえ込まれ、出すに出せなかった形にならない有象無象のやっかみに影響され、トウジ達は嫉妬混じりでなおかつ殺意を帯びた目をしているわけだ。たとえ親友とは言っても、彼女いない歴=人生である彼らに惚気るのは自殺行為だ。
 今、シンジの横にはユイもマユミもいない。彼らのやっかみを止める者はいない。

 大ピンチだ!

 縛られた手首から血が出ることも構わず、身を捩って暴れるシンジの姿に、ケンスケがくくくっと、眼鏡を全方位反射しながら口元を歪めた。
 シンジの苦しみこそ、我が喜びとでも言っているように。
 トウジもまた、面白そうに顔をニヤニヤ笑いを浮かべた。


「どういう制裁が良いと思う?」
「きまっとる。服や」


服!



 服、英語で書くと"The FUKU!"
 いや、衣服は英語でクロースだろという意見もあるがこの場合はこれで良い。トウジの言葉に、ケンスケは冷や汗を流しながら震えた。
 親友に対して、何という残酷で恐ろしい仕打ち! まさに悪魔的行動だ!
 よりにもよって服とは!
 なんと、なんと恐ろしいことを…。
 この情け容赦の無さ…こいつ、いずれは世界を手にするかもしれん。
 あさっての方向を向いて、HAHAHAと肩を揺すって不敵に笑うトウジの姿に、ケンスケはおののく。

 もちろん、2人の会話を耳にしたシンジもまた、恐怖に震えた。
 なんのことかわからない。わかりたくもないが、ろくでもないことは確かだ。そんなこと体験どころか、話を聞くことだって嫌だ。
 シンジの脳裏に、いくつもの拷問の映像が浮かんで消える。いずれもシンジが読んだ小説の描写からなのだが…。

(ピアスされるのも、鞭打たれるのも、蝋燭垂らされるのもやだー!)

 っておいこら。どーいう小説だ!?
 ともあれ、なんとか2人を正気に戻そうとシンジは声を張り上げる。ぐわぁたがた椅子を揺すって大暴れだ。必ず死ぬと書いて必死と書くほど一生懸命に。

 ってやっぱり僕死ぬのー!?やだー!!

「ちょ、ちょっと2人とも何言ってるんだよ!?
 や、やだよ僕! 拘束具とか、内側にとげの生えた服を着せられたりするの!」
「良い考えや。だがそのどちらも違うで。
 もっと恐ろしい服や」
「そうだシンジ。貴様に着せる服は、これだ!」

 なぜかワクワクと期待に頬を赤らめたアオイが持っていた桐箱の中から、ケンスケが大仰な動作でとりだした服は…。

「そ、それは…」

 微かに漂うナフタレンの匂いのなか、シンジの目が驚愕に見開かれる。
 ああ、見たくはなかった。知るべきではなかった。


「ひ、ヒラヒラフリルどれす!?」

 ピンク色で色んな所が半円形のヒラヒラしたフリルで装飾されている、脳味噌ドピンクの夢見る少女の憧れ、フリルのドレス(社会適応+5)!
 予想より悪すぎる結果に、シンジの顔は温泉に浸けたリトマス試験紙のように色が変わった。


 やばいです。洒落になってないです。トウジ達本気(マジ)です。


 冷や汗をダラダラと、鏡の前の蛙のように垂らすシンジをよそにケンスケは新しい箱を手に掛ける。
 トウジがニヤリと笑い、アオイが頬をまた染める。

「それがいやならこれだ!」

 続いてケンスケが箱の中からとりだしたのは!


「半ズボン!?」


 それもチェックのブレザー上下揃い!蝶ネクタイのオプション付き!
 通称、『正太郎オプション』
 あからさまにダメ!
 SOS! SOS! 地球が危ない、SOS! SOS!

「な、なんだよそれー!」

 シンジのもっともな抗議を無視し、ケンスケは上下互い違いになった目で、彼にしか見えない女神様を見ながら、狂犬のようによだれを垂らした。
 相も変わらぬジャンキーぶりである。

「このどちらかを着たシンジの写真撮る!
 おっきいお姉さん、お兄さんどっちにも大売れ間違い無し!
 俺、財布あったか。うはうは」


 なんで新大陸の原住民みたいな喋り方なんだ。
 聞きたかったが聞いたらやばげなのでシンジ達は黙り込んだ。
 あと、痛すぎて。
 シンジとトウジ、ついでに観客からの痛すぎる視線に気がついたのか、ハッと正気を取り戻すと、ケンスケは口元の涎を拭った。涎は拭けたが、吐く息は変わらず荒い。

「はあ、はあ…。
 おっと、電波が降臨してたぜ。
 とにかくだ。街の色男達は、この服を着たシンジの姿を見て、自分達が何をしていたのかを思い知るだろう。
 なんて俺は馬鹿だったんだ! と。
 凸凹×の皮を切るくらいじゃ、償いにならない!とな」

「切るともてるようになるで、シンジ」
「何の話だよ! それに僕はそんなことする必要ないよ!」
「そう言うことにしといたる。
 さて。こうすることでセンセは新しい自分の可能性に気付き、ワシらの財布は潤う。素晴らしい。ここまでええか?」

 良いわけないだろ馬鹿やろめ。それになんだその新しい可能性って。
 とりあえず、自由を取り戻したときはおぼえてろトウジ。シンジは固く拳を握りしめ、誓った。
 そもそも、以前の冒険で大金持ちになったというのに、なぜに今更賭の胴元なんかをするのか。

「お金なら一杯持ってるじゃないか。どうして今更こんな事する必要があるんだよ!」

 一瞬、シンジが何を言ってるのかわからないと言う表情でお互いの顔を見るトウジとケンスケだったが、すぐに肩をすくめるとニヤリと笑みを浮かべた。

「そらまあ、あれやな。ワシら別に金が欲しくてこう言うことをしとるわけやないし」
「そうそう。シンジもだろうけど、俺達は金が好きなんじゃない。金を儲ける過程が好きなんだ」
「だからといって、親友のことまで金儲けのネタにする…?」
「「それはそれ、これはこれ」」

 言い切りやがった。

「シンジ先輩ステキよ〜〜〜〜!!!」

 腕を組んでうんうん頷き、自分達の使用としてることを正当化しようとするトウジ達だが、もちろん彼らを見るシンジの目は限りなく冷たい。友達、やめよっかなってくらい。
 そりゃまあ、終わってしまうこと確定な、新しい自分の可能性になんか気付きたくないだろうし、妙なことを言って、彼らの行動を正当化されたらたまったもんじゃない。

 それはともかく、奇声あげつつゴロゴロ転がってるアオイちゃん、大丈夫?

「わかっとる、いつもの病気や。すぐ正気に戻る」

 シンジの無言の訴えに答えるトウジの目には涙が。
 重すぎる空気を前に、シンジは何も言えなくなった。以前悶え転げるアオイの姿に、先ほどまで感じていたトウジ達への憎悪が急速に薄れていく。
 そうか、辛いのは僕だけじゃないんだ。

 いたわるような目でシンジはトウジを、次いでケンスケを見た。きょとんとした顔で、なんでじろじろ見られるのかわからないと言う顔をしたケンスケ。

「な、なんだよ?」

 ああ、わかってないんだ。

 悲しすぎて、それ以上まともに見られない。
 そう、僕は幸せ者なんだ。
 まだ身悶えして転がってるアオイは意識的に無視した。

「ゴメン、トウジ、ケンスケ。僕、自分のことしか考えてなかったよ。トウジ達の気持ちも考えないで、好き勝手なことばっかり言って。
 右手が恋人のトウジ達をよそに、僕一人惚気て…」
「やっぱ喧嘩売っとるんか?」
「ブルブル、トンデモゴザイマセン」
「わかればええ。ワシらも大人げなかったわ」
「この服、いつか着た姿を写真に撮らせてくれよな」
「絶対に嫌。
 それより、マユミさん達なんか凄いことになってるよ」

 ハッと自分達の仕事を思い出したトウジ達は、慌てて正面に向き直った。
 怒りの余り仕事を忘れていたとは…。個人的感情に流されるなどプロ失格の行いだ。
 なんのプロなのかは知らないが。
 遅れを取り戻すように、マイクを口元に寄せ、口角泡を飛ばしながらケンスケが叫ぶ。

「それでは皆さん、メインスクリーンにご注目下さい!」











Monster! Monster!

第16話『アスピックスペシャル』

かいた人:しあえが













「凍土! 氷河! 氷壁!
 何万年もの間、消えることなく地上に存在を続けた者達よ!
 今ここに雪の女王、綾波レイの名において命ずる!
 敵をうち払い、凍え尽かせる力を示せ!
 魔竜シーグラ4兄弟!
 雪の4魔竜の力を結集し、ここに奇跡を!」

 レイは両手を左右に広げ、周囲の空間から、過去契約を結んだ雪の魔竜から膨大なる力をかき集めていた。見るだけで寒くなりそうな力を秘めた冷気の塊が光り輝き、レイの体を中心に渦を巻くように彼女の胸元に集まりだす。


「集え、集え! 現れ出よ! シーグラ4兄弟!」


 刹那、レイの背後に、半透明に透き通った緑色の竜が4体現れ、マユミを睨み付けると一斉に口を開く。2足歩行型で、肉食恐竜に酷似した姿の竜達。恐ろしいほど鋭い鈎爪と、角を振りかざしてマユミを威嚇する。そしてその開かれた牙だらけの口の奥で、水色の光が瞬いた。
 同時に、指を組んでマユミに向けられた手の先端に、青い光、空気、冷気が集中していく。大気圧さえ変わるほどの勢いで吹きすさぶ風に髪を乱しながらも、マユミはその表情を些かも崩すことなく、奥歯を強く噛み締めながらレイの攻撃を待ち受ける。

(いきなり大技とは…)

「消えなさい」

 そしてそれは一個の青く輝く、光の槍と化した。

『『『『ウォオオオ────ン!!!』』』』

 万物を凍てつかせる氷の力の結晶体、マイナスのエネルギーを持った光線が、竜の雄叫びと同時にマユミに向かって打ち出された。
 光の槍が通り過ぎていった直後、空気が瞬時に凍り付き、土が巻き上げられて竜巻のような轟音を轟かせる。そして巨大な霜柱が通り過ぎていった後に乱立する。さながら竜巻の胴体を持った竜のごとし。雪崩にも似た圧倒的な破壊の力の奔流に、見ていた者達は声も出せず、ただ見入るしかない。

(とったの。私の勝ちなの)

 実は未完成故に絶対零度には及ばないが、それでも万物を凍り付かせ、そして粉々にうち砕くに充分なレイ最大の冷却魔法の一つだ。
 いきなり最大の技でもってマユミを葬ろうとするのは、彼女なりにマユミの力を感じてのことだろう。

「…やりますね。でも、まだまだ」

 くすっとマユミは楽しそうに笑った。
 余裕な訳ではない。さすがの彼女も、これを浴びたらただでは済まない。塵も残さず消滅する。
 だがマユミは楽しそうな表情を変えることなく、持っていた杖を掲げた。杖についていたカッター状の飾りがくるくると廻る。
 最初の一撃に最大の技を使う。それは間違いではないが、絶対確実に当てる可能性を用意して初めて成り立つことだ。天界で幅を利かせている光の巨神達もそうだったではないか。必殺技、切り札とは絶対確実な状況でこそ使うべきものなのだ。特にマユミのような守りの人に対し、不用意に使うべきでない。
 マユミが手を無造作に振ると、指の間に直径10センチほどの、銀を磨いて作った小さな鏡が6枚現れる。

「テトラ」

 マユミが呪文を唱えた瞬間、銀の鏡は塵となって消え失せる。
 続いてマユミの手の中に、キラキラ光る青い砂粒…サフィアの粒が一握り分現れ、同じくマユミが何ごとか呟いた瞬間、塵となって消えた。そしてマユミの眼前の胸の高さに、菱形をした一辺の長さが10センチほどの物体が浮かぶ。それは鏡…いや、顔さえ映るくらいに磨かれた、銀竜の鱗だ。

「魔法合戦は私の勝ちです!」

 次の瞬間、鱗を核として、彼女の全身を完全に覆い隠すほど大きな光り輝く壁が現れた。薄く光る壁は確かに不気味だが、竜巻を伴って突撃する光の槍を防ぐ強度があるとは、とても思えない。だが、マユミは余裕の笑みを浮かべ、レイは驚愕に凍り付いたような無表情を一瞬崩した。

「嘘。なんでそんな魔法知ってるの?
 失われた魔法のはずなのに!
 ずるいの!」
「知らないって、もうないって、自分で確かめたわけでもないのに決めつけると負けちゃいますよ」

 レイの魔法が、物理的な破壊力を持っているのなら問題はなかった。光の槍は魔法障壁を貫くか、貫けなくともその場で力を解放し、極低温の地獄を生み出しただろう。そして凍り付いたマユミを後に続く竜巻が粉々にうち砕く。だが、レイの魔法は冷却系とは言え、光という形で放射された。
 光である以上、マユミの作った光線絶対防御障壁には効果がない。

「スペルゲン・リフレクター!」

 光の槍はスペルゲン反射鏡に命中した。
 しかし、槍は爆発することなく水の中に石が沈み込むように埋没し、次の瞬間、鏡面から飛び出すと、完全な正反射でレイに向かってうちかえされていた。遅れて飛んできた竜巻と相殺しつつ、光の槍がレイに襲いかかる。

「きゃあ─────!」

 正面から飛んでくる光の槍にレイは両手で顔を庇った。恐怖から来るとっさの判断だったが、愚かな行為と言えた。確かに強力無比な冷却呪文ではあるが、物理的な衝撃力はなく、寒さに対して絶対防御を持っている彼女には、ほんの僅かに凍えさせる程度の効果しかないのだから。それに竜巻は物理防御用の魔法障壁でほとんど無効化できる。受け止めるのではなく、かわすべきだった。
 彼女のとった行動は、かえって手で視界を塞ぎ、次の行動を遅らせる結果となった。

 シュウウ───ン!

「あうっ!」

 冷気によるものと竜巻によるダメージはなかったが、それでも彼女はもの凄い力で全身を引っ張られ、前に向かって倒れ込んだ。冷気には耐えられても爆縮によって生じた空気の運動には耐えられない。立つことかなわず、コテンとつんのめって倒れ込む。
 ゴゥゴゥと空気が唸る音の中、彼女が土埃を目や頭から拭い、膝を撫でつつ立ち上がってマユミに視線を向け直すまでおよそ5秒。僅かに思えるが、マユミにはそれで充分だった。

 杖を振り、大きな身振りで空間に魔法の軌跡を残す。
 桜貝のような彼女の口は、瞬時に100文字以上の単語からなる呪文を喋り終える。

「%&ΣR凸凹▲τ…。
 ブラックスターの力よ、今ここに集え!」

 日々の訓練は無駄ではない。持って生まれた特殊能力があるレイと違い、マユミは毎日の呪文詠唱の練習をかかさない。
 それでなくとも彼女は魔法を使うに当たって、触媒や儀式を(限定的に)必要としない。先ほどのスペルゲン・リフレクターもそうだが、彼女はわずかな時間の詠唱で、通常なら長時間の詠唱が必要な大呪文を使うことができるのだ。


「ダークフラッド」


 マユミの背後で蠢く闇。
 それがマユミの号令一過、ねっとりとした粘液のような実体を帯び、レイに向かって襲いかかった。
 彼女の言葉通り、逆巻く闇の洪水となって。

「ムルロアの闇に覆い尽くされ、窒息してしまいなさい!」

 レイは反応が遅れたことに舌打ちしながらも、なんとか闇から逃れようと、大きく後ろに跳んだ。だが、闇の動く速度はあまりにも速かった。逃げられない。

「なら迎撃…出よ、リビング・ウォーる…ぐぅっ」

 迎撃しようと生きている壁、『塗り壁』の召還呪文を口にしかけ、手を闇に向けるレイだったがその時にはもう、闇は彼女の体に雪崩のようにぶち当たっていた。柔らかい、雪のような物体が全身にぶつかり、彼女の全身を包み込んだ。たちまちの内に彼女の視界は覆い尽くされ、甘ったるい匂いで鼻腔と口の中がいっぱいになり、彼女の意識は暗黒の淵に沈みそうになる。

「う…ううっ」

 逃れようと闇雲に闇を引っかき回すが、不気味な手応えの闇は振り払えそうにない。

(や、まずいの。このままだと……ん?)

 無力に闇の中で手を振り回し、上下も分からなくなったことでパニックに陥る寸前、レイはある事実に気がついた。
 一瞬、掴んだ右手に残る不思議な感触…。それはすぐに淡雪のように手の隙間から抜けてしまったが、寸前の形は、彼女が先日初めて見知った生物によく似ている…。

(あれは…あれは間違いなく…なの)

 実体を持ったマユミの闇の正体に、レイは気がついた。
 手に触れたこの感触が、そして窒息させようとするこの匂いの正体が彼女の想像通りだとしたら。そしてマユミの言った言葉、『ムルロア』が彼女の知識通りの物だとしたら。

「蝶々…なの」

 いや、正しくは蛾なんだけどもね。
 ともかく、レイはマユミが無機王であるということは、強力な虫使いである可能性に思い至った。

(実体を持たない、魔法で作られた蝶々を操っている)

 だとしたら、このピンチを切り抜ける方法はある。

 火だ。

 強力な炎があれば、あるいは強烈な光があればこの闇は真夏の雪のように溶けて消えいくだろう。
 闇をはらうには光、そして強力な炎がもっとも効果的なのは考えるまでもない。それに例外なく、アンデッドは炎や光に弱い。ピンチを切り抜けるだけでなく、攻撃をも兼ねる素晴らしい一撃となるはずだ。
 ここは全方位にばらまくタイプの火炎呪文がベストだろう。
 闇を払うだけでなく、マユミにも攻撃として用いることができる。
 これはもう、火炎系の魔法を使うっきゃないですね!

 ただ、一つ問題は…。


(私は火炎系の魔法は使えない)

 じゃ、ダメやん。
 仕える魔獣の心当たりがないではないが、すぐに召還できる存在ではない。

「相性最悪の私に果敢に挑んだことは評価します。
 でも、勇気と無謀は違う。あなたは私と戦うべきではありませんでした」

 マユミの言葉がいちいち耳に痛い。言われなくともわかってると叫び返しそうになる。
 得手不得手の問題でなく、彼女達、スノーホワイトは火炎系の魔法を使えない。使ったら溶けてしまうのだ。これは修行をするとかでどうこうなる物ではなく、先天的にどうすることもできない事柄なのだ。
 今更ながらレイは舌打ちをした。土属性のマユミは水(氷)属性の自分にとってもっとも相性の悪い相手だ。自分の攻撃はほとんど効かないが、向こうの攻撃は面白いように自分にダメージを与える。凄く不公平だ。
 しかし、今はそんなことを考えてる場合ではない。
 この闇をどうにかしないと、たとえ彼女であっても数分の内に窒息してしまうだろう。
(どうする?)

 酸素が不足し、意識がぼんやりとしてくる中、レイは一生懸命に考えた。先のユイからの質問に答えるとき以上に一生懸命に。召還魔法、特殊能力、アイテム、降参する、ふて寝する…。色々な考えが浮かぶが、決定打と言えるものは出てこない。
 そうこうする内、レイは体の節々に力が入らなくなるのを感じ始めた。意識も水の中を漂っているみたいに、ぼんやりとしてくる。その一方、肺が焼け付くように熱い。
 いよいよもって窒息し始めたのだ。

(このまま闇に抱かれて死ぬ?や、なの。
 死にたくないの)

 死にたくない。

 ぽつりと閉じられた目の端から涙がこぼれた。
 まだ色々食べたい物や、ご馳走にあやかりたい物はいっぱいある。
 このまま意地をはって死ぬ? いやだ。
 今降参すれば、許してくれるかも知れない。
 レイはその考えの誘惑に負けそうになった。

 碇君、碇君、碇君とシンジのことを考え続けたことが嘘のように、ただマユミに許しを請い、楽になることだけを考えてしまう。
 それはそれで良いかも知れない。
 国に帰って、妹と一緒に平穏に暮らすのも…。



 だが、その隣にシンジは居ない。
 代わりに目つきの悪い海魔がいた。
 自分は毎夜毎夜、その海魔に…。そして子を孕み…。

(絶対いや!)

 見開かれたレイの眼が赤く光り輝き、力無く闇に抱かれていた彼女の四肢に力が甦った。

 負けるのは、シンジを失うのは嫌!
 あんな化け物と結婚するなんて、もっと嫌!!
 それにもまして、全力を出し尽くさずに負けるなんて、絶対に、死んでもイヤ!!

(私は、私は、まだ碇君に名前を呼んでもらってないのー!!)



































「ここまで……なに、この力はっ!」

 もう力尽きたと判断し、レイを闇から解放しようとしていたマユミは驚きの声を漏らした。妖気、魔力を感知する彼女の髪の毛が激しく反応している。
 レイが闇を抜け出ようとしている!

 まさか、あの闇を火系、光系、神聖系の術を知る存在相手ならともかく、スノーホワイトであるレイが耐えられるとは、脱出できるとは思えない。その手段がないはずなのだから。
 だが、数秒後に彼女は自分の考えが甘かったことを悟った。

 ズバッ!

 剣で濡れ藁を切り裂くような音をたて、レイを取り巻く一際色濃い闇が、内側から引き裂かれた。
 闇の欠片が周囲に飛び散り、魔力の風が吹き荒れた。吹きすさぶ風から、顔を、目を腕で庇いながらマユミは後に飛び下がる。

「嘘! どうしてこんなことが!?」

 彼女の言葉の尻馬に乗るように、光り輝く銀の尖塔がレイの背後にそびえ立ち、その根本から幾本も幾本も闇を引き裂きながら光り輝く触手が姿を現した。尖塔…に見えたそれは、見る者が見ればイカの胴体によく似ていることに気がついただろう。
 水路を流れる水のように、獲物を狙うスキュラの触手のようにぐんぐんと伸びながら、銀の刃は闇を切り裂いていく。
 闇が切り裂かれ、光が甦った後には、引き裂かれ、ボロ屑のようになった漆黒の蛾の羽が雪のように舞い散っていた。

「そんな、宙蛾(スペース・モス)は精神体なのに。物理攻撃で破壊できるはずが…」

 マユミはそう言うが、現実は彼女の言葉を徹底的に否定した。
 彼女の闇の正体、つまり無数の小さな蛾は銀の蛇によって喰らわれ、うち払われていく。そうこうする内に、銀の蛇は新たなる目標、マユミに向かってその凶悪なる牙をむけた。
 ツバメの羽に匹敵する速度で8本の首が襲いかかった。

「スプレッド・ボム!」

 すばやく右手を振って6個の光の爆弾を投げつけるが、それらの爆発を物ともせず、銀の蛇はマユミに襲いかかった。炎を掻き分け、氷の牙が襲いかかる。

「……なら、王竜壁!」

 すかさず物理的な防御力がある魔法障壁で受け止めようとする。
 光り輝く盾、というより壁がマユミの周囲を包み込むようにあらわれた。光の壁は透き通っているが、その構造は積層構造をしており、極めて頑丈であることを見て取れた。これなら銀の触腕でも受け止められるだろう
 だが!


「そんな!?」

 接触したと思った瞬間、触手は障壁に沿って上方に伸びると、王竜壁唯一の死角である上方から障壁内部へと入り込んだのだ。そう、王竜壁は強固な防御能力を持っているのに比べ、簡単に発生させることが出来る。…が、天井に当たる部分が存在しないという弱点があった。

「………ら、ライトニング・トルネード!!」

 真っ直ぐに伸ばされたマユミの指先が輝き、そこから閃光がほとばしった。
 通常なら一本しか発射されない雷撃…それがマユミの指一本ずつから、つまりは10本の雷撃が発射され、螺旋を描きながら触手に激突する。既に失われた遺失魔法、ライトニング・ボルトの強化改良型の魔法だ。

「…って吸収された!?」

 しかし、雷撃は触手の表面で弾けたかと思うと、そのまま消滅してしまった。
 とどのつまり、被害無しだ。さすがのマユミも、これ以上呪文を唱える暇はない。色々足掻いたが、遂に触手がマユミを捉えた。

「きゃあ────っ!」

 丸太のような触手にはじき飛ばされ、無防備に立っていたマユミの小柄な体を宙に舞った。

「あうっ!!」

 横薙ぎに胴体を強打され、杖を手放したマユミは、服の一部を引き裂かれて悲鳴をあげながら、数メートル離れた地点に背中から倒れ込んだ。もし彼女が不死者でなかったら、今の一撃で内蔵を潰されて即死していた。

(でも、まだ、戦える)

 王竜壁は消え去ったが、ごほごほと咳き込んでいるから致命傷を負ったわけではない。しかし、口元から血を垂らし、服が破け、肩当てが弾け飛んであらわになった肩には紫色の痣ができていた。おそらく、肩から鳩尾の辺りまで鬱血してるだろう。

(ぐっ…。よりによって、肋骨が…。
 息が苦しくて、呪文の詠唱が遅れちゃう)

 傷はまだ良い。だが無視できないのは胸を強打したことで、呪文の詠唱が遅れることだ。
 通常なら数分で回復するが、今はその数分が命取りになりかねない。それに、今の一撃はただマユミの胸を強打したわけではなかったのだ。

(回復が遅い。今のは、氷の刃を触手のように操った物なのね。冷却されたことで、回復が遅れてるんだわ。
 それに…)

 刃がマユミを強打した瞬間、彼女はハッキリと見て取っていた。
 氷の中で光り輝く、小さな雷を。

(氷の刃の中に、雷を閉じこめている)

 なるほど、それなら確かに宙蛾にもダメージを与えることができるだろう。
 氷の精霊と、雷の精霊を複合化させたのだ。
 複数の精霊、特殊能力を変則的に組み合わせた、レイでなければできない大技だ。同じ事をしろと言われても、マユミが再現するとしたらもの凄く手間ばかりかかるだろう。そもそもスプレッド・ボムを浴びて壊れない氷を作るなんて、マユミにはできない。

 それを思いついた瞬間、瞬時にやってのけるとは…。
 あまりにも変則的すぎて、さすがのマユミにも予想できなかった。

(凄い。素直にそう思います)






 レイは興奮に息を荒げながらも、得意そうな顔をしてマユミの前に立った。
 負けるかと思ったが、とっさに思いついた新しい技によって見事逆転したのだ。無表情の彼女の顔が、得意げになることだけでも彼女がどれくらい高ぶっているかわかるだろう。
 そしてそれが彼女の判断を鈍らせていた。

「うふふ。私の勝ちなの。
 尻尾を巻いて逃げるなら、命だけは助けてあげるの」

 相手を見下す言葉がレイの口から紡ぎ出された。
 ひくひくっとマユミの肩が震える。まだ勝負がついたわけでもないのに、もう勝った気になっているレイに対しふつふつと怒りが燃える。その一方、もう勝った気になって攻撃の手を止めたレイの甘さを見て取っていた。
 それはつまり、レイが戦い慣れていないと言うことだ。
 確かにマユミも戦闘経験が多いわけではないが、それでも基本的に争いごとが嫌いなスノーホワイトと無機王である彼女とでは、格段の違いがあった。ただそう生まれたレイと、物凄い覚悟と怨念の末に今を生きている彼女とでは。

 実力はともかく、まだまだ甘い。

(私だったら…喋る前に烈火球を2、3発撃ち込んでから降伏勧告していたわ)

 そんなことしたら、普通死にますマユミさん。

 マユミが目だけ動かして転がっていた杖に視線を向けると、独りでに杖が彼女の手に戻る。マユミにとってテレキネシスなど、呪文を唱えるまでもない魔法だ。

「まだやる気なの!?」
「当然よ! もう勝った気になってるんですか!」

 レイの言葉に応えず、マユミは杖の石突きを地面に突き立てると跪いたまま呪文を唱えた。再びマユミの影が大きく膨らみ、レイに向かって襲いかかっていく。

「無駄。もう闇は、蝶々は私に通用しないもの」

 レイの言葉どおり、闇、マユミの魔力が実体化した漆黒の蛾は、レイの作った氷の触手によって次々とうち消されていく。体当たりで切り裂かれ、蛇の口のように開いた先端から放たれる雷によって消滅していく。
 しかしマユミは不敵に笑う。

「ええ、そう思います。でも、目くらましには充分です」
「!?
 一体、どこに消えたの!?」

 マユミの言葉にレイは失策を悟り、慌てながら一斉射撃で闇の固まりを吹きとばすが…。
 闇が切り開かれた後には、マユミの姿は影も形もなかった。
 レイだけでなく、氷の蛇もぐるんぐるんと頭を振り回しつつ、マユミの姿を求めるがどこにも反応がない。かさりと動く気配もない。
 逃げた?
 まさか、閉鎖された亜空間のどこに逃げるというのか。
 自分と同じく、一時的に次元の隙間に隠れた可能性もあるが、それでも漏れ出る魔力を隠し仰せないだろう。
 マユミは間違いなく、すぐ近くにいる。だが、どこに!?

(どこ…?)

 そのうち、レイは異常な疲れを感じ始めていた。
 マユミと戦い始めてまだ数分しか経っていないのに、まるで全身全霊で一昼夜戦い通したような疲労感だ。肩が思い。息が苦しい。
 原因が分からず、おどおどしていたレイだったが、唐突にその原因に気がついた。

(召還しっぱなしなの!)

 マユミに一撃を浴びせたあとも、ずっと作りっぱなしで周囲を守らせていたのだ。当然の帰結として、魔力を垂れ流すように浪費してしまった。これ以上実体化させることは命取りだ。
 レイは精霊使いだが、その精霊の使い方も一瞬呼び出し、その力を行使させることが多い。つまり、言霊使い(呪文使い)に似た力の使い方をする。
 言葉を返せば、長時間持続するタイプの魔法を使うのは苦手だった。勿論、魔力は世間一般の召還術師より多いのだが、寸前に亜空間を作るときに魔力を大量に失っている。それはマユミも同様なのだが、如何せん条件が違いすぎる。

(あうう、どうしよう。このままだと、力がなくなっちゃうの)

 失敗を悟るレイだったが、かといって他に取るべき手段が思いつかない。
 氷の蝕腕を消したら、マユミがその隙をついて襲いかかってくるだろう。
 一本を取ったかと思ったら、また取り返された。いや、一本を取っていない。まだ途中だ。それも相手にペースを握られている!
 レイは不機嫌そうに唸った。

「うう〜消すに消せないの。
 ……卑怯なの! 出てきなさいなの!」

『じゃあ、お言葉に甘えます』

 お茶にお呼ばれします。とでも言うような雰囲気の声が聞こえたと思った瞬間、サラサラと細かい物がこぼれる音と共に、ぐいっと首の後ろを捕まれ、レイはもの凄い力で後ろに引っ張られた。
 気配はどこにもしなかったというのに。

「ええ!?」

 大きくバランスを崩したところで、両手、両足、腰も何かに捕まれ、足を掬われて一気に引きたおされてしまう。
 背中と後頭部を固い地面に強打し、肺から空気を追い出されてレイは目を見開いた。脳震盪も起こしたのか、耳鳴りがして世界がぐるぐる回っているようにも感じる。
 頭だけでなく当たり所が悪かったのか、顔色がとても悪い。横隔膜が痙攣でもしたのだろう。かはっかはっと声にならない咳を漏らすレイ。
 朦朧としながらも、手を掴んでいる物の正体を確認しようと首をまわし、目に飛び込んできた映像に今の状況も忘れて、彼女は息を飲んだ。

「砂…」

 砂が意志を持っているように蠢き、彼女の手首を捉えていた。振り放そうとするが、セメントで固められたようにびくともしない。

『ふふ。あなたが雪に変化できるのと同じように、私も闇や砂に変化できるんですよ。勉強になりましたか?』

 どうやって声を出しているのかわからないが、砂が震えるような声が周囲に響いた。
 悔しそうにレイは唇を噛み締める。
 かろうじて制御は失わなかったが、今の状況で氷の触手の攻撃をしたら自分にまで被害が出る。そもそも砂になっているマユミには、あまり効果がない気がする。

(攻撃できないなら…戒めを抜けるの)

 それならばとレイも雪に変化しようと意識を集中した。まずこの戒めを抜けなくては…。

『雪になりますか? そうは行きません』

 レイから少し離れたところに、大量の砂が集まり、一瞬後にはマユミが実体化した。とは言っても、レイを未だに拘束しているわけで、下半身、つまり足の大半はまだ砂になったままのようだが。何を考えているのか分からないが、チャンスとばかりにレイは命令を下した。

(引き裂いちゃいなさい! なの)

 氷の蝕腕が、四方八方から一斉にマユミに襲いかかった。
 マユミは迫り来る攻撃を前に、にっこり笑った。右手を大きく後方に引き、ついで真っ直ぐ振り上げる。彼女の瞳が赤く輝き、尋常ならざる魔力で物理法則がねじ曲げられていくことで、周囲空間が軋み音をたてる。
 今度彼女が使うのは、手加減無しの火炎呪文だ。

「烈火球!」

 超高熱のプラズマがほとばしり、蝕腕をまとめて数本蒸発させる。
 水蒸気爆発の衝撃波と、高温によって発生した蜃気楼が揺らめく中、実体を取り戻したマユミはレイに向きなおり、45度方向に体を向け、両手を組んで特徴的な形に人差し指と小指、親指を立て、足は肩幅ちょっと広めに広げ、首をちょっと斜めに傾けた。


「説明しようと言うのに、聞く耳持たないのね。
 せっかくのヒロインの見せ場を無視しようなんて許せない!
  愛の使徒、山岸マユミは
 とーってもご機嫌斜めだわ!」




 そのセリフ色んな意味で洒落になってません。


 いわゆるヒロインの決めポーズを目の当たりにしてしまった、レイの動きが止まってしまう。せっかくマユミの拘束から解き放たれたというのにだ。しかし、当然と言えば当然だ。決めポーズ、変身ポーズ中は何があっても攻撃してはいけないという、不文律があるのだから。
 どこに? って言われても困るが。
 とにかく、生まれて初めて見る決めポーズに解説のケンスケ、トウジ、賞品のシンジの声にならない叫びが木霊した。当然ながら外野のわめきなんてマユミは無視だ。
 両手を独特の形に組み、ポーズを決めたマユミの全身が赤く光ったかと思うと、その赤い光は四方八方に乱れ飛んだ。すぐそこまで来て硬直していた氷の蝕腕にも当たりまくる。


「燃える水と爆裂する水を触媒に、超獣ベロクロンの力をここに再現する!
 唸れ、破壊の轟音!
 轟け、炎の嵐!
 ベロクロン・テンペスト!」



【ぐぅおおおおおっっっ!!!】


 一撃で粉砕され、なおも飛んでくる光の爆弾に胴体を破壊されて、苦痛の悲鳴をあげる氷の蛇たち。現世の体を破壊され、レイによって合成されていた魔獣、甲イカに酷似した氷の魔獣『ゲゾラ』、道化師のようにカラフルな、クラゲに酷似した嵐の精霊『バリケーン』が共に悲鳴をあげつつ、元いた世界に強制送還された。

「きゃー!」

 自分の体をかすめて地面に大穴を開ける光弾に、レイは土砂降りの雨の中を走る子供みたいな悲鳴をあげた。固体が瞬時に気体になる際の爆発が、ポップコーンでも作ってるみたいに木霊し背筋が凍る。
 その音、衝撃、熱から判断し、一撃でも浴びたら軽く腕の一本や二本は溶けて蒸発してしまうだろう。周囲では炎が荒れているし、逃げたいが逃げるに逃げられない。雪になって拘束を逃れようにも、今の状況でそんなことをしたら、熱で上昇した気温によって溶けてしまう。
 中和しようにもライバルである悪魔娘と違って、魔法の系統自体が違うためそれもできない。
 レイの身体中に嫌な汗が流れた。水を被ったように全身がぐっしょりと濡れる。このままでいて、流れ弾が急所に命中でもしたら…。

 死ぬ?

 その予感と、何より嫌いな炎の力にレイは子供のように怯えた。

「も、もう嫌なの! やめて欲しいの!」
「だったら言うことは一つよ」
「あううう〜」

 要するにマユミは負けを認めろと言っている。それは嫌だ。わざわざ第三新東京市まで来たのは、負けを認めるためではない。ああ、もう悔しいったらない。でも…。
 しくしく泣きながらレイは悟った。
 天敵の存在に。
 彼女はその気になれば最初っから辺り一面を火の海にすることもできたはずだ。魔導師でもあるのだから、火炎系の呪文をそれはもう面白いように知っているだろうから。
 ムスッペルスヘイム(炎の国)もかくやという世界を創ることができたのだ。
 それをしなかった理由は二つ。

 シンジの住む、この世界を余り傷つけたくない。
 そしてもう一つの理由は、自分を見るマユミの目が如実に語っていた。

 本気出すのは大人げない。


 その目がまたシンジに、つまりユイに感じが似ている事に気付き、レイは抵抗する気を完全に喪失してしまった。
 まだとっておきの切り札、鎧を隠してはいるが、この分だとマユミも奥の手を隠してるっぽい。いや、目の奥が笑ってる。絶対隠してる。
 魔力の総量とか、レベルとかはほぼ同じだが、経験と相性の差がもろに出た。
 悔しさと腹立たしさで身が千切れそうだが、認めないわけにはいかない。

 負けた。

 シクシクと涙を流しながらレイは完全に悟った。
 世界は広い。
 人には得手不得手がある…。
 あの時の、知り合いの悪魔娘の負け惜しみの理由も、今になったらよく分かる。

「参った…の」


「はい、良くできました」


 とたんに破壊の嵐が収まり、レイはため息をつきつつ脱力した。そしてなんとか立ち上がろうとしたが、完全に腰が抜けてしまっていることに気がついた。
 ふと目を向けると、両手を腰に当てたマユミが笑いかけている。
 にっこり笑ってレイが起きあがるのに手を貸すマユミの顔は、とっても清々しくて綺麗な笑みを浮かべていた。見てるレイがむぅっとするくらい綺麗な。





 スクリーンに浮かぶマユミの笑顔をみて、『ふぅー』とため息をつきつつシンジ達は脱力した。最後の攻撃のすさまじさと、直前の決めポーズに壊れちゃったか、殺してしまうのではないか、と恐れおののいたが、杞憂に終わって本当に良かったと、彼らの顔は語っていた。
 失礼な奴らだなぁ。

「良かった。どっちも大事にならなく」
「しかも戦いの中で友情が芽生えたようやな」
「俺は、彼女達のこの顔を撮るためにカメラを愛したのかも知れない…」


 とりあえず丸く収まったことに、シンジは肩の力を抜きながらこれからのことを考えた。ユイがこの場にいないため、面倒が先に延びてしまっているが、それを抜きにしてもとても大変なことになるのは間違いない。
 帰ってきたら抗議しよう。聞くかどうかはわからないけど。でも、とシンジは思う。どんなに不透明であっても、明日はやってくるんだから、とにかく精一杯頑張ろうと。


 いつの間にか観客達も拍手を送っていた。
 素晴らしい戦いに、戦いの果てに生まれた友情に、そして乙女達に。

 そしてようこそ、新しいお隣さん。



 万雷の拍手の中、腰を抜かしたレイに肩を貸してあげながらマユミはそっと、レイだけに聞こえるように呟いた。

「じゃ、今晩、お仕置きね
「えっ?」

 なんですと?

 びくびくっとレイの体が痙攣した。
 逃げないと。でもしっかり捕まれて逃げられない。許して、はなして欲しいの。
 もちろんはなしてなんかあげない。

「お、お仕置きするの?
 や、なの。お尻叩かれるのやなの」
「ごめんなさい。やっぱり泥棒猫と言われた分お返ししないと、気分良くないじゃないですか。
 それに…」

 さも楽しそうにマユミは笑った。

「それに?」
「あなた、なんだかいぢめてあげたくなる顔してます」

 マユミの目は可愛い子犬を見ているみたいに優しげだ。
 なんでかレイの背筋に冷たい物が走った。凄い大ピンチ。
 助けて、碇君。




















 助けは来ませんでした。

 レイの顔が凍りつく。
 凍り付いたレイの顔がズームアウトしていき、そのままカメラは真っ青な空に浮かぶ太陽に向かった。声だけが聞こえる。

「さて、その前に。
 きちんと、
 事情を聞かせて下さいね」
「はい…なの」

 ああう、碇君と一緒にいられそうだけど。だけどだけど、この人も一緒なの。
 ユイお義母様、助けて。でもきっと助けてくれないの。そういう人なの。










 その夜…。

 ベッドに力無く横たわり、手足を投げ出したまま、レイは全身でしゃくり上げていた。白い寝間着は汗をぐっしょりと吸い込み、彼女に張り付いて、体のラインを浮き上がらせている。暴れて乱れた髪を直そうともしないまま、レイは枕に顔を埋めて静かに泣いていた。

 しくしく、いぢめられちゃったの。
 容赦ないの。
 とっても上手なの。

「くすぐっただけじゃないですか」

 マユミちゃんが何か言ってるけど、恐ろしい拷問だったの…。

「だからくすぐっただけじゃないですか…。誤解するような事言わないで下さい」

 お仕置きは怖かったけど、
 マユミちゃん、優しいの。

「な、なんてこと言ってるんですか!? ってああ!
 し、シンジさん、誤解、誤解なの! 違うんです!」

 ちょっとニヤリなの。












 数日後…。

 籠一杯の洗濯物を干しているマユミを見ながら、レイは物憂げに考えていた。

 マユミちゃん、いつも私に構うの。
 あれはダメ、これはダメ。あれしなさい、これしなさい…。
 もう我が儘できないの。
 ムシャクシャしたからって、地形を変えたりしたらいけないの。生き物いじめちゃいけないの。
 お手伝いしなさいって、部屋の掃除とか、皿洗いをさせられるの。大変な重労働なの。
 仕事をさぼったり、悪いことをすると叱るの。怒られちゃうの。
 いつも構ってくれるの。優しいの。
 ユイお義母様みたいなの…。でもいつも一緒にいてくれるの。


 何か決意を秘め、顔をほんのり赤く染めたレイがつつっとマユミのそばに近寄った。
 そのまま、何も言わずモジモジする。
 すーはーすーはー深呼吸して頑張れ自分と一生懸命。
 そんなレイの様子を、扉の影から心配そうにシンジが見つめている。少し欲求不満そうな顔をしているのは、詳しい事情が聞けなかったからか、『綾波さんをソファーに寝せる気なんですか!』と言われて昨晩マユミと×××できなかったからか。
 ユイがいない今、正論で怒ったマユミに逆らえる人間は碇家には居ないのだ。






 シンジの心配そうな視線に気付かず、つんつんとマユミのメイド服の袖を引っ張るレイ。

「あの……マユミ…ちゃん」
「はい、なんですか?」

 レイの逡巡している心がわかるのか、くすっと笑いながらマユミはレイの顔をのぞき込んだ。どっきん。
 ドキドキする自分の心臓に疑問を抱きながら、上目使いでちらちらっとレイは瞳を向ける。

「わたし、邪魔じゃ…ないの?」
「いいえ。どうしてそう思うんです?」

 予想通りのレイの言葉に、マユミは真面目な顔をして答えた。
 彼女の言葉とにこやかな顔にレイは少しホッとするが、なにか納得がいかないのか質問を続ける。

「だって、私ならきっと嫌だもの。
 碇君と子供つくりに来たから。普通、嫌がると思うの」

 ん〜。
 洗濯物を干す手を休めると、マユミは目を閉じて考え込み、少しして首をかたむけると太陽みたいな笑いを浮かべた。

「それはもちろん、嫌ですよ。
 でも、私が育った環境の所為なのか、あまり違和感を感じないんですよね」

 まあハーレムが当然のようにある王様の娘だったわけで、その点に関してマユミの考え方はおおらかと言える。彼女の父親なんて、奥さんが4人、妾まで含めると20人はいた。腹違いの兄弟なんて、何人いたことやら。10人以上はいたはずだ。
 血が半分しか繋がらない兄…つまり、加持リョウジは結婚はしてなかったが既に愛人は5,6人いた。ただ、全員本気だから愛人という言い方はちょっと違うとか言ってた。それに比べれば、今の自分の状況なんて可愛いものだ。納得はしたくないけれども。

 それでも、普通、女性がそんな事を考えるのかとレイは疑問に思う。マユミの考えはあまりにも男にとって都合が良すぎないだろうか。素直にレイがその事を言うと、マユミは真剣な顔でそれに答えた。
 シーツをはたいてシワを伸ばすと、マユミはどう説明すればいいか少し考えながら口を開いた。

「もちろん、自分以外の人と寝床を一緒に過ごされるのは気分が良くないし、相手に嫉妬もします。私だって女だから、今は魔物でも、元は人間だから…。だから、シンジさんのこと、いけずとか考えるでしょうね。
 でも、それなら…そんなことができないくらいに、私のことを愛させてやるとか考えてるの」
「……凄い考え方なの」

 ハッと気がついたときには、籠一杯の洗濯物が綺麗に、等間隔に干されていた。凄い…じゃなくて。
 マユミの言葉は、よくよく聞いてみれば凄い惚気と言えた。
 最初は男性に都合の良いだけの、頭の中が暖かい女かと思ったが、そう言う考え方もあるのかとレイは感心した。そう、他の女が見えないようにすればいいのだ。
 マユミがそう考えているのなら、レイもシンジを自分に振り向かせ、もう他の女を女としてみられないようにすることが当面の目的になるだろう。
 具体的に言うと、『絞り尽くす』
 羨ましいのか、たまったものじゃないのか。

 何か通じる物があったのか、一瞬、お互い負けないわよ。と言う目で見つめ合うマユミとレイ。
 その時ふとレイは考えた。シンジに関してライバル同士。それはわかったが、それ以外の時には、彼女は自分のことをどう考えているのだろうかと。敵と思われるのは、ライバルとだけ思われるのは、なんだかとっても嫌だから。
 どうしてだろう?
 今のレイには分からない。
 
 わからないけど、とにかく不安になった。再びマユミの袖をビクビクしながら引っ張る。

「私のこと、どう考えてるの?」
「…綾波さんの境遇は同情します。
 仕方ないこととは言え…好きでもない人と、結婚なんてしたくないですよね。それは神聖な結婚という一大イベントに対する冒涜だわ。
 それに、あなたの気持ちもよくわかるから。本当にシンジさんのこと、好きなんですね…。
 私、あなたのことを、そうですね。
 手の掛かる妹ができたって、そう思ってます」

 マユミの言葉が終わらないうちに、彼女の豊かな胸に顔を預けるようにレイは抱きついていた。なんだかとってもホッとした。
 国を捨て、一生落ち着くことはないと思っていたけれど、今は居場所を見つけた気がした。
 マユミの胸は、結局どこかよそよそしかったユイより暖かく感じた。

(泥棒猫なんて言ってごめんなさい。でも、負けないの)

































「はっ、ここは!?」

 テンプレートで書いたみたいなお約束の言葉と共に、がばっと一人の……女性? でしょうね、たぶん。
 とにかく、顔面包帯女が身を起こした。とても怪我人とは思えない動きで、包帯の隙間からのぞく瞳できょろきょろ周囲を見回し、自分がどうなっているのか状況を判断しようとする。まず格好だが、着ていた薄地のブラウス、シックなスカートは脱がされ、代わりに寝間着を着せられていた。
 一体全体、何がどうなったのか。混乱したユイは、慌てて寝ていたベッドから飛び降り、すぐ近くにあった姿見に直行した。自分がどんな格好をしているのか、確かめるために。


(こ、この格好はぁ!?)


 裾から全部水色で、首に赤い飾りの襟、同じく白い飾り紐がついている。ご丁寧なことに頭の上には、星のスパンコール模様のついたナイトキャップが乗っかっていた。まあ、ご丁寧なことで。それで顔は恐怖のミイラ状態なんだから、気味が悪いったらありゃしない。

 顔の包帯はひとまず脇に置いといて、自分の格好に絶句する。
 どこからどう角度を変えても、小さな子供がお母さんに買ってもらうような寝間着にしか見えない。
 似合わないことこの上…………結構良いかも。


(あら、まだまだいけるじゃない♪
 …じゃなくて! なんて恥ずかしい格好なの!?)

 ユイの口が声にならない悲鳴を漏らした。

 趣味の悪さにまず絶句、寝てる間にお人形さんよろしく着せ替えさせられた事実に絶句。そしてこの格好が似合うと思ってるらしい、親友の感性に涙が溢れるのを止められなかった。
 しばらく見ない間に、ますます変な性格になってしまったのね、とかしつれーなこと考えて溢れる涙を止められない。
















「ボン・ジョルノ♪(おっはー♪)
 ユイ〜」

 その時、鏡に向かっていたユイの背後から、なんとも明るく脳天気な声がかけられた。だが鏡にはユイしか映っていない。どういうことなのだろうか。

(そういえば彼女、吸血鬼系の悪魔だから鏡に映らないんだったわね)

 じゃあ、なんで鏡があるのかしらと疑問に思う。もちろん、聞いたところでわかりゃしないことは認識していた。どうせ当人にもわからないに決まってるし。
 その場のノリと勢いと欲だけで生きてるのだから。
 昔、一緒に旅してた時に高い授業料をたっぷり払って学んだこと。あんまり嬉しくないけど。
 やれやれと肩をすくめつつ、ユイはゆっくりと振り返った。



 包帯の隙間の奥の、ユイの網膜に一人の女性が飛び込んできた。

 長く、背中まである黒髪がサラサラと波打っている。大きな星の光る瞳は、謎のミイラ怪人、もといユイをうつしている。背の高さはユイより頭半分高く、腰の位置(高さ)は明らかに人種がユイと異なっていることを示していた。
 そして、控えめサイズのユイに宣戦布告しているかのように巨大な胸!
 半球形とかそんな生やさしいものではなく、スイカをぶら下げてるんじゃないかと見まがうばかりにでっかい胸がどど〜んと自己主張している。なんかわざとかと勘ぐりたくなるが、真っ白なサマーセーターを着ていた。
 はちきれんばかりに引っ張られたセーターにより、ゆったりした服越しだというのに、その大きさはユイよりでっかいことは容易に分かった。マユミやミサトであっても、負けた…と膝をつくことだろう。なんて凶悪な! これはもう武器だ。
 無意識の内に歯を噛み締め、こめかみに血管を浮き上がらせてしまうユイ。

「ひ、ひさしぶりねぇ…。元気してた?(ホントにあんた子供生んだ女かっ!?)」

 乳だけでも凄いのに、ユイより細いウエスト、バランスの良いヒップを持っている黄金の体を持つ美女がそこにいた。特にユイの言葉を信じるなら、その女性は出産経験があるらしいが、とてもそうは見えない。

(むかつくわ、なんだかとってもむかつくわ)

 ぷるぷると感動ではない理由でユイの体が震える。なぜか親友と久しぶりの再会を喜ぶより、昔は自分の金魚のうんちだったくせに、と訳の分からないことを考えてしまう。素直に再開を喜べないと言うのは…まあ、女性も、と言うより女性の方が男より複雑と言うことだろう。

「?」

 ユイが再会の喜びより渋面を浮かべてることに気付かず、その女性は首を傾げて羽根をパタパタと小さく羽ばたかせた。
 打ち所が悪かったかしら?

「どしたのよ? ぷるぷる震えて。なんかあった?」
「いいえぇ。
 ちょっと再会の喜びにひたってたのよ」
「何を今更そんな。変なヤツねぇ。
 もっともあんたが変なのは今に始まった事じゃないけど」


 あんたにだけは言われたくない。


 そんな感じで、ユイは槍のような視線で、蝙蝠羽をパタパタさせる女性を見るが、相手の女性は綺麗に無視した。ほとんど空気を睨むようなもんだ。
 小馬鹿にされたみたいで、包帯の下のユイの顔が真っ赤になった。
 わずかにあった再会の喜びもどっかに吹っ飛び、指をコキコキと慣らしつつ戦闘態勢を整える。
 決してシンジ達には見せられない顔をしながら、ユイは僅かに腰を落とし、猫のようにつま先立ちになった。

「あんたが言う? 変とか言う?」
「馬鹿に馬鹿と言ってもおかしくないでしょ。
 だから何もおかしな事……あ、ユイちゃん、本気で怒ってる?」
「ユイちゃん言うな」

 正にトドメ。  よもや『ちゃん』づけで呼ばれるとは…。
 ユイちゃん呼ばわりされてなんか無性に情けなくなったのか、腹が立ったのか、むっとしていた顔が般若のように凶悪な顔になる。包帯で隠れていて幸いだった。
 女性の言葉には、若く見られたというわけでなく、単に自分を小馬鹿にしてたことがありありと感じられた。当然、いい顔はできないだろう。
 だが久しぶりの再会だというのに、いきなり喧嘩腰のユイの態度もまた、あまり誉められたものではなかった。少なくとも、親友との再会で醸し出して良い態度ではない。
 露骨すぎるユイの敵意に、黒髪の女性もこめかみの当たりを微妙にピクピクさせつつ、ユイを見下ろした。

「なによ、ユイちゃんはユイちゃんでしょうが。
 それとも昔みたいに呼びましょうか、ユイ?」

 身長の差とわかっていても、見下ろされてますます不機嫌になっていく。

「私に一回も勝ったこと無いくせに、なーにを偉そうに!」

 『勝ったこと無い』

 その言葉に、今度は黒髪の女性が反応した。多少の事実の歪曲ならともかく、根本から事実を曲げられるのは実に不愉快だ。

「勝ったこと無い?それはあんたの方でしょ!
 私はあなたに負けを認めさせたことはあるわ。でも負けたことはなかったわよ!」
「負けを認めんかっただけだろーが!」
「まったく男が細かいことをちまちまと…」
「誰が男よ、だれがっ!?」

「あ〜らごめん。あんまり扁平な胸だから男と勘違いしちゃった」



ぷちり


「んっんっんっん〜、いまな〜んて言ったのかしら〜。金魚のうんちのキョウコったら〜〜〜?」


こちらもぶちり




 何かが切れる音が2つ。
 数秒後。



「「殺す」」



 包帯を引きむしりつつユイが腕を一振りしただけで、室内に巨大な火球が5,6個生まれた。その一つだけでも、人間なんて簡単に炭も残さずに消し飛ばせそうな熱量を持っていることは、見ただけでわかる。


 黒髪の女性が後ろに飛び下がりながら指を頭上にかがげると、無数のトゲ…いや、氷の矢を備えた氷の玉が、何もない空間から姿を現した。
 そしてお互い何のためらいもなく。


「死ねぇ、キョウコぉっ!
 バラゴン・ファイアーブラストッ!!」


「死ぬのはそっちよ、乳なしユイぃー!
 バルゴン・フロストアロー!」



 2人のちょうど中間で深紅の火球と氷の矢が激突した。
 魔力の乱流を覚悟して、後に飛んで身構える2人だったが…。
 一瞬、2人の魔力は拮抗しあっていたが、次の瞬間とうとつに消えた。どういう作用なのかわからないが、お互いの魔力が対消滅を起こしたようだ。

「あら…」
「…まあ」

 魔力の余波が消え去った後、ユイは不敵な笑みを浮かべ、ズイッと手を黒髪の女性に向けた。毒気が抜かれたように、さばさばした笑いを浮かべる2人。

「腕は衰えてないようね、白蛇のキョウコ!」
「ふっ、ユイの方こそ」

 黒髪の女性、白蛇のキョウコと呼ばれた女性もユイと同じくスッと手を伸ばし、がっしりと力のこもる握手を……するわきゃなかった。

 すかさず右手が翻り、ミシリと湿った音をたてつつ、ユイの拳はキョウコの頬に吸い込まれ、同じくキョウコの拳もめきりと乾いた音を立てつつ、ユイの頬に吸い込まれていた。互いの反応の早さから考えて、両者とも同じ事を考えていた可能性が高い。

「くっ、握手に見せかけて殴りに来るとは…」
「なんて恐ろしい女なのかしら、あなたは」
「キョウコにだけは言われたくないわ」

 口の端から血の糸を垂らしつつ、笑みを消さない2人の美女達。
 お互い、拳を押し返そうと首に力を込めつつ額をつき合わせ、こめかみに血管を浮かび上がらせ、互いの顔が引きつるくらいに押して押して押しまくる。
 もう色んな意味で見てられない。

「ぐぐぐっ、意地張るわね、ユイ」
「ぞっちこそ」

 ここまで来ると意地とか何とか、そう言ったものを超越した何かを感じる。意地っ張りというか、2人とも外見はともかく内面がよく似ているのだろう。もちろん、当人達は決して認めようとしないだろうけど。
 そうこうする内に2人の鍔迫り合いは白熱した物となっていった。血が滲むくらいに。

「そういえばあんた、私に紅葉おろしを強制したわねー!!(蹴り蹴り)」
「今頃気付くなんて鈍いんじゃないの?(ていてい)」


 コノコノ! と額をぶつけたまま、相手をポカスカ殴り続ける。
 当然それに比例して、2人の顔とか手に青あざがドンドン増えていく。

「だいたい、今頃何の用があってここに来たのよ!?
 まさか、独り寝の夜を持て余して、あの人を寝取ろうとか考えて!?」

 自分の考えに恐れおののき、黒髪の女性は削岩機のような勢いでニーリフトを繰り返す。ドフドフと鈍い音をたてながら膝がユイの鳩尾に吸い込まれていく。
 それをかろうじて受け止めつつ、ユイはこめかみをひくつかせながら絶叫した。

「するかっ! そんなこと!
 それよかいい加減にしなさいよ!」
「じゃあ、何の用なのよ!?」
「やっと本題になった。
 まあ何というか…。
 一言で言うと大変なのよ。シンジがね」
「シンジ君がどうしたの?」

 黒髪の女性、キョウコもシンジのことを知っていて、なおかつ気にかけていたのかふっと力が抜けた。ようやくまともに話をする雰囲気になり、室内が静寂に包まれる。
 ユイはぐびっと唾をのみ、一拍間をおくと


「シンジ、いきなりお嫁さん連れて来ちゃったのよー!」


 近所迷惑な大絶叫。
 ユイの絶叫にキョウコは目を丸くしたその時、

 バーン!!

 屋敷全体がビリビリと揺れそうなくらいの勢いで扉が開かれた。勢い余って壁に叩きつけられた扉の蝶番が壊れ、ガクンと歪む。

 誰!?

 とばかりにユイ、キョウコが光が射し込んでくる扉に目を向けた。
 廊下の明かりを逆光にした、少女のシルエットが浮かび上がる。
 蜃気楼のように怒りのオーラを立ち上らせて、少女は先のユイに負けないくらい大きな声で絶叫した。


「ぬわぁんですってー!?」







続く






初出2002/05/06 更新2004/11/23

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