Monster! Monster!

第18話『タルタロス』

かいた人:しあえが










 深く、澱みのない深呼吸を数度繰り返し、俯いていたアスカは顔を上げた。
 直前までアスカを圧倒していたユイが、わずかに威圧するようにアスカの目を見つめる。軽い威嚇なのだが、もしこの程度で怯むようなら望みは薄い。心で決めたとは言っても、やはり諦めるべきだと言う、彼女なりの試験だ。

(覚悟を…見せて貰うわよ、アスカちゃん)

 ユイの頬が冷笑を浮かべるように僅かに動き、ついで射抜くように鋭い視線がアスカの目を貫いた。さながら、氷の矢が本当にアスカを射抜いたように。

(くっ…容赦なく厳しいわ。来いと言った直後にこの仕打ち)

 矛盾したようにも思えるユイの行動に、怒られた飼い犬のようにアスカは体を震わせる。さほど強い視線というわけではないが、なんと言っても相手は自分のおしめを替えたこともあるユイだ。特に理由が無くとも、ユイに強く言われると条件反射的に体が萎縮してしまう。

(でも、そうなんでもかんでも負けるもんですか)

 しかし。
 ともすれば怯んで俯きたくなる自分自身の体を叱咤し、アスカは真っ向からユイの視線を受け止める。
 ユイのその心配と試しは杞憂に終わったのだ。
 一度もまばたきすることなく、アスカは力強い、いささかの迷いのない真っ直ぐな目をユイに向けた。室内灯の光りを受け、キラリと彼女の蒼竜石のような瞳が光を放つ。

「喩え掟破りと言われて地獄を追い出されることになっても、亜空間法則を破ることになっても。
 私は地上に行きたい。
 ユイおばさま、私の心は決まったわ」
「アスカ…(ちょっと地上に遊び行くだけじゃないの? え? まさか?)」
「ごめんなさい、ママ。でも私はここで退くわけには、負けるわけにはいかないのよ!」

(綺麗な目ね)

 アスカの返事に、そして視線に怯んで尻尾を巻かなかったことに、ユイは満足そうに頷いた。アスカにわからないようにホッとため息をついて、肩の力を抜く。正直なところ、視線に怯まれた場合、困ったのはユイの方だったのだから。この期に及んでアスカが地上に来ないことになったら、力のバランスが崩れてしまっただろう事は目に見えている。
 マユミはレイに大して強いが、シンジはマユミに対してめっぽう強い。そしてレイはシンジに対して弱いわけではないが、シンジの力を増す。碇家の家庭内円満のためには、抑止力として、シンジに対しそれなりに強いだろうアスカが必要なのだ。色々な意味で。
 まあ、アスカに加えて金属性の人なり、物なりが存在するのが一番良いのだが。

(そこまで望むのは高望みかしら。
 …リッちゃんがシンジに興味持ってくれないかなぁ。でもそうなるとナオコさんとの縁が深くなるわよね。それはまずいわ。
 そもそもリッちゃん、男慣れしてなさそうだから、シンジ相手に手玉に取られたりして。ああ〜それとも何にでもひたむきに一生懸命だから、かえって良いお嫁さんみたいになるかも。
 そう言えばリッちゃん、ナオコさんに反発するあまりゼーレに入社したって話だったけど、今どうしてるのかしら?
 …あら)

 その時になって、彼女は自分が手に、じっとりと汗をかいていたことに気がついた。わずかに視線を落として、開け閉めをする自分の手の平を見つめる。

(はあ、なんにしろ…無事に片付いて良かった。と言うべきかしら。
 それにしても私がこんなに汗をかくなんて…。思った以上に私の力が弱まってる? それとも、アスカちゃんが私の想像以上に強くなっているの?
 この感じだと…両方かも知れないわね)

 何はともあれ、良しとしよう。
 とりあえず、レイに続いてアスカにも『シンジが結魂しちゃったのよ』と言うことができ、地上行きに同意させることができ、しかも特に犠牲がなかったのだから。正直なところ、もっと凄いことがあっても驚かないつもりだった。

(なにはともあれ、偉いわ私。自分で自分を誉めてあげる)

 達成感、その他諸々の原因で体から力が抜けそうだ。ユイであっても、難事であったと言うことか。
 もちろん、また色々とごたごたが起こるはずだから、「へろへろ〜」とか言いながら脱力するわけにはいかない。まだ片が付かないことにやだやだと思い、ちょっとげんなりとする。正真正銘の生き地獄を味わっている、ハーリーフォックスのリナが見たらどう思うことやら。結局、リナが好きだというドラゴンマスター志望の少年については、正体が分からなかったこともあってほっかむりして逃げちゃったし。
 これでリナの結婚相手が怪獣の類だったら、一生恨まれるかも。
 そこのところ、どう考えてるんでしょう?

(覚えていたら何とかするわ。たぶん)

 悪魔か、あんたわ。




 だが、悪魔であるキョウコやアスカが怒りそうな天の声もどこ吹く風。
 アスカが地上行きに同意したことはユイの望み通りとなったわけで、彼女の顔に満足そうな、だがどこか裏がありそうな笑みが浮かべていた。
 正直、「ママー」とすぅぐにキョウコに甘えるアスカを地上に呼ぶのは、ベヒモス相手に、素手で殴り勝つより大変だろう…少なくとも彼女はそう思っていたのだから。少々分かりづらい喩えだが、とどのつまり、物理攻撃が効かない、全長100mを越える巨大な河馬を、素手で殴り殺す、つまり効果のない物理攻撃で倒すより難しいという意味なのだ。
 それは少々大げさにしてもだ。
 アスカの甘えん坊の実力は、魔界でも屈指だとユイは考えている。たぶんね。魔界でも1,2番は確実だね。
 当人は強がって、全身全霊で否定してるけど。まあその否定が稚拙で可愛いこと。
 その甘えっぷりは美飛竜ローランに恋い焦がれ、2枚目というイメージを、ただのストーカーにまで貶めた、溶岩人の戦士もかくやともっぱらの評判である。誰が言ったか知らないが。
 なんにしろ説得できたのだから、結果オーライ、この話はヤメー。

 後は地上に帰るだけだ。

 ただ親の目の前で一方的に人の娘を拐かすな、と主張するキョウコの視線は痛かった。ちょっと地上に行く程度に考えていたが、もしかしたらそのまま地上に住み着かせるつもりじゃないだろうか、と言わんばかりに胡乱な目で自分を見るキョウコが、少しどころでなく怖いかも知れない。

(ちっ、鋭い…)

 ってユイさん?
 当然無視する。他人の意見を聞かないのはいつものことだ。

「じゃあ早速地上に」
「ユイ、待ちなさい。アスカはどれくらいの予定で地上に来させるつもりなのよ」

 肩に手を乗せられたキョウコの手を払いのけ、まるで世界に自分とアスカしかいないみたいに、ユイはアスカの肩に両手を乗せる。

「良いわね、行くわよ」
「人の話し聞きなさいよ」
「ああもう。急がないと地上への出口が閉まっちゃうかも知れないわ」
「棒読みで何を言ってるのよあんたわ。まさかこのままシンジ君と娶せて地上に定住させるつもりじゃ」

 まずい、このままだと。

 顔にそう書きつつ、焦ってアスカの手を取ると、後ろも見ないで駆け出そうとするユイ。事が娘絡みだからか、やたら鋭いキョウコに冷や汗ダラダラである。これ以上キョウコに色々痛いところを追求されたら、初めて本気の負けをこうむるかも知れない。自分に負い目があることは分かっているため、今度喧嘩になったらどうなる事やら。

「何も聞こえないわ!」
「待てこら! 乳無しユイ!」
「やたらめったらむかつくけど、聞こえない───!」

 キョウコが反対しても、アスカが同意してるから。
 というわけでじゃあ、私はこれで。と、ユイが急いでその場を去ろうとしたとき、アスカはとある事を思い出した。

「でも…。私、地上に行けるのかしら?」
「え?」

 話の腰と言うか、場の流れを断ち切られてユイがかくっとつんのめる。
 そこで追いついたキョウコがユイの襟首を掴み、猫の子みたいに片手で持ち上げる。そしてユイと同じく、驚いた顔をしてアスカに振り返った。

「アスカ、どういうこと?」
「いや、だから。私、地上に行けない…と思う」
「なぜ?」
「落ちこぼれ…だから」

 互いの顔を見合わせ、ユイ達はアスカの言葉の真意を測るようにゆっくりと吟味する。

(アスカが落ちこぼれ…どういうこと?)
(容姿、実力、色々な点でそこらの悪魔なんか目じゃない素質の持ち主じゃ…)

 そこまで考えたとき、頭の中で電球が灯ったようにユイとキョウコは同時に顔を見合わせた。

「「ああっ!?」」

 唐突に思い出したのか2人は息を飲んだ。悪魔には、通常の能力以外にも実力の評価となることがあるのだ。そしてそれは、地獄にいる限りにおいてはさほど意識する必要のない、しかし場合によっては他の事柄が霞んでしまうかも知れない重大事なのだ。

「確かに…」
「行くにいけないかもしれないわね」


 土壇場になってわかるのでは遅すぎる重大事に、2人とも言葉を失ってしまった。
 ユイの顔一面に縦線が走り、背後で何故か雷が鳴り響き、まん丸に開けられた口から絶望のうめきが漏れた。もちろんこめかみが微妙に引きつる。
 確かに今この場で言ってもらえて助かったが…。
 ユイは地獄脱出に燃えた元気がなくなり、意気消沈と顔を伏せた。へにゃ。
 珍しいことだが、少々焦っていることが見て取れた。
 なにしろ、事態の流れにキョウコが気付く前に地獄を離れないと、とっても面倒なことになるのだから。

『私も行く』

 とか言いかねない。いや、ヤツなら絶対に言う!
 今は別のことに意識が向いてるからそこまで考えが至っていないが、直に気がつくことは間違いない。それは嫌だ、嫌すぎる。望むと望まないとに関わらず、長すぎるつき合いから、ユイにはその時の情景が、瞼の母よろしく瞼の裏からこんにちは♪するくらいにハッキリと想像できた。



 冗談じゃねぇ。



 さっきと違うベクトルでイヤな感じに顔色を変え、ユイは胸の奥から漏れそうになる呻き声を必死に呑み込んだ。キョウコに悟られてはならない。悟られたら全てが終わりだ。
 アスカの地上行きを反対はしなくなるだろうが、誰だって核爆弾持参でやってこられたくはない。
 ばれないように気を使いながらも、ユイはばれたらこいつどうしてくれようかと考えた。

 殺すか?

 さくっと物騒なことを考えてしまう。
 なぜここまで物騒なことを考えるか、かみ砕いて言えば、キョウコは天性のトラブルメイカーだからだ。いや、それを言うならユイだってそうだから人のことは言えない。2人揃うことでトラブルが倍どころか、二乗倍でやってくるのかも知れないけど。
 いや、それはあくまで表向きの理由だ。本当のところを言うと、ユイはキョウコと知り合いと思われるのがイヤなのだ。それも家があるところの人、つまり近所の人達に知られることは絶対に。




(じょ〜だんじゃないわよ、キョウコが一般人の目に晒されるなんて)

 別に妙な感情から発生した独占欲があるわけじゃない。
 なんというか、キョウコと一緒に地上に帰ったら、目立つなんて物じゃないだろうからだ。

 なにしろ前にも書いたが、キョウコはスーパーモデルが裸足で逃げ出す抜群のプロポーションを持った美女。いや、逃げるどころか憧れを持ち、彼女のことを生ける美神と崇拝するかも知れない。それくらい美しい女性だ。
 180を超えるしなやかな体は均整の取れた見事な八頭身であり、上から101のH、60、91という、慎ましいユイが『どちくしょー!』と泣いて世の不条理を恨み奉るようなN2爆弾ボディだ。かつて2人で旅をしてるとき、重くて肩がこるとキョウコが愚痴った日の夜、ユイは泣いた。

(ええ私はちっちゃいわよ!あんたに比べれば小さいわよ!)

 当人に悪気がないと言うことが、なお悲しかった。あれなら馬鹿にされた方が良かった。あの時の辛い記憶は、今もユイの心を傷つけている。

 プロポーションだけでなく、癖毛や枝毛のない長い黒髪もユイは羨ましく思っている。長く腰まである黒髪は、背中を滝のように僅かにカールしつつ流れさざめき、彼女のぬめるような白い肌と神秘的なハーモニィを奏で、生まれたての赤子であっても、男という男全てを魅了せずにはいられないだろう。つり上がった切れ長な目は、命令しなれた人間の持つ超然とした光をたたえ、つんと澄ました口はコケティッシュな笑みをいつもたたえている。そして隠そうとしてもにじみ出る、上流社会の人間特有の雰囲気には、気の弱い男共は女王様と呼ばずにはいられないだろう。

 黙って立ってれば。

 まあ、それだけならいい。
 目立つことに代わりはないが、美人の友人がいる、これまた美人のユイちゃんということで、改めて周囲の人達に認識されるだろう。キョウコのおまけ扱いされるかも知れないけど。
 ムカッとくるけど、それは置いといて。
 そうは行かないのが世知辛い世の常。

 もしご近所に一緒にいるところを目撃されたら、ユイは翌日からお天道様の元を歩けないだろう。
 なぜなら地上に出たキョウコは、世間一般で言う普通の格好を決してしないから。









 陽光の下、颯爽とマントを風になびかせながら立つ…痴女!
 隠蔽率10%という服装ゆえ、その乳や尻や太股が惜しげもなく大衆の目前に晒される。そして風に乗って街中に響く、高笑い。
 口元にどこかの高慢チキなご令嬢のように手を当て、楽しそうに目を細めながらどこから出してるのかと思うくらいによく通る高笑いが木霊する。見た目に騙されて集まってきていた男ども、嫌ねぇと陰口をたたいていた奥様、お嬢様方が一斉に仰け反る。


「お〜ほっほっほっほっほ!
 地上よ、私は帰ってきた〜〜〜〜!!!」


「うわ〜〜〜〜っ! 痴女じゃぁ〜〜〜!痴女が出たぞ〜〜〜!!!」
「子供を隠せ、城に避難しろ〜〜〜〜!!!」
「悪夢じゃ、ソロモンの悪夢じゃぁ〜〜〜!!」
「ッッッッッ! 助けて、助けて神様!」
「脱げ〜〜〜!!!」










「どしたのよ、ユイ。受け身も取らずに前に倒れて」
「…………あんたの所為よ」
「はあ?」

 腹這いで地面に顔面を押しつけた格好のまま、呻くようにユイは呟き返した。今彼女の顔は見ることが出来ないが、さぞや凄まじい歪み方をしているだろう。

(ははっ、あはははは。予知夢って奴? イヤーンな感じ)

 嫌な想像が脳裏をかすめた瞬間、気がついたら前のめりにぶっ倒れていた。
 自分はそこまで弱かったのだろうか。それとも、キョウコが凄いんだろうか。たぶん、後者だ。

 上記した美味しい肢体を、服としての機能…つまり保温、皮膚の防御隠蔽を排除した、胸の一部と腰の一部だけを隠す、ぱっつんぱっつんの革の服(服か?)だけを身に纏うのだから。
 確かに大事なところは隠れてるけど、全身の9割が隠れてない。セパレートの水着の方が露出少ないんじゃないだろうか。ついでに肩にはとげとげが痛々しいショルダープレートを着け、胸の谷間の間には材質不明の髑髏のネックレスが、虚無のような虚ろな眼下を晒しながら揺れている。時々胸の谷間に窮屈そうに挟まってたりするが、男じゃないユイにはさして感慨を呼ばないから当面無視。どーせ私は挟んだりとかできないわよ、けっ。
 足はハイヒールのブーツ。それも突き刺さりそうなピンヒール。背中にはお約束のように夜を切り取ったような黒マントだ。
 とどのつまり、どっから見ても痴女。
 
を通り越して頭の中が暖かい悪の女魔導師。
 過去はともかく、今は本籍魔界の大悪魔だから、その手の格好しててもおかしくないのかも知れないけど。



 さいわい、と言うか余計なことをと言うか、キョウコの旦那の趣味が普通だったおかげで、その手の格好は地上でしかしないようになっている。なんでも、泣いて頼んだらしい。今は地獄羊の毛で作ったセーターと藍染めのスカート、黒髪を後で一つにまとめて縛ったごく普通の格好だ。少々野暮ったいと言っていいかも知れない。つまり管理人なキョウコさんバージョン。
 それはそれで、セーターが内側から押され、ドバンと胸が強調されて良いかも。

 話がそれた。

 キョウコの服装云々はひとまず置いておいて。
 少々脱線したが、ユイはアスカが顔を曇らせた理由に息をすることも忘れていた。
 しごく単純で、それ故に重大なことを忘れていた自分に吐き気がしそうだ。
 ようやく精神の再構築が出来たからか、どっこいしょとおばさん臭く呟きながら立ち上がり、絞り出すようにユイは言葉を漏らす。

「そうか。アスカちゃん、魂をまったく狩り集めていないから。だから人間界に実体を持っていくことできないんだ」
「そうなんですユイおばさま…。精神体だけなら夜限定だけど地上に行けます。そうでなくても、数日くらいなら大丈夫です。でも、実体を持ったまま長期間だと無理です」

「なんで?」

 書かなくてもわかると思うが、キョウコの言葉だ。

 貴様、本当に大悪魔か!?
 本気でわかってない彼女の言葉に、怒りが混じった疑問がわくが、言うとややこしいことになるからかろうじてユイは口をつぐむ。
 かわりに皮肉を交えながら丁寧に説明してやった。

「あんたねぇ。
 悪魔や天使みたいな高次元の存在は元々精神生命体みたいなモンだから、物質界…人間界に行くためには大量のエネルギーを使って実体をつくる必要があるでしょうが。
 普通、悪魔が地上に姿を現すときは精神だけで行くか、魔法使いに召還でもされるか、魂の力を結晶化させて実体を持って行くかでしょ」
「ああ、そうだったわね。
 生まれつきの悪魔じゃないから、すっかと忘れてたわ」

 ぽんと手を叩いて納得するキョウコ。本気で分かっていなかったようだ。じとーっとした風呂場の隅みたいな目でユイが睨む。カキンと音をたてて跳ね返された。

「をいこら、忘れるな」
「あ、いや忘れてた訳じゃないわよ。ちょっと記憶の外に出てただけだってば」

 それを忘れる言うんじゃい。
 天然者独特の苦笑をするキョウコに、しっかりしろとユイが突っ込みをいれる。毎度の事ながら、知識はあるのに頭の悪い親友には疲れさせられるのだ。それも1日経ったら忘れてることが多いし、無駄な努力と感じないでもない。それでよく、白の聖女とか呼ばれたことがあるなとか思ったりするユイ。

 ちょっと置いてかれた感じがして、立場のないアスカが紅蓮地獄みたいに冷たい視線を2人に向けた。まだ自分がこの素敵な2人の美女の間に並び立てるとは思えないが、それでも視線を浴びてないと、なんか寂しいのだ。

「「まあ、冗談はこっちに置いといて」」

 両手で何かを掴んで脇に置く仕草をするユイとキョウコ。さすがのアスカも、二人一緒にやられれば話を置いておこうという気にもなる。なんだかんだ言って仲良いんだなぁ。と思った。

「それでアスカ、今までにどれくらいの魂を集めたの?」

 真面目な顔をしてキョウコがそうたずねた。
 だいたい、下級の悪魔ほど必要な魂の数は少なくて良いのだ。もちろん、寿命が存在しない悪魔の感覚で少ないのであって、人間から見たら冗談の類に匹敵する量だが。
 基本的に、淫夢を一人の人間に見せることで得られる魂は、普通の人間の魂の総量を1とした場合、0.00001程度である。実体を持つ淫魔が人間と性交することで獲る量が0.1。確かに尋常ではなさそうだ。だからこそ、淫魔は快楽で人間を堕落させ、自殺や衰弱死などに追い込むことで手っ取り早く魂を得ようとするのだが。
 ともあれ、アスカが今まで集めた魂の総量はというと。

「…………ゼロ」

 モジモジと体を小さくしつつアスカは言った。髪と同じくらい顔を赤くしてとても恥ずかしそうに。

(そう、ゼロなのね。だいたい、淫魔が実体を持つのに必要な魂の総量は1000点前後だから1000足りない…え?)

 沈黙。
 音と言う音が全て消滅したように静かな空間。
 ビデオの一時停止を押したように、息をする音、身動きする音一つない。



 そして時は動き出す。



「「え? もう一度言って」」

 何かの間違いよね?
 あんまり良くないが、できれば耳が悪くて聞き損なっただと良いなぁと、妙な期待を込めて聞き直すユイとキョウコの2人。思った通りのリアクションに、よりいっそうモジモジとなったアスカの口から、蚊の羽音のようにか細い声が漏れた。

「だから……ゼロ」

 ゼロ、つまり『0』
 存在がないことを意味する言葉。こっちの世界ではインドで最初に考案された無を現す記号である。
 アスカは上目遣いにキョウコの顔を見た。可愛いかも知れない。おどおどしてるけど、すっごく可愛いかもしれない。

 しかしながらキョウコ達は可愛いとか思う以前に、アスカの言葉にショックを受けていた。少ないだろうとは覚悟していたが、それでも生まれて16年、人間の世界、地上では6000年以上の時間が経過している。6000年もあれば、100くらいは集めてると思っていた。それで当然だと思っていたのだが…。
 想像もしていなかった言葉に、さすがの2人も顔色も悪くなった。
 これは落ちこぼれだからとか、そう言ったことを超越している。

「「まったくなし?」」

「まったく…」


 2人はアスカの告白に顔を見合わせた後、困った顔してアスカをチクチクといじめ、もとい質問した。

「ゼロって……。なまじ100とかじゃないから、清々しいわね」
「アスカちゃん? いくら初めては好きな人じゃないとイヤだからって、思春期の子供にエッチな夢を見せることもしなかったの?
 13前後の男の子なんて猿同然なんだから、チョロいんじゃない?
 あ、それともあなた女の子の方が好みなのかしら?」

 仲間ー。と言ってるみたいな顔をするユイ。妙に嬉しそうだ。
 絶対違う! と強い口調でアスカは言い返した。

「私はノーマルよ。
 しょうがないじゃない。夢でも触られると感じちゃうし」
「感じるって、夢の中と現実とじゃ、感覚のレベルが比べ物にならないじゃない。そもそも幻影を見せるわけでしょう?
 さっきの性教育より楽じゃないの」

 一度に大量にさばくために、実体のない淫魔は淫夢と呼ばれる夢を見せて精を集める。つまり、若い禁欲的な生活を送る男女の心の糸を掴み、一所に集めて、いわば精神世界の映画館のような所で一度に幻影を見せているのだ。主演は淫魔だが、あくまで幻影だ。妄想に猛った人間にそれをどうこうされても、当の淫魔にはなんと言うこともない。
 しかし、思い出したのかアスカはぷるぷると頭を振って否定する。これにはユイ達もビックリだ。

「ええっ!? うそ、あれより凄いの!? と言うか、なんで幻影で感じるのよ!?」
「……わかんない。
 でも幻影の私が男の子にちょっと肩触られただけなのに、ビクビクッてなって、立っていられなくなって、なんだか怖くて…逃げたわ」
「夢なのに?」
「うん」

 それじゃあ、現実世界で本当にアレとかこちょしたらどうなるのよ?

 死ぬかも。

 それは困る。うん、凄く困る。
 ちょっと洒落にならないことを想像してユイ達は困惑した。まずい。錯乱しそうだ。
 アスカが嘘を言ってるとは思えない。なんと言っても、悪魔は嘘がつけないのだから。契約相手が誤解するようなことはしょっちゅう言うが。
 ともかく、そこまでヨワヨワな淫魔とは…と、言葉もない2人だった。確かにそうだとすると魂をまったく持っていないことも納得できる。よくアスカが憧れを込めて、願いを叶えることで魂を奪うタイプの悪魔を見ていることもわかる。きっと言葉にできないように切ない想いを抱いていたのだろう。

「うーん、困ったわね。このままだとアスカちゃんを地上に連れていっても実体がないからすぐに消滅することになっちゃうわ。
 あ、そうだ。キョウコ、あなたの持ってる魂貸してあげたら?」
「またそう無茶を言う。
 私は元々地上の住人だったから、移動するとき魂を必要にしたりしないわ。だから、あんまり貯魂なんか無いわ。お金や魔力はあるけど、これじゃ代用にはならないものね」

 余談だが、貯魂という言葉を使っているが、実際にそれが通貨として流通しているわけではない。魂は上級の悪魔、下級の悪魔両方にとって貴重な物であるため、滅多なことでやり取りなどしないからだ。だから魂の化石を加工して作った貨幣や、魔力を固めた魔力石がお金の代わりとして使われていたりする。

「方法としては誰かにアスカと指定して召還してもらうか、魂を集めるしかないわね」

 とは言うものの、召還は術者に絶対服従する必要があるし、何らかの形で服従しなくて良くなっても、術者が死ぬかどうかすればアスカは地獄に強制送還されてしまう。実体を維持するための魔力の供給が絶たれてしまうからだ。それ以前に悪魔を召還できるだけの実力者と言えば、ユイの知ってる限り数人しかいない。ナオコ、リツコ、加持、マユミ…。どうにもこうにもダメすぎるメンツだ。意外に顔狭いのね、ユイさんって。こんなことならシンジを魔法使いになるべく育てれば良かったかと、妙なことを考えてるくらいだし。
 一方、魂を集めると言っても、夢に潜り込んで魂を削り取っていては、必要量溜まるまでにとにかく時間がかかる。1日50人の少年に夢を見せて『俺って最低だ…』とさせたとしても、満了するのに何百年かかることか。

 となれば…。

 キランとユイの瞳が輝いた。
 剣呑な、だが面白げな臭いを感じ取り、キョウコもまた瞳を輝かせながら軽く頷く。
 実に悪魔的な笑みに「ひぃっ」と腰を抜かしたアスカをよそに、2人の無言の会話は徐々にヒートアップしていく。喧嘩しているようでも、その実とってもお互いのことを分かり合ってる2人だ。マックスボルテージに達するのに時間はかからなかった。

 まず先鞭を取ったのはユイだ。嬉しそうに口を開く。
 腕を組み、くっくっくと肩を揺すって笑い、物問いたげにキョウコを見つめる。

「キョウコ、むかついた相手とかいない?」

 予定調和の演劇のような動作で、キョウコもにんまりと笑みを浮かべた。

「いるいる。マルコキアスとか言う魔王の親類だとか、つまらないこと威張ってるおばさんがいるのよ。偉ぶってるけど所詮はワンワンなのよ。
 しかも自分が偉いわけでもないのに、馬鹿みたいと思わない? いや、あれは間違いなく馬鹿よ。犬だけど。
 こいつの娘がアスカと悪魔学校の同級生で。親子揃っていやみったらしくてさぁ。その子、どう見てもアスカに気があるのに、偉ぶって尊大な態度をとって。いやねぇ、人種偏見に満ちたヤツって」
「わかるわ〜。私もあの人と結婚した当初、昔の彼とかがうるさくってさぁ。
 それはともかく、そいつ貯め込んでるかしら?」
「貯めてる貯めてる。なんでも最近、闇ルートで絶滅危惧種の子竜を高い魂払って買ったとか言ってたから。魂を代価に払ったって。
 そんな贅沢なペットが飼えるんなら、間違いなく貯めてるわよ」

 つまり、目的の物…魂を大量に持っている。そして潰しても後腐れ無いし、良心も痛まないと言うことだ。にやりとユイの口元が歪んだ。魔界も少しは住み易くなるかしら、とキョウコも実に楽しそう。
 少なくとも、そんなことをしようと相談してるときにする笑い方ではない。
 嫌な奴をぶちのめしてお小遣い稼いでくるかぁ。って感じだ。一応書いておくが世間一般に彼女達がしようとしていることは、


強盗と言います。


悪人 悪魔に人権はないわ!


 さらっと言い切りやがった。
 いや、まあ確かに強い者が正義の世界だから、確かに無いんだけどさ。

 そうと決まったら善は急げだ。ってこの期に及んで善のつもりなんだろうか。襲撃相手も善とは言えないけど、しかし…。
 なーんてツッコミが聞こえてないんだろうが、ユイは背中から光り輝く翼を顕現させ、キョウコもまた、下半身を虹色の鱗をきらめかせる巨大な蛇のそれへと変える。完全にやる気満々だ。

(ま、ママ達…本気ね)

 あまりの恐ろしさにアスカは震えてしまった。母とその親友の本気を見ることに恐怖を覚えて。気を抜いたら漏らしてしまいそうだ。
 使徒をもまたいで通ると言われたユイ、そしてその親友、歩く自滅兵器キョウコ。多少なりとも伝説を知っているなら当然の反応か。
 一体幾つの伝説があることなのか。
 曰く、魔王を魔法一発で倒した、一人で竜族の連合軍を壊滅させた、山を平野へと変えた、スダール湾に魚一匹住まなくなったのは彼女達が呪文実験をしたからとか、首が三本ある、黄金のレジェンドドラゴンの誕生に関わって結果としてビーナス王国の崩壊を引き起こしたとか、某海辺の街にクラゲが大根買いに来るようになったとか、その日は朝から夜だったとか、観光名所破壊の関係者だとか、食堂のメニューを端から総なめとか、ユイの姉(故人)はもっととんでもない人物だったとか、どれもこれもロクでもない噂ばっか。






 しかし、アスカは甘い。
 世間の評判など気にもしないのがユイ達だ。そのくせ、自分の正体を知らない、ご近所の体面を気にしたりするからよく分からなかったりするけれど。旅先で羽目を外すような物なのかも知れない。


「あはははは。地上じゃないから…思う存分翼を使えるわ」
「難儀な事よね。でも、私も久しぶりに力を全開で…楽しめそうだわ」

 ユイはマイペースに翼をはためかせ、キョウコは蛇の尾の先端のガラガラ、ラットルを鳴らして調子を確認した後、軽く頷きあう。

「じゃあ、いつも通りにやりましょ。私がオフェンスするからキョウコはバックアップお願いね」
「まかせて。
 尻尾が、もとい腕が鳴るわ。暴れるのもずいぶんと久しぶりだし。
 と言うわけであなたも手伝ってね♪」

 そして嫌がる旦那を引きずりつつ退室するキョウコ、ユイ。


 数分後、茫然自失状態から立ち直ったアスカは、一人室内に立ちつくしていた。見てはいけない物を見てしまったんだろうなぁ、と冷や汗を床に水たまりができるくらいに流しながら。特に退室間際に見た、ユイとキョウコの笑い顔は忘れられない。アスカは少し自分の選択を後悔していた。安易にシンジの童貞とか、一目会ってみたいとか考えていたけど、早まったのではなかろうかと。
 安易に親の言うことだからと信じていたが、伝え聞くシンジの情報もどこまで本当なのやら。なにしろ、伝説の破壊天使『碇ユイ』獣王と呼ばれたアレの息子なのだから。いったいどんな化け物なのやら。
 悪魔らしくないと自覚しているアスカが敵う相手なのだろうか?
 もっとも、嫌味なクラスメートとその家族がどうなろうと知ったことかと考えるあたり、アスカも立派な悪魔であった。
 あと父親の心配しないところとか。あ、これは人間もか。









 ガチャリ、ガチャリと重々しい金属が擦れ合う音をたてながら、漆黒の鎧を纏った長身の人物が、崖の頂から片膝立てて眼下を見下ろした。兜の隙間から、鋭く光る目が少し動く。

「なるほど。でかいな」

 低いが、オーボエのようによく通る声が兜の中から漏れた。その声と、がっしりとした体躯から判断して、鎧の人物は男と判断して良いだろう。
 彼が見ているのは、溶岩の川の中州にある、大きな塀に四方を囲まれた屋敷…というより、巨大な岩城だ。魔王の親戚とか言っていたが、それもさもありなんと、納得する作りをしている。アレに比べれば、今自分達が住んでいる屋敷なんて鶏小屋だ。
 軽く腕を振るってマントを払いのけると、鎧の男はゆっくりと後に振り返った。

「どうです、具合は」
「なかなか良い。さすがだ」

 背後からかけられた声に満足そうに頷き返すと、鎧の男は試すように、左手の指を何度も曲げたり伸ばしたりを繰り返した。金属が擦れ合う音が普通ならするはずなのに、よほど耳を澄まさないと聞こえないくらいの音しかしない。
 軽く上体をねじり、動きを確かめる。鎧を着ていないように軽やかで、そして滑らかな動きだ。鎧の下に着ている鎖帷子や下衣(アンダーコート)も、そうと意識しない限りその存在を感じることが出来ない。それでいて、いざというときには岸壁のように雄々しく、着用者を守るだろう。

「最高の道具は、最高の使い手があってこそ報われるもの」
「私らの見た目に囚われず、本質を見抜いたあんたにこそ相応しい」
「………っ。………ぅ」

 よく似ているが、しゃがれた声、重々しい籠もった声、痰が絡まったようにかすれた声で、3人の男達は鎧の男に言う。一人は皺と白い顎髭だらけの顔に刀傷の跡と白く濁った片目しかなく、右腕もない。一人は髭の中で動く口には、本来あるべき唇がそがれ、歯茎が剥き出しになっている。足も引きずっているようだ。最後の一人は、他2人同様皺だらけ、髭だらけ。そしてどうやら口がきけないらしい。
 3人に共通しているのは、背が一様に低く、たっぷりとした体重をしていること。そして肌の色が黒炭のように黒いことだ。
 山と土の小人、ドワーフ…いや、違う。その祖先と言われる、黒小人(ドゥルガル)だ。古くは北欧神話にて、霜の巨人の死体からわき出た蛆が姿を変えたと言われている。一様に人から見れば醜い外見をしているが、その匠の技は太陽と月の光を編んで首飾りを作り、存在しない物で決して切れない紐を作るとも言われている。

「いずれにしろ、君達には感謝している」

 そう言って男はドゥルガル達に背を向けると、再び眼下の城に目を向けた。
 彼の背中にドゥルガル達は酒でも楽しむように、愉悦に満ちた言葉を掛ける。

「前の主人は、儂らの見た目に囚われ、ゴミでも見るように儂らを見ていた。儂らの作った道具でさえも」
「だが、あんたは違う。儂らを認めてくれた」
「…………」

 男は返事もしなければ身じろぎもしない。

「だから儂らはあんたに報いる」
「儂らが命を、体を削って作ったオリハルコンの剣『マルドゥーク』、神鉄(アダマンチウム)の鎧『カリ・ユガ』、真銀(ミスリル)の鎖帷子『イシュタル』はあんたの期待に応えるだろう」
「………っ、…っ、…っ」
「ああ、勿論オリハルコンの盾『ウト・ナピシュティム』もな」

 それだけ言うと、3人は腹を抱えて唾を飛ばしながら下品に笑う。
 兜の奥の目が呆れたように揺れる。この小人達は、技とその成果を評価する自分でさえも、このように小馬鹿にしたように扱う。もうかなり長いつき合いになるのだが、未だに慣れることが出来ない。
 微細な銀で飾られた鎧を軋ませながら、男は傍らに立てかけられていた方形の盾を手に取る。盾の表面に浮き彫りにされた、生きてるような躍動感を持つ獅子に視線を這わせながら、男はぞんざいに呟いた。

「もう行け。どんなとばっちりを食うかわからんぞ」

 ひゃひゃっと笑いながら、ドゥルガル達はズボンに付いた埃を叩く。鎧や剣が入っていた青銅の帯を編んで作られた籠を軽々と担ぎ、欠けた歯をむき出しにしながら言う。

「言われなくとも。500年生きようと、1000年生きようとまだ死ぬのはいやだからな」
「まだまだ世界の美酒と料理を味わい尽くしたわけではないしな」
「………ぅ」
「そうそう、女もな」

 まだ女を抱きたいのか…。そのふざけているのか本気なのか分からない言葉に、根が生真面目な男は肩をすくめた。

「………まあいいさ。彼女達も配置についたようだ。
 俺もそろそろ」

 呟きつつ見事な彫刻がほどこされた、金の柄頭に手を掛ける。城の周囲に陣取る彼の妻と、その友人に後れをとらないようにしなければ。
 と、彼が剣を抜き放ち、行動に移ろうとした寸前。まだその場に残っていたドゥルガルの一人が、思いだしたように彼に声を掛けてきた。それも最悪のタイミングで。

「ところでジークフリードの旦那」
「なんだ?(気をそぐ奴だな)」

 ニヤリと嫌らしい笑みを浮かべつつ、片目片腕のドゥルガルは言った。

「尻にしかれすぎ」

「ぶるぁぁぁぁっ! やかましいやい!」

 寸前のシリアスな雰囲気を台無しにして、男…アスカのパパは叫んだ。


 数分後。

 爆音が轟き、炎や煙が煙る中、やたら露出度の高い服装をした、黒髪の女性が高笑いをあげながら闊歩していた。
 なんですか、あなたは。
 思考能力を持たないはずのゴーレムですら、面食らったように一瞬動きを停止してしまうほど、その女性は怪しかった。見た目は美女なのだが、下半身は巨大な蛇のそれであるし、背中からは幻影のように少し透き通った毒蛇の王、コブラのオーラが揺らめいていた。見る者が見れば、彼女が大地の蛇神ナーガだと言うことが分かっただろう。いや、やっぱりわからないかもしれない。
 全身から醸し出す雰囲気がアレというか。少なくとも、世間一般に知られたナーガがもつ雰囲気、神秘的、異界の美、畏怖ではない。
 彼女こそ言わずと知れたアスカの母、惣流キョウコ。それでばれないと思っているのか、目だけ隠す仮面舞踏会にでも使うような眼鏡だけを掛け、なにやら物騒なことを呟く。

「お〜ほっほっほっほ。大地の大顎(オオアギト)に呑み込まれてしまいなさい!
 一時、要の石を取り除く! 食らいつけ、大地の牙! 飲み干せ、命!
 グランギズモ!」

 彼女が力ある言葉と共に自身の力を解き放った瞬間、ゴーレムやガーゴイル、ヘルハウンドが固まっていた地面が割れた。突然のことにゴーレムや翼のない小悪魔達は一斉にバランスを崩し、地割れに落ち込んでいく。それを恐怖に濁った目をして、かろうじて空に逃げ延びた小悪魔達は僚友達の末路を見ていた。地割れの中、全てを呑み込むカリュブディスのように巨大な生物 ─── 地震を起こす大ナマズ ─── が、やはり巨大な口を開いて全てを呑み込んでいたのだから。


「お〜ほっほっほ! 分かっていたけど物足りないわね!
 本気になってかかってらっしゃい!」
「ま、ママ…?(それが地なの? 嘘、嘘よね、そんな)」

 実の娘にさえ痛い目で見られるキョウコ。
 逃げようかな…。
 ゴーレムでさえそう思ったとか。



 また別の場所では…。

「空の意志よ、星の子よ! 降天使『碇ユイ』の名において命ず! てーかお願い!
 焼け付く稲妻を、空間のねじれを、光と闇の混沌を!
 希う、祈り願う、願い賜う!
 ☆Σψγ《*∀‡Qμ…………………(中略)…………………集え精霊、天なる力!」

 背中に光り輝く翼を持った女性、つまりはユイの長々しい呪文が終わった瞬間。
 突如、彼女が見上げていた空に変化が起こった。澱んだ雲が浮かんでいた天の一角が、突然、二次元の絵ででもあるように、奇妙にも捻れたのだ。空に浮かんでいた幾人かの妖魔、悪魔達が何ごとかと不安に駆られて天のゆがみを見つめる。
 そして翼を雄の孔雀のように広げたユイは叫んだ。

 「天の轟槌、ゴズマード!」

 天の歪みは、ついには巨大な穴と変わった。通常ならざる力の作用で空間がねじ曲がり、異空間への通路が開いたのだ。黒い穴の奥で、幾つもの小さな光が瞬き…。
 岩の固まり…つまりは隕石が飛び出してきた。
 目標地点周辺にいた悪魔、妖魔達がおののき、手遅れながら逃げようと四方八方に散る。

「俺ごとか…(こえー女。あいつと結婚するだけある)」

 芝刈り機が草を刈るように、ユイに襲いかかろうとする悪魔をくい止めていた鎧騎士は、驚いたように天に開いた穴と、そこから落ちてくる巨大な岩を見た。
 仲間がいるにも関わらず、平気で隕石召還など普通では使えない、使わない魔法を使ったユイに毒づきながら、ジークフリード…アスカのパパは豹のような素早さで走り出した。先に逃げていた山羊頭の特徴のない悪魔達を追い抜き、追い抜き様に切り伏せ、えっへんと薄い胸を張って立っていたユイを担ぐと、更にスピードを上げながらその場から駆け去る。

「いやん、エッチ」

 耳元でいたずらっぽく囁かれ、白けた目でユイを睨んだりする。
 のってこないことがつまらないのか、ユイはごめんごめんと目で謝りながら、背後で城も何もかも吹き飛ばすだろう、真っ赤に燃えている岩塊を見つめた。

「凄いでしょ?」
「凄い凄い(色んな意味で)」

 直径500mの範囲内を、完全に廃墟にする大技である。技も凄いが、躊躇無く自分も影響範囲にいるのに使ったユイの精神が凄い。彼が途中で転ぶか何かしたらどうするつもりだったのだろう。
 キョウコのライバルだけある。背後で轟く爆音と衝撃波を遠くの事みたいに聞きながら、彼はキョウコと合流すべくひた走った。


 さらに数時間後…。
 中央政府から警察(にあたる悪魔)が来て、突然の事態の調査を行った。謎の襲撃者は徹底的な破壊の末、魂の保管庫を破壊し、大魔王マルコキアスの隠し財産だった魂を残らず奪い去っていったらしい。
 それだけなら、魔王に喧嘩を売った不届き者を捕らえるという意味もあり、すぐにでも捜査が開始される。
 だが…。
 その襲撃をなしたのは光り輝く翼を持った女性らしいということから、天界の天使の攻撃ではと騒然となった。これは如何に大魔王が被害者だったとは言え、簡単にどうこうできる問題ではない。
 事実だとすれば、慎重に対処する必要がある。今はデタントの時代、偽りの平和とは言えそれが崩れることはできる限り避けねばならないのだから。

 結局、落ち目の魔王の隠し財産と言うこともあり、事件はうやむやの内に終結したのだが…。
 悪魔達が右往左往するのをよそに、ひっそりと魔界を抜け出す一人の淫魔と、人間の女性のことは誰の目にも止まらなかった。











 幅が数キロありそうな、いわゆる三途の川を渡りきり、地上までもう少しという地点にアスカとユイ、そして小さな地竜の子供の姿があった。渡し守は少々手強かったが、ゲンナマに弱いという致命的な弱点があり、至極あっさりと承諾してくれた。途中、へっへっへと夏場の犬みたいに荒い息を吐きながらユイに迫ってきて、無表情のまま怒るユイに、河に叩き落とされるとかあったが、とにかく無事に2人と一匹は川を渡り終えた。

「ああもう。余計な手間取った」

 ほうほうの体で逃げ帰るカロンの背中を睨みながら、ユイが忌々しげに毒づく。
 羽があるんだから飛べばいいって物じゃなく、河の上では渡し船以外重力が数倍になるのだ。
 ユイ一人だけならなんとかなるのだが、半人前のアスカにはまだ無理なのだ。

「んーまあ。美しすぎる私が悪いって言えば悪いんだけど…」

 今度はふんふんと楽しそうに鼻歌を歌うユイ。気持ちがコロコロ、サイコロみたいに変わる人である。
 一方、ユイや新しいご主人に甘える地竜と対照的に、アスカの表情は冴えない。魂を1000どころか3000000も貰って嬉しい反面、努力無しに手に入れた報酬に困惑していているのだ。嬉しいことは嬉しいが、宝くじが当たったみたいに実感がわかないんである。まったく努力の好きな娘よのぅ。まあ、貰って嬉しい物だから返すとかは言わないけれど。
 そしてもう一つ、ユイが魂を取るときに光の翼を見せつけるようなことをしたため、当面魔界の入り口が閉鎖されるかも知れないと言う、カロンが漏らした情報の所為だった。冷戦が崩壊するかも知れないけど、犯人を逃がしたくないと言う魔界側の意思の表れだろう。行動や意思表示が早く、そこら辺は評価できるが、今この時のアスカ達には迷惑なだけと言えた。
 閉鎖されればユイやキョウコほどの実力があっても、自在に行き来することは不可能に近い。今だって、元素竜の手助けがなかったら地獄に来れなかったくらいなのだから。
 況やアスカ単独で人間界と魔界を行き来するなど、ジャンケンのチョキでグーに勝つような物だ。

(ママ…。次に会えるのは、いつになるのかしら?)

 1ヶ月後? 2ヶ月後だろうか。
 自分が地上で過ごした時間はそれくらいでも、魔界ではその365倍の時間が流れる。その間、母は息災でいられるのだろうか。


 あの母親なら、心配すること無いんぢゃないかと思うが。


 いや、マジでな


 それにね、タマには夫婦水入らず2人っきりになりたくなるものなんだよ。



「寂しくなるな。
 …所でキョウコ、二人目が欲しいとは思わないかね!?」
「ああん、あなたっ」



 帰ってみたら弟か妹が居たりして。

 そんな天の声を無視し、まこと悪魔らしくないことを考えてアスカは沈んでいた。悪魔らしくないというのは、普通悪魔は身内の心配はしないのだ。死ねば力が足りなかっただけ、そう考える。悪魔や天使という物は主神クラスの存在に徹底的に殺されでもしない限り、いつかは生き返るからだけど。

 それでも納得いかないのか、アスカは顔を伏せて地面を見つめる。彼女の不安を感じ取った地竜が、ふんふんと鼻を鳴らしながらアスカの背中にしがみついた。
 言うまでもないが、魂強奪プレゼントしてもらうついでに貰ってきた竜の子供である。どうやら彼女達の考えではお願いによるプレゼントらしい。凄い性格だと思うが、言い出しっぺがユイなのかキョウコなのか実に興味深い。両方かもしれんけど。

『がぉーがぉー』
「ん? こぉら、そんなにしがみつかないでよ、くすぐったいじゃない」

 とっても優しい悪魔らしくない眼差しを向けながら、甘える子竜の首の下をくすぐってやる。猫みたいにゴロゴロと喉をならすところがとても可愛い。
 そんなアスカの姿に微笑ましいものを感じたのか、ユイはくすっと笑った。

「ホント、懐かれてるのね。どんな気分?」
「ど、どんな気分って言われても…。なんか、上手く言えないけど胸の奥が暖かい感じがします」
「ふ〜ん。合格かな、良い子に育ったみたいねキョウコの娘らしく
「え? なんですか?」
「なんでもなーい。
 それはそうと、大分元気になったみたいねその子も」
『がぅ?』
「一時はぐったりしていて本当に心配したけど、これなら大丈夫だと思います」

 アスカ達の脳裏にほんの少し前まで殴られ蹴られ、えぐられてぐったりしていた子竜の姿が甦った。こんな可愛い子をいじめるなんて、とふつふつと元の飼い主に対する怒りを燃やすアスカ。思い返すだけで腹立たしい。もっと暴れれば良かったと変な後悔をしたりする。

 高い買い物だと自慢した割には、懐かなかったことに腹を立てて虐待していたらしく、体中傷だらけだった。それをアスカに手当してもらってから、彼女に懐いて懐いて離れようとしないのだ。
 嫌いな相手ならともかく、小さな生き物に好かれて嫌な顔をする人はいない。それは悪魔も例外ではない。たぶん。
 それはともかく、再び甘えられて少し気が紛れたのか、母親と父親、ユイ以外には見せたことのない笑みを浮かべて、アスカは竜の鼻の頭についた角を撫でてやる。ここだけでなく喉の下も気持ち良いらしい。あと火山岩みたいにざらざらのお腹や、梟みたいな模様のついた三日月みたいな角も。
 アスカの愛撫に竜の子供はくーくーとのどを鳴らした。長くて太い尾をびったんばったんと振りながら全身で喜ぶ。

 和やかぁな雰囲気のアスカに、これは可愛いところを見せて貰ったわ。と、くくくっと声を殺して笑うユイ。

「アスカちゃん。そう言えば、その子の名前決めた?」
「え?」

 つまり、遠回しにきちんと世話するなら飼っても良いとユイは言っているのだ。
 すぐにアスカはユイの意志を悟った。唐突にユイに言われて少し戸惑うが、決めてなかったことを思いだし、どうしようかと考えた。なぜか考え込むと良い名前が浮かんでこない。

 ペンペン、キング、どれもいまいち。


「う〜む」
『がぅ〜ん』

 じっと自分を見下ろすアスカに、不思議そうな視線を返す竜。もちろん尻尾はぶんぶんと千切れんばかりにふり続けている。背中と羽根を強打されて、ちょっと痛いけど我慢するアスカ。

 君とか、この子としか呼んでなかったが、それでも自分のこととわかったみたいなので困りはしなかった。けれども、やはり名前はきちんと付けた方が良いだろう。顎に手を当て小首を傾げると、う〜んと目を閉じてアスカは考えた。

(このアスカ様の下僕1号となるのだからとっても格好の良い、それでいて周囲を威圧できるような、素敵にいかしたスペシャルな名前を付けなくては)

 ちょっと余計な雑念が入ってる気もするが、とにかくアスカは考えた。

(名前、名前…。
 確かこの子は地竜の一種、ゴモラドラゴンだったわよね)

 それも火とか雷といったブレスを吐くことができない、古代にドラゴンから枝分かれして進化した希少種だ。牛の角とは違う、三日月形の角が特徴的だ。ブレスは吐けないが地下を掘り進む速度は驚異的であり、その尾の一撃は強力無比で、人類の造った巨大城壁を一撃で粉砕したという伝説もある。
 別にアスカのペットになることを除外して考えても、人々の心に畏怖の念を呼び起こすような名前を付けるべきだ。
 ゴモラゴモラと考えて、はっと閃くアスカ。決まった、これしかない!


「ゴモラドラゴンのゴとモとラを取って、この子の名前は『ゴモラ』に決めたわ!」



 はい、元ネタに対する考察、もといつっこみ禁止。
 アスカの命名センスには存分につっこみ可。



「ふ〜ん。猫に猫って名前をつけた文豪がどっかにいたっけ。ま、いいんじゃない」

 ユイは素直にそう言ったが、やっぱりどこか変という感情は否めない。
 なんかアスカに子供ができたら、凄い名前をつけそうだとか、やな想像をしたりする。





「おっと、無駄話はここまで。着いたわよ、アスカちゃん」

 と、その時ユイは唐突にアスカの首根っこを捕まえると、飛行中だった彼女を急停止させた。息が詰まり、ぐえっとうめきを漏らしつつアスカが恨みがましい目をしながらユイを肩越しに振り返る。

「おばさま、一体…?」

 ユイの行動と言葉が理解できず、アスカは困惑した顔をする。だがユイは何も答えない。彼女の無言の視線に促されて、アスカは困惑しつつも眼前に目を向けた。

「?」

 はじめアスカはそれを岩か何かだと思った。だがよくよく見ればそれは奇妙な光沢をしており、金属のようにしか見えない。噂に聞く戦車か何かの残骸かと思ったが、それにしては形が妙にはっきりしているし、動いている。そもそもこんな所に戦車の残骸があるはず無い。
 動いている?

ギギギギギギギギィ

 耳障りな音をたてつつ、その巨体ははっきりと動いた。くすんだ黄土色の胴体内部で、赤錆の血液を循環させ、歯車の内蔵を動かし、油圧シリンダーの筋肉を使役する。重々しく立ち上がりながら、ただ一つの命令に従い、脱走者を捻り潰さんとアスカ達に迫る。

【我、ここに復活せん。バンダの意志を受け継ぎ…】

 2人と一匹の眼前に、金属の塊が立ちふさがった。
 そう、ゲッターが倒したはずの巨大ゴーレム、クレージーゴンが彼女達の目前に雄々しくそそり立っていた。クレージーゴンは地面に足をめり込ませ、地響きのような足音をたてながらゆっくりと2人に迫る。彼の背後に見える、今だふさがりきらぬ地上への通路を行かせぬ為に。

「ひ、ひぇえええっ!?
 こ、こんなのがいるなんて、聞いてないわよ!?」
「言ってなかったっけ?ごっめーん」

 腰を抜かすアスカにユイはあっけらかんと謝った。せっかくの見せ場を邪魔されたことに怒りもせず、淡々とクレージーゴンは脅し文句を投げつける。

【地獄から出ることはあいならん。下等な悪魔よ、大人しく引き返すが良い。
 さもなくば、貴様らはここではてる仕儀となろう】


 巨大なハサミのような、クレーンのような右腕を振り回し、2人を威嚇するクレージーゴン。その重量感、威圧感、たとえ鏡餅からひょろ長い手足が生えたような姿だったとしても、並の悪魔なら恐れをなして引き返すこと間違い無いだろう。
 だが、ユイは悪魔ではないし、仮に悪魔であっても、並の存在ではなかった。
 喩える極上だ!
 それもただの特上ではない、どっかの陶芸家と新聞記者が絶賛するくらいに至高で究極なのだ!

「ふっふーん♪再生したように見えるけど、所々小さなヒビが残ってるわ。
 そんな様で勝てると思ってるの!?」

 決して豊かではない(ぃやかましい!)胸を張ると、びしっとクレージーゴンに指突きつけて一気にそう宣った!

【その言葉、宣戦布告と認める】

 上半身に比べると貧相な、だががっしりとした足で踏みつぶそうとクレージーゴンは足を持ち上げ、一気に踏み下ろした。ゆっくりしていると言っても、重力に引かれたその足の速度と勢いは凄まじい。プレス機のような足の真下にあった岩は砕けちり、圧縮熱によって瞬時に溶岩になってしまうほどの一撃!

「遅い!」
「お、おばさま、手加減して…き、気持ち悪…い」
『ぎゃ、ぎゅぅ』

 だが、その必殺の一撃をユイは左手で腰の抜けたアスカを抱えて、翼を広げるとヒラリと空中に飛び上がってかわしていた。その素早い動きに、クレージーゴンは幻惑されながらも、頭部に複数存在する目…機械仕掛けのカメラアイで何とか追いかける。だが、一瞬視界に収めたと思っても、ユイの姿は瞬時に消え去ってしまう。明らかに速度が違いすぎるのだ。
 クレージーゴンが次にユイの姿を捉えたのは、彼女が動くのをやめたときだった。威風堂々と輝く翼を広げ、周囲を眩く照らしながら、ユイは眼下でノロノロと動くクレージーゴンを見つめた。
 ゆっくりと右手の人差し指を伸ばし、クレージーゴンの頭部に向ける。


「アボラス・アシッドミスト!」


 次の瞬間、クレージーゴンのごつごつした金属製の家のような形状の頭部周辺に、謎の赤い霧が大量発生した。無論、ただの霧のわけがない。

【!?画蛾我、牙臥駕!?】

 スピーカーのノイズのような悲鳴が聞こえ、じゅうじゅうと何かが泡を飛ばして煮えはぜる音が響いた。そしてツンと鼻を突く刺激臭が立ちこめる。羽ばたいて風を起こし、刺激臭を伴った白い煙を押し戻しながら、ユイは己の術の出来映えに目を細めた。最盛期ほどの破壊力はないかも知れないが、これだけの威力があればまだなんとかなる。
 霧が晴れた後にはぐずぐずに溶けて崩れたクレージーゴンの頭が不気味なオブジェを形成していた。もう、クレージーゴンの無機物の目は光を捉えることはない。

 眼下でやたらめったらに腕を振り回すクレージーゴンを見下ろしながら、ユイはまだ小脇に抱えていたアスカに目を向けた。視線を感じてアスカが、恐る恐るユイの顔を見上げる。ユイの魔法の破壊力にすっかり萎縮し、緊張していることが手に取るようにわかった。

(あー可愛いったらないわ。でもこれくらいで萎縮されたらこっちとしては困るんだけどね)

 少し苦笑する。この程度のことで驚かれては、彼女の望む存在になるなんて到底無理だからだ。だから、ユイは少しアスカを突き放すことにした。ユイなりにアスカのことを判断したのだ。アスカには実戦こそが最適の訓練なのだと。

「すごい、さすがはユイおばさま」
「何言ってるのよ。次はあなたの番よ」

 他人事みたいに言ってるアスカに苦笑しつつ、まるで『お使いお願いね』ってくらいの気安さでユイはそう言った。


「え゛?」


 アスカの顔が恐怖と困惑に固まった。つられてゴモラも怯えた目でユイを見る。甘えて良い相手に続いて、喧嘩を売ってはいけない相手に気がついたらしい。彼女のペット人生に幸せの幸あれ。

「わ、私にアレと戦えって…。え、そんな、だってアレは伯爵クラスの悪魔でないと、え?
 本当に?」
「また混乱してる。そんなことじゃシンジをゲットなんてできないわよ。なにしろ、レイをはじめすっごーく魅力的な女の子が側にいるんだから」
「わ、わたしは別にシンジを、そんな…」

 またすぐに深刻に考え込む。とユイは内心ため息をついた。シンジのことが気になってることは間違いないが、それが好きなのか単に能力に興味を持ってるだけか当人がわかってないのだろう。ユイ自身よくわかってる。すぐに好きになって欲しいと言ってるわけではないのだが、どうも一つのことに意識を向けすぎる嫌いがある。そう思った。

(ま、最初から何でも出来る、思い通りになる人なんて居ないわ。神や悪魔も含めてね)

 外見の美しさはともかく、内面はあまり受け継いでないようで良かったと言うべきか、残念に思うべきか。キョウコだったら、わかったわ!と笑い声も高らかに万歳アタックを敢行していただろう。
 それもどうかと思うが。

「それは良いからちゃっちゃと倒してきなさい。大丈夫、アスカちゃんなら勝てるわ」

 何を根拠にと、アスカは反論する。最下級の悪魔族である淫魔の自分が、伯爵クラスの悪魔と良い勝負ができるゴーレムに勝てるとは到底思えない。なまじ頭が良いからこそ、余計な想像をしてアスカの顔が蒼白になる。

「無理よ。あんな凄いのに、ただの淫魔である私が…」

 アスカの言い訳にユイは内心ため息をついた。彼女が言い訳するのは予想の範囲内だ。アスカの欠点は頭の良いことだろう。なまじデータや知識があるだけに、それに縛られて自分の限界を出し切れない。かつてのシンジと似ているが、かつての、昔の彼女はそうではなかったはずだ。

「自分を信じなさい。自分の能力も何もかも、全てを受け入れるのよ。
 知ってるのよ。あなたが周りに馬鹿にされながらも、疎ましがられながらも、キョウコ達の励ましをバネに、一生懸命努力していたことを。
 毎日毎日、地上から輸入したこんだら引っ張って走ったことも、効果あるのか疑問だらけのなんちゃらボール養成ギブスを付けていたことも。ついでに付けるだけで大きくなるブラとか…ゲフゲフ」

 余計なことまで言ってしまい、むせてしまうユイだったが言いたいことはすべて言った。
 あとはアスカ次第だ。

 アスカがただ頭の良いだけの悪魔なら、ここで終わりだ。そして十中八九、そうなるだろう。そして自信も何もかも失い、一生最下級を這いずる淫魔として生きることになるだろう。勇気が無くて、地上に行くことができない哀れで卑屈な…。そして、そんなことになるくらいなら、ユイと一緒に行かせたりしなかったとキョウコは怒り狂い、血を見ることになる。新たな神魔戦争の始まりだ。

 だがユイはもう一つの可能性に賭けた。
 わらにすがるようなか細い可能性に。だが、ユイは恐れもなくそれに全てを賭けた。

 そう、アスカがキョウコの娘であると言うことに!

 あのノリと勢いだけで生きてるキョウコの娘なのだ!

 しばらくアスカは無言でクレージーゴンを見下ろしつつ、何事か考え込んでいた。やがて考えがまとまったのか、顔を上げると地上に行くことを決めたときと同じくらい、はっきり、真っ直ぐな視線をユイに向けた。キラキラと決意を秘めて輝く瞳は美しい。この時、ユイは自分が賭け勝ったことを悟り、グッと両手を握りしめていた。

「わかったわ!おばさま!
 今までの私の努力、すべてここに解放してみせるわ!
 大丈夫、できるはずよ!前はソウルパワーが無くてできなかったけど、今の私には30万の魂の力と!」

 言葉と共にアスカの内に吸収された魂が一斉に燃え上がった。その地獄の業火もかくやと言うエネルギー量は淫魔の範疇を逸脱している。内側から溢れ帰らんばかりの熱と光で、アスカの全身が赤く輝く松明と化した。
 そう、いままで努力に努力を重ねて鍛え上げた彼女は、すでに淫魔の範疇におさまりきれないのだ。ただ燃料とも言える魂がなかったから、力を発揮できなかったにすぎない。

 赤い残像を残しながら右腕を頭上に掲げる。左手は握り拳を作りつつ胸で構える。


【声がする!そこかっ!!】


 アスカの声に気がついて、クレージーゴンがハサミを振り回し、叩きつけた!
 だが!

ガキーン!

 澄んだ音が響き、クレージーゴンの右腕が粉々に砕け散って周囲に破片をまき散らした。

【なんだと!?】

 アスカに激突する寸前、六角形をした燃えさかる炎の壁がアスカの眼前にあらわれ、巨人の背骨を叩き折りそうな一撃を完全に防ぎとめたのだ。クレージーゴンの電子頭脳は圧倒的な力に戦慄した。明らかにアスカの力は自分を越えているのだ。予測の範囲外の自体に、彼らのような思考能力がある特別製のゴーレムは弱い。

「ATフィールドがあるんだからっ!」


 ゆっくりとアスカは掲げていた右腕を下ろしていく。指先を揃え、真っ直ぐにクレージーゴンに向けると、左手は掌が右手の肘に当たるように曲げる。ちょうどアスカの頭上から見ると腕で4の字を描くように。

「あんたに恨みはないけれど。
 でも、私の栄光の未来のために!!
 ここでその礎になって貰うわ!」

 冗談じゃねぇよ!とばかりにクレージーゴンはよたよたと声から逃げ出そうとする。キャリアが長い分、JAやウィンダムよりも命という物事を彼は知っていた。それはもう必死に逃げた。
 が、目の見えない悲しさ、足が岩にぶつかり、バランスが崩れる。そうなると重心が上に偏った彼は、どぅっと地面に背中から倒れ込んだ。じたばたともがくがひっくり返った亀よろしく、どうしても起きあがることができない。

 労せずまな板の上の鯛になったクレージーゴンに、アスカが肉食獣のような笑みを浮かべる。

「灼熱魔竜ザンボラーの息吹を0.01秒間エミュレート!」

 アスカの全身が輝く。自身を強力な発振器へと変え、尋常ならざるエネルギーを放出する必殺技。かつては使うこともできなかった。実力がではなく、魂の力が足りなかったから。通常の魔力を代価にするには、彼女はまだ力不足だった。しかし今なら!

「轟炎神殺、エクスティンクション・アジェンダ!」

 右手から、アスカ自身の身長よりも太い光の奔流が放たれた!
 地面に倒れているクレージーゴンはかわす暇も、断末魔の悲鳴をあげる暇もなかった。喩えあげたとしても、それは誰の耳にも届かなかっただろう。金属が瞬時に気化するときの爆音、気化した際の圧力でひび割れ、砕け散る破砕音、貫通したエネルギーが地面を沸騰させる音が周囲に響き渡り、クレージーゴンの断末魔をかき消したのだから。

【おのれ、またしても…】

 溶岩の海に身を沈め、胸に大穴を開けたクレージーゴンは空を引っ掻くように左手を動かし、直後魔界の一角を揺るがせるほどの大爆発を起こした。



 爆発によって誘発された地震がそこら中を揺るがし、崩れた岩柱や天上の破片が雨のように降り注ぐ。そんな中、ゴモラを胸にしがみつかせたまま、ユイはアスカの元に猛スピードで急いだ。
 ユイの目には大技でクレージーゴンを倒したは良いが、初めてのこと故に加減が効かず力を使い果たし、意識を失ったアスカが写っている。最後の最後に減点とは、詰めが甘い所なんて本当にキョウコそっくりだ。

「待ってなさい、アスカちゃん!
 今行くわ!」

 眼前にて落下中の大岩を、ゴモラを棍棒代わりに殴って砕き、最短距離でアスカに向かう。
 そしてアスカが地面(溶岩)に激突寸前、その細腰をしっかりと掴むと一気に出口に向かってユイは急上昇した。急激な気圧の変化と乱暴な飛行に、耳がキーンと高鳴って少し痛いが、この際構っていられない。

「アスカちゃん!」
「うっ…ユイおばさま?私…」
「もう大丈夫。無茶を言ってごめんなさいね。でも、良くやったわ。あの対悪魔用ゴーレムを倒すなんて。見直したわ!」

 まだぼんやりしてるのか、虚空を見ながらアスカは眠そうに目を瞬かせた。

「そう……なの」
「そうよ。お疲れさま。今はお休みなさい。大丈夫、目を覚ましたらその時にはもう地上よ」
「地上…ユイおばさまの…ママの………故郷」
「お休み♪」

 そう言うと、瞼を閉じたアスカを落ちないようにしっかりと腕に抱きつつ、ユイは地上にその光り輝く翼を一杯に広げながら躍り出た。
 羽毛の一つ一つ、爪の先から髪の毛一本一本が歓喜に打ち震える。久しぶりの太陽の光を全身に浴び、ユイは気持ちよさそうに目を細めた。たとえ薄曇りの天気であってもそれはかわらない。太陽は地上に生きる、全ての生物の命の源だから。
 いつか…曇り空でない、晴天の日に翼を広げたいものだ。
 ゴモラは眩しいのかきゃいきゃいと悲鳴をあげているが、直に慣れるだろう。

「ふぅ、本当に山あり谷ありだったわ」

 一部、自分で作った山あり谷ありって気がしないでもないけど。
 だがこれで全て終わったわけではない。ユイにとって最後の試練が待っている。
 新しい同居人を腕に抱えなおすと、ユイは一路、帰りの足こと、巨大竜マクロスの待つ地へと羽ばたいた。ゲッター達は呼ぶに呼べない。自体が色々動き出しているからだ。
 辛いことが多いだろう。幾つもの別れがあるだろう
 その一方、新たな出会いや喜びもあるだろう。
 これからのことを想像し、愉快そうな、それでいて深刻な表情を浮かべながらユイは飛んだ。

 これから会いに行く昔なじみ、ユイにとっては先生にあたる人は息災だろうか。正直苦手な人なので会いたくないが、質の悪いことにその人はマクロスと同じ所に住んでいる。顔を会わさないわけがなかった。ちょっと胃がしくしくと痛くなる。

 そして彼女の義理の娘達は?

 今頃、レイとマユミは顔を合わせてるはずだ。レイが想像以上におポンチでない限り。
 仲良くしてるだろうか。ケンカして、最悪どっちかが怪我でもしてるんじゃないだろうか。
 そこに新しい火種こと、アスカを放り込んだらどうなるか。
 今更ながら洒落にならんと思い、少し顔色を悪くする。


(まあ、いいわ。苦労するのはシンジなんだし)



 まったく。



続く






初出2002/05/19 更新2004/11/23

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