いつもと同じ。
 そう思っていた。

 特に予定のない一日だからと言っても、いつまでも惰眠をむさぼれるほどシンジは怠惰ではなかった。少なくとも、今は。
 のそのそと寝床から上半身を起きあがらせ、寝乱れた寝間着もそのままに軽く一回あくびをする。精一杯背筋と腕を伸ばし、胸一杯に空気を吸い込む。ちょっと涙がにじんだ。

「…寝過ぎた気がするけど、まだ9時なんだ」

 独り言を呟きつつ、最近、独り寝が多くて夜更かししないからなぁ、と第三者が聞いたら赤面しそうなことを考える。そして、寂しそうに自分の隣を見つめた。大きなベッドにはまだまだ余裕があり、となりに1人2人寝たって大丈夫。だというのに、最近の彼は1人で寝床を暖めていた。
 気楽と言えば気楽、半年前までの生活と言えばそれまでなのだが、しかし何か納得できない物を彼は感じていた。

「なんだか…な」

 ベッドから降り、汗を吸った、白い綿の寝間着を脱ぎ捨てる。くしゃくしゃのそれを無造作に、藤の蔦を編んだ籠に放り込む。こうしておけば、後はマユミか、あるいは使い魔の灰色小人(ブラウニー)が回収して洗濯してくれる。と思っていたら、籠から小さな足がはえ、そのまま勝手に歩いて部屋から出ていった。

 そう来たか。

 少し驚いたが、それを表情に出すことなくシンジはさっさと着替えた。自分の家が、得体の知れないお化け屋敷になっていることは敢えて考えないことにした。便利だし、それで困ると言うことも特にあるわけではないし。時々、どきりとするけれど。

(まあそんなことはこの際どうでもいいや)

 外出するために着る、外気を遮断する厚い布の長袖の服でなく、屋内で過ごすための薄地の半袖で動きやすい服を着る。

「……今日は出かける気分じゃない。色々、話をしよう」

 誰かに…自分自身に言い聞かせるようにシンジは呟くと、扉に手を掛けた。彼の表情は、少しばかりいつもと違って真剣に見えた。





 先日、レイの部屋を用意した。部屋を掃除して、家具を揃えて、暑いのが苦手な彼女のために、低温結界を張って彼女が過ごしやすくする処置など、色々と大変だった。家具を運ぶとかはシンジがしたが、掃除と結界張りはマユミが行ったから、彼1人が苦労したわけではないのだけれど。

「マユミちゃん、碇君、ありがとう。感謝の言葉」

 レイが本当に嬉しそうに、頬を染めながらお礼を言ったのが、なんだか自分の事みたいに嬉しかった。その表情はとても綺麗で、無垢な宝石のようだとシンジは思った。
 それはともかく、その日の夜、色々邪な期待をしながらレイの部屋を訪ねたのだが…。


 『レイの部屋』と書かれたプレートの架かる、木の扉を軽くノックする。
 ほどなく、内側に扉が開き、扉の隙間からレイが顔をのぞかせた。シンジを見て、少し驚いたような顔をしている。

「あ、あのさ、綾波…」
「どうしたの?」
「あ、シンジさん。あの…一緒にお茶飲みます?」

 一瞬、シンジは言葉を失った。
 既に先客…マユミがいて、一緒にお茶を飲みながら楽しそうに談笑をしていたから。

(な、なんで!?)

 鉢合わせになるのを避けるため、自分と違って朝が早いマユミが、もう寝ているだろう時間を狙って訪ねたというのに。
 さすがに、この状況でいきなりレイを押し倒せるほど、強引な性格ではない。下手に期待が高かった分、体の一部を痛々しくさせるシンジ。でもどうしようもない。場の雰囲気がほのぼのとしすぎている。

(ううっ、きつい…)

 顔で笑って、心で泣いて…お茶を飲んで、クッキーを食べて退散するしかなかった。

 ならばと、後日マユミの部屋に行ったら、なぜかレイと一緒にあやとりをしていた。
 さらに後日、またレイの部屋を訪ねたら、2人一緒にぐつぐつ何かが煮える鍋の前で何ごとか怪しげな呪文を唱えあっていたりした。






 なんとなく、2人が牽制しあってるように思えて仕方ない。いや、そうと思って目を凝らしても、2人はとても仲が良くて、喧嘩してるとは思えない。ただ、シンジがそれとなくアプローチを掛けても、どういうわけかするりとかわされるのだ。

(本当は、僕が見てないところで血で血を洗うような争いをしてるとか)

 あるいは2人共謀してシンジを無視しようとしている…。

(いつの間にか2人は深い仲に!? れ、レズビアン合戦!? それはぜひ見たい!
ってそんなわけないだろ。馬鹿か僕は)

 さすがにそれはないか。自分で自分に呆れてしまった。
 しかし、まさかとは思うが…。
 思うが、一度疑念の灯火に火がつくと、どうにもこうにも忘れることが出来ない。

(ちょっと待てよ。  でも、そうだよ。変だよ。少なくとも綾波は、今すぐにでもオッケーって感じだったのに。
 なのにそれとなく誘いを掛けても反応しない)

 そのまま何ごとか考え込んでいたが、急に顔を上げるといつになく真面目な顔をするシンジ。
 どうやら、今日はその事について調べるつもりのようだ。
 無理もあるまい。すでに2週間近く1人で夜を過ごしてきたんだし。






「なにしてるんだろ、2人とも」

 自分の部屋から広間に出て、シンジが最初に目にしたのは、隣の部屋で日向ぼっこをしているマユミとレイの姿だった。砂漠の街で、あの強烈な日差しで日向ぼっこなど、自殺でもしたいのだろうか。一瞬シンジは思ったが、2人はいたって平気そうな顔をしている。マユミはともかく、熱に弱いレイにとって文字通り命取りの行為のはずなのに。

(平気なのかな…)

 不思議に思いながら近寄るシンジだったが、ほどなく彼女達が平然としている理由が分かった。

「涼しい…。太陽が優しいや」

 どういう理由か、2人のいる場所は太陽の日差しが優しかった。いや、彼女達がいるところだけでない。注意深く見てみれば、庭全体がそうだった。それに気温も低く、湿度も適当にある。驚いているシンジに気がついたマユミが、ふと顔を上げてシンジに振り返った。彼女の髪の毛と一緒に、フリルカチューシャが揺れる。少しどきりとするシンジだった。

「あ、おはようございます」
「お、おはよう…」

 もう何があっても驚かないと思っていたシンジだったが、そこから見える庭の景色に言葉もないようだ。
 砂漠の植物特有の、皮が固い、棘の生えた植物ではなく、彼が知らない植物が柔らかで緑色の葉を茂らせている。地面も硬い砂ではなく、絨毯のような芝生で覆われている。さらに、庭の真ん中にいつの間にか作られた池の中心にある海獣の彫刻からは、混じりけのない水が尽きることなく噴き出されていた。砂漠の街において最も贅沢な代物…噴水だ。

「…あの、なにごとなの?」

 植物の周囲には小鳥や蝶などが舞い、そこだけ世界や季節が異なっているとしか思えない。まだ自分は夢でも見ているのだろうか。

「これはですね、綾波さんに手伝ってもらって、庭の空間を完全に隔離したんです」
「隔離?」
「はい。気温を常に一定になるように調節して、太陽の光を和らげるような結界で周囲を囲んだんです。噴水の水は、空間をねじ曲げてナース河の水を引いてきました」

 それがどんなに凄いことなのか、魔法使いではないシンジにだって分かる。さらりと言う事じゃない。

「私1人だと大変でしたけど、綾波さんも手伝ってくれたから」

 そう言うと、マユミはじっとシンジの顔を見つめた。その目が、自分の隣に座るように促していると言うことに気がつき、シンジは静かに、肩と肩が触れ合うくらい近くに腰掛けた。
 シンジには知識がなかったので、マユミが今腰掛けている部分が、いわゆる縁側と呼ばれる物だと言うことは知らない。だが、それでもぶらぶらと足を投げ出し、庭なのか屋内なのか分からない場所にいることに、奇妙な安堵を感じていた。

「落ち着く…」
「シンジさんもですか。私もです」

 小首を傾げて、シンジの肩にしなだれかかりながらマユミは言った。ふっと感じる花の匂いにも似た彼女の気配にシンジは和む。

「綾波さんも気に入ったみたいです」

 そう呟き、自分の膝の上をマユミは見る。

「ん…」

 彼女の視線の先では、マユミに膝枕をしてもらいながら、可愛い寝息を漏らしてレイが眠っている。母親の胸の中で眠る幼子のように顔をして、どんな夢を見ているのか。

「ははは、なんだかマユミさんて、お母さんみたいだね」
「耳掃除してあげてたんですけど、いつの間にか眠っちゃって…」

(膝枕で耳掃除…。
 気持ちいいんだろうなぁ。僕だってまだしてもらってないのに)

 昔、本当に子供の頃ユイにしてもらったことが、あまりにも下手だったからそれ以後、二度としてもらったことはない。少し的外れの嫉妬をしながら、シンジは幸せそうに眠るレイを見つめる。
 なんだか悪戯したくなるような寝顔だ。
 シンジが何か良からぬ事を考えてるとも知らず、マユミは頬を染めながら言葉を続ける。後に、後悔すること確実な言葉を。

「このあと、お返しに髪の毛を梳いてもらう約束だったんですけど…」

 刹那、シンジの目が輝いた。
 奇妙に嬉しそうに笑いながら、シンジは傍らに置いてあったブラシを手に取る。

「し、シンジさん?(目が、目が怖い…)」
「じゃあ、僕がやってあげる。髪が長いと、手間がかかって大変だからね」

 言ってることはまともなのだが…。
 だが、突然の雰囲気の変化にマユミは反射的に逃げたくなる。と言うより、逃げないと。しかし、膝の上にレイがいるため、逃げることはできない。

「大丈夫、まかせて。よく母さんにやらされてたから、こう見えても得意なんだ」

(ふええーん。シンジさん、今絶対変なこと考えてる〜)

 結局、いそいそとマユミの後に廻り、後から抱きしめるシンジを無防備に受け入れるしかなかった。互いの体温を感じるくらいに顔を寄せ、シンジはそっとマユミの耳元で呟いた。

「それじゃあ、するよ」
「ふ、ふあ…(す、するって何を…? あ、ああっ!?)」

 事態に推移についていけず、おろおろしているマユミだったが、シンジの指が軽く髪の毛をふれた瞬間、自分が罠に捕らわれた獲物であることに気がついた。

「や、やはっ! は、んんっ」

 ビクビクと痙攣するように体が震える。髪の毛を梳られてるだけなのに。
 相手がシンジだからか、それともいつもより何倍も優しいシンジの手つきのせいか。マユミはまともに息をすることも出来ず、口に手を当てて溢れそうになる声を必死に押さえた。今彼女がいるのは、庭とは言え屋外なのだから…。

「や、やめて、シンジさん…」
「どうして? 僕、髪を梳いてるだけだよ」

 嘘ではない。体が妙に密着してはいるが、シンジは髪の毛を梳いてるだけだ。それ以外、何も変なことをしていない。
 しかし、マユミは苦しい息を吐きながら、小声でシンジに許しを請うのだった。

「だ、だから。その、髪の毛…はあっ、さ、触らない…でぇ」
「髪の毛触らないと、梳けないでしょ」
「わかってるくせに! …っ(だめ、これ以上声出すと綾波さんが起きちゃう!)」

 そんなマユミの気持ちは、勿論シンジはお見通しだ。ますます大胆に髪の毛を触りながら、そっと舌を伸ばしてマユミの耳を舐める。

 上半身だけを、レイが起きないように少し動かしてマユミは抵抗するが、まったく抵抗になっていない。今の彼女は籠の中で駆け回るハムスターのようなもの。どんなに動き回っても、籠の外…つまり、シンジの腕の中から抜け出ることは出来ないのだ。

「ん、んんあ。だめ、ここじゃ…、それに今はダメぇ」
「じゃあこれから部屋に行こうか」
「…だめ、綾波さん起きちゃう」

 下半身を動かしたら、声を出したらレイが起きるかも知れない。だから首だけを仰け反らせ、手で口を覆って声を殺し、マユミは全身を桃色に染める。
 そんなマユミの反応に気をよくしながら、シンジは大胆に腕を伸ばすと、マユミの鎖骨がのぞく襟から手を突っ込み、大胆にも直に彼女の胸を愛撫しはじめた。さらに強引に上着を下に引っ張り、ブドウの皮を剥くように彼女の肩を露出させると、シンジは飴をなめるように、彼女の肩に舌を這わせはじめた。

「はぁっ! ……っ……んんぅ…ぁぐ」

 すっかりメイド服が着乱れ、乱れたところから腕を差し入れられて体を愛撫される。そして剥き出しにされた肩を、犬みたいにペロペロと舐められている。それも、もしかしたら誰かに見られてるかも知れない庭で。
 自分の姿を誰かに見られてるかも知れない…。そう考えるだけでますますマユミの心も体も震えが走る。

「んあ、あっ、あ、ああっ。ダメ…お願い。しないで、それ以上は」

 これ以上されたら、我慢できなくなる…。
 それは、レイとした約束を破ることになる。だから、マユミは唇から血が出るほど噛み締め、甘美な快感に耐えるのだった。

「だめ、だめよ。感じちゃ、声を…出しちゃ、はぅッ!」

 そうなるとますます燃えるのがシンジなのだが、しかし、さしものシンジもマユミの様子が普段と違うことに気がついた。こんな風な反応をされると、それはそれで楽しくて嬉しい。しかし、なんとも複雑な気分だ。

「ね、ねぇ。マユミさん」

 おずおずと、彼が今していることをのぞけば、ふだんと変わらない口調でシンジが尋ねる。

「…は、はい?」
「どうしてそんなに嫌がるの。なんか…強姦してるみたいなんだけど。
 その、理由があるなら教えてくれないかな」
「そ、それは…」

 今も幸せそうに眠るレイの顔を見下ろし、困った顔をするマユミ。

(どうしよう。その時が来るまで話さないって約束したけど、でも、このままシンジさんに秘密にし続けることも)

 しかし、約束を守って口を閉ざし続けたら、シンジはまず間違いなく行為を続けるだろう。マユミは、シンジの執拗な責めを我慢できる自信がない。もう一つの約束を守りきれないだろう事は明白だった。
 マユミが困った顔をしていることに、シンジは違う意味で不安に襲われる。

「僕のこと…嫌いに…なったんだ。そう…ごめん」
「ち、違うんです。そうじゃ、そうじゃないんです。誤解です。
 好きです。私はシンジさんのこと、誰よりも愛してます」
「じゃあ、どうして? マユミさん、あからさまに僕のこと避けてるじゃないか」

 なんでこういうことには鋭いんだろう。と疑問に思う間もなく、マユミはどうすればいいのかと考え込んだ。レイとした約束について…話すべきなのか、それとも…。
 シンジに誤解させたままでいたくない。でもレイとの約束を破るわけにも…。

(わ、私…どうすれば良いの?)

 無言でいるマユミに焦れたのか、シンジは無意識の内にマユミの服の下の指を動かした。
 弾かれたようにマユミの体が震える。

「んっ…! ああんっ」

 思わぬ不意打ちに、遂に堪えきれずマユミの口から甲高い声が漏れた。ピクリとレイの体が動いたため、反射的にマユミは口をつぐんだ。その眼にはキラリと、涙が浮かんでいる。
 マユミが落ち着くのを待ってから、シンジは言葉を続けた。

「マユミさん? 教えてくれる?
 僕のこと、嫌いじゃないって言うんなら」
「あ、あの、でも…はぁん!」

 シンジの体が僅かに身じろぎした瞬間、またマユミの体が震えた。
 そして、遂に耐えきれなくなったマユミは、荒い息を整えることも出来ずに、とぎれとぎれに言葉を漏らすのだった。

「………い、言います。言いますから、だから、お願い…やめて…下さい」

(綾波さん、ごめんなさい。でも、でも…もう耐えられないの)





























 さて。その頃、今回の話の主人公達は…。

 風が轟々と吹きすさぶ。
 砂を巻き、小石を飛ばし、大きな岩であっても転がし、砕き、砂へと変える。

 風だけが世界に存在する全てと、錯覚しそうなほど荒れ狂っている。砂を巻き上げ、岩を削り、粉塵混じりの雨を降らせながら風は荒れ狂う。まるで生物の存在を否定するように。いや、ろくに雨も降らず、空気が薄いために常に低温に包まれた岩だらけの場所なのだから、風が無くても、まともな生物なんてほとんど存在できないだろう。

 だが、その不毛地帯に三つの生物の姿があった。
 内2つは生物学的に生物と言っていいかどうかはわからないけれど。
 そう、言わずと知れたユイとアスカ、そして地竜の子供1匹である。
 地獄を脱出した後、何があったのか不毛の山脈を登っているらしい。いったいどこに行くつもりなのやら。

「ふぅ、ふぅ、ふぅ…。
 どうしても私がこんな事を(ブツブツ)」

 フードをすっぽりとかぶり、自慢の髪の毛も翼も尻尾も、玉のお肌も全部厚手の服の下に収納したアスカがそう呟いた。一歩歩く毎に踵が沈み込む砂地を呪わしく思いながら、すでに無意味な繰り返しになった言葉を呟き続けている。既にこの不毛の山に入ってから数時間。
 疲労と苦痛に大分混乱しているようだ。山に入った当初の元気の良さも既になくなっている。その怨嗟にまみれた視線は、さながら1話のトウジ達のよう。これでさっきまでシンジがしていたことを知ったら、どんなに怒り狂うことか。シンジにとっては、死ねと言われてるような喩え話ではあるが。

「なんで山登りを…。どうして、どうして?」

 その視線が集中しているアスカの相棒こと、若干元気が良さそうなユイが、励ましの言葉をかける。

「………アスカちゃん、きついのはわかるけどそれ以上喋らないで。余計疲れるだけよ」
「でもおばさま! いつまでこんなネズミ一匹いなくて、植物一本生えないような所を登らないといけないんですか!」

 風が顔に当たりまくることも無視し、アスカはフードをはね除けると、10回目になる質問の言葉を発した。直後砂混じりの風が怒濤の勢いで顔面を強襲したため、大急ぎでフードをかぶり直す。

「てててて。
 もういやぁ。空を飛べないくらい風が酷くて、重力が強い山があるなんて、地獄よりタチが悪いじゃない。こっちの方がよっぽど地獄だわ」

 風に転がされた岩の塊が時々横を通り抜けたりするし危ないったらない。
 最初の頃こそ存在した岩ネズミ、鳴きウサギ、大鷹といった生物は姿を消し、全身を透明な葉で包んだ高山植物も姿を消している。これは精神的にかなりきつい。色々あって肉体を手に入れたアスカだが、それと同時に疲れるとか色々不都合な感覚も初体験。ユイ以上に参っている。

「そりゃまあ、仕方ないわよ。
 この山に住んでるマクロス君達、凄い人間…と言うかよそ者嫌いだもん。どっちか言うなら、この程度の風の結界を張ってるだけなのが不思議なくらいよ」
「だからと言って世界最高峰に挑戦したくありません」
「違うわよ、この山は世界8位で上には上が」
「あげ足を取らないで下さい! そう言うことを言ってるんじゃありません!」

 なんかこの期に及んでのんきな口調のユイに、アスカもブチブチと脳の血管が切れていくのを感じていた。タダでさえ気が短い彼女だが、ユイはその気持ちを煽るようなことを平気で宣うのだから。母親の性格のおかげで結構辛抱強いと自分で考えている彼女だったが、実際はそうでもないことを今、嫌と言うほどに思い知らされていた。

「バカァ! バカバカバカァ! おばさまのバカァ!
 もうイヤー」

(う〜む、本気で泣きが入ったわ。色々とまずいわね)

 ユイ相手に文句を一息で言うと、肩を震わせて嗚咽をあげている。このままほっておくと、本格的に泣き出してしまうかも知れない。
 そんなアスカの様子に、さすがのユイも自分の失策を悟った。やはり、ズブの素人に4000m級の登山は無理だったか…と。当たり前だ。
 ついでに敬語だと誰かさっぱり分からないわね、とか考えたりした。

「うっうっうっ。もう、やだぁ。暖かいベッドで寝たい、美味しいご飯が食べたい、もう風はいやぁ。魔界に帰りたいよぉ」

 ついにしゃがみこみ、幼児みたいに体を震わせて泣き始めるアスカ。形のはっきりわかる相手との戦いならともかく、戦いようのない、つまり勝ち負けがはっきりしない気候や環境による攻撃は苦手なのだ。はっきりと目で見える、手で触れる物でないと理解することが苦手と言える。
 こういう精神的な物事は、耐えれば、乗り切れば勝ちだという御仁もいるかも知れないが、そんなアスカにとって後ろ向きで、気の長い考えは理解できないのだ。基本的に攻撃されたら『防御するくらいなら反撃、反撃ぃ!!』と考えて生きてきたわけだし。
 そんなアスカに『頑張れ』ってな感じで、ゴモラが体をこすりつける。こいつはアスカ達の様子に反してかなり元気だ。もともと岩から生まれた様なもんだから、風が多少強くても、岩だらけの環境は古巣に帰ったも同然なので元気なのだ。

『ぐぅ〜』
「ほらアスカちゃん。ゴモラも元気だせって励ましてるわよ。もうちょっとだから、頑張って」
「いやいやいやぁ〜〜。もう一歩も歩きたくなーいー。山はイヤぁ、砂はイヤぁ、風はイヤぁ〜〜」
「そんな駄々ばっかりこねても仕方ないでしょ。置いて行くわよ!」
「やだやだや〜だ〜〜〜!
 どうしてこんな所に来なきゃいけないのよ〜! もうイヤぁ〜〜!!」


 こいつ、ホンマモンの駄々こねてやがる!


 それも筋金入りの!
 地面を転がって全身全霊でダダをこねるアスカに、ユイは胃袋から深く吐き出すようなため息をもらして戦慄した。どないな育て方しやはったんや、キョウコの奴はと、お里が知れる方言混じりの言葉で考えたりする。
 しっかり自分のことを心の棚に上げて考えるユイであった。
 たぶん、キョウコがレイにあったら同じ事考えるだろうなぁ。

 アスカという素材を、愛情一杯で育てるとこうなるのかと変なことを考えつつ、ユイは真剣に困った。らちが開かない。
 正直、本当に置いて行ってやろうかとも考えたが、それでは本末転倒だ。なんとしてもアスカは家に連れて行かねば。だが、アスカの駄々の様子を見るにつけ、これ以上歩かせるのは難しいだろう。

(どうしよう。このままここでぼんやりしてるわけには行かないわ。なんとしても今日中にアンノ…マクロスの所に行かないと)

 この山をこの人数で夜を越えるなど、自殺行為だ。風がやむ替わりに、今は姿を隠している魔物達が姿を現すだろう。

(さて、どうしたものかしら)

 顎に手を当ててユイは考えた。方法は幾つかある。
 まず、脅して無理矢理歩かせる。…論外。
 脅しすかしが上手くいったとしても、根深い溝を2人の間に造り、あとあとまで尾を引くことになるだろう。表面上、その溝が見えなかったとしても、土壇場になったとき、その溝が表面に現れるかも知れない。今後のことを考えると、あまり良い考えとは言えない。

 そしてもう一つは、何らかの方法でアスカに自分で歩かせずに目的地まで運ぶことだ。
 馬とかがあったら、それに乗せて運ぶと言うことだ。
 しかし…。

(アスカちゃん、私より体格良いのよね)

 当たり前だがこの場に馬なんていないし、いたとしても数時間と生きてはいられまい。となるとユイがかついで行くしかないのだが、ユイは自分より大きいアスカを担いで登るなんて疲れることはしたくなかった。遠回しにアスカは重いと言ってるも同然だ。
 なにか適当な騎乗動物を呼び出すという手段がないではないが、ユイにもアスカにも瞬時に召還が終わるタイプの、召還魔法の心得はなかった。攻撃魔法なら、星の数ほどもあるというのに。
 ゴモラがもっと大きければ良かったのだが、いかんせん今は犬ぐらいの大きさしかない。
(マユミちゃんかレイがいればなぁ)

 いない人を相手に、たら、ればと仮定をしても仕方がない。

(さて、となると空を飛んでショートカットするという方法があるけど…)

 歩くのがイヤなら飛んでいく。…この場で舌噛む方が手間かからなくて良い。
 この暴風の中を飛ぶなんて、いかにユイであっても無理だ。風に巻かれて翼を折られ、岩肌に叩きつけられて、血を吸った蚊のように体液まき散らして死ぬことになるだろう。あまり見目良い死に方とは言えない。本性を晒せば飛ぶことも不可能ではないが、本性を晒すことが不可能なので結局不可能。ユイが飛べないのなら、当然アスカにも無理だ。

 飛ぶことができれば話は簡単だったのに。ギリギリとユイは歯がみする。
 とある約束事のため、彼女はこの地上ではかなり力を制限される。具体的に言えば空の見えない状況でない限り、彼女は翼を出すことができない。深い森の中、地底、曇り空といった環境でないといけない。余談だが雲は彼女達の眼下にある。つまり、能力の8割を封じられたも同然だ。

(あのクソ野郎どもめぇ。ああ、今頃になってまた腹が立ってきた…!)



 過去のことと駄々をこねるアスカに怒りのボルテージを沸々と上げていくユイ。場所が高地だからか、沸騰点も低くて沸き立つのも早い早い。
 と、その時。
 ユイは空の一角に、なにかゴマ粒のような物を見たような気がした。

(なに?)

 瞼をパチパチとさせ、なんだろうと意識を向ける。今は悪目立ちする光の翼を出してこそいないが、気がつかれたのかと緊張で全身を硬直させる。

(ちょっとちょっと冗談じゃないわよ)

 だが、改めて視線を向けるとそこには何も見えなかった。イヤになるほど青い空だけが目にはいる。

(錯覚? ならいいけど…。
 今ここで天使に会うのは勘弁して欲しいわ)

 この辺りは人里離れていて、なおかつ空に近いためか天使が多数存在している。なんでも天使の避暑地があるらしい。遊んでないで仕事しろ。いや、仕事されたら色々面倒だから遊んでいて欲しい。
 それはともかく。
 天使は滅多に出会うことはない相手だが、翼を出せない、つまり飛べない彼女達が戦える相手ではない。下級天使でなく、中級以上の天使だったらいいようになぶられてしまうだろう。
 高速で空を飛び回り、姿を見えなくして敵の背後から襲いかかる。その攻撃も剣で斬りつけるとかではなく、雷を落としたり、敵の全身を塩に変えるなど陰険な攻撃を好む。神の名を盾に、好き放題する冷酷無惨な殺戮者共。特に女であるアスカ達に対する攻撃は目に余る物があるだろう。
 とある奇縁から、天使に詳しいユイはしばらく周囲に首をめぐらせて睥睨し続けた。アスカの駄々はまだ続いているが、当面無視だ。つーかいつまで続くかそっちの方が興味深い。いずれにしろ、本当に天使だったらそれどころではないのだから。

「お腹空いたママ〜〜〜〜!!」
「………」

 錯覚かと思ったが、よく見ればゴモラが足を真っ直ぐに伸ばし、背筋を猫のように丸めて唸り声をあげている。ゴモラの野生の勘を信じるなら、明らかに何かが、それも容易ならざるものが近くにいると言うことになる。
 周囲を静かに見回す。一つ一つ確認していく。青い空、灰色と黒い岩肌、眼下に見える綿菓子のような雲、弾ける雲の一角と、そこから飛び出す影…。
 影!?


「しまった、雲に隠れて!」
「え?なにごと?」

 ようやく気がついたのか、きょろきょろするアスカ。そしてゴモラがみーみー、猫のように鳴きながらアスカにしがみつく。
 ユイは目を見開いて叫んだ。そうこうする内にその影は凄まじい速度で2人に迫る。

【クカァアア────!!!】

 隼やツバメを遙かに上回る速度で、その影はユイ達の目の前に躍り上がった。風圧で砂をまき、衝撃波で岩を吹き飛ばしながら。
 ユイ達の眼前で急停止し、見せつけるように振り上げられた真鍮のような爪や嘴が、陽光を浴びてキラキラと輝く。アスカは雲もない状況で、太陽が隠れるという現象に驚くこともできないでいる。

「あ、あ、あ、あああ…」

 暴風を問題にしない強靱な翼は力強く羽ばたき、空を引っ掻く鷲の鈎爪は、人間を2、3人まとめてつかめそうな大きさだ。純白の翼の、縁の部分だけが黒くなっておりそれが死に神の髑髏の黒い眼窩のようにも見え、奇妙に乾いた恐怖を感じさせた。

「お、おば、おばおば」

 そして地面に降り立った、豹に酷似した黄色に黒い斑点がついた、大型の猫科動物の下半身はがっちりと爪を岩肌に突き立てる。彼女達の頭上から、縦に割れた瞳孔がギロリとユイを、アスカを、ゴモラを睨み付けた。

「ひぃいいいいっ!? グリフォン!?」

 説明ありがとー。

 まだ寝っ転がっていたアスカが驚きの悲鳴をあげた。キメラは色んな種類、亜種がいるのだが、地獄でよく似た生物を見た記憶があるから間違いようがない。
 その名もグリフォン。黄金を守る者。
 グリフィンと呼ばれることもある、鷲の翼と上半身に大型の猫(大抵ライオン)の下半身を持つ伝説の魔獣だ。主に人が近寄らない雪深い山岳地帯に住み、地面に埋まる黄金を守っていると伝えられている。故に金鉱を探す人間は、まずグリフォンを探すと言う。ではあるがそれは命がけの作業だ。単純な能力はドラゴンに譲るが、その飛翔能力と獰猛さは、ドラゴンですら手に余るのだから。
 とは言うものの、強力ではあるが本来ならアスカの敵とは言えない程度の魔獣だ。言い方は悪いが飛んでつつくしか攻撃方法がないのだから。もしくは掴みあげて、空高くで離すとかか。飛べるアスカには、あまり有効とは言えない攻撃方法と言えよう。
 だが、アスカはまるっきり勝てる気がしなかった。いつもの自信が欠片も湧いて出てこない。今自分の体勢が隙だらけだと言うこともある。
 だが、勿論それだけが原因ではない。原因の一部だ。
 一番の原因とは…。

「で…でかい」
『ぎゅう〜』

 呆けたアスカの呟きとゴモラの悲鳴が示すとおり、そのグリフォンは彼女の知るどのグリフォンよりも大きかった。普通のグリフォンの大きさは、精々が大きめの馬ぐらいであり、空を飛ぶ魔獣であるが為に、体重も400〜550kgしかない。
 だが目前にいるグリフォンの大きさは、それらを遙かに超えてもの凄かった。
 見上げるアスカは無意識の内に唾を飲み込む。

(象を掴んで空飛べるわこいつ)

 その言葉が全てを言い表しているだろう。
 地面から背中までの高さは軽く5mを越している。体重はトンを超えているはずだ。喩え鳥と同じく、中空の骨を持っていたとしても。
 翼を広げたら何メートルになるだろう? 伝説のロック鳥やガルーダ、サンダーバードと勝負が出来る大きさではないだろうか。
 つまり、馬どころか象と同じくらいある。並のドラゴン程度なら、容易く彼の昼食だ。
 アスカは自分の腕力にかなり自信を持っているが、このグリフォンが相手では5分と保たずにのされてしまうだろう。冷たい汗がこめかみを流れるのを、予想ではなく確信と共にアスカは感じた。

「な、何よこいつ、まさか私達を食べる気なんじゃ…」

 そ、それは困る。
 女の子って脂肪が多いから美味しくないわよー。


「ゆ、ユイおばさま!」

 その動作に驚いて、アスカは跳び上がるようにユイに向き直った。こんな魔獣というより怪獣みたいなのを前に視線を逸らすのは恐ろしかったが、それでもユイに頼らないわけには行かない。いかに恐ろしい魔獣でも、ユイなら何とかしてくれる。そう思ったのだが…。
 だがアスカの予想は外れた。確かに何とかしてくれたが、それは彼女の予想とまったく違う何とかだ。
 振り返ったアスカの視線の先では、ユイが嬉しいような、困ったような何とも複雑な表情をして固まっていた。

「ユイおばさま?」
「………はっ、意識が飛んでたわ」
「意識が飛んでたって、図太いというか何というか。それはともかく、グリフォンですおばさま! それもでっかい!」
「ええそうね。グリフォンロード、別名ヴァーミリオンスカルって呼ばれるだけのことあるわ」

 そう言いつつ、うんうんと頷きを繰り返すユイ。
 グリフォンはもっと言え、もっと誉めろと言うように羽を広げると【ケェー!】と鳴き声を上げた。

【ケェー!クワケケェ───!】
「お久しぶりね」
「はい?」

 困惑するアスカとゴモラをよそに、ユイはうんうん頷きを繰り返しながら、どっかの主婦の井戸端会議みたいに、相槌を入れつつなんか言う。それに合わせてグリフォンも首を振りながら、時折鳴き声を上げ続けた。

【クカァ、ケェ、クエクエ、ケェアア────ケッ】
「あなたまだ未練残ってるの?
 あっちは綺麗さっぱり未練無いって言いきってたけど。
 諦めきれないって気持ちは分かるけど、だからってこんなところを彷徨うなんて。端から見たらただのストーカーじゃない」
【クェッ!】
「ほっとけって、そりゃほっとくわよ。なーにが浮気は男の甲斐性よ。
 その愛か偏愛か知らないけど、それをちょっとでいいからナオコさんやリッちゃんに向ければいいのに。苦労だけかけさせて。
 はいはい、確かに昔は凄いラブラブだったわよあなた達は」
【ケケェッ!】
「今も? そう思ってるのはあなただけかもね」

 なんでか大いばりで胸を張って首をそらすグリフォンに、ユイは頭を掻いて嘆息する。
 ワケわからないけどわからないなりに、置いてけぼりにされてアスカはちょっと拗ねた。でもこの状況で口を挟む気は、さすがにないようだ。かがみ込んでゴモラを抱きしめつつ、砂をキャンパスに地面に落書きしたりする。
 アスカをよそにユイとグリフォンの会話は続く。

【クワケケッ、ケケッ】
「親はなくとも子は育つ? ミライちゃんが死んで悲しかったのはわかるけど。
 あんたがそんなだから、リッちゃんもナオコさんもあんたから離れたのよ。あげくリッちゃんとナオコさんは、今親子喧嘩の真っ最中だし」
【ケェ〜〜〜〜】

 それまで偉ぶっていた態度から一変、グリフォンは飼い主に吠えてしまった犬みたいに項垂れる。呆れ返るようにユイは肩をすくめた。

「で、とどのつまりよりを戻したい?情けない男ねぇ。別に私を仲介にしなくても良いじゃない。
 え? 直に会いに行ったら殺される?
 そりゃまあ、あなたの浮気が原因なんだから当然よね」
【クワァ、クカックエクエ】
「先輩仕込みだから仕方がない? 死んだ人を引き合いに出すのはちょっと感心できないわ。
 本音はナオコさんより何より、マクロスが怖い? 変なところが正直なのねぇ。
 …ああもういい年した人間で言えば40過ぎた男が泣くな! 鬱陶しい!
 一応伝えるだけ伝えるわよ!」

 その後も何か色々話し合う2人だったが、やがて話がまとまったのか、グリフォンは妙に浮かれ、対照的にユイは疲れた表情をした。
 話は終わったと見て、アスカは立ち上がると恐る恐るユイに話しかけた。

「おばさま…どうなったの?」

 嘆息しつつも、ユイはアスカに事と経緯を説明した。

「まあ、一言ズバリで言うと彼、このグリフォン君は目的地近くに住んでいるナオコって言う、私の友達の旦那だった人なのよ。今は違うんだけど」
【クワケクケ!(違わない!)】
「うるさい、黙れ。
 ともかくね、よりを戻したいけどナオコさんに直接会うのが怖いから、仲介してくれって頼んでるのよ」
「情けない奴ぅ」
「まったくだわ。そのかわり近くまでの足をしてくれるって事で話を付けたのよ」
「さいっこー! いい人だわ」

 ゴキブリでも見るような目だったのに、一転して頼れるおじさまを見るような目になるアスカ。さすがのユイもちょっと引きそうな変わり身だ。

「その年でそこまで身につけてるとは、なかなかやるわね」
「ママの教育のたまものです」
「アレの教育〜?
 冗談だってば、そんな目で見るのやめて。それはともかく、行くわよ」

 勢い良くユイは跳び上がると、軽やかにグリフォンの背中に飛び乗った。ゴモラを抱えたアスカが後に続く。
 背中にユイとアスカが跨ったことを確認すると、グリフォンは幅14mはある巨大な翼を広げた。羽毛がキラリと陽光を反射し、岩山を照らす。ふと、ユイは昔の彼の呼び名を思い出した。

(大空を行く、白銀(しろがね)の翼…か)

【クカァ────!!】

 そしてグリフォンは暴風渦巻く空へと舞い上がり、風の壁を突き破ると、一路巨大要塞竜マクロスの住む(ナオコの住む)場所へと飛び去った。
 物言わぬ白銀の羽毛を後に残し。











「アスカちゃん右手をご覧下さい〜」
「ガイドの真似事…面白いですか?」
「全然」

【ガァ───!(おたくら人をバスと一緒にするな)】











Monster! Monster!

第19話『マクロス リメンバーミー』

かいた人:しあえが











 で、色々あったがユイ達は目的地(正確に言えばその近く)に辿り着いた。省略しすぎた感じもあるが、グリフォンの速度が速かったのだから仕方がない。

「ばいばい♪」

 空高く舞い上がり、音よりも速くマクロの空を貫いて飛び去るグリフォンを見送った後、ユイ達は改めて目前にそびえる山を見つめた。
 奇妙な山だった。
 周囲の山々が溶岩が固まった黒い岩で覆われ、頂上付近だけが白い雪化粧に覆われている中、その山だけは全てが花崗岩か何かでできているように白い山肌をしていた。山脈の一部だから正確に測れるわけではないが、高さは色が変わってるところから測って400mくらい。小さいわけではないが、大きいわけでもない。
 ただ、素人の目から見ても普通とは思えない山だ。形も餃子を横に寝かしたようで、普通とは言えない。

「なにあれ?」

 正直な感想をアスカは述べる。真っ黒な山の中に、一つだけ白い山があるのだから、アスカの感想はしごくまともだ。

「あれこそ、私達の目的地。神山アンノンよ」
「へぇ、でもドラゴンが住むにしては小さくないかしら?」

 あくまでアスカの知っているドラゴンの住居と比べての感想なのだが、アスカは小さいのではないかと思った。マクロスなるドラゴンのサイズがどの程度なのか知らないが、超巨大要塞竜という二つ名があるくらいだから、ガイガンとかカイザーよりも大きいだろう。それにしてはあの山は小さすぎるように思えた。
 アスカの言葉に、ユイはなかなかよく考えると素直に感心する。ただ自分の常識の範囲内の物事に、考えを縛られてるきらいがあると感じたが。

「良い線行ってるわね。確かにマクロスが住むにしてはあの山は小さすぎるわ。でもね」
「でも?」
「私がいつ、マクロス君があの山に住んでるって言ったかしら?」

 少しアスカは面食らった。確かに、ユイはマクロスが住んでいるとははっきり言わなかった。ただマクロスという竜が居て、第三新東京市まで運んでくれるとしか言わなかった。
 それがどこにいるか聞いたときも、ただゾグ山脈にいるとしか言わなかった。アンノン山にいるとは言ってない。しかし、ユイの言葉を聞いたら、アンノン山に住んでいるとしか人は取らないのではないだろうか?
 ユイは時々、謎めいた言葉を漏らすから困る。
 混乱して頭を抱えるアスカを落ち着かせると、ユイはゆっくりゆっくりとアンノン山に向かって歩き始めた。

「ゆ、ユイおばさま!」
「大丈夫だから、あなたはそこでしばらく待ってなさい」
「…はい」

 正直不安でしょうがないが、他ならぬユイの言葉である。アスカは大人しくその場に待ち、どんどん遠く小さくなるユイの背中を見つめ続けた。
 そのうち、アスカは不安と焦燥感でいても立ってもいられなくなり、同じくキョトキョトと周囲を見回すゴモラを胸に抱きしめると、戦場に出立する恋人を見送るような目でユイを見つめた。
 5分、10分と時間が経ち、ユイが山に近づくにつれ、微かに地面が揺れ始める。地震だろうか。
 それと同時に、奇妙な気配が周囲を包む。四方八方から、1000の目で睨まれてるように全身がむず痒い。

(なに、なんなの!? このもの凄い威圧感は? まるで、まるで…)

 まるで…。喩える物が思いつかない。
 いや、たった一つ思い出したものがある。
 地獄で一度だけ見た、大魔神の一人を目前にしたときとよく似た威圧感だ。もっともその悪魔は、なわばり争いで『エースキラー』という魔神に負けて、大分威厳と力を失っていたと言うが…。
 その悪魔の名前は『リバイアサン』、巨大な大河の化身…。



「まさか、山全体が!?」

 その時、山が動いた。
 アスカの言葉を合図にしたように、爆弾のそれのような轟音と共に土砂が吹き飛ばされた。続いて、その穴から8本の巨大な足が、土砂を押しのけるように生えた。形はロストワールドやサベッジランドに生き残る、古代生物の雷竜に酷似しているが、その太さと大きさは比べ物にならない。皺だらけのそれは直径だけで50mはある。同じく、牛の角のように湾曲した赤い角が、頂上付近の峰を挟むように4対生えてきた。地鳴りは一掃はげしくなり、地面に撃ち込まれていた長い尾がゆっくりと引き抜かれ、姿を陽光の下へとさらしだされていく。

 そして最後に、ユイのすぐ目の前に変化が起こった。白い山肌にヒビが入り、一瞬の後には、瀬戸物が割れるように粉々に砕け散ったのだ。もうもうと数百メートルサイズの粉塵が舞う中、ゆっくりと亀か、あるいはトカゲに酷似した頭がユイの眼前に突き出された。ただし、サイズは頭だけで150mはありそうだが。

 巨大な頭はしばらく目(複眼と単眼が10以上ある!)をパチパチとさせ、まるで寝ぼけている頭をはっきりさせるように、しばらく上下運動を繰り返していたが、やおらその動きを止めた。

(な…にぃ!?)

 唐突にアスカの心の中に深いアルプスホルンのような声が響き渡った。

『誰だい? 私達の領域に入ったのは』

 しごく穏やかな声だったが、それでも全身を地面に叩きつけられたような衝撃にアスカは身もだえた。影響がない、あるいは聞こえてないのか、ゴモラが心配そうにアスカの体にしがみつく。その爪や体のざらざらした感覚で、かろうじて意識を保つことができたが、それでもアスカは意識を失わないように、必死になって意識の深淵の縁にしがみついた。

『おや、懐かしい顔だ。碇ユイ。久しぶりだねぇ』
「お久しぶり。マクロス君。それともアンノン君と呼ぶべきかしら」
『ははは、私達にとって呼び名なんてそんなに大事じゃないよ。好きに呼ぶと良い』

 なぜかユイの声が聞こえたが、アスカにはその不思議な事実に構う余裕がなかった。

(まさか…私が…声だけで)

『ぐぅ〜〜〜』

 瞼を閉じ、アスカは膝からくずおれたのだから。そう、声の持つ力に押され、そのまま気絶してしまった。そんなアスカに、ゴモラが鳴きながらしがみつく。しかし、アスカは目覚めようとしない。
 いかに山登りで疲労していたと言っても、アスカを声だけで気絶させるとは、恐ろしい実力の持ち主だと言えよう。











「うはっ!」
「あら、目が覚めた?」

 次にアスカが目を覚ましたとき、彼女はユイと一緒に広いホールのような所にいた。光量を微妙に変える、薄赤い不思議な色の壁が周囲を取り巻き、どこか滑らかな光沢を持った柱が幾本も天井を支えている。
 アスカが慌てて上半身を起こしたため、胸の上で寝ていたゴモラが、一気に床まで転がり落ちる。そして転がって転がって、ゴモラが遠くの柱みたいな物にぶつかって止まった時、アスカは自分の状態について考える余裕を取り戻した。

(一体何がなにやら)

 だだっ広いホールの中心には赤い羅紗の絨毯が敷かれ、その上に水竜の革張りのソファーと、指紋を付けることに恐れを抱きそうなクリスタルガラスの机が置かれている。アスカは、クッションを敷いたソファーのに寝かせられていた。すぐ横ではユイが上質の陶器のカップに入れられた、これまた上等の紅茶を楽しんでいた。その手慣れた仕草に母親同様、高貴な生まれであることを感じさせる。

「こ、ここは一体…?」
「ごめんなさいね、気絶するとはさすがの私も思わなかったから。もう大丈夫?」
「おばさま、ここは一体? さっきのことと言い、私もう訳が分からないわ」

 人間の女の子みたいに混乱するアスカに、少し逆境に弱いと感じつつもユイは肩をすくめた。誤魔化す必要もないし、ナオコがここに来るまでの間の暇つぶしになると、順を追って一つ一つ説明を始める。
 なんでかわざわざ眼鏡を取りだしてそれを装着するユイ。気分はすっかり女教師だ。

「順を追って説明するわね。まず、ここがどこか!
 ズバリ答えるとここはマクロス君の体内よ」
「体内ぃ? まさか、さっきの夢で見たでっかいトカゲは!」
「トカゲってあなたねぇ。まあ、その通りよ。
 神山アンノンこそ、超巨大要塞竜マクロス君そのものなのよ。ちなみに真っ白に見えたのは垢が溜まっていたからだって。ばっちいわね」

 最後の言葉はよく聞こえなかった。その前の言葉が示す意味に、アスカはすっかりと気を奪われていたからだ。
 ユイの言葉が正しいとしたら、マクロスの体高は最大400mに達し、全長は1.2km近いと言うことになる。ゲッターやライディーンですら50mくらいだから、その大きさは驚愕という言葉でも追いつかない。

「ふぁああ、スケールがでかいわ。
 え、待って下さい。今、私達がいるのは、その体内って…?」

 驚きつつもアスカの顔色が悪くなった。
 ユイはさらりと体内と言ったが、それはつまり呑み込まれたと言うことだ。いつ消化されるのかとまったく気が気でない。そう思うと微かに赤い壁面が恐ろしくて仕方ない。今いるところは、もしかしたら胃袋なんだろうか。

 洒落にならない。
 いつ消化液を噴き出すのだろう。あるいは足下が粘つきはしないかと、おどおどびくびく周囲を見回すアスカ。
 そんな姿にユイは笑った。まったく、可愛いったらありゃしない。

「安心しなさい。食べられたわけじゃないんだから」
「でも…」
「もう少し説明しましょうか?
 マクロス君はね、複数の竜の集合体なのよ。それはまあ、ゲッター君もライちゃんもアイスちゃんも一緒なんだけど、彼の場合それがかなり特別なのよ」
「どういうことですか?」

 心配ないとユイの言葉に、持って生まれた好奇心がうずき、アスカは猫みたいに耳を立てる。

「彼を構成してる存在の数は数十から、あるいは数百と言われてるわ。
 その中でも主だった存在が、頭脳である『アンノン』、手足である『ギラドラス』、『ゴルバゴス』、『ゴルゴス』、胴体である『ジャンボキング』、そして背骨の『マグネドン』に副脳の『ゾグ』よ。他にもユートムとか、ダリーとかがいるけど、こいつらはもともと彼らに寄生していた蚤やダニが姿を変えたり、あとから魔法で造られたりした物なのよ。あと適当な空間に住み着いたのもいるわ。つまりマクロスってのは竜の名前じゃなく、言ってみれば一つの世界なの」
「はあ、なるほど…」

 もう冷めていたけど、自分の分の紅茶をずずっと啜る。あ、おいし。
 でかいスケールの話にちょっと感覚が麻痺しそうだったが、概ね納得したのか、アスカの顔は何とも晴れやかな顔になっていた。

(どうりで自分のことを複数形で呼ぶわけだわ)

 妙なところを気にする娘である。

「でまあ、アンノン君にたのんで飛行能力を持つゾグさんを分離させて、第三新東京市まで運んで貰おうって考えてたんだけど」
「このまま行くわけには…いかないわね、やっぱり」


 怒濤の進撃をするマクロスの巨体。
 邪魔物はみんな押しつぶす!



 素敵すぎる。
 自分の想像だが、やな光景にアスカの顔色が悪くなった。悪魔だけど彼女は破壊魔ではないのだ。
 ぶるぶると頭を振って想像をうち消すと、アスカはユイに向き直った。

「それで、そのゾグさんって人、いえ竜が分離するのに問題はないんですか?」
「それがねぇ」

 ユイが困った顔をする。上手くいかなかったと、その表情で物語りながら。




『そこから先は私達が説明しよう』

「え?」

 自分のすぐ足下から聞こえた声に、アスカは驚きながらも視線を向けた。そして視線を向けて二度ビックリする。

「ち、ち、ちいさっ! ミミズみたい」

『失敬なことをはっきり言うお嬢さんだねぇ』

 アスカの足下…いつの間にか絨毯が消え去り、剥き出しになった床から小さい何かが頭を出していた。鳥の雛、あるいは妊娠2ヶ月くらいの、毛の生えてない胎児に酷似した真っ白な何かが。毛のない鼠の赤子を想像するとなお良いかも知れない。
 信じがたいが、下半身を床に沈み込ませ、異様に大きな薄皮に包まれた目をアスカに向けているそれは、確かに顔をしかめているようだった。形のはっきりしない腕を不機嫌に動かしながら、軽く嘆息する。

『ま、確かに私個人がミミズに似ていることは認めるよ。でもここ1000年ぶりくらいだね、そう言う呼ばれ方をしたのは。最後にそう呼んだのはユイだったか…』
「なに威張っておばさま呼び捨てにしてるのよ、あんた喋るミミズじゃないの?」
『見た目で一方的に決めるのは良くないなぁ』

 肩を震わせて笑いを堪えるユイをジロッと睨んだ後、その小さな肉の塊はアスカに向かって軽く指…らしく見える物を向けた。
 小馬鹿にするようにそれを見ていたアスカだったが、直後その表情を固まらせることになる。

 ガシッ!

「ひきっ!?
 な、なによこれー!?」

『私達の手の一つだよ。君はもう少し口の利き方を学ぶ必要がある』

 瞬間、アスカが座っていたソファーから真っ白な肋骨のような牙が飛び出し、アスカを傷つけない程度の力でしっかりと拘束した。当然、アスカは抜け出ようと暴れるが、その牙は頑丈極まりなく、びくともしない。それどころか、徐々にアスカを押さえつける力が強くなっていくようだ。

「ぬぉおおおっ!? ちょっと、あんたがやってんの!?
 さっさと解放しないと、タダじゃ済ませないわよ!」
『ふむ、その元気がいつまで続くかな』

 アンノンが笑うように周囲を睥睨した。
 赤く、脈打っていた壁の一角が、突然外側に向かってくぼむ。大きさは直径2メートルほどで、それも一つではない。幾つも幾つも、ざっと見たところ数十個は窪みができる。その窪みはドンドン深くなり、ついには隣の部屋(?)へ通じる通路となった。不安そうにアスカはその窪みを見つめるが、程なくまた悲鳴をあげることになる。

「なっ!? なによあれ!?」

 もう旅に出てから驚いてばっかりだ。
 窪みの奥から、ガチャリ、ガチャリと軋み音をたてながら、金属の鎧を着込んだ人間に酷似したゴーレム ─── ユートム ─── と、全身をぬめった粘液で濡らした怪物、エビと人間とアリジゴクを足して割ったような姿の ─── ダリー ─── が、何体も何体もアスカの方に向かってきた。その無機的な、感情を感じさせない目に浮かぶ光はまぎれもない殺意。どんな能力を持っているかは不明だが、身動きできないアスカにとって恐るべき相手にかわりはない。

「うぐぐぐぐっ…! ユイおばさまも笑ってないで助けてよ!」
「いやはははは、でも今のはアスカちゃんが悪いわよ。思ってることをそのまま出すなんて。多少は衣でくるんで外に出せばいいのに」
『それ、フォローになってないぞ、ユイ』
「そうかしら?」
『まったく。でもまあ、確かに私達も大人げなかったか』

 唐突に、音もなくアスカを拘束していた牙が消え去った。もとのクッションに腰掛けた状態に戻り、狐につままれたような顔をするアスカ。ユートム達も近寄るのをやめる。

「ふわぁ、半信半疑だったけど本当にここはあの竜の中なんだ」
「そう。そしてこの小さい水クラゲみたいなのが、超巨大要塞竜マクロスの頭脳であるアンノン君よ」
『……なんか大昔遭った人間を思い出すな。まず攻撃してから話し合いをしようとした』
「アレと一緒にしないでよ」

 アンノンが誰のことを言ってるのかわからないが、ユイには心当たりがあるらしい。なんとも憮然とした顔をする。
 そうかぁ? という感じに肩をすくめるアンノン。

「なによー?」
『ふむ、なんだか気が抜けたな。悪いが説明はユイ、やはり君に任せるよ』
「はいはい、お休みー♪」

 言いたいだけ言うと、アンノンの本体は床に沈み込み、そこにいたのが錯覚であったかのように姿を消した。同時にアスカを襲う直前で停止したユートムとダリーもまた、同じように床や壁の中に溶け込むように消えていく。
 後で聞いたところによれば、机やソファーも勝手に床からあらわれたという。つまり、家具に見えるがそれらは全てマクロスの体の一部、あるいは取り込まれて体の一部と化した物なのだろう。

「よ、世の中って広いわ…」

 呆然としつつアスカはそれだけ言った。ま、確かにこの世界は結構広い。
 また一つ勉強になったアスカであった。













「それで結局、問題って何なんですか?」

 本当にアンノン他は寝てしまったのか、急に気配が感じられなくなってを肌寒く感じる。かすかに身震いしながら、アスカはユイに問題について尋ねた。ユイが問題というのだから、かなり大事なのだろう。解決策はあるのだろうか。

「実はね、ゾグさん…彼女だけでなく、アンノン君、いえマクロス全体の問題なんだけど…」
「?」
「本当は今みんな冬眠している時機なのよ」
「え?」

 冬眠といささか聞き慣れない言葉にアスカは固まった。
 ちょっと驚いたのか目が点になっている。だが、ドラゴンだって一応生物なんだし、場合によっては冬眠だってする。たぶん。
 ユイは困った困ったとため息を吐きつつ言葉を続けた。

「正確に言うと冬眠じゃなくて、1000年周期の休眠なんだけど、起きるのはもうちょっと先なの。脳みそのアンノン君はあっさり起きたけど、体に当たるギラドラス君やゾグさんは目を覚ます気配が全くないのよ」
「え、さっき足とか出して動いたように見えたけど」
「アレは寝返り」
「さいですか。
 え? それじゃあここに来たのは全部無駄足だったと…?」
「そうなるかなぁ」
「どうするんです、おばさま!? あんだけ苦労して全部無駄、水の泡だなんてぇ!」

 ユイにしれっと言い切られて、ぎゃーぎゃー喚くアスカ。確かにやりたくもないチョモランマ登頂をさせられたあげく、それは無駄でしたとか言われた日には、相手がユイでもがなりたくもなる。ゴモラも訳が分からないなりに主人の渋りを感じたのか、一緒になって尻尾を振りながら暴れている。サイズがサイズだから何ともラブリー。
 一方、ユイはと言えば、私にこうも手向かうとは良い度胸ね、とか考えつつ、ゴモラの可愛らしさと相殺してまあ許してやろうとか考えていた。
 そう、こんな事を考えられるってことは、即ちユイには何とかする手段があると言うことだ。

「まあまあ落ち着きなさい。手はあるわ」
「あるんですか、3万キロを移動できる方法が?」
「ええ。できればやりたくなかったけど。
 方法を知っている人がもうすぐ来るわ。彼女、マクロス君の体内の一角を間借りして住んでるのよ」

 アスカはユイの言葉にきょとんとする。ドラゴンの体内に住んでいる?
 その時アスカは思いだした。

「ああ。たしかあのワンスフラッシュとか言うグリフォンの奥さん」


 ギシッ


 その時、アスカの背後から、強い魔力を伴った剣呑な雰囲気が漂ってきた。空間さえも軋むような敵意の塊だ。
 瞬間、首を捕まれた蛇のように一歩も動けなくなり、アスカは声も出せずに空気を求めて口をぱくぱくと開けた。重い、質量を伴うような気配。唐突にあらわれたかとアスカは錯覚したが、真実は異なっている。じつはアスカが喚いた頃から、この気配の持ち主はいたのだ。ただアスカ達の騒動が面白そうと思ったので、気配を絶っていたにすぎない。
 それにしても気配だけでアスカを窒息寸前に陥らせるとは、正体は分からないが恐るべき実力である。

「誰が誰の奥さんですって?」

「ちょっとナオコさん、相手は事情を良く知らない子供ですよ。あなたまでそんな大人げない事しなくても」
「ふん。大人げなくて悪かったわね。でもお生憎様、今はライオンの私が主人格よ」

 ユイの言葉をのれんに腕押しで逸らすと、こつこつと靴音をたてながらその人物はアスカ達に歩み寄った。一歩一歩と増大する魔力と敵意に、アスカは窒息寸前になって喘いだ。その顔色は紫色に近くなり、チアノーゼを起こしていることが見て取れた。これならその場で気絶した方がまだましだろう。

(まずい!)

 ゴモラが頭を押さえて気絶し、アスカの顔色が貧血でも起こした様に悪くなったのを見て取り、ユイは慌てて言葉を続けた。そのままだと冗談でなく、アスカが死んでしまったかもしれない。

「彼女、キョウコの娘なんですよ」

 その言葉に、ナオコと呼ばれた、三十半ばから四十くらいに見える人間の女性は驚いたような顔をすると、ふっと顔を和ませた。途端に先ほどまでの刃のように鋭かった目つきがほわっと優しくなり、同時に空間を軋ませていた敵意が、夏の粉雪のように即座に消え去った。
 緊張が解けたのか、アスカは膝からくずれおち、横倒しに倒れて荒い息を吐いた。

「はーっはーっ、はっはっ…」
「あらやだごめんなさいね、キョウコちゃんの娘だって知ってたら、こんな酷いことはしなかったのに。本当ごめんなさいね〜。でもあなたも悪いのよ、初対面なのにその人が嫌がってることをいきなり言ったりするんだから」

 倒れたアスカの側に膝をつき、汗で張り付きほつれた髪の毛を直してやりながら、その女性はあっけらかんとそう宣わった。急激な変化にアスカは怪訝に思いながらも、疲労の極みだったので何も言わない。ただ、自分を抱きかかえる女性を観察した。

(う、化粧品くさい…)

 まあ、美人と言っていい方だろう。内はねになっている髪の毛は、短すぎる訳ではないが、うなじを隠す程度で濃い茶色をしている。地の色ではなく、染めているようだ。まあ、少々時代遅れで野暮ったい感じはあったが、似合っているだろう。ただし、趣味が悪いことに唇が紫色だ。これは口紅の色なのか、それとも地の色なのかアスカには判断が付かない。知り合いの悪魔に、肌の色以外全部紫という悪魔がいたからだ。
 身長はアスカと同じくらい。スタイルはまあそこそこ。グラマーと言うほどではないが、やせっぽちとか肥っているわけでもない。
 もっとも、やぼったいセーターを着て膝丈までのスカートを履いて、お約束のように着古した白衣を纏っていたから、スタイルが多少良くても全然関係はなかったが。少なくとも色の趣味は最悪だ。

 観察も終わり、痺れていた体の自由も少しは取り戻せたアスカは、かろうじて残った体力で質問をした。ユイが何も言わないから危険はないのだろうが、それでも知らない人に抱きかかえられているのは落ち着かない。

「…あ…あなた、は?」
「私、私はねぇ、あなたのお母さんの先生に当たる人よ。
 赤木ナオコ。よろしくね。決して一条じゃないから注意しなさいよ〜」
「え?」

 アスカの眉がひそめられた。母親の先生とは一体どう言うことだろうか? キョウコが悪魔になってから、人間の時間でかなりの時間が過ぎ去っているはずなのだが…。
 女性だろうと、男性だろうと、20以上の女性には決して聞いてはいけない類の質問が脳裏に浮かぶ。

 あんた幾つ?

 ぶるぶると頭を振ると、アスカはその考えを消した。
 一方、アスカをよそにナオコと名乗った女性は話を続ける。

「キョウコちゃんだけじゃなく、そこにいるユイちゃんの先生だったこともあったわ」

 ますますアスカは混乱した。キョウコだけでなく、ユイの先生だったこともある?
 本当に何者なんだろう?
 それにナオコという名前から考えて、彼女こそあのグリフォンがよりを戻したがっている相手だろう。だが、目の前にいるのは人間の女性だ。少なくとも見た目は間違いなく。

「話せば長いことだから話さないけど。
 とりあえず、私の自己紹介はこれくらいで良いかしら?」
「……」
「だまりこむなんていけずな子ね」

 やんやん♪

 絶句。
 とりあえず、そういう仕草はもっと若い娘以外はしたらいけないと思う。
 かろうじてその言葉をアスカは呑み込んだ。言ったらどんな怖いことになるか。さすがに想像はついた。

「ナオコさん、気持ちわかりますけどそろそろこっちの話を聞いて下さい」
「もう、ユイさんもせっかちね。だから旦那に逃げられ…うそうそ。怒っちゃやーよ。
 …で、何の用? 話だけしに来たって訳でもないんでしょ?
 あ、良いお茶があるのよ。それにお茶うけのお菓子も」
「それはまた今度でいいです。あのですね、実は第三新東京市に帰りたいんです」
「帰れば?」


 そんなあっさり帰られるなら相談にはこん。


 かろうじてユイはその言葉を呑み込んだ。今はとってもフレンドリーな山羊のナオコだが、何をきっかけにまたライオンのナオコになるか知れたものではない。言葉は慎重に慎重に選ぶ必要がある。

「いえ、さすがにここからえらく遠いところですから」
「飛べばいいじゃない」
「(我慢よ、ユイ)諸般諸々の事情があって、私は飛べません。彼女、アスカちゃんもまだあの海を渡ることはできません」
「泳いだら?」
「死ね言うとるんかあんたは」
「冗談だってば。ユイちゃん怒ったらメェー。
 それにしてもあなたも色々大変ね。でも困ったことがあったら、遠慮しないで相談しに来てね♪」

 なんか人の話を聞かない、フレンドリーで一方通行な山羊のナオコ、通称『母のナオコ』にユイはめまいを感じた。本当にクラクラ来る。倒れそう、めげそうだ。人のこと言えない。
 人格が三つあるというのは、それはそれで毎日が新鮮で楽しいかも知れないけど、同じくらい相手するのは大変だ。それはナオコも同じ事。自分が三人存在すると言うことは、どれが本当の自分かよくわからないってこと。だからどの人格も過剰なまでに自分をアピールするのだろう。
 それにうんざりして、ワンスフラッシュは喧嘩したのかも。なんて事を考えたりする。

「ええ、困ってます。だから相談に来たんです」
「え? なになに?」
「その、山羊のナオコさんでなく、ドラゴンのナオコさんに頼みがあるんです」

 すっとナオコの顔から笑みが消え、冷徹な、それでいてほんのりと暖かみのある表情へと変わった。白衣の内ポケットからフレーム無しの眼鏡を取り出すと、鼻に引っかけるように装着する。

「なに?」

 彼女には三つの性格があり、それぞれが【女】【母親】【学者】としての部分を司っている。そしてユイと一番つき合いが長かったのは、学者としてのナオコだ。刎頸の交わりとまでは言わないが、それでも一番仲がよい。

「転送機を…使わせて欲しいんです」
「なんですって?」

 キランとナオコの眼鏡が光った。直下でそれを目撃したアスカの全身が、嫌な想像に硬直して汗をダラダラと流し始める。
 転送魔法と言う言葉をアスカは良く知っている。瞬時に遠い別の地へと移動する魔法だ。アスカ自身は使えないが、使える知り合いは何人か居る。たまに失敗して岩の中に飛ばされるとか、不吉なことを聞くこともあるが、完成された魔法で使い手で間違えなければ概ね安全なはず。
 だが、語尾に『機』とつくだけで、その言葉を発しているのがユイとナオコと言うだけで、なぜ、こんなに恐怖を感じるのだろう。

「先日完成した【転送機くんMk.2FR】を試したいって事?」
「名前まで知りませんけど、そういうことです」
「ふふふ、今回も凄いわよ」

 しかもなんか造ったのはナオコらしい。


危険度400%突破


 アスカをよそにちゃくちゃくと不吉な会話を続ける2人の美女。考えてみれば依然ナオコに抱きかかえられているわけで、色んな意味で大ピンチ。脱水症状を起こしそうなくらいアスカの体から汗が流れた。そっちの意味でもアスカは大ピンチだ。

(死ぬのはイヤ、死ぬのはイヤ、死ぬのはイヤぁ!)

 アスカは目で力一杯訴えるも勿論ユイは無視。

「距離は直線で3万キロって所だけど」
「届きますね。オッケーです」
「ふふふ、私の転送機くんに目を付けるなんて、さすがだわユイさん」
(私は遠慮します)
「いえもう、他に方法が無くて破れかぶれでして」
「なんですって?」
「べつに何も言ってませんです」
「なら良いけど」
(遠慮します。えんりょ…)

 それだけ言うとナオコはよだれを垂らさんばかりに嬉しそうな顔で「うっふっふっふ」と不気味に笑った。こういう時、割に合わない目にあうのは一番弱い奴と決まっている。














 んで、そうと話が決まったら実行されるのも早かった。この場合、アスカの意見は綺麗に無視される。

「お、おばさまぁ! 冗談でしょ───!!」
「ゴメンね、アスカちゃん。冗談じゃないのよ。もう観念して大人しくしなさい」
「目標、第三新東京市確認♪ 続いてエネルギー充填♪」

 少々ぐったりしているが、まだまだ元気にアスカは叫んだ。なにしろ動くところが目と口しかないんだから、相対的に口が元気になるのは当然の帰結と言える。なぜ動くのが目と口だけかと言えば、彼女は暴れられないように、妖しげな機械の一部らしい椅子に座ったところで、全身皮ベルトによって固定されていたからだ。
 しかしなんで拘束用の竜皮ベルトがついているのか甚だ謎だったが。

「助けてぇ!! まっどな科学者に殺される───!!!」
「酷い言い方ねぇ」

 ナオコと一緒扱いされたことに納得できないのか、ユイが不機嫌そうに眉をひそめた。自覚がなくって本当に始末が悪い。確かにナオコと比べれば温いが、ユイも間違いなくマッドだ。
 でも目の前で嬉々として妖しげな機械のレバーやらボタンやらを操作する白衣の女を見れば、誰でもそう考えるかも。
 一方、ユイとは対照的にナオコの顔は嬉しそうな微笑みを浮かべる。
 危険なまでに美しく、10m以内に近づきたくない類の笑みを。

「マッド。それは今の私にとっては最高の誉め言葉よ、モルモットちゃん」

 モルモットと来ましたか。

「イヤ───! 誰か助けてぇ───!!!
 ママ───!!」

 もう必死。さっきアンノンに囚われたときより必死になって身を捩る。でも無駄な努力。

「うるさいからユイさん、スイッチオン♪」
「アスカちゃん…骨は拾うから。
 あ、ポチッとな」

 お約束のユイの言葉と同時に、アスカがくくりつけられていた巨大な冷蔵庫のような機械が唸りをあげた。至る所に取り付けられた電飾が目まぐるしく点滅を繰り返し、蒸気を吐き出したり、放電したりと大騒ぎだ。
 当然、生贄の人柱のようにくくりつけられていたアスカは生きた心地もない。歯をガチガチと噛み鳴らし、今だ恐怖に発狂しないのが不思議なくらい。こうなると強靱な精神力が逆に恨めしい。

「ところでナオコさん」
「なに、ユイさん」
「参考までにこの機械の成功率は?」
「理論上は99.9999%!」
「実際は?」
「実際に起動するのはこれが初めてかしら」


 死ねって事ですね?


 違うけど、まあ大体そんな感じ。
 気の毒そうにユイとナオコはアスカに目を向けた。ああもう、その若さで可哀想に。
 ブンブンという唸りは今や装置全体に及び、アスカの体が時折ふっと薄くなったりぼやけたりし始めている。アスカの悲鳴も扇風機に向かって叫んだみたいに震えている。こうなったら止めるに止められない。

「ナオコさん、私はなんとか別の移動手段を見つけます」
「その方が良いかも。改良にまた時間かかりそうだし」


「言うことはそれだけかお前ら────!!!!」


 そして機械の振動が最高潮に達した。アスカの全身が青い光に包まれ、その光が機械の中へと吸い込まれていく。
 そして、アスカの絶叫を背景音に、真っ青な光の柱が空高くへと立ち上った。


「死ぬのはイヤぁ───!」


 そしてアスカはいなくなった。


『ぎゃお…』

 話の展開についていけず、呆然と鳴き声を漏らすゴモラ。とりあえず、叫び声を最後にご主人様が居なくなったことだけはわかった。不安に襲われておどおどする彼女を、ユイが優しく抱きかかえる。ゴモラは最初こそ身じろぎしたが、すぐに大人しくなった。この人には、何があっても逆らってはいけない。長生きしたければ。

「仕方ない。ゆっくり行くことにしましょ」
『がぅ』

 妙な悪運が強いことだし、たぶんアスカは無事にあっちに着いてるだろう。
 根拠もなくそう考えるユイ。それにしても人様の娘に凄いことをするなぁ、まったく。

(またシンジに苦労かけるわね)

 そう思いながらも、実のところユイはあんまり気にしてなかった。いい男になるために、普通の何倍も苦労をしなければいけないのだから。ユイの考えでは騒動を持ち込むことは優しい親心らしい。シンジ達にとってはたまったモンじゃないことは言うまでもない。


 あと忘れてはいけない大切なことがあった。
 とりあえず後片づけを終え、ナオコの住む部屋から退出する直前、ユイはナオコに向かって腹に一物のあるらしい笑みを浮かべた。ドラゴンのナオコはこういうユイが苦手だったので、思わずたじろぐ。

「あ、そ〜だ。ナオコさんあのね♪」
「なにかしら?」
「偶然、ワンスフラッシュさんにあったんだけど…」

 途端にナオコの表情が険悪になり、ぶすっとふてくされた目でユイを睨み付けた。
 つき合いの長いユイには、今のナオコがライオンのナオコ、通称『女のナオコ』になっていることがわかっている。
 まーいくつになっても可愛いことで。内心笑いを隠せない。

「知らないわよ。1万回謝っても許してやらないわ」
「前は100万回って言ってたと思ったけど」
「うるさいわね」

 ごちそうさまー♪

 数多の妖魔、魔獣に恐れられる、デイモスキマイラのナオコさんの可愛いところを見せて貰いました。という表情をしつつ、ユイもまたマクロスの中から姿を消した。

「ふん。人のこと言えないくせに。
 だから私はあなたのことが嫌いなのよ」

 誰もいなくなった後、ナオコは吐き捨てるような、それでいてちょっとだけ感謝するような声でそう呟いた。












 夜。

「それで、結局どう言うことなの」

 随分と久しぶりに、シンジと一緒の部屋にマユミはいた。あのあと、レイが目覚めそうだったから、理由を教えると約束して解放してもらったマユミだったのだが、今になっても逡巡していることは、容易に見て取ることが出来た。
 そんな律儀なところを可愛い、真面目だねと思いながらシンジは見つめる。

「えっと、その…」

 その眼で見つめられて、さらにマユミはしどろもどろ。風呂上がりで今は薄い絹の寝間着姿のため、注意しないと体の線がまるわかりになるから、恥ずかしくて仕方ないのだ。それに、自分が行おうとしていることで、自分で自分が許せないのだろう。

(なにか、深い理由があるんだろうな)

 ここまで困っているのだから、それも相当に大切な理由があるんだろう。それとも、根が生真面目なマユミのことだから、約束をとても大切なことと考えているのかも知れない。 前者か後者か、あるいはその両方か。

(ん〜なんだかね。まるで僕が悪者な気分だ)

 傍目から見たら、弱みを握って秘密を知ろうとしているのだから、まるでではない。まさしくシンジは悪者だ。

「その、あの、ですね。理由…理由ですけど」
「あ、良いよ。ゴメン」
「え?」
「なにか…理由があるんでしょ。僕が相手でも、いや、僕が相手だからそう簡単に言えない理由が」

 マユミは項垂れ、そして、小さく頷き返した。膝の上で手をきつく握りしめ、本当に申し訳なさそうに言葉を続ける。

「はい。その通りです…。でも、あとちょっとしたら、ユイさんが帰ってくれば、理由も何もかも話します」
「母さんが?」
「はい。その、綾波さんと約束したんです。私は、事が済むまで話さないって」

 それだけ言うと、申し訳なさそうに、上目遣いでマユミはシンジを見つめた。
 シンジは小さく肩をすくめると、マユミをなだめるように彼女の小柄な体を抱き寄せた。驚くマユミの背中を優しくぽんぽんと手の平で叩き、シンジは天井で瞬く明かりを見つめる。

「そう…なんだ。ごめんね、無理を言って」
「………いえ、私も…もっときちんと説明すれば良かったんです。私の方こそ、ごめんなさい。やっぱり、私から話すこと…できません」

(…じゃあ綾波が、自分から話す場合は良いのかな)

 本当に、こう言うときの頭の回転の速さはどうしたことか。
 シンジはあっさりとマユミから理由を聞き出すことを諦めた。代わりに…。

「でもさ。マユミさん、僕とした約束を破ることになるよね」
「あ…」

 顔色を変えて体を硬くするマユミ。確かに、経緯はどうあれ約束をして、それを破ることになる。

「良いよ。許してあげる。というより、元々僕が無理矢理させた約束だし、強制力なんかないから」
「良いんですか?」
「うん」

 シンジの優しい言葉に、体を熱くさせながら、マユミは熱っぽい目をしてシンジを見上げる。マユミは特に何かを意識したつもりは全くなかったが、その目に、その口調にシンジは体の一部が石のように堅くなるのを感じた。

(まずい…)

 刹那、ここで押し倒したら、全てが台無しになる…とシンジは逡巡する。だが、彼はまだ若い十代の青年であることが、全ての勝負を決めることになった。

「でもね」
「はい?」
「君が本当に申し訳ないと思っていて、何かで埋め合わせしたいって気持ちが、もしあるんなら…、やって欲しいことがあるんだ」

 なんだろう? とマユミは首を傾げて言葉を待ち、これから起こることに気がついている様子は微塵も見られない。僅かにマユミを抱きしめる腕の力を強くしつつ、シンジは言葉を続ける。

「あのさ。もう、2週間もたつんだ」
「え?」
「僕も男だから、辛いんだ。せつないんだ」
「え、ええ? あの、シンジさん何を…」
「慰めてよ。僕に優しくしてよ」

 そしてマユミの返事も待たず、そのままベッドに押し倒す。
 ベッドのスプリングが2人の重みで軋み、ギシギシと軋み音をたてた。

「きゃあああ───! ダメです、それは、はっ、あ…ふぇ、フェアじゃなくなっちゃうから!
 あ、あ、ああああ─────!」
「口ではそう言ってるけど、君の体と、君の言葉と、どっちを信用したらいいのかな」
「あ、あああっ!言わないで!
 私、私も、んんあ、シンジさん、私も…私もシンジさんに、抱かれ…!寂しかったの!
 あぅうぅぁ〜〜〜〜!!」
















「…ここ、どこ?」

 気がついたら、彼女は夜の砂漠の真ん中にいた。澄みきった夜空に浮かぶ星がとても綺麗だ。でも今はそれよりも。
 とりあえず、自分が無事であることは嬉しいが、今自分は第三新東京市にいるはずではなかったのか。それとも、第三新東京市とは砂漠のことなのだろうか。

 勿論、そんなわけはない。実際に一度も行ったことのない場所ではあるけれど、アスカにはその事は分かった。つまり、彼女が何故砂漠にいるのかと言えば…。

「座標間違えたのね…」

 どうすんのよ、これから…。

 第三新東京市はどちらの方角だろう。距離も、方角も分からない。地獄暮らしの長い彼女は、星を見て方角を知るなんて、もちろんできない。
 まさかと思うが、彼女はここで物語のヒロインの座からリタイアするのだろうか?

「じょ、冗談じゃないわよ! この私が、こんな所で、こんな所で死んでたまるもんですか〜〜〜!!!」

 そしてアスカは駆け出した。とりあえず、遠くに見える山のような四面体形状の建物に向かって真っ直ぐに。そこが何かも知らずに。行けば何とかなると、根拠はないが考えて。

 …惣流アスカよ、どこへ行く。






続く






初出2002/05/26 更新2004/11/23

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