「だったらアスカさん達がしてくれても良いじゃないですか!」
「「いや(よ)、めんどくさい」」



 すこし前。

 吸い込まれそうに青い空の元、目の覚めるような青い海原を一艘の帆船が白い帆に風を受けながら疾走していた。船員乗客、総勢30人くらいの小型帆船。現実世界で言うところの、カラベルに相当する船だ。甲板の下はすぐに貨物室になっていて、船長以外は貨物と一緒の部屋に寝泊まりする、船倉が別れている船としては最も小型の帆船。
 しかし、小型であるが故に足は速い。
 海原に波が砕けた後を残しつつ、真っ直ぐに船は進む。船の周りを無数のカモメが飛んでいるのは、餌にありつこうとしているのかそれとも羽を休めるためなのか。
 陸の暮らしが長くて、海鳥を見慣れない人間なら、手から直接干し魚を捕っていくカモメの姿に感嘆するかも知れない。だが、すでに慣れっこになっている海エルフと人間の船員達は、まったく無関心な表情を崩さないまま帆を張り直し、あるいは甲板にモップで掃除している。
 掃除と言っても、誰か ─── 船の揺れになれていない乗客 ─── が吐いた吐瀉物をいい加減に海に落とし、デッキブラシで擦った後をモップ掛けするだけだ。いい加減と言えばいい加減。だが、元々漁船で人を運んだりしない船なのだから、それが普通なのだ。
 船長が大量に払われた金貨(ゴールドクラウン)に目の色を変えなければ…。

(今頃は竜牙海峡を越え、北海でニシンを捕っていたかも知れない。…まあ、今年は異常気象で大して捕れないって話だが)

 漁が出来なかった…少なくとも、今月は出来そうにないことが不満だが、少なくとも食いっぱぐれることはなかった。
 そんな風に考えていることを隠そうともせず、まだ年若い船員(海エルフとして)は、バケツとモップを片づける途中、偶然目にした先客達の姿を眺める。看板に並んで立ち、ボンヤリと海を見ている彼らの姿に、船員の日焼けしたごつごつした顔が微妙に歪む。その眼は呆れるを通り越して、同情の光を浮かべていた。

「海は広いし大きな。てか」
「……黙れ、トウジ。またこみ上げてきそうだ」

 トウジと呼ばれた少年…と言うより青年になりかけの少年の隣で、眼鏡をつけた癖っ毛の少年が床にあおむけに寝そべり虚ろな目をしていた。顔色が命を心配したくなるくらいに真っ青で、暑苦しい太陽の下だというのに全身に鳥肌を浮かべて長袖の服を着て、その上からマントを羽織っていた。寒気がして気持ち悪いのは分かるが、そのままだと脱水症状を起こして危険だろう。

「ケンスケ、水飲むか?」
「胃に何か入れたらその分はきそうだ…おぶっ」

 その言葉を確認するまでもなく、ほのかに漂う酸っぱい臭いだけで、彼が重い船酔いに悩まされているのはわかる。誰でも、よほど揺れに強くない限り静かな海とは言え船酔いはする。先ほど片づけた吐瀉物も彼の物だ。

 自業自得の産物だ。

 滅多に見られない首長竜と大海蛇の格闘とは言え、めちゃくちゃ揺れる船首に陣取って写真を撮り続けた報いだ。彼自身はカメラという道具の原理は知らないが、写真は知っている。絵とは比べ物にならない精密さで、その時起こった光景を切り出す物…。しかし、撮影をするためにはあんなにも奇声を上げないといけないとは…。それに、あんな薄っぺらい紙が、内容次第で金貨何枚にもなるというのは驚きだ。

「気分が悪くなるまで舳先に立ってファインダーを覗き続ける。………アホやな」
「タダの馬鹿だよ」
「…お前ら。せめて男、いや漢と言ってくれ」
「「や」」

 ひでぇ友達だ。
 横で見ていてそう思ってしまう。でもケンスケの境遇にまったく同情していない。
 あとで撮り増しをくれると言っていたこともあるため、彼は一度船室に引っ込んで間もなく、幾らかの哀れみと同情と共に薬と木のマグに水を注ぎ、彼の元へ持って行く。

「もう少しで君たちの目的地だ。もうちょっと頑張れ」
「もう少し…あと、どれくらいです。具体的には?」

 船酔いに悩まされていないらしい、小柄な青年が恐る恐る尋ねる。目つきが少々悪いがそれ以外は中性的な眼差しをしていて、美少年と言っていい顔つき…言うまでもなくシンジだ。
 泳げない彼だが、不思議と船は苦手ではないらしい。さすが、名字に船の器具名を持つ男。
 彼の質問に船員は少し考え込み、それから海の向こうに視線を向ける。今日は良く晴れているため、まだ薄ぼんやりとしているがそれは見えた。
 全ての陸地から最も遠いところにある、断崖絶壁が白くはえる絶海の孤島。

 昔から、彼の父親がまだ生まれる前から人の寄りつかない、海鳥たちの楽園にして魔物達が住むと言われた島。
 寝物語で聞かされた幾つもの逸話が彼の脳裏に甦る。

 古代遺跡が未だに残っていて、死にきれない旧世界の魔法使い『科学者』が意識を鉄の体に移して彷徨い続けている。
 美しい姉妹達が居る。彼女達は最初、やって来た男達を優しくもてなすが、その夜、本性をさらけ出して一人残らず食い殺している。
 海賊達が司法の手が伸びないのを良いことに、海岸沿いの街や船を襲う拠点にしている。
 月に吼える異形の魔物が、世界に対する怨嗟を吐きだしている。

 いずれもろくな噂ではない。

(いくら数十年前、冒険者が遺跡の魔物を全て掃討したと言っても…だ。あまり近寄りたいと思う場所ではないな)

 確かに、今は強力な魔物はいないという話だ。
 生き残った小妖魔などが、数十年の間に繁殖しているかもしれないが。だが、少なくともそこそこ強そうに見えるシンジ達なら、ゴブリン程度小妖魔の20や30、敵ではあるまい。これが100や200になると無理だろうけれど。
 ふと気がつくと、無言になった自分をシンジがじっと見ている。女の子のような眼差しで見つめられ、ちょっと照れる。日焼けした顔をほのかに赤くさせながら、彼は誤魔化すように呟いた。

「あと1時間と言ったところだよ」

「1時間…。無理だ…。無理、絶対…。
 げぉ─────」

 再びケンスケが綺麗な液体を口からほとばしらせたのは、その直後だった。
 早く着け…。若い船員は心の底からそう思った。



























 静かな、静かな島がある。
 名前はジェミニ。かつては、古代文明健在の頃は山であったという逸話もあるが、今、それを信じる者はいない。そこは青く静かな海の真ん中にある島なのだから。それも全ての陸地から最も遠いところにある島。
 勿論、住居を構え住む人はいない。

 陸から遠く離れていることもあり、この島に上陸する酔狂な者は皆無と言っていいだろう。不慣れな猟師がたまに上陸したり、海賊が何かの拍子に宝を埋めに、あるいは水と食糧の補給をしにやってくるくらいだろうか。ゆえにこの島は野生動物たちの楽園でもある。
 大陸、人が住むところでは既に絶滅した鳥、陸生動物などが今も生き続けている…。
 本来、こういう孤島に住む生物は天敵が居ないこともあり、他の生物に警戒をしない物だが、かつて大絶滅をくぐり抜けた彼らは、非常に臆病で、だから敏感だった。




 最初に気がついたのは、体に比べ、やたらと嘴の大きな鳥…サイチョウだ。黒と黄色という、非常に目立つ体色をしていながら、彼はとても臆病だ。ガツガツと黄色い果物を囓っていたが、ふと、何かを感じたのか空中を見上げ、きょろきょろと周囲を見回し始める。
 まだ何も見えないし感じない。だが、明らかに普通ではない何かを感じ取っていた。

『ギャー』

 一瞬後、彼は金切り声をあげ、大慌てで空に舞い上がる。
 それに伴い、極彩色の鳥、青い蛍光色が特徴的な巨大な蝶『モルフォ蝶』や、猿などの動物が一斉に落ち着かなく、唸り、いななき、その場から逃げ始める。まるでこの世の終わりが来たかのように。一生飛び続ける定めの、足のない鳥がけたたましく鳴き…、腕が四本ある蜘蛛手長猿が枝から枝へ飛び渡る。そして水中生活に適応した吸血蛾が、水中に弾丸のように飛び込み、すかさず姿を現した巨大ナマズに呑み込まれた。
 静かな島の朝は一変した。騒々しく動物たちは四方に散る。草木を蹴倒し、踏みつぶし安全なはずのねぐらに向かって走り去った。




 数分後。

 動物たちの楽園は本当の静けさに満たされた。
 もし、観察者が居たとしたら彼は見ることができただろう。動物たちが逃げ出した理由を。木々の葉の隙間から見える空に、それの姿を。赤く燃えさかる光の玉の姿を。空気を焼き、灼熱のプラズマを周囲にまとわりつかせる光の玉を!
 それが傲然とジャングルに向かって飛来してくるのを見ることができただろう。

 炎…いや、プラズマが激しくうなる。熱に弱い植物の葉が、はるか頭上にあるというのに一部萎れ、毒々しい茶色へと色を変えていく。
 無論、それが隕石などであるはずがない。
 もし…念話ができて、周波数を知っていたら、その光の玉から漏れる声を聞くことが出来た。


「アスカさん、綾波さん。もうすぐ到着です!耐ショック姿勢をとって下さい」
「らじゃ。なの」
「なんかノってるわね、あんた」


 空を切り裂く蒼穹の矢から聞こえる声にしては、少しばかり力が抜ける。
 などと言ってる間に、遂に光の玉は地面に達した。
 赤、青、緑、黄色、無数の色に瞬きながら、光球は大地を揺るがし、周囲を眩い光に染め上げた。権威の失墜という絵に描かれた、天使が堕天する姿さながらに。






『キィ、キキィ』

 だめ押しの轟音と閃光に、ねぐらで怯え震えていた森の生き物たちは声もなく震え、あるものはねぐらでさえも安心できないのか、そこから飛び出して遠く遠く、とにかく光から遠くへと逃げていく。彼らが想像していることは、この世の終わりか。それとも計り知れない力を持った、名状し難い魔物の襲来か。

 半分当たりで半分外れ。
 落ちて、もといやって来たのは恐ろしい魔物ではあるが、おぞましい姿をしているわけではないのだから。

 火山の溶岩のように噴き上がっていた光が、質量を持とうとするかのように一所に寄り集まり、ねじれ、その形を整えていく。
 そして…。

「ふぅ。…ここ、どこです?」
「知らないでテレポートしたの?
 ナイス度胸なの」

 のんきに呟くマユミ、アスカ、レイの三人がクレーターの中心に立っていた。
 いずれも細部は異なるが、服の上からでも分かるすらりと伸びた無駄な贅肉のない手足が艶めかしい。
 艶やかな宝石のように輝く瞳と髪の毛は、見ているだけで吸い込まれそう。
 タイプは違えど三人ともそれぞれ色んな所がしっかりバッチリ育っていて、何というか健康的で素晴らしい。

 そう、降ってきたのは、言うまでもないことだが、見目麗しい…例の三人娘達だ。赤みがかった金髪が、青みがかった銀髪が、微かに緑色の反射光を放つ黒髪が風に揺れる。

 三人とも埃が苦しいのか、口元を押さえつつ大仰にマントで埃を払う。
 やがて落ち着いた頃、普段と異なり長袖の服を着込んだアスカが、唾を吐きながら文句を言った。普段の露出過多な服でないから落ち着かないのか、その顔は少し不機嫌そうに見える。モデルのような立ちポーズを崩すと、ジロッと睨むようにマユミに目を向けた。どうにも一言言わないときが住まない性格らしい。

「ぶわっ、ぺっぺっ。
 乱暴な転送魔法ね。口の中に砂が入っちゃったじゃない。
 大いばりだったくせに、雑な魔法なんだから」

 そしてマントをはためかせて、ふんっと鼻息を吹く。なんとも女王様のような態度と行動だが、背の高さ、気の強さの象徴のように揺れる赤みがかった金髪のこともあって、横柄ながらそのしぐさが何とも似合う。正に女王様となるため生まれた女、まだそこまで育ってないのでプチ女王様と言ったところか。
 しかしながら、アスカの態度は本当に女王様であらせられるレイには何とも気に入らない。そのかなりとげとげしい言葉に、憎悪を隠そうともせずムッとした顔をする。別に自分が非難されたわけではないが、とにかくアスカには反発するきらいがあるようだ。
 それとも大好きなマユミに敵意を向けているからか。

「文句言うくらいなら自前の魔法を使えばいいのに。
 あ、そうなの。使わないんじゃなくて、使えないのね。くすっ」

 表情を変えずに小声でレイは呟く。ただし、はっきりアスカに聞こえるくらいの小声で。
 ひくっとアスカのこめかみがひくつき、レイはニヤリと口元を歪め、一番背が低くて気が弱いマユミが2人の間で、おろおろと手をにぎにぎしながら首を振る。右に左に。力関係と人間関係が、これ以上ないくらいよく分かる一幕である。

「あの二人とも、来て早々喧嘩するのは良くないですよ。
 ね、綾波さん、アスカさぁん」

 マユミの必死の懇願。だが、これで言うことを聞くくらいならはじめから喧嘩なんかしない。
 レイはにっこり笑って片手でマユミを制すると、安全な後ろに下がるように促す。対してアスカは顎でマユミに下がるように促す。殺る気満々。

「マユミちゃんは黙ってて。居候…ううん、ペットの調教はきちんとしないといけないの。
 大丈夫、すぐ済むから」
「ほほぅ、言ってくれるじゃないのファースト。
 操り人形の分際でこの私に逆らうだなんて…身の程知らずが」

 当然のように聞いちゃいねぇ。

 アスカの拳に炎が宿り、レイの背後に精霊を呼び出す前兆とも言えるオーラが生まれる。
 どちらも戦闘準備は完了しているようだ。
 来て早々この事態。マユミは『犬猿の仲』、『水と油』とかいった言葉について考えていた。この2人が一所に一緒になって住むのは、やはり無理があるのではないだろうか。今はかろうじて自分とシンジが緩衝材になっているが、やはりもう1人ぐらい人手が欲しい。あとついでに、なんで私がこの二人のお守りを…とかも考えていた。

(相性最悪の最上級として、『アスカとレイ』って付け加えるべきだわ)

 でも案外、そう思わせておいてとても仲がよいという意味になるかも知れない。喧嘩するほど仲が良いと言うし。乳化剤に当たる人がいれば…。
 もちろん、この状況のマユミは欠片もそんなことを信じちゃいないが。

 ふっとマユミが投げやりな目をして空を仰ぐ。
 ぽや〜とした、なんとものんびりとした眼差し。気がつかなかったが、南国の太陽は気持ちが良い。砂漠独特のただ強すぎる太陽の光とは質が違う。ずっと砂漠の王国に住んでいて、外の世界を知らなかった彼女はそれだけのことがとても新鮮に感じられる。今頃だが、彼女は自分の知らない世界にいることに気がついた。

「あ…良い気持ち…」

 うーんと背伸びをし、ほのかに果物と花の香りが混じる空気を胸一杯に吸い込む。天を見上げたマユミの眼鏡に、雲が風に流されて行くのが映る。あの雲に乗って、どこまでも旅をしてみたい。そうしなくても、ポカポカと暖かい陽気が気持ちよくて、このまま昼寝したら気持ちよさそう。砂漠の国で育った彼女は、緑の絨毯(草花)が好きだ。
 幸せそうに微笑みながら、マユミはここに住んでみたら気持ち良いだろうなと思う。

(洗濯物干したら、ふわふわした乾き方するだろうなぁ。
 第三新東京市みたいに、乾きすぎた雑巾みたいにバリバリになったりしないんでしょうね)

 ガキン! と背後で硬い物をぶつけ合う音がする。夢の世界から一気に現世に帰還する音が。

 ……ちらっとマユミは後ろを見る。


「レイ〜! 今日こそ決着を付けてやるわ!」

「そう、私の勝ちでまた終わるのね」


 もう、勝手にして下さい。


 遂に匙を投げてうずくまったマユミの横で、第×××回「アスカとレイのどっちがえらいか決定大会」の幕が切って落とされていた。










 アスカが飛ぶ。
 右腕に炎のきらめきを宿しながら。

「フレイムスピリット!
 炎の精よ、破壊の弩の矢とかせ!」





 レイが叫ぶ。
 忠実なる精霊達をこの世界に顕現させるために。

「氷雪の戦士『ベアーコンガー』、その重厚なる盾で我が身を守れ!
 グレイシャラス・シールド!」





 アスカの手から火球が放たれ、レイの眼前に、熊のように大柄で、猿のような顔つきをした青い肌の戦士が現れ、雄叫びをあげながら持っていた巨大な盾を掲げる!

 爆発、閃光。
 立て続けに起こる魔力の爆発が渦を巻く。
 レイを倒した…とは考えていないが、それでも多少の手傷、あるいは魔力の消費をさせた。そう確信しながらアスカは翼を広げて空中を舞う。

「さっきみたいにはいかないわ。広いところでの戦いこそ、私の本領が発揮されるんだから。
 いくらあんたと言っても…!?」

 アスカの言葉は途中で呑み込まれる。地割れが出来そうなほどの自信と共に放った火球…それが爆煙を引き裂き、自分めがけて跳ね返されたのだから。

「なっ!?」

 あまりにも意表を突いた一撃。さすがのアスカも、これをかわす暇はない。

(かわせない…となれば、受け止める!

 両手を化の前で十字に交差させ、さらに鋼の強さを持つ翼をマントのように全身に巻き付かせる。激突までの短い一瞬、アスカは息を飲んで覚悟を決めた。

ドゴンッ

 衝撃が翼全体を震わせ、ほんのりと熱を内側の体に感じてアスカは身を竦ませる。ダメージが来ないことは分かっていたが、あまり感覚が無いというのは、まるで麻酔をかけて歯を抜いたときのようで何とも気持ちが悪い。

(くぅ…レイのくせに。でも、効かないわよ!)

 跳ね返された火球にまともに激突されたが、炸裂して広がる爆炎の中でアスカは笑う。攻撃を読まれて反射系の防御魔法を使うとは、なかなか一筋縄ではいかないが、強者こそ彼女の望むところだ。そうでなくては、運命の宿敵とは言えない。強がりではなく、アスカはそう思った。
 敵が強ければ強いほど、彼女の心は高ぶる。
 まさに彼女は戦いの申し子。
 ニヤリとした笑みと共に、彼女は大きく翼を広げた。その風圧で、彼女の周囲を取り巻いていた煙が左右に引き裂かれていく。


「やるわね、レイ!」


 氷の盾の向こうで、レイもまたわずかに口元に笑みを浮かべる。
 彼女もアレくらいでアスカを倒せる、あるいは無力化できるとは思っていない。
 しかし…。
 自分の技とはいえ、その高熱にまるで傷ついた様子が見られないアスカの姿に、レイは敵意だけでなく感情を覚えていた。さすがはアスカ。
 改めて、喧嘩友達の腕の冴えに賞賛を覚える。

「…強い。でも、負けられない。負けるわけにはいかない」


 そしてマユミが『あ、蝶々』と呟いたのを合図に、再び激しく2人はぶつかり合う。



「熱い炎とたぎる血潮に命を賭けて!
 ウエウエテオトルの灼熱の風!」




「月の光の銀の滴…出よ月聖獣クレッセント!」







 そして、永劫とも思える2人の激しい戦いは、思ってもいない形で幕を閉じる。






ドゴーン!

「っきゃあああああっ!?」


 切っ掛けは、原因はどちらだったのだろう?
 ただはっきり言えることは、2人の魔法が良い具合に混ざり合って威力が増し、次いでに思いっきりあさっての方向に飛んでいった先に、マユミがいたってことだ。





 キリキリと軋み音をたてながら、レイとアスカ、2人の視線が炎の立ち上るただ中を見つめる。キャンプファイアーのように炎が立ち上っていて、そこはかとなく心が沸き立ちそう。今夜のご飯はバーベキューかカレーだね。

「あ、あはははは。マユミだし、うん。大丈夫よ」
「………私は………………悪くない」

 白々しい2人の言葉の後、痛いほどの沈黙が周囲を支配する。
 できれば時間の方も支配して欲しい。時間よ止まって…。
 アスカとレイは2人一緒に同じ事を願う。

 もちろん、止まりゃしねぇが。

 ブス…ブス…ブス…。

 だめ押しするような草木が燻る音が、これから起こること惨劇を当社比30%増しでイヤーンな感じに予想させる。世界の全てが敵対してるみたいで、怖い物知らずのアスカであっても顔色が悪くなる。よりにもよってなんて音を…。
 見たくない。解放骨折の傷口を見ること並に見たくない…。
 でもやっぱり見ないわけにはいかないので、恐る恐るレイとアスカは煙の中心に目を凝らす。途中でイヤになって見るのをやめようとするけど、止まらない。いや、止められない。
 そして視線の先には。

 当たり前だがマユミがいる。
 でも無言。すっごい無言。
 眼鏡が手元に明かりを持ってるみたいに全方位反射していて、まったく目が見えない。目が、つまり表情がまるで読めない。怒っているのか、凄まじく怒っているのか、言葉に出来ないほど怒っているのか…レイであっても分からない。体の曲線を浮き立たせるぴったりした黒いドレスが所々煤けてる所なんか、恐ろしすぎて言葉にしたくない。


「ま…マユミちゃん? だいじょうぶ」
「あんたが悪いのよ。そこにぼさっと座り込んで…」


 眼鏡を光らせたまま、マユミの口元がゆっくり動く。
 ぼそっと、


「天空の風よ、大地との闘争の激風よ!
 天よ地よ、風の力の源達よ、世界の理よ! 山岸マユミの名において命ずる!
 来たれ風雲の鷹! 天地爆滅、真牙雷砲、轟かせ!
 エレジアの怒りよ、車輪を滅ぼすがごとく我が敵を滅ぼせ!!」


 雷の檻に閉じこめられたような状態になって、甚だ物騒なことを呟くマユミにアスカとレイ、2人の顔が揃って真っ青に染まる。

「まさかその呪文はっ!?」
「効果範囲数キロ四方の雷撃魔法!」

 全身の髪の毛、産毛が一斉に逆立つに従い、2人はマユミを止めるべきか逃げるべきか激しく悩む。しかし、そのいずれももう間に合わない。
 空を見ると、真っ青だった空は真っ黒な雲に覆われていた。


「雷鳥爆撃轟雷柱(ピラーズ・オブ・ライトニング)!!」


「「………っ!!!」」


 結局、流れ弾の所為で髪の毛が非常に特徴的な髪型になり、怒り心頭に発したマユミが、雨のようにそこら中に雷を落としまくり、仲良く三人とも同じ髪型になるのだが、それは全くの余談である。











「マユミちゃん、それで碇君はどこにいるの?(まだビリビリ痺れるの)」
「すぐ近くのはずです。でも、変だわ。漠然とした方向しか分からない」
「何かあったのかしらね」

 言わずもがなだが、上から順に、レイ、マユミ、アスカのセリフだ。
 三人とも非常に特徴的になった髪型を一生懸命、元の水の流れの様な髪に戻し終え、色んな準備を整え直して、何ごともなかったかのように眼前に見える岩の城塞を見つめていた。格好つけているが、いきなり全魔力の20%を使ってしまう辺り、何ともコメントに困る。

 それはともかく、三人の様子はなんかおかしい。微妙に視線が泳いでいるというか。

 周囲をまったく見ようとしない。
 彼女達の周囲…至る所を焼けこげ、もうもうと火や煙を上げているところがただ事ではないが、三人ともそれはしっかり無視している。
 いや、無視しようとしていると言うところだろう。
 古代文明の遺した宮殿跡…。永き年月の間に木々の根が絡み、密林の一角としか見えなかったそれは、今は焦げめが多々残る姿をさらけ出していた。いわんでも分かると思うが、三人の魔法の所為である。焼けた植物、焼け出され、あるいは焼け死んだ動物たちの数は…数えることも想像することも恐ろしい。
 いきなりベトナム戦争時の米軍並の環境破壊とは…。

「ファーストがよけるからよ」
「でも火球を使ったのはあなた」
「……(わ、私は悪くないわ)」

 しかも揃って責任押しつけあってるし。
 分厚い壁と、湿潤な密林のために大火事とはならなかったのがせめてもの救いだろう。


「…とりあえず、シンジさんは大丈夫みたいです」
「なら良し。じゃ、私達をほっておいてこんな所に遊びに来た碇君のところに」
「行くわよ!」

 目を閉じて、シンジの魂に意識を向けていたマユミの言葉を皮切りに、三人は周囲の惨事からシンジへと意識を切り替えた。
 山火事は不幸だったけど…でも、彼女達が何かしなくても、もしかしたら落雷とかで山火事くらい起こった。てーか絶対山火事があった。あるんだ。そうに決まってる。そう思うことにして誤魔化した。
 もうもうと舞う煙を突っ切り、三人は迷宮に向かってゆっくりと歩を進めていく。
 間が持たないからと、男同士の友情を優先して三人の美少女の元から逃げ出した少年を捕まえるために。
 って目的が変わってる。
 もとい、冒険に出たシンジを影ながら助けるために。
 ついでにちょっとシンジにお仕置きして、海でみんな一緒に遊ぶため。勿論、念入りに選んだ水着も持ってきてる。自分の肉体を良く知った上で、大胆な水着を選んだアスカ。飾りのない競泳用水着にも似た、でもハイレグの水着を選んだレイ。ちょっとドキドキしながらアスカ達に言いくるめられるまま、セパレートの水着を選んだマユミ。
 お仕置き…よりどっちか言うと、こっちがメインか。まあ、実際はともかく、精神年齢は10代半ばの女の子だし、至極当然と言えよう。
 はたしてシンジの運命は?














Monster! Monster!

第22話『ジャイロダイン』

かいた人:しあえが















「びへっくしっ!」

 いきなりでっかいくしゃみをしたのは、丁度アスカ達が捕まえてやると言い放った相手のシンジである。
 鼻の奥のせつない感覚が無くなったことを喜びつつ、ぐしゅっと鼻を啜り、ちょっと考える。いきなり鼻がムズムズしたのだが、誰か噂したのだろうか。レイかマユミかアスカか。それともユイか。

(マユミさん達だったらしょうがないよね。でも、もし母さんだったら一生恨んでやる)

 アスカやマユミだったら恨みには思わないらしい。正直な奴。
 それはともかく今この時くしゃみが出るとは…。間の悪さをシンジ達は呪わずにはいられない。今は貝のように静かに身を縮めて、嵐が通り過ぎるのを待っていたかったのだ。

「うがぁ〜〜〜〜!」

 部屋の出口辺りで響く声に、顔を見合わせてシンジ達は項垂れる。
 くしゃみが聞こえた方向、つまりシンジ達が隠れている方に、よだれを垂らした巨大なトロールが向き直った。
 薄緑色の体のあちこちに残飯やカビをこびりつかせ、非常に不潔な臭いを放つ巨人。いやまあ、実際もの凄く不潔だ。言葉にすることが難しいほどに。トロールの死因1位は、戦闘による死や同族相手の共食いではなく、腐れ病などの不衛生故にかかる死病が原因と言うことも納得できる不潔さだ。
 しかし、喩え不潔でなくともトロールは近寄りたくない生物の上位に常に名を連ねる。その3mを越える巨体から繰り出す棍棒の一撃は岩をも砕き、喩え武器が無くても身長とほぼ同じ長さの腕は人間の手足など容易く引きむしる。だが、本当に恐るべきはプラナリアを越える再生能力により秒単位で傷を癒す能力。そして、金をも溶かしてしまう王水と同じ成分の胃液も恐ろしい。ベテランの戦士でも油断できない魔物だ。並の戦士では、5人がかりでも危ういだろう。これは決して誇張ではない。特にその再生能力は決して侮れない。どれくらい凄いかと言えば、手を肩から切断してほっておくと、数日後にはガリガリに痩せてはいるが新しいトロールが生まれているという。
 できれば一生相手にしたくない、だが倒せば一流の戦士の称号『トロールスレイヤー』と呼ばれる…トロールとはそんな魔物である。

「…見つかったぞ」
「なにしとるんやシンジは」
「ゴメン!」
「それですめば警察はいらんでぇっ!」

 で、基本的に名声とかに興味があまりないシンジ達は戦いたくないわけで。

 一緒に柱の影に隠れていたトウジとケンスケが、一斉に非難の声を上げた。
 上手くやり過ごせれば問題はなかったが、見つかった以上戦うしかない。彼らが隠れていたのは入り口が一つしかない部屋の中。外に出るためには、生きて帰るためにはトロールを倒すしかないのだ。キラキラ光る物体に気を取られて室内に入らなければと、罠にかかった鼠みたいに後悔しても文字通り後の祭り。

「こうなったらしゃーない。きばれや、二人とも」
「わかってる! シンジ、生き残ったら後でおごれよ」
「う、うん」

 トウジは新品のスレッジハンマーの柄をぎゅっと握り、ケンスケはすばやくボウガンの矢じりに、トロールにも効果がある即効性の猛毒『クラーレ』を塗りつける。そしてシンジはそれまで持っていた長剣 ─── バグベアの首を刎ねたマユミから貰った魔法の剣 ─── を投げ捨て、腰の鞘から超振動する魔法の短刀、通称プログレッシブナイフを腰引き抜いた。
 長剣が使えないと言うわけではない。だが、必ず一撃で倒すためには…プログレッシブナイフでないとダメなのだ。

『お前ら昼飯』

 発音も不明瞭で鈍り混じりの共通語で一言そう言うと、ソーセージのように大きな鼻をひくひくと動かしながら、トロールが三人に突っ込んできた。ドタドタと重い足音をたて、思い出したように棍棒を振り回す。
 その姿は暴走する機関車のようで恐ろしいが、覚悟を決めたシンジ達は妙に醒めた目でそれを見ていた。

 恐怖を殺してはいけない、受け入れる。
 冷静に敵を観察し、つけいる隙を探す。
 戦いとは、いかに自分の恐怖を殺すか。それが全てとも言える。
 どんな相手でも、よく観察すれば好きが必ずある…はず。
 そう言う意味で言えば、トロールは付け入る隙だらけと言えた。
 恐ろしい力と再生能力。それを台無しにしてしまう愚かすぎる知性の持ち主なのだから。と言うか知性持ってるのか? シンジ達がそう疑問に思うくらい馬鹿だ。
 現にケンスケがボウガンを持っていることに気付いているのかいないのか、ひたすら無防備に走り寄ってくる。

 ヒュヒュン!

 二連ボウガンの弦が続けて唸り、鋼鉄の矢がトロールの右目と胸板に突き刺さった。傷口から、血とそれ以外の何かが混ざった黄ばんだ体液が吹きこぼれる。

『…あおおおん!』

 一瞬遅れ、毒の痺れと痛みを感じたトロールは目を押さえてうずくまった。ケンスケの使う矢は短く、太い。返しが幾つもついた矢は深く突き刺さり、無駄に太く不器用なトロールの指では決して抜くことはできない。つねるだけでペンチのように肉をむしるトロールの指も、こうなっては身をむしった魚の骨より役に立たない。
 不器用な指が触れば触るほど矢じりは深く食い込んでいく。そして、こびりついたカビが目に入り、余計な苦痛を生む。息が詰まる激痛にトロールが苦しむのも無理はない。
 その隙に、シンジは大きく横を迂回しながらトロールの背後に迫った。まだ苦痛に呻いていたが、近づいてくる人間の臭いにトロールは後ろに向き直る。苦痛を闘争本能が上回ったのだ。
 顔中を血で赤く染めたトロールは、おぞましい表情を歪めながらシンジに腕を伸ばす。

『フンガー!』
「ハァッ!」

 激しい怒りと共に棍棒が振りおろされたが、既にシンジはその場にいなかった。体を捻り棍棒を紙一重で避けると、砕かれる石畳を後に残し、弾丸のような勢いでトロールの股の間をくぐりぬけ、その背後にいたからだ。

「ハァッ!」

 シンジがどこに行ったのか、まるで分かっていないトロールの後ろに立ち、シンジは気合いを込めると、プログレッシブナイフを持ち直す。逆手に持ち直したプログナイフがピンク色の燐光を発し、甲高い音をたてる。手の平、手首を伝わって全身を奮わせるこの刺激。シンジの心を高揚させる一瞬。
 その音に気付き、ようやくトロールが振り返ろうとするが…。

「てぇいやっ!」

 瞬間、白刃が閃き、トロールの膝の後が切り裂かれた。油っぽい鮮血が飛び散り、僅かに遅れて倒れたトロールの巨体が部屋を揺るがした。
 湿っぽい床を叩き、なんとか立ち上がろうと必死にもがくが、どうしても立てない。シンジの振るった刃が、正確に足の腱を切断したのだから当然だ。その傷口の深さと出血量から見て腱だけでなく、骨も切断していることは想像に難くない。

『うがっ……うがっ』

 トロールの顔に怪訝な表情が浮かぶ。
 いつもならこの程度の傷、すぐ治るはずなのに。勝手の違う事態に戸惑いながら、トロールはとにかく立ち上がろうと足掻く。

 シンジの短刀には魔法がかかっており、強い熱を出す。高熱や酸などで細胞を破壊された場合、いかにトロールといえどその驚異的な再生能力は封じ込まれてしまう。だからこそ、シンジは敢えて切れ味が良いだけの長剣ではなく、プログレッシブナイフを使ったのだ。
 もう動けないと判断し、トウジがトロールに近寄る。わずかなチャンスを狙ってトロールの腕がトウジに伸びるが…。

 ヒュヒュン!

 再び放たれた矢が腕に突き刺さり、その動きを阻害する。
 松明に照らされ壁に映ったトウジの影が、執行人の役割を果たすため高々とハンマーを振り上げた。
 そして物も言わず、鉄槌が無造作に振り下ろされる。

 ぱちゅり

 もちろん、不死身のトロールとはいえ、頭を潰されては生きていられない。いずれは再生するかも知れないが…。

 ぐちゃりと古い卵を潰したような音が響き、部屋中に生臭い脳漿混じりの血が飛び散った。
 壁に赤い水玉模様が至る所にでき、当然、正面に立っていたトウジは、


「うわぁ────! トウジ、近寄るな───!!!
 体洗うまでこないでよー!」
「えんがちょー!」


 と仲間に言われていた。
 ひでぇな、こいつら。気持ちわかるが。

「そ、それが仲間に言うセリフなんか、シンジ、ケンスケ…」
「いや、僕達だけじゃなくて、マユミさん達も勿論、アオイちゃんだって言うと思うよ」
 実際、松明に照らし出され、全身が血飛沫で赤く染まったトウジの姿は、まんまホラー映画の亡霊である。


「鏡見て見ろよ。凄い有様だぞ」
「…こんな事で水を使うことになるとは思わんかったわ」

 ため息をつきつつ、妹のことを言われると強く出られないトウジが体をざっと洗い終えた数分後。勿論、その間にトロールの死体には油をかけて火を点けている。

 嫌な臭いのする煙から逃げながら、シンジ達はじっと通路の奥…自分達が来たのとは違う方向に目を向けていた。

「どうする? 進む?」
「まだ大丈夫そうやしな」
「それじゃあ、騒ぎを聞きつけて他の魔物が来る前に急ぐぞ」



 とまあ、少々おちゃらけた所や、ピンチに陥ることもあったが三人は慎重に、だが確実に迷宮の奥へと進んでいた。
 この迷宮に入り込んでから既に1日経っているが、出てくる魔物、罠ともに気を抜くことができない危険物のオンパレードだ。もちろん、安全なビギナー用の迷宮だと言い張っていたケンスケは軽く締めた。

 確かに最初はビギナー向けだった。
 コボルト、ゴブリン、ホブゴブリンといった初心者向けの可愛い奴を手始めに、ガーゴイル、変異トカゲ兵、バグベア(巨大ゴブリン)、アンフィスバエア(双頭の蛇)といった中堅どころ。そして先のトロール、オーガー、極めつけはミノタウロスまで出る始末。場所が海辺だからか翼竜、アルゴス(陸行魚)とかいった珍種まで。ここまで来るとビギナー向けとは口が裂けても言えない。

 先のピラミッド探索の時とは、比べ物にならないくらいに強くなった三人だが、当然手に余る敵はいる。と言うか相手がゴブリンとかでも、一度に20匹いたらやっぱり手に負えないから逃げる。せめて接近戦ならともかく、揃って弓を持っているともなれば。
 ある時は隠れ、ある時は食料を投げて気を引いた隙に逃げ出し、またある時は三人で力を合わせて戦った。

 トウジのハンマーがバグベアの頭蓋を砕き、ケンスケのボウガンが猪に酷似したアルゴスの額を貫き、そしてシンジの振るう長剣と魔法の短刀がミノタウロスの首を刎ねる。

 順調に三人は迷宮の奥深く、いつの間にか地下奥底深くへと足を踏み入れていく。
 思えば、その時引き返すべきだった。
 上手くいきすぎているときこそ、罠を警戒するべきなのだから。
 だが、想像以上に自分達が強くなっていたことと、苦労した割りにほとんど宝らしい宝を手に入れてないことが、三人の思考を鈍らせる。やはり、まだまだ彼らはベテランの冒険者と呼ばれるまでには、相当の苦労が必要らしい。苦労する機会があればだが。
 そしてチャンスという物は、そうそういつもあるわけではない。















 通路を抜け、いかにも何かありますよと自己主張する扉の前…。
 三人の前に最大の強敵が浮かんでいた。

 鱗まみれの直径が2m以上ありそうな巨大な肉玉だ。腫瘍のような固まりが幾つも表面を覆い、見ているだけで生理的嫌悪感が腹の奥からこみ上げてくる。
 1m以上ありそうな巨大な目が自分達を見つめ、自分を呑み込んでしまえそうな巨大な口がニヤニヤと笑いを浮かべる。そして頭(?)にはちょうど10本、人の腕くらいの太さがある触手が波打っていた。ざわざわと気味の悪い音が響き、松明の光に照らされた虹色の鱗がじゃりじゃりと音を響かせる。
 シンジ達を認めた目玉のお化けの口が、ニヤァとゆがみ、三列以上生えた鋭い乱杭歯を露出させた。その一噛みで、鮫に噛まれるよりもっと酷いことになるだろう。
 そんな凶悪な口が動き、恐ろしいほど綺麗な発音で言葉がシンジ達に掛けられる。

【これはまた可愛らしい連中だな。
 ただ宝を求めてきたのか、それともあの娘を解放しようとしているのかはわからんが…。
 タブリス様の命令だ。丁重にもてなしてやろう】


「う、嘘だ。なんでこんなところに…」

 ケンスケがかすれる声を漏らす。
 体が芯から震える。事前に出す物を出していなければ、恐怖の余り失禁したかも知れない。それほどの恐怖が全身を貫く。
 まさか、あり得ない。あの伝説に残る恐怖の権化がこんな所に…。

 同じく、シンジも体の芯から来る震えが止まらない。
 あの魔物の正体どころか名前も知らない。知らないはずなのに、なぜか正確にその力の恐ろしさと、名前が分かる。じつは結魂してるが故に、マユミの知識を一部共有しているから分かったのだが、魔物の能力がわかったところで慰めにもならない。

「見つめるもの…」
「ほ、ホンマにあの伝説の大妖魔なんか!?」


 いきなり凶悪極まりない魔物の出現に、三人は震えることしかできない。迫り来る死の予感に身を竦ませ、ただゆっくりと見つめるものが近寄ってくるのを、どこか他人事のように見つめていた。
















 再び女の子達に場面と時間が移る。
 どうも女の子達の機嫌が悪い。予定なら、とっくにシンジ達に追いつき、慌てふためく彼らをとっちめていたはずなのだ。だのに、いまだに彼女達はシンジに会うどころか痕跡すら見つけることができず、代わりとばかりに現れる魔物達の襲撃に悩まされていた。
 最初に、分かれ道があってそこを右に行ったのだが、どうやらそれはシンジ達が進んだ方向とはまったく違う道だったらしい。その事に気付いた後、移動魔法を使って分かれ道まで戻ろうとしたのだが、何故か上手くいかない。下手をしたら石壁の中に飛ばされるかも知れない。恐らく空間自体にそれを封じる魔法処理がされているのだろうが…。
 とまあ、そう言うわけで無駄な手間がかかっている女の子達はとっても機嫌が悪かった。


「空気よ、毒の雲に姿を変えなさい。
 黄煙(イエローガス)」


「必殺、バーニシングフィストォーッ!」

「出よガンダー。なの」



 まあ、景気のいいことに三人の進む先には火炎やら雷やら毒ガスやら吹雪やらが吹き荒れ、シンジ達を襲う魔物よりレベルも数も全然違うというのに、出てくる魔物はみんな雑魚扱い。満を持して登場したはずのワイバーンとかゴーレムとかも瞬殺である。

 たとえばこんな感じ。









 ズシン…。

 通路の奥の暗がりから、重々しい足音を響かせながら巨体の主が姿を現した。闇の中でうねうねとうねる、蛇に似た頭が全部で5つ。大蛇が5体いるのか?
 いや、そうではない。その蛇の頭はいずれも同じ体から生えていた。まるで球根からのびる花の芽のように。

「こりゃまた珍しい生き物に出会うわね」
「ヒドラですね。初めて見ます」
「一生見なくても良かったのに」

 一つの胴体に複数本の首を持つ、恐るべき巨大生物であるヒドラだ。
 このヒドラは蛇に似た首が5本。胴体に口はなく、哺乳類でなく爬虫類タイプの体を持つごく一般的なヒドラだ。一般的なヒドラという物がいるとしての話だが。幸い火炎を吐くタイプではないようだが、恐ろしさと強さに代わりはないだろう。
 久しぶりの食べ物、それも極上の美少女にそれぞれの首が涎を滴らせながら、ヒドラは三人を一呑みにせんと首を伸ばす!

「ゴメス・リトラ・リドリアス。
 絶対の破壊を!
 肉を溶かし、骨を穿つ腐敗の滴よ!
 絶酸(シトロネラ・アシッド)」


 マユミがぶつぶつと何かを呟き、白魚のような指先をヒドラに向けた。
 瞬間、ヒドラの周囲の空気の色が真っ赤に染まった。まるで赤い羽虫の群に包まれたように、ヒドラの全身を赤い雲が包み込む。赤い霧の中、怪訝そうに首を揺らすヒドラ。
 次の瞬間。


「「「「「ぐぎぃええーーーーー!!!」」」」」


 凄まじい悲鳴をあげると、ヒドラはその場に倒れ伏した。
 霧に触れた鱗が一瞬で腐食し、その下の肉が焼け萎び、眼球は煮え爆ぜ、露出した内蔵は沸騰した体液によって内と外から破壊される。地面に倒れ込んだ首が、朽ち木のように爆ぜ砕ける。それでも浸食はやまない。床の石畳も溶けだし、ついにはヒドラの体は骨も残さず溶け弾け、粘液を滴らせる醜い腐汁まみれの肉塊だけが後に残った。











「ありゃ?」

 身構えたアスカの目の前で、トロールが悲鳴をあげた。殴りかかる体勢のまま、呆気にとられるアスカ。
 アスカ達の視線の先では、トロールが問題にならないような巨大な腕がトロールの胴体を掴み、高々と掲げあげている。まもなく、滅多に聞く事ができないであろう、トロールの泣き声が聞こえ、次いで悲鳴、咀嚼音、バキバキと胸の悪くなる音、最後に嚥下する音が室内に響き渡った。

「えぐ…」

 顔を背けるアスカの目の前に、何かが落下した。
 床に投げ捨てられたのは、涎まみれになった、頭以外の全身が骨だけとなったトロールの死骸だ。いったいどうしたらこんな無惨な死に方をするのか。

「あらまあ。結果が同じだったとは言え、やな死に方ねぇ」

 普通の少女なら気絶してもおかしくない惨劇を前に、アスカはいつもと変わらぬ口調で、トロールに替わって現れた敵を見つめる。トロールで正直物足りないと思っていた。だが、それを遙かに上回る敵は大歓迎だ。
 手伝おうかというマユミ達を軽く眼で制し、強敵の登場にペロリと唇の端を舐める。

 ジャバウォッキィー

 腐った巨体を重々しく動かしながら、ジャバウォッキィーがアスカ達に赤く濁った瞳を向けた。梅干しくらいの脳味噌では、その正体が分からなかったようだが、すぐに外見から判断してトロールの何千、何万倍も美味いご馳走…人間と見て取る。にんまりと嘴の端を歪め、ジャバウォッキィーは眼を細めた。
 穴だらけの蝙蝠みたいな羽をパタパタ動かし、鳥に似た頭のついた長い首を伸ばし、妙に人間に酷似した鈎爪のついた手を伸ばすジャバウォッキィー。

 トロールが相手にならないのだから、その強さは言うまでもあるまい。その恐ろしさと悪臭は物語にすらなっているくらいだ。
 だが悪魔娘のアスカはあくまで冷静だ。
 そのアスカの態度に面食らったのか、恐怖というスパイスで味付けさせようとジャバウォッキィーが鳴き声を上げて威嚇する。同時に腐ったチーズを万倍も酷くしたような臭いが、狭い室内に立ちこめた。

『ホロホロホロホロホロ』

「はっ、あたしも舐められたものね。
 こーんな雑魚で倒せると思われるなんてっ!」

 アスカの全身を深紅の炎が一瞬包み、そして炎は弾け散る。  臭いの元が鼻腔に達する前に焼き払いつつ、大胆不敵に敵の眼前で見得を切ると、アスカは右手の平をジャバウォッキィーに向けた。
 ジャバウォッキィーは思わず、好奇心を刺激された幼児のように、その手をのぞき込む。その赤く濁った目が数回またたき、じっとアスカの白い指を、手の平を見つめた。

「ばーか」

 次の瞬間、彼女の手から炎が立ち上った。
 彼女の特殊能力? いや、違う。
 彼女が旅立つ前、母親から貰ったブレスレットが炎を上げながら変形を始めたのだ。
 粘土細工のように炎の中で形を変えていく腕輪。アスカは知らないが、それこそ世界に名だたる魔法の宝、力を何倍にもする腰帯『メギンギョルズ』
 メギン(神力)を内に秘めた魔法の宝。以前の使用者は腰帯として使っていたが、今はアスカの趣味でブレスレットが基本形態となっている。
 数秒後には、腕輪は一振りの剣へとその形を変えていた。

「ブレードモード!」

『キシャ───!』

 剣への恐怖にか、鼻を焼け焦がされたジャバウォッキィーが悲鳴をあげながら身を捩る。炎はこの混沌の申し子の弱点。その無様な姿にペロリと唇を蠱惑的に舐め、アスカは殺戮の喜びに身を委ねた。ゾクゾクとした高揚感にイってしまいそうな表情をする。

「ふふふ…。この感覚、相変わらず最高だわ」

 手の中の一振りの剣が炎を吹き上げる。炎の剣、またの名をソード・オブ・ムスッペルスヘイム(スルトの剣)!!
 アスカは剣を上段に構えると、高く飛び上がった。翼を広げ、高々と!

「脳天から股まで真っ二つにされて死ね!」

 翼を大きく広げ、アスカは性的絶頂にも似た高揚感に身を委ねる。アスカの目に、ウットリとした艶が浮かぶ。
 そのまま話が続けば良かったのだが───、

 だが彼女はあることを失念していた。


「天空剣! 必殺Vのぐぁえっ!?」


 如何に広くとも、彼女達がいるのは迷宮の中なのだと言うことを。

 結果は無惨な物だった。
 驚異的なジャンプ力でジャバウォッキィーの頭の上にまで跳び上がり、そのまま音速の速さで頭が天井にぶつかる。まさかそんなオチが来るとは思ってもいなかったのだろう、笑顔のまま。
 グシッと硬い物に硬い物がぶつかる鈍い音が響き、迷宮が一瞬揺れた。マユミとレイは思わず目を逸らす。見ただけで苦痛が伝染しそうな凄まじい音だった。もう見てらんない。2人の目の前に首を変な角度に曲げてそのまま落下するアスカ。
 そして受け身も取らず地面に激突。

 マユミ、レイ、果てはジャバウォッキィーまでもが呆然と口を開き、金縛りにあったように指一本動かすことができない。
 その静寂を崩すようにアスカは悲鳴を上げてのたうちまわった。



「ぐぉおおおおおおっ!?」


 それはもう、言葉にならないくらい痛かったのだろう。アスカはそのまま頭を押さえて右に左に、パチンコ玉みたいに床を転がり回る。
 マユミとレイも呆気にとられていた。なんというか、友達やめたい気分だ。

 そして、さすがに驚いたが馬鹿だから立ち直りが早かったジャバウォッキィーは、無造作に鶏そっくりな片足を持ち上げ、

 ふみ。


「ぐぇえええっ」


 踏んだ。

 一声漏らしてアスカは沈黙。
 1秒、2秒…。踏み踏み、にじにじ。
 あんまりと言えば、あんまりな結果にマユミは目を左手で覆いながら右手を腰に当ててあさっての方を見、レイは冷たい視線をアスカに向けて、吐き捨てるように呟いた。

「あっちゃー」
「無様ね」

 それ君たちのセリフじゃないです。

「アスカさんっ、だからもう少し周囲に気を配った方が良いって言ったのに」
「退屈はしないの」
「とりあえず、仇はちゃんととりますから。だからシンジさんのことは私に任せて、安らかに眠って下さい」
「2人にまかせて…なの。とっておきで、決めるから。
 雪の魔神グロスト。
 精霊王である綾波レイの名に置いて命じる。その嘆きの叫びをここに実体化させなさい。
 ナイト・オブ・ダイアモンドダストなの」

『くわぁ───!』


 レイの背後に、鶏のような鶏冠が着いた水色の巨人が実体化する。瞬きをしない魔神の瞳が、敵であるジャバウォッキィーを睨み付けた。嘴がゆっくりと開いていき、突如真っ白な煙が吐き出される。

『ぎがああっ、あっ、あああっ』

 魔神グロストの氷の息を浴びた犠牲者は、たちまちのうちに全身を凍り付かせ、直後粉々に砕け散った。
 ジャバウォッキィーのような魔物であっても、この有様と言うことは…。
 このダンジョンの魔物では、彼女達の相手にはならないのか。恐らく、その通りなのだろう。

 いや、そう言うには少しばかり早計だ。彼女より強い魔物は、ごまんといる。だからこそ、魔物だらけの世界(モンスター!モンスター!)なのだ。

 怪物と怪物達が遭遇するのは必然だ。
 そして、彼女たちは出会う。



 気絶したアスカを2人がかりで抱えて迷宮を進み───、
 いかにも何かありそうな扉の手前にて、彼女達の行く手を阻む者がいた。

 めざとく気がついたマユミが警告の声を上げる。

「あれは…綾波さん、気を付けて」
「え?
 …見つめるもの?」
「なんでこんなところに…」

 気絶したアスカを床におろして戦闘態勢を取るマユミ達を見ながら、『見つめるもの』は面白そうに笑った。シンジ達が遭遇した『見つめるもの』と、色が紫と緑と異なってること以外、異様によく似ている。もっとも、『見つめるもの』の違いなんて普通の人間にわかるはずないが。

【貴様ら…見た目通りの存在ではないな?
 ふむ、ノーライフキングにスノーホワイトにサッキュバスか? なんで気絶してるかはわからんが…。
 まあいいさ。
 妙な組み合わせだが、面白い】


 口の端から蒸気の息をもらしつつ、『見つめるもの』は楽しげに笑った。
 アスカ達の実力がわからないのでもなければ、決して強がりを言っているのでもない。
 マユミ達レベルの魔物を三体相手にしても、『見つめるもの』は互角以上に戦える。それだけの力が誇張ではなく、本当にあるのだ。彼の言葉は実力に裏打ちされたもの。

「くっ」

 常になく感じたことのない焦りで、こめかみに汗を浮かべてマユミはギリギリと奥歯を噛み締めた。
 こんな迷宮に、ヒドラやオーガーのような大量の食料を必要とする魔物が1体でもおかしいのに、何体もいるのかと怪訝に思ったのだが、その答えは全て目前の見つめるものにあった。
 つまり、この見つめるものは召還魔法すら操れる。定期的に魔物を番人、あるいは食料として召還、あるいは合成していたのだろう。
 何のために?
 この迷宮は、マユミが図書館の記録で調べた限りでは数十年前に冒険者の活躍で魔物達は一掃されて、全ての宝は持ち出されたはずなのに。
 つまり、その後に新たな秘密が出来たか、あるいは冒険者達が気付かなかった秘密があると言うこと…。
 なんにしろ、簡単な冒険だからと旅だったシンジ達の不明を呪わずにはいられない。
 ビギナー向けの簡単な冒険なんてとんでもない。知らず知らずの内に、竜の顎にシンジ達は手を突っ込んでいたのだ。


【何しに来たかはしらん。機械人形を解放しようとしているのではなさそうだが…。
 だが容赦はせんぞ】




 見つめるもの、ビ○ルダーの単眼が冷たい光を放った。




続く






初出2002/06/30 更新2004/12/26

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