シンジ達の見つめる前で、それは邪悪な笑みを浮かべる。 善悪の分からない子供が、虫の足を千切るのとは明らかに違う。 自分が何をしているのか、何をしようとしているのか分かった上で浮かべる、邪悪な笑みを。 心底楽しくてたまらないと言うように。 玉乗りの玉のように巨大な眼球が、粘つく視線で三人を睨め回した。黄色の中心で黒い瞳がぐりぐりと踊る。明らかに格下と見ているが、それが許されるようなそんな瞳をしている。それはシンジ達にとって悲しいことに、事実だ。 ぞくり───シンジ達の背中に隠しようのない悪寒が走り、そして四肢が震える。 トロールと相対したときにも、弓を持ったコボルトの群れに囲まれたときにも、ここまで恐怖に襲われなかった。あるいは怒れるマユミやレイの前に立ったときにも。 自分達が場違いなところに来て、場違いな、一生遭う必要もなかった存在の前にいることを思い知らされる。それは邪悪でなければ生き残れなかったゴブリンや、バグベア、トロールなどとは違う。彼らには彼らなりに、邪悪なユーモアという物がある。 しかし、こいつは…! 【どうした、小僧共。こないのか?】 見つめるものの眼が見開かれ、房にした髪の毛のようにも見えた頭部の触手が激しく波打つ。 戦いに、殺戮に、血と肉と鋼鉄に飢えているのは一目瞭然だ。 その目に浮かぶのは理性という名の狂気。 心の底からシンジ達は思う。 勝てない! 勝てるはずがない! 形を持った邪悪に。 「シンジ、トウジ、逃げるぞ!」 大急ぎで回れ右をし、真っ先にケンスケは元来た道を駆け戻ろうとする。そのあからさまな態度と行動は、街の人間が、故郷の人間が見たら臆病者とか、腰抜けとか言うかも知れない。いや、言うだろう。 一合も剣を交えず背中を見せる者は、あの街の基準では臆病者以外の何物でもない。だが、この場に野次馬は居ないし、いてもケンスケはやはり逃げただろう。 名誉、勝利、栄光!いずれも彼が望んでいるものだが、彼はそれらに足蹴で砂をかけた。自分を弓に頼る臆病者と誹る同い年の男達も、天上の神も先祖の霊も何とでも好きに言うが良い。砂漠の男なのに戦士にならず、偵察兵として生きる道を選んだが後悔していない。 彼は自分を知っている。敵の能力も、不完全だが知っている。 敵を知り、自分を知るから彼は逃げた。 たとえ格好悪くとも、醜く足掻いて足掻いてもがいてでも生を選ぶ。 生きた者が勝ちなのだ。 喩えどんなに讃えられても死者は敗者だ。 それがケンスケの考え方。そして彼を育てた、彼の父親の考えでもある。 ヒーローだって負けることはある。だが、守らねばならない物、人がある時は、決して負けては、死んではいけない。こんな所で、勝てもしない戦いを行って死ぬわけにはいかない。 奇遇にもシンジ達の考えも似たようなものだ。 トウジは家族のため、妹のために何があろうと生き延びることを誓い、シンジは死ぬのは一生懸命生きてからと考えている。 名誉や因習に縛られ、雄々しく戦って死ぬことを最高の栄誉と考える周囲の人間とは明らかに違っている。だからこそ、三人はタイプがまったく違うのに気があったのだろう。それとも…? それはともかく、勝つためには、生きる残るためには戦わないことが一番だ。 特に、絶対に勝てない存在が敵として目の前にいるときには。 (そうだ、勝てない戦いは戦わないこと) そう、とても勝てる相手ではない。人間に使役され、番犬代わりに使われるような紛い物ならともかく、本物の目玉の暴君に、彼らのような若葉マークの冒険者が勝てるはずがない。 シンジ達もよくわからないなりに、見つめるものの危険性に気がつく。 威圧感、魔力、絶望的なまでの暗黒の力! ケンスケと同じく、彼らもまた砂漠の人間とは思えないほど、色々な物事に、戦いに対し柔軟な考えをする。勝てないようなら即逃げる。 自分達では、少なくとも今の自分達では逆立ちしたって勝てない。当然、ケンスケに習って大急ぎで走り出す。 その逃げっぷりは、見つめるものが一瞬驚き、自分が何を成すべきか忘れるほど見事な逃げっぷりだ。 だが! 【そうはいかん】 見つめるものとて、久しぶりの玩具を逃がすほど抜けてはいない。 乱杭歯の飛び出す口を歪めると、底意地悪そうに三日月形に眼を細め、シンジ達にはわからない言語で何事か呟いた。 【FUNCTION CHECK. RUNFORM = "DOOR.CLOSE()" 】 ふと嫌な物を感じて肩越しに後ろを振り返ったシンジは、マユミやレイのそれとは明らかに違う呪文に、なによりその笑いに、心の奥の何かがけたたましい警告の声を発するのを聞いた。 それは夢のように漠然とした不確かなイメージだった。だが一度わき上がったそのイメージは、啄木鳥のドラムのようにシンジの胸を打つ。 (わからない…わからないけど、とても嫌な感じだ) このまま走ったら…死ぬ? 刹那、たたらを踏みつつシンジはその場に立ち止まる。 「…トウジ、ケンスケ待って!」 【ジェルガ!(閉門)】 突然走るのを止めたシンジの言葉に、一瞬ケンスケは足をゆるめた。勢いがつきすぎていたから、完全に足を止めたわけではなかったが、結果それが彼の命を救うことになる。 ギ、ギギギ…ドゴン! 誰も手を触れたわけではなかったのに、彼らが入ってきたまま開け放されていた鉄の扉が、物凄い音をたてて独りでに閉まった。ドオーンと重い音が室内に響き、微かに埃が天井からこぼれ落ちる。 しかも、どこに隠されていたのか、壁の隙間から棘(スパイク)だらけの鉄格子まで飛び出す念の入りようだ。 それは鼻の頭の皮を刮ぎとりながら、ケンスケの眼前を駆け抜けた。 「なっ!」 飛び出した鉄の格子は瞬時に閉まり、まるで最初からそうであったように三人の退路を断った。 微かに血の痕の残る錆だらけの鉄杭が、壁に穿たれた穴の中に鍵穴にはまる鍵のように滑り込んで。 無駄だろうと思いつつ、ケンスケは鉄格子を掴んで揺するがやはりビクともしない。 慌てて背後を振り返り、室内全体を睥睨するが他に出口と言える物は奥の大扉のみ。 全身が痺れたようになり、力が入らなくなるケンスケ達の背後で、見つめるものは愉快そうに笑う。 ハヤニエは見られなかったが、手ずから獲物を引き裂くことが出来る…。 手はないけど。 【勘の良いのが居るな。 そう言うことだ。貴様らが生き残るためには、私を倒すしかない】 無理だろうがな。 そう言外に臭わせながら見つめるものは蒸気混じりの息を吐き出した。 【さあ、戦いだ戦いだ戦いだ戦いだ! 人と魔の戦いだ! 過去数千年! いや! 混沌の穴が開いてから! 天に血の架け橋ができてから! 女神が生まれて死んだ、 大審判の日から数万年の永きにわたって続けられている戦いだ】 |
|
真
Monster! Monster! 第23話『パルテナの鏡』
かいた人:しあえが
|
|
どうでも良いけど、いや良くないけど。こいつ出すのって結構勇気いりますわ。 いらん事考えるなと、こっち睨みそうだから話戻します。 久方ぶりの獲物ことシンジ達を睨み付けながら、どう料理しようかとサディスティックに、楽しい事を考える『見つめるもの弟』。 兄ほどではないが実に陰険で、猫がネズミをいたぶるような殺しを好む真性のサディストだ。とは言うものの。見つめるものなんて大概そんな物だが。 やがて考えがまとまったのか、頭の触手を腐敗した食物にわく蛆か、イソギンチャクのそれのように動かしながらニヤリと笑った。 悪意しか感じられないその笑み。 こんな存在が実在することを許す現実をシンジは恨まずにはいられない。 混沌の穴よ、呪いあれ。世界を崩壊に導いたあの破滅の日…あの元凶達に呪いあれ! やがて考えがまとまったのか、見つめるものの口元に陰険そうにゆがんだ。 わざわざと口に出して、シンジ達を脅えさせようとする念の入れよう。 絶対に友達はいない。 【久しぶりの獲物だ、石化させたり、消滅させるのは勿体ない。 八つ裂きにして、骨も残さず喰らってやる!】 その言葉と共に、見つめるものの瞳孔がキュッとすぼまり、縦に割れたネコのような瞳孔から、淡い光がサーチライトのようにシンジ達に向けて照射された。 かわすいとまもなくその光に照らされ、顔を庇いながらシンジ達は悲鳴をあげる。 「「「うわあああっ!?」」」 何が起こるのかと、恐怖に身を縮める。焼かれるのか、凍らされるのか、腐らせられるのか…。光に身を晒しながら、ケンスケが何か知ってるのではないかとシンジは視線を向けるが、どうも知らないらしい。使えない奴。こんな時に、こいつダメだとか考える人のこと言えないシンジ。 それはともかく、できればすぱっとあっさり、痛くない方向だと良いなと後ろ向きなのか前向きなのか、さっぱり訳わかんないことを考えたりする。 (いやだ…やだよ。こんな所で死ぬのは、嫌だよ…。 やっぱりケンスケの口車に乗らなければ良かった。ダメ人間と言われても、マユミさん達とイチャイチャしていれば良かった!! ……。 …………。 あれ?) が、いつまでたっても何も起こらない。 痛みも何もなかったことに怪訝な顔をしながら、シンジは恐る恐る頭を上げて周囲を見回した。すぐ横で、同じように怪訝な顔をしているトウジ達を見るが、やはり彼らも戸惑っていることが一目瞭然だ。 「…何も起きないね」 「無事なんか? いったい何やこの光は」 「いや、俺は並のドラゴンよりずっと強いって話しか知らないから」 依然、見つめるものははわけの分からない笑い声を上げながら、巨大な単眼から謎の光を放出し続けている。目から光を出してるわけだから、当然向こうからこっちは見えていないのだろう。 遅延性なのか? と警戒するが、やはり異常はないようだ。 もう十数秒浴びているが、やっぱり何かが起こったような様子はない。 何事もないなら、それにこしたことはないけれど。 なーんだか小馬鹿にされてるみたいで、そこはかとなくムカッとくる。まだ弱い彼らだけれど、それなりにプライドという物はある。 悦に入ってる見つめるものはそんなシンジ達の様子に気付きもしない。バスケットボールよりでかい目玉の眼中にない。と言われてるみたいで、ますますムカっとくる。変なところでプライドが高い三人。 それはともかく。 油断してるならしてるで、こっちの行動で良いのかな。と、イニシアチブが移ったことを確認するように、無言で顔を見合わせる。…良いようだ。 シンジ達にとっては大チャンスなわけだし。 「なんなんだろね、これ?」 「わかんねぇ。 聞くだけ無駄と思うけど、トウジ分かるか?」 「わからん。こけおどしか?」 まあ、よくわかんないけどやられたらやり返せ。 トウジのアイコンタクトにケンスケは軽く頷くと、親の商売品からくすねた特別製の矢を矢筒から取り出す。なにがどう特別製かは知らないけれど、アンデッドや果ては悪魔にも効果があるという代物だ。大概、その手の宣伝文句がついてる賞品は嘘八百を並べているだけだが、彼の父親が扱ってる品物は違う。飛び道具関係ならなおさらだ。 ともあれ、やたらキラキラした銀(?)製の矢をクロスボウに装填し、音を立てないように弦を引き絞る。そして屈んだトウジの肩を借り、片目を閉じて狙いを付ける。未だに得意そうに笑う見つめるものに。 距離はおよそ41歩。半端に精密射撃には遠い距離だが、彼の腕前なら直径2mほどの球体など…。 10cmの距離からコーヒー皿に矢を当てるも同じ事! なんのためらいも戸惑いもなく、引き金を引く。 【くっくっく、人間ども!! 恐怖に狂え、おののけ! 絶望だ! 絶望しろ! …ぐぉおおおおおっっ!?】 ぷすっと真なる銀(ミスリル)製でしかも逆又の返しが一杯ついている矢が、トカゲじみた鱗を突き破って深く突き刺さった。ブチブチと何かを引きちぎりながら、唸りをあげて矢じりが肉を抉っていく。しかも闇の属する生命にとっては、鉛以上の猛毒となるのミスリル銀だ。その痛みは想像することもできないが、酸で傷口を焼かれるより痛いだろう。 残念ながら弱点っぽい目には当たらなかったが、それでも庇に突き刺さった矢がもたらす激しい痛みに、見つめるものは恐ろしい悲鳴をあげた。それだけでなく、ゴム鞠のように上下に弾んで苦しみ悶える。 こんな状況でなければ、思わず笑ってしまいそうに滑稽だ。 ぼよんぼよん、弾んで弾んでどうにかこうにか矢を引っこ抜こうと足掻くが、手のない悲しさどうしても無理っぽい。でかい目玉だからこれまた特大の涙の玉を滲ませて、見つめるものは絶叫した。痛み半分、屈辱半分って所だろう。 【いきなり何も言わずに撃つか、普通!? なんだこの光はっ! とか何とか言うことあるだろうがっ! お約束を守らん奴らがぁ!! ってしまったぁ! よく見ればお前らの中に魔法使いは一人もおらんではないかぁ!!】 分かる奴が聞けばわかるのだが、中途半端な知識しかないケンスケ、同じく中途半端にしかマユミの知識を共有していないシンジ、論外のトウジでは何を言っているのかさっぱり分からなかった。それはもう、綺麗さっぱりに。何言ってんだこいつって具合である。 「なんかよくわかんないことを言うなぁ。魔法使いがいたらどうなったんだろ?」 「魔法使いだったら…ロクでもないことが起こったってだろ?」 「せやったらラッキーやな、ワシら」 わけは結局分からないけど、メダマン(トウジ命名)が苦しんでいる今の内に。 当然そう考えた三人は、それぞれの武器を手にウォーと雄叫びをあげつつ、見つめるものとの距離を詰めた。今の間の抜けた展開から肩から力がすっかりと抜けて、戦う勇気をすっかり取り戻したのだ。 もしかしたら勝てるかも知れない。いや勝たないといけない。それぞれ自分達を待ってるはずの人の顔を思い浮かべ、軽く頷き合う。三人の決断は早かった。 【くっ…いつの間にあんな所に!?】 かなり距離は開いていたのだが、この三人の瞬発力はかなり高い。元々素早いシンジとケンスケ、覚悟を決めたトウジ…。その速度は甘く見ていたらエルフだとて敗北を喫する…かも知れない。 あっと思う間もなく、彼らは見つめるものの目の前に到達していた。 文字通り、メダマン、もとい見つめるものは三人の速さに文字通り目を丸くした。 なにしろ見つめるものには手足がない。魔法の力と体内に精製した水素ガスの力で、空に浮かんで移動はできるが、見た目通りに接近戦は苦手だ。舌を使って相手を絡めとって噛みつきとか、頭の触手でサンドバッグに浮かんで消えた憎いあん畜生の顔めがけ、叩け叩け叩けとかはできるが、接近戦が得意らしいシンジとトウジ相手では…。 逆に舌を捕まれて切って切って、また切ってと切り刻まれる可能性大。 舌は彼の生殖器を兼ねてもいるので、色んな神経が集中している。その苦痛は想像することもできない。と言うかしたくない。 タラリと…金壺眼の横に汗が浮かんだ。 これはまずい。 もういくらも時間がない。三人はただ距離を詰めただけでなく、その勢いをそのまま利用して突撃をかけようとしている。捨て身になってるとも言えるが、その分初太刀の威力は増すだろう。彼ですら危うくなるほどに。 (ふむ、となればこうするまでだ) 無駄に痛い思いをするのは、彼とて望むところではない。さて…? (どれを使うとするか) 考えがまとまった見つめるものはゆっくりと巨大な単眼を閉じた。 同時にシンジ達に照射されていた光が消えるが、それはわかりきっていたこと。相手に魔法使いが居ないのなら、この光は替えって自分にとって邪魔にしかならない。常々思うが同時に使えないことのなんと歯がゆいことか。…そこまで恵まれた能力を持っていてなお力を欲しがるのか。力の欲望に際限はないと言うが、過分な望みと言うべきだろう。 (まあ、いずれにしろ…) 人間にはわからない、微妙な苦笑を見つめるものは浮かべた。 ゆっくりと、恐怖に怯えさせて、その生肉に某漫画の登場人物のごとく蘊蓄たらたらと舌鼓を打つつもりだったが…。 (圧倒的力で蹂躙するのも…嫌いじゃない) その変化は劇的だった。 あまりの気持ち悪さ、そして全身を駆け回る第六感の警告にシンジの行動が一瞬鈍る。 【まさか貴様ら如きに使うことになるとはな】 閉じられた単眼と交代するように、頭頂部で蠢いていた触手の先端が一斉にシンジ達に向けられた。ふつふつと全身を粟立たせるシンジの目前で、触手の先端の皮が、ブドウの皮が剥けるようにめくれかえり、粘液にまみれた眼球がさらけ出されたのだ。 小さいながらもそれぞれの触手の先に、握り拳大の眼球がついていて、それぞれが自分の獲物…つまりシンジ達を睨み付けていた。黒い単眼の瞳とお揃いというわけではなく、色が違って青だったり緑だったり、黒だったりと色々あるところが気持ち悪さに拍車を掛ける。 美しい瞳とは言うが…あれはやはり、その他の付属物があってこそ言える言葉だと痛感させられる。 触手とか、鱗だらけとかだけでも生理的嫌悪感を呼ぶというのに、さらに目玉だらけ。睫毛付き。しかもみゃーみゃーと子猫のような鳴き声まで上げている。 素手で腐った魚の臓物を掴んだような気分になって、シンジ達の顔色が変わる。たとえ知識がなくとも、触手の危険性は直感で分かった。 あの目には何か飛んでもない能力がある。 それも激烈に命に関わるような何かが。 できれば引き返したいなぁ、と考えるのだがここまで勢いがついては後の祭り。 止まるに止まれない、諸行無常。 そもそも止まれたって、こいつを倒さないことにはどこにも逃げられない。 プチリと何かが切れる音がした。 「ちくしょー、こうなればやけくそだー!」 「死んだるでー!」 「ば、馬鹿! 二人とも逃げろ!」 ちゃっかりケンスケだけは途中で突撃をやめて、横にとんだ。さてはこいつ、真剣に突撃するつもりが無かったな…。 要領が良い。と言うべきなのだが…。 こう言うとき逃げるとどう言うことになるか、彼は理解してなかったらしい。天は彼を見放した。 曰く、ずるはめーなの、めー。 ぐるりと触手の数本が横に跳んだケンスケの方を向いた。 「え、うそ? なんで? 俺が最初の標的?」 当然と言えば当然の展開を肯定するように、あるいは回答者を讃えるライトのように。 触手の先端についた眼球、それが電球のように光った。 シビビビッ とか擬音が聞こえたような錯覚を起こしつつ、光線がケンスケめがけて照射された。 避けようとしたケンスケだったが、跳んだ直後で姿勢の崩れた彼には光線を避けられなかった。 「ぎぃやああああああっっ!!!!」 光が命中した瞬間、さっきと違ってケンスケは隠しようのない苦痛の悲鳴をあげた。 強烈な力で胸郭を締め付けられ、なおかつ重力に逆らって彼の足が、地面を離れていく。悲鳴をあげるケンスケの体が見えない手で捕まれているように持ち上がり、一瞬のうちにで天井近くまで上昇する。 「これは……テレキネシス!?」 見つめるものが、シンジの言葉を肯定する笑いをあげる。 これだ、こうでなくてはなと、なんとも愉悦に溢れた笑い顔だ。 【その通りだ。これぞ念動光線!】 空中高く持ち上げられたケンスケは手足を振って暴れながら、おろしてくれ〜とか助けてくれと叫ぶ。まあ無理もあるまい。鳥でもない彼が、突然大地というがっしりとした存在から切り離されたのだ。生まれてから今まで一度も離れ離れになったことのない存在から切り離される…。動転するのは無理からぬ事だろう。 気分は悪ガキに捕まえられた蛙って所か。いま、彼は子供の時の無邪気な気持ちを呪った。あの(検閲削除)な行いの報いなのかと。 「おあああ、助けてくれ! 下ろしてくれ! もうしてないけど、とにかくガキのころしたことは謝ります! 二度と小さな生き物を(検閲削除)したりしません! だから誰か助け…」 見つめるものはニヤリと口元を歪めて笑う。子供って俺達以上に残酷だなと少し思いながら。 【その願い、かなえてやろう】 「え、うわぁ、ちょっとタン…ひぃっ! おぐえっ!」 直後、そのまま固い地面めがけて叩きつけられるように落下した。およそ10mの高低差を。当然だが、途中で都合良くブレーキになるような樹木なんて無い。 ぐちゃっ、とかメキッとかベキボキとか形容しがたい音が室内に響き、突撃をやめたシンジとトウジの顔色が、土気色を通り越して凄い色になる。 「すごい…」 「まだ生きとる。なんちゅー生命力や」 どういう状況なのか。ただシンジ達が正視できないことからどれくらいの有様なのか想像はできるだろう。その前にそれが友達に言うセリフなのかという気がしないでもない。シビアな関係だ。 【それでも友達かお前ら。 …しかし、人間かホントに?】 死んでもおかしくないが、血反吐を吐き散らしながらもケンスケは生きていた。これはもう、どっこい生きてるシャツの中とかそういったレベルに匹敵する生命力。これにはビ○ルダー、もとい見つめるものもビックリだ。 「にょにょにょにょにょ…」 自分でした事ながら、ちょっとこれは酷い。酷すぎる。呻き声もなんか危ない。 しかし、闇の魔物とは思えない柔弱さだな、こいつ。もっと違う方法でやれば良かったと慚愧の念にかられてることから、どれくらい情けない奴なのかが知れるというもの。 ケンスケのあまりの惨状に触手についた目も全部逸らしてしまってるし。 【うっ、こ、これだけではないぞ。次はこれだ!(やべえよ、こいつ)】 再び触手から光線が発射され、折れた骨が突き出たり、関節が増えてたり、なんかはみ出ているケンスケに命中した。 途端に呻いていたケンスケの動き止まり、血塗れだったその皮膚の潤い、しなやかさが急速に失われていく。同時に皮膚だけでなく、血塗れの服から眼鏡、背中に背負っていたバックパックまでも色がくすんだ灰色になり、ついには…。 「ケンスケが…」 「石になってもうた」 苦悶に歪んだ表情を浮かべたまま、ケンスケは一個の石像と化していた。爪だけでなく、髪の毛一本一本まで精密に作られた石像へと。 これぞ見つめるものの触手が持つもう一つの特殊能力、『石化光線』 これにはシンジ達も驚きを隠せない。 他の触手も、きっと何かえげつない能力を持っているに決まっている。 しかもそれぞれが別の獲物を狙えるらしい。なんという嫌らしさ。卑怯さ! こんなん相手に勝てるか! シンジは再び自分の読みの甘さを呪っていた。途中で引き返せば! いや、のこのこケンスケの誘いに乗ってこんな所に来なければ! 今頃、マユミかレイか、はたまた…アスカあたりとむにゃむにゃしてたかも知れないのに…。 どんなに素晴らしい時を過ごせたかも知れないのに!! マユミは言わずもがなだ。最近、とみに肉体が開発されてとってもシンジ好み。たぶん大きさ自体は若干アスカに負けているが、身長差のこともあり、見た目は一番大きく見える胸がとっても彼好み。カップサイズだけなら、アスカを超えているだろう。 初めてあったときはもうちょっと小さかった気がするが、それもこれもシンジとの日々たゆまぬスキンシップのおかげ。具体的に何をしてるかは秘密。いや、ナニなんだけど。 レイ…。 彼女はまだ幼いので、いや、体でなく言動とかが。 もうちょっと大人になってくれないと立つ物も立たないが、それでも彼女とのスキンシップはとても楽しい。ユイが帰ってきて、きちんと式を執り行うまでできないってのは問題だけど。 でも最後までできないならできないなりに、色々楽しむ方法はあるのだ。少し肉付きが足りないが、それはそれでとにかく良し。きっと、目の覚めるような美女になることを想像しつつ、人には言えないスキンシップを楽しむことだって出来るのだ。 将来彼女は絶対大人になるわけで、そのときのことを考えると…。 古代文献の小説の主人公、光源氏とやらもこんな気持ちだったのだろうか。 そしてアスカ。いきなりやって来て、一方的に【精液寄こせ】と言われたときは痴女か変態かと引きまくったが、聞けば色々事情がある様子。なにより、その生唾ごっくんな肢体が魅力的だ。その彫りの深い顔も、妖精を見ているようで不思議な気分にさせられる。当人はそう言われると激しく怒るのだが。どうも妖精はレイを連想させて嫌いらしい。 引き締まったお腹、無駄な贅肉のないふくらはぎ、全身の脂肪を集めたのかと思うような、弾丸のように突き出たふくよかな胸と安産形のお尻。柔らかい受け止めるようなマユミとは、違った意味で攻撃的にグラマーな美少女。 シンジみたいな猿、もとい青臭い少年がコロリとなるのは至極当然。 まあとにかくタイプの違う三人の美少女に囲まれて。 世の中の幸せを一身に集めたと言って過言ではないシンジは、この世の春を感じたことだろう。傍目から見れば、そうとしか見えないこともうなずける。 ただし、三人がそれぞれ一人ずつだった場合。 でも現実にいるのは、気の強い女の子と、我を曲げない女の子と、結構芯の強い女の子。 三人が三人とも、お互いを牽制しあい、ぎすぎすした空気が始終漂う。 マユミとレイはいい。 本当に仲の良い姉妹みたいな関係になっているし、三人一緒に仲良く寝たこともある。後学のためとか言われて、レイを交えて…の時は本当に凄かった。結婚するまでまだダメというレイは横から…だったし、マユミはマユミで…。 しかし、アスカは。 どうやらレイと知り合いのようだが、出会うなり闘犬のように激しい喧嘩を繰り広げた。 マユミはおろおろとその仲裁にはいるのだが、レイはともかくアスカはそれを聞こうともしない。 それどころかマユミをかつてのレイのように『泥棒猫』、『どん亀』と呼んで大喧嘩。レイを『人形』と呼んでこれまた大喧嘩。どうも足がとにかく遅い(他に理由があるかも知れないが)マユミは、亀呼ばわりされることが、レイは人形呼ばわりされることが大ッ嫌いらしい。 最近はアスカもマユミ達もだいぶ落ち着いたようだが、一体過去に何があったのやら。 さらに無責任なユイは、 「そのうち仲良くなるわよ。 そのうちにね。強敵と書いてトモと呼ぶような関係に。 あ、今私はニューワールドの首都にいます。そっちの大陸に渡る定期船を待ってるんだけど、出航予定が来月でしかも航海に補給停泊しながらで2ヶ月くらいかかるみたいなのよ」 それはそれでなんかやな事を書いた手紙を送りつけてそれっきり。 そして三人の女の子の無言の圧力に、いたたまれなくなったシンジはケンスケの誘いに乗った。 「宝の地図を手に入れたんだ! 古代文明の残した遺跡のだよ」 以前、マユミの眠る遺跡に行ったのと同じ口説き文句だということを警戒するべきだった。 孤島にある古代文明の迷宮探検。少しもぐってちょっとお宝を見つけた後は、海で遊んで帰るつもりだった。泳げない彼だけど、釣りをしたり、生き物の観察をしたり…。小学生の臨海学校みたいなことは不問にしておこう。 勝手に冒険に行ったことにマユミ達は怒るかも知れないけれど、お土産を買えば、まあちょっとは機嫌を治してくれるかなと、甘い打算があった。 それが大した物が何も手に入らず、しかも弱い敵しかでないと聞いていたのに徐々に強くなっていく魔物達。それに誘われてあとちょっと、もうちょっと大丈夫と思い、ドンドン奥深くもぐっていき…。 ついにはマスタークラスの魔物が目の前に。 まさに後悔先に立たず。 …全部シンジが悪いような気がしなくもない。 今更ながら地獄の悪魔も裸足で逃げ出すという、目玉の暴君の能力を思い知るシンジ達であった。 終わりのない万華鏡のような回想を終え、絶望の表情を浮かべるシンジ。万華鏡というより走馬燈というのか、この場合は。 彼らの様子に満足そうに見つめるものは笑い声をあげる。 【無知な奴はいちいち説明しないと行けないから面倒だが…。 ふっ、我の能力が、力が分かったか! おののけ、そして恐怖に震えるが良い! いや、どうせこんな所に来る貴様らだ。生きていたとて、ろくな事はなかったろう! 感謝して欲しいくらいだ】 (……なんだって? なんでそこまで言われないといけないんだよ) 確かにシンジ達はおののき、恐怖に震えている。 だが見つめるもののその言葉に、切れかけていた意識をつなぎ止め、覚悟を固めた。何というかやたらむかつく。 こんな自慢ばっかりする奴に、目玉のオヤジの出来損ないみたいな奴に大人しくやられてたまるか! あがいてあがいてあがきまくってやる! 「…トウジ! 生き残ろう!」 「当たり前や!」 完全に心が折れていたはずのシンジが向き直り、仲間に檄を飛ばす姿に面食らうが、見つめるものは全ての触手をシンジ達に向けた。 本気になった見つめるものは口を一杯に開け、覚悟を決めたシンジ達に迫る! 触手の先端の眼球が光った。 【恐怖の閃光!】 虹色に光る閃光が空間を凪ぐ。 「当たるもんか!」 横に跳び、かろうじてシンジは避けたが、当たっていたらどうなったことか。たぶん、後ろを向いて訳の分からないことを叫びながら闇雲に逃げ出そうとしたのだろう。事実、恐怖の閃光には恐怖(フィアー)の魔法と同じ効果がある。 【魅了光線!】 トウジには別の光線が直撃した。 彼の身を案じ、シンジは顔を強ばらせるがトウジは僅かにクラッと来ただけで、すぐに立ち直るとハンマーを叩きつけた。容赦のない力で振り回されたハンマーが見つめるものの側面にめり込む。腫瘍が潰れて鱗が一部はじけ飛び、肉にハンマーのスパイクが突き刺さる。 「効かんでぇっ!」 【くっ、単細胞に効きづらいか?】 魅了光線が効果無かったことと思わぬ攻撃にひるみ、見つめるものはふよふよと風船のように漂いながら、トウジから必死に離れようとする。お返しに、トウジに触手からの光線を当てたいところだが、なにぶん近すぎて自分にまで当たってしまうかも知れない。距離を取らなくてはと、必死になって逃げる。 「そうはいくか!」 すかさず、銀の閃光のように走り込んできたシンジの、右手の長剣が、そして左手の短刀が一閃した。 巨大な単眼が閉じられているため、今は魔法消去光線が放たれていない。つまり、シンジの長剣…真っ二つの剣と短刀…プログレッシブナイフに魔法の力は戻っている。微かに燐光を発しながら真っ二つの剣が、プログレッシブナイフが空を切り裂く! 袈裟懸けに振られた真っ二つの剣は見つめるものの横顔を切り裂き、横薙ぎに振るわれたプログレッシブナイフは、素晴らしい切れ味を見せながら見つめるものの触手の一本───睡眠光線を発射する触手 ─── を切り飛ばした。 血液とも、他の体液とも区別が付かない物をまき散らし、猫の悲鳴のような声を上げて切断された触手は床をのたうつ。すかさず、シンジは革のブーツのスパイクですりつぶすように踏みにじった。 【ぐあああっ! 人間の分際でッ!】 「だったらどうだって言うんだよっ! 人間だから何だってっ!」 見つめるものは叫びながら牙を剥いて噛みつくが、シンジが着ていた銀の鎧 ─── マユミの用意した真銀の鎧 ─── に阻まれてしまう。虚しく牙は鎧の表面を滑り、シンジは僅かに身を捩っただけでその顎をいなしてしまった。それどころか、攻撃を受け流しながらプログレッシブナイフをふるって、目のすぐ上の表皮に傷を付ける。ざっくりと出来た横一文字の傷から鮮血が吹き出し、見つめるものは苦痛で固まる。そしてその隙をついて、トウジのハンマーが再び叩きつけられた。 ガス嚢まで突き破られそうになり、見つめるものは苦痛に身を捩る。このままだと、殴り殺されてしまうかも知れない。 (ぬぅぅ、こいつら…分不相応な物もちやがって…) やはり接近戦はシンジ達が有利だ。 (こうなれば、本気を出すまでだ!) ならばと見つめるものは別の触手をトウジに向けた。 【怪物魅了光線!】 再び閃光が走り、防御を捨て攻撃に専念したトウジを正面から照らし出す。 「なんや、さっき効かんかった物をま…ま? ま゛─────!?」 今度は効果があった。 先の魅了光線と結果は同じだが、威力自体はこちらの方が上だ。たとえ前者の光線は抵抗(レジスト)できても、こちらは…。 光が直撃し、奇声を上げたトウジの目がうつろになる。ふらふらと風に揺れる柳のように頼りなく震え、力の抜けた手から、持っていたハンマーを取り落とした。 「トウジ!? トウジ!」 「………」 目がぼんやりとし、まるで綺麗で肉感的な女性を見ているような目で目前の肉塊を見つめる。実際の所、トウジの眼には絶世の美女か全てを語り合える親友か何かのように見えているのだろう。ほっておいたら、クロスアウトして、謎の物体Xをぶらぶらさせながら熱いベーゼをしにいきそうだ。 効きすぎ。 それはさすがに嫌なのか(嫌だろうなぁ)見つめるものは顔をしかめる。 【くんな、お前】 再び別の触手から光線がほとばしり出た。 強いエネルギーを持った光線は狙い過たず、両手を広げたトウジの胸に命中する。命中箇所の鎧が弾け飛び、そこから鮮血がほとばしった。 「ぐはぁっ!」 「トウジ!?」 痛みで正気に戻ったのか、腐った魚のようにどんよりしていた目に光を取り戻すと、胸を押さえてトウジはうずくまる。慌てて彼を庇うように駆け寄るシンジ。 彼らしい行動だが…。 まさにそれこそ見つめる者の待ち望んでいた状況。 【にあ───】 黒い瞳を持った触手が、気味の悪い鳴き声を上げた。 【くっくっく。狙いどおりだ、2人まとめてくらえぃ!】 触手からシンジ、トウジ二人共を巻き込む円錐型に広がる光線が照射された。 この光線は浴びても苦痛がない。 「うぁっ!? か、体が…」 苦痛はないが、代わりにシンジ達の動きが微速度撮影でもされているように、非常にゆっくりとした物になった。 【遅延光線だ。この光線を浴びたら、動く速度が半分になるのだ!】 確実に敵を仕留めようとするその考えに考えた攻撃に、シンジは歯がみする。今まで戦った知性生物というのもおこがましい、ゴブリンやコボルド、トロールとは明らかに違う。初めて戦う戦術を駆使する敵。破壊光線を撃っても自分達を倒せたはずなのに、確実を期すため敢えて遅延光線を浴びせるとは…。シンジは自分が追いつめられたことを悟った。 トウジは苦痛と出血に呻き、とても戦闘を続けられそうにない状態だ。しかも出血の早さや苦痛は変わらないのに、感覚だけが間延びしたようになっている。このままだと、ショックが強すぎて意識を失い、最悪死亡してしまうかも知れない。ケンスケは言わずもがな。 今、戦えるのはシンジだけしかいない。 だがそのシンジも遅延光線によって、行動を遅くされている。スピードで引っかき回すことが勝利するための鍵だった。それだけに、この遅延光線は火球の呪文以上に致命的な一撃と言えた。 「くっ、うわぁぁぁぁ────!!」 せめて一太刀。 それが運良く致命的な一撃となることを祈って、シンジは飛びだした。 ケンスケ、トウジを見捨てて逃げることはできない。それをしたら、彼が彼でなくなってしまう。 なにより、そんなことはしたくない。できるわけがなかった。 理由はない。だが、彼は決して仲間を見捨てる、助けられるのに助けないという、後ろ向きな行動を嫌っていた。 十中八九、シンジ達は助からないだろう。 でも、僅かな可能性があるのなら…。 【愚か者が】 余裕の笑みを浮かべながら、見つめるものは金色の瞳の触手をシンジに向けた。先ほどトウジに浴びせた破壊光線を撃つ触手ではない。シンジの着ている鎧は魔法の鎧だ。ダメージは低い物になる可能性がある。最悪、止まることなく自分に刃を突き立てるかも知れない。これ以上の攻撃をあびることは、見つめるもにとっても危険だった。 【もうちょっと遊びたかったが…。 死の閃光!】 せめていつもの速度を出せたならかわせたかも知れない。だが、今の彼ではかわすことはできない。 強制的に細胞の生命力を奪い、さらに催眠状態にすることで対象に速やかな死を賜る闇色の死の光。 それがシンジの全身に照射された。 ドクン 「あ……そんな…」 いきなり体が動かなくなる。目もよく見えない。思考も霞がかったようにはっきりしない。 走っていた足が止まり、よろよろと前に二、三歩歩き、そして前のめりにシンジは倒れた。だが彼は自分が倒れたことにも気がつかない。もう心臓はビクリとも動かず、脈もなければ息もしていない。 頬を石畳にぶつけて倒れたシンジの視界に、トウジ達が写っていた。 ケンスケは石になって無言の叫びをあげ続けている。 出血が酷すぎたのか、血溜まりの中に横たわるトウジはピクリとも動かない。 死んではいないだろうが、すぐに手当をしなければ出血多量で遠からず死ぬ。その前に、見つめるものの遅めの昼食になってしまうだろう。 「ごめん、みんな。 トウジ、ケンスケ…。ダメだった」 (誰も、助けられなかった。自分自身も…) 視界がだんだん暗くなっていく。 かすかな風のようにか細い声が彼の口から漏れ、一筋、涙がこぼれ落ちる。 ゆっくりと、扉を閉めるようにシンジの目が閉じられた。無念と悲しみを一杯にたたえた目が、瞼に隠される。 瞼の裏の暗闇の中、マユミが、レイが、アスカがなにか叫んでいるのが聞こえたような黄がした。 「シンジさん!」 「碇君…」 「馬鹿シンジ!」 (もう、ダメだよ。ごめんなさい…。幸せにするって約束したのに。 でも、一生懸命生きたから、だから、もう良いでしょ?疲れた…) そして心臓の鼓動、呼吸に続いて、シンジの意識の波も、止まった。 全て止まった。
「もういいの?」
(母さん?) 「シンジ」 (父さん?) 遠くで何か声が聞こえる…。 歌のような、遠吠えのような。 初めて聞く、だけどどこか懐かしい。 それは子供達の歌。始祖の呼び声。 「シンジさん!?」 彼女らしくない大声を上げると、雷に打たれたように、マユミは全身を硬直させて、糸が切れた操り人形のようにその場に倒れ込んだ。かろうじて手を前に出して倒れ込んだおかげで頭を地面にぶつけはしなかったが、目は開いているが虚ろで何も映しておらず、フラフラと揺れる体には意識が感じられない。 「マユミちゃん!」 「ってこら、ファースト! 持ち場を離れ…しょうがないわねー!」 慌ててレイが側に駆け寄り、マユミの体を小脇に抱えると、風の精霊の力で体重を軽くすると大きく後方に飛び下がる。 一瞬遅れて、彼女達が居たところに光線が照射された。 ジュバジュバとフライパンで肉か何かを炒めるような音がし、光に凪ぎ払われた部分の床が綺麗に消滅していた。あと一歩遅れていたら…。 肝が冷えるとはこういうことを言うのだろう、レイは吐き気にも似た感覚に戸惑いながらアスカの方を見た。 「しばらく時間稼ぎお願い」 「いいけど、高くつくわよ!」 「まけて」 「まかんない」 「どうしてそういうこというの」 う〜と唸りながら、意地悪なことを言うアスカを恨みがましい目でレイは睨む。 二人のやり取りに見つめるものは憤慨したのか、口から泡をとばしながらアスカに襲いかかった。 【うが〜〜〜!!】 長い年月生きたが、彼ら兄弟をここまで小馬鹿にする相手は実に三人目だ。二人目と三人目は言うまでもなくアスカ達。そして一人目とは…思い出したくもない。自分達兄弟をタコ殴りにして、圧倒的な力の差を見せつけて無理矢理忠誠を誓わせた銀髪の少年…いや、青年のことは。特にあの人を小馬鹿にしたような笑い顔は。 なにが歌は良いねぇ、だ。 【おまえたち、俺を馬鹿にしてるだろっ! ただではすまさんぞ!】 単眼から照射される魔法消去光線にさらされ、アスカが全身に纏っていた炎の衣が、プラグスーツを残してかき消えた。たとえ地獄の炎と言えど、見つめるものの視線からは逃れられない。その力は、以前レイが召還した大怪球グローバーのそれと同じか、それ以上。 誰がこんなやっかいな魔物を生み出したのか知らないが、いらない仕事しかしない奴だ。 チッと舌打ちをしつつ、なんとかその視線から逃れようとアスカは走るが、敵もさるもの、レイとマユミが行動不能になったことを判断すると、アスカだけに的を絞って攻撃を繰り返した。 いかに悪魔であるアスカと言えど、その視線の中では一切の魔力(マナ)を使用する能力は使うことができない。つまり、素手で戦うしかないわけだが、魔力を拳に込めて殴ることこそアスカの得意技だ。どうしても威力が半減することは避けられない。ならばとメギンギョルズを剣にでも変えようとしても、やはりその魔法消去光線の中では使うことができない。魔力(マナ)だけではなく、神力(メギン)までも封じてしまうとは、誠に恐ろしい力の持ち主である。 (どうにもやりにくいわね〜) かつて…魂の力がない所為で歯がゆい思いをしていたのと同じ状況だ。 もちろん、完全に魔法を使って戦うマユミ達に比べれば、まだ戦えるのだが…。 今までに数回魔力の伴わない拳撃を繰り出したが、大したダメージにはなっていないようだ。苦痛に口をしかめながらも、見つめるものはまだ余裕の表情。やはり、魔法が使えなくては、所詮軽量級の彼女の攻撃はダメージらしいダメージを与えられない。 (らちが開かない。…こうなれば!) こうなったらと、素早いステップでアスカは見つめるものの左に回ろうとする。当然相手もそれを追うが、それこそアスカの望むところ。 左に跳んだ瞬間、翼を広げてブレーキをかけるとが立ち直る隙を与えず、逆に跳んだのだ。 【しまった!】 「へっへーんだ! それじゃ、本気の一撃で行くわよ〜!」 いままで翼を使って飛ぶことをせず、相手に意識させなかったアスカの作戦勝ちだ。 だが、本番はこれからと言える。魔法消去光線の範囲から外にいれば、それで全て有利に事が進むわけではない。いや、かえってもっと恐ろしいことになるかも知れない。 後を取られたのなら、それはそれで仕方ないと、見つめるものは魔法消去光線の範囲にレイとマユミを留め、あえてアスカを自分の背後に回らせる。 (…来る!) 拳に魔力を集中させ、炎を燃え上がらせながらアスカは緊張した。つま先立ちになり、少し腰を落としていつでも飛び退くことができるように態勢を整える。自分をじっと見つめる触手の眼球を瞬きしないまま監視する。一度でも瞬きすれば、その時彼女は死ぬかも知れない。 【破壊光線!】 紅い瞳の触手が光り、アスカに向かって光線が発射された。 避けきれないこともなかったが、アスカは敢えてそれを右手で受け止めた。魔法防御を突き抜けたエネルギーで手の平の皮が弾けて血が滲むが、胴体に直撃するよりはずっとマシだ。 苦痛に喘ぎながらも、アスカはこらえる。 「くぅっ」 動きの止まった彼女に、緑色の瞳の触手が向けられる。 【そして石化光線!】 先の光線を敢えて避けなかったのは、これを確実にかわすためだ。 石畳みが割れるくらいの勢いで地面を蹴ると、アスカは右に跳んだ。遅れて彼女が立っていた場所に青白く輝く石化光線が照射される。埃が一瞬で砂に変わり、地面に落ちるのが目に見えたような気がする。 ひゅぅっとアスカは息を飲んだ。 いかに悪魔でも、この光線を浴びたら問答無用で石になってしまう。特にアスカのように受肉した悪魔ならなおさらだ。まあ、石化しても元に戻れないことはないのだが…。 続いて、白目と黒目が入れ替わった触手の瞳がアスカを睨んだ。 【お待ちかねの分子崩壊光線!】 (待ってなんかいないわよ〜〜〜!!) 心の中で悲鳴をあげつつ、続いて照射された光線を石化光線以上に必死になってアスカは避けた。その姿には、普段の彼女が見せる余裕は微塵も見られない。 こればっかりは当たるわけにはいかないのだ。 当たれば…。 ちらりとアスカは自分の左腕を見た。肩から先が綺麗に消滅している。赤い肉と骨の断面からじくじくと少しずつ体液が滲んでいる。まともに見てしまって卒倒しそうになるが、なんとか意識を保ったのはほんの数分前だ。悪魔らしくないこの性格がちょっと恥ずかしい。 これ以前の攻撃をかわしそこね、かすってしまったのだがその結果はあまりにも悲惨だった。このとおり、音も何も発生させずアスカの左腕が消滅したのだから。 苦痛がないのがかえって恐ろしい。いったい、消えた物質はどうなってるのだろうと興味がわく。違う世界にでも飛ばされたのか、本当に分子レベルでバラバラになってるのか。 頭から浴びて知りたいとも思わないが。 「レイ、もういつまでも時間は稼げないわ!」 額に流れる汗を鬱陶しいと思いながら、アスカはなおも牽制を続けた。 目玉の暴君を倒すためには、どうしても複数人でかからなければならない。 早くマユミをどうにかしろと、必死の思いを込めてアスカは叫んだ。 「マユミちゃん、マユミちゃん」 「はあ…うう……ん。 あ、綾波さん?」 アスカの焦った声を聞き、同じく焦りながらレイはマユミを揺さぶり続けた。頭を打っていたりした場合、そんなことをしたらいけないのだが急に何かを叫んで倒れたので、その心配はないだろうとレイは見て取った。 とにかく、レイの必死の呼びかけが功を奏したのか、それとも手の平が氷のように冷たいからか、意識を失っていたマユミはビクリと体を震わせると目を覚ました。だが、まだ体は僅かに震え、まるで苦痛を堪えるように自分の胸を押さえているところがレイには気がかりだ。 「一体どうしたの? 急に倒れて、凄く心配したの」 まだ混乱しているのかマユミの瞳の焦点はあってないが、それでもなんとかレイの質問に対して言葉をこらす。 「私……たしか、心臓が止まって、シンジさんが、それで…」 「碇君がどうしたの?」 「この胸の痛み…。 さっきのイメージは…。シンジさんが、シンジさんが、死んじゃったのかも。どうしよう、綾波さん、私、一体どうしたら」 どっちが年上か分からないが、まるで迷子の子供のようにすっかり動転してしまったマユミはレイに縋り付いた。ぎゅっと暗闇に怯える幼児のように縋り付き、いつもた逆転した状況にレイはなにがなんだかわからない。 「やだ、そんなの。シンジさん。あの人がいたから、シンジさんがいたから私生きようと思ったのに、それなのにこんな、こんなの」 ブルブルと震え、一瞬かいま見たシンジの最後の様子が悪夢のように彼女を責めさいなむ。あの遺跡の奥深くから自分を助けてくれたシンジは、彼女にとって英雄とか、救い主という言葉では言い表せないほどに大切な存在だ。だからこそ、そのシンジが死んだかも知れないと言う状況は、彼女にとって受け入れがたい物事なのだろう。 「どうしよう、どうしよう」 レイはレイでマユミの言葉に驚き、同じく混乱しそうになった。 なにしろレイもまたマユミと同じく、いや、もしかしたらそれ以上にシンジのことを案じている。マユミ同様のパニックに陥ってもおかしくはない。 だが、レイはマユミの肩を掴むと、 「ごめんなさい」 と一声言って、ぱしんとマユミの頬を平手打ちした。戦いのさなか、乾いた音が室内に響く。 頬を走る鋭い痛みと、思ってもいなかったレイの行動に、マユミは頬を押さえて、ビックリした目でレイを見つめる。レイはその視線に耐えられないかのように顔を背けたが、それでもはっきりと言った。 「碇君がどうかしたって、マユミちゃんが言うならきっとそうだと思う。 でも、今は私達の方も大変なの。 このままだと、アスカも、私達も。だから…」 「………う、うん」 まだ夢でも見ているようにぼんやりとしてはいたが、マユミは震える足腰を叱咤しながらなんとか立ち上がった。 そう、今はこの強敵を倒さないと…。 「ごめんなさい、綾波さん。取り乱して」 「ううん、良いの。マユミちゃんは無事だったから」 そう言うレイの目は少し潤み、声は震えている。 聞きたいことは山ほどある。 でも、今は! 「アスカさん、今行くわ!」 「おっそーい! 何してんのよあんた達ー!」 「お猿さんは気が短いの」 【おまえらたいがいにせーよ!】 敢えてレイは魔法消去光線の範囲内に囮として残り、マユミは範囲外へと走る。 見つめるものの触手から、アスカに向けられている以外の魔法である『睡眠』、『恐怖』、『魅了』×2、『死の閃光』が発射された! 無防備に走るマユミはそれをかわせない、いや、かわそうともしない。 シンジが死んだかも…という情報に絶望し、死ぬつもりなのか? 襲い全力疾走で走るマユミの全身を、複数本の光線が舐める! だが、平然とした表情のままマユミは走り抜けた。 【なっ!? きかんだとぉ!?】 「石化光線や分子崩壊光線ならともかく、こんな光線ききませんよ〜だ」 非常に珍しいマユミの憎まれ口に、見つめるものは怒りに震えると同時に、あることを思いだしていた。アンデッドには、ゾンビからバンパイア、死霊(レイス)や幽霊(ゴースト)までも含め睡眠や魅了、恐怖などの精神に効果を及ぼす呪文は効果がないことを。そして当たり前だが死の光線が、既に死んでいる彼らに効くはずがないことを。 見た目に騙されるが、一応アンデッドであるマユミにも、やはりそれらの魔法や光線は一切の効果を持たないのだ。 【くそっ、つい撃ってしまった!】 そう、普通ならアンデッド相手に上記の魔法の光を使ったりはしない。いかにも腐ってますと全身アピールしてるゾンビとか、霊魂ですと自己主張してる幽鬼(ワイト)とかには。 だがマユミの見た目は完全に普通の人間であったため、ついうっかり使ってしまった。知的生物らしからぬ、だが知的生物だからこそ犯してしまったしくじり。光線は連射できるわけではない。撃つためには、その分だけ力を溜めなくてはいけない。ロスした時間は大きい。 その隙にマユミは呪文を唱え終えていた。 「天翔流星矢(イカルスマジックアロー!)」 マユミが右手を見つめるものに向けた。 指先の空間が揺らぎ、現実がマユミの想いに浸食され、現実にはあり得ない超物理現象が起こる。 その指先に無数の…36本の光の矢が生まれ、一斉に見つめるものに襲いかかった。 【くそぉあああっ!】 普通20本も矢を作れば大魔法使いと呼ばれる世界で、36本もの矢を作るとは…。内蔵の下の方に冷たい物を感じながら、見つめるものはぐるりと体を回転させ、魔法消去光線で矢を消し飛ばす! だが、その時にはレイもまた召還魔法の呪文を唱え終わっていた。 レース編みの敷物のような、蜘蛛の作りだした自然の芸術のような光の魔方陣が描かれ、レイの背後の空間が歪み、超高次元の存在がレイの呼びかけに答えて現世にその姿をかいま見せる。 「彼の者の名は心を持った刃! 光を切り裂くの闇の風、闇を呑み込む深銀の刃! 出よ、伝説の忍! ニンジャマスター、バルタンキング!! そして綾波レイの名において命ず! その力の一端を示せ!」 レイの背後に生きたまま伝説となり、そしてイモータルとなったシノビの者…ニンジャマスターの姿が浮かび上がった。蝉のような顔、鈍く光る複眼の瞳、銀色の滑らか鎧(?)が全身を包み、その両手と頭部はまるでハサミのような形状をしている。そしてなんとも特徴的な笑い声。 【フォッフォッフォッフォッフォッ】 風もないのに身長ほどもある銀色のマフラーを後方になびかせる彼こそ! 彼こそはバルタン一族最強の戦士! 生きながらにして伝説となった存在! かつて国が滅び、流浪の民となったとある部族がいた。彼らは生きるため、傭兵、それも凄腕の暗殺諜報専門の傭兵、ニンジャとなる。そして彼らは安住の地を見つけた後も、忍びの道を究めんが為に、別の生物の能力を取り込んだという。 【拙者の出番でござるな】 意外に渋い声で応えながら、バルタンキングは大きさがレイの身長くらいはありそうな、ハサミのような形状の右腕を、見つめる者に向ける。次いでハサミが鳥の…それも猛禽の嘴のようにグワッと開く。ハサミの中の暗い空洞に、青い光が瞬いた。 【忍法、百花繚乱氷雨華(バルタン・フロストバルカン)】 雨か雪崩のように大量の氷飛礫がハサミから飛び出し、嵐のような勢いで見つめるものに襲いかかった。見つめるものはこれはたまらないと、単眼を大きく見開いて飛来する氷飛礫を睨み付ける。 しかし、既に存在している現実の氷は消え去ることなく、呆然とその場に浮かぶ見つめるものに襲いかかった。 まるでカンナで削るような音を立て、触手が数本まとめて削り飛ばされる! 【ぎぃやああああああああっ!!!】 【では、これにて御免】 役目を果たすと、バルタンキングはかき消すように消え去った。だが、そこで安心は出来ない。彼に優るとも劣らない恐ろしい攻撃が、見つめるものに襲いかかった。 「これでも、くらぇーい!」 そこへすかさず、アスカが拳を燃やしながら飛びかかる。 慌てて見つめるものはアスカに向き直ろうとするが、苦痛に一瞬行動が遅れてしまう。 (しまった…!) そう思ったとき、彼の視界が闇に包まれた。激しい痛みが身体中を駆け回り、脳をかき回されるようなぐちゃりという鈍い音が響く。見つめるものは単眼が潰されたことを悟った。 もう、触手についた目でしか物が見えない。 後からアスカが、右からレイが、左からマユミが攻撃を繰り返している。 『震える空気の、風の、大気の、空の、天魔の号砲! 絶・超音波直進光線刀!』 『酸鼻に満ちた阿鼻叫喚で満たすため。 出よ、冷凍魔竜ブリザラー』 『熱い心と天慶の喜び! 安らぎの世界を燃え上がらせるため! 焼き尽くせソドムフレア!!』 また数本の触手が千切れとんだ。 今度の攻撃はレイなのかマユミなのか。 再び攻撃があり、胴体に巨大な穴が開いた。水素ガスや内臓が噴き出るのを感じる。もう、何も見えない。何も感じない。 そして最後の触手が切り飛ばされた。 (私は死ぬのか…) こんなところで。 そう思う。 もう少し、上手く戦えば良かったと後悔がよぎる。決して勝てない相手ではなかったのだから。しかも付け入る隙まであった。 だが、彼は負けた。 全身をずたずたにされ、血反吐をまいて死ぬことになるだろう。 (まあ、良い。この退屈な任務から、やっと解放されるのだから) あの少年に自由を奪われてから、ただ死んでないだけの日々。 いい加減うんざりしていた。 殺される苦痛と恐怖は少々刺激が強いが、それもまた一興だ。いい加減、この世界に飽いていたから丁度良い。 死んでいく自分を客観的に楽しみながらも彼は思う。 ただ一つの心残りは、自分と一緒に召還された弟のことだ。 (無事でいると良いが…) 『必殺、バニシングフィストー!』 そしてアスカのトドメの一撃が目玉の奥にある心臓を掴みだし、ついにこの目玉の暴君も生命活動を停止した。 見つめるものの死体の側に腰を下ろし、アスカは荒い息を吐いた。 正直、仲の悪い自分達のチームワークで勝てるとは思っていなかった。負けるつもりもなかったが、それでも相当凄いことになると思っていた。 それなのに最後の瞬間、お互いの考えてることを理解し合い、協力しあって素晴らしい連係攻撃ができた。だから勝つことができた。 (よくもまあ、あんな土壇場で) 改めて胃が恐怖に痙攣し、全身の筋肉が緊張と疲労からガクガクと痙攣を始める。 「勝ったわ」 「ええ、勝てたわね。はあ、しんどい」 「二人とも、無事ですか?」 腕はこうなったけどね。 と、苦笑いしながらアスカはマユミ達に笑い顔を向ける。空元気でも元気…ということで、あっけらかんとした口調で言ったつもりだったが、体は正直だ。 今頃になって痛みが甦ってきたが、耐えられない痛みではない。 脂汗を流しながらも、アスカはそう判断する。弱みは見せたくない。それをネタに、何をどうされるかわかった物じゃない。どうにも他人を信頼すると言うことが出来ないアスカだった。 「大丈夫よ。あんた達もご苦労様」 「そんな、こんな大怪我なのに」 心配で倒れそうな顔をしながら、アスカの腕に包帯を巻くマユミをじっと見る。 人を信用しないアスカだが、それでも打算とかそう言ったことではなく、純粋に心配して自分のことのように感じているらしい。どうして他人のことでここまで世話を焼けるのだろうと不思議に思っている。マユミはアンデッドの中でも、最上級の存在、無機王だったはずだが…と。 少なくとも、地獄に堕ちてきた妖術師や降霊術師は自分のことしか考えない、極めて利己的なやつばっかりだった。まあ、マユミは不死の女王にしてはかなりの変わり者なんだろうが。 そんなことを考えながら、手当をするマユミを見てたら気が紛れた。 (結構やるわね、私ほどじゃなかったけど) 一度、シンジとレイの居ない間に、彼女の能力も何もかも取り込もうとたくらんだことがあったが…。 シンジの童貞を奪った憎たらしい奴と思ったけど、どうしてどうしてなかなかやると感心した顔つき。 どうもアスカは、まず喧嘩してから仲良くなるタイプらしい。 マユミとレイも疲労の極みだったが、うっかり優しげな笑みを浮かべたアスカにつられてフフッと顔をほころばせる。 「これから、どうします?」 「今は何も考えたくない。とにかく少し休も」 「賛成」 「その意見に従うのはやぶさかではないのですが…。シンジさんの様子…が?」 言いかけてマユミは体を硬直させた。じっと波紋を作らずに泉をのぞき込むように、心の奥底深くをのぞき込む。 なにか変だ。 死んだはずのシンジに何かあった。と言うより、何があったのだろう? この感じ…本当に死んだのだろうか? どうなったか、初めての経験であるし詳しいことは分からない。空間を歪めている迷宮の所為もあって、どうも上手く情報が伝わらない。 だが、しかし、生死に関わる何かがあったことは間違いない。 今すぐ助けに行かないと、死んでしまうような何かが。 それなのに…。 (これは、シンジさんの命の力? わからない…。 いったい、何が起こっているというの?) 続く 初出2002/10/27 更新2004/12/26
|