Monster! Monster!

第24話『アルゴー』

かいた人:しあえが







 遂に戦いは決着した。だが、勝者である美女達の心は晴れない。
 戦いよりも緊張を呼ぶマユミの一言が、その場にいた全員の鼓膜を震わせたから。
 シンジが死んだかも知れない…。最悪の言葉。
 激闘の名残が生々しい、今だ煙が立ち上る迷宮の一室にて。
 腐った生ゴミのような臭いを放つ目玉の暴君の死体の横で、アスカとレイはただならぬマユミの様子に言葉を無くしていた。

 シンジが…死んだかも知れない?

 恐ろしい言葉に、文字通りアスカ達は顔色を無くす。表情こそ変えないものの、レイの声には微妙な震えが走り、冷静を装うとしているがアスカは態度、動作から見てもわかるほど激しく動揺している。彼女の努力が報われているとは言い難い。

「シンジが…どうしたの?」
「マユミちゃん、早く教えて」

 肩に指を食い込ませながら迫る2人の剣幕に押されたのか、それに応えるマユミの言葉はどうにも歯切れが悪く要領を得ない。口下手なマユミは、語彙が少ないわけではないが言葉にすることが苦手なのだ。それでも彼女なりに相手の反応を考慮して、言葉を尽くしているのだが、それがアスカ達にはどうにもまどろっこしくて仕方がない。

「シンジさんは…死んだけど、でも生きているかも、いえ、そもそも本当に死んだのか」
 結局、どっちなのやら。

(結魂したのが私だったら、一々聞かなくともわかったのに!
 悔しいな…ってそうじゃなく!
 マユミ、はっきり喋りなさいよね!)

 1人で勝手に怒ってそれをうち消して困惑して。こんな時にも関わらず、アスカは自分で自分を変だと思う。シンジが死んだことに、どうして自分が動揺しているのか…適当な理由を思いつくことが出来ない。
 いや、わかってるけどそれを認めるわけにはいかない。
 なぜって彼女は悪魔だから。
 愛とか友情なんて知らない、知るはずのない、知ってはいけない悪魔だから。

(どうせマユミ当たりに言わせれば、意地を張らずに素直になればいいのにとか言うんでしょうけどね)

 本当はわかっている。自分が動揺している理由は。
 このアスカ様が…、と認めたくないが、アスカはシンジが気になって気になって仕方がない。好きなのか嫌いなのか、愛してるのか憎んでいるのか。それはわからないけれど、気になって仕方ないことは本当だ。暇なとき、ふと気がつくとシンジのことを考えていることがある。
 一度ならず思うのだ、シンジに面と向かって『あんたことが気になって気になって仕方がないのよ!!』と言うところを。どんなに楽な気持ちになることか。結果がどうなるにせよ、好きなのか嫌いなのはわかるだろう。
 だが、自分がどうにも意地っ張りなこともよくわかっている。今更、素直になって、『気になってる』なんてことを言えない。言えるはずがない。いや、認めたら、その瞬間自分は惣流アスカラングレーではなくなってしまう。

(いいもん、別に。マユミみたいに結魂なんてしなくても。
 どうせ将来、レイもするんでしょうけどさ。私には関係なんか…ない)

 そう思いつつも、彼女がマユミを見る目には羨望の色が混じっている。
 一人じゃない…それはとても人を強くする物なのだと思う。側にいて、一緒にいてくれる人がいるって事は。時として、それは弱点にもなるけれど、逆にとても人を強くする。父と母のように。強さを求めるアスカにとって、とても心曳かれる事実だ。
 たぶん、今のアスカとマユミが戦った場合、アスカは決して勝つことが出来ないだろう。

(…って今はそんなことを考えてる場合じゃないわ!
 シンジがいまどうなったかを…友達…は適当じゃないわね。恋び…却下よ! 却下!
 私が、私がなんで馬鹿シンジを恋人に…。あいつは私が天下を取るための踏み台にしか過ぎないのよ!! そうよ、そうに決まってるわ! だから別に胸なんかドキドキしてなーい!
 とにかく!
 えーとそうだ。同居人として、あいつのことを心配してもおかしくないわ!)

 はっと気がつくと、物凄く心配した顔のマユミと、相も変わらぬ無表情なレイが自分をじっと見ていた。

「あら?」
「だ、大丈夫…ですか?」

 脅えているが、自分を心配しているマユミは良いとして…。

「狂犬みたいにギャンギャンうるさい。狂ったの?」

 いきなり狂犬呼ばわりするレイの言葉に、アスカは心のどこかの線が切れる音を確かに聞いた。アスカ個人としても、かなり気が短いような気がするが、こればっかりはどうしようもない。気がついたときには、アスカは口から唾を飛ばし、ギロリと蒼い瞳を見開いてレイを睨んでいた。

「誰が狂犬よ、誰が!?」
「あなた」
「き、き、きぃぃ〜〜〜〜〜!!」

 アスカははっきりと悟った。子供の悪口の言い合いと違い、レイは心の底からそう思っている。改めて自分の好敵手(ライバル)にして殲滅対象の存在を強く意識するアスカだった。
 そんなアスカに、レイはさらに追い打ちを懸ける。

「きぃ〜〜〜?
 狂犬と思ったら猿なのね。どっちかというと猿よりグレムリンかも知れない」
「この…」

 手で押さえなくとも、心を落ち着けて耳を澄まさなくとも分かる。全身の血液が激しく脈打ち、燃えさかるガソリンのように全身を流れていることが。こめかみの血管なんか、蒼き龍のようにはっきりと浮き上がってることだろう。
 見つめるものより何より、倒さなくてはならない存在が居ることをアスカは改めて確認した。

「殺す。殺してや…こら、マユミ離しなさい!!」

 反射的に飛びかかるアスカだったが、珍しく素早く動いたマユミに腰の辺りに抱きつかれた。剃刀のように長い爪がはえた指を伸ばすが、惜しいところでレイの顔に届かない。フッと鼻で笑われて、ぺろっと指先を舐められて何というか。

「なにしやがるのよこの野郎!!」
「あ、あああ、ああ、アスカさん! 落ち着いて下さい!」

 そのまま、無表情に自分を見るレイの顔が、なんだか嘲ってるように見えて仕方がない。
 ついでに自分に抱きつくマユミの体の柔らかさを意識してしまって、そこはかとなく顔が赤くなって仕方がない。背中に感じる自分よりボリュームがあるマユミの胸の感触とか、桃の花みたいな香りとかが悔しいやら気持ち良いやら。

「離せ! マユミ、離しなさいよ!(うわ、服の上からじゃわからなかったけど、マユミって…でかっ。しかも、やば。感じちゃうかも…)」
「いいえ、離しません! 離したら綾波さんに飛びかかる気でしょう!
 そんなことさせないわ!」

 そんなことを硬く目をつぶって叫びながら、頭をグリグリするマユミ。彼女は首を振ってるぐらいのつもりなのだけど、つむじの部分がアスカのへその辺りを刺激して、途端にアスカは腰から下がガクガクと震えて力が入らなくなる。改めて、言葉に出来ないくらい敏感な体が嫌になる。シンジやユイ辺りに言わせれば、『最ッ高じゃない!』とか何だろうけれど。

「あ、ひゃ、ひゃい!(う、嘘ぉ!? お腹に頭を押しつけられてるだけで!?)」
「離さないわ! アスカさんが落ち着いてくれるまで、絶対!」
「んくぅっ! こ、こんな時だけ、妙な、はぁっ! い、意地張るんじゃ…ああっ!」
「だって、だって…2人が喧嘩したら、仲良くできなかったら…シンジさん悲しむから。私も、せっかく出来た、初めての友達が、新しい家族が喧嘩するなんて、悲しいから。だから、絶対…離さない」
「あああ、わかったから! お願い、そ、それ以上はぁぁっ!!
 やだやだ、こんな事で…よりによって、まゆ、まゆ…み、にぃ!」

 押しのけようと肩を掴む手に力が入らず、首を後方に仰け反らせながらアスカはハアハアと荒く熱い息を吐く。一方、頭の上でアスカが凄いことになってるなんて知る由もないマユミは、閉じた目の端に涙をにじませながら、僅かに声を震わせて言葉を続ける。

「お願いだから…暴れないで、喧嘩しないで…下さい。
 今は、今はシンジさんが…大変なときだから…だから、お願いします」

 そしてつむじではなく、感触がとても微妙なほっぺたの辺りを擦りつける。

「あぅっ! わかった、わかったから! だから、だ、抱きしめないで!
 ほっぺた擦り付けないで!」

 もうなんて言うか息も絶え絶え。狙ったわけでもないのに、着ていたシャツがまくれ上がって、素肌を直に触られてアスカはもう気絶寸前である。マユミだってアスカほどではないが充分すぎるほど敏感なのに、この差は一体なんだろう?
 一端意識した分だけ、アスカが不利なのは当然だけれど。
 横では、レイが何も言わずに頬だけ紅潮させてじっと成り行きを見守る。彼女としても、思いもよらなかったアスカのヨワヨワっぷりだ。口を挟むのは野暮という物。これは最後まで見守らなくては。レイは勝手にそう決めた。普段なら消極的ながら突っ込み役のマユミが暴走しているわけで、こうなったら誰にも止められない。

 ともあれ、アスカの『わかった』という言葉に、マユミは顔を空に浮かぶ月のように明るくさせる。口下手な自分がアスカを、苦手に思っていたアスカを説得できた、喧嘩を止めることが出来た。そう思いこんだマユミは今度はうれし涙を流し、そしてよりいっそう強くアスカに抱きつく。

「分かってくれたんですね、アスカさん!」

 そして感極まったのか、子犬のようにスリスリと。

「いきゃぁ〜〜〜〜〜!!!!」







 いい加減にしましょうね?

 と、三人揃って喧嘩したところを教師に怒られてゲンコツ貰った小学生みたいな顔をしつつも、アスカとレイはマユミの様子を伺っている。
 正直、羨ましくもあり、悔しいことでもあるのだが、結魂したマユミはシンジの様子を事細かに探ることができる。魂の結びつき故に。
 なんとロマンチックで、浮気者にとっては恐ろしいことか。もちろん、相手が何らかの理由で抵抗すればその限りではないが、無防備な相手のおおよその状態や思考が分かるのだ。
 とまあそうゆうわけで、シンジがどうなったか調べるには、マユミに聞くのが一番の早道。
 だと言うのに、マユミは感知したシンジの様子について言い淀んでいる。いや、言い淀むだけならまだしも、言いかけた言葉を呑み込み、遂にそのまま黙り込んでしまった。どこか遠くを見るような、海の底を探るような目をしたまま。

 突然黙り込んだマユミに、アスカとレイは怪訝な顔をした。物事を言いかけて止められると、悪魔や妖精であっても精神衛生上とても悪い。喩えるなら、大好物の最後の一口を横から奪われるようなもの。もしくは出かけて結局出てこないくしゃみ。もう、これでもかってばかりに焦れてしまう。
 案の定、気が短く先ほどの苛立ちの残るアスカはあっさり切れた。レイも表情を変えないまま憤る。

「どうしたのよ、マユミ!?」
「教えて」

 少し語気を荒くしてアスカが尋ねる横で、レイはぺちぺちとつき立ての餅のプヨプヨした感触を楽しむ幼児のようにマユミのほっぺたを叩く。手の平の中心で叩いたり撫でたり、指先でつついたり。

「立ったまま寝たらダメなの」

ぺちぺち

「…あの、綾波さん、それやめてくれると嬉しいんですけど」

 さすがに気がついたマユミはちょっと困った目をしながらレイに笑いかけ、それから改めて真面目な顔をしてアスカ達に向き直った。すっとアスカの目を見上げ、少し逡巡するがいずれわかることだからと、どうにかこうにか言ってしまう決心を固める。



ぺちぺち



「どうしたのよ。さっきといい、今といい」
「ええ。説明しないといけませんよね」

 とは言うものの、あのアスカに言うべきか言わざるべきか。
 火薬庫の横で火遊びをする気持ちが何となく分かる。
 さっきも突然身を捩りながら、『ドキドキなんかしてない、同居人として心配してるだけー!』なんてワケの分からない…ゴメン、嘘。たぶん、自分の心を認めることが出来なくて暴走したんだろうけど、いきなり叫び出すアスカに言っても良いのか。
 アスカは無言のまま、ただ鋭い眼差しでマユミを促した。
 覚悟を決めて、軽くマユミは頷き返す。
 で、視線を横に向けてちょっと首を傾げて困った顔をする。


ぺちぺち


 なにが楽しいのかまだぺちぺちするレイ。ウットリした目をしてるのは何故だろう。知りたいような知りたくないような。
 と、マユミと目が合うとぽっと頬を赤らめつつぽつりと呟いた。

「…楽しい」

 何が!?

 と声を大にして問いつめたかったが、取りあえずそれは置いておく。これ以上話がそれたら、本題にはいるのはいつのことになるやらわからない。

(もう言っちゃおう。なんとなく、考えすぎただけの気もするし)

 妙に疲れた顔をして、マユミは衝撃的なことを口にした。アスカ達の反応を想像しながら。


ぺちぺち


「綾波さんいい加減にね?」
「…いけず」
「えっと、さっき、私が倒れたときのことなんですが。その、シンジさんの命の反応が、無くなってしまったんです」

 一瞬の静寂───、そして

「なんですって?シンジが死んだって言うの!?」
「…嘘じゃ…ないのね」

 戦いの途中、断片的に聞いた言葉とはまったく重みの違う言葉。その重さに、文字通り2人は打ちのめされた。
 マユミの前で、火山の噴火と氷河の崩落が同時に起こった。
 物理的な圧力を感じそうなくらいの気に、マユミは手で顔を庇ってビクリと身をすくめる。犬耳が一瞬見えた気がするが、多分気のせい。予想していたよりもずっと強い精神の爆発に、少し辛そうにマユミは顔をしかめた。一方で大声を上げたアスカ達は、マユミの言葉に貧血でも起こしたように顔色を悪くさせていた。

 死んだ?
 シンジが死んでしまった?

「改めて言われると洒落にならないわね」
「嘘、嘘、嘘、嘘、う…」

 改めて聞かされた最悪の報告に、レイは受け身も取らずに卒倒した。そして後頭部をごちんと音がするほど勢い良く床にぶつけ、痛みのあまり床を転げ回る。とりあえず、アスカ達は無視した。

「痛いの…」ゴロゴロ

 レイがちょっと鬱陶しいが、当面の所無視してアスカの言葉をマユミは否定した。そうではない、そうではないのだといつになく強い語調で。

「待って、落ち着いて聞いて下さい。確かに、死んでしまったとき特有の、魂が、体が砕けるような激痛とシンジさんの嘆きが聞こえてきました。私が死んだとき感じたのと同じでした。
 でも、おかしいんです」
「なにが?」
「死んでしまったかと思ったんですけど、とても細い、微かな繋がりは残ってました。ちょうど、仮死状態にでもなってるみたいな。いえ、どちらかと言えば、切れそうになった糸をたぐるような、何かが引き留めるような…。
 いえ…蛹から抜け出るような…。
 それだけじゃなく、ついさっき、とても強い反応があったんです」
「マユミちゃん、つまり誤報だったってことなの?」

 頭を押さえて涙目のレイの言葉をマユミは否定する。

「いえ、間違いなく死のイメージが伝わってきました。これとは別の、見つめるものの死の閃光を浴びたというイメージが」

 ミートパイのような死体を指さしながら、マユミはレイを、アスカを順番に見て自分が感じたことを言い終えた。それに対し、アスカは口から泡を飛ばすように息巻いた。無理もない。アスカのように聡明な人間は曖昧さを非常に嫌う。死んだのか、生きているのかはっきりして貰わないとどうにも胃の座り心地が悪い。

「訳の分からないことばかり…!
 死んだことは間違いない。なのに、その後シンジが生きているらしい、か細い反応があった?
 どっかの猫じゃないのよ、シンジは!!
 そして今、もの凄く強い反応があった!? あんたバカァ!?
 そんな馬鹿なこと、シンジが命を複数持っているか、誰かが蘇生魔法でも使うとかしないかぎ、り?」

 そういえばそういう可能性もあったっけ。
 でも、それは隕石が頭に当たるような確率だ。
 有り得るはずがない。



 普通ならそんなことはあり得ない。



 でもシンジは、あの碇ユイの息子なわけだし。

 そう、ただの人間ならともかく、シンジはあの碇ユイの息子なのだ。命を複数持ってるとか、超高価な復活の秘宝、【命の石】をもってるとか、運良く通りすがりの高レベル司祭に助けられたとか、幾らでも可能性は有り得る。いずれも非常識だが。

 思わず目と目で通じ合うアスカとマユミ、そしてレイ。
 マユミはまだユイの正体に漠然としか気付いていないが、それでもなんとなくアスカの言いたいことはわかった。

「そ、そうですね、誰かが助けたとか…その可能性があることをすっかり忘れてました。
 すみません、よく考えずに慌てたりして」
「ふん。シンジなんかと結魂するから馬鹿になってるんじゃないの」
「マユミちゃん大ボケなの」

 ここでアスカはまたもミスをする。マユミがちゃんと謝ったのに対し、アスカはあさっての方向を身ながらつい悪口を言ってしまったのだ。シンジとの出会いを、結魂したことで消滅を免れ、人の心を取り戻した彼女には、言ってはならない類の悪口だ。レイの冗談とは似てるようで全然違う。
 何も言わなかったが、強ばるマユミの顔にアスカは失敗を悟った。根に持つタイプではないが、このことはきっと後でいらない騒動の一因となるだろう。ちょっとマユミとの距離が縮まったと思ったが、これでまた溝ができてしまったような気がした。

(どうして私って、いつもいつも…)

 当人もどうにか治したいと思っているのだが、この口の悪さだけはどうにもこうにも改まらない。魔界でも、余計な一言の所為で何度ユイ達に玩ばれたかわからないと言うのに。たぶん、一生治ることはないだろうとも思うが。

「それより!
 今シンジが生きてると言っても、少なくとも死ぬような大事が起こったのは間違いないわ!」

 少し暗くなった空気を吹くとばすアスカの強い調子の言葉に、レイとマユミはハッと顔を上げた。そう言われてみれば、確かにその通りだ。何があったかよく分からないが、大事が起こったことは間違いない。

「助けに行かないと」

 いつになく、真剣な表情でレイは言った。アスカ達もその言葉に異論はない。
 見つめるもののような大物がいる迷宮だ。そしてシンジ達もまた見つめるものと戦っていたと言う。剣士と戦士、盗賊のパーティであるシンジ達が見つめるものに勝てる可能性は無に等しい。
 いくら強くなったと言っても、反則で魔法の道具を手に入れたとしても、あくまで中級レベルのシンジ達が生き残る可能性は皆無だ。
 いても立ってもいられない。マユミが微かに震えながらアスカに尋ねる。こう言うときは、少々粗忽でもリーダーシップを切って率先して皆を扇動するタイプのアスカが頼られる。

「でも、どうするんです? この迷宮は空間ごといじられているから、私の転送魔法は使用できませんよ」
「…来た道を走って戻るしかないかしら?」

 来た方向に向き直るアスカの言葉を、レイは首を振って否定する。それでは意味がない、と。

「時間がかかりすぎるわ。どんなに急いでもこの曲がりくねった通路を走ったら、30分以上かかるもの」
「私は100mを8秒で走れるのよ!」
「曲がり角に来る毎に激突するつもり?」

 妙に具体的な、でもデフォルメされたアスカの姿が三人の脳裏に浮かんだ。

「……わかったわよ。
 ねぇマユミ、どうやっても転送魔法は使えないの?」
「岩の中に転送される危険性があります。想像以上にここの空間はガタガタなんです」

 確かにそれはまずい。だが、試しもしないで無理だという言葉にアスカはムッとする。

「やる前から無理だ何だと……ガタガタ言うんじゃないわ!」



 うわ、最悪。


 この場で言うにはあまりにもあんまりなアスカの駄洒落に、三人は何も言うことができず、ただその場にじっと立ちつくす石像となってしまった。アスカはしまったーと、頭を掻いて二人の様子をうかがったりするけど後の祭り。

 寒い、あまりにも寒すぎる。
 だが、その寒さは一つの光明を生み出した。
 凍った思考、すなわち冷静になった脳みそで、レイとマユミは打開策を考えることができたのだ。怪我の功名とか言うなかれ。


 転送など、空間をいじる魔法は使うことができない。
 だが、確認するだけなら、捜査系の魔法なら使うことができる。
 そしてこの迷宮の形が、上空を飛んでいるとき見た形そのままの物ならば。

 レイがマユミの肩を掴み、目を輝かせて自分の考えを口にする。

「魔術師の目を使ってこの先の構造を確認したら?」
「そうだわ! 可能性はあるわ!」
「な、なによ二人とも急に?」

 戸惑うアスカに、後で教えるからと目で語った後、マユミは魔法を使うべく意識を集中させる。
 心の奥底から魔力をふりしぼり、超高次元の産物たる不可視の目を生み出すためだ。
 普段使う言霊を起爆剤にする魔法と異なり、精神力と呪符、呪物に封じ込まれた魔力を解放させることで物理法則をねじまげる精神魔法。その中には、自身の力を裂いて分身とも言うべき魔法生物を作る技がある。つまり、マユミは見えざる手などいくつかの創像する能力があるのだ。
 その中でも、なにかを捜す、調べることが得意な使い魔を作る魔法がある。
 魔法の瞳。
 通称、魔術師の目(ウィザーズ・アイ)

 静かに目を閉じると、マユミは指先を噛んでわずかに血を出す。そして人差し指の腹にぷっくりと血の玉が浮かぶのを確認すると、懐から取りだした呪符にその血を付けた。マユミの血に流れる魔力に反応して、瞬時に呪符は燃え尽きるが、その代わりに黒マナ三つ…じゃなくて一定方向のベクトルに軌道を固定された大量の魔力を発生させた。それこそが今回の魔法の源だ。マユミの瞳が赤く輝き、髪の毛が生き物のようにぞわぞわと音をたてて逆立つ。

「$!γ※∠∇aφαЩ…生じよ、魔術師の大いなる瞳!
 闇を見通す不可視の導き手! ガンQ!」



 マユミが力ある言葉を言い終わったとき、アスカ達は何も見えなかったが、世界が一部変わったことを悟った。何も見えないが、確かにそこに何かがいる。マユミの眼前に不可視の眼球がいる。
 あらわれたと言っても、それは風の精霊のように人の目で見ることはできない。もし見えるならば、神経の束を尾のようにたらした、直径15cmほどの血走った眼球を見ることができただろう。
 先の見つめるものとどこか似た姿で、あんまり見ていたくない見目形ではある。

 しばらくはその場を動かず、魔術師の目ははじめて見る世界に好奇心一杯の瞳を向ける。やがてぐちぐちと神経の束を蠢かせながら、目は素早く行動を開始した。マユミの意志どおり動くそれは、本来この世界に属さない神秘なる存在だ。それ故、通常の物理法則の影響を一切受けない。
 故にこそ、硬く、厚い石壁が目前にあろうともそれを無視して通り過ぎることができ、さらに人間が見る限界以上の広さと角度で、周囲の物事を認識することができる。
 そう、この目さえあれば、歩いて測量とかしなくても、簡単に地図を作ることができる。術者本人が内容を忘れたとしても、魔術師の瞳は覚えているため、いつでもその内容を参照することが出来る。
 それは迷宮であってもかわりはない!

 マユミの目を閉じた暗闇の中、瞼の奥に、斜め上から見下ろしたような鳥瞰図が浮かび上がった。青みがかった色で全体が覆われていて色はわからないが、映しているのはまぎれもなく、マユミ達のいる室内であり、マユミ達である。自分で自分を見るのは余り気分のいいモノではないが、目からの情報を受け取ったマユミの口元がほころんだ。

「綾波さん! あなたの考え、正しかったわ!」
「やっぱり。さっき外から見たときからそう思ってたの」
「どういうことよ?」

 ふふんと胸を反らしながらレイはアスカに説明をした。ちょっと優越感。

「この迷宮、シンメトリーの形状をしているの」
「!!
 なるほど、そういうことね」

つまりは、こう言うことである。


■■■
■■■
■■■

■■■
■□□□■
■□□□■
■□□□■
■□□□■
■□□□■
■□□□■
■■□■■
■□■
■■■




:マユミ達が居る所
:シンジ達が居ると思われる所




 アスカはレイの言葉に納得がいき、マユミ達が何をしようとしたのか悟って軽く頷き返した。こういう解決法を考えつくことは自分にもできないことではないが、こうも早く考え付けただろうか。自分は天才ではなく秀才である…その事を思い知らされはしたが、素直に賞賛する。

「この大扉を抜けて真っ直ぐ行くと隣の迷宮、シンジさん達が進んだはずの迷宮に一直線です。たぶん、シンジさん達がいるのは私達が今いる部屋と、ちょうど対象になっている場所だから…。
 その通路を使えば5分以内にシンジさんの所に行けます!」

 目を閉じているマユミ以外の二人の目に、力強い光が灯った。
 すぐさま助けに行かなくては。
 アスカは目を閉じたまま棒立ちのマユミを抱え上げると、レイに軽く頷き返した。

「マユミは私が持って行くわ!
 ファースト、あんたは前衛をお願い!」
「まかせて!」
「あのぅ、私は荷物じゃないんですけど…」

 自分で歩くから下ろして下さいと、申し訳なさそうにマユミは言うが、アスカはぎぬろと目を剥くようにマユミを睨む。見えた訳じゃないが、ヒィッと軽く息を飲むとマユミは黙り込んだ。こうなったアスカに逆らえる者は、彼女の母とシンジの母、それと後ちょっとぐらいしかいない。って結構いるな。

「すみません、荷物で良いです(あうあう〜、アスカさん怖い)」
「あんたみたいな亀が私達についてこられるはずないでしょ!」
「か、亀じゃないです」
「うっさい、亀!
 マユミのくせに生意気なのよ!
 あんたは目で監視を続けてなさい。なんかあったらすぐに報告する。良いわね?
 それじゃ行くわよ!」
「ゴー。なの」

















 陽光きらめく大理石作りのベランダで、午後のベラドンナ茶を楽しんでいた一人の女性が、ふと何かを感じ取ったように眉をひそめた。毒草でもあるベラドンナの調合を間違えたわけではない。

「この感じ…」

 強い、強い魔力の波動を感じる。
 彼女の住む屋敷からずっと下に地下迷宮があり、そこに多数の魔物が住んでいるのは知っているが、その中でも最強の目玉の暴君であっても、ここまで強い魔力は持っていない。

「いったい、何者なのかしら?」

 誰かは分からないが、強い力を持った誰かが来たということだろうか?
 この、絶海の孤島に? 何十年も前に表層部の迷宮を全て捜索され、全ての宝を持ち去られた何もないはずのこの島に?
 そんなコストばかりかかって仕方ない島にあえてくる者がいる…、つまり真の遺跡の秘密を知っている者がいる?
 ついに、あの方が仰っていた御子を宿す者が来たのだろうか?

 ただの冒険者という可能性もあるが、それは除外しても良いだろう。確かに地下迷宮があり、そこに幾ばくかの宝があることを彼女は知っているが、その総量は最寄りの大陸からここまで来る手間、その他から考えても、黒字になるとは思えない。たとえ来たとしても、見つめるものがいるような迷宮だ。多少腕に覚えがある程度の存在、あっさり返り討ちだろう。勝てるぐらい強い者…それこそあり得ない。強いからこそ、見返りもなくこんな所に来るはずはない。
 そもそも、冒険者が来ること自体考えられない。遺跡は遺跡でも、研究所だったところだから、宝が僅かでもあることが奇跡なのだから。もちろん、見方を変えればその研究していた物こそ、宝と見ることができる。誰かが来る可能性はある。だが、それは魔法の剣とか盾、水晶玉などのありふれた魔法の品ではない。もっと恐ろしく、そして金に換えることができない類の宝なのだ。
 彼女が、彼女の祖先が数千年前から代々見張ってきた…。

「遂に来たと言うことなのね」

 少し恍惚とした表情をしながら、彼女はある意味待ち望んでいた相手の到来に口元を歪めた。本当の彼女を知る者が見たら、ショックで言葉を無くしそうな醜い笑いだった。しかし、今の彼女には相応しい笑いだ。
 自分の考えが、これからしようとしていることは今まで行ってきたこととは、明らかに違う殺戮になるというのに、それが嬉しくて楽しくてたまらない。心の底で必死に自分を押しとどめようとする別の自分を感じるが、彼女はあっさりとそれを無視した。
 彼女の顔が輝く。遂に、心の全てを占めるあのお方の期待に応えることができる。
 あの人は言っていた、あの迷宮で眠る…は、使いようによっては世界を滅ぼす一因ともなるらしい。それを解放しようとする御子を宿した者。決して見逃すことはできない。

(違う、違うわ! それは違うわ!)

 心の底の自分がまた叫ぶ。鬱陶しい。
 どうしようもなく鬱陶しい。この苛立ちと相克する意識がなにかの失敗を呼ばなければいいが。それに懸念はまだある。先ほど感じた魔力は、遙かに自分のそれを超えている。

「お姉ちゃん達に相談したいところだけど、二人とも遊びに行ってるし…」

 えいくそ羨ましい。

 じゃなくて。

 心の底の自分と今度はばっちりシンクロした。まったく羨ましいったらありゃしないわ。先祖代々のお勤めをあっさり放棄し、人の良い妹に後始末を任せて島を飛び出した姉、これまた母親代わりの姉(つまり自分)に全てを押しつけて旅に出た妹。

(真ん中は損だわ)

 いやまったく。だが、自分が1人島に残っていたおかげであの人に会えたのだから、人生何が幸いするかわからない。
 とにかく、今はあの方の言いつけどおり、侵入者を排除しなければ。

 くすくすと笑うと、彼女は藤の蔦を編んで作った椅子から腰を上げた。絹糸で作られた巻頭衣の裾が、その動きに合わせてサラサラと揺れる。アスカやマユミみたいに見た瞬間、グラマーとか思う体型ではないが、すらりとして出るところはしっかり出て、引っ込むところはきっちり引っ込んでいる。健康で、美しい少女…いや女性と言って過言ではない。特に健康的な肩口は芸術品のように美しい。
 右手で肩に引っ掛かっていたお下げの髪をそろえ、整えると、彼女はベランダから眼下に見える古代遺跡を見下ろした。
 よく見れば至る所から黒煙が上がっており、何事かあったらしいことが簡単に見て取れた。

「やだ、ぐちゃぐちゃじゃない」

 昼寝していたからとは言え、気がつかなかったとは一生の不覚。自分はそこまで鈍いのかと、ちょっとブルー。
 生来生真面目な彼女は、キュッと唇を噛み締めた。左右でお下げにして後に流した髪の毛も、触角みたいにぴょこんと動く。これは、彼女自らが出向いて事態の収拾に当たらなければならないだろう。

「まったく、冗談じゃないわ」

 ぼやく彼女の背中がもりあがり、服の隙間を抜けながら金色に輝く鷲の翼が飛び出した。バサッバサッと風を巻きながら数回羽ばたき、調子を確かめる。飛ぶのはずいぶんと久しぶりだ。飛び出したのは良いが墜落したでは笑い話にしかならない。
 どうやら大丈夫らしいと判断すると、少女は空に身を躍らせた。
 数十メートル自由落下した後、翼を開き風に乗る。そして少女は眼下の遺跡へと降下していった。謎の魔力の持ち主の正体を確かめ、場合によっては排除するために。
 風になびく髪の毛の隙間から一瞬見えた彼女の首筋…そこには、不似合いなほど赤く爛れてうじゃじゃけた、まだ血の滲む2つの傷があった。













 僅かに時間が巻き戻る。
 シンジ、トウジ、ケンスケ、三人が力無く横たわるのを満足そうに見ながら、ビ○ルダーあいやいや、見つめるものはキリン顔負けに長い舌で舌なめずりした。触手を一本切り取られ、瞼に深い切り傷を負うと言う思わぬ手傷を負ったが、まだ若い少年の肉というご馳走を前に、溢れる涎を止められないでいる。
 何しろ、数十年ぶりのご馳走だ。ゴブリンやコボルトなどの下級妖魔とは物が違う。珍味として知られるヒドラなどとも違う。ちらっと兄に黙ってこのご馳走を堪能して良いのかとも思ったが、すぐに独り占めにすることに決めた。

【いずれも筋肉が締まっているな。少々硬そうだが、美味そうだ】

 少々硬いくらいは、鮫のような顎であっさりとかみ砕ける。
 つつーっと空中を滑りながらシンジ、トウジ、ケンスケと品定めをする。まず一人食べるのは確定してるが、誰から食べるか…。残った方は石にして後の楽しみだ。じっくり観察しながら品定めをする見つめるもの。
 見た目に反して高い知能を持つ彼は、シンジ達の僅かばかりのやり取りから既に名前と顔が一致している。

 シンジ…美味そうだ。だが、それだからこそ後々にまで取っておきたい。
 ケンスケ…石化しているので詳細は分からないが、下味にこだわれば、なかなか楽しめそうだ。そう、緑胡椒を効かせれば癖のある肉は至高の一品となる。胡椒なんて香辛科、この島には無いけどな。
 だが、彼はシンジでもケンスケでもなく、トウジに10ある瞳を全て向けた。
 筋が多く、かなり硬そうだが鮮血のソースが食欲をそそる。生きたまま丸飲みにし、死なない程度に噛んだ時、口腔内で暴れる活きの良い感触が楽しめそうだ。見つめるものはトウジを食べることに決めた。

【ふむ、楽しませて貰うか】

 まず触手の一本をトウジに向け、その触手の能力を使う。───治療光線を発射し、胸を大きく抉っていたトウジの傷を塞ぐ。たちまち蒼白だった顔色に血の気が戻り、荒かった呼吸が穏やかなものになる。出血が多かったため、意識を完全に取り戻しはしないが、こうすることで長くトウジの断末魔の苦悶を楽しむことができる。彼なりの拘りだが、やはり人間は生きたまま生で食べるに限る。
 次いで光線の出力を調整し、彼の着ている装備、服だけを石化、直後治療光線の逆使用、つまり破壊光線でそれを粉々にし、トウジを生まれたままの姿にする。男の裸など、あまり見ていて楽しい物ではないが、ビホルダーは満面の笑みを浮かべた。
 予想外の事態、それも楽しい事実に心と体が共に弾むのを止められない。

【なんと、人間かと思ったらエルフの血が混じってるな】

 エルフの肉は独特の香りがし、生でも美味いのだ。
 中でもハーフエルフは人間の荒々しい野趣と、エルフの繊細さを同時に堪能できる至高の食材なのだ。

【くくく、それではいただくとしよう】

 笑みを浮かべながら長い蛇のような舌を伸ばし、トウジの体についた鮮血をべろべろと舐める。血と汗が混じった独特の味がする。熟成したワインのような芳醇な味わい。
 もう我慢できない。
 舌を首に絡めて無理矢理引き起こし、見つめるものは一息に呑み込もうと口をあんぐりと開いた。混濁状態で抵抗できないトウジの頭が引きずり寄せられ…。






ギチッ










【グアアアアアアアッ!?】


 凄まじい魔力と生命力の爆発が起こったのはその時だった。
 見つめるものの背後から、何かがひきつれるような、肉を引き延ばし無理矢理形をねじ曲げるような音が聞こえ、異常とも言える強い魔力、生命力、神霊力、その他形容できない力が激しいトルネードを生む。



 バットで殴られたような、あるいは雷に打たれたようなショックが見つめるものの全身を襲い、彼は震えながらみっともない悲鳴をあげた。

(なんだなんだなんだなんだなんだ!?)

 彼は信じられない思いに襲われた。
 自分を震わせる、それも恐怖という感情で震わせるほど強い力の持ち主がいるとは…!

(信じられん。この力、元素竜に匹敵する…あるいはそれ以上の力を!?)

 なにより、この強い敵意はなんなんだ?
 こんな、抜き身の短剣を突き刺されたような鋭い敵意は、生まれて初めて ─── 正しくは二度目 ─── の経験だ。前は自分達兄弟を召還した銀髪の青年を前にしたとき感じた。
 生まれつき強い生命体であるが故に、彼は自分より強い存在をあまり知らない。戸惑い、困惑するのも当然と言えば当然だろう。
 漠然とした、言いようのない予感に戸惑う。もし、彼がもっと長生きで、修羅場をくぐった経験があったらその予感が何か分かっただろう。










死の予感だと。











 触手の目を使えば振り向かずとも確認は出来た。出来るはずだった。だが、触手の目は本体の命令を無視し、恐怖に硬く瞼を閉じたまま動こうともしない。こんなことがあるとはとても彼には信じられない。

(なぜだ!? 体が言うことを聞かない…!
 私は…逃げたがっている?)

 止めろ止めるんだという心の底から沸き上がる声を無視し、恐る恐る振り返った彼の単眼に、それは映った。

「グルルルルルルルゥ…ッ!」

 うなり声をあげる、紫色のビーストがそこにいた。
 その稲光のように鋭い目が殺意を帯びた炎を灯し、剃刀のようにするどい爪が、血に飢えた教会の尖塔のような牙が松明の光を反射して鈍く、冷ややかに輝く。そして全身を包む、滑らかで艶やかな紫色の光。
 文字通り、見つめるものは目を飛びださせんばかりに見開いた。

 有り得るはずがない!
 あれは、あれは火山に落ちて死んだはずなのに!
 だが、それならば目の前にいる魔獣はなんなのか?

【き、貴様は!? まさか、獣王の!?】


「ゴアアアアアアアアッ!!!」


 雄叫びに身をすくめながら、見つめるものは闇雲に触手から光線を放った。よほど興奮していたからか、単眼から魔法消去光線を発射しながら。いくつかの魔法光線がそれによりうち消されたが、なんとか破壊光線、石化光線、死の閃光、分子崩壊光線があやまたず眼前のビーストに命中する。
 眩い複数色の閃光がビーストの全身を包み込んだ。

「クオォォンッ!」

 一声鳴き声を残し、光に呑み込まれて見えなくなる魔獣の姿に、震えながらも見つめるものは口元をほころばせる。

(なんだ、なにが獣王だ! 驚かせやがって。あっさり消えてしまったではないか!)

 だが、次の瞬間彼の顔は驚愕に凍り付く。
 全てをうち消すはずの分子崩壊光線の光の中から、何事もないように魔獣は姿を現して悠々と歩いていた。そして、魔獣はまるで霧雨の中を歩むように悠然と逆関節の足を進め、見つめるものの目の前に立った。そしてまるでつまらない獲物…小ウサギを見るライオンのような目をして、3mの高さから見つめるものを見下ろした。

 小賢しいことを。

 そう言ってるかのように、顎が前に突き出た狼に酷似した顔が歪んだ笑みを浮かべた。

「クッククッ」

 鼻の頭に無数のくっきりとした皺を寄せ、本当の狼のように牙を剥き出しにして見つめるものを睨み付ける。
 魔獣は、逃げることもできず恐怖に濁った目で自分を見る見つめるものを一瞥し、ゆっくり右手を真横に水平に伸ばし、

 そして無造作に振った。


 一陣の風が吹き抜けた。




 人間が悪意の固まりに勝てるはずがない。
 勝てたとしたら、それはもう…化け物だ。






























 通路をひた走りながら、アスカがぼそりと呟く。


 マユミ、太ったー? おもーい。
 温厚な私でもさすがに怒りますよ?
 やーん、マユミちゃん冗談に決まってるじゃなーい。
 本当に冗談のつもりで言ったんですか?
 ひくわね、あんたも。
 それはともかく、本当はなんの用です。


 コホンと軽く咳払いをすると、アスカは言葉を口にした。

「あんたがさっき驚いたの、シンジの様子がおかしかったからだけじゃないでしょ?」

 いつになく真面目な表情でアスカが尋ねる。マユミは目を閉じていたままだったが、ふざけて良い状況じゃないと悟り、神妙な顔つきのまま頷き返した。
 やっぱりねと肩をすくめながら、アスカは納得する。

「さっきから前方から漂ってくる冗談ごとじゃなく強い魔力。これ、いったい何なの?」
「たぶん、シンジさんです」
「まさかとは思っていたけど、本当に…。
 あんたの分かってること、全部話して頂戴」

 マユミの話をまとめると、こう言うことらしい。
 突然、シンジの感情、生命力、その他の情報が一切合切全部遮断された。これはよほどのことがない限りあり得ることではない。結魂していることに加えて、脳波の波長までよく似ているマユミが、シンジを見失うことなど喩え地球を挟んで反対側にいても、あり得ることではないのだから。事実、結魂は距離に左右されるような甘い結びつきではない。

 槍で心臓を貫かれたような精神的な激痛。これは死のイメージに間違いない。
 最初、マユミはシンジが死んだと思い混乱したのだが、見つめるものと戦ってる最中、消えたはずのシンジの生命力を新たに感じたことで更に混乱することになった。ただ、それにしても反応が弱すぎたのだが。死の錯覚とも仮死状態とも違う形容できない感覚だった。
 そして戦いが終わり、アスカ達にシンジの様子を話そうとしたその時、マユミは火山の爆発のように圧倒的な力の放出を感じた。その力は荒れ狂う大河のように凄まじく、余波であってもマユミの意識が僅かに途切れるほどの強さがあったらしい。
 はっきり言って、いつぞや第三新東京市に現れたドラゴンに匹敵…いや上回るかもしれない強さだった。その力を実はアスカ達も感じている。ただし、マユミのように尾を引く感じ方ではなかったが。

 考え込みながらも、アスカは要点をまとめた。

「…シンジが生きている。これは間違いないわね?」
「はい。今も…はっきり感じます」
「この魔力。一体何があったというのかしら?」
「わかりません。けど、そろそろ分かるかも知れません」
「なるほど、魔術師の目で確かめるのね」
「はい、そろそろシンジさんの居るところに到着…な、なにこれ!?」

 マユミの言葉は、それ以上続けられなかった。魔術師の目が一時解除されることも構わず、両の眼を見開いて驚く。
 信じられない物を見たからだ。





 部屋の壁と言わず、天井と言わず至る所が削り取られたようになっている。
 それこそどこかの気狂い科学者が銃を乱射でもしないと、そんな風にはならないだろう。それに竜巻が起こったみたいに、そこら中に細かい砂や小石が散らばっている。いったいどんな戦いがあったというのか。

 そしてその部屋の中心、まるで集中的に分子崩壊光線を当てたみたいにクレーター状の穴が開いているところに、ぐちゃぐちゃに引き裂かれた肉塊が転がっている。元がなんなのか分からないくらい無惨の有様になっているが、マユミには見当がついた。ついさっきまで、良く似たものを見ていたのだから。間違いない。見つめるものだ。
 一体、誰が倒したのかいたく興味がわくが、それよりも彼女の注意を引く物があった。
 見つめるもののミンチの横に、力無くうつぶせに倒れている一人の青年の姿があった。
 なぜか全裸になっているが…。
 マユミ達が安否を気遣っていた、この世で最も愛する男性であるシンジだ。
 ピクリとも動かない彼の様子に、マユミは最悪の事態を想像して一瞬呼吸が止まってしまうが、落ち着いて魔術師の目でシンジの胸が微かに上下していることを確認し、ホッとため息をもらした。さらにシンジとの距離が縮まったからか、いつもみたいにシンジとの魂の繋がりを感じられる。
 マユミは胸を熱い物で満たしながら、嗚咽するように喜びの声を漏らした。

「無事だわ、シンジさん。生きてる」
「よっしゃ!」
「よかったの。嬉しいの」

 そうなると途端に足が軽くなる。アスカ達はより速い速度で通路を駆けた。
 途中で自己主張するガーゴイルを一撃で粉砕し、いかにもゴールっぽい大扉に通じる通路も無視し、さきほど彼女達がくぐり抜けた大扉に酷似した扉を三人はくぐり抜ける。

 そここそ、マユミが今の今まで見ていた光景の広がる場所。
 シンジ達が戦っていた番人の部屋だ。
 アスカ達は部屋の異様の状態に一瞬、足を止める。
「な、なによこれ!?」
「碇君、どこ?」
「あ、あそこです」

 部屋の有様に息を飲むが、アスカとレイはすぐに部屋の真ん中に倒れていたシンジに駆け寄る。と、唐突に何か閃いた顔をしたアスカは、実はまだ担いでいたマユミをいきなりレイに向かって放り投げた。
 襟首を掴み、大きく振りかぶってハンマー投げのハンマー以上の気安さで。

「おりゃあっ!」

「ぃきゃぁ〜〜!?」
「!?」


 悲鳴をあげながらもマユミはとっさに浮遊魔法を使い、なんとか体勢を立て直すと無事に着地し、レイはマユミをかわした時、躓いてつんのめりながらもなんとか雪のクッションを作って耐える。
 その間も、アスカはとある一点めがけて走り続ける。

「いきなりなにするんですか、アスカさん!?」
「ひどいの!」
「やかましいわ! 馬鹿シンジの奴、裸じゃないの!
 そんな裸のシンジだなんて、そんな、とにかく、その…禁止禁止!
 あんたたち、どっかよそ行ってなさい!」

 揃って抗議の声を上げる二人を無視し、ワケの分からないことを真っ赤になってアスカは言うと、後ろも見ずにシンジめがけて突っ走った。
 その行動だけで、ある意味よく似てる二人はアスカの考えを見抜く。

 要するにシンジに膝枕とかして、起き抜けの顔を見ながら恩を着せようとしているのだアスカは。
 どうしてこう、やることなすことへっぽこなのか…。
 そして出会う時機で出遅れた分の差を埋めようとか考えているのだろう。シンジの裸に興奮したかどうかは知らんが、まあそれくらいいつになく自分の心に正直になったアスカに免じて見逃してやっても良い。真っ赤になって恥ずかしがるアスカという、珍しいモノを見せてもらったことだし。

 だが。

 やっぱやめ。あなた達は私のライバル、あなただけには負けないわ。

 そこまで悟るとマユミとレイはお互いの顔を見つめ合い、同時に全速力で駆け出した。
 この瞬間から三人はライバルだ。
 誰がそんな美味しい権利を譲ってなんかあげるもんですかって!

 シンジの所まで距離は50m弱。
 しかしレイとアスカはぐんぐん距離を詰めるがどうにも足の遅いマユミは引き離される一方だ。

(このままだとアスカさん達に!)

 マユミの眼が赤く染まる!
 指がうねうねと蜘蛛の足のように複雑な動きを見せ、指先がなぞる魔力の軌跡が玄妙な紋様を空中に描き出す。そして彼女の口からは美しい旋律が聞こえた。

「地の底深きより来たれ、斬鉄鋏!(ギロン・グラップル)」
「うそっ!?」


 突然、アスカの足下の石畳が弾け飛んだ!
 遅れて土砂をまき散らしながら、巨大な…土と石礫でできたハサミがあらわれた。蟹の鋏に似た、だがもっと凶悪な印象のそれは、驚くアスカめがけて躊躇も何もなく襲いかかる。カニに似たギザギザの歯とトゲがついたハサミは大きく開かれ、獲物を狙う豹のようにもの凄い勢いで伸びると、正確にアスカの胴体を射程に捉える。

(こ、このままだと殺られる!)

 慌てて翼を開き、急ブレーキをかけてタイミングをずらすと、アスカは横っ飛びに飛んだ。

バチン!!

 美しい赤混じりの金髪が空に散る。惜しいところでハサミはアスカを捉えきれず、虚しくハサミを噛み合わせる結果となった。呆然としたアスカの見てる間に、ハサミはボロボロと崩れ、轟音と共に土へと戻っていった。
 熊でも両断できそうなハサミの攻撃と、遙か後方でチッと舌打ちするマユミに、アスカは背筋に冷たい物が流れるのを感じた。あまりの恐怖に、夜、一人でトイレに行けないかも知れない。行ったは良いけど、寝ぼけてベッドを間違えるかも。

(こいつ大人しそうな顔して、いきなりこれか。シンジ絡みだと人が変わるわ)

 アスカの中のマユミの評価がちょっと書き変わった。

「ちぃっ、すばしっこい!」
「ちょーっと待て、マユミぃ! あんた私を殺す気なの!?」
「アスカさんなら大丈夫です!」
「大丈夫なわけあるかー!
 って、ファーストぉ! あんたナニ考えてるのよ!?」

 マユミに気を取られて気がつかなかったが、レイは何か ─── 召還呪文 ─── を唱えていた。召還魔法には心得がない彼女だが、だがそれでも呪文の中に混じっていたとある単語に全身が硬直したことを悟った。氷飛礫を飛ばすくらいなら、と思っていた彼女の顔が凍る。同じく、マユミもまたレイの呼び出そうとしている存在に気がつき、それは洒落にならないと顔色を無くす。

「レイィ! あんたバカ───!?」
「あ、綾波さん、それ私以上に洒落になりませーん!」

 無視。

 蜘蛛の巣のように巨大で複雑な模様の魔法陣がレイの眼前に描かれていた。見てると気分が悪くなりそうなくらいに細かい紋様や、魔法の呪文が書かれている。氷で描かれているようだが、わずかな間にこれだけの魔法陣を描くとは、レイの実力恐るべし。
 ともかく、ニヤリ笑いを浮かべるレイの力ある言葉に応え、魔法陣は鈍く青い光で輝き始めた。


「出よ、我が最強の僕、
 南極魔獣レイキュバス
 その全てを凍らせる息吹で、我が敵を凍てつかせよ! 砕け! 破壊せよ! 滅せよ!
 この世の全てを白銀に」

「お、お馬鹿ー!! シンジも何もかも、凍り付かせる気!?」
「綾波さん、限度って言葉を知らないんですかー!?」
「うふふ、碇君を膝枕。それはとてもとても楽しいことなの」

 魔法陣の真上に、カニ…と言うよりヤシガニに似た巨大な生物の姿がかいまあらわれ───、


ドゴ───ン!!!


 次の瞬間、室内全体が真っ白な霧と極低温の霜に包まれた。キラキラと輝いているのは塵ではなく、ダイアモンドダストだ。
 うっかり壁を触ろうものなら、皮膚が張り付いてしまい、迂闊に息でもしようものなら、肺が生きたまま凍り付き、即死してしまう超絶の世界。寒さに強い、霜の巨人の子孫であっても命に危険がある絶対零度の空間が生まれた結果だ。
 しかもその影響が長時間続くのだから始末に困る。レイの魔法の中でもとりわけタチの悪い方に分類される、極地ガニ・レイキュバスの召還だ。マユミとアスカが、魔力が解放される寸前に強力な結界を張らなかったら、全裸で気絶しているシンジとトウジは共に助からなかっただろう。石化したケンスケ? 危ないかも知れない。

「な、なに考えてるのよ〜」
「生きてたの」

 腰まで雪に埋もれたまま震えるアスカをチラッと一瞥すると、面白くなさそうにレイは目を背けた。本当にどうでもいいらしい。
 寒がりの彼女が萎縮してるの横目に、レイはダイヤモンドダストの舞う中、白鳥が舞うように優雅にシンジを探し求める。ほどなく、そこだけ霜の降りてない空間の中心に横たわるシンジの姿を確認し、アスカのことをあっさり忘れ去ると、膝枕をしようといそいそと彼の元に行こうとする。
 それはとてもとても楽しいことなのだ。

 だが、それは果たされなかった。
 なぜって、レイがシンジの元にたどり着こうとした瞬間、彼女の眼前にあった雪だるまが粉々に崩れ、氷の欠片を振り払いながらマユミが姿を現したから。
 昼寝してる猫を驚かせたみたいに、びくびくっと震えてレイの動きが止まった。

「綾波さん、お仕置き(ぼそっ)」

「ええっ!? どうしてなの!?」
「私達が結界を張らなかったら、シンジさん達がどうなったと思ってるんです!?」

 人のこと言えないくせに。とは思ったが、本気で怒ってるマユミに楯突けるはずもなく、レイは戸惑い、どうしようときょろきょろと視線を動かす。誰か助けて…。
 だが自分を庇ってくれるかも知れないシンジは今だ気絶したままで、アスカにいたっては論外だ。ざまあみろって顔をしてこっちを見てるくらいだし。
 あうあう〜と呻き声を上げながら、既にレイはすっかり腰砕け。

「だ、だってマユミちゃん達なら、絶対に結界を張ると思ってたの。だから…」
「張らなかったら、張れなかったらどうするつもりなの!」
「あうう、ごめんなさいなの。謝るの。だからお仕置きは勘弁してなの。
 あうあう〜アスカ、助けて欲しいの」

 マユミの暗黒闘気に耐えきれず、レイは一縷の望みを込めてアスカを見るが…
 勿論アスカは視線を逸らした。

「あ、ああ…人情紙風船なの。世知辛い世の中なの」

 だーっと涙を流すレイの後に、瞳を光らせてマユミが立った。
 なんでか急に逆光になったみたいで、シルエットに目だけ光っているのがやたらと怖い。

「遺言はすんだ?」
「い、いやぁ。マユミちゃん洒落になってないの」
「洒落ですますと思うの?
 うふふ、あ・ま・い・ですよ♪ それじゃあ、お仕置き♪」


 マユミの影から噴き出す闇に包まれ、レイの姿が消えた。
 なんか悲鳴が聞こえるが、今度ばかりは助ける気が全くないアスカは自業自得ね。と涼しい顔をする。いや、涼しいなんてもんじゃないんだけども。

(なんだか漁夫の利って奴で私が膝枕の権利を得たみたいね。でもま、運も実力の内って言うし)

 もしかしたらマユミが気を利かせたのかも知れない。未だシンジと良い雰囲気になれない自分のために…。まさかね。
 いそいそと近寄ると、そっとシンジの側に膝をつく。マユミの結界のおかげか、彼の周囲はほんのりと暖かかった。とは言え、裸のシンジが寒いだろうことに変わりはない。
 シンジが全裸であることに顔を真っ赤にしながらも、寒くなったこともあるからと自己弁護しつつ、アスカはシンジをその胸に抱きかかえる。左腕がないから上手く抱きしめられないが、かわりに翼を広げると、毛布のように自分ごとシンジを包む。いざとなれば、毛布の代わりにもなる便利な翼だ。
 自分自身の心臓の音に自分でも驚きながら、アスカはぎゅっとシンジを抱きしめ続けた。お互いの体温を感じ、なんだかとってもドキドキする。自分が淫魔であることを忘れそうな動悸が心地よい。

(これがシンジ。男の人か…。
 こうしてみると、結構可愛い顔してるわね。女装が似合いそ。ん、不思議だわ。こうしてるとあんまり変な感じがしないわ。
 気絶してるからかな)

 それとも、相手がシンジだから?
 やがて外はまだ少し寒いが、ほんのりとシンジの温もりを感じるようになった頃…。

「あなた達、何者なの!?」

 唐突に鋭い誰何の声がかけられ、アスカは慌てて通路の奥…自分達が来た方ではなく、見つめるものの魔法で封鎖されたはずの通路側…の暗がりを見つめた。
 アスカの鋭い視線の先に、白い衣服を着た人影が見える。一見、巡礼者かなにかのようにも見えるが、もちろんこんな迷宮にいるのだから普通の人間のわけがない。

「誰!?」
「それはこっちのセリフよ!
 あなた達、ここで一体何をしてたの!? 話してもらうわよ、力ずくでも!」



 突然アスカ達の前にあらわれた謎の人物。
 果たして彼女の正体とは!?




続く






初出2002/07/14 更新2004/12/26

[BACK] [INDEX] [NEXT]