「いやぁ───ん」
「いやんなのはこっちよ」
「あうう、アスカさん…」

 ちょっと、いや甚だコメントに困る展開があったりもしたが、マユミの癒しの技によってヒカリという名前の少女の傷は癒えた。皮膚を赤く、もしくは黒ずませていた重度の火傷は、今やその面影も残さず彼女の身体から消えていた。夏日の雪の如く、一時は危ぶまれた彼女の命だったが、もう心配はないだろう。
 さすがに炭化してしまった足の先や体の末端の一部などは、さしもの魔法の霊薬と言えどどうにもなかったが…。治療方法が少しばかりと言うより、やたら問題有り過ぎで永久封印決定の薬だったが効果ばかりは確かだったようだ。
 あれだけの目にあって効果がありませんでしたでは、少女も薬の持ち主であったマユミも報われまい。
 ようやく落ち着いたことを感じ取ったのか、アスカは首を鳴らしながら何でもないように言った。

「あー凄い声だったわ」
「…お、お願いですからそう明け透けに言わないで下さい」
「なんで? 事実じゃない」
「あうー」

 確かに凄い乱れようだったけれど、それを言われると自分が責められてるみたいで凄く恥ずかしい。俯いて耳まで赤くしつつも、その心の中ではますます薬を作った兄に対する殺す気が増すマユミだった。

(ウェルダンが良いかしら? 大量の虫に襲わせるってのも良いかな♪)

 口にはしないけれどそれを感じ取り、離れたところで怖がるレイ。作業中のシンジの横に猫よろしく張り付いていたのに、バネ仕掛けよろしく距離を取ってキョロキョロ鳥のように首を振る。そのこめかみを一筋の汗が流れた。


「マユミってば…。まああんた達の家庭の事情は置いといて」

 いつもと一緒のレイとマユミはともかく、今はヒカリのことが先決だ。じっと全裸のヒカリを頭から爪先までアスカは観察する。同性とは言え、他人の裸に…それも想像以上にプロポーションが良いことにかなりドキドキしているがきちんと見る。
 どこかおかしい気配があったりしたら、すぐにでも飛びかかれるように。
 多少の傷が残っているが、とりあえず落ち着いた静かな呼吸を繰り返している…。

「…治せたの?」
「はい。もちろんすぐに動ける状態じゃないですけど。でも少なくとも自分で自分に治療法術を使うことくらいはできるようになったと思います」

 マユミの言葉に偽りはなかった。ほどなく…ヒカリの口から悩ましげな呻きが漏れ…覚醒の予兆のように睫毛がブルブルと震える。

 間もなく、彼女は目を覚ました。
 思い扉をこじ開けるように開かれた瞼、その奥の黒い瞳は宵闇の様にどこかぼやけている。

(…ここは…私は…)

 状況を把握できないのか、しばらくぼんやりとした目つきで周囲を、自分を見下ろすアスカ達に目を向ける。記憶は薄衣を架けられた品物のようにハッキリとしないが、アスカ達の顔は記憶に残っていた。

(彼女達…知ってる。だってさっきまで…)

 唐突にヒカリは上体を起こし、眦をあげてアスカ達に弓矢の矢じりのように鋭い視線を向けた。
 記憶を完全に取り戻したのか、それともまだ残る体の痛みで覚醒したのか。すでにはっきりとした目を取り戻している。今の自分が裸であることに気がつきもせず、目だけ動かして警戒するようにマユミを、そしてアスカを見つめる。ついでに、離れたところに腰掛けてシャボン玉噴器からシャボンを吹いて1人遊んでるレイと、その横でぶつぶつ言いながらツルハシを振ってるシンジに戸惑いの目を向けた。

「あなた達は…」
「変な事しない方が身のためよ」

 少女の覚醒と共にアスカは四肢に力を込め、殺気を感じた少女もまた顔を強ばらせる。

「なによ…悪魔風情がやる気なの?」
「あんたが望むなら…いくらでもね」

 アスカとヒカリ、2人はシンジには決して見せられない顔をして睨み合う。

「フーッ!」
「シャーッ!」


 いきなり喧嘩腰になった2人に困った困ったと内心ため息を10回ほど吐きつつ、マユミは2人の間に割って入り、おずおずとヒカリににじり寄った。

「あの…落ちつて…いえ、落ち着いて話を聞いてくれませんか?」

 この少女が…と言ってもマユミ達同様、そろそろ少女から女にさしかかる年齢のようだが ─── たしかヒカリと名乗っていた ─── 好戦的なのは吸血鬼の影響だけではなかったようだ。どうも元々かなり過激な性格らしい。

(対応を間違えるとまた血を見ることになるわ)

 やれやれとマユミはため息を呑み込み、また争いになる前にと敵意がないことを示すため両手を開いてヒカリに見せ、にっこり笑って少女の体に自分が身につけていたマントをかぶせてあげた。
 最初からそうしていても良かったのだが、何ごとかされたときすぐに気がつけるように、アスカの提案で全裸をさらせていたのだ。それはともかく、マユミの行動に気勢をそがれたのか、少女は状況とマユミ達の正体に戸惑いつつも、自分にも敵意がないことを示すために頷き返した。

「……あなた達は」
「詳しいことは後で聞きますから、今は自分の傷を治して下さいね。とりあえず、それくらいの魔力は移動させてますから」
「わかってると思うけど、変なことはしない方が良いわよ」
「この状態で何ができるのよ。………まあ、私もこんなところで死にたくないから、その言葉には従っておくわ。
 ………我、光の巫女洞木ヒカリが請い願う。光明神ユリアンよ、癒しの奇跡を我が身に。この身を苛む鮮血の傷を癒したまえ。
 深遠なる神の癒しよ」

 ヒカリの全身が光ったかと思うと、色を失っていた頬に、手足の先に、まだ治りきっていなかった皮膚に温もりと血の気が戻っていく。ささくれ立っていた皮膚に潤いが戻り、色が変わっていた皮膚や傷が光り輝いていく。自分達にはできない癒しの技に、アスカもマユミも簡単のため息をもらす。なにより驚いたのは炭化していた体の一部に光が集まり、何も見えないほど光った後、傷は消え失せ、存在しなかったはずの指先が元の状態となっていたことだ。つまり、彼女は欠損箇所の治療が出来る。
 彼女の能力は中級以上の実力を持った癒し手と断言して間違いはないだろう。これならば…。

 ほどなくして、少しふらつきながらも本名「洞木ヒカリ」と名乗った少女は自分の足で立ち上がれるまでに回復した。治療法術で傷を治したとは言え、やはり休息は必要なのか顔色が悪いがこればかりは如何ともしがたいことだ。
 マユミが少し心配そうに見つめるが、ヒカリは目で大丈夫だと意思表示すると、なんとも複雑な表情を浮かべながら頭を下げた。

「どうも…ありがとう。こんな、月並みなことしか言えないけど」

 意外に素直な彼女の言葉と反応に、思いっきりアスカは面食らう。それをよそに、マユミの言葉が続く。

「いえ、無理…ないと思うから。それより、あの…元気が戻ったのなら、申し訳ないけど…お願いがあるんです」
「なに? 私にできることなの?」
「たぶん、この場にいる中ではあなたにしかできないと思います。怪我をしていて、今にも死にそうな人がいるんです」

 マユミの言葉に、怪我という言葉にヒカリの前髪が触覚みたいに動いて反応した。猫じゃらしを見た猫みたいにそわそわするアスカ。触りたくって仕方ないと目で訴えるが、いつになく冷たいマユミの白目で睨まれて伸ばしかけた手を引っ込めた。ふんとにこんな時に。

「ちょっとどうかしたの?」
「いいえぇ。なんでもありませんですよ」
「そ、そう。それより、怪我人はどこ?」

 鬼神の如き戦いぶりを見せた彼女だが、本来の彼女は怪我とか病気とか、不潔とか不衛生とかいった言葉を聞くと黙っていられないのだ。
 まだ詳しいことを話そうとするマユミを遮ると、拳を握りしめつつ任せなさいと胸を張る。

「…わかったわ。あなたの友達の傷、治せるかどうか試してみる。
 いえ、絶対治してみせるわ!」

 そしてまだ多少よろめきながらも、ヒカリはマユミの視線の先…トウジが意識を失って倒れている方へと顔を向けた。
 鼻息荒いのによろめく彼女の様子に、マユミとアスカは等しく不安を感じる。

(やっぱり彼女は動くことも大変なんだ…)
(あの子大丈夫なの?)

 アスカとマユミの心配も無理あるまい。なんと言ってもヒカリは人間で言えば即死してもおかしくない内蔵まで達するような大火傷を負っていたのだから。

(そうよね、見た目は元気になったみたいでも、あんな大怪我だったんだし。それなのに、そんな彼女に無理をさせないといけないなんて)

 さっきまで限度に絶する戦いを繰り広げ、あまつさえお互い殺す寸前までの攻撃を加え、加えられた間柄だが、マユミは心の底からヒカリの身を案じた。アスカ達とは違う、どこか自分に似た雰囲気の彼女が気になってるのかも知れない。マユミとヒカリは同じ土属性だからだろうか。それとも受けだからか。
 ちなみにヒカリは受けは受けでも迫り受けだったりする。って迫り受けですかヒカリさん。
 ………ちなみにマユミは薬スライムの所為で疲労が腰に来てるんじゃないかとか、妙なことを心配しているわけではない。たぶんきっと。冷や汗をダラダラ流しているけど、気にしちゃ駄目だ。
 ともあれ、ヒカリはよろめきよろめき、見かねたアスカに肩を貸してもらいながらも、どうにかトウジがいるところへと足を進める。瓦礫を乗り越え、固まった溶岩を踏み分けていく。

「………」
「ケンスケ、いつかこうなるとは思ってたけど…ってあれ、君…?」

 そして警戒するレイの、泣き顔のシンジの横をすり抜けて文字通り虫の息になっているトウジの側に膝をつく。急に動いて血圧が変わったせいか、やたらガンガンと痛むこめかみを押さえ、じっと致命傷ともいえる腕と足、腹部の傷に目を向けた。

(こ、これは───!)

 一瞬ヒカリの息が止まる。
 先にマユミ達が施した応急措置で、血がまるで見えなかったから一見安心したが…。

(なによ、これは…)

 マユミが大変な焦りようだったのも無理はない。本当にそう思う。
 そして安請け合いしなければ良かったと激しく後悔した。

 右手は肩の付け根からノコギリのようにギザギザの尖った岩によって切断され、かろうじて皮一枚で繋がっているという有様だ。しかもただ切断したのではなく、グラインダーで削って切断したような状態だった。つまり、腕と肩を繋ぐ部分が足りない。
 そして左足は、幅10cmほどの広さで、潰したパンのように床にへばりついていた。マユミの塗りつけた薬の効果により、出血は大分押さえられているのだが、魔法の軟膏を使ってもなお溢れる血は止まらず、今もじくじくと滲みだしていた。そして腹部の傷は見ていて気分が悪くなるような様相を呈していた。突き刺さった岩が背中にまで貫通し、一部内臓がはみ出ている。もしかしたら岩がトウジの体内で砕けている可能性もある。
 傷口からは不潔な黴菌が雪崩れ込むように入り込み、溢れた血は、人の半分ほどの背丈の小さな人…小妖精なら全身の血が無くなるくらいに出血しているだろう。つまり、人間の総血液量の半分ほどが。人間は血液の3分の1を失ったら死ぬ…正しくは生命活動を維持できなくなると言われている。

 生きているのが奇跡に思えるような…そんな状態だった。

(いっそ、いっそ死んだ方が彼にとって幸せよ)

 滅多に見慣れない、崩れ血塗れた傷に嘔吐しそうになるのを堪え、ヒカリは顔を余計に青ざめさせる。呻きながら、なんでトウジは生きてるのか真剣に疑問に思う。メデューサである自分は相当にしぶとい生命体だが、どうしてどうして人間だって負けていない。そうどこか冷静な頭で思った。

(いくらなんでも…これは手に負えないわ)

 やはり無理だ。そう告げるべきなのだが…告げたとしたらどうなるだろう?
 ちらりと横目でシンジを見ると、真っ赤になった涙の痕が残る瞳で、じっとトウジを、そしてすがるように自分を見ていた。子犬のような目が居たたまれない。
 きっとヒカリが何とかしてくれる。友達を助けてくれる。心の底からそう信じている、いや信じたがっている目だ。

(どうして、どうしてそんな目で私を見るの? 私はあなたとそう年齢も違わない小娘なのに)

 正直ヒカリは困惑した。友達とは言え、どうして他人のことでそこまで涙を流し、案じることができるのか?
 今の彼女にはわからない、今はまだ…。

(彼には悪いけど、死なせるべきよ。そうした方が、彼の、残された人のためよ)

 とどめを刺すことこそが友としてできる最良のことなのではないか、そう言おうかと迷った。シンジの持っている剣で心臓を脇腹の下から一突き。それで呻き声も上げずに彼は死ねる。

(そう…言えるなら…簡単だけど…)

 シンジ、アスカ、レイ、マユミの視線が自分に突き刺さる。

(無理よ〜)

 言えない。言ったら自分も殺されるかもしれない。
 考え過ぎなのだが、つい先ほどアスカ達は自分を本気で殺そうとしていた。ある意味無理のない想像と言える。

(ううう、確かに助けるだけなら何とかできるかも知れないけど…)

 助けられるかも知れないけれど、その後の生活がどういうことになるかまでは彼女には保証できなかった。悪い予想どおりなら、歩くことも食事をすることも、息をすることさえも彼にとっては重労働の拷問のような生活になる。常に誰かに寄りかからなければ生きていけない、そう言う生活に。古代遺跡から発掘された大昔の小説の一編、芋虫という言葉が彼女の脳裏をかすめた。

(もっと、もっと私の癒しの力が強力だったら…。無くなった部分を再生させることができるくらいに強力だったら…)

 そう、彼女の生き別れた…何者にも縛られない風の精霊のように自由に生きる姉のように。
 水中でしか生きられない鮫の吸血鬼、ブラッドシャークに襲われて殺された妹のノゾミを事も無げに蘇生させ、あげく睨んだだけでブラッドシャークの群を全てマリンスノーに変えてしまった姉なら…。

(なんであんなちょっと格好いい男の人にホイホイ着いて行くようなふしだらなお姉ちゃんに…)

 そんでもって昔住んでいた場所では、姉のあだ名はピラニアだった。その所為で姉に彼氏を寝取られた相手がヒカリに意趣返しをすることが多々あったが…それは完全に余談だ。嫉妬はあるが、姉ならば問題なくトウジの傷を癒すことができただろう。もっと酷い傷であっても、助けることができた。いや、死んでいたって生き返らせただろう。
 だが現実は厳しい。ヒカリには炭化した部分を癒す力はあっても、千切れた手足を繋ぐことはできても、無くなった部分を再生させることは…あまりにも大きすぎる欠損を再生させることはできない。
 彼女にはそこまでの力はなかった。

 そう、彼女の癒しの力は確かに強力だが、無い物をつくることはできない。千切れた腕を繋ぐ…指先ほどの欠損を補う…それが精一杯だった。勿論、それができるだけでも大したものなのだが。第三新東京市随一の癒し手よりも有能であることは間違いない。とは言うものの、癒せないと言う点では五十歩百歩ではある。

(ううう、どうしよう。助けることだけならできるけど、でも…。こうしてる間に命の蝋燭は嵐の中の瓦みたいに吹き消されて…。お姉ちゃん、私どうすればいいの?)

 トウジを見た瞬間、じっと動かないヒカリに焦れたのか、マユミが後からのぞき込みながら恐る恐る声を掛けてきた。

「だめ…なんですか?」

 彼女らしい控えめな言葉だが、誰もが言うに言えなかった言葉をさらっと唇にのせるところが彼女らしい。アスカだってここまでストレートには聞けない。
 別にマユミはヒカリを脅迫するとか、そう言った思惑はなかったが、言われてるヒカリはそう思わなかった。ビクビクしてるところにいきなり後から声を掛けられたことで、少しばかりパニックになってしまう。

「ち、違うの! 決して、無理だとかそう言うワケじゃないの!!
 私、千切れた傷とかは治せても、こんな風に組織がごっそり無くなった不潔な状態の傷は治せない…じゃなくて、いつかは治せるようになりたいんだけど、今はその」

 言わなくて良いことを言ってしまった。
 言い終わってからハッと正気に返って顔を青ざめさせるが、まん丸に目を見開いて自分を見るシンジに気がついてしまった。これから母親に怒られることを悟っている子供みたいに、ヒカリは体を小さくさせる。それに反比例するように周囲の緊張が大きくなっていく。

「あ、あああ…ち、違うのよ。助けられないわけじゃないの、ただ、五体満足にできるかどうかわからないってだけなのよ」

 言い訳しながら後ずさりするヒカリ。
 正気に戻っている彼女は、とてもじゃないが3人に相手に戦う力はもちろん気力もない。
 腰が抜けてしまった状態でブルブルと震えながら、アスカを、レイを、マユミを順番に見つめる。

 罵倒されるのだろうか、殴られるのだろうか、それとも殺されるのだろうか…。
 しかし、シンジの口から漏れたのはヒカリの予想とはまったく違う言葉だった。

「助けられるの? 助けられるんだね? お願い、トウジを助けてよ!」

 いきなりシンジは涙で曇った目を喜びが輝かせながら、いきなりヒカリの手を取ると絞り出すように懇願した。思いがけない行動に頬を赤らめたり、びっくりするヒカリを刺すような目で見ながらレイ、マユミは言葉を続ける。

「碇君の言うとおりにして。…助けられるのなら迷うことなく助けて。ぐずぐずしてたら助けられるものも助けられないから」
「なんで考え込んでいたのかはなんとなくわかります…。でも、そのことで色々気を揉むのは友達である私達の、そして彼の家族の仕事です。あなたが迷う事じゃないですよ」
「そーよー。それともあんた鈴原の家族にでもなる気?」

 ドキンと心臓が高鳴り、顔が紅潮するのがわかる。
 アスカの言葉に、必要以上に驚いたことをヒカリは感じていた。
 ちらりと血の気のないトウジの顔を見てみる。またドキンと一つ音がして鼓動が早くなった。決して美男子とかそういった顔をしてるわけではない。いや、よく見たら結構整った顔をしている。美形というのとは違う、厳しい砂漠の気候で鍛えられた青年の顔つき。一言で言うと精悍な顔。

(ちょ、ちょっと…。私は神に全てを捧げた巫女なのに…。なにより、この地に納められた遺物を守るのが私たちの定め…。それなのに、どうしてこんなに胸が…。何かの間違いよ)

 だが、妙にドキドキする。アスカの言葉が気になっているからだろうか。

『家族にでもなる気?』

 それはつまりヒカリがトウジと夫婦にでもなるかと問うているわけだ。たとえ友人でもない相手に、嘲笑混じりの冗談で言われたのだとしても、一度意識してしまったヒカリは胸の高鳴りを止められなかった。

(家族、この人と…私が、魔物の私が家族…姉妹以外に家族を)

 永い永い間、姉妹以外の存在と口をきくことなくただ遺跡を守って生きてきた彼女はよく言えばすれてなく、悪く言えば他人との交流に免疫がなかった。たまにあった外の世界からの来訪者も、大概姉と妹が対処していた。それが高じて外の世界に2人は旅立ってしまったのだが。さすがはそれぞれ『強き女』と『旅する女』の二つ名を持つだけある。後に残ったのは親の言いつけを破ることもできないヒカリのみ。
 要するに、冗談を冗談と受け取ることができない常に生真面目な人間だ。

(こうして改めて見てみたら…結構男前かも)

 またドキンと鼓動が耳に、身体に響く。口から漏れる息が熱い。こめかみの血管をドクドクと音をたてて血液が流れ、しないはずの耳鳴りがする…。

(背が高いのね…。それに胸板…結構厚い)

 一度意識したらとまらない。
 トウジの名前も良く知らないけれど、彼に抱きすくめられてる自分を想像する。違う違うと首を振る代わりにお下げが犬の尻尾みたいにピコピコ動く。

「彼の名前は鈴原トウジ…。16才、長男。身長170ちょっと、体重65kg前後。家族は父と祖父と妹。頭は悪いけど優しい好青年と近所で評判。
 『フラフラしてないで嫁を貰って落ち着いてほしい』が彼の父親の口癖…。
 掘り出し物。クスクス」


 なぜかマユミの背後から、いつもの無表情でレイがトウジの個人情報を漏らす。なんでそんなこと知ってるんでしょ?
 瞬間、火に掛けたやかんの如くあっと言う間にヒカリの全身がわき上がった。息が熱く、胸が高鳴る。
 傍目から見たら恋に気がついた乙女といった感じだ。間違いではない。ただ、何というかちょっとベクトルが間違っていたが。
 なんてこと言いやがりますか!? と慌ててレイの口を塞ぐマユミをよそに、ヒカリの妄想は加速していく。


「そんな、私が、家族になるだなんて。それってつまり、この人と…この人と一生共にしていくって事?
 そんなの、でも彼は支えてあげる人が必要になる…。私の力不足が原因だから、吸血鬼に操られた私が戦ったから彼はこんな事になったんだし。それに、私が癒しの力を十分に発揮できれば、彼は…。そう、私は彼の一生を支える必要が、義務があるのね。最初はお互いよそよそしいけど、それもいつしかわだかまりが2人の溝が消えていって…。
 手も繋げない、互いの名前を呼ぶこともできない2人だけど、ある夜ちょっとしたきっかけで彼と裸で、抱き合って。お互いの潤んだ目を見つめ合いながら、貪るように唇を求めあうのよ。そして彼の大きな手が私の胸に伸びて、つまんで…。【意外と大きいんだね】とか言われて私はますます赤くなって。
 次いで舌が舐めて揉まれて、く、口でなんてそんな、そんなの、そんなこと…。でもそんなに言うんなら、私、初めてだし上手くできないかも知れないけど一生懸命頑張るから、その…ああ、そんな口一杯出して、顔をべっとりにして、あああ私、私…。
 そして彼は私の身体中に舌を這わせて、ついには私の両足を肩に抱えて…。
 あうっ、痛いのは嫌だけどあなたが望むのなら私…。ああ、あああああぁぁぁ─────!!


「ってあんたバカァ───!?」


 ヒカリ大絶叫。
 顔を手で覆っていやんいやんと激しく首を振る。ついでにお下げの髪もピコピコピコピコピコピコ…と羽虫の羽よろしく激しく動く。ヒカリの狂乱にシンジは腰を抜かして後ずさり、レイはふむふむと首を振りつつ頷き、マユミは思ってもいなかった事態に眼鏡をずり落として硬直、アスカはお得意のセリフを大絶叫だ。
 その間にトウジは奈落落ちするように顔色が悪くなっていく。

(わ、ワシはここで死ぬのかもしれへん)

 なんてこと考えてる可能性大。

「ちょ、ちょっと? もしもしー?」
「ふむふむ、勉強になるの」
「綾波さんメモしたらダメです」
「ああああああああダメぇ────!!
 やっぱり入れちゃダメ────!!
 そんないきなりなんて私壊れちゃうわ─────!!!!」


 なんの想像をしてるのやら。
 もうはっきりばっちり具体的な情景までわかるシンジとマユミは顔を真っ赤にして俯き、経験はないけど知識としてわかるアスカも顔を真っ赤にして言いかけた言葉を呑み込み、よくわかってないレイはきょとんと首を傾げた。
 その間にもドンドン顔色が悪くなるトウジ。

(見えるでぇ、光が見えるでぇ…)

 見えちゃダメです。
 なんか見えたらいけない物が見えてるみたいだ。この分だと川を渡ってそうで非常にヤバイ。

「あ、あんたねぇいきなりなんてこと言うのよ!?」
「いやああああ、不潔不潔よ〜〜〜〜〜!!!!!
 まだお互いの名前も知らないのに、いきなりそんな事ぉ〜〜〜〜〜〜〜!!!!
 っ!? うそぉ、いきなりそんなのそんなとこ無理よ、汚いわ…。そっちは違うの!
 ああ、痛い…」

「聞いちゃいないし。
 しかしなんつーことを言うのよこの娘はっ!?」
「よくわからない。何を想像してるの?」
「…うわぁ」

 さらに発禁ギリギリのヒカリの叫びに全員一歩後ろに引く。
 最後の「うわぁ」はマユミのセリフなのだが、そんな言葉を呟くと言うだけでも、どれくらいショックを受けたのかわかるだろう。

「ふああああ──────!!!
 あん、あっ…だめっ! でも、あなたがそこを望むなら、私、はぁっ!」

 文字通り蛇みたいに体をクネクネさせて悶えるヒカリに、一同はため息をつくこともできない。血が溜まってたのかシンジは上を向いて後頭部をトントン叩いている。って君はさっき何をしてましたか? それなのにもうこれか。
 彼が何を考えてるのかすっごい謎だ。状況が許すんなら今すぐにでもマユミか、それともアスカ、もしくはレイ、いやいや場合によってはヒカリの手を掴んで奥の暗がりに駆け込みそうな感じだ。それもダメならせめて1人にしてよ! って感じだ。

 シンジの物欲しげな視線を無視して、ちらりとマユミとアスカの視線が交錯する。
 もうちょっと聞いていても良いくらい面白いが、さすがにトウジがやばすぎるしシンジにとっては耳に毒だ。
 やれやれと呟きながらマユミが服の襟から手を突っ込み、どこにしまっていたのかまったくもって謎だが、巨大なハリセンを取り出すとアスカに手渡した。それを受け取り、これまた疲れ切ったため息をつきつつアスカは右打ちで構え、左足を持ち上げ…大きく踏み出すと同時にまだ叫ぶヒカリと、聞き入ってメモを取っているレイの頭を思いっきり叩いた。

 スパパーン!

「子供は3人くら…かぺっ!」
「痛いの!」

 ぱしーんと響くいい音と手に返る手応えにしばしひたる。
 そしてアスカはあいたたたと頭を押さえて呻くヒカリと、涙目のレイを思いっきり怒鳴りつけた。


「このお馬鹿ッ! 妄想爆発させてる暇があるんならとっとと鈴原を治療しなさいよ!!
 レイも! 処女の妄想入り交じった適当な話をメモするんじゃないの!!」
「妄想…つまり、想像。嘘が混じっていたの?」
「そうよ!」
「それにしては凄くリアルだと思う」
「そこが怖い所よ。こういう生真面目なタイプはね、なまじの経験者より妄想爆発させるのよ」
「そうなの?」

 そう言うアスカも処女なのに物知りだと思いつつ、レイはちらっとマユミに目を向ける。目が合ってしまった。眼鏡の向こうの瞳がなんだか怖いとレイは思う。顔は笑ってるのにもの凄く怒っているように見えた。

「なんで私を見るんですか?」
「経験者…」
「うっふっふ、綾波さんって時々お茶目なんだから♪」

 なんてことを言いつつ、マユミは優しく逃げ腰のレイを引き寄せて抱きしめる
 そして「めっ♪」と言いながらコツンとレイの額を叩く。とっても優しいのだが、語尾の♪マークがなんだか怖い。現にレイの顔は微妙に引きつってるし。

「…ったくまた脱線した。
 もういい加減にあんたは鈴原に治療法術を使いなさい」
「あ、う、うん。でも、その良いの?」
「良いって言ってるでしょ」

 ワシの意見は無視かー。というトウジの心の声が聞こえたような気がするが無視した。

「でも…。手足が千切れた状態で治癒することになるのよ」

 ブチッ

「え? ブチッ?」

 怪訝な顔をしてヒカリはアスカの頭頂部辺りに目を向ける。なにか革のベルトが千切れるような音がしたと思ったのだ。もちろん、そんな物は周囲にない。
 賢明な人なら即分かっただろうが、とうとうアスカの堪忍袋の緒が切れたのだ。

「ああ、もう!
 足りないって言うんなら、これで良いでしょ!」

 いきなりそう言うとアスカは瓦礫に目を向け、その隙間に転がっていた…いまだビクビク脈打つ赤黒い肉塊…見つめるものの肉片を手に取ると、無造作にトウジの肩の傷の欠損部分にはめ込んだ。

「うげっ!?」
「ひっ」
「あ、アスカさん」
「正気なの!?」

 シンジも、レイも、マユミも、当然ヒカリもこれには目を見開いて言葉を失った。だがアスカの行動は止まらない。気のせいかこめかみに青筋を浮かべているトウジの足の欠損部分に、潰れた眼球混じりの別の肉塊をはめこむ。ぐちゅりと湿った音を立てて、肉塊がトウジの傷口に張り付いた。
 まるで模型のパテ埋めか何かでもしてるような気安さだ。こうなったら天上天下アスカ様超特急は止まらない。

「おりゃ!」

 かけ声も高らかに腹に刺さっていた岩を引き抜き、噴水みたいに血が吹き出る前に見つめるものの肉塊を詰め込む。びくびくっと嫌な感じにトウジの体が痙攣するが無視。

「ちょ、ちょっとアスカさん?」
「あの、その、トウジ? トウジ〜〜〜?」
「凄い、まだ生きてるの」

 そしてピクリとも動かなくなったトウジを一瞥し、ヒカリを睨み付ける。

「さあ! 足りない部分は埋めたわ! これならあんたの法術で治せるでしょ!!」

 それ以前の問題だと思います。

 と、ヒカリだけじゃなく全員が言いたかったけど、怖いから言えない。

「鈴原も文句一つ言わなかったわ! だから問題無しよ!」

 言わなかったんじゃなくて言えなかったんだと思います。

 と、マユミだけでなく全員が言いたかったが、刹那アスカに睨まれて尻尾を丸めた犬みたいに縮こまった。とりあえず心の中で100回くらいトウジに謝っているようだ。

 悪魔のアスカと違って、人間の僕達はプラモデルみたいに切ったり貼ったりはできないんだよ。

 と、シンジだけでなく全員が言いかけたが、やっぱりアスカに睨まれて親の背中に隠れる子供みたいにマユミとレイの背後に逃げ込んだ。ド根性無し。

 ワシをなんや思とんのやー。

 と、当事者であるトウジは全身全霊を振り絞って言いたかったが、命の危機でもあるし、なにより結果としてローアングルから見上げることになったアスカの肢体に…特に申し訳程度の布で覆われただけの胸に我を忘れていた。…結構余裕あるな。

 アレで良いの?

 よくわかってないレイは首を傾げつつ、怪我の治療はああすればいいのかと(間違った)学習していた。


「さあ! 早くしなさい! 刺さっていた岩を抜いたから、出血が激しくなってるわ!」

 さあ! じゃないわよ。

 とヒカリは思ったが、マユミもシンジも、レイもトウジも何も言わなかったからやっぱり彼女も何も言えない。こんなでたらめなことをされるとは思いもよらなかったし、こんな状態で治療法術を使ったらどんなことになるか…。彼女には、いや誰だって想像はつかない。
 正直、今すぐ見つめるものの肉塊を引き剥がし、傷口を洗浄した上で治療法術を使いたかった。だが、アスカがあそこまで無茶をやってしまった以上、これ以上時間を掛けることは不可能だ。それに張り付いた肉片は暗黒の生命力を発揮して、既に一部トウジと融合を始めている。今更これをはぎ取ることは彼の完全なる死を意味している。しかもトウジの顔色は緑色という限界を遙かに突破した顔色に変わっていた。
 カラカラに渇いた喉をゴクリと鳴らし、ヒカリは出もしない唾を飲み込んだ。
 わだかまりはあるが…彼女は覚悟を決めた。

(知らないわよ、どうなっても…)

 かくなる上は、ヒカリの治療法術でもって肉片の暗黒の力を浄化しつつ傷を再生させるのみ。
 緊張で震える腕をトウジの傷口の上にかざし、ヒカリは全身全霊を持って光明神への呼びかけの言葉を唱える。

 救いたまえ、癒したまえ。
 4柱の天使が四方に立つ。
 1柱は導き、1柱は守り、1柱は祈り、1柱は歌う。



「光明神マザーよ、死者をも癒す癒し手よ。我に神聖なる奇跡の力あたえたまえ。
 深き、重き、冷徹なる傷を癒し、安らぎで満たす光を、あなたの巫女に与えたまえ。愛する人を助けるために」

 ヒカリの手から生じた虹色の光が、室内を眩く照らしていく。
 シンジが、マユミが、アスカが、レイが緊張の面もちで見守る中、光はゆっくりと渦を巻きながらトウジの全身を繭のように覆い尽くしていく。











Monster! Monster!

第28話『ロストパワー』

かいた人:しあえが








「トウジ、トウジ!」

 懐かしい友の呼び声が、彼の意識を急速に覚醒させていく。
 靄がかかっていた視界が急速に開けていき、無音の世界に浸っていた彼の鼓膜がゆっくりと震え覚醒していく。

「シンジ…か」
「! 気がついたの!?」

 一瞬鼓動が止まりそうなほど綺麗な顔と瞳だが…余り見ていたくないな。
 特に仲の良い友達の泣き顔は。それが本当に心を打つときはなおさらだ。

「こ、ここは…」

 そう言いながらトウジは体を起こして周囲を見渡した。薄暗い明かりが照らすの中、悲惨な惨状を示す室内の様子が目にはいる。ケンスケが持ってるありったけの爆薬を爆発させてもこうはなるまい。
 たしか自分は孤島の迷宮の中で、見つめるものという洒落にならない大物と戦いになったはず。心を操られ、あげく破壊光線で胸を打たれたはずだ。そこで意識を無くして、あとは生きたまま食べられるしかなかった。

「いったいなにが…。あの化け物は」
「大丈夫、やっつけたよ」
「ほんまかいな」

 失礼な話だが、とてもシンジが見つめるものに勝てたとは思えない。となると、自分だけでなく彼も無惨な死を迎えたはずなのに。
 しかし、今彼はこうして無事だ。シンジの言葉を疑う理由はないだろう。無事と言えば…ふと思い出したように手足を見るが、どこにも異常はない。指も滑らかに動くし、身体のどこかに痛みを感じると言うこともない。

「妙な夢を見たと思ったが…。本当に夢やったんかな」
「え…妙な夢って」

 冷や汗を流すシンジをよそに、トウジはあっけらかんと自分の見た夢の内容を口にした。

「いやな。どでかい化け物がいきなり現れてあのメダマンをぶっつぶした夢や。
 …凄かった。おとんより怖い物はないワシやったが、おとんの何倍も恐ろしい化け物の夢や。
 その後、なんか最初のに比べれば大分落ちるけど別の化け物が現れてそこら中を破壊しまくって、あげくワシまで吹き飛ばされて。
 なんや綺麗な花畑で死んだオカンの顔を見たんや」

 記憶がすっかり薄れてしまった母の顔なのに…夢の中の母の顔はこれ以上ないくらいに鮮明だった。黄金色の金髪や愁いを帯びた蒼い瞳、どこかアスカに、そしていつぞやトウジ達を気絶させた威勢の良いお姉さん…ミサトに似ていた。
 ふと物思いをやめ、はっはっはと後頭部を掻きながら彼は脳天気に笑う。

「そう、それは…凄い…夢だったね」

 そう呟きつつ、シンジの身体中から大量の汗が流れて衣服を湿らせる。最初の凄い化け物というのが少々意味不明だったが、意識を失いつつもしっかりアスカ達の戦いを把握していたトウジに、彼の自称繊細な心臓がバクバクと音を立てる。この分だと、アスカのやったことも把握してるかも知れない。

「そやな。我ながらけったいな夢やった。
 それはそうと…どうしてワシら助かったん…」

 トウジの目がシンジの後にいたアスカ達を捕らえた。毎度、意味無く偉そうにふんぞり返ってるアスカ、申し訳なさそうにしているマユミ、無表情に冷たい目で自分達を見ているレイ。
 鈍い鈍いと言われつつも、彼の脳はすぐに事の成り行きを悟った。

「そか。惣流達か。納得したわ」
「どういう意味よ」
「自分達が助けてくれたんやろ。そうでもないと、ワシらが無事でいられるはずがないしな。ありがとさん」

 ふんと素っ気ない態度をしつつ、(今のところ)異常がないらしいトウジの様子にアスカは安堵したようだ。それに素直に礼を言われるとは思わなかった。トウジに見えないように顔を背けて緊張を解き、ため息をついた。ちょっと顔が赤いのは照れてるんだろう。
 クスクスと口元を手で隠して笑うレイとマユミ。その態度が凄く気に入らないが、ここでまた暴れるわけには行かないので敢えて文句も言わなかった。でも、後で覚えていろくらいは考えていた。

「せやけど、ここまで追ってくるとは…想像以上に物凄いな姐さんの勘は。普段はおとろしい思てたがそのおかげで助かったんやし、あまり文句も言われへんな」

 彼なりに感じることがあったのか、いつになく饒舌だ。
 そんなトウジの一挙一動にドキドキしつつ、シンジはじっとトウジの目を見つめる。

「その…だいじょうぶ?」
「なんや気味悪いな。男に顔を見られるのは…相手がシンジでも…いや、シンジやからこそ勘弁して欲しいんやけどな」
「いや、その。あのさ」
「なんや持って回った態度で。言いたいことがあるならはっきりせい」

 ゴクリと唾を飲み込む。
 できれば、何も変わったことがないのならこのまま穏便に済ませたいと彼の事なかれ主義の精神が訴えかけるが、背後で自分を睨むように見るアスカ達…なによりヒカリの視線がヒリヒリと痛い。
 迂闊に振り返ることもできない痛さだ。
 なんと言ってもヒカリは本物のメデューサ。もしかしたら今突き刺さっている視線は本気の石化の視線かも知れない。

(勘弁してよ。僕こういうの苦手なの、みんな知ってるくせに…。これならまだケンスケ掘り出す作業していた方が気が楽だよ)

 だがケンスケはとっくの昔にレイが召還したドワーフ達により綺麗に掘り返されていた。
 心臓がドキドキするような荒っぽいハンマー使いだったが、その実、化石を掘り出す以上の丁寧さと繊細さでケンスケは掘り出されていた。圧倒的にシンジより手際の良い彼らの仕事に、彼が文句を付けられる道理はない。

「えーと、そのさ」
「はよせい」
「その…身体に…おかしいところ…ないかな?
 お腹が痛いとか、手足が上手く動かないとか」

 怪訝に思いつつ肩を動かし、意識を自分の身体に向けてみる。
 特におかしいところはなかった。
 いや、かえって前より爽快な気分だ。まるで何十時間も寝た後、すっきりと目覚めたように爽快な気分だ。

「特にないなぁ。なんや、そんなこと聞くような心当たりでもあるんか?」
「いや、別に。その、体調が良いなら問題はないんだけど、あの…。
 妙な気分とかしない?」
「気分? いや、いつになく爽快やで。マラソンだって出来そうな気分や」
「そう。…妙な物を食べたいとか、飲みたいとか、そういう事はないかな?」
「別に」

 一応、レディーの前だと言うのに、耳をほじりながらトウジの返事は素っ気ない。
 その態度にムカッとしつつ、アスカはシンジの背中をつついてもっとストレートに聞けと促す。
 渋々、既に何度も決めたはずの覚悟を決め直して…シンジはゴクリと唾を飲み込んだ。

「肉を食べたいとか…ない?」
「肉は好きやが。骨付きの肉汁滴る赤身肉とか最高やな」

 なんて気楽なセリフだろう。心の底から幸せそうだ。
 僕の葛藤も知らないで!
 場違いな、憎しみにも似た感情にシンジは襲われる。しかし、はふぅと息を吐き出し、シンジは覚悟した言葉を口にする。普通に聞かせるには、些か強烈な質問の言葉を。

「いや、肉は肉でも人肉…とか」
「なんやて?」

 質問の意味が分からなかったのだろう。最初キョトンとし、次いで意味が分かったのか怒ったように顔を赤くしてトウジはシンジの胸ぐらを掴みあげた。不真面目なところがあるとは言え、根は生真面目な彼はそう言う冗談は大嫌いなのだ。

「冗談にしても笑えんで」
「…っ、痛い。痛いよトウジ。冗談…だよ、ごめん、許して」

 ギリギリと締め上げる…想像以上に強いトウジの握力にシンジは目を白黒させる。
 明らかに数時間前までのトウジとは違う。
 やっぱり…と暗い思いに心が沈む。

「まったくそういう笑えん冗談やと、一緒にお笑い道を極めて笑いの殿堂に行くことなんて夢のまた夢や」
「いや、そんなとこ行きたくもないし。そもそも極めたくないよ、そんなの」
「し、シンジまでそないなことを」
「そもそもなんだよお笑い道って」

 納得できないが、それ以上の追求をトウジはしなかった。口下手というわけではないが、語彙の少ない彼では良いようにシンジに、シンジは何とか出来ても背後のマユミ達に誤魔化されてしまうことは目に見えている。

(何をたくらんどるんや…あるいは秘密にしとるんか?)

 鈍い鈍いと言われる彼だったが、それでもシンジ達が何かを隠していることはハッキリ分かった。あまりにもシンジは人に物事を秘密にすると言うことが苦手すぎる。それは彼の美徳であるが、この場合は明らかに交渉役としては人選ミスだ。そのことは、トウジのいぶかしげにアスカ達を見る目が雄弁に語っていた。

(ここまでか)

 肩の力を抜きながらアスカは思う。
 少しばかり甘く見ていたとも思う。しかし、馬鹿は馬鹿でも頭の回転の良い馬鹿相手に、誤魔化しは通じなかったと言うことか。

「わかったわよ。きちんと話してあげるから、シンジをいじめるのはやめなさいよ」
「僕、別にいじめられてたわけじゃ…」
「よし、わかった」
「トウジも納得しないでよ」
「シクシク、いじめられて可哀想な碇君。慰めてあげるの」

 胸を張って無駄に偉そうなアスカと、苦虫噛みつぶしたように不満げな顔をしたシンジの頭を胸に抱くレイ。子供じゃないんだけどなとシンジは思うが、ぎゅっと抱きしめられて気持ちが良いので、何も言わずに成すがまま。

「あなた達…いつもこんな感じなの?」
「いえ、いつもってワケじゃ…日に23時間くらい」
「………それはいつもじゃないの?」

 呆れた目をするヒカリの言葉が胸に痛い。実際、いつもいつもこんな感じで馬鹿騒ぎをしているのは事実な訳で、言い訳の使用もなかった。でも、昔に比べれば大分自分は明るくなったな…とマユミは思う。まさかまた笑える日が来るとは、はしゃげる日が来るとは思ってもいなかった。だから、ヒカリから呆れられる馬鹿騒ぎであってもシンジ達には深く彼女は感謝している。
 知らないとは言え、遠回しにマウントクリフ王朝王位継承権者の自分が馬鹿にされてるって事は、彼女なりに少し腹が立ったが。

「すぐに慣れますよ。きっと」
「慣れるの!?」

 慣れるんだなこれが。













「ん、まあズバリ教えてあげるわよ。とどのつまり、あんたは大怪我したのよ」
「大怪我…」

 アスカは意図的に大怪我の原因が自分とヒカリの戦いの巻き添えでとは言わなかったが、トウジはそれが見つめるものとの戦いの結果だと思った。シンジが何ごとか言いそうになったが、じろりと親の仇を見るような目で睨み付け、伸ばしかけた手共々引っ込めさせる。
 別に話しても良いが、無駄にトウジに怒らせる必要はない。

「そ。それも腕と足が千切れて胴体に大穴が開くって言う大怪我よ」
「そ、そんな大怪我…ってちょっと待て」
「なによ?」

 話の腰を折られてムッとしつつも、アスカはトウジの次の言葉を待つ。

「ワシ、あのメダマンからそんな事された覚えはないんやが」
「ちっ。救いがたい馬鹿のくせに覚えてやがったか」

 忌々しげに顔を背けてアスカは舌打ちした。
 シンジ同様、アスカも交渉は苦手かもしれない。そもそも、悪魔である彼女は嘘が絶対につけないから、シンジ以上にブラフが必要な交渉に向いてない。

「待てー! 待てや惣流、なんか絶対隠しとるやろ!?」

 いつもそうだが…ことさら自分達人間を蔑むような物言いのアスカの言葉を、彼はあまり快く思っていない。だからいつになくしつこくアスカの言葉尻を捕らえた。今追求しなかったら、きっと死ぬときになっても真相を知ることはなくなる…そんな気がしたから。
 まあ、だからと言ってアスカも素直に真相を語るほど素直ではない。
 こうなれば根比べだとばかりに、アスカの言う真実を彼に叩きつける。

「あんたは見つめるものにズタボロにされて死ぬ寸前だったのよ!」
「嘘や、絶対に嘘や!」
「信じなさいよ! 実際に殺されかけたのは事実なんだから!」
「惣流の言葉は信用できん!」

 惣流の部分をやたら強調してトウジは叫んだ。
 じゃあ、マユミやレイの言うことなら信じたのかこいつはとか考える。信じるんだろうなぁ。ただ、レイはともかくマユミは滅多なことで人を騙すとかは出来ないだろうが。シンジ同様、すぐ顔に出る奴だし。

「くっ、じゃあどう言えば大人しく騙されてくれるのよ!?」
「誰が騙されるってあらかじめ言われて騙されるか!」
「鈴原のくせに生意気よ!」

 アスカとトウジが楽しげにギャーギャー言い合いするのをよそに、シンジとマユミ、ヒカリは互いの顔を見合わせて深い深いため息をついた。
 やはり誤魔化そうとするアスカの考えもわかるが、こうなっては素直に話すべきだ。今は誤魔化せても、この先に何が起こるかわからない。その時、トウジが事実を知っている場合といない場合で、出来ることは大分異なってくるはずだ。そう目と目で語り合った。
 調子が出てきたのか目を生き生きと輝かせるアスカの肩を叩き、振り返ったアスカに首を振って意志を伝えるシンジ達。

「もう良いよ、アスカ。言っちゃおうよ」
「ダメよ、鈴原程度を騙せないでこの先、社会の荒波を渡っていくことなんて出来ないわ!」

(((やっぱり…)))

 わかっていたが、アスカの返答は露骨な拒絶だった。もう、彼女としては真実の誤魔化しや、トウジの身体に異常がないかどうかなどはどうでも良いんだろう。とにかくトウジを言い負かしたいのだ。

(わかってはいたけれど…)

 こうなったアスカを止める方法は…それも即座に止める方法はあんまりない。そしてシンジはその方法の一つを知っている。彼でないとできない、彼だからこそ出来る方法だ。後々怖いが…。シンジは無造作に手を伸ばすと、アスカの背中で忙しなく動いていた翼を掴んだ。

「ヒッ…」

 目を恐怖で一杯にして、ビクリと身体を硬直させるアスカに内心謝りつつ、シンジは綿毛を扱うような優しさで指を上下させた。ビロードを撫でるように翼の骨に当たる部分、爪の付け根の柔らかいところを摘む。
 アスカの口から出かけていた抗議の言葉が、たちまち意味を成さない熱い吐息へと変わった。

「……んんん────ッ!!!」

 ビクビクッと身体を震わせると、全身を赤く艶めかしい色に染めてアスカはその場に崩れ落ちた。慌ててその身体をシンジは抱き留める。しかし、マント越しに自分を抱き留めるシンジの腕の感覚も耐え難いのか、ビクビクとアスカの体は痙攣を起こしたように震えた。

「あ、あひっ、だめ、シンジ抱きしめたら、そんなっ」
「な、なに? どうしたの?」
「いえ…気にしちゃダメです。とにかくアスカさんは大人しくなった。それで良いじゃないですか…」
「な、なんで山岸さんそんなに疲れた顔をしてるの…」

 勿論、そのヒカリの質問にマユミは応えることはなかった。













 すっかり腰砕けになったアスカをレイに預け…って、それはかなり危険なことではないだろうか。事実、くすくす笑いながらレイはアスカの髪とか翼とか尻尾をつついたり撫でたりしている。せっかくの機会を無下に使うつもりはないらしい。ここぞとばかりにアスカをいじめるレイ。その度に聞こえるアスカの声に、シンジは顔を真っ赤にしたり、この後のことを想像して青くしたりと忙しい。
 後のことを想像すると心が重いのはマユミも同様だ。だから少なくとも目の前の厄介ごとだけでも解決しておきたい。

「はあ…。一言告げるだけで済むはずなのに…どうしてこんなに時間がかかったのかしら」
「そら変な具合に誤魔化そうとするからやろ」
「そうですよね」

 少し寂しそうにマユミは笑う。

「ひぃあああ───ッ! レイ、レイィ───!!
 いい加減にしないと、ヒッ、酷いわ…あ、ああっ、ダメ、羽撫でちゃダメッ!」
「むほっ、むほほっ!」
「あああ、綾波、アスカ…生殺しだ…生殺しだよ…」

 こめかみに青筋を浮かべながら、すぐ後で楽しげなアスカとレイを睨んで一言二言。
 途端に静寂の魔法が効果を現し、彼女達の周囲空間の音が遮断されて静かになったが、トウジとシンジは凄く残念そうだ。

「もう単刀直入に言っちゃいます。
 鈴原さん…。あなたは大怪我をしました」
「ああ…今何を言っとるんやろ…」
「聞いてます?」
「はああっ、ワシもおなごになりたかったわ…。そうすれば誰にはばかることなく女同士のスキンシップを…」
「ライトニン…」
「はいっ、聞いてます!」

 耳に届く不穏な音とオゾンの臭いに、トウジが背筋を伸ばして敬礼までした途端、マユミが猛禽類の鈎爪のように曲げた指の間で生まれかけていた、小さな球雷は音も立てずに消滅した。

「どこまで話しましたっけ? そうそう、あなたが大怪我したところまでですよね」
「は、はい」
「誰があなたに怪我をさせたのかは、この際脇においておきます。結果が全てですから」
「ごもっともです」
「そうですか。そう言っていただけると私も嬉しいです。
 その怪我の具合があまりにも酷かったため、私達はあなたを助けるためにとある事をしました」

 じっとトウジの目を見る。ちゃんと話についてきているようだ。
 この分なら、最後まで落ち着いていてくれるかも知れない。

「それは…あなたの身体の欠損部分を、他の生物の身体で補ったんです」
「他の…生物? ってそれは」

 たらーっと脂混じりの汗がトウジの身体中から流れる。
 顔色もまだ治療法術を使っていなかったのではないかと思うくらいに悪い。
 大体彼にも想像できたのだろう。

「あなたももう想像できてると思います。つまり、その、えっと」

 肝心なところで言葉に詰まるところはシンジにそっくりだ。
 だからこそ、トウジにはマユミが言いたいことが痛いほどわかった。確かに、シンジが戸惑い躊躇することもわかる。アスカが誤魔化そうとすることも理解できる。

「えっと…その、あの」
「もうええ。つまり、あのメダマンの体を使ったってことやろ?」
「ええ。単刀直入にかみ砕いて言えば。ついでに言えばメダマンじゃなくて見つめるものです」
「……別に、何が変わったって気分はないんやけどな。体は普通に動くし、どこか痛いって事もないし」

 だがだからこそ、シンジは人肉を食べたくないかと奇妙な質問をしたのだろう。多少の身体の不具合があった方が、まだしも安心できるという物だ。
 反射的に目頭が熱くなり、手で目を覆ってトウジは上を向いた。

「と、トウジ…。トウジ…」
「気にすんなシンジ。それで…」

 震える声のシンジを制し、トウジはマユミに指の隙間辛目を向ける。なぜかぼやけて彼女の顔はよく見えなかった。

「ワシは…人間やない。ってことなんやろか?」
「そんなことは…! そんなことは…ない…です」

 反射的に身体を震わせてマユミは否定の言葉を口にするが、その言葉には説得力という物が見られない。それが全てを雄弁に物語っていた。

「そうか…。ワシは人間やないんか。……もう」
「…ご、ごめんなさい」
「姐さんが謝ることやないやろ。
 …で、ワシはいつ変身するんや。いつシンジの喉笛に喰らいつくんや?」



「変身とか、そう言うことは無いわ」

 トウジの質問に応えたのは、マユミではなくヒカリだった。実のところ、何を湿っぽくなってるのだろうと少々彼女は焦れていた。
 戸惑うマユミとシンジを目で制した後、どこかアスカに似た姿勢でトウジの前に立つ。

「…満月を見るとケダモノになるとか、太陽の光を浴びると灰になるとかは?」

 今気ぃついたがあんた誰や?
 と言う言葉を呑み込み、トウジはヒカリの頭の先から爪先までじろじろと見る。今まで気がつかなかったが、マユミがつけていた黒マントを纏った奇妙なスタイルのこの少女は、目の覚めるような美人というわけではないけれど、マユミ同様側にいるとホッとするタイプの美人だった。
 ある意味、アスカやレイのようなタイプよりもトウジの好みに合致しているかも知れない。そう思った。
 そんなことを考えて言葉を無くしたトウジをよそに、ヒカリはトウジの質問にハッキリと応える。

「ないわよ。私の法術はそこまで抜けていないわ。自分でも驚くくらいだったわよ。完璧に毒を浄化して、傷口を神経、血管、腱や骨まできちんと補修してしまった。
 私達がわからなかったのは、あれがあなたの精神にどういう影響が出るのかってことくらいよ」
「ワシはワシや。いつもとかわっとらん思うがな…。別に人間食べたいとか思わんし、太陽の光を嫌いと思わんしな」
「じゃあ、何も問題無しね」
「いや、問題無しって事はないやろ。少なくとも、もう少し様子を見んことには」

 彼の言葉にヒカリはキョトンとした顔をする。
 仮に彼の言葉通り、人間とは言えない存在になったからと言って…それが何だと言うんだろう。シンジと言い、マユミと言い、気にしすぎなのではないだろうか。
 意外に細かいことに拘るのね、と少し幻滅した思いがする。

「変な人ね。人間じゃなくなったからって…それが何だって言うのよ。少なくとも、ゴブリン鬼みたいに弱々しい存在に堕ちることはないはずよ。
 あなたは十中八九、人のままよ。でも、もしかしたら人を越えた存在…超人の1人になれるかも知れない。もっと喜んだらいいじゃない」
「そう言うことを…言うとるんやない」
「じゃあなにをそんなに拘ってるのよ」
「…ワシには家族がおる。妹がおる。あいつと…違う存在になってしまう…それが怖いだけや。人間やめることをビビッとるわけやない」
「妹さんが…いるの…」

 その言葉でヒカリは思い当たった。
 生まれたときから人間でなかった彼女は、人間という弱々しい生物を軽蔑していたところがあった。弱く、せせこましく、そのくせとても強い欲望を持って世界中に散らばった種族。自分達とは違う存在を魔物などと呼び、異質な者として排除しようとする。だから、トウジの言葉と思いがすぐに理解できなかったのだ。同時に、なぜマユミ達があんなにも言葉を選んで気にしていたのかもわかった。シンジは人間で、そしてマユミは元人間だったからだ。
 特にマユミは、人を辞めると言うことがどういう重みを持っているか良くわかっているだろう。
 想像する。自分が自分でなくなってしまったときのことを。それまで好き勝手に生きてるくらいに思っていた姉妹達が、心の中でその存在を大きくした。
 家族の存在の重さは、そして彼らを思う心は人間でも魔物でも同じはずだ。
 ふと、胸が激しく疼く。自分は生まれついての魔物のはずなのに、昔人間だったような気がする。

(そう…よね。そうだよ…ね。わ、私…馬鹿だわ)

「ご…ごめんなさい」
「謝らんでもええわ。ワシも言い過ぎた。すまんかったな」
「う、ううん(や、やだ。本気で胸がドキドキしてきた)」

 こんな時なのに。もしかしたら、自分は想像していたよりも…姉よりもふしだらな娘なのかも知れない。
 今までの、妄想が先走りしたものとは違う鼓動…。マントの下で裸の胸を押さえて、ヒカリは目を逸らすことも出来ず寂しげな笑みを浮かべるトウジの顔を見つめた。

(本気…なのかもしれない。私、本気でこの人のことを…)

 だから、トウジが人間を辞めることを歓迎したのかも知れない。
 そうすれば同じ時間を生きるつれ合いとして、釣り合いがとれるかも知れないから。

(まさか。でも、これが…本当に本当の…一目惚れ…なのかな)

 中性的な雰囲気を持ったシンジや、かつて自分を襲った吸血鬼のような美少年とも違う、
彼女の嫌う不潔なところ…つまりは粗野な部分、素っ気ない部分、スケベなところを持った人だけれど。

(名前も知らない私のことを…、本当は怪我を負わせたのが誰か気付いてるかも知れないのに、それでも私のことを気遣って…)

 胸がドキドキと痛い。暗闇に輝く雷の閃光のように、今のトウジはヒカリの目に眩しい。
 本当は多分に誤解や妄想が混じっているとは、自分でもわかっているけれど。それでも、ヒカリは自分が恋していることがわかった。恋に恋してるのかも知れないけれど、ただ切なく高鳴る胸の鼓動が、ヒカリにはとても心地よかった。

 そして、口を閉じた2人は何も言わない。シンジとマユミも何も言わない。
 ただ静かに時間だけが過ぎていく。

「ま、自分の言葉を信じるわ。十中八九、人間のままや言うな」
「え…あ…うん。もし、そうならなかったら…わたし、責任…取るから」
「なんやえらい気にしとるんやな。それはそうと」

 じっと自分の方を見るトウジに、ヒカリは自分でもわかるほどに顔を赤くしてしまう。なにか言わなくてはと思うが、脳が茹だってしまったのか何も言葉が思い浮かばない。

「あ…う、えお」
「誰や、自分は?」
「わ、私!? 私は…その、洞木…ヒカリ…です。その、人間じゃなくて…」
「言わんでもええ。そんなことはそんなに重要なことやないやろ。
 ワシは鈴原トウジや。古き言葉の関西弁やけど、あんま気にせんといてな。単に癖やから」
「え、う、うん」

 じっと互いに見つめ合う。お互い、全裸の上からマントや毛布を纏っただけというみっともない格好をしていることも気にならない。
 立ち上がったトウジはアスカと同じかそれより若干大きいくらいで、気に立って見守る親のように優しい目をしているようにヒカリには思えた。
 トウジはトウジで、お下げの髪がどこか妹を彷彿とさせて1週間と経っていないのに、とても懐かしい妹の面影を見たような気がした。それに、不思議な懐かしさが溢れて来る。

「なんだか…昔、会ったことがあるみたい」
「自分もそう思うか。ワシも、今と同じことを、言うた気がする…」

 相手は人間なのに…。
 相手は魔物なのに…。

 不思議と気にならなかった。これはすぐ近くにその魔物と結婚してさらに他にも別の魔物が求愛しているシンジという存在がいるからかも知れない。それとも、別の要因があるのかも知れない。答えは今はわからない。

「あの」
「あの」

 同時に同じ事を言って、思わず口をつぐんでしまう。何を言って良いか言葉が思いつかない。

 でも…。

 肩をすくめるとマユミは、興味津々、瞬きもせずに2人を見ていたアスカとレイを無言で促した。同時に曖昧な顔のシンジに微笑みかける。彼女の考えを全て理解したのか、それとも同じ事を考えていたのかシンジは軽く頷き返した。そして、音を立てないようにしてトウジ達から離れる。
 レイとアスカは滅多に見られない光景に名残惜しそうにしていたが、あまり見ているのも趣味が悪いとすぐにシンジに倣ってその場を離れた。
 喩え…そんなことは万が一にないだろうけれど…トウジに何かあったとしても、きっとヒカリが全力でそれに対処するだろう。もう、事態はシンジ達の手を放れたことを…ヒカリに委ねられたことを彼女達は悟った。確かに、アスカのやった無茶な行動が話をややこしくした原因の一つではあるけれど、でも、それが予想外に良い方向に2人を導いた。かもしれない。
 なぜか、それで良かったという思いがレイも含めて全員の胸にあった。

「悪魔なのにまるで私キューピッドだわ」
「アスカさん、無理矢理話を良い方向に持っていこうとしていませんか?」
「図々しいの。あなたらしいけど」
「喧嘩売ってんのあんた達は?
 でもまあ、あの2人に免じて矛は納めてあげるわ」
「それはこっちのセリフなの。ズタボロにしてあげられたのに」

 ジロッとマユミを挟んで互いを睨み合うアスカとレイだったが、いつもと違ってそれ以上何をどうこうすることはなかった。
 いつもと違う2人の様子に、珍しいものを見たような顔をするシンジだったが、それも不思議じゃないかと考える。

「良かった。なんだか、もっと昔にあの2人はこうなるべきだったんじゃないかって…、そんな気がするよ。初めてあったはずなのに、不思議だよね」
「シンジもなの? 不思議ね。私もよ。
 あのヒカリって娘、元は凄く良いのになんて趣味が悪いんだろうなんて思ったけど、変な話よね。初めてあったはずなのに、あの娘の事、友達みたいに昔から知ってる気がする」
「とにかく、これでめでたしめでたしなの」

 レイの言葉にマユミもアスカもシンジも異存はない。
 物語はめでたしめでたしで終わるべきなのだ。そしてそれで終わった。
 本当にめでたしめでた…。



「「「「あ」」」」

 4人の目の前に、無言の叫びをあげ続ける曲がっちゃいけない方向に手足が曲がったケンスケの石像があった。

「あ、ケンスケのこと忘れてた…」



「本当にあんた達友達なの?」
「あんまり自信ない…」











 そして物語は一時の幕を閉じる。
 すぐに今以上の激しさと共に幕は開くのだけれども。

 しかしながら、今は一時の閉幕を。
 これは嵐の前の静けさ、炎の天使の武具の手入れ。
 次回、再び孤島を舞台にシンジ達は迷宮の奥の秘密を知ることになる。
 ヒカリ達が何を守ってきたのかを、そして謎の吸血鬼が何を目的にヒカリを襲ったのかを。
 そして鋼鉄の姫君の姿を。



 そして話は次回に続く。
 たとえ混乱しきっていたとしても、それが世界の選択だから。
 良かれ悪しかれ。





第4部

『四大魔獣、南海の大決戦』













初出2003/01/04 更新2004/12/26

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