33:授業中(跡部と宍戸) 「昼寝」「かっこいい人」の続き。
頭を撫でる優しい指に、宍戸は目を覚ました。すぐには状況が把握できずぼんやりしていると、頭上から聞き慣れた声が降ってくる。
「ようやくお目覚めか?」
青い双眸に見下ろされ、宍戸は自分が跡部の膝の上に横たわっていることに気づいた。慌てて飛び起きると、残念そうに呟かれる。
「なんだ、起きちまうのか」
ぎこちなく振り向く宍戸に、跡部がにやりと口の端をあげた。
「俺様の膝枕なんざ、そう味わえるもんじゃねえってのによ」
「跡部……っ」
膝枕という単語が耳に飛び込んできて、宍戸は顔を真っ赤にする。
「お前なあ……」
跡部を責めたところで、事実が変わるわけではない。下卑た笑いを浮かべる跡部に、宍戸は悔し紛れに草をむしった。
顔を上げると、跡部が愉快そうに自分を見ている。まだ赤い頬に手を当て、宍戸は隣に座り直した。
「てゆーか、なんで膝枕なんかしたんだよ?」
自分は確かに、こうして隣で眠りについたはずなのに。不機嫌な口調で訊ねた宍戸に、跡部が目を見開く。
「お前が転がってきたんだろうが」
「は?」
意味がわからず、宍戸は問い返した。跡部が、こちらも仏頂面で手を動かす。
「だから、俺様が優雅に仮眠をとっていたら、てめえがこうやって」
跡部に肩を掴まれ、再び膝の上に引き倒された。
「なっ、ちょ、なにすんだよ!」
突然の出来事に、宍戸は我を忘れて暴れ出す。殴られそうになった跡部が、力ずくで宍戸を押さえ込んだ。
「暴れんなって。実演してやってんじゃねえか」
「じ、実演?」
宍戸が動きを止めると、跡部が呆れたようにため息をついた。
「だから、こんな風にお前が倒れてきたんだって説明してやってんだろ」
「あー、そうかよ……」
何故いきなり跡部がこんなことをしたのかはわかったが、それでも恥ずかしい体勢であることに変わりはない。上からのぞき込んでくる跡部の端正な顔をまともに見ることができず、宍戸は逃げるように膝から降りる。
それが気にくわなかったのか、跡部に腕を掴まれ、隣に引き戻された。
「な、なんだよ?」
「逃げるこたねえだろう? 俺様の昼寝を邪魔しやがった分際で」
お前が倒れてきたおかげで目が覚めちまったと、跡部がわざとらしく片眉を上げる。むっとしながらも、悪かったと宍戸は謝った。
「なんだ。やけに素直じゃねえか」
「べつに」
立てた片膝に手を置き、宍戸は背後の大木に背をつける。
「いま何時?」
「五時間目の途中だ」
腕時計を見ながら淡々と返す跡部に、宍戸はマジかよと振り向いた。
「あ〜、プールだったのにさぼっちまった。もったいねえ」
時間割を思い返し、宍戸は頭を抱える。
「プールごときではしゃぐな。ガキかてめえは」
「うっせえ。庭にプールがあるてめえと一緒にすんな」
いつでも好きなときに泳げる跡部とは違うのだ。塩素のにおいがきつい汚いプールだろうと、水泳の授業は宍戸にとって貴重な時間だった。
少しの間をおいて、跡部が口を開く。
「そんなに泳ぎてえなら、うちに来ればいいじゃねえか」
反応を窺うように、跡部が顔をのぞき込んできた。
「いいのかよ!?」
勢いよく返して、はっとする。跡部は今、自分の相手をしている暇などないはずだ。思わず上げてしまった腰を下ろすと、宍戸はおとなしく元の位置に戻った。
「宍戸?」
跡部が、訝しげに名前を呼んだ。
「お前、いそがしそーじゃねえか。それこそ、邪魔だろ」
ため息のように宍戸がはき出すと、跡部が顔をしかめる。
「てめーがそんな遠慮するタマかよ」
「うっせーな。てめえが悪いんだろ」
「ああ?」
思わず漏らした言葉に、跡部がうなった。怒らせてしまったかと、宍戸はそうじゃなくてと手を振る。
「お前が、んなみっともねえ面してっから」
こけた頬を心配しての言葉だったが、勘違いしたのか跡部の目が細められた。
「どーゆー意味だそりゃあ」
「だから、心配してんだって!」
今にも暴力をふるわれそうな雰囲気に、宍戸はそれぐらいわかれと怒鳴り返す。目を丸くして、跡部が宍戸を見つめた。
照れくささに、宍戸は地面に視線を落とす。
「お前、なんか最近忙しそーだし。昼寝の邪魔もしちまったみてえだし」
ぽつりぽつりと呟くと、跡部が小さく息を吐いた。迷うように動いた手が、宍戸の手をとらえる。
「跡部……?」
顔を上げると、跡部の優しいまなざしにぶつかった。どきりと胸が高鳴って、宍戸は後退しようとする。もう一方の手も捕らえられ、宍戸は正面から跡部を見つめた。
「なんで逃げんだよ」
その小さな呟きに、どこか淋しさがにじんでいるようで、束縛する力は弱かったが、宍戸は逃げることができなくなる。
跡部の前髪が邪魔をし、その表情を見ることができない。かき分けようにも、両手はふさがったままだ。顔が見たくて、宍戸は声をかけた。
「逃げねえよ。逃げねえから、こっち見ろって」
ゆっくりと、跡部が顔を上げる。前髪の間から覗く青い瞳に、なぜか宍戸は泣きたくなった。素直に、謝罪の言葉が口から出る。
「悪かったよ。行かねえとか言って。遊び行くし、一緒に泳ごう?」
跡部の目が、微かに揺らめいた。なんだか無性に頭を撫でてやりたくなって、かわりに跡部の肩に頭を寄せる。跡部の唇が、頬をかすめたような気がした。
甘えることを知らない、不器用な男の。精一杯の感情表現なのかも知れないと、宍戸は微かに笑みを漏らす。
「なに笑ってんだよ?」
「べつに。いいから、手ぇはなせよ」
無言でにらんでくる跡部に、逃げねえってと笑ってみせた。ようやく解放された手をさすりながら、宍戸は大きく伸びをする。
「遊びに来て欲しーんなら、素直にそう言えよな」
「誰が。てめえが物欲しそうなツラしてっから呼んでやっただけのことだ」
「はいはい」
吹き抜ける風に、宍戸は目を閉じた。
「寝んのか」
「や。あ、そーだ跡部、お前んちのコートで打たせろよ。プールはその後な」
「お前に俺様の相手がつとまんのかよ」
目を開けると、跡部が傲慢そうに笑っている。やっぱり、と宍戸は思った。
「やっぱ、お前はそっちのほうがいいよ」
なんのことだという顔をする跡部に、宍戸は笑いかける。
「お前は、そーやって偉そうにふんぞりかえってるほうがいいって」
「そうかよ」
満更でもなさそうな顔で、跡部も笑った。
「そろそろチャイムが鳴るな」
「HRもさぼって帰るか? ジローんとこ寄って」
当然ジローも一緒だろうと、宍戸はそう口にする。跡部が、何かを考える仕草で前を見た。
「そうだな。ジローには礼もしなきゃならねえし」
「礼?」
首を傾げた宍戸を一瞥して、跡部が頷く。
「昼寝するならここがいいって、教えてもらったんだよ」
「ふーん」
通りで、気持ちのよい場所だと思った。いつも寝ているジローは、その時期に校内で昼寝をするのに最適な場所を把握しているのだ。
「じゃ、俺も感謝しねえとな」
目を向けてきた跡部に、にやりと笑って言う。
「俺にここ教えてくれたのも、ジローなんだよ」
跡部は一瞬意味が掴めないと言う顔をして、目を細めた。
「なんだ宍戸。そんなに俺様の膝枕が嬉しかったのかよ?」
ふふんと笑われ、宍戸は顔を赤らめる。
「んなわけねーだろ!」
宍戸が掴みかかる前に、跡部が立ち上がった。チャイムがあたりに鳴り響く。
「なにしてんだ、行くぞ」
跡部が、まだ座ったままの宍戸へ手を差し出してきた。その表情はいつも通りで、なんとなく嬉しくなる。
宍戸は、上機嫌でその手を握り返した。
【完】