誰のために(鳳と宍戸) 「波瀾万丈誕生日」の続き。


 きっかけは、たった一言だった。
 忍足が発した、何気ない一言。
 それを耳にした瞬間、鳳は己が大きな過ちを犯したことに気づいた。


 他愛もない会話をしながら、鳳はさりげなく宍戸を目的地まで誘導していた。
「どこまで行くんだよ?」
 さすがに不審に思ったらしい、宍戸が上目遣いに聞いてくる。身長差を考えれば仕方ないことなのだが、だいぶ心臓に悪かった。
「もう少しですから」
 宍戸には本来の目的をひた隠しにしたまま、ただ遊ぼうと約束を取り付けたのは先週のことだった。
 宍戸の了承を得て、鳳はひそかにテニス部の面々に声をかけてまわった。なるべく、宍戸と接点のあるメンバーを重点的に。どこで何をするか、どのぐらいの規模にするか、鳳は一生懸命知恵を絞った。
 それもこれも、すべては宍戸に喜んでもらいたいが故である。
 宍戸に、今日は楽しかったと笑ってもらいたいから。
 ただ、それだけのために。


 いろいろ考えた末、まずは宍戸の趣味であるビリヤードをふたりでやることにした。あらかじめ予約しておいた駅前のビリヤード場へ宍戸を連れて行くと、はじめはお前できるのかよ、などと訝しげな顔をしていたが、鳳がそこそこできることを知って宍戸は嬉しそうに笑った。
 それだけで舞い上がりそうになった気持ちを抑えながら、数ゲームを終える。結果はやはり宍戸の連勝だった。
「そろそろ腹減ったな」
「はいっ」
 学校から直接来ていたため、ふたりは昼からなにも食べていなかった。腹が空くのも当然だろう。
「それじゃ、移動しましょうか」
「ああ」
 店を出ると、ふたたび鳳はさりげなく宍戸を誘導した。
「あんまたけーとこは無理だぞ」
 途中、いくつかあったファーストフードを通り過ぎたことが心配なのか、宍戸が顔をしかめる。
「この先にファミレスできたんですよ」
「へー。安いのか?」
「そこそこっすね」
「お前の安いはあてになんねえからなあ」
 どうも鳳は宍戸と金銭感覚が違うらしく、ことあるごとにこんな風に揶揄される。少しだけ哀しかったが、冗談で言っているとわかったので鳳は笑った。
「ひどいっすよ、宍戸さ〜ん」
 駅ビルの裏に回ると、目的地は目の前だ。
「そこです」
「ああ。……って、貸し切りって書いてあんぞ?」
 店の前までやってきたところで、表の貼り紙を宍戸が指さす。確かに、そこには「本日貸し切りの予約が入っているためお休みとさせていただきます」と書かれていた。
「大丈夫ですって、開けてみてください」
「お前なあ……」
 にこにこ笑いながらも譲らない鳳に根負けしたのか、宍戸は渋々といった態度で扉に手をかける。
 ゆっくりと開いた扉のなかには、誰の姿もなかった。
「……あれ? 誰もいねえぞ」
「まだ早いんでしょうか」
 何食わぬ顔で応えながら、宍戸を押す形で鳳も店内に入る。
「わ、押すなって」
 押された宍戸が、一番近くのソファーに手をかけた。途端、あちこちからクラッカーの音とお誕生日おめでとうの声が聞こえてくる。
「……えっ?」
「なんや宍戸、リアクション薄いで〜」
「なんだよ、もっとびびれよ! つまんねー奴」
 テーブルの下に隠れていたらしい、忍足と向日がクラッカーを片手に現れた。
「まあまあ。宍戸だってじゅうぶん驚いたんじゃない?」
「驚きすぎて声も出ないってことですか? 情けない」
 ソファーの陰から滝が、仕切の向こうから日吉が出てきた。
「お前ら……?」
「お誕生日、おめでとうございます」
 最後に現れたのは、ケーキを運んできた樺地だった。
「樺地まで! なにやってんだよ?」
「なに宍戸、聞いてなかったわけ?」
 樺地を庇うように、滝が立ちふさがる。
「な、なんだよ?」
「ちゃんと言ったろ俺達!」
 ぴょこんと、不満そうに向日が飛び跳ねた。
「宍戸、まだわかってへんの?」
 忍足が、向日を宥めながら肩をすくめる。
「どーでもいいから早く吹き消してください」
 さっさと終わらせたいらしい日吉が、宍戸をケーキの前まで引っ張った。
 15本ローソクが並んだケーキに、宍戸もようやく事態が飲み込めたらしい。
「誕生日……? 俺の」
「そうですよ!」
 にっこり笑いかけた鳳に、驚いた顔で宍戸が振り向く。
「長太郎、お前……」
「驚きました?」
「おどろくだろ、普通」
 ふっと、宍戸が気が抜けたように笑った。
「さ、吹き消すとこ写真撮るで〜、はよしてや」
「わかったよ」
「あ、その前に歌!」
「歌?」
 吹き消そうとした宍戸を止めた滝に、日吉が首を傾げる。
「知らないの日吉、火を吹き消す前にハッピーバースデイを歌わないといけないんだよ」
「……そんなルールがあるんですか?」
「そーいやそーだな、よし歌うぞ!」
 日吉の疑問は、向日によって肯定される形となった。
 いろんな声の混じったお祝いの歌の後、宍戸はようやく火を吹き消すことができた。
「に、しても。『りょうくんお誕生日おめでとう』ってのはなあ……」
 上に乗ったチョコレートに書かれた文字が目に入ったのか、宍戸が苦笑する。
「だって、宍戸さんって入れてもらったら変じゃないっすか〜」
「そりゃそうだけどよ」
 ケーキと運ばれてきた料理を囲み、改めて乾杯をした。
「お前ら、わざわざこのために集まったのかよ?」
「そうだよ。宍戸の誕生日を祝うため。ま、ぼくの場合は健気な後輩にほだされたからってのもあるけど?」
 ちらりと滝に目配せされ、思い当たって鳳は顔を赤くする。
「べ、別に俺は……」
「そーかよ。そりゃどーも」
 照れているのか、宍戸がぶっきらぼうに感謝の言葉を口にした。


 楽しそうに過ごす宍戸のかたわらで、鳳もまたしあわせな時間を過ごししていた。
 親しい人間だけを集めたおかげか、あまり社交的ではないはずの宍戸が、笑みを絶やさずにいるのだ。
 誕生会を企画してよかったと、鳳は笑顔の宍戸を見ながら思う。
 向日がトイレに立って、ふと忍足が呟いた。
「跡部はともかく、ジロちゃんも来んかったんか」
「あー、跡部と一緒にいるみてーだぜ」
「なんや跡部のお守りか? ジロちゃんも災難やな」
 ほんとうに、何気ない一言だった。
 だが、忍足のその言葉を耳にした瞬間、鳳は己が大きな過ちを犯したことに気づいた。


 外の空気を吸いたくなったと、鳳はひとり店の外に出ていた。日中は太陽のお陰であたたかかったが、いまはそれなりに冷え込んでいる。頭を冷やすには、丁度よかった。
 宍戸に、喜んでもらいたかった。
 宍戸に、今日は楽しかったと笑ってもらいたかった。
 希望通り、宍戸は楽しんでくれている。けれど、ほんとうにこれでよかったのだろうか。
 こうやって皆と過ごすよりも、恋人である跡部や、幼なじみのジローと過ごす方が、何倍も楽しかったのではないだろうか。
 自分が出過ぎた真似をしたせいで、宍戸は本来得られたはずの時間を失ってしまった。


 自分は、ほんとうに宍戸のためを思っていたのだろうか。駐車場を歩きながら、考える。
 ほんとうは、お前のおかげで楽しかったと。
 そう、言われたかったのではないだろうか。
 思い当たって、鳳は両手で顔を覆った。皆と楽しく過ごすのが宍戸のためになるだなんて、なんて傲慢な考えだったのだろう。
 結局、自分のことしか考えていなかったのではないか。
 当然だと思った。こんな自分が、宍戸に選ばれなかったのは当然のことだと。
 いつだって、俺は自分のことしか考えていないんだ。


「長太郎!」
 突然名を呼ばれ、鳳は我に返った。店から出てきた宍戸が、こちらへ駆け寄ってくる。
「どーした? 具合でも悪いのか」
 焦った様子で肩を掴まれ、鳳は慌てて首を振った。
「だ、大丈夫です。ちょっと涼んでいただけで」
「そっか。店の中暑かったもんなあ」
 安心したように微笑んだ宍戸が荷物を持っていることに気づいて、鳳は硬直する。
「宍戸さん、帰るんですか……?」
 声が震えたが、宍戸は気づかなかったようだ。
「ああ。せっかくだけど、跡部達と約束してっからな。そろそろ行かねえと」
「そう……ですか」
 やっぱり、跡部やジローと過ごす方がよいのだと言われたような気がした。
「じゃーな」
 そのまま行きかけて、宍戸は立ち止まった。無意識に目を向けると、顔だけで振り向かれる。
「今日は、ありがとうな。俺さ、いっつも誕生日はあいつらと三人だったから、なんか新鮮ですげー楽しかったよ」
「えっ」
「お前のおかげだ。ありがとな、長太郎」
 笑顔一つ残し、宍戸は去っていった。その背に、鳳は慌てて叫ぶ。
「俺こそ、ありがとうございます!」
 わかったという風に手を振られ、宍戸の姿が駅ビルの向こうへ消えた。


 →その頃の跡部とジロー