ペットショップ05

 三日目。
 もう固定されつつある時刻に出勤し、手早く身支度を整えて店に出る。
 今日は後藤さんに捕まることなく店長を見つけることができた。
「今日は」
「お、相変わらず時間に正確だねぇ」
 軽く笑みを浮かべて声をかければ、店長も当然のように俺に笑顔を向けてくる。俺は軽く会釈してから、指示を貰うために歩み寄った。
「今日は何をすればいいですか?」
「そうだな〜。今日は後藤さんはいってるし、店のほうはちょいと暇だしね。ここで岸本君に男手を頼みたいんだけど……いいかな?」
 人に何か物を頼む時の癖なのか頼りなげな表情で首を傾げる姿に、湧き上がる劣情を表に出さないようにするのに苦労した。
「はい。何をすれば良いですか?」
「こっちこっち、ちょっとばかり狭いから気をつけるんだよ〜」
「はい」
 店長は先に立って俺を手招きした。子供じみた仕草に内心苦笑しながら、彼の後に続いた。

 狭い通路を抜け辿り着いたのは店の奥にある倉庫だった。
 薄暗く埃っぽい空間にこれでもかとばかりに荷物が詰め込まれている。
「これを運んで欲しいんだけど……」
「これ、全部ですか?」
指し示されたのはそれぞれに商品名を印刷された段ボール箱だった。成人男性が一抱えするほどの大きさの箱が、床の上に十二個ばかり積みあがっている。
 台車でも使えば、と言いかけて、ここに来るまで自分が通ってきた通路の狭さを思い出し言葉を飲み込んだ。
「ああ〜やっぱりきついかな」
 俺の沈黙を躊躇と取ったのか、段ボール箱の小山を前に腕組みしながら店長が応える。
「いえ。お店に運べばいいんですか?」
(この程度と思われるのもムカツクしな。ここは俺の腕力を見せておくか)
 店長は俺が承諾したことに安堵した様子で腕組みを解くと、ぽんぽんと段ボール箱の小山を叩いた。
「悪いね。これは一度チェックしてから使うんで、一旦事務所のほうに積んでおいて欲しいんだけど……」
「わかりました」
 頷いてとりあえず手近にあった一個目の箱を抱えあげる。思ったよりずしりと来た。それもそのはず、表に印刷された商品名にしっかりと缶詰と書かれていた。
 だがここで怯むのでは格好がつかない、俺はなんでもない風を装って見せた。
「……重いだろう?」
 軽々と持ち上げる様子に驚いたのか、わざわざそんなことを聞いてくる。
「……それなりに。でも予想の範囲内ですから問題ありませんよ」
「へええ。いや、俺なんかこのごろはこれやると腰が痛くなっちゃうもんでね。若いってのはいいねぇ」
 笑いながら、自分も箱を抱えようとする店長を制す。
「でしたら僕が全部やりますから、店長はお店に戻ってください」
「いやいや、そんなわけにはいかないよ」
 段ボール箱に手をかけたまま、困ったように肩をすくめる。
「店長が腰を痛めるほうが問題ありますよ。ここは僕に任せていただけませんか?」
「……いや〜本当に良いのかい?……なんだか悪いなぁ」
「大丈夫ですから」
 少し強めに言うと躊躇いがちに段ボール箱から手を引き状態を起こした。そうして窺うように俺の顔を覗きこんでくる。
 その視線を受けただけで背筋にゾクゾクと走る劣情に煽られて、段ボール箱を持つ手に力を籠めた。
「んん〜……じゃあきつかったらすぐ呼んでくれよ?」
「はい」
 もちろん俺の欲に気づくことなく、店長はすまなそうに念を押しながら一足先に店内に戻っていった。
 俺は段ボール箱の小山を一瞥してから、とりあえず抱えた一つ目の段ボール箱を事務所へと運び始めた。

「終わりました」
「え、もう!?」
 すべての箱を運び終えた俺は店内に戻った。作業の終了を告げると、店長は慌てて事務所へ確認に走っていった。
(さすがに腕がだるい……)
 疲労感に重くなった二の腕を軽く押さえながら、彼の後に続く。十二個という数もあるが、どれもこれも狙ったように中身が重いものばかり、しかも狭い通路を気遣いながら運ぶものだから思った以上に重労働だった。
「……いや、すごいな君は。助かったよ」
 事務所の隅にきっちりと積み上げられた段ボール箱の小山を見て、店長は予想以上に早く終わった仕事に感嘆の声を上げた。
(当然だな。少しばかり本気だしたんだし)
「チェックは僕にも手伝えますか?」
 賞賛の声に気を良くした俺はダメ押しとばかりに尋ねてみる。だが店長にやんわりと断られてしまった。
「ん?ああ、それは俺がやるよ。……いやそれにしても早かったなぁ、相当重いのに。岸本君細く見えるけど意外と筋肉質なのか?」
 店長は、軽く抑えたままの俺の二の腕を興味津々と言った様子で眺めてくる。
「それほどでもないと思いますが」
(それなりに鍛えてあるから当然だがな)
「ちょっと腕ぐっとやって見せてくれ。ぐっと」
 店長は子供のように好奇心丸出しで、自分の腕で力瘤を作る仕草をして見せた。
「……こうですか?」
 彼の好奇心を満たすべく、二の腕を押さえていた手を引き軽く握った拳を引き上げて上腕に瘤を作って見せた。
 布地越しにも判るほど筋肉が盛り上がる。勉強の合間を見て毎日続けている筋トレの成果だ。
「おお〜なるほど、この筋肉なら納得だ。この調子だと腹も割れてたりするのかい?」
 彼はきらきらと目を輝かせて隆起した筋肉を眺めた。
「……見せましょうか?」
(脱いだらもっとすごいからな)
「え?ははは。こんなところで腹なんか出したら風邪引いちゃうよ。岸本君、真顔で冗談言うから怖いなぁ」
 店長は俺の言葉を冗談だと判断したのか、軽く手を振りながら笑った。
「……」
(タダで見せてやろうってのに、遠慮するなよ)
 内心舌打ちしたい思いに駆られつつ、表情には出さずに腕を下ろした。
「じゃあ俺はチェックに取り掛かるから。君はお店に戻って後藤さんの手伝いを頼むよ」
「はい」
 俺が積み上げた段ボール箱のチェックを始めた店長に軽く会釈して、だるくなった腕を振りながら店内へと戻った。

「店長〜猫砂二十キロお買い上げです〜。車に運んでくれっていわれたんですけど〜」
 チェックが終わった品物を陳列棚に追加している店長に、後藤さんが不満げな声をかけた。
「ああ、わかった今行くよ〜」
 答えはするものの、店長は缶詰を並べる腕をさもだるそうに叩いている。
「僕がやりましょうか?」
(後藤さんがやれば良い気もするんだが。どうせ女の子だからとかでやらせないだろうしなこの人)
 見かねて声をかけると、店長は困ったように両手を振って見せた。
「いやいや、今日はこれ以上君に重たいもの持たせられないよ。筋肉痛にでもなったら勉強にも差し障りがあるだろう?今度は俺が運ぶから、君はそこの掃除が終わったら昨日と同じように猫の餌をあげておいてくれないか?」
 口調は柔らかいものの、こっちの申し出を受ける意思はなさそうだ。見くびられたようで少々気に障ったが、大人しく店長の言葉に従うことにした。
(まあいいか。まだ腕もだるいし。ここは引いたほうが良さそうだな)
「……わかりました。腰を痛めないように気をつけてくださいね」
「ああ、ありがとう」
 気遣いの言葉に店長が嬉しそうに目を細めて笑う。そのままよいしょ、と立ち上がると猫砂を取りに事務所へと消えていった。

 とは言え、少しでも何か手伝えないものかと猫達の世話を急いだのだが、作業が終わって店内に戻る途中で当の店長と出くわしてしまった。既に彼の手に猫砂はなく代わりのように、業務用と思しきファイルが握られていた。
「店長、大丈夫でしたか?」
「え?ああ、腰?ありがとう、大丈夫だよ」
 店長は照れたように笑いながら自分の腰を叩いて見せた。
「岸本君の方はもう終わったの?」
「はい。チェックをお願いします」
「うん。やっておくから君はもう上がっていいよ」
「しかし、何か見落としがあるといけませんし…」
 少しでも二人きりの時間を作りたい俺の気持ちを知らず、店長は労わる様な視線を向けて小さく首を振った。
「岸本君の仕事ぶりは三日間ちゃんと見させてもらったから。信用してるんだよ。それに今日は重労働させちゃったしね」
 彼は純粋な好意で言ってくれているのだろうが、俺にとってはなんともピントのずれた気遣いだった。だがこの好意を突っぱねれば彼の機嫌を損ねることになるだろう。俺は内心しぶしぶ表向きには嬉しそうに頷いて見せた。
「ありがとうございます。ではお言葉に甘えてお先に失礼します」
「お疲れ様。気をつけて帰るんだよ」
「はい」
 挨拶を交わし店長を見送ってから、俺はロッカーで身支度を整えそのまま帰路に着いた。
 道すがら柔らかな店長の笑みを思い浮かべて……今まで感じた欲だけでなく、少しだけ心が温かくなる気がした。



岸本臣。バイト三日目。