ペットショップ06

 四日目。
 前日と変わらぬ時間に店についたのだが、普段よりも客の姿があって驚いた。そういえば週末だったなと、一人納得しながら客の間を抜けスタッフルームに駆け込む。
 手早く支度を済ませてから店内にとって返すと、彼の人の姿を探して店内に視線を走らせた。ざっと店内を見渡したところで、レジの奥に見え隠れしていた店長(の頭)が視界に入る。どうやらレジの奥でしゃがみ込んで作業をしているようだ。
「今日は」
「ああ、待ってたよ〜岸本君」
 近づいて声をかけると店長はモグラ叩きのモグラよろしく、カウンターの下からひょっこり顔を覗かせる。覗き込む俺と視線を合わせてほっとしたような笑みを浮かべた。
「……今日は忙しそうですね」
(咥えさせたらちょうどこのあたりか……なかなかいい角度だ)
 心の声は表に出さず慌しい店内を気遣う素振りをすると、店長は苦笑しながら頷いて見せた。
「土日だからね、毎回こんな感じなんだ。岸本君は後藤さんと一緒に接客のほう頼むよ。今日は臨時のスタッフもいるから掃除とかは任せて大丈夫だからね」
「臨時、ですか?」
「ああ、土日だけ入ってるんだよ。あそこにいるから軽く挨拶しておいたほうが良いかな」
 店長は立ち上がって店内にいる人物を指差した。指し示す方向には確かに店のエプロンを付けた見知らぬ女の子の姿があった。
「……手が空いたときにでも僕のほうから挨拶しておきますよ。今は忙しいでしょうし」
「そうか、ま、仲良くやってくれよ?」
「はい」
(……遠目だが、カラダは悪くないな。気が向いたら声かけておいてもいいか)
 女の体つきは悪くなかったが、当面は目の前の男を獲物と決めている。俺はおざなりに返事をしておいた。
 店長は気にした様子もなくレジでの作業を再開し、俺は店内に足を向けた。


「すいません、ちょっと」
 普段よりも騒がしい店内に内心うんざりしながら陳列棚を整理していると、中年の女性客から声をかけられた。
「はい、なんでしょう?」
(声をかけるのはいいが服を引っ張るなよ……)
 馴れ馴れしい態度に舌打ちしたい気持ちを抑え、表向きには営業に徹した態度で問い返した。
「猫が欲しいんだけどねぇ、この仔ってどのくらい大きくなるもんなの?」
 この仔、と指差されたケージの中に視線を向ける。
 貼られた値札にかいてあるのは猫種と性別、誕生日、そして値段だ。ざっと目を走らせてから確認するように客に視線を戻した。
「……こちら……のるうぇーじゃん・ふぉれすときゃっと……ですか?」
「そう。ウチ短毛種しかいないもんだからね、どんなものかなって思って。今の仔達のグッズ使えるかしら?」
 相手の言葉は理解できないものではなかったが、的確に返答するには経験が足りなかった。グッズ、と一口に言われても何を指すのかいまいちぴんとこないのだ。
(短毛ってことは毛の短い猫だよな?……あんまり毛が長くないが、こいつは長毛種という奴なのか?)
「……そう、ですね……大丈夫だと思いますが……」
 内心の動揺を隠しきれず歯切れの悪い返答になってしまった。
「あらそう?それにしてもあんまり毛が長くないのねぇ。もっとこうふさふさしてるんだと思ってたけど。大きくなったら長くなるものなのかしら」
 女性客は身振り手振りまで加えて尋ねてくる。正直同じ疑問を抱いてはいるのだが、まさか店員が諸手をあげて同意するわけにもいかない。
「……はぁ」
「やっぱりブラッシングとか沢山しなきゃだめなのかしら。あまりひどいと掃除が大変よねぇ?」
「……そうですね」
(そんなこと知るか。そもそも掃除が嫌なら飼わなければいいだろうが!)
 内心では威勢よく罵声を飛ばしても、表立ってはきちんと返答できない自分に苛立ちが募る。
「もう、ちょっとアナタ真面目に返事してくれないかしら?」
 さすがに俺の煮え切らない態度が気に障ったのか、女性客は声に怒気を孕ませてきた。
「僕は真面目に対応させていただいているつもりなのですが……少々知識不足でして……申し訳ありません」
(ああ、畜生!何で俺が頭上げなきゃいけないんだ!……とはいえ、実際何も知らない訳だしな……)
 自尊心を著しく傷付けられながらも、仕方なく深々と頭を下げた。
「あらやだ、そんなことで店員さんが勤まるの?」
 女性客の呆れたような物言いが、さらに俺の傷を抉る。
(畜生!俺はこんな風に馬鹿にされるのが一番嫌いなんだよ!)
 どんなに腹立たしくとも、俺が今目の前の客の質問に的確に答えられないのは事実だった。それを認めず抵抗してみたところで傷を広げるだけだと、理性では判っている。感情はその限りではなかったが。
 俺は悔しさを抑えながら他の店員に助けを求めることにした。
「大変申し訳ありません。今詳しい者を呼びますので、少々お待ちいただけますか」
「早くして頂戴ねぇ、時間がないのよ」
「はい!」
 背中にかかる少し苛立ったような声が抉った傷に塩を塗りこんでくる。
 必要以上に早足になったのは、彼女の指示に従っただけでなく一刻も早くその場から離れたかったからだろうか。……認めたくはないが。

「あ〜わかったぁ、アタシが行くよぅ」
 商品の棚を確認していた後藤さんを見つけて事の次第を説明すると、彼女は快く引継ぎを承諾してくれた。この時ばかりは姦しい彼女の背後から後光が差したような気がした。
「すみません」
 深々と頭を下げると、彼女は黄色い声を上げた。
「やだぁ、気にしないでよ。臣クンは環の代わりに来てるんだからさぁ。……あのお客さんかな〜?」
 労いの言葉が心に痛い。
 彼女の指し示す方向に件の女性客の姿を確認して頷いて見せた。
「はい、あちらの方です」
「ん、じゃあ行ってくるよ〜。臣クンはこのまま休憩入っちゃっていいよ〜」
「……あ。……はい。そうします」
 気を遣ったのだろうか、彼女は俺に休憩を勧めてから足早に女性客の方へ向かった。
 一瞬断ろうかと思ったが、すぐに考えを改めて有難く彼女の言葉に従うことにした。
(このままで終わる俺じゃないぞ。見てろ、休憩時間中に頭ん中叩き込んでやる!)
 屈辱を闘志に変えて、俺は鼻息も荒く事務所へと向かった。


 長いようで短い休憩を終え、再び店内に立った。
 後藤さんは品出しなどの裏方をやるように勧めてきたが、俺は接客担当を譲るつもりはない。休憩前の俺とは違うのだ。
 彼女には交代の休憩を進言し、俺は心意気も新たに客からのアプローチを待つことにした。客が声をかけやすいように、小動物コーナーと犬猫コーナーのちょうど中間あたりに立つという念の入れようだ。

「ねえねえ、ちょっと」
 暫くして、今度は若い女性客に声をかけられた。
「はい。なんでしょう」
(よし!リベンジのチャンス到来だ!)
 燃え上がる闘志を滲ませることなく、むしろ普段より柔らかい口調で問い返す。
「ねえこれさぁ、欲しいんだけど」
 これ、と指差されたのは水槽のようなケージに入れられたフェレットだった。犬猫ではないが、フェレットの知識もぎっちり仕入れてきた。自信はある。
 だが欲しいというだけならリベンジのチャンスはない。
「はい、ありがとうございます」
 余裕を持って応えつつ、相手の反応を窺った。
「けどあたしこれ飼ったことないのよ。これって、噛む?」
 期待通り、購買意思だけでなく質問事項が彼女の口から飛び出した時、俺は思わずガッツポーズしてしまいそうになった。
「動物ですから噛む事もあるでしょうね」
 笑い出したくなるのを堪えて勿体を付けた答えを返す。
「ええ〜噛まれたら痛いじゃない」
「当然ですね」
 嫌そうに眉を顰める彼女に、俺は無表情のまま切り返した。
「噛まない子いないの〜?」
「いないと思いますが」
「ええ〜……じゃあ飼えないじゃん。てゆかアンタ売る気あんの?もうちょっとちゃんと営業しなよ〜」
 俺の返答が気に入らないのか、彼女は不満げに唇を尖らせ見上げてくる。
「動物は玩具とは違い生き物ですから、噛むこともあります。そのことをきちんと認識した上で、飼育するための知識をお求めでしたら、僕が責任を持ってお答えしますが」
 彼女の訝しげな視線をものともせず、俺は自信満々に答えた。彼女は困ったようにうなり声を上げながら、俺とフェレットを交互に見る。
「……あたし馬鹿だよ?覚えられないかもだよ?」
 暫し逡巡した後、自信なさげに確認してくる。
「覚えようという気があれば大丈夫ですよ」
 薄く笑みを浮かべてやると、彼女は少しだけ安心したようだった。
「……あんたが教えてくれるんだよね?」
「営業時間内に限りますが」
(仕事以外で構ってやるつもりはないからな)
「あはは。わかったよ〜。ちゃんと聞くからさ、教えて?あたしさぁ一人暮らしで寂しいんだ。この子やっぱり可愛いし飼ってみたいよ」
 俺の返答に背中を押されたのか、彼女は迷いが晴れたように笑った。教えてくれというその瞳にはしっかりとした決意が見て取れる。
 その顔を見たとき、俺は少しだけリベンジ成功以上の充足感を味わったような気がした。
「はい。ではこちらへ」
 応えるように頷いて、他の客の邪魔にならないよう契約用のテーブルに彼女を促した。
 その後彼女に時間の許す限り丁寧に飼育方法を説明し、結果フェレット購入の契約に漕ぎ着けたのだ。
 流石に書類や金銭的な知識は今の俺には無いので、契約手続きを後藤さんへと引き継ぐ事にはなるのだが、それでもそれなりの達成感はあった。

「臣クンすっごいねぇ〜!説明完璧だし、判りやすいし、お客さん納得してお買い上げだよ〜!!」
 フェレット購入契約を終え若い女性客をドアまで見送った後、興奮した様子で後藤さんが声をかけてきた。
 そういえば彼女は俺が説明している間中、心配そうにこっちを窺っていた気がする。
「いや、僕は事務所にあった飼育本の内容をそのまま伝えただけですから」
 照れるでもなく、冷静に言葉を返す。正直言えばこちらも少々興奮状態ではあったのだが。
「え?!あの分厚い本?!よく読む気になったね〜。……てゆか、いつの間に覚えたの?」
「休憩時間中ですが」
「え〜うっそ!だって15分だよ?!」
 心底驚いたのか彼女が素っ頓狂な声を上げた。
「飼育に関することだけですよ。それに、今現在店内で扱っている種類以外は覚えられませんでしたし」
 実際それが限界だった。それでも大学での勉強より気合が入っていたのは否めない。
「全然それだけでもフツーじゃないって!臣クン天才じゃん!あ、ねぇねぇ店長!臣クンってばすごいんですよ〜」
 彼女は興奮が収まらないのか店長にまで事の顛末を説明しにいき、俺は店長からも賛辞を受けることとなった。
 一頻りお褒めの言葉を頂いたところで新たに客の入店を告げる鐘の音が響き、お喋りはお開きになった。
「ほら、後藤さんもあと少しだから仕事に戻ってくれよ」
「は〜い」
 後藤さんは気の抜けた返事を返すと接客へ戻った。彼女に続こうとした俺を店長が引き止める。
「ああ、岸本君。悪いんだが、また猫の餌を頼んでもいいかな?それだけ勉強熱心なら安心して任せられるしね」
「はい」
(あんまり関係ない気がするが……これ以上客の相手をするのも面倒だしな)
「じゃあよろしく頼むよ」
 上機嫌な店長の笑顔に見送られて、俺はペットホテルへと足を向けた。


 勿論猫の世話も完璧にこなした俺は、上機嫌の店長に見送られながら店を後にした。
 自分の実力を考えればこの結果は当然と言えたのだが、それでも足取りが心なし軽い気がする。
 俺があれだけ細かく丁寧に説明してやったのだから、あのフェレットを買った客も無茶な方法で飼うことはないだろうが……買われていくフェレットが少しでも長生きすればいいなと考えて、らしくないかと一人肩を竦めた。
 あの店長と係わっていると調子が狂うのだと、無理やり納得して俺は家路を急いだ。


岸本臣。バイト四日目。