足首まである長い黒マントの、フードは被っていないかわりに、振り乱した黒髪と、痩せた頬、一度見たら忘れることのできない印象的な青い瞳がそこにあった。 彼は無言で、じっとセヴェリエの顔をみつめていた。しばらくして、口を開いた。

『わたしが怖いか』

 セヴェリエは、呆然と立ちつくしていたが、その声を聞いて我に返った。 そして、放浪人の腰に下がっている鞘におさまった大剣を見つけた。その胸に纏っている帷子や、さらに背中に背負った矢筒と弓を見た。もっと灯りが強ければ、それらが数多の返り血でけがれていることだろう、とセヴェリエは思った。 物も言わずに、自分の姿をしげしげと見回すセヴェリエに苛立った様子の放浪人は、セヴェリエの目の前にぐっと近寄った。 反射的に、セヴェリエが後ずさると、放浪人は手を伸ばし、セヴェリエの胸ぐらを掴んだ。セヴェリエの鼻先に、放浪人の顔が近づく。セヴェリエの顔に恐怖が浮かんだ。叫び声をあげたかったが、ひっという息が出たほかは、口だけが虚しく動くだけだった。それを見て、放浪人の顔に哀れみが浮かんだ。『そなたは、口がきけぬのか?』

『…わたしの言っていることはわかるか』

 セヴェリエは、一瞬迷ったが、首を縦に振った。

『おとなしくするというなら、手は放す』

 また首を振る。すると、放浪人は掴んでいた手を放した。
 そして踵を返すと、背後の扉を閉じた。 それから、暖炉の方へ向かうとかがみ込んだ。火薬の匂いがして、炎が一気に燃え上がった。部屋が明るくなり、セヴェリエと放浪人は、あらためてお互いを見た。 放浪人は、かすかに笑った。

『わたしの名は、マキュージオ。…そなたとは一度、会っているな?ここへ来た目的はひとつ。わたしの矢を、持っているはず…返して貰いたい』

 放浪人の顔がふたたび、セヴェリエの目の前に近づいた。

『あれは、わたしの先祖が王家から賜った家宝。歴代の戦を我が先祖と生き抜いてきたもの。わたしのものだ。どこにある』

 青い目が、セヴェリエを捕らえた。そしてうながされるように、セヴェリエを寝台の下の長持へ動かした。 長持を開け、底の方から矢を取り出すと、立ち上がって、マキュージオにおずおずと差し出す。
 マキュージオはそれを受け取ると、矢の先を恭しく掲げた。そしてマントを翻すと、戸口へ向かい始めた───と、セヴェリエが思った次の瞬間、マキュージオは信じがたい行動に出ていた。とっさに振り返り、低い、しかし強い口調で言い放った。

『───動くな。少しでも物音を立てれば、射殺す』キリキリ、と弓弦がひかれる。

 たった今、セヴェリエの手から渡された矢の先が、セヴェリエの心臓を狙っていた。
セヴェリエは気を失いそうになったが、寸手のところで持ちこたえ、言われたままにその場に立ちつくした。そして、己の沈黙の誓いが破れなかったことに気づき、だんだんと冷静を取り戻した。 矢を向けられている現状は変わることはなかったが、セヴェリエは心の中で祈りを唱え始めていた。この場で殺されるかもしれなかったが、死の恐怖に打ち勝つ自信を得ようとした。しかし、その祈りも、遮られてしまった。
弓矢は、弓にかけられたまま、セヴェリエに近づいていたが、ついに放たれることはなかった。その代わりに、マキュージオの両腕がセヴェリエを抱き寄せ、唇が重ねられていた。

『う…んんっ!』

 重ねられた唇の、わずかな隙から呻き声が漏れる。
セヴェリエは混乱し、祈りの言葉も忘れて逃れようとしたが、マキュージオの腕に込められた力はどんどん増していき、抵抗するセヴェリエの体の動きを巧みに予知し、封じていく。押し返そうする手は、指の間から握りしめられ、駆け出そうとする足は、絡め取るように制された。 ようやく、口付けから解放された。が、体の自由は封じられたままだった。

『はぁっ、はぁっ…』

 お互いの口から荒々しい呼吸が繰り返される。
セヴェリエは混乱から立ち直れないまま、マキュージオから目をそらした。 すると、マキュージオはセヴェリエを胸に抱き力を込め、ささやいた。『…最初にそなたを見かけたとき、夢に見てきた姫を想った』

『その昔わたしは、王家に仕えていた。…戦で軍隊を失い、放浪人となってこの最果てへ来て───そなたに出会った。墓場のように凍てついた岩の大地で、淑やかに咲く花を見た気持ちだった。それが絶望に苛まれ、血で汚れたわたしの心がどんなに安らいだことか!……そしてわたしは、同じように追われて来た者たちと、敵の侵略からそなたの修道院を護ることに決めた』

『!…』

 セヴェリエは、すでに抵抗の意志を取り戻していたが、マキュージオの言葉に耳を離すことができなかった。ふと、マキュージオの手が、セヴェリエの髪を撫でる。
刃の丘の修道院