『飲め』
 ゾルグは受け取り、息で冷ましながら口を付ける。まるで泥のような舌触りと、黴のような臭いがする、味のない湯だった。
 とても、飲めるようなしろものではない。
『これは…?』
『苔穴の、苔を煎じた茶だ。苔穴の者みなが飲む』
『ひどい味だ』
 率直に言うと、ゾルグは杯から口を離した。
『これでも我らの常食さ。茶にするだけでなく、食いもする』
 トロスが言いながら、自分の杯に苔茶を注ぐ。他の者も皆、当たり前のように苔茶を啜っていた。苔穴の難民の困窮は、ゾルグが思った以上に深刻なのだった。
『あれは皆…王族なのか?』
 ゾルグは、難民達が身に纏っている衣装を思い出して言った。汚れ、擦り切れ、ぼろも同然だったが、確かに東の王家の紋章が、彼らの衣服だけではなく、病人の毛布にまでしるされていたのである。
『そうでない者も混ざっている。しかし王族だろうと平民だろうと、ここでは何ら違いはない。財と土地を失って裸同然になっては皆、同じだ』
『───それでお前達は、南の民から強奪しているというわけか』
 ゾルグの言葉に、ハザは眉を吊り上げた。
『俺達は身ひとつで、東の地を逃れてきた。───しかし南の民はそんな俺達を迫害した!地を耕す能力もなく、獣を狩る弓すら持たぬ俺達を都へ通さず森の中へ閉じこめ、金目のものはすべて取り上げられた。若い女は辱められ、反抗すれば殺された。───わかるか?…俺達は、南のやつらに奪われたものを取り戻すために、奴等のものを盗みかえしているだけだ』
 気が付くと、ハザ達が全員で同様の視線をゾルグに向けていた。
 ゾルグは悟った。ここでは、自分は敵なのだ。
 彼らから東の都を奪ったのは、他ならぬリラダンの緑の連合軍なのである。緑の連合軍の総統である大商人・リラダンは東の王が病死した混乱の隙に、東の都で反乱を起こし、都をうばった。
 ちょうど、北と西の連合軍と東・南の連合軍とで戦があり、東の軍の過半数が、戦場に出ている間の事件であった。
 リラダンは王城を占拠すると、東の都を統治していた王侯貴族を次々と殺害し、反抗する知識階級や民間人にいたるまでが虐殺の危機にさらされた。運良くリラダンの手を逃れた人々は都を脱出し、かつて最も親密であった南へと、流れていった。 それからまもなくして、北・南・西・東の4王家が連合したアルヴァロン国王軍によって、東の都をリラダンから奪還せんと報復攻撃が開始されたが、リラダンは数千人の狂戦士軍団を放ち、国王軍を退け、都の周囲を難攻不落の城壁で覆ってしまった。
 ゾルグがかつて属していた緑の連合軍は、それらの元凶をつくったリラダンの手先として王侯貴族を処刑し、大戦では東の軍への攻撃を実行した。この少年達の親兄弟の命を奪い、生きる希望を奪い、不潔で不快きわまりない、見知らぬ土地の、牢獄のような苔穴に押し込めた張本人。それが、緑の連合軍の正体だった。

 ゾルグは、重々しく、口を開いた。
『───俺は、リラダンのつくった聖エーテルに仲間を殺された』
 ハザ達の顔をひとりひとり、見回す。
『その後、剣を捨てた。物拾い人となり…希望もなく、長い間あちこちを彷徨った…しかし今は、リラダンに報復を誓っている。叶うものなら───いや、必ず。仲間の恨みを晴らし、仲間を殺した悪魔の薬を作るのをやめさせたい。そのためにどうしても、東の都へ行かなければならないのだ。君らの助けが欲しい』
 ゾルグは、ハザをじっと見据えた。ハザは、それを見返しながら、暫く考え込むように沈黙した。
 そして、おもむろに口を開いた。
『…お前の意思はわかった。しかし残念だが、俺達では判断できない。ボルカスに会わせよう。…話はそれからだ』
『ボルカス?』
 ゾルグは聞き返した。
『俺達のボスだ』
 ハザの隣で、トロスが答えた。
『…その男が、ロボスの仲間なのか』
『それは俺達の知らぬこと。ボルカス本人に確かめるがいい。…いま、ボルカスの所に使いをやって、お前のことを伝えに行かせている。そろそろ戻る頃だと思うが』
 するとちょうどそこへ、慌ただしく背後の扉を開け、ハザの仲間と思われる少年が、二人連れで入ってきた。緊張した面もちなのが、すぐにわかった。
『グレイ。ヨルン。どうだった』
 全員の目が一斉に二人に集まる。灰褐色の髪の少年が、表情を崩さずにハザの前に出た。
『ハザ。連中はボルカスを解放するそうだ』
『なに?』
ハザは驚愕した。
『王の墓に、連中が待ち受けていたんだ。全員揃って…いや、あいつは居なかったが。それで言われた。ボルカスを解放すると。すぐに仲間を連れて迎えに来い、と…』
 ハザは無言のまま、仲間の顔を見回した。
『罠かもしれん』
 トロスが言う。
苔穴の山賊たち