俺と黒木は、ペンションうらすぎの玄関ロビーで黒木の恋人の登場を待った。
 窮屈そうな受付カウンターに、待合のソファーが置いてあるだけの、古めかしい柱時計がでかい音で秒針を刻むうらすぎのロビーには、俺達以外、誰もいなかった。ソファーの奥に28型のテレビを見つけて、座ろうと思い立った時、正面の大きなガラスの引き戸の向こうに人影が映った。と、同時に黒木が動く。俺はソファーに近い位置でそのまま止まっていた。黒木の恋人。初めてその全貌を目撃する瞬間。───正直な話、俺は気になっていた。あの黒木をべた惚れにさせるのは、一体どんな奴なのか?年齢も聞いていなかったが、黒木の話の感じからして、随分若いんだとは思う。が。あんなド変態の性欲と渡り合えるってことは、やっぱり只者じゃない、ってことになる。
───ガラッ。
 無遠慮な感じに引き戸が開いた。
「───よぉ」
 低い掠れ声で挨拶すると、そいつは黒木に向かってニヤーッと笑った。
 こいつが…黒木の、恋人?
 何というか……意外と言うべきだろうか?俺が今まで生きてきた中では、一度も巡り合ったことがないタイプの人間だ。一見した印象は、古いリーバイスの裾を引き摺った、だるそうな18・9歳か20代前半の、フラフラしてる遊び人という感じだが、その顔は超絶、が付くほどの美形だった。美形の男と言っても、アイドルみたいだって話じゃない。アイドルでもモデルでもないだろうこれは。そういった類の男がこんなに色っぽかったら、世間はえらいことになる──ある意味、革命だ。ぐしゃぐしゃの黒髪の襟足から除く首筋すら、ぞっとするほど艶かしい。人間とは思えない色気だった。そして、色気以上に強く感じられるのが───危険な匂いだった。長めの前髪がかかる、大きな目は、鋭くて、やけにギラギラしていた。すっとぼけた顔の黒木と並んでいるせい、じゃない。魅力に惹きつけられるのだが、それ以上に、絶対に目を合わせたくないような、そんな目だ。
 早い話が、やくざ?犯罪者?
 俺がそんなことを考え巡らせていると、黒木の恋人、御陵の背後からもう一人の影が現れた。えっ、誰?!
 黒木が絶句している。
 現れたのは、背の高い、御陵よりずっと年上の男だった。高そうなダークスーツに胸元の開いたシャツを着て、深夜だというのにサングラス。この姿を見て、やくざ以外の商売を思いつかないことは、難しい。俺は、この後の展開をうすら寒い恐怖でもって想像した。
 ていうか───ほんとに、誰?この人?
「はじめまして」
 御陵の隣に並んだその男は、黒木に向かって言った。
「………御陵…くん?……」
 黒木はその男を見ようとせず、御陵に向かって茫然と訊ねた。「この人は…?」
「周」
 御陵は答えた。短すぎる答えに補足するように、隣の男が口を開く。
「──驚かれるのは無理もありません。突然ですから。こちらは、あなたとのことは既に伺いました……あなたもご無沙汰だったことでしょう。このあたりは」
 男の言葉に、黒木のぼんやりした顔がゆっくり反応する。
「………あ…」
「おっと」
 男は人差し指を立て、黒木を制した。
「思い出したんなら結構。それ以上は言わないで下さいよ」
 そう言って、男は俺の方へちら、と視線を送った。
 何なんだ?なんか、やばそうな…
「御陵くんを、連れ戻しに来たんですか」
 黒木が初めて、男に向かって訊ねた。子供を迎えに来た親にでも言うような、呑気な口調だった。だけど、いつもの黒木じゃない。何となく、そう思った。
「そういうこと。ただ、古巣じゃないけどね」
「上層関係者の公判、未だに続いてますからね…」
「だが俺には無関係さ。明るみに出る前にあっちから切られたからな」
 抑揚のない会話だった。男と黒木の間、互いにしかわからない探り合いがあるようだった。
 男を静かに見据えて、黒木は言った。
「………御陵くんを犯罪者にする気ですか?」
「はは───だから?渡せないって?」
「ええ」
「俺は犯罪者じゃない」
「今はそうでしょう。でも、例えばこれから僕が警察にでも話せば、状況は違ってくる」
 男は顎を持ち上げた。そして御陵に向き直る。御陵はつまらなそうにタバコをふかしていた。
「あんな事言ってるぞ。怖いな、お前の彼氏」
 呆れたように言う男を見て、御陵は溜息のような煙を吐き出した。「お前、しゃべんな。もういいから、消えてろ」
 そしてそのまま男を無視して、黒木の方に近付いた。吸いかけのタバコを足元に落として、火を消す。
「黒木」
 御陵は言うと、目を伏せた。
「ごめんな」
「………」
「オレ、お前のこと、騙してた」
「…………」
 黒木の顔がだんだん下へ俯いていく。
 騙してた、って何だろう?!俺の頭はこんがらがっていた。しかも、御陵の唇はやけに赤い。その唇にはおおよそ似つかわしくない科白だった。でも…
「部外者は引っ込んでおいた方がよさそうだ、な?お兄さん」
 ふいに目の前に誰かの腕が現れて、俺の肩を掴んでどこかへ引っ張っていく。周、だっけ───男が、そう言いながら俺を黒木と御陵から遠ざけ、受付の奥へ連れて行く。