エーン・ソルフ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
『戦場に到着したマキュージオは、狂戦士の残党を相手に戦いながら、セロドアの姿を探した。しかし、セロドアが見つかることは無かった。……デュラハンの姿のままいずこかで朽ち果てたか、リラダンの手の者に捕らえられたか。それともあるいはダーイェンの騎士らに回収されたのか。───結局行方はわからぬまま、戦場に静寂が戻った後も、マキュージオはその場に留まり続けた。 邪悪な暗雲の空から雨が降り注ぎ、死んだ戦士達の血を洗い清め、やがて雲の切れ間から陽光が差し込んだが、それでもマキュージオはセロドアを追い求めた。
 しかし時は悪戯に過ぎていった。マキュージオの心は絶望が蛆虫のように巣食い、無残に壊れていった。
 すべてをあきらめかけたある日、不毛の地へ忽然と人の姿が現れた。人影は日を追うごとに増えていき、皆がマキュージオと同じ思いを眼差しに訴えていた。長い戦乱の中で身寄りをなくした男達───放浪人の群れだ。………やがて彼らの多くはマキュージオに従い、マキュージオは放浪人の一団を従える頭領となった。
 その後のアルヴァロンがどのような道を辿ったかは、お前も知っての通り。ヌールの王都は無人の廃墟と化し、シャンドランはロトとの苦戦にもはや風前の灯火となった。オエセルには王妃と娘達が残っていたが王座に就くことはなく、自治は解体され、無法化している。かつてアルヴァロンと呼ばれた王国は忘れられ、残された大地は名もないまま、臨終の苦しみにもがき続けているというわけだ………』

 セヴェリエの視界は、最初に目を醒ましたアルスの邸宅に戻っていた。
 素朴な農家の居間。庭の矢車草の青と紫の花びらも、青空も、肺に取り込む空気までもが、まやかしの世界。セヴェリエは、目の前にいる美しい詩人の姿をしたこの人物を畏怖の思いで見た。
 アルスは窓辺に座ったまま、リュートの弦を指先で爪弾きはじめた。悪戯に、思いつくままに弦を弾いているようにも見えるつつましやかなその音色は、もう幻覚を引き起こすことはなかった。
 セヴェリエは、マキュージオに思いを巡らせた。
 彼に対するセヴェリエの恨みは今、戸惑いへと変わっていた。───マキュージオは、自分に対して許されざる行為をした。しかし彼を罪に走らせたのは、彼がそれまでに味わってきた悲惨な過去のためだった。 
 業星という宿命。数々の裏切り。そして戦争。それらが彼の心を打ち砕き、二度と希望を抱けぬように陥れた。
 一方セヴェリエは、外界の混乱とは隔離された環境で暮らしてきた。当時はその状況に何の疑問も抱くことはなかったが、しかし事実を知り、激しい自責がセヴェリエの心に起こっていた。修道院では、セヴェリエだけではなく、他の修道士や長老に至るまで、国の未来が震撼する事態に無関心ではなかったが、修道院の生活の基本は、修行にあった。それがどのような規模であっても、俗世の出来事に関心するのは、信仰のゆらぎを認めることにほかならぬと考えられていたのだ。
 しかしそれが今、セヴェリエの心に激しい動揺を生んでいた。
 神への信仰を捨てるつもりはない。 だがこれから先、刃の修道院に再び戻っても、以前のようにただ祈るだけの毎日に耐えていけるのかどうか疑問だった。アルスの言うとおり、聖オリビエ教はアルヴァロンに起きた数々の争いを止めることはできなかった。人々の命は救えず、大地は焼き尽くされた。

 しかし、生き残っている人々もいる。

 ゾルグも、海市館で出会った山賊たちも。そして、マキュージオもきっと、まだ生きているだろう。西へ行くと言い残して消えた、あの哀れな騎士。もしも彼に再び見えることがあれば、自分の力で罪を悔い改めさせ、神の信仰を思い出させて、残りの人生を正しい方向へ導こう。もしかするとそれが、自分に与えられた神からの使命なのかもしれないのだ。
 そう決意した瞬間、セヴェリエは、先程まで心にわだかまっていたものが軽くなる気がした。

 セヴェリエが顔を上げると、リュートを片手にさげたアルスが目の前に立っていた。
 緑色の瞳が、セヴェリエを映している。その表情は今までと違い、不思議な翳りがあった。
『フェルマールが何者であったか、聞かせてやろう。アルヴァロンでこの事実を知るはお前ひとりだ………あれは、かつては余のしもべだった』
 セヴェリエは驚いて目をみはった。幻影の中の、フェルマールの姿が蘇る。彼は長い白髭と、緑のローブを纏っていた。その色は、今まで気がつかなかったが、アルスが身に着けている衣服の緑とまったく同じ色だった。 
 緑の色は、世界を制する者の色───悪魔の色と言われている。
『フェルマールは…人ではない…と?』
 セヴェリエの声は震えていた。
『彼奴は人間だ。遥か昔に降霊術を体得し、余に接触してきた。───その後彼奴を追って彼奴の弟子もやって来た。名は、リラダンといった』
 アルスは視線を窓の外へ向けた。精霊の庭に、黄昏が訪れようとしていた。セヴェリエ達が居る部屋も、たちまち薔薇色に染められていく。
『彼奴等は肉体を捨て精霊になることを望んでいた。しかし、人は死して精霊界に行く事は出来ても、精霊には成れぬ。……そこで余は彼奴等を度々精霊界に招き入れ、自然を操る術や知識を与えることにした。彼奴等はただ純粋な知識欲のために、精霊界にとりつかれていった。かつてのエルフ達や、エーン・ソルフの民のように』
『エーン・ソルフ…?』
 思わず繰り返したセヴェリエに、アルスが振り向いた。