サラフィナスはゾルグを見ると、軽い会釈を送ってきた。
『出身は彼らと同じく旧ドリゴン。医術を研究して各地を遍歴している。この地に来たのは十年前。暫くはオエセルの食客にあずかったこともあったが───今はこの通り、放浪人のような体たらくで、原生林を気ままに彷徨って薬草の採取をして暮らしている』
『ゾルグだ』
 ゾルグは簡潔に名乗った。
『───こんなところで何をしている。あまりうろつくな』
 グレイの咎めるような口調に、サラフィナスは申し訳なさそうな表情をした。
 隠者といわれる割には、人懐こい性格のようだ。
『そろそろ、アカハエトリ茸の時期が過ぎる。あれはこの付近でしか採取できないものでな』
『またそれか。いい加減にしろ』
 それを聞いて、ハザが呆れたように叱責した。が、サラフィナスは慣れているのか肩を竦めただけで、
『私とエンデニール殿の間の大事な交渉役だ。医術を極める者にとって、エルフ族の知識はまさに至宝と呼ぶに相応しい…これでまた暫くの間、彼の書斎に通えるというもの』
 うっとりとしたサラフィナスの様子に、ハザは舌打ちした。それを聞いて、ゾルグは密かに納得した。エンデニールが吸っていた、あの異臭のするパイプの正体はアカハエトリ茸だったのだ。それは麻薬として物拾い人達の間でも良く知られていた。深い酩酊で、悲しみや鬱蒼とした気分を紛らわすことが出来たが、中毒になると廃人とまではいかないが、ひどい倦怠に見舞われる。───エンデニールのあのやつれようは、これを常用しているせいだったのだ。
『それにしても灯りもつけずに、ここまでよく歩いてこれたものだな』
 ヨルンが言うと、サラフィナスは深刻な表情になった。
『左様。実はこの先で、エルフの一団とすれ違ったのだ』
 その場の全員の顔色が変わった。サラフィナスは反応を予想していたというように頷き、
『それで身を隠してカンテラの火を消し、彼らが過ぎた後も用心のため、闇の中を手探りで逃げてきた。彼らはどうしてここにいるのだ?あそこまで大勢のエルフの集団は初めて見た。王の墓の神殿に向かっていたようだが』
『余計なことはいい。それで、奴らは何人いた。ボルカスはその中にいたか』
 トロスが詰め寄った。
『10人位だ。ボルカスの姿は…わからない。居たかも知れんが、居なかったかもしれん』
 間延びしたサラフィナスの口調は、少年達を苛立たせた。
『10人だとしたら…やはり、一人足りない。────どうする、ハザ』
 トロスの問いで、皆がハザを窺った。ハザは暫く思案の素振りを見せたあと、口を開いた。
『二手に分かれよう。グレイとヨルン、お前たちと俺は面が割れている────トロスとブレイム、そしてあんた』
 ハザの三白眼がゾルグをとらえた。
『三人は別の道から王の墓に入れ。奴らが妙な真似をしそうなら、先に動け』
 トロスが頷き、ゾルグもそれにならった。そしてハザの目はサラフィナスに向けられた。
『サラフィナス。あんたは早くここから去れ。あんたの世話までは構ってやれん』
 それをサラフィナスは静かに笑った。
『私も隠者と呼ばれるだけの技は体得している。エルフと戦うというのに、味方に魔法使いがいなくては、心許ないだろう?私も、戦う。魔法の技を試してみたい』
 サラフィナスの言葉に、皆が驚いた。
『戦えるのか?あんたが』
 松明で照らしながらトロスが言うと、
『無論だ』
 虚勢にしては肝が据わった口調に、ハザは溜息をついた。
『ならば勝手にしろ。ただし、足手まといにはなるなよ』

 サラフィナスを新たに仲間に加え、ゾルグ達は途中で道を別れた。ハザとヨルン、グレイの三人は王の墓の正門をまっすぐに目指し、ゾルグとトロス、ブレイムとサラフィナスの四人は迂回するように道を一旦下り、再び王の墓の方向へ道を上った。
松明を捨て、木々の天蓋から漏れる月明かりだけを頼りに、慎重に進む。ゾルグは戦闘を目前にして、鼓動が早鐘を打っていた。ハザに手渡された槍は、重厚な鉄でできた無骨なものだった。物拾い人のゾルグの目には、さして珍しくもない、旧ドリゴン軍の騎士の印影が入っている。錆びは磨かれていたが、ずっしりとした重さがゾルグに忌々しい戦場の記憶を思い起こさせる。血を流すことに弱腰になっているのではなかった。
 何か得体の知れない予感に対する躊躇だった。
『─────あいつは、お前のなんだ?』
 ふいにトロスが振り返り、小声でゾルグに訊ねてきた。トロスは頭巾を被っていて、目元以外の人相はわからない。
 剣を腰に下げ、背中に剣と羊歯のドリゴンの紋章がほどこされた円形の盾を背負っていた。
『あいつ?』
 唐突な問いに、ゾルグは面食らった。セヴェリエのことを言っているのはわかったが、それにしてもこの状況で───唖然としたが、ここで妙に取り繕うのも余計な詮索を生む気がした。
『彼は北にある修道院の、修道士だ。ジアコルド軍に侵略される所を、俺が連れ出した。東の都の大聖堂に送り届けるつもりだったが』
 しかし東の都の状況を知った今、その目的の実現は難しかった。この国は今、神の存在どころではない。王家が滅びて、生き延びた人々は皆存在の意義を見失っている。 それでもゾルグや山賊達のような道を選ぶことはできるが、しかしセヴェリエのような人間は、修道士をあきらめたら、この先どこで生きていけば良いのだろうか。
 ゾルグがそんな風に思いあぐねていると、
『──連れて行くつもりなのか。ダーイェンに』
『それは…』
 ゾルグは言葉を詰まらせた。ダーイェンに連れて行って、反乱軍と共に行動させるのか、セヴェリエも。───それは、セヴェリエに拒否されるような気がした。彼は血が流れることを嫌悪するだろう。そして、そんな野蛮な行為に手を染める自分を、非難するだろう。それでなくとも、ただでさえ、あの荒野での一件がセヴェリエとゾルグの間に深い溝を作っているのだ。
しかしゾルグは、自分の目の届かない所にセヴェリエを置きたくなかった。
 せめて、安全な場所で───自分が東の都から戻るまでの間だけでも、命の保障が出来る場所に、居て欲しい。
 ゾルグが思ったその時、
『墓標が見えたぞ』
 先を歩いていたサラフィナスが引き返して告げた。一堂は倒れた巨木の陰に移動し、身を屈めた。
 そして、目先の木の陰や藪を伝うように移動しはじめた。
 そうやって近づいていくにつれ、雲に隠れた月にまばらに照らされた、巨大な石の表面が浮かび上がる。
(これが、王の墓…)
 ゾルグはついに全貌を現したその光景に息を呑んだ。
エーン・ソルフ