それは、巨大な彫像の群れだった。
 アルヴァロン王の祖先を模したものなのか、人の身長の三、四倍はあるローブと冠を戴いた石の人体像が、あちこちに点在しており、まるで中央の神殿を見守っているようだった。 ゾルグ達がいる場所は、王の墓の敷地内でも木立が密集しており、身を隠すには丁度良い大岩が転がっていたが、その大岩も、よく見れば人体をかたどった彫像の頭部であるらしい。
 しかし王家が滅びてからそれほど経っていないにも関わらず、墓地はひどく荒れていた。
 戦乱の最中に被害にあったのだろう。彫像の殆どは破損し傾いているものも数多かった。
『あの神殿はこの中では最も新しい建造物だ。その中にはアルヴァロン王ダミアロスと王妃ベネディクトの第一王子・インガルドが眠っている』
 サラフィナスがゾルグに耳打ちした。
『ハザ達は…あの中か』
 ゾルグは目を凝らしてみたが、神殿に変わった気配は感じられなかった。物音といえば、過ぎていく風ていどのものだった。
 エルフ達も、どこかに潜んでこちらを窺っているのだろうか。
『奴らの姿も見えないな。もう少し近づこう』
 トロスの合図で、三人は物陰を移動した。徐々に神殿への距離を詰めていく。
『分散した方が良い』
 ゾルグが提案すると、トロスは頷いた。ブレイムが最初に右に走り、巨大彫像に身を寄せる。そして次にサラフィナスが左の木立へ身を隠した。 ゾルグが出ようとすると、トロスが肩を掴んだ。
『あんたは右に行ってくれ。ブレイムの横にいろ』
 目をやると、彫像の足元にいるブレイムがこちらを見ていた。
『……わかった』
 ゾルグは彫像の陰に向かって草叢を素早く駆けた。待ち受けていたブレイムが、奥へ体を寄せてゾルグを陰の中へ引き入れる。彫像の足元は祠になっており、閂の付いた扉があった。刻まれた文字は消えかかって読めなかったが、何代前かの王の棺がおさめられているのは確かだった。 トロスが手振りで待機の合図を出すのを確認して、ゾルグは息をつくと、膝を立て、槍を手繰り寄せて神殿に意識を集中した。周囲は雑草がゾルグ達の身を覆うほど伸びていた。ゾルグがじっと耳を澄ませていると、その奥から、風のそよぎに混じってかすかに生き物のさざめきのようなものが聞こえてきた。
 それは次第に大きくなっていき、ゾルグは無意識に槍を構えた。目の前の草がせわしなく揺らぐ。
『!』
 ふいに横から肩を押さえられた。ブレイムが、薄暗がりで微笑した。
────黙って見ていろ。
 そう言う様に、視線を足元へと促す。ゾルグは驚きの余り、声を出しそうになるのを呑みこんだ。藪を掻き分けて現れたのは、銀色の被毛に包まれた、一頭の狼だった。巨大だったが、しかし、犬のように従順に、ゾルグ達の目の前に立つと、獣はブレイムに首を垂れた。目は赤く、鋭い眼光を放っている。
『俺の仲間だ』
 その狼の頭部を素手で撫で、ブレイムは言った。
 そして彼の頭の倍はある狼の眉間のあたりに額を重ね、口元をかすかに動かした。狼は、まるでブレイムの言葉を理解するかのように剣の切先を思わせる耳を二三度動かし、鼻をひくひくと鳴らした。
 ゾルグはそれをただ呆然と見守ることしかできなかった。
 やがてブレイムは狼から手を離すと、行け、と告げた。
 狼はクルリと踵を返すと、また音もなく草叢の中へ姿を消していった。
 ゾルグは、思わず深い息を吐き、その場に腰をついた。流石のゾルグでも、狼を目と鼻の先で見たことはなかった。それも、ただの獣ではない。狼の中でも、高潔な種族に違いなかった。
『驚いたな……』
 ブレイムを見た。相変わらず、微笑を浮かべている。山賊仲間では年少でありながら、なぜ彼が同行しているのか、これで理解できた。
『お前は、獣(じゅう)使いなのか』
 南の民に、その家系はあった。家畜を護るために、森の獣を殺すのではなく、手なづけて森へかえし、生物の連鎖を補完させる人々。彼らは獣使いと呼ばれ、南ではエルフと同じように尊敬されていたはずだった。 ゾルグの驚きは、その家系の人間が、敵対しているハザ達と行動しているという事実だった。ブレイムはゾルグの目を一瞬見据え、視線を神殿の方に戻して口を開いた。
『南の獣使いはもう誰も残っていない。みんな死んだ。今は俺一人だ。───爺様も、みんな、戦で死んだ』
『────それがどうして、東の氏族と共にいる』
『仲間だからさ』
 ブレイムは言うと、ゾルグを促した。神殿の入り口に、人影が現れた。
 遠目からでも、その特徴ある出で立ちは確認できる。絹糸のような長い金色の髪に、尖った耳。裾の長いマントに身を包んだエルフ数人と、彼らより頭一つ半ほども背の高いハザと、その後に続いてヨルンとグレイが神殿の入り口に出てきた。
 彼らが神殿の前の石畳に立ち止まると、右手の方から松明を掲げた別のエルフの一群が近づいてきた。彼らはやはり長いマントを纏い、後列には彼らより少し背の高い人物がいた。
 両手を拘束されているのか、少し前屈みの姿勢で歩みを進める。
 あれが、ボルカスだろうか。
 その時、雲が晴れ、月の光があたりを照らした。ボルカスらしき人物を目で追っていたゾルグは、思わず声を出した。
 あれは。
『────女…?』
エーン・ソルフ