『それでは明日、夜明け前には出立する。皆、良く休養をとっておけ』
 ボルカシアの声で、ゾルグは我に返った。騎士達はぞろぞろと出口へ向かっていく。ラウールもそれに続きながら、ゾルグの肩をもう一度叩いていった。視線を感じて振り返ると、ボルカシアがいた。
『……ロクサネの事を、聞かせてくれないか』
 遠ざかる騎士達のざわめきを聞きながら、声をひそめる。ゾルグは思い至った。荒野で別れたロクサネが、南の地で会えと言っていたのは、このボルカシアだったのだ。
『ああ…』
 ゾルグが応じようとしたその時、騎士達と入れ違いに、誰かが部屋に入って来た。
『ブレイム』
 少年は目を細めた、笑顔のような不思議な表情のまま、ゾルグとボルカシアの顔を見て、言った。
『ゾルグ。あんたの連れが』
『───セヴェリエが、どうした』
『俺達が王の墓に居る間に、海市館がエルフに襲われたらしい。エンデニールと、あんたの連れの奴が、怪我を負った。ハザ達が間に合って、サラフィナスを呼んだようだが…これから皆で海市館に向かう。あんたも一緒に』
『何…』
『私も行こう。ゾルグ』
 ボルカシアが言った。
『セヴェリエが……』
 目の前が、闇に染まった。

 海市館では、ハザの見守る中、サラフィナスがエンデニールの治療に当たっていた。
 エンデニールの体はハザ達によって、倒壊を免れた二階の部屋へ運ばれた。
寝台に寝かされたエンデニールは辛うじて命は繋ぎとめていたものの、肉体の損傷はひどい有様だった。
倒壊した柱の下敷きになったせいで腿と腕の骨が砕けていた上、顔面も潰れていた。そしてそれ以上に、体の内側が無残に傷付いていた。
 サラフィナスは全ての傷に治療を施したが、エンデニールの意識はとうとう戻ることはなかった。高熱に浮かされ、苦しげな呼吸が包帯で覆われた口元から零れていた。
『助かるのか』
 サラフィナスの背後では、ハザがずっと様子を見守っていた。
『………わからん』
 サラフィナスは額に流れる汗を拭った。
 ハザはエンデニールの傍らに膝を付いた。全身に包帯を巻かれた痛々しい姿に、胸が締め付けられた。
『今、息があること自体が奇跡だ……信じ難い』
 ハザはサラフィナスを睨みつけた。
『貴様は医者だろう。投槍な事を抜かすな。もしエンデニールを死なせて見ろ。その時は貴様も命は無いと思え』
『もう出来る限りの手は尽くしたのだ。これ以上の事を施すなら、それこそ命の危険を伴う。ただでさえエルフの体の力は、人に比べて脆い……その上エンデニール殿の場合は、もともとが衰弱していた』
 サラフィナスはハザの目に怯えながらも反論した。ハザは立ち上がり、サラフィナスの胸倉を掴んだ。
『貴様がアカハエトリなど持ち込まなければ、こんな状態にはならなかったかもしれんぞ。散々その恩恵に肖った筈だ。誠意を尽くせ、藪め』
 頭の上から凄まれ、サラフィナスは息を呑んだ。
 しかしハザの言葉を聞く内に、その形相が変わった。ハザの目を見据え、叫んだ。
『───それを言うなら、お前達はそれ以上ではないか!お前達がエンデニール殿に行ってきた非道の数々を私が知らぬとでも思ったか?私に当り散らすのはよせ』
 それを聞いて、ハザはサラフィナスから手を離した。憤りが落ち着かぬまま、背を向ける。
 サラフィナスは衣服を正すと、広げていた治療の道具を片付け始めた。
『どこへ行く』
 ハザが訊ねると、サラフィナスは扉の方へ向かいながら答えた。
『もう一方の患者のところだ』
『エンデニールは』
『今は見守る他はない。何かあれば呼びに来てくれ。隣の部屋に居る』
 そう言うと、サラフィナスは扉の外へ姿を消した。
 取り残されたハザは、暫く茫然と立ち尽くしていた。エンデニールの方へ目を向ける。目も口も、包帯で覆われていて、長い金髪と尖った耳が見えなければ、もはや誰なのか分からなかった。その枕元に近付き、ハザは膝を折った。傍らに、止血に使われた布の残骸がまとめられている。夥しい血の量だった。
『エンデニール』
 押し殺すような声で、ハザは名を呼んだ。答えは無かった。意識は朦朧としているのか、それとも深い昏睡にあるのか、わからない。ハザは手を伸ばし、エンデニールの右手の甲へと触れた。熱が伝わってくる。
 身を裂かれるような気持ちだった。
『生きてくれ』
 どうか。ハザはエンデニールから手を離し、硬く握り締めた。
(生きて、そして俺に、償いをさせてくれ)
別離