御陵くんの言葉の大半、僕には意味がさっぱりでしたが、食いつくように即答しました。
「無理だ」
「受け止めます、絶対に───それに、僕は、愛する人を置き去りにするようなことも、絶対しません」
 しかし御陵くんの態度は変化しません。ふ、と溜息をつくと、冷静な声で言いました。
「……正直な話、もしもあいつと出会わなかったら、ずっとお前の所に居たはずだった、オレは」
「御陵くん!」
「でも、会っちまった……お前と暮らしてる間、ずっと忘れてたのに。再会なんて、一度も願ったことはなかった──お前の言う通り、あいつは酷い奴だ。オレをあんな場所に捨てて、自分は高飛びだからな。それで勝手に戻ってきて、またオレとやり直そうって…どのツラ下げてそういう事言えるんだかな。本当に、酷い奴…」
「実際、犯罪者ですよね」
 周という人が、教団でどういう立場にいたのか、僕は知りませんでしたが、あの教団に居て、事件後に海外に逃げなければならなかったと言うのなら、少なくともただの信者や末端の人間の類ではありません。
 僕の言葉に、御陵くんは腹を立てるでもなく、むしろ可笑しそうに反応しました。
「そうだな。犯罪者だ。そしてオレは──その被害者だ」
「………」
「でもオレは、周に出会わなかったら、多分今、ここに立ってないんだ」
「どういう…意味?」
「オレはガキの頃に、家と親をなくしたんだ。他に頼る人間も居なくて、文字通りそこで野垂れ死ぬ運命だった……それを拾ってくれたのが、周だった」
 衝撃の告白でした。御陵くん…君という人は!思わず目が潤みそうになります。なんて可哀想な生い立ち!
「そんなこと…」
「信じられないか。そうだよな。でも事実だ。だからオレは…今まで生きてこれた。周が守ってくれなかったら、あの施設でも死んでたかもしんねーけど」
 ということは、つまり…僕が御陵くんと出会えたことも、周という人の存在あってこそ?……いや、そんなことを考えてはいけません。しかし、考えてはいけない、と思っても、その事実を知ったせいで、今まで無表情に見えた御陵くんの表情が、実は深い憂いに満ちていることを知ってしまいました。
 あああ…御陵くんが、苦しんでいる!それも……僕のせいで!!!
 幼い頃の御陵くんの命の恩人であり、恋人でもあるあの人と、再び一緒の人生を歩みたい。御陵くんはそれを強く願っています。でも、それを邪魔している人間がいる──つまり僕です。僕が、御陵くんの幸せを邪魔しているのです。
「黒木」
 御陵くんが僕の名を呼びました。
「千八百六十…千八百六十一…」
 僕はいつの間にか項垂れて、床の木目を数えていました。
「ありがとう」
「!」
「あの時、オレを連れ出してくれて」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
「お前がオレを攫わなかったら、オレ、多分あいつと一生会えなかったと思う。感謝してる……周もそう言ってた」
 最後の一言で、僕は死にそうになりました。ひどい!御陵くん!!!
「黒木?」
 怪訝そうに僕の顔を窺う御陵くんを、思わず見返しました。
 そこで一気に沸き起こる衝動───僕の手は、御陵くんの肩を掴んでいました。驚く顔をまじまじと見つめます。
 この一年の思い出が、脳裏を掠めていきます。
 僕は、御陵くんを心の底から愛してました。
 でも御陵くんは……?
 胸がつまって、僕は御陵くんの肩を腕の中に寄せました。すると僕の右肩に、御陵くんの額が触れ、凭れてきます。
「御陵くん」
 名前を呼ぶと、ぴくりと反応が返ります。
「この一年間…僕と一緒に居る間、……僕のこと…………好きだった?」
 問いかけて、僕は御陵くんの両肩をそっと押しました。正面から目を見て、答えを聞きたいと思いました。
「───ああ」
 御陵くんは頷きました。その続きの言葉を聞きたくて、再び僕は顔を近づけました。彼の言葉の続きを、唇を間近に見て、吐息を感じて、聞きたい───そう思いました。
「好きだ」
 お終いまで聞かずに、僕は御陵くんにキスしました。一瞬、唇を押し付けるだけの、口付けです。

 それだけで、十分でした。

「僕も…愛してます」
 御陵くんの肩から手を離しながら、僕は言いました。「もし」
「───もしもまた……あの人のそばに居られなくなるようなことがあったら、その時はまた…僕の所に戻ってきてください。待ってます、ずっと」
「………」
「だからそれまでは、さようなら。元気で…」