オレは朝が苦手だ。
 といってもオレは朝に目が覚めることがない。正確に言うと、寝て、目覚めるのが嫌いだってことだ。
 でも大抵、それは目覚めて三十分くらいの短い時間で解消する。
 オレのとなりにはあいつが居て、そいつが寝ていようと構わず、とりあえずどつく。
 当然相手は目を醒ますわけだが、オレをどつき返すなんてことはしない。
 おはよう、と必ず言ってから、お腹すいた?と訊くだけだ。
 で、オレはそれが気に入らないわけでもないのに、またどつく。蹴ったりもする。
 数回繰り返すと相手は痛い、御陵君やめて、とうずくまる。そこまでくるとオレもようやく落ち着く。
 その後は相手の髪をひっつかんで口を吸ってやるか、下をしゃぶってやる。
 気まぐれに、乗っかってやることもある。まあこれは、最近は減ったが。
 しかし今、オレはその朝の習慣に欠かせない対象がいないことを発見していた。
 布団の中にはオレひとりだった。遮光カーテンを閉め切っているせいで今何時かわからなかったが、多分いつも通り、昼の二時か三時ってところだろう。オレにとって時間はあまり意味がない。
 オレは空腹をじわじわ思い出しながら仰向けに寝返った。
「あぁ。そういえばあいつ、留守だったっけ」ぼんやり呟いて、敷布団の下敷きになっているリモコンを探した。
 あいつというのは、二日前からオレをこの部屋に置き去りにしている男のことだ。名前はクロキリュウスケというが、面倒くさいのでオレは名前を呼んだことがない。オレを自分の恋人と思いたがっている、変わった男だ。仕事は霊媒師だといっているが、あんなタラシっぽい面は、絶対にやくざだと思う。
 オレが今転がっているこの部屋が、あいつの家であり、事務所だが、十畳近くある畳敷きの部屋の半分は、木彫りの大黒とか信楽焼きの狸とか、階下の仏具屋の仏壇やら仏像やらの在庫で占領されていて、生活可能なのは四畳半くらいしかない。そこに布団も、冷蔵庫も、洗濯機も、電子レンジも電話もテレビもゲームも置いてある。普段は卓袱台が置いてある中央に布団を敷けば、ごろ寝したまま飯も食えるし、テレビも観られるから便利だが、便所と風呂だけは、ガラクタを越えた向こうまで歩かなきゃならない。
 布団の下に手を差し込んでもリモコンが見つからないので、俺はイラついた。
 かわりにマルボロの箱を見つけ、枕もとの灰皿を近くに寄せてから吸おうと箱を持ち上げると、
「あん?」
 何てことだ。空だった。昨日の晩のが最後だと気付いていれば、取って置いたのに!オレの怒りは頂点に達した。舌打ちして、山盛りになった灰皿のてっぺんの方から吸殻でマシなやつを取り上げると、口に咥えて火をつけた。

 午後三時半。オレはカップそばが出来上がる三分間を、テレビの画面を次々取り替えながら待っていた。民放はどこもかしこもワイドショーの時間で、どこもかしこも同じ事件をやっていた。どこかのバカがまた、自分の子供を殺した。ひどい親だとか、子供は抵抗できないからとか、国の教育が、とかどいつもこいつも似たようなコメントを言っている。オレから言わせると、そんな親とはてっとり早く見切りをつけて、逃げた方がいいってことだ。もっとも、死んだ子供は一歳だから、オレの意見は通じないが。
 オレは子供の頃に、この事件のバカみたいな男の家を逃げ出した。つまり家出だ。
 まだ小学生だったオレが今、事実ひとりで無事にこうして生きてるってことは、オレの判断は百パーセント間違っていないと証明できる。
 ワイドショーが芸能ニュースに変わって、オレはチャンネルを変えた。

 そこで突然、オレは息が止まってしまった。
 画面には、オレにとってさっきの事件よりだいぶショックのでかい映像が映っていた。

─────××さんは何歳までこちらで?
─────小学生…くらいでしょうか。12歳の時に家族で上京しましたから。
─────この付近には特に思い入れがあるようですね?
─────父がここに勤めていましたし、私自身、よく遊び場にしていました…時の流れでずいぶん様変わりしてしまいましたが、これがまだ残っていた。あまりに嬉しくて、シャッターを押してしまいました。
─────どおりで。その大切な思い出がよくあらわされたということで、今年度の大賞をとられたというわけですね…
 画面がスタジオに切り替わり、アナウンサーに向かって年寄りの男がごちゃごちゃ続きを喋っていたが、オレの耳には何も聞こえなかった。
「何だよ…」
 オレは、いつの間にか立膝になってテレビのまん前に居た。頭の奥がぼーっとして、首の後ろが熱くなっていく。

写真家・×××太郎 60年をふりかえる とある日本の姿

 番組のタイトルが、エンドロールと一緒に画面を横切る。オレは、その中の協力・×県○○市役所商工会という文字を見逃さなかった。そして、ラストにもう一度映った、さっきの写真も。
 オレは金縛りになったみたいに、次の番組が始まってもしばらくそのまま動けずにいた。
 心臓がバクバクいってる。
 やっと落ち着けそうになって、息を吐いたオレは、カップそばの横の灰皿からシケモクをまた取り出した。どきつい煙が肺の中に降りてくるのがわかったが、今のオレにはどうでもよかった。
 目を開いていても、目の前の光景じゃなく、あの写真がまだそこに映っている気がする。
 モノクロで、影の多い写真だった。しかしそこにある建物は、オレの記憶の中のそれそのものだった。
 その頃から、既に老朽化して閉鎖になっていた鉄工所だった。二階建てで、上が事務所で、錆びてボロボロになった階段を上っていけば、家があった。オレの家だ。オレとあいつの……
 オレはシケモクをフィルターぎりぎりまで吸ってしまうと、卓袱台の上のカップそばを開け、汁気を吸ってスポンジみたいになった蕎麦に箸を突っ込んだ。不味かった。でもオレは、伸びきった蕎麦を飲み込み、箸でかきこんだ。ずるずる食いながら、オレの頭は昔に戻っていった。