「わかんね」
「だよな」
 周は頷くと、七味をたっぷりふりかけたカップそばを食べ始めた。ついでオレも同じように食べ始めた。死ぬほど食べ飽きたはずなのに、それは妙に旨かった。

 蕎麦を食い終わった途端、オレは眠くなってしまった。走り回ったせいと、二日ぶりの布団の感触のせいだった。
 食後の一服を吸い出した周に、改めて家はどこだとか、名前は、と尋ねられたが、オレはまともに返事ができないまま、眠ってしまった。
「オイ!…ったくもう」
 奴の煙草の煙が漂ってきた。オレはまだ意識はあったが、瞼を開けるのが面倒だった。残りの意識を眠りにまかせながら、オレはぼんやり考えた。
 明日になったら追い出されるのかな。こいつ、オレのことずっとここに置いてくれないかな。もう金持ちのじいさんなんてどうでもいいや。
 布団が動いて、隣に奴が入ってくるのがわかった。オレは寝返りをうつ振りをして場所を開けてやる。背中からどうも、と声が掛かって、さっきの煙草の匂いと体温がくっついてきた。薄目を開けて様子を窺うと、上を向いた左目が見えた。
「お前…頭、くさい」
 ぽつりと声が掛かった。

 翌朝。昨日の晩とは打って変わった周が、オレをベッドから引き摺り下ろしていた。
 オレが帰りたくない、ここに居させて欲しいと言った途端の話だ。
「冗談はやめろ」
 大人らしく、最初の内は冷静だった周も、だんだん腹が立ってきたらしい。寝癖頭のまま、さっきから部屋をうろうろして落ち着かないのを、オレはベッドに腰掛けたまま、見ていた。
「何でもするからさ。居させてよ。そうじゃないとオレ、継母に殺される」
 大体の事情はもう話していた。けれども周は全部を信じているわけではないらしい。
「お前の事情より、俺の事情だ。家出の子供を匿ったって、近所に知れたらここに住めなくなる」
「近所なんて誰もいないじゃん」
「間違えた。大家だ。大家に見つかったら間違いなく通報される」
「家賃払ってないじゃん」
「──────とにかく、ダメだ!」周は大声で言った。
 オレは負けずに言い返した。
「居させろ!!」
「ダメ!」
「ケチ!!」
 しばらく同じ言葉を互いに言い合って、だんだん疲れてきた。オレは一呼吸置いた。
「どうしても…ダメ?」
「ダメだ」
「………わかった」
 オレは言うと、ベッドから降りた。そしてドアの方へ向かった。仕方ないと、オレはあきらめていた。ドアノブに手をかけようとした時、周が声をかけた。
「どこ行くんだ」
「……」オレは黙っていた。無視じゃなくて、答えられなかったんだ。
「家に帰るんだろ」それには首を横に振った。「そうか…」
「泊めてくれて、アリガトウ。蕎麦、うまかった」オレは言うと、ドアを開けた。待てよ、と声がかかったのはそれと同時だった。

「一生食うには困らない。多分な。ただし、相当な覚悟がいるぞ。心臓を売ってしまったほうがマシだったと後悔するかもしれない。戻りたいと思っても、二度と元の家には戻れない。───それでもいいか?」
「うん」
 オレの即答に、周は仰け反った。
「お前ね。お前の人生の大決断なんだぞ?これは」
「うん」
「………」
 周の正体は、通称・天使の王国と呼ばれる新興宗教のメンバーだった。
「元々は自然食とヨガを基礎にした健康運動の教室だったんだが。そこに俺の大学の教授が入ったところから、精神世界の研究も始まってね。瞬く間に三千人規模の団体になった。今じゃ関係者立ち入り禁止の施設まで建って、信者たちが集団生活してる。信者になりさえすれば誰でも、そこに暮らすことが出来るんだ。その際大人からは資産を全て取り上げるが、子供と若者からは何もとらない。契約さえ交わせばね」