『話せ』
 ふたたび杯に口をつけようとするキリルを、マキュージオは制した。
『ふん。…効能は、飲んだ本人にも自覚がない。自覚はないが、心地よい酩酊に、即座に中毒に陥る。そして、その薬なしでは生きていられない体になる。また、こうだ。その者が病気を患っている場合』
 マキュージオが身を乗り出すのを、キリルは驚いて見詰めた。そして、続けた。
『発作や痛みが、たちどころに消える。……病が癒えたと誤解して、喜んで薬を飲むようになるわけだ。実際は、病の種を増幅させ、死に至るものに作り替えているのだがな。───しかし、驚きだ。外つ国でも、この薬の製造法は禁忌となっている上、知る者はすべて抹殺されたと聞いていた』
 残忍な笑いを浮かべ、キリルはまた杯に口をつけた。マキュージオはいきなり立ちあがった。
 そして、驚愕して杯を落とすキリルの前で大剣を抜き、切っ先を突きつけた。
『何をする?!』
 キリルは慌てて後ずさり、椅子が倒れた。しかしマキュージオはなお、追いつめる。
『────その禁忌を、お前がなぜ知っている。キリル!』
 キリルは背中で床を這いずりながら、切っ先から逃げる。が、ふとその顔がゆるんだ。
『それは、私が教えたからですよ─────マキュージオ殿』
 気配を感じて振り返る。そこには、おそろしい顔付きの────フェルマールの姿があった。
 室内が、みるみるあやしい霧のようなものに包まれていく。
『たった今、王妃が身罷りました。………これでヌール、ひいてはアルヴァロンにおいて私に反発する者はいなくなるでしょう。業星の騎士マキュージオよ。その忠誠心と賢さで、ここまでつきとめられたのは評価しましょう。馬丁の少年の死は、さぞ悲しかったことでしょうな。─────今ここで、私に従うというなら、これまで通りあなたをヌールの騎士団長として役立てましょう。………おとなしく、軍門に下るのが身のためですよ』
 その手に持った水晶の杖が、まばゆい緑色の光りを放つ。
『くっ』
 マキュージオが不覚に面食らったところへ部屋の扉を蹴破って、見慣れぬ顔のヌール兵が数人雪崩れ込んできた。マキュージオは包囲された。
『……裏切り者らめ』
 マキュージオはフードを脱ぎ去り、兵士達を睨みつけた。
 青い眼が異様な力を発し、兵士たちに恐怖を与えた。
『そやつの眼を見るでない!─────取り押さえよ!!』
 フェルマールが一喝し、兵士達はマキュージオに殴りかかった。さすがのマキュージオも、屈強の男達の腕力には敵わなかった。血を吐き、倒れたところに、キリルが現れ、
『エリクシールの味、おのれで試すがよい』
 そう言って、マキュージオの口に、硝子瓶の中身を含ませた。酸が鼻につき、味のない液体が、喉を嚥下した途端、マキュージオは完全に意識を失ってしまった。

 戦役終結を目前に、マキュージオは謀反の罪で投獄され、ヌールの騎士団は、マキュージオの右腕であったディアベリを団長に置き、戦いに赴いた。
 その一方では、ヌールの王妃ベネディクトの葬儀が宮殿でひっそりと執り行われた。
 
 そして─────それから間もなく、病床にあったデラヒアスが死んだ。と、同時に、ドリゴンには、灰化病の特効薬が、一介の商人によってもたらされ、劇的な効果を及ぼしていた。
商人の名はリラダンといい、外つ国からの船でドリゴンに現れた若い男だった。
 やがて灰化病はうそのように根絶したが、そのおかげでドリゴンの民衆の間に、領主や聖オリビエ教会に対する反抗心が芽生えてしまった。反旗を掲げた人々はリラダンを先頭にまつりあげ、大聖堂の枢機卿らを拘束し、彼らを人質にして、ドリゴン家の迫害を始めた。
 その惨状はすさまじく、半ば狂人化した群衆は貴族諸侯の屋敷を次々と襲い、略奪を行った。
 そうなると、戦役に赴くドリゴン軍も、最早いくさどころではなくなった。当時ドリゴン軍を率いていたジラザーン伯爵はすぐさま退却し、ドリゴンへの帰還を目指した。
 四王家の戦役はこうして、混乱の中で終結していった。
 しかしそれからも、争いの火種がアルヴァロンから消えることはなかった。
 ジラザーン伯爵の奮闘も虚しく、ドリゴンはリラダン率いる民衆に陥落され、王都を追放された王族たちは難民となり、二百名弱のドリゴン軍は、東の荒野での足止めを余儀なくされた。その後は南のオエセルの内戦が勃発。さらに西のシャンドランでは、隣国ロトの侵略軍がヨギルカス川を越え、辺境警備隊との攻防戦を繰り広げていた。
 シャンドランの領主レミオスはアーシュラス王子と共に、侵略軍との戦いの準備に多忙であった。
ところがそこへ、ダミアロスが、身勝手に民主的独立を果たしたドリゴンの商人・リラダンの征伐と、ドリゴンの都奪還の計画を持ちかけてきた。
 長い戦を終えたばかりで、疲弊していたレミオスは、先の戦で生じた亀裂もあり、ダミアロスは賛同しなかった。
 そして、ダミアロスは───────おのれの軍隊総勢百五十名だけを率いて、かの地へ出陣を敢行した。
業星の騎士