『なりません。陛下──────この男は罪人ですぞ』
 セロドアは、キリルを一瞬睨み、その手を払いのけた。そして、言い放つ。
『私は…この国の王だ。王の権限で命じる……。…彼を……解き放て』
『特赦は、すでに先王の時に』
『現王は私だ』
 マキュージオは、二人の対峙を、朦朧とする意識で見守っていた。体の震えは全身に渡り、吐き気が込み上げる。
 記憶は薄れ、もはや目の前の人々の見分けがつかなくなってきた。
『マキュージオ。…どうしたのだ。苦しいのか…』
 マキュージオの異常を察して、セロドアが縋り付いてきた。
 キリルは、セロドアを目の前にして、エリクシールを出しかねている様子だった。
『ウァッ…アァァァッ!!』
 心の中が闇に覆われ、マキュージオは恐怖の叫びを上げる。眼が血走り、四肢を暴れさせ、セロドアを突き飛ばした。
 倒れかかるセロドアを、キリルが支える。
『ハァッ、ハァッ』
 獣のように荒々しい息を吐く。セロドアは、茫然と、マキュージオの変わり様を見ていた。
『マキュージオ、お前は…一体……』
『呪いです。陛下』
 ずっと無言で控えていた、フェルマールが重々しく口を開いた。杖を突きながら、マキュージオとセロドアの間に立つ。
『マキュージオ殿は、悪霊にその心を奪われ、ヌールを奪う計画を目論んでおりました』
『…!マキュージオが……そのようなことをするわけがない。…マキュージオは』
 フェルマールはセロドアの言葉に深く頷き、
『その通りです。彼は尊く、まことの忠誠を持った騎士です。…が、悪霊には勝てなかった。あのまま野放しにしておけば、何をするかわかりません。悪霊の力に操られ、陛下の他の忠臣や……お母上、ダミアロス王、そして陛下のお命まで奪っていたかも』
『…でたらめを申すな』
『陛下。彼の様子をご覧なさい。…かつての彼は見る影もありません。悪霊は、自分の望みが果たせないので、彼の心と体を喰らい尽くしてしまう気なのです。このままでは、彼は死に、魂は地獄を彷徨うでしょう』
『……』
 セロドアは、フェルマールの言葉に衝撃を受けたように硬直した。
『しかし、解決はできます。私は賢者として、あらゆる書物に眼を通し、失われた秘術で悪霊との交信に成功しました。…悪霊は、ただひとつの条件とひきかえに、マキュージオを解放すると、約束しました』
『それは……なんだ』
 セロドアは詰め寄った。が、フェルマールは勿体ぶるように言葉を濁らせる。
 陰で、キリルが声を殺して笑っていた。
『…悪霊が去れば、マキュージオはこの部屋から出られるのだろう…?……ならばそれをすぐに実行せよ。フェルマール!』
 セロドアは声を張り上げた。
 マキュージオは、意識を失ったように体をぐったりさせ、荒い呼吸を繰り返しながらも、フェルマールの様子を窺った。
 フェルマールは、ようやく口を開いた。
『それには…陛下のお力が必要です』
『……私が?』
『陛下でなければ、出来ないことです……が、非常に申し上げにくい。……このマキュージオを、陛下が思うお気持ちはよくわかります。しかし私は、このことを申し上げる前に、確かめたい。…陛下。陛下は一介の騎士のために、その身を全て投じるお覚悟はありますか。……たとえ、そのお体とお心が傷つけられ、死に等しい屈辱を伴うとしても…?』
 フェルマールの眼差しに、セロドアは苛立ちを抑えることが出来ず、
『…くどい。……マキュージオは、私の忠臣だ。しかし…それ以上にかけがえのない、友だ。友を救うためなら、私は命も惜しくない。……さあ、申せ。私に何をしろというのだ。……そのような悪霊、私が…退治してくれる』
 フェルマールは、また黙り込んだ。そして、禁断症に喘ぐマキュージオに近寄る。不気味な緑色の眼が、マキュージオを正面から見据えた。
『陛下のお気持ち、しかと受け止めました。……では、お話しましょう。───────このマキュージオに憑いているのは、陛下の兄上インガルド様であらせられます』
『!!!』
 セロドアの顔に、言いようのない衝撃が走る。かすかに震えだし、忘れかけていたおぞましい記憶が、セロドアの中を駆けめぐるのが、見てとれた。
『インガルド様は、何かとても重大なこころざしのなかばで死なれました。───────が、その執念のため、未だ魂はこの世を彷徨っておられます。何か、死に際に、成そうとして成せなかったことがあるのです。それを、いつまでも繰り返し呟いておいでです。…弟君のあなたなら、わかるでしょう。───────インガルド様の果たせなかった望み。それを叶えて差し上げれば、インガルド様の不遇の魂は浄化され、天国へいくことができます。無論、マキュージオも救われる…』
 セロドアは、わなわなと全身を震わせていた。その眼は怯え、立っているのがやっとの様子だった。
業星の騎士