『──────あのように激しい……一夜のこととはいえ、さぞや未だお苦しみなのではないですか』
 フェルマールの手が、肩から下へ滑り落ちる。
『何をする』
 セロドアは低い声で制した。
『私は医者です…苦しい戦況下、こうした陛下の隠された苦しみをわかる者がいないのは、おつらいでしょう』
 フェルマールの手が、セロドアの手首をきつく掴んだ。セロドアは身をひいたが、振りほどくことはできなかった。
 椅子を蹴り倒し、立ち上がる。その瞬間、握られた手首ごと引き寄せられた。
『離せ!』
 怒鳴り、フェルマールを見返した。そこで、はっとなる。白髪に覆われた間からのぞく両の目が、緑色に光っていた。
 セロドアが怯んだ隙に、手首ごと体を宙に持ち上げられる。もはや老人とは思えぬ力だった。
『ぐぁぁ…っ』
 腕が引き抜かれるような痛みに、セロドアは呻いた。その様子を、フェルマールは心底愉しげに笑った。
『このようにか弱くして、一国の王が務まりますかな…?────』
 セロドアは苦悶に顔を歪めながら、薄目を開けた。
 フェルマールは杖を引き寄せると、呪いの言葉を呟き、地面をトン、と小突いた。
 天幕の床には絨毯が敷かれてはいたが、セロドアの足元部分は土の地面であった。 フェルマールのまじないに反応した土の表面がぐずぐず、と盛り上がる。次の瞬間そこから、どす黒くぬめりを帯びた大きな───植物の芽が生えてきた。
『……!!』
 まるで菌類のようなそれは、ミミズのような、蛇のような怪しい動きを醸しながらするするとあっという間にセロドアの膝あたりにまで延びる。その様子に驚いて目を剥くと、その一本の妖物の周辺から、次々と同じものが芽吹き、はびこっていく。
 そうして、やがてセロドアの足元を包むように密集し、丸く張り詰めた表面をどろりとした露に包まれて、セロドアを見上げた。セロドアが呆然と目を奪われていると、ぎり、と手首を掴まれる力が強くなる。フェルマールを見た。
『…なんの、っ……真似だ…』
『国が滅びるかも知れぬ、一刻を争うこのときに、あなたがお気に掛けるのはたったひとりの男。…これではとてもリラダンに勝てますまい。それとも、いっそ滅びてしまえばよいと思うておられるのか?』
『!…っ、うああっ』
 セロドアの両足に強烈な痺れが走り、容赦のない拘束が加わる。見れば、足元の妖物が大蛇の胴のような太い管を伸ばし、セロドアの足に絡み付いていた。逃れる隙もなく、腿に絡みつきながら、さらに上半身へ延びていくのを見て、
(なんだ、これは!!!)
 逃れようと、必死でもがいた。が、妖物は驚くべき速さで胴に、胸に、そして両腕に巻きつく。最後に首に巻きついた一本の妖物が、セロドアの口元で静止した。
『ひ──────』
 巻きついた管が、体中の肉を締め付けると、セロドアは恐怖で声を失った。
『あの男のことは、忘れなされ』
 フェルマールはいつの間にか遠くに身をひいていた。
『貴様…ッ、……何をする…つもりだ……ひ、あああっ!』
 体中に纏わりついた妖物がわさわさと騒ぎ出す。
 袖口や首、耳など、肌の露出した部分に一斉に熱い露をすりつけはじめた。悪臭と、気味の悪い生温かさが皮膚に染み込んでくる。そのうち、服の隙間から内部に潜り込み、露をなすりつけるものも現れた。
 抵抗して逃れようにも、妖物の管がぎりぎりと体を締め付け、骨をきしませる。ふと、足元が軽くなった。
『あっ──』
 足首に巻きついた管が体を持ち上げ、宙に浮いた。
 そして──────その後を追うように、また新たな妖物の幼生が地面からおびただしく顔を出した。
 しゅるしゅると音を立ててセロドアに襲い掛かると、四肢を空中で寝かせるように持ち上げる。
 フェルマールが近づいてくる。
『………』
 妖物はセロドアの全身をその不気味な管で覆い尽くしていた。
(フェルマール。貴様は一体…)
 セロドアがようやく言葉を発する余裕を感じた時、ふと視界が翳った。目前に、妖物の頭があった。
 粘液を帯びた丸い先端は、蛆虫のように無表情だったが、中央に小さな蕾のような口があった。そこがわずかに膨らみ、セロドアが息を呑んだ瞬間、びゅっ、と熱い液体を吐き出した。
最後の王