デュラハン
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 目を覚ますとそこは、囚われていた地下でも、城の礼拝堂でもなかった。
 ヌールの宮殿かどうかも判断し難い、暗く冷たい石の部屋だった。
 セロドアはやはり石でできた手術台に寝かされ、身動きできぬよう枷と鎖で拘束されていた。喉の奥の鈍痛と、口に押し込められた包帯に気がつく。化膿止めの塗薬の、痺れるような苦味が口の中に拡がる。
 舌を抜かれるのは、思想犯に対する刑罰であった。手当てがしてある事実が、セロドアを絶望させる。
(なぜ、殺さぬ)
 不自由な首をもたげて目を凝らすと、正面に鉄の扉があった。おもむろに開き、黒ローブの人々がそろそろと入ってくる。彼らが再びセロドアの周りに並ぶと、最後にフェルマールの姿が現れた。静まり返った闇の空間に、フェルマールの杖の音が響く。セロドアは、近づいてくるフェルマールの顔を凝視した。
『──────まだ生きている。そう思っておられるところでしょう』
 フェルマールは言った。その声はやけに響き渡り、心臓を握りつぶすような恐怖をひそめていた。
『死刑よりも、ずっと相応しい役目をあなたに与えることにしました。アルヴァロン全土を破壊した罪人に、死の裁きはあまりにも軽すぎる。──────多くの人々が味わった痛み、恨み、憎しみ、苦しみ、悲しみ、恐怖、疑い、不安、絶望。すべてを背負い、その身にとどめ、決して解放されることのない、永遠の生の道を、彷徨い続けるがよい』
 その言葉の意味をセロドアが把握しないうちに、それまでただじっと沈黙していた黒装束の人々が動き始めた。凍るような指先がセロドアの顔に触れる。抵抗したが、口の包帯を外され、恐怖で硬直してしまった。喉に押し込められていた布の塊が抜かれると、切られた部分からみるみる血が滲んでくる。
 傷が空気に触れると、おぼろげだった痛みが激痛に変わった。
『ウ…!』
 口の中に水薬が流し込まれる。
『アアアーッ』
 薬液が傷に触れる衝撃で、セロドアの体は跳ね上がった。そして、次の瞬間訪れる麻痺。全身が弛緩し、たちまち酩酊のような眠りがセロドアの意識を包み込んでいった。

 セロドアはその後幾日かをその忌まわしい部屋で過ごすことになる。
 目を覚ましたのは数回か、もしくは数十回か、しまいには記憶することすらできなくなっていたが、目を覚ますたびに己の体の変化を知った。
 ある時は、目がまったく見えず、またある時は耳が聞こえなかった。
 息をすることができなくなって目を開けた時は、自分の体中に金属で出来た管が無数に刺し込まれていた。体内の血液と臓物が根こそぎ抜かれていくような激痛が数日続き、全身の皮膚が火傷のように爛れていた時もあった。
 両腕がなくなっていることに気がついた翌日、自分の体の一部とは思えない隆々とした筋肉質の腕が再生していたが、かわりに今度は両足がなかった。
 助けを呼ぼうにも、舌のない口ではかなわず、また度々飲まされるあやしい水薬で喉は爛れ、かすかな呻きすら発することができなくなってしまっていた。
 止まらぬ悪夢の恐怖と全身の激痛を解放するのは、麻薬がもたらす眠りだけであった。
 そしてその麻薬は、やがてセロドアの心をすっかり蝕んで、破壊した。

 やがて部屋を出る日。体の鎖がすべて外されると、自力で立つように命じられた。セロドアの自我はすっかり破壊され、もはや自分の名前もわからなかった。朦朧とした頭で上半身を起こし、片足を地面に降ろす。背筋をのばし、両足を地に着くと、眩暈がして、吐き気がせり上がったが、すぐにおさまった。
 小柄な黒装束の集団に誘導され、鉄の扉を出ると、その向こうは広々とした円形の部屋だった。その中央に、巨大な体躯の甲冑が大剣と盾を携えており、緑衣の老人が立っていた。────確かに見覚えのある顔だったが、それが誰であったかは、思い出せなかった。
 そなたの姿を見せてやろう。
 老人は言うと、二人の黒装束が大鏡を抱えてきて、自分の前に置いた。
 自分の姿を見た。
 異形の姿がそこに映っていた。
 毛髪がなく、眉も抜けており、頭から顔にかけ、縫合の傷がところどころに見えた。肌には醜い水疱が広がり、唇は黒く爛れ、鼻はつぶれていた。目は瞼がなかった。まるで墓から掘り起こされた死人のようだったが、首から下の肉体は、奇妙なほどに盛り上がった筋肉に包まれ、やはり数箇所に渡って縫合の傷跡が残っていた。
『………』
 無言で、己の姿を見つめた。何も感じなかった。
 黒装束が周りに集まってきて、甲冑を身につけさせはじめた。
 胸当てを固定され、その上から螺子(ねじ)を肉ごと打ち込まれ、締められる。
 痛みは感じなかった。
 やがて全身に甲冑が装着され、最後に鉄の仮面をつけられたが、それも頭部に螺子で固定された。
 抜き身の剣を握らされ、手の甲からこれも螺子で固定される。
 羽毛のように軽い剣だった。
 軽く、空(くう)を薙ぐ。
 すると突風が起こり、その場を囲んでいた黒装束たちは壁に身をたたきつけ、転がった。
 目の前に倒れたひとりが口から血を流して絶命する様子を、ぼんやりと眺めた。
 そこへ、老人が歩み寄ってきた。
『そなたの名は、デュラハン。古き伝説の首なしの騎士の名じゃ。この世の終わりに現われ、破滅の角笛を響かせる、黄泉よりいでし恐怖の王。その体に流れるは数百種の病原菌を集めた毒の血。ゆえにそなたは一切の痛みを感じぬ。……巨人の力を持つ四肢は呪われた死刑囚のもの。疲れ、飢え、渇き、そして死さえもそなたの害ではない。そなたに触れた者はたちまち毒に侵されて死ぬであろう。──────ゆくがよい。血に飢えたそなたを戦場が待っておる』