恐怖が、狂気となっていた。
 恐るべき無敵の騎士デュラハンの前に、緑の連合軍はついに切り札である聖エーテルを軍隊に投与した。
 狂戦士となった連合軍は理性を失い、攻撃を受け瀕死となってもなお襲い掛かってくる彼らを前に、国王軍はふたたび陣営地に退くこととなった。退避も困難な状況になり、やむなく投降するも、狂戦士の前ではもはや通用しなかった。負傷兵を集めた天幕に火が放たれ、生きたまま焼かれる人々の絶叫が暗い空に響き渡った。国王軍の数はいよいよ少数になり、狂戦士たちは数人掛りで一人の国王軍の兵士を切り刻み始めた。
 おそろしい絶叫があちこちで重なり、空を轟かせた。
 混乱はやがて地獄のような展開を招き、狂戦士たちは殺戮に狂うあまり、味方に刃を向けるようになった。正気の兵士までもが倒され、味方から逃げだす事態となった。
 その一方、国王軍のジラザーン伯爵はようやく駆けつけた息子ジアコルドの小隊に救われ、その場を脱出することに成功した。アーシュラスも数人の部下とともに退陣した。こうして、聖エーテル大戦は、国王軍の全滅と敵の退避によって引き起こされた緑の連合軍の味方同士の虐殺を最後に、幕を閉じた。>

 ──────セヴェリエの視界が急に明るくなり、広大な平原が拡がっていった。
彼方の空は暗く、禍々しい様子を漂わせている。そこを目指し、一頭の馬が駆けていくのを見つけた。
急を要しているのが、地に打たれる蹄の音から伝わってくる。風に煽られる漆黒の髪。精悍な双眸は空の色より深い。
(マキュージオ)
 セヴェリエが呟くと、アルスがその姿を現した。
『マキュージオがエリクシールの中毒を奇跡的に回復し北の山を抜け出した時、ヌールの王都はすでにデュラハンの手によって破壊された後だった。マキュージオはフェルマールを探し出し、セロドアのことを知った後フェルマールを殺し……戦場へ向かったというわけだ』
 セヴェリエはアルスに振り返った。
『──────フェルマールは…一体何者なのです』
 アルスは暫し沈黙した後、答えた。
『それは後で話してやろう』

 マキュージオが進む先、平原の向こうに、少数の集団が現れた。味方だとすぐに勘付いたマキュージオは馬の速度を緩め、近づいた。
──────アーシュラス。
 シャンドランの王子アーシュラスは、マキュージオを確認すると、疲弊した顔に笑顔を見せた。その表情は言葉に尽くせぬ思いを語っていた。
 謀反人として投獄されたマキュージオを、ひそかに信じ続けていたことの証であった。
 マキュージオは、彼らの傷ついた鎧や砕けた武器、返り血を浴びた旗から、しばらく遠のいていた戦場の様子を知った。
『マキュージオ。よくぞ戻ってきた。しかし、見ての通り全滅だ。セロドア王はとうとう戻らず、ジラザーン達も逃げた。戦場にはもう…生存者は残っていない。敵もあの魔薬によってやがて自滅する』
『ディアベリは──────』
『……死んだ。ダーイェンが裏切って、恐ろしい化け物を送り込んできたのだ。誰もかなうことができない…ディアベリだけでなく、多くの国王軍が奴の餌食になった』
 語るアーシュラスの目をそらすように、マキュージオは遠方に目を向けた。
『我々はこれから西に戻り、父とともにロトとの戦いに赴く。──────マキュージオ。我々と一緒に来てくれ。お前の力を貸してほしい』
 マキュージオは目を伏せた。そして、アーシュラスに向き直った。
『必ずいく。しかし──────行かねばならん』
 マキュージオはアーシュラスの肩に手を置くと、馬の手綱を握った。
『いくらお前でも、殺されるぞ。─────ヌールに戻って、陛下をお守りしろ』
 マキュージオは振り返った。しかし、言うべき言葉は見つからなかった。さらばだ。それだけ告げると、マキュージオはふたたび馬を走らせた。
『マキュージオ。私は待っているぞ』
 遠ざかって聞こえるアーシュラスの声が、マキュージオの胸の奥を締め付けた。
デュラハン