デュラハンは鉄の兜を被った巨大な馬に跨り、闇の中を駆け抜けた。地を蹴り、風を起こし、野山を抜ける。通り過ぎる景色の中で、ヌールの宮殿が業火に包まれていた。
 王都の道が、人々のおびただしい血で染まっていた。
 目の前を、沢山の人間が走って逃げる。泣き叫び、自分を指差して鬼だと罵る。女が子どもを抱え、命乞いする。武器をもった人間が、飛び掛ってくる。
 デュラハンは、ただ馬を走らせた。目に映るすべてのものを、避けるでもなく、ただ真っ直ぐに走った。そうして暗い朝を迎える頃、デュラハンは丘の上からその下に広がる光景を見下ろした。
 四本の剣の紋章を掲げた陣営地。
 デュラハンは腰に下げたまだらの角笛を取り上げ、吹き鳴らした。その響きは雷を呼び、風雨を呼び、白みかけた空を赤黒い闇に包み込んだ。陣営地がにわかに騒ぎ出す。
 デュラハンは角笛を吹き続けた。角笛の音は遠く、東の地へ届く。──────戦いが始まる。
 デュラハンは角笛を吹き鳴らしながら、ふたたび馬を駆った。
 
 おそろしい角笛の音に紛れて、セヴェリエの耳にリュートが聞こえてきた。
(アルス)
 幻覚の世界で、顔を上げた。辺り一面が闇と化していた。アルスの声がリュートの調べに運ばれてきた。

<…その日、不気味な色の空の下、緑の連合軍は国王軍の陣営に奇襲をかけた。
国王軍はダミアロスの末期を見届けるためにヌールへ帰還したセロドア王の帰りを待っていたが、陣営に残るジラザーン伯爵、ディアベリ騎士団長、アーシュラス王子の三人はすぐさま各自の軍に戦闘体制をとらせた。
 緑の連合軍は半数以上を歩兵が占め、騎馬隊は全体の二割ほどであったが、長槍の部隊を始め、巨大なボウガンや火薬をつめた巨石の投擲など、多様な攻撃体制を備えていた。
 彼らの中に鉄の鎧を身に着ける者はなく、殆どの兵士の装備が軽量の帷子や皮の鎧で、紋章がないかわりに深緑の布を頭や身体に巻きつけているのが特徴だった。
 付け焼刃の訓練を受けた、民兵軍である。人数は国王軍の倍以上だったが、彼らの戦い方は飛び道具的な武器に頼りすぎるところがあり、接近戦となると国王軍が優位に立つことができた。が、国王軍はいまや人力、戦力ともに無勢である。あっというまに陣営地が戦場と化し、国王軍は絶体絶命の危機を迎えた。火の手があがり、矢の雨はますます激しく降り注いだ。誰もが、死を覚悟した。
 しかしその時だった。 国王軍の目の前に、突如数十騎の軍勢が立ちはだかり、襲いかかる緑の連合軍を打ち倒した。
 白に近い銀色の全身装甲に、月の紋章。駿馬に跨ったダーイェンの精鋭たちだった。彼らはさっそうとした動きで緑の連合軍をかく乱し、国王軍を窮地から救った。
 起死回生のさなかで敵軍が掃討されていく。しかし──────ダーイェンの大将が姿を現した瞬間、戦場に緊張が走った。
 その姿は、顔を不気味な鉄の仮面で覆った異形の騎士であった。他のダーイェンの騎士とは違い、彼の甲冑は黒く、全身にまだらのような紋様が施されているのだが、それはまるで絡み合った蛇の大群のようで、気味の悪い装飾だった。その手に握られた巨大な剣には、生々しい血糊がこびり付き、なお飢えているかのように刃をぎらつかせている。
 さすがのジラザーン伯爵も、怯むほどの禍々しさであった。
 騎士がのっそりとした動作で軍勢の先頭にたつと、敵軍は一度に襲い掛かってきた。
 千本の槍の先が、馬上にたたずむ大将の全身を貫かんと投げつけられた。が、仮面の騎士が手に巨大な剣を振るうと、たちまち突風が起こり、矢の雨を弾き返し、刃を粉砕し、愕然とする連合軍の兵士の首と四肢を刃ではねてしまった。
切り刻まれた手足が血を吹きながら宙を舞う。連合軍に恐怖の叫びがあがる中、騎士はそれらに構うことなく、前進した。
国王軍の大将達はその容赦のなさに戦慄した。 ──────悪鬼。
 その背後に向かってジラザーンが呟いた。
 援軍によって、緑の連合軍を後退させることはできたものの、進むにつれ、連合軍の数はますます膨れ上がった。
 もはや本隊・分隊の区別はなく、国王軍は混雑する戦場で散り散りになって戦いを続けていた。ダーイェンの負傷者・死者も現れ、まだ生きていた国王軍の大将たちはやむなく退避と投降を呼びかけ始めた。
 そんな中で、ダーイェンの大将デュラハンはただ一人、大勢の連合軍と戦っていた。──────緑の連合軍の何者も、デュラハンには歯が立たなかった。ただその前に横切っただけで、デュラハンの餌食となって、死あるのみであった。
反撃は絶えず、またデュラハンの全身に命中していたが、それでもデュラハンは倒れず、むしろいきいきとして、槍や剣の攻撃を受けながら、殺戮を続けた。次第に、デュラハンの前を阻むものは誰もいなくなった。血の海に立つ異形の騎士に、人々は心底恐怖した。
 デュラハンは突撃を開始した。逃げ惑う歩兵を追い回し、倒れる頭を踏み潰す。その前を、ふと騎士の姿が横切った。
 構わず、剣を振るった。
──────ガキッ!
 剣が振り下ろされる瞬間、何者かが横合いから剣を交えてきた。火花が飛び、下から突き上げられる。見れば、ヌールの騎士団長ディアベリだった。
『あれは味方ですぞ』
 大剣のあまりの重みに、眉根と口元を震わせながらディアベリは言った。デュラハンは剣をひいた。ディアベリはほっと息をつき、自分も剣をおさめた。かしその瞬間、デュラハンは大剣をディアベリに向かって振り下ろしていた。
 ディアベリの体は馬に乗ったまま横に倒れ、地面に落下した。額から流れた血が、彼の視界を赤く染めた。
『陛下』
 命が消えていく中で、ディアベリはうめいた。視界はどんどんぼやけていったが、彼は最後に見た。
 ダーイェンの兵が、国王軍の兵を斬っていた。
デュラハン