シンディエは暫く沈黙していた。ハザはシンディエの意見を促すでもなく、ただ呆然としていた。二人が黙ると、森の中は静かだった。海市館はもうすぐ先だったが、異変がわかるほどの距離ではない。が、頬を撫でる風の中に、不穏な気配をわずかだが含んでいた。
『───本当に、そう思っているのか?』
 ようやく、シンディエが口を開いた。ハザは鈍く反応し、シンディエを見た。『何だと…』
『俺は、ハザを信じてる。ハザは、何も間違っていない。それに………』
 シンディエの言葉に、ハザは驚いた。シンディエは言葉を続けた。
『エンデニールは……俺達を心底恨んでいないと思う』
『馬鹿な』
 ハザは呆れたように吐き捨てた。
『ハザ。海市館の書物を読んだことはあるか?』
『……』
 ハザは首を振った。
『ブレイムに、字を教えてほしいと言われたんだ。その時に……史書の間で、俺は見た。アルヴァロンの歴史と、オエセルの話だ。それを書いたのは、エンデニールと、エンデニールの兄弟だったよ………エンデニール達は本当に、人間とエルフの為に力を尽くして来たんだ。でも、何度も裏切られて…それでも、ずっと人間の味方だった』
『……それを、俺は陵辱したんだ!』
 ハザは己の声が震えているのを感じた。『助けたところで、今更侘びをしろと?驕りだ……それこそ、エンデニールにさらに屈辱を与えるようなものだ』
『エンデニールが、俺達にあんなことをされて、何も思っていないとは、言ってない。俺はただ…考えたんだ。エンデニールは、どうしていつまでもあの森に、人間の世界に残ったのか。エルフ達にとって、人間と住むことは絶対に得じゃない。なのに。それに…エンデニールはどうして今まで一度も逃げようとしなかっただろう?最初は、俺達が部屋に閉じ込めた。でも今は、自由に出歩いている。それでも、海市館からは絶対に出て行こうとしない。それは、何故だと思う?』
『……シンディエ』
シンディエの大きな瞳が、強く光っていた。
『───ハザ。エンデニールには、どんなに傷付けられても、どんなに酷く犯されても…壊すことができない、決心があるんだ。それは何か、俺にはわからないけど…でも、エンデニールを、あのエルフ達の好きにさせちゃいけない───』
『お前は……いつの間に……そんな事を……』
 ハザの脳裏に様々な記憶が蘇る。疑問を残したまま、置き去りにされていた思いが、連鎖していく。
 シンディエの顔を見た。真っ直ぐに、自分を見返していた。ハザの心を見通すような眼差しだった。ハザは、自分がどれだけ長いこと、仲間の目を逸らし続けて来たかを、知った。
『俺は……』
 愚かだ。ハザは自身を呪った。手綱を、握り締めた。目を閉じ、闇の中に己の望みを描いた。
 ドリゴンを、取り戻す───可能性の計り知れない、しかし、譲り難い、望み。同じものを、見ているのだ。シンディエも、他の仲間達も。そして、エンデニールも。精神を、肉体を、引き裂かれてもなお、縋りついている。どんな姿へ変わり果てようと、その内には不変の信念があったのだ。強い────と思った。
 そして一時でも躊躇し、諦めた自分は、弱いと思った。エンデニールは、敵ではない。敵ではない者を見殺しにするのは、臆病者だ。俺は、そうではない。
『───行こう』
 ハザは海市館へ目を向けた。
『エンデニールを助ける』
 そして再び、馬を駆け出した。

 ねっとりとした唾液を含んだ舌に頬を撫でられ、息を吹きかけられて、エンデニールは手放していた意識を取り戻した。それと同時に蘇る、体の内側を破壊する痛みに、嗄れた喉が叫びを上げた。口内に、血が溜まっている。
 エンデニールはやっとの思いで薄目を開けた。
(レムディン)
 かつてその名だった者は、土黒の表皮に覆われた醜い豚のような顔面から涎を垂れ流しながら、エンデニールを犯していた。腰を片手で抱え上げられ、宙に抱き上げた体勢で、身が裂けるほど太く硬質な、刃のような男根をその身に受けていた。内壁はズタズタにされ、とめどなく流れる血が、抜き差す動作を助けていた。突かれる度、体は跳ね上がり、内臓が揺さぶられる。嘔吐と眩暈が繰り返されるが、貫かれる痛みはエンデニールが気を失うことを許さなかった。
 しかし、もはやそれも限界だった。麻痺を始めた体から、エンデニールは死を悟った。
『───観念したか。エンデニール』
 その時、地の底から轟くような声で、レムディンが囁いた。揺さぶりが止まり、顎を掴まれる。エンデニールは止まりかけた呼吸を、手繰り寄せた。弱弱しくわずかな酸素を吸い、深く吐き出す。搾り出した声は、声になってはいなかった。
『……あ…われ……だ……』
 獣の目の奥を見つめ、エンデニールは唇を歪めた。下半身には既に、感覚はなかった。血が蠢く音が、遠く感じる。腿の内側を血が流れ、落ちていくのがわかった。
『──何?』
 エンデニールの言葉が聞こえなかったのか、レムディンは顔を近づけてきた。
『今、何と?』
『……エルフの血に阿諛する余りに……人間と同等……否、それ以下……に、染まるか……憐れだ……』
『貴様…!!』
 レムディンの形相がみるみる烈火のように変化した。エンデニールの首を掴み、握り潰さんと力を込める。そして首の骨が折れる寸前で、力を緩めた。そして急に、エンデニールの体を引き離す。首を片手で掴んだまま、ぞぶり、と男根をエンデニールの中から引き抜いた。そしてそのまま、血に塗れたエンデニールの体を床に叩きつける。エンデニールはうつ伏せに倒れこみ、起き上がる力もなく、立ちはだかるレムディンの声を聞いた。
賢者の死