『それほどまでに…お前は……命と引き換えても、逆らうというのか?』
『………』
『────ならば』地面が揺れ、レムディンが動いた。レイピアを手にする。エンデニールはうつ伏せたまま、見上げた。獣の顔が、笑っていた。レイピアの切っ先が、エンデニールに向けられる。
『お前が固執する人間どもを全て、抹殺してやる』
割鐘のような声でレムディンは言うと、巨体を揺すり、地響きをさせながら歩き出した。『まずはこの館の人間からだ───』
──セヴェリエ。
 エンデニールは渾身の力で顔を上げ、叫んだ。
『───やめろ、レムディン!』
 しかしレムディンは振り返らず、足音は遠ざかっていく。エンデニールは動くことが出来ず、拳を握り締めた。
(……逃げろ………)
 レムディンは史書の間を過ぎ、やがて階段を上りはじめた。昇っていくレムディンの周囲を、ウィンダリエの影が纏わりつく。ミスリルの魔力で、精霊はレムディンに触れることができない。
 そうしているうちに、レムディンはとうとう三階へ辿り着いた。
 正面に開け放たれたままの扉があった。しかしそちらには目をくれず、レムディンは右手の廊下へ進んだ。常人には見えぬ結界が、張り巡らされている。柳の枝が床から壁、天井にはびこり、一つの扉を守っていた。
 レムディンがそこへ一歩進むと、枝が足に絡みつき、絞めてきた。が、次の歩みを進める頃には、たちまち枯れ、灰になって消えた。それでも枝は次々にレムディンに襲い掛かった。
『小賢しい真似を』
  肩に掛かる灰を見て、レムディンは吐き捨てた。そして幾千もの柳の枝に覆われた扉の前に立った。
  手を延ばすと、柳の枝が一斉に巻きついた。そして締め付ける寸前で、灰に変わった。
  中に居るのが、一体誰なのか。レムディンが考えを及ぼすことはなかった。ただ、殺すのみだった。
  そして、扉が開いた。

『今、何か聞こえた』
 柳の木の陰に潜んで、じっと耳を澄ましていたカイエスは、背後を振り返った。そこには弟のジヴラールが身を潜めていたが、カイエスの声に反応する気配はなかった。膝を抱えた体勢で、俯いている。
『ジヴ!』
 カイエスはジヴラールの頭を小突いた。『居眠りするなよ。お前は』
 するとジヴラールは不服そうに顔を上げた。同じ背丈、同じ髪の色だったが、兄のカイエスに比べてジヴラールはおっとりした性分だった。カイエスは呆れながら、ジヴラールの腕を引き上げ、耳を澄ますように促した。
『───何も聞こえないよ』
『黙って聞いてろ』

 ハザ達が苔穴に向かって暫くして、ラウール達が苔穴に現れた。その時苔穴に残っていたのが、シンディエと、カイエス、ジヴラールの三人だった。ハザがラウール達にはボルカシアの事を隠していることは三人とも知っていた。が、事態を察したシンディエが、知る限りの事情を全て話したのだ。騎士達は驚いたが、すぐにボルカシアの身を案じ、自分達も王の墓へ向かうことを望んだ。そうして、山賊の少年三人は、ラウール達と共に王の墓を目指したのだった。
 ところがその途中───誤って持っていた松明の火を消し、隊列から置き去りにされたジヴラールを捜していたカイエスは、海市館の方へ去っていく人影を目撃したのだった。夜の闇でも輝いて見える金髪を見て、カイエスは正体を確信した。シンディエ達の所に戻ったカイエスは、すぐに皆に伝えようとした。しかし、報告が終わらぬうちに、ラウールに遮られた。
『それが、どうした?』
 カイエスの背より随分高いところから、ラウールは怪訝そうに言い放った。同じ大柄でも、ハザとは横幅も違い、貫禄がある。その背後に並ぶ騎士達も同様の顔をしていた。今、我々には急を要する目的があるというのに───言葉で聞かずとも、カイエスは打ちのめされた気持ちになった。ラウール達は何事もなかったように再び歩き出した。
傍らで見ていたジヴラールが、カイエスの肩を掴む。そして小声で言った。
『行こう』
『でも、館には他にも人がいる。ゾルグの仲間が』
 カイエスは叫んだ。最後尾を歩いていた騎士が振り返った。
『今はボルカシアの無事が最優先だ。助けてやりたくても、人手が足りぬ。気の毒だが』
『───そんな。それでもあなた方は…!』
 ドリゴンの騎士なのか、と叫ぶカイエスの口を、ジヴラールの手が覆った。
『カイエス!馬鹿』
 騎士は立ち止まって、低い、厳しい口調で言った。
『今は、お前達を責めぬ。だが、こうなったのは全て、お前達が浅はかだった為だ。ボルカス殿の身に何かあれば、我らも子供の身分を容赦することはせぬ。忘れるな───』
『………』
 騎士はそれだけ言うと、もう振り返ることはなかった。
『この先だ。真っ直ぐ進めば、王の墓の入り口に出る』
 先頭を歩いていたシンディエが振り返ると、騎士達は抜刀した。
 それぞれの目に、士気が宿る。ラウールが前に進み出た。
『案内、ご苦労。お前達は苔穴へ戻れ。』
 シンディエは頷き、カイエス達を促した。
『参るぞ、皆。いざ我らの希望を救わん』
 ラウールの言葉を背中で聞きながら、三人は走った。全員が無言だった。無言で、藪を抜けた。走り続け、ようやく立ち止まる。辿り着いたのは、柳森だった。三人は、顔を見合わせ、声もなく笑った。
賢者の死