あれは聖エーテル大戦が終結した年のこと。
 東の地の王都ドリゴンが大商人リラダンに征服され、王侯貴族達はリラダンからの抹殺の手を逃れ都を捨て、南の地へ難民としてやってきた。もともと、南のオエセル家と東のドリゴン家は友好関係にあったためである。
 ところがほどなくして、南の民と難民との間で領地争いが起こり、ついに戦争へと発展した。
 東の王は先の四王家の戦中に病死、当時東の軍の指揮をとっていたのは、好戦的なジラザーン将軍とその子ジアコルドであった。彼らは別の戦場から引き上げてきて、東の都に戻れないと判断するや、難民達を救うために南の戦場へやってきた。 戦局は途端に激しくなり、情け容赦のない東の軍勢は、南の軍をたちまち窮地に追いやった。そこで南の軍は、樹海のエルフ族に救いを求めた。オエセル家に代々仕えるリンク家が指揮をとり、およそ数百のエルフの軍勢が、南の軍に加勢することになった。
 そして南の軍は、東の軍を撃退した。
 しかし、魔法に卓越しながらもエルフ族は人より虚弱であったため、戦で多くのエルフが命を落としてしまった。エンデニールの一族も、同様であった。そして、その悲しみにくれる間もなく、東の軍が去った後、南の地に残された難民たちと南の地との間の和解のため、エンデニールが奔走することとなった。
 ところが南へやってくる難民はその後も増え続け、食料や水場・住処をめぐり、南の地の民との争いは絶え間なく起こったのである。そうして終いには、エンデニールに対して反抗する者まで出てくるという始末で、事態は追いつけない速さで悪化し、それは誰にも止められなくなってしまった。エンデニールの力がついに及ばなくなったのだ。
 裏切られ、さらに罪の濡れ衣を着せられ、エンデニールはとうとう人々の前から姿を消し、海市館に閉じこもってしまった。

───ハザと会ったのは、ちょうどその時期であった。柳森と知らずに入り込んだのか、衰弱して森の中に倒れていたのを、 エンデニールは気まぐれに助けた。館に連れ帰り、数日間回復するまで面倒をみた。ハザの難民の子ゆえに受けた迫害と素性に、エンデニールは情をかけた。そしてハザが十分に回復すると、館から送り出して以後、柳森の結界を解いた。
 ハザがいつ訪ねてきても良いようにという配慮であった。
 しかし、それが後に永遠の悪夢を引き起こすのである。
 それから二日と経たぬ内、ハザは再び海市館に姿を現した。それも、十人ほどの手下を引き連れて。
 ハザの正体が当時南の領民を脅かしていた極悪非道の山賊の首領だと、エンデニールが知ったのはその瞬間だった。

『一体どういうつもりだ、ハザ!』
 エンデニールは叫ぶ。そこは海市館の一階の奥にある、広間であった。館に突然侵入してきた賊に、エンデニールは両側から腕を抑えられている。そのぐるりを残りの手下が囲み、中央にハザが佇んでいた。三白眼を細め、不敵に笑う。
『さあな』
 エンデニールは、自分を囲む面々を見回した。皆、年端もいかぬ少年ばかりだった。しかしその顔つきは、悪鬼さながらに理性をなくし、まるで卑しい獣のようだった。
『こんな事をして、ただで済むと思うな…』
 エンデニールは拘束されたまま、精霊語を唱え始めた。唇が動き、空気の中に言霊が送り出される。しかし。
 いつまで待っても、精霊たちの反応はなかった。エンデニールは焦り、顔が蒼白になっていった。精霊語を唱える唇の動きがとまる。
『なぜだ』
 エンデニールは茫然と呻く。それを見て、ハザは高らかに笑った。つられて少年達も笑い出した。笑いながら、ハザは自分の服の胸元をはだけて見せた。白銀色に輝く帷子がのぞく。魔封じの文句を縫いつけた、ミスリル銀であった。
『それは……』
 エンデニールは目を剥いた。それは、エルフ族の郷にしかない、魔法封じの帷子であった。それも、近年作られたものではない。太古の昔、先達のエルフ達が使い、その後は宝物として樹海の祠にまつってあるはずの品だった。それを。
『盗んだのか…』
 不適に笑う山賊たちを目の前にして、エンデニールの顔面がたちまちに激しい怒りに染まった。
『貴様…!』
 渾身の力を込め、エンデニールはもがきだした。目の前のハザに掴みかかる勢いで、足を踏み鳴らす。拘束していた二人の手にも余るほどだった。しかしすぐさま加勢が入り、エンデニールの四肢を押さえつけた。
 エンデニールは息を荒げて、わめいた。
『許さぬ。絶対に許さぬぞ。お前達全員、殺してやる。よくも、よくも』
『意外に威勢があるな』
 ハザはエンデニールの耳に触れた。尖った先をつかむと、いきなりひねった。質感を確かめるように、無遠慮に引っ張っる。
眉間に眉を寄せ、エンデニールは顔を傾けた。
『お前らエルフも女を抱くのか?それともヒトとは違うのか?どうなんだ?……え?』
 つかまれた耳が首の後ろにねじ曲げられる。顎が持ち上がり、白い喉が晒された。
 ハザの三白眼が、エンデニールを覗き込んだ。
『ぐ…ぁああ…』
 痛みに必死に耐えながら、エンデニールは薄目でハザを見返した。
『なぜだ…お前……命を、…助けてやった……のに』
 エンデニールの苦し紛れの訴えに、ハザは冷酷な目を向けた。エンデニールは、心の内で懸命になってこの場から逃れる術と、何故このような事態に晒されているのかに思考を巡らせた。一体、彼らの目的は何なのか。それはどう考えても、 自分を殺すことにほかならない様子に思えた。
森の貴族