「これからどうするんだ。どこかその辺で、食事でもしないか」
「………さっき、済ませてきたばかりです」
「じゃあ僕だけ食事する。君は付き合ってくれるだけでいいから」
 風倉先生は茨信さんの腕を取ろうと前に出ました。しかし茨信さんは体を退き、僕の手を握って言いました。
「───この子を家まで送っていかないと」
 風倉先生はその言葉が耳に入らないのか、茨信さんの腕を掴んでしまいました。茨信さんが拒もうとすると、風倉先生は言いました。低くて、まるで怒っているような声です。
「話がしたいんだ。頼む」
 それを聞いて茨信さんははたと静止しました。
 風倉先生の視線が僕のほうに向きます。
「この子の家はすぐそこだろう。一人でも歩いて帰れる」
「………」
 茨信さんの横顔が、小さく溜息をつきました。
「仕方ありませんね」
 茨信さんは僕の方を向くと、言いました。
「柳介君。悪いけど、先に一人で帰っていてくれるかい?」
「ああ、はい……」
「善い子だね。───それじゃ、先生…」
「あの、茨信さん」
「ん?」
「その後うちに戻ってきてくれますよね」
「────うん。たぶん………ね」
 僕はなんだか精一杯でした。精一杯、平静を装って、無邪気で礼儀正しい子供らしく振舞って、それでいて自分の感情を茨信さんに伝えたくて、必死でした。でも、そういう時に限って頭は何の解決もしてくれないものです。
「きっとですよ」
 最後、僕が振り絞れたのはその一言だけでした。
 
 再び駅の方向へ向かって去っていく茨信さんと風倉先生を見送って、僕は家へ戻りました────と、いうわけにはいきません。茨信さんは、“今夜、神様が私を迎えに来る”と言っていました。あの風倉先生では、神様に敵わないでしょう。それよりもしも、風倉先生が神様の存在を知らなかったら、余所見などしている間に、茨信さんがさらわれてしまうかもしれないのです。僕は二人の姿を見失う前に、駅に向かって駆け出しました。そして、二人に気付かれないように物影に身を潜めながら………二人の尾行を始めました。

 茨信さんたちは最初のうちは無言でしたが、そのうちどちらからともなく会話がぽつぽつ始まりました。会話の内容は、距離が離れているため聴こえませんでしたが、二人の勢いは、というより風倉先生の勢いがだんだん激しくなり、口論のような展開になっていきました。
 やがて二人は足を止め、無言で睨みあいを始めました。
 いつの間にか、そこは駅からだいぶ遠ざかった、袋小路にある古い神社の前でした。
 辺りは住宅ばかりで、しんと静まり返っていました。月夜でなかったら、暗くて不気味で、なんとも寂しい場所だったことでしょう。僕は曲がり角の影に身を隠して、遠くから二人の動向を見つめていました。すると───どうしたことでしょう。僕がふと瞬きをする間に、風倉先生の体が前に動いたかと思うと、風倉先生よりだいぶ小さくて細い茨信さんをその胸にすっぽり抱きとめ、茨信さんの顔に風倉先生の顔が重なってしまいました。
(あ!)
 僕は思わず声を上げかけて、自分の手で口を塞ぎました。
 冷や汗が額に流れて、心臓がばくばく鳴り出します。
僕は二人から目を離すことが出来ませんでした。
 風倉先生に唇を塞がれた茨信さんは嫌がる素振りもなく、されるがままに口づけを受けている様子でした。
風倉先生の手は茨信さんの柔らかくて細い髪を梳き、耳の後ろに触れ、首筋を撫で下りていきます。びくん、と茨信さんの肩が動いて、その手が風倉先生の腰の辺りを掴みました。人目がないせいか、二人の睦み合いは大胆でした。ぴったりと唇を重ね合わせて互いの体を抱き合っていたかと思うと、唇だけを離して、向かい合わせた舌先をチロチロと舐めあい、それに飽きたら互いの舌を交互に吸いあったり……茨信さんのそういった姿は、まるっきり別人に見えました。
 長いキスが終わり、二人はやがて体を離しましたが、それだけでは終わりませんでした。茨信さんは風倉先生にもたれかかるように体を添わせ、風倉先生も茨信さんの腰の辺りに腕をまわして、もつれるように神社の中へ入っていきました。
 そして僕の足も、二人の姿を追うように、神社の鳥居をくぐっていました。
 二人の姿は木造の社の中でした。僕は二人が中に入ったのを待って、社の裏側に回りました。そこは丁度僕がしゃがんだ目の高さに格子窓がついていて、中で何が行われているのか見ることが出来ました。
 僕は息を殺し、グレーの月光が差し込んでいる薄闇に向けて目を凝らしました。