『貴様にそれが出来るのか』
『私ではない』
『では、誰が』
『───セヴェリエだ』
『セヴェリエ?誰のことだ』
 咄嗟に出た名前に、ハザは思いつかず、問い返した。するとサラフィナスが、北の地から流れてきた旅人のことだと明かした。ボルカシアと共に旅立っていった槍使い・ゾルグの連れだった。ひと目見ただけの印象では、影のうすい、青白い顔をした少年のような男だった。
『そいつが魔法をつかえるというのか』
 信じ難い表情でハザは言った。
『彼は聖オリビエの修道士だ。だが、魔法の素養があるのは確かだ。あれだけの傷を受けて、二日で回復した。──エーン・ソルフの文献によれば、それは生来のネクロマンサーの証だとある。太古の精霊が肉体に宿り、受けた損傷を治癒するのだと────ここにある魔法書には、エンデニール殿の契約についての記述があるはずだ。彼の力をうまく覚醒させれば、それを実行することができる……』
『で、その男は。隣の部屋か』
 ハザはエンデニールの寝室の、隣の部屋の扉に目を向けた。しかし扉を開けると、中はもぬけの殻だった。
 後に続いたサラフィナスが現状を見て言った。
『出て行ったのだ』
『なに』
『ゾルグ殿がダーイェンに発ったと…知るや否や外へ飛び出していった。追いつくわけがないというのに…ましてやこの嵐の中────』
 窓の外は嵐だった。自分達が眠りこけた間にどれほどの時間か経ったのか知る由もなかったが、そのセヴェリエという修道士が夜着姿で樹海へ入ってすぐに戻ってこれるとは思えなかった。
『間抜けが』
 ハザはサラフィナスに罵倒を飛ばすと、外へ飛び出した。

『セヴェリエ!どこだ』
 森の中に入ってしまえば雨は凌げると思ったが、実際はそうでもなかった。風に煽られた大枝が今にも折れて頭上に落下するかという森林の間を急いで駆け抜け、落雷で大きく裂けた倒木を飛び越えながら、ハザはセヴェリエを探した。こんな天候下に出て行ったのなら、そう遠くへは行くまい。ハザは声を張り上げて名を呼び続けながら、霧が漂いはじめたことに気がついた。これではセヴェリエを探し出す前に、自分が迷ってしまうだろう。
 焦りを感じたハザは、見覚えのある木立を見つけた。そこに抜けると、開けた草原に出るはずだった。ハザは立ち込める霧から逃れるように林を目指した。目指す途中、左の視界に沼が見えた。意にとめずに行こうとしたが、その後に聞こえてきた水音がハザの足を止めた。
『セヴェリエ!───』
 自分でもどうしてわかったのか理解できなかったが、叫んだ。水音のした方へ急いで走った。
 沼は、森の中に出来た深い陥没に雨水と腐葉土が溜まりに溜まって出来た泥の沼だった。水面の上澄みの下には苔が繁茂し、遠くからでは地面とほぼ変わらないように見えた。地続きだと思い込んで沼にはまったけものもいるのだろう。沼から吹く風には、腐臭がした。そしてハザは、対岸に下半身が沈みかけた人の姿を見つけると、ぬかるみに注意しながら道を回った。降り注ぐ雨を受け、沼から煙のような霧が立っていた。ハザはようやくセヴェリエの傍に辿り着くと、手を伸ばして夜着の端を掴んだ。常人なら手の届かない距離であったが、並外れたハザの体躯なら可能であった。力を込めて引くと、思った以上の重さだった。何とか岸まで寄せると、両手で腕を掴み、引き上げた。大量の泥の山と共に陸に倒れこんだセヴェリエは、どうやら意識を失っているようだった。顔面は蒼白で、目の焦点が合っていない。唇の端には、泡を吹いていた。足を滑らせて、錯乱したのか───ハザは用心しながらセヴェリエの体を抱え、近くに生えていた木の根元へ運んだ。
『セヴェリエ。大丈夫か。しっかりしろ』
 セヴェリエの体を揺すると小さな呻き声があがった。眉根が動き、意識の戻るきざしが見えた。薄い色の双眸がハザを見上げる。だが次の瞬間セヴェリエの口から恐怖におののくような悲鳴がほとばしった。
 目を見開いたまま、泥だらけの腕を振り回して暴れ始める。幻覚でも見ているか、必死の形相で助けを求める様子は、まるで見えない何かに襲われているように思えた。
『落ち着け。大丈夫だ───セヴェリエ。もう大丈夫だ』
 振り上げられる手を押さえつけ、セヴェリエが足を滑らせないように体全体で抱え込んで、ハザはセヴェリエを宥め続けた。しかしセヴェリエはなおも暴れ、ハザを拒絶するような素振りさえ見せた。
『離せ』
 ハザの耳元で、金切り声を上げる。興奮した息はまるでけもののように荒々しく、熱い。互いに全身に大量の雨を浴びながら、ハザはセヴェリエの興奮を鎮めようとつとめた。セヴェリエの片脚が地を蹴った拍子に、白い腿が露になる。紅潮した顔と対照的に、ハザの目の前に晒した喉も、やはり白かった。ハザは戸惑いを覚えた。
 暴れている内に、枝か棘にでも当たったのか、セヴェリエの着ている薄手の夜着はあちこちが裂け、半裸に近い姿だった。両手を地面に縫付けた体勢でいたために、水を浴びた艶かしい肌の光沢や、幼い色の突起がハザの目に飛び込んできたばかりか、腰に巻きついた片膝が、ついあらぬ想像を駆り立てた。ハザはそれを振り切ろうと、体勢を変えようとした。セヴェリエの両手を抑えていた手を離し、肌を見ないように腰のあたりを抱え、背後から抱えようとした。その時、急に自由を得たセヴェリエの体が跳ねるように動いた。狂ったような絶叫に耳を塞ぎたかったが、ハザは腕を伸ばしてセヴェリエの体を抱えた。その時だった。
『!──』
 ハザの腰にふいに異質な感触が触れた。短剣の柄かと思ったが、短剣は違和感のあった方の反対側に、鞘におさまっていた。気にすることなく暴れる体の制御に集中しようとしたが、ハザは違和感の正体を知って思わず動きを止めてしまった。抱えているセヴェリエの肉体が、全身を震わせて荒く息づいている。その脈動に呼応するように、濡れた夜着の下で、セヴェリエの中心が熱い猛りを訴えていた。
 ハザはそこから視線を動かすことが出来なかった。セヴェリエの体は暴れ続けていたが、その動きが次第に、体の中心がもたらすみだらな昂ぶりから解放されたがっている───とでもいうように映った。ハザは身動きを忘れた。気が付けば、自分の息遣いも荒くなっていた。全身の血の流れが変わっていくのがわかる。体の冷たさも、戦いの疲労も忘れてしまうような熱がハザを包んでいく。
三年