強国の聖なる水
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 その塔は、城内にありながらひときわ異質な印象だった。塔というものはアルヴァロンでは一般に、罪人を閉じ込めておく目的に造られる。だからその構造上、住居のような感覚で眺められないのは納得がいったが、それにしても変わっていた。
 塔にしては低すぎるし、塔の三方からは円錐形をした低木の列が伸びていて、その周りを囲む幾何学的な芝の上には妖精や女神の彫像がいくつも建っていた。塔の造詣にも様々な趣向が凝られていて、いかにもこの先には止ん事ない者が住んでいると言わんばかりである。

『あなたに会わせたい方がいるの』

 ニンフレイの思惑を、セヴェリエは推し量れぬまま中へ入った。明り取りの窓を壁面から天井に至るまでしつらえた吹き抜けの内部には、螺旋状に階段が続いていた。欄干は木で出来ており、重厚な艶をはなっている。まるで海市館を思い起こさせる造詣だった。階段の前で侍女が壁に向かって手を動かしている。そこには掌ほどの大きさに壁がへこんでいて、鍵穴があった。侍女が手にした鍵を差し込み、ひねる。すると天井の方から重そうな石が石と擦れ合う音がして、足元に震動が伝わってきた。壁にまで震動が移ると、今度は耳障りな金属音が空間に鳴り響いた。震動が収まり、やがて静寂が戻る。

『今のは』

 セヴェリエはニンフレイに訊ねた。先頭に立って階段を上りはじめた侍女の後に続きながら、ニンフレイは説明した。

『侵入者を阻む為の防害装置を解いたのですわ。通常この中は、城の者でも王族と一部の者しか入れません』

 王女の言葉を聞きながら、セヴェリエは延々と続く階段を上った。途中には踊場さえなく、ぶ厚い壁だけがえんえん広がっている。この壁の奥に、様々な仕掛けがあるのだとニンフレイは言った。
 そして階段は終わり、セヴェリエはひとつの扉の前に立っていた。謁見の間の扉と全く同じ形の、エルフの乙女が向かい合った彫刻が施された扉だった。その両側に、城騎士が二人立っていた。
閂が抜かれ、恭しく開かれた扉の中へ入る。

 扉の中は柔らかな光に溢れていた。正面にテラスがあり、池のある庭園が広がっていて、低い城壁から深い色の樹海が地平線まで続いているのが望めた。心地よい風が通り過ぎる屋内は広く、閉塞した塔の印象を払拭した。
 大姫の部屋や謁見の間で見たような華美さはないが、調度品や内装には統一感があり、いたるところにオエセルの紋章があしらわれていた。
 部屋の奥から二人の侍女が出てきた。セヴェリエ達を認めると、奥へひきさがり、暫くするとまた現われた。今度は二人ではなく、後方から新たに一人───いや、二人が続く。衣擦れの音と、その胸を飾る何重もの真珠の響かせる音。紗のベールといい、これ以上ないほど上質な布でできたガウンといい、侍女に連れられて現われた二人の令嬢は王族と見て間違いなかった。
 静かに、ゆっくりとした歩みで近付いてくる四人を待ちながら、セヴェリエはある奇妙な点に気付く。
 四人は横一列に並び、歩調を合わせている。両外側に侍女が立ち、内側の姫達の手をとって進んでいるのだったが、二人の姫の間がやけに密着した距離で、まるで一定の位置で固定されたかのように整列して見えるのだった。お互いの右手と左手が繋がれているというわけではなく、隣り合った手はきちんと下げられている。
その疑問は二人の腰から下に目を凝らしてみて、解明した。
まったく同じ身長の二人の姫君。そのドレスは色も形も全く同じもので、かの女達が双生児(ふたご)であると暗示しているかのようだったが───ドレスの下半身が二人の腰の部分からまったく一着のドレスとなり、裾まで広がっているのである。
一つの下半身に、二人の人間がついている。
 セヴェリエは驚きを隠しながら、森で出会った双頭の狼を思い起こした。しかしドレスの足元まで目を移すと、どうやらこの姫達にはそれぞれ二本の足がついていて、立派に歩いていた。
(となると、繋がっているのは腰の部分だけなのか)
 おごそかな雰囲気の中、四人は動きを止め、タペストリーを背にした室内の一段高い場所に立つと、横長の羽根椅子に腰を下ろした。その間も両側から絶えず侍女が手助けする。落ち着いて正面を向いた二人の姿は高貴さながらだったが、離れ難い肉体のぎこちなさがどうかすると目立った。
 異形の姫君───この存在を隠すための塔。
 セヴェリエは納得し、無言で、つとめて表情を崩さないようにして身を屈めた。顔を上げると、控えていた侍女が立ち上がり、姫達のベールをそっとはずした。緻密なレース刺繍のベールが肩に落ちる。
 その瞬間、セヴェリエはつい小さな声を発していた。息を呑む。
 目の前に二つ並んだ、金色の髪に隈取られた白皙。湖水のような色の大きな四つの瞳。茱(ぐみ)のような唇も二つ。それらが、セヴェリエのよく知る顔とおそらく寸分狂い無く、同位置にあった。
(ニンフレイ)
 その顔の主を無意識に探す。ニンフレイはセヴェリエの背後から正面の羽根椅子の傍へ移動していた。同じ顔が三つに揃った。セヴェリエの胸中は混乱をきたす。その表情を面白がるように、双子の片方の唇が歪む。悪戯な微笑はニンフレイそっくりだが、わずかに幼さが滲み出ていた。その隣のもう片方は無表情、というよりは憂鬱そうに目を伏せている。

『オエセル第一王女ミネルバ。第二王女のグインリゼルですわ』

 ニンフレイが紹介すると、ミネルバは悠然と微笑み、グインリゼルは俯くように頭を下げた。はじめまして、よろしくセヴェリエ様───声を発したのはミネルバの方だった。声までも、ニンフレイと同じであった。

『私達は三つ子ですの』
 ニンフレイは言った。

 オエセル王ヴァルミランとその妃ハイデリンドとの間に三人の娘がいるということは世間で知られていたことだったが、ニンフレイを除く二人の娘は腰骨でつながった奇形の双生児で、生まれて直ぐにその姿を隠されていた。
王家の中で奇形が誕生したのはオエセル有史初めてのことであったから、その事実を不吉と目する人々も少なくなかったが、ヴァルミランと王妃は生まれたばかりの双子を殺すことはせず、不治の病を患っているということにして、城の隅にあるこの塔で成長を見守ることにしたのである。
塔はもともと、オエセルの初代王妃エイリブルがエルフの国へ帰るまでの年月を過ごした塔であったという。容易に部外者を寄せ付けぬ仕掛けも、屋上につくられた広い庭も、すべてエイリブルの為につくられたもの───まだエルフとオエセルの関係が友好的だった頃にエルフ達が彼らの建築技術の髄を集めた建造であった。
そして双生児は壁の中で無事に成人していった。大戦の最中も、ヴァルミランが戦死した時でさえも、塔の外へ出ることは許されなかったというほど非情の扱いを受けたこともあったが、今もなお、何不自由ない暮らしを与えられているのだという。