セヴェリエは塔の王女達に招かれ屋上庭園でもてなしを受けた。野外に天幕のような屋根を拡げ、その下でリキュールや菩提樹茶が振舞われた。数種の果物や木の実の砂糖漬、肉料理や蜂蜜とハーブを練ったパンなども並び、軽食というには豪勢過ぎる内容だった。
 オエセルの財政は厳しいと、セヴェリエはハザに聞かされていた。しかしニンフレイとの夕餉の時もそうだったが、とてもそう見えないのがセヴェリエ自身の感想だった。この城は、時が止まっている。しかし城下へ一歩踏み出せば、貧困と暴力、そして得体の知れぬ脅威に喘ぐ世界であった。互いの境界が崩れるのは、遠からぬ未来にある。
 セヴェリエは同席しているニンフレイを見た。使者として柳森に現われた王族の姫。かの女だけが、正常な時の流れに身を置いている。姉達との他愛も無い会話を弾ませている姿は、姉達と同様俗世とは無縁の貴婦人そのものに映ったが、心中は複雑なものに違いなかった。

『セヴェリエ様は魔法使いなんですの』

 突然ミネルバが質問した。
 横長のテーブルの中央に特製の長椅子を置いて、ミネルバとグインリゼルの姉妹が座っていた。セヴェリエはその正面、かの女達と向かい合った席に座っていたのだが、まったく同じ顔の三者が並ぶのを間近で見ながら食事することに気後れして、そのせいでつい視線があちこちに移ってしまっていた。おかげで質問されても、すぐに反応できなかった。

『魔法が使えるんですの?』

 再度問われ答えようとしたが、あらためて質問の内容に戸惑った。
 王女達の話題は気付かぬうちにセヴェリエの話になっていた。

『──それはもう。魔物と対等に戦ってらしたわ』
 横からニンフレイが答える。ミネルバはそのニンフレイと同じ顔で驚き、魔物、と繰り返し呟き身震いした。

『恐ろしいこと。そんなものが現われるなんて、世界はどうなってしまうんでしょう!』

 恐ろしさに身悶えするミネルバにつられ、隣のグインリゼルの上半身まで揺らぐ。ひとつ繋ぎの姉に比べて妹は最初からずっと暗い表情を湛えて押し黙っていたが、ミネルバの動作に嫌でも付き合わねばならぬ身の不自由さに眉をしかめていた。
 両手で顔を覆っているミネルバに、ニンフレイは力強く言った。

『でもセヴェリエ様が居てくだされば、安全ですわ』
『そう───そうね』
『必ず魔物を掃討してくださいます。そしてオエセルは再び栄華を取り戻すのです』

 ミネルバの顔が次第に晴れやかになった。その目が、セヴェリエの緑のマントに向けられる。

『その衣を纏うかたが再びこの城に現われるなんて…』
『そうですわ。亡くなった父上に代わって我が先頭に立つ御方がついに現われたのですわ』
『ああ──セヴェリエ様。どうか私達を守ってくださいませね!』

 ミネルバは声を上げ、テーブルの上が騒がしくなるほど身を乗り出してきた。今にも立ち上がらんばかりの勢いに、とうとう堪り兼ねたようにグインリゼルが呻く。しかしミネルバは気にすることなく、腰を上げた。吊り上げられるようにグインリゼルも立ち上がる。不恰好な二又の木が、強風に煽られているかのようだった。

『私』

 感極まったかのような声。瞳はじっとセヴェリエに注がれていた。

『塔の上からずっと見ていましたわ。あなたがこの城に入ってきた時から…ずっと。───それから心の隅でずっと信じていました。あなたが私達を救ってくださる、あなたが私達を守ってくださる……あなたが、願いを叶えて下さるって』

 六つの瞳が揃って同じ感情を湛えてセヴェリエを見つめる。
 セヴェリエは返す言葉も失い、呆然と見つめ返すだけだった。

 ひとつ繋ぎの王女との謁見から暫らくが過ぎた。セヴェリエは大姫から是非にと乞われてオエセル城に留まることになり、城の世話役のような立場にされていた。とは言え、領地の政治や祭事に関してはまったくの無知であったから、直接統治に関わることを進んでやるということはなく、具体的には大姫や王女の話し相手という、殆ど食客のようなものだった。
 樹海へは、あの日以来近付いていない。苔穴に戻ったハザとブレイムが様子をうかがい、何かあればセヴェリエに報告することになっていたが、今のところは何事も起きていなかった。
 王家に伝わるナザイアの衣を纏って城内を歩くセヴェリエの姿は、否が応でも権威を振り撒いて映り、領主不在の数年を不安に過ごしてきた人々の心をおおいに刺激した。賛同する者、反発する者、その両者の増幅が噂を広め、城下にまで蔓延した結果、去っていった家来が城に戻ってくるようになった。
 そのことに誰よりも喜んだのは大姫ハイデリンドであった。再び大臣や摂政を引き戻せて、セヴェリエにいっそうの信頼を置くようになった。その上本気で、貴族の位か領地を与えようと申し出てきた。しかしセヴェリエは断り、そのかわりにドリゴンの難民が住む苔穴一帯の保安を要求した。
 大姫は快諾し、その後オエセルの衛兵が苔穴近辺に常駐するようになった。
 ハザは当初受け入れ難い様子だったが、エンデニールのこともあり、結局セヴェリエの説得に負けた。オエセル王家のそうした変化の影響で、樹海の荒くれ者達もにわかに大人しくなっていった。
 そしてそんな中、セヴェリエとニンフレイ王女の関係を怪しむ噂が城内に流れ始めていた。
 当のセヴェリエはまったく意識せずに過ごしていたのだったが、ある日再びミネルバとグインリゼルに謁見した折、噂の存在を知らされた。仄めかしたのは、第一王女ミネルバである。以前と同じように塔の上に呼び出され、開かれたもてなしの席には、ニンフレイだけが不在だった。

『妹の幸福に私達は賛成してますのよ』

 菩提樹茶をひと口含み、ミネルバは謎かけのように言った。セヴェリエが黙っていると、ミネルバは妹のグインリゼルと顔を見合わせた。常に眉間にしわが寄っているグインリゼルの口元がはにかむ。

『ニンフレイの事──愛してらっしゃるのでしょう?』

 そのニンフレイと同じ顔のミネルバに問い質され、セヴェリエは驚いた。しかし表面には出さない。

『ニンフレイ様のことは尊敬しております。大姫様、ミネルバ様、グインリゼル様と同じように』
『そうかしら?』
『……?』
『ご存じないのね。城の皆が言っていますのよ。セヴェリエ様とニンフレイがひそかに愛し合っていて、ゆくゆくは結婚の誓いをしていると』
強国の聖なる水