ハザとセヴェリエの二人は、王女達と共に長時間かけて森の舗道を歩き、オエセルの王都へと辿り着いた。ハザの両手には重い鉄の手錠が嵌められ、四方を城騎士が包囲している。セヴェリエは、王女から共に鞍に乗るようにすすめられたが、申し出を断ってハザの横を歩いていた。
 前方の騎士のそのまた前に、ニンフレイの姿が見える。決して背後を振り返ることはなく、馬を歩ませている。
 曇天の空が薄暮に染まり、一行が巨大な城門の前に立った時には夜になっていた。見上げるような大扉がゆっくりと目前に倒れてきて、要塞を取り囲む濠の吊り橋に変わり、セヴェリエ達を王都の中へと迎え入れる。
 そこはまるで、再び森の中へ入り込んだかのような光景だった。
 ヌールでも、ドリゴンでもない、セヴェリエ達の知るアルヴァロンとは、まるで別世界であった。大戦中でも、樹海のおかげで攻め入れられることはなかったという。立ち並ぶ家々はすべて木造で、一軒一軒が個性的な彫刻を施しており、小さな宮殿のような趣きを醸し出している。そして火ではない、青白い発光体が木々の上から夜道を照らしており、あちこちの家からリュートの弦を爪弾く音や、睡蓮の香の煙が漂ってきた。道行く人々はまばらだったが、石を敷き詰めた舗道に蹄の音が響くと、家の中から住民が現われて、王女の帰還を迎えた。
 オエセルの民の目は、当然ながら王女の連れた客人達にも向けられた。その中にはハザの姿を見て、悲鳴をあげて逃げていく者もいた。
 舗道は螺旋状になっており、オエセルの城は丘の頂上に建っていた。優美な曲線がふんだんに盛り込まれた、石の彫刻のような城は、門を抜けると見事な庭園になっていた。城下で見掛けた青白い光が、ここでも幻想的な世界を映し出している。
城騎士達と庭園の中を進みながら、セヴェリエはその光景に目を奪われた。ウィル・オー・ウィスプと呼ばれる光の精霊が、王の墓に棲息している。さまよう死者の魂とも呼ばれ、低俗な部類のその精霊は、気味の悪いものとして疎まれる存在だったが、それの亜種だろうか───エルフの叡智なら、そんなことも可能なのか。ゆらめく光を見て、そう思った。
 庭園を抜けると、壁の両側に炎をともしたアーケードがあり、奥にはさらに明るく照らされた大扉が見えた。
 セヴェリエとハザはそこで道を分かつことになった。ニンフレイと護衛の城騎士二人を残し、あとの城騎士と共に、ハザの姿は再び庭園の中へと消えていった。連れて行かれるのは、地下牢だという。セヴェリエは客人でも、ハザは招かれざる罪人というわけなのだった。手錠をつけられることに対しても、ハザは抵抗を示さなかったが、終始無言で、三白眼を怒りに燃やしていた。セヴェリエも、ハザの処遇にいちいち食い下がるということはしなかった。
『こちらですわ』
 セヴェリエを促し、ニンフレイは大扉の方へ向かっていった。
 大扉の両側には、衛兵が二人立っていた。ニンフレイが前に立つと、静かに扉を開ける。すると空気の中に、生花の香りが漂ってきた。中へ入ると、草露と土の匂いが混ざり、湿度が若干高くなった気がした。水音がして、足元を見ると、細い水路が床一面に張り巡らされていた。水路の先を目で辿っていくと、絢爛に咲き乱れるユリの花壇が目に入った。花壇はセヴェリエ達が進む道の両側に広がり、色や形のさまざまな花を満開にさせていたが、いずれもユリの花であった。ここまで大量に、一度に何種も咲いているユリを、セヴェリエは当然見たことがなかった。それらが一斉に放つ芳香は強烈で、注意しなければ香りに酔ってしまいそうだった。
 室内は、はるか上空に円形の窓がしつらえてあり、月光を落としていたが、ウィル・オー・ウィスプの光もあちこちに使われている。全体的に青白い光に照らされた正面には、オエセルの紋章のタペストリーと巨大な天蓋のついた玉座があり、数人の侍女を従えた城主が座っていた。
『ようこそおいでくださいました』
 紗の向こうで、美しい声がそう言った。その顔はよく見えなかったが、声には気品と親愛が込められていた。
『銀色の若賢者様。歓迎しますよ───妾(わたくし)はオエセル王の妻・ハイデリンド。夫亡きあとは王妃を返上し、いまは大姫となっております』
 セヴェリエは軽く身をかがめ、名乗った。その様子を見て、ハイデリンドは感嘆したような声をあげた。
『思った以上にお若いのね───それに、美しいかた』
 それを聞いて玉座を囲む侍女たちがひそひそと囃し声を立てる。ハイデリンドはニンフレイの方へ顔を向けた。
『ご苦労でしたね、ニンフレイ───おもてなしの用意をしてあります。セヴェリエ殿を案内してください』
『では、こちらへ…』
 セヴェリエは別室に案内され、大きな池の見える部屋で王女と向かい合って晩餐の席についた。同席者はほかになく、護衛二人がいる以外は一人の侍女が給仕をしているだけだった。円卓の中央には水晶をちりばめた燭台が置かれ、盛り付けられた料理と銀製のゴブレットを照らしている。そして、正面に座っているニンフレイは絹のドレスに装いを変え、化粧をして、先程とは違う魅惑的な美しさを放っていた。オエセル家の祖先は、エルフだという。その血が今もなお色濃く受け継がれているのだろう。しかし高貴な身分でありながら、会話の折に見せる好奇心に、セヴェリエは不快を感じつつあった。少しも心が休まることのない食事が終わると、ハイデリンドの使いが呼びに来た。通されたのは、さきほどの謁見の間ではない、ハイデリンドの部屋であった。
城壁の上につくられた鏡の広間は、謁見の間で見た以上の種類のユリに囲まれ、むせ返るような香気の中央に、ハイデリンドが待ち構えていた。寝台のように大きな羽根椅子に両脚を横たえ、顔には紗のベールを被っている。
 使いがさがっていくと、広い室内はセヴェリエと大姫の二人きりになった。
『もっと近くにいらして』
 セヴェリエが羽根椅子の傍、一段下に近付く。ユリの香りが一層強く感じられた。
『もっと。ここへ来て。妾にお姿をよく見せてくださいまし』
 大姫に乞われ、セヴェリエはためらったが、羽根椅子の、大姫の足もとの方へと進んだ。すると大姫はかすかに微笑み、足を引いて身を起こした。大姫が動くたびに、身につけた色とりどりの宝石がきらめき、ユリの香りが散った。白い手が伸びてきて、セヴェリエに屈むように促す。求められるままに膝を折ると、ベールに覆われた顔が近づいてきて、セヴェリエを見据えた。薄い紗の向こうに見える顔は、娘のニンフレイ以上の美しさだった。妖艶さと威厳の両方を備えた上に、信じられないほどの若さを保っていた。
 セヴェリエは黙って大姫の顔を見つめ返していた。
 その頬に、大姫の指先が触れようとする。
嘆きの大姫
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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