『仲間を呼んでいるのか』
 セヴェリエはニンフレイ達へ注意を向けた。城騎士達は三人ほどが倒れていたが、ニンフレイはまだ無事だった。馬は、喰われたもの以外は逃げたらしい。
『行こう。この場を立ち去らねば』
 セヴェリエは決して、ハザと共にニンフレイ達のもとへ走った。全員で走り出すと、背後から魔物が追ってきた。セヴェリエは後方を走りながら風の矢を放ったが、散漫な意識では的中させることが不可能だった。
 逃げ切ることに集中を切り替え、セヴェリエは精霊語を唱えた。すると行く手の木々が道を開け、追い風が一行の背を押した。それぞれの速度がにわかに上がる。しかしその時、視界の脇に獣の影が映った。黒い被毛に覆われた影が次々に現われて、行く手を遮る。とうとう立ち止まると、一行は狼の群れに囲まれていた。その数は二十以上───それも、ただの狼ではない。大きさもさることながら、首が二又に分かれていた。牙を剥き、唸りながら包囲を縮めてくる。その背後からは当然、先ほどの魔物も追ってきていた。不穏な地響きを聞いて、城騎士達はもはや戦意を失っていた。悲鳴をあげ、逃げ出すこともできずにただ怯えている。
 ハザとセヴェリエは隣り合いながら、狼と対峙した。
『これまでか』
 ハザが低く呟いた。
『…いや』
 もはや、使うしかない。セヴェリエは決意し、目を閉じた。あの光の魔法──
 そしてセヴェリエの口が、ひときわ低い声で精霊語を唱えだしたその時だった。
 狼の唸り声と地響きに混じって、どこからか奇妙な音が聴こえてきた。小鳥のさえずりのような音は、低く長く続き、やがて音楽と認識できる頃には、目の前の光景に異変を及ぼしていた。
 双頭の狼達が仲間同士で乱闘になり、共食いを始めている。そればかりか、後方を追ってきていた魔物の幼生までもが錯乱し、狼と同じような状態になっていた。
 セヴェリエ達の存在など忘れ去られたかのように繰り広げられる狂乱の光景の中、旋律は止め処なく流れ、やがて聴覚を超え、セヴェリエの意識に語りかけてきた。降霊術師の精霊語ではない。
音色に予め込められた【念】を、奏者が意志の形に仕立てている。言葉には代わることのない、信号のようなもの。発しているのが何者なのか知ることはできなかったが、自分たちを導こうとしているのは確かだった。
『───ハザ』
 セヴェリエは顔を上げ、言った。
『後についてきてくれ。王女達を頼む』
 セヴェリエは旋律の意志に従い、未だ殺し合いを続けている魔物の包囲から離れた。その後を、ハザ、ニンフレイ、生き残った城騎士数名がついていく。旋律は小さな音だったが、絶え間なく流れ、それが聴こえている間はどうやら魔物に追われないようだった。
  鬱蒼とした林を抜け、近くでせせらぎが聞こえる険しい登りを歩いていくと、やがて道が途切れた。小高い崖の目前に絶壁を流れ落ちる滝が迫っていた。滝壺は遥か下で、白く泡立つ水面から霧が立ち込めているのが見えた。
『樹海に滝が…?』
 ハザが滝を見上げ、呻いた。セヴェリエも初めて見る場所だった。背後で枯れ木を踏む音がして、振り向いた。
 城騎士達が一斉にどよめく先に、何者かが佇んでいた。その手には、金色の横笛が抱えられていた。ハザはその人物を認めると驚愕した。すぐさま険しい敵意を剥き出しにする。
『貴様───生きていたのか』
 その声に、人物は双眸を細めた。落ちぶれた騎士のようないでたちだが、隻腕で、顔の両側から細長く尖った耳が突き出ていた。
『エルフ族…』
 城騎士達の中から、感嘆の声が漏れる。
 レムディン、とハザが名を呼ぶと、白皙の顔がふと緩んだ。
『久しぶりだな』
『こんなところで何をしている』
 ハザは粗暴な態度でレムディンの頭上から問うた。
 見下ろす三白眼に、対するレムディンも冷徹な眼差しで返す。
『お前達こそ───聖なる森に何用だ。ここはもはや人の立ち入りはできぬ。支配しているのはエルフでも獣でもない、秩序のない混沌だ。近付けば、先ほどのような危険な目に遭う』
 レムディンはハザの方ではなく、その後ろにいるセヴェリエを見て答えた。
『……お前は』
 切れ長の瞳が震え、瞬く毎に複雑な表情に変わっていく。しかしセヴェリエの方は、エンデニール以外のエルフを初めて見たという感想以外、何も浮かんでこなかった。 ハザとレムディンの間には、ただならぬ過去がある様子だった。ふたりが静かに睨み合っているのを目の当たりにして、セヴェリエは、いつかハザが話していたエルフのことを思い出した。聞いたのは随分前のことで、ハザの口数も元来豊かなほうではないから、断片的にしか記憶に残ってはいなかったが──三年前、ハザ達を陥れ、エンデニールを陵辱させたエルフ。その名は確かに、レムディンといった。が、しかしそのレムディンと、目の前のエルフが同一人物とは、容易に結びつかなかった。
 腰にレイピアを下げているものの、とても残虐非道をはたらくようには見えない。付け根から失われた右腕が痛々しく、悲哀に満ちていた。
『それは…どういうことですの?エルフ達は一体どうなったというのです。あの魔物はどこから』
 遠くから、ニンフレイが訊ねた。振り返り、レムディンは王女と城騎士をしげしげと見た。
『そちらはオエセルの姫君か』
『オエセル王ヴァルミランの娘、ニンフレイですわ。───私達は、樹海の民をおびやかしている魔物の調査にまいりました。樹海は今、どうなっているのですか?教えてください』
『たった今、あなたがたがご覧になったのが現実だ。───あのような生物が昼夜問わず、樹海中を徘徊し、縄張りを拡げていっている』
『やはり……』
『あなたはエルフ族か』
 城騎士のひとりが訊ねた。
『純血のエルフではなく、人の血を継ぐ半人。レムディンと申す。───エルフの郷には、今はもう誰も居らぬ。みな、エルフの国へ去った。私はこの身の上のため、残ったが』
嘆きの大姫
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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