『まさか───お見捨てになるのですか、妾達を』
激しく非難するような気迫だった。セヴェリエはうろたえた。あえて見捨てるような恨みはなかったが、面倒を見続ける気もなかった。あの地下の地獄を見て、戦意を失わぬ人間はいない。与えられた恐怖と絶望はセヴェリエとて例外なく圧倒的であった。
 まだ時代が豊かな頃なら、希望はあっただろう。ニンフレイが言っていたように、大軍を編成し、大火で焼き払うことも可能だった。しかし今は、人も力も不足している。だからこそ、自分に頼ろうとする大姫の心を理解しないでもなかったが、セヴェリエにはそうした期待に応じようとする動機がなかった。名誉も富も欲しなかった。
 となればまた、ハザを人質にとられるだろうか?そうでなければ、苔穴の人々が犠牲になるだろうか?
 オエセルがそういう姿勢であるのなら、セヴェリエは考えなければならなかった。
 セヴェリエの困惑を察したのか、大姫は取り繕うように羽根椅子に座り直した。
『この度のこと、ご苦労さまでした。我らの感謝を受け取ってくださいまし。ニンフレイ』
 ニンフレイが立ち上がって、部屋の奥に消えた。そして戻ってくると、一抱えの布を両手に持っていた。恭しい動作でセヴェリエの前に掲げる。
『これは』
 一瞬で目を奪われた。それは、宝石のような光沢を放つ深緑のマントだった。絹のような表面にうっすらと白く輝く被毛があり、いちめんに細かい蔓草の刺繍が施してある。重厚な印象だったが、受け取ってみると、羽毛のように軽かった。
『オエセルに伝わる、アルヴァロンの至宝。ナザイアの衣ですわ』
『ナザイア?』
 マントに見入ったままセヴェリエが訊ねると、ニンフレイが答えた。
『エルフ語で【世界の王者】という意味です。オエセルの祖先とエルフの乙女の婚礼に、エルフから贈られたものだとか……アルヴァロン四王家に代々伝承されてきた業星の武具のひとつですわ。業星の者でなかろうと男なら誰でも身につけることができます。先王ヴァルミランはこれを纏って大戦に出陣されました。どうか、お持ち下さい』
 セヴェリエは驚き、大姫達を見た。
『私に、王の形見を…?』
『受け取ってくださいませ』
 大姫と王女が口々に言った。
『そしてどうか、この先も、我らにお力をお貸し下さい。何卒───オエセルをお救いください』
 必死の訴えであった。跳ね返すことは不可能だった。止め処なく二人の女の感情が侵入してきて、心が動いた。
『…………わかりました。私でよければ、お力になりましょう』
 長い沈黙の後、セヴェリエは言った。
 ナザイアの衣は、一見派手で貴族趣味に溢れたような印象だったが、実際身に纏ってみると、堅苦しさは微塵もなく、長旅に使用しても良さそうな落ち着きがあり、その上見た目も洗練されていた。まさにエルフの造詣らしい衣装であった。
『そうしていると、王侯のようですわ』
 鏡の広間を出たニンフレイが、セヴェリエと並んでそう言った。なるほど城壁の中を歩く二人の男女は、まさに王子と、王女そのものだった。それに気付いたのか、ニンフレイの頬が染まる。
 しかしセヴェリエは何の反応も示さず、ただ歩いていた。
 部屋に戻ろうとして中庭を横切っていくと、突き当たりで一人の侍女が待ち受けていた。足を止める。するとニンフレイが先に回って振り返った。
『ご案内したいところがございますの』
 謎めいた微笑。どこか陰鬱な顔をした侍女と共に案内されたのは、城壁の北にある塔の前だった。
嘆きの大姫
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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