『どこへ向かっている』
 ハザが声をひそめ、セヴェリエに訊ねた。肌に触れる空気が冷たくなって、樹海の奥へと近付いているのがわかる。この先は日も差さぬほど木が繁茂している、聖なる森と呼ばれる地点だった。そこを抜ければ、エルフの郷があるという。しかし、人間でそこに辿り着いた者は、未だかつていない。
『聖なる森』
 セヴェリエは森の奥へ目を向けたまま、答えた。ハザが驚いて抗議しようとすると、左方へ道を定め、慣れた足取りで歩き出す。そして言った。
『聖なる森の中で、狩人達は襲われた。だからまず』
 その現場を彼らに見せる───そうセヴェリエが言いかけた時だった。
 けたたましい嘶きが聞こえてきて、背後が騒がしくなった。振り返ると、騎士達がすでに抜刀していた。何が起こっているのか、生い茂った樹々の影に隠れて見ることが出来ない。ハザは剣を抜き、走った。
 恐怖に引き攣った馬の悲鳴が、その身を砕く咀嚼音と共にこだます。鮮血が飛び散る。騎士達は必死に剣を振るい、馬を喰らう敵に斬りつけていた。
『なんだ、これは』
 ハザは初めて見る目前の光景に立ち竦んだ。馬を襲っているのは、何匹もの巨大な蛇───いや、蛇のような手足を持つ、大きな甲虫のような生物だった。上空の枝葉を突き破って壁のように空間に立ち塞がり、触手で掴み取った馬を、大きな牙で喰い破っているのだった。そしてあり余る触手は他の馬にまで巻きつき、魔物の餌になろうとしていた。それを騎士達が大剣をもって断ち切ろうとしているのだが、何度打ち付けても触手は傷ひとつ付かず、鋼のような強靭さで跳ね返すのであった。
 ニンフレイは既にその場から避難しており無事だった。10人の騎士が戦闘にあたっていたが、まるで抵抗にはならず、馬が次々に魔物に捕まっていく。
『ハザ』
 セヴェリエが横に並ぶ。魔物を見ても全く動じていない様子で、自分を見ていた。
『畏れるな。大丈夫だ』
 緑の眼が細くなり、その手がハザの構えた剣の刃につと触れる。その途端に、全身に吹き出ていた汗が引き、震えが止まった。冷静が戻ってくる。ハザは魔物の姿を見据えた。そして一直線に駆け、魔物の懐に飛び込んだ。
 すると目前に、巨大な触手の先が迫ってきた。ハザの突進を阻もうと、横から巻きつこうとするところへ、思い切って剣を振り下ろす。凄まじい圧迫が弾け、両断した瞬間、ハザは己の戦意を確信した。
 腕を斬られた痛みに、魔物は咆哮をあげ、錯乱して襲い掛かってきた。触手が一斉に放出され、その怪力は周囲の木々までをなぎ倒した。逃げ遅れた騎士が次々に触手に叩き潰される。それでもハザは果敢に剣を振るい、向かってくる敵の手を斬り続けた。
 オエセルの城騎士達はニンフレイを庇いながら後退を始めた。戦闘の場と逆の方へ走った。そちらに逃げ道はあるはずだった。しかし、悲痛な叫び声でその道は滞る。ひとりの城騎士の身体に触手が巻きつき、高々と持ち上げた。魔物の仲間の出現であった。騎士達はみな剣を持っていたが、魔物に剣が効かぬことを先刻思い知っていた。なす術もない現実に怯えながらも、剣を盾のようにして、必死で中心の王女を護る。
『───セヴェリエ様!』
 ニンフレイは救いを求め叫んだ。
 セヴェリエが立っている背後から、鋭い風が瞬く間に発射される。弧を描き、雷のような衝撃を起こして騎士を捕らえた触手に突き刺さった。肉が弾け、急に解放された騎士の身体を地上の仲間が受け止める。どす黒い血が雨のように降り注いだあとも、風の矢は魔物の身体に撃ち込められ、ニンフレイ達はようやく隙を掴んだ。
 攻撃を続けながら、セヴェリエは周囲に眼を走らせた。
 ハザはまだ戦闘を続けている。剣で触手を絶つことはできても、殻で覆われた本体に傷をつけることは出来ないらしく、苦戦していた。
 セヴェリエは念をさらに強力なものへ切り替えた。風の矢は鎌の形態に変わった。魔物の背に突き刺さると、中身が裂け、致命傷を与えることに成功した。しかしそれは、セヴェリエに一点へ集中することを強いる。相手が二体いる以上、こちらを先にしとめて、ハザの援護にまわらねばならなかった。ハザの剣には、先程魔法をかけた。そちらへ気を送ることも抜かってはならない。魔法が消えれば、ハザがやられる。
(単につがいであれば良いが…群れであったらこの後も───)
 動きの止まった方の魔物を置いて、セヴェリエはハザの相手へ攻撃を向けた。顔面の裂けた魔物が咆哮をあげる。ハザがこちらを振り向いた。退け。逃げろ。セヴェリエが眼で促すと、ハザの足が踵を返した。
 その間に、再び風を起こして魔物に放った。以前狩人を助けた時に使った光の魔法なら、瞬時に決着をつけられる気がしたが、魔法を使用した後のことを思うと躊躇われた。
(アルス…)
 呪わしい名を思い出して、セヴェリエはきつく眉を寄せた。
『セヴェリエ』
 戻ってきたハザは、すっかり憔悴していた。セヴェリエが放つ風が、ようやく巨大な魔物の身体を倒した。地響きを立てて動かなくなる。もう一匹の方も、死んでいた。しかし安堵は許されなかった。城騎士が悲鳴をあげて指をさす。倒れた魔物の、奇妙に膨れた腹が動いた。何かが内部で蠢いている。せわしなく活動する様子は、恐怖を駆り立てた。
(まずい)
 セヴェリエはニンフレイ達に向かって叫んだ。
『逃げろ。早く、こっちへ───』
一同はその声に突き動かされ、数人で固まったままその場を離れた。セヴェリエはハザの腕を掴み、身を庇った。爆発が起こり、突風が吹き荒れた。そして、悲鳴。顔を上げると、胎盤らしき肉の膜を被った魔物の幼生が数匹、こちらへ向かってにじり寄ろうとしていた。幼生と言っても、その大きさは家畜程度───やはり異様な大きさである。動きは鈍重だったが、意識は親と変わらないはずであった。
 ゆっくりとこちらへ向かいながら、赤黒い口を開け、カタカタと歯を鳴らす。羽音のような音は数匹が合わさると奇妙な音階を作り出した。
『これは』
 ハザが身を引きながら訊ねる。
嘆きの大姫
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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