『───焼き払いましょう』
 沈黙を破り、ニンフレイが言った。その場の注目が、王女に集まる。
『あの地底に大量の火を投じれば、全て燃え尽きてしまうはずですわ。城に帰ったら、新たに討伐軍を集め、すぐにでも…』
『姫。しかし』
 王女の言葉を、城騎士の一人が止めた。
『わが城には現在、それだけの兵が残っておりません』
 それを聞いたニンフレイの顔がたちまち紅潮し、激昂の表情になった。
『これはオエセルだけではなく、アルヴァロン全体の危機です。国中から援軍を集めてでも、遂行します』
 まくし立てる口調のニンフレイに、レムディンは言った。
『しかしもしもそれが可能にしても───焼き討ちが得策とは思い難い』
『何ですって』
『彼奴らの生存本能と力の癒着がどれほどのものかわからない状況で火を使うと、攻撃されたことで火への耐性を身につけるかもしれない。勿論、一気に焼き尽くすだけの炎があれば別だが。個体ひとつでも生き延びれば、次の進化は倍以上になるだろう。けものと人では、感情の規模が桁違いだ。情けが介在しない分、恨みは激しい。その心で力を望めば、望まれた力は計り知れないものとなろう』
『どうしてそんなことが言える』
 ずっと黙っていたハザが問うと、レムディンはかすかに口を歪めた。
『先日』
 険を崩さぬハザの顔に、レムディンは説明した。
『聖なる森で何者かが魔物と戦闘した。その時にどうやら魔法が使われたらしい。何の魔法かはわからぬが、その威力のせいで、魔物の繁殖が急激に膨張した。彼奴らは死体となった魔物を食い、学習するのだ。受けた攻撃の防御法を───そして次には、魔法の効かぬ魔物が誕生する。もはや何であろうと、疑うしかほかないのだ。進化の速度も決して遅いわけでもない。となれば、力のない者は静観せざるを得ない。否が応でも』
 レムディンの表情が翳る。セヴェリエの胸中がざわめいた。表面に出さぬよう努める。まさか。
『お前はずっとここで、その有様を見ていたというのか』
『そうだ。この笛で身を守りながらな』
 ハザに向かって脇に差した金色の笛を見せる。
『この音には、多くの魔法が込められている。魔物の気を狂わせ、自滅させる力がある───ただ、森の中でしか使うことができないが』
 あの地下では効果がない、と付け加える。
『それにしても、まさかこんなところで、お前にもう一度会うとは』
 ふいにレムディンが言い出して、セヴェリエは戸惑った。
『………私には、お前と会った記憶がないが』
『なに…?それは───』
 レムディンは怪訝に眉をひそめた。その様子を見計らって、ハザが立ち上がる。
『オエセルへ戻ろう。いつまでもこうしていては、夜が更ける』
『───お前とは、いずれ改めて話をしたいものだ』
 再び動き出した空気の中、意味深げにセヴェリエにそう言うと、レムディンは帰り道の案内を申し出た。レムディンの笛の力を知った以上、断る理由はなかった。
『貴様に恩を着せられるのはこれで二度目だな』
 ハザが言うと、皮肉めいた口調でレムディンは三度だ、と答えた。
『なに。なりゆきだ──ときに』ハザに近付いてくると、レムディンは声をひそめた。皮肉は消えていた。
『エンデニールは、息災か』
 ハザの表情が強張る。レムディンを凝視した。そして告げる。憎憎しい相手と、自分しか聴こえぬ声で。
『生きている』
 レムディンはそれ以上追求せずに歩き出した。樹海を出た一行は、徒歩でオエセルに戻った。樹海を抜けると既に夜になっていたので、森の舗道沿いで野宿をし、オエセル城に帰り着いたのは翌日の昼だった。連れて行った馬は死ぬか逃げたかでついに戻らず、12人の城騎士は戦闘で死亡したり、負傷して樹海から動くことができず、わずか5名だけが帰還した。ニンフレイは意識は保っていたが、憔悴しきっており、謁見の間に入ることもできずに寝室に運ばれていった。
 代理でセヴェリエが大姫に報告を果たしたが、大姫の反応は思ったとおり───あまりの現実に、信じようとしなかった。信じたくない、というのが正解かもしれないが、ともあれセヴェリエ達は労いを受け、城の部屋に通された。浴室があり、大きな浴甕に熱い薬湯が満たされ、入浴の準備が出来ていたので、ハザは早速湯を浴び、葡萄酒を一杯飲み干すと、そのまま褥にくるまって寝入ってしまった。
 セヴェリエは自分も入浴を済ませると、身につけていたローブから、城が用意した衣装に着替えた。裾の長いコートに、ゆったりとした衣の組み合わせは、王侯の部屋着といった趣だった。眠っているハザを起こさぬように部屋を横切り、セヴェリエは大姫のもとへ向かった。
 鏡の広間では、ハイデリンドとニンフレイが待っていた。ユリの大群に囲まれた二人の姿はまるで、精霊が化けたかのような妖しさだった。まだ日は暮れていないはずだったが、室内は仄暗く、青白い光が照らしていた。
 大姫は羽根椅子の上でぐったりとしていて、まるで重病人のように見えた。セヴェリエが入ってきたことに気づくと、ベールのかかった顔を上げた。
『…セヴェリエ様』
 掠れた声で言ったきり、大姫は再び顔を伏せた。啜り泣きながら、訴える。
『もはやオエセルは滅びるしかないのでしょうか…なぜ、このような災いが?──妾は呪われているのでしょうか』
 セヴェリエは黙っていた。ニンフレイは大姫の傍らに座っている。
疲労と精神的苦痛で横になっているはずだったが、青白い顔で大姫を見守っていた。
先程の謁見の間で、大姫はすぐに判断を下すことはしなかった。明日ふたたび樹海に赴き、レムディンに預けた残りの騎士たちを迎えに行くということ以外、セヴェリエ達とこの先のことは、何も語られなかった。
『私達は海市館に戻ります』
 セヴェリエが言うと、伏せていた大姫が弱々しく起き上がり、涙声をあげた。
嘆きの大姫
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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