ある時オレは、客の主催するクリスマスパーティーに呼ばれ、いつものように酩酊して、客に後ろから突っ込まれていたところからいきなり会場であるクルーザーの甲板に出ていた。12月の極寒の夜だったが、オレは素肌にガウンだけ纏って、裸足で甲板を散歩していた。
 頭の中はぶっとんで、さっきの客の右曲がりのペニスから出てきた精液が、しこたま呑んだシャンパンの泡とだぶっては消える残像が視界をちらついた。
 船は凪のような海面に浮かんでいた。オレはいつのまにか甲板の手摺にしがみついて、海面の底を覗き込んでいた。静かだった。暗い星がいくつも光っていて、酔っていなければ素直に感動してるのにな、と思った。
 そこでまた記憶が途切れ、次にオレが我に返ると、自分が手摺の上に立っているのを知った。やばい、と思ったときにはもう遅かった。オレは真冬の海にまっ逆さまにダイブして、そのまま病院送りになってしまった。

 病室で目を覚ますと、傍らに周がいることに気が付いた。
「よう」
 右側だけの顔で笑ってみせる。こんなに近くでこいつを見るのは久しぶりだった。相変わらず飄々として、ビニール袋をぶら下げてガジガジとリンゴを丸齧りしていた。
 病室は暖房が入っていたが、周はスーツの上に黒いコートを羽織ったままだった。
「………ひとり?」
 オレは病室を見渡してから訊いた。狭い個室には、医者も看護婦もいなかった。天井にかかった時計を見ると、深夜四時だった。
「何やってんだよ、こんな時間に」
 オレはリンゴを食い続けている周に呆れていた。
「これが俺の仕事だよ。当然だろ」
 それを聞いて俺はつい鼻で笑った。でも周の顔を見たら、なぜか取り繕う気になっていた。
「ひさしぶり、だな…」
「うん。ひさしぶりだ。お前は元気そうじゃないけどな…」
「…まあね」
「心停止したらしいぞ。三途の川は見えたか?」
「見てねえよ」
「心臓が止まった上に急性アルコール中毒。プラス薬物反応。…相当やり込んでたんだな。健康管理を厳しくしないとなぁ」リンゴを咀嚼しながらなぜか楽しげに周は言った。
「うるせえよ。リンゴ食ってんな」
「食うか?」
 芯だけになったリンゴを差し出され、オレは思いっきり手で壁に跳ね飛ばした。
「イラついてるな。カルシウム不足も伝えとこう」
「………!」
 オレはベッドから起き上がって周を睨みつけた。勢いで点滴のスタンドが揺れた。
「───今更、保護者面かよ?」
「一応な」
「……ああそうかよ。そりゃどうも。───ご覧の通り、オレは元気になったよ。もう大丈夫だから。帰っていいよ」
 オレはわざと明るく言った。内心はイライラして、目の前のこいつをぶっ飛ばしたい衝動が渦巻いていた。周の反応を待っていると、奴は黙って座っていたパイプ椅子から立ち上がった。
「…………」
 オレは周を見ないで、視線を自分の手元に落とした。
 しかし周のコートの裾はいつまでも、視界の端から動こうとしなかった。
「どうしたんだよ」オレは下を向いたまま言った。
「…怒ってるのか?」
「なにが」
 周は聞き取りにくい声で、約束、と呟いた。オレは無意識に、手元のシーツを掴んでいた。みるみる胸の底が冷えて、震えのような嫌な感覚が沸いてくる。ここから逃げ出したくなった。周はベッドの端に腰を下ろした。下を向いたオレの顔を覗き込んでくる。
「帰れっつってんだろ」
 周の顔が近づいてくるのに、オレは逃げることができなかった。
「約束放棄か?」
 オレは顔を上げた。周の煙草の匂いが鼻先に感じられた。
「どっちが」オレは周の左目を見て言った。「放棄したのは周だろ」
「俺は、一度した約束は破らない」
「嘘つけ!」
「×××」
 周はオレの名を呼んだ。教団で貰った男娼の名前じゃない、オレの本当の名前だ。それでオレは見たくなかった周の顔を見てしまった。大きくて白い掌がオレの顔を撫でたかと思うと、背中に二本の腕が巻き付いてきた。手の温もりがオレの肩を抱いて指がオレの頭を撫でた。
 オレは周の肩に顎を乗せて、しばらく呆けていた。
 コートの布地が冷たかった。そして相変わらずきつい、煙草の匂いがした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
十一