行為が終わって、数十分ほど経って、車は停止した。オフィス街の一等地に建つビルの前だった。周は服についた汚れをティッシュでさっとふき取ると、車から降りた。オレはシートに崩れたままで見送った。
「じゃあまた…夜にな」
 周は背中を向けたままオレに言った。
「ああ……」
 オレは朦朧として返事した。ドアが閉まると、オレは急激に眠りに落ちた。

 施設に戻ったオレは、電池が切れたように自分のベッドに倒れこんで熟睡した。今頃になって疲労が圧し掛かってきて、どうしようもなく眠たかった。だから施設内の空気がいつもと違っていても、気づける余裕はなかった。
 
 けたたましい音で目が覚めたが、ようやく起きたのは、オレの部屋のドアを蹴破って信者数人がなだれ込んできてからだった。すっかり泡を食った奴らはしどろもどろになりながら、オレに状況を話した。
 爆発。火事。テロ。そんな単語が飛び出して、しきりに逃げてくださいと叫んだ。
 ぼんやりした頭で窓の方へ行って、外の様子を見ると、山手のヨガ道場が燃えて、上空が赤く染まっていた。
「周は」
「連絡が取れません。子供と女は山に避難させて、男性信者で消火にあたっていますが───」
 オレは信者に服を着替えさせると、表に出た。遠くでサイレンが聞こえた。消防車だ。付近の住民が呼んだものだろう。やばくなる、とオレは悟った。
 周はここへ向かっているんだろうか。オレはとにかく周と連絡を取るために、電話を探して走り出した。
 炎はずっと遠くで燃えていたが、熱気が顔に当たってくる。向こうから信者が血相を変えてばらばらに走ってきた。まるで逃げているようだった。それを追うように、ヘルメットを被った黒っぽい服の奴らが数人遠くに見えた。消防士じゃない。自衛隊か、警官隊だ。
 オレは慌てて来た道を引き返した。
 電話は事務所にあったはずだ。オレはそこを目指して走った。
 (周───こんな時に、どこで何やってんだよ。)
 信者の宿舎の角を曲がって、やっと事務所が見えたと思った。
 目の前に誰かが立っていたが、気にせずにその横をすり抜けようとした。
 しかし通り抜けざまに、オレはそいつに腕を掴まれていた。
「───離せよ!!!」
 オレは怒鳴った。警官だろうが、殴り倒して振り切るつもりだった。
 だがそいつは、オレの腕を掴んだまま離さず、オレの体を引き寄せてきた。
「あの、お名前を聞いてもいいですか」
 オレはそいつを思いっ切り睨み付けた。遠くの炎の光に薄く照らされたそいつの姿は、警官でも消防士でもなかった。なんでこんなところに居るのかわからないほど場違いな、冴えない一般人の男だった。
「何だてめえ。離せよ。バカ!!」
「僕は黒木といいます。下の名前は柳介です。柳の木の柳に、介護の介です」
 人の話聞いてるのか、こいつ。オレは呆れたが、奴の手は一体どんな仕掛けがあるのか、どんなに暴れてもほどけなかった。それでオレは少し冷静になることにした。
「悪いけどオレ今急いでるから。ナンパなら後にしてよ。じゃな」
 しかし、やっぱり手は離れなかった。オレは憤慨した。
「いい加減にしやがれ!殺すぞ」
「名前を知りたいんです」
「関係ねえだろ。いいから離せよ」
「こんなことを、初対面で言うのは失礼かもしれないんですけど……あなたに一目惚れしました。僕と付き合ってください」
「あぁ?!」
 突然のことにオレは固まった。男の目を見た。瞼が目の半分まで垂れ下がったような、しまりのない顔だった。
 即決でダメだと思った。
「やだ」
「どうしてですか?」
「男いるし。オレ」
「別れればいいじゃないですか!」
「キチガイかよお前?」
「そうかもしれません。こんなに他人にときめいたのは、生まれて初めてです……頭がおかしくなりそうです」
「…あっそう。じゃあ勝手に狂ってな」
 オレは男の急所に向けて膝蹴りを入れた。
「ぐ」男は呻いて、やっと手を離した。「───なんて人だ」
 オレは身を翻した。アホのせいで時間を食った。早く周に連絡しないと。
 しかしオレはそのまま転倒していた。
 首に鈍い痛みが走ったと思ったら、視界が真っ暗になった。
 
遠ざかる意識の間際で見たのは、視界を覆う青いビニールシートだった。

 周が海外に逃げたのを、オレはオレを拉致した男の部屋の新聞で知った。
 あの一晩で、マスターも逮捕され、上位信者たちとこれから裁判にかけられるのだという。子供達のことと、密造のことは奇妙なことにどこにも載っていなかった。天使の王国の危険思想と民間への勧誘の実態だけが事件視されていた。
 これはきっと、以前から仕組まれていたんだろう。オレは直感した。でなきゃ自衛隊があんなに早く動くわけがない。
 オレは、不幸中の幸いで逃げられたってことだ。
 周は今度こそオレを捨てたんだろう。
 あの時“逃げよう”と言われたことがどうしても心に引っ掛かった。でもそれを考えると、きりがなかったから、オレは努めて考えないようにした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
十一