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セオン~身代わりの人形(ヒトガタチ) 1

創作小説
 ある日アパレル販売を手がけている父が身の丈ほどある大きな荷物を抱えて帰ってきた。と言っても、本当に持って歩けるほど軽いものではなく、その細長い梱包物は玄関口で出迎えた私には到底支えきれる代物ではなかった。門扉の外にお店の車が来ていたところを見るとどうやらソレを積んで送ってもらったらしく、嬉しそうに手を振って送り出していた。ソレがなんであるか少しだけ読めた気がした。
 母が入院中とあって家には私と父しかいない。仕事で不規則気味な父に対して私ができることは精々母から教わった栄養の偏らないレシピで食事を作り、汚れ物を洗濯して、家の中を軽く掃除するくらいだ。どんなに頑張ったところで母にはかなわないので、入院前にそれだけははっきりと断っておいた。すると「あなたの本分は学生なんだからそちらを優先しなさい」と鼻で笑われてしまった。一体それはどういう意味なののか、釈然としない気持ちのまま日々を過ごしている。
 鼻歌を口ずさみながら父は真っ先に風呂に向かう。邪魔臭いソレは玄関に放置されたまま、私には移動出来そうもないので仕方なく夕食の準備を進めることにした。その時は、父のコレクションがもう一つ増えるくらいにしか思ってなかったのだ。

「マヤ。済まないが玄関の荷物の梱包を解いておいてくれないかな?」
 暖め直したおかずを突っつきながら父は私に呼びかけてきた。どの道父が食べ終わるまで私はテレビをながめて待つしかない。部屋に戻ってもしばらくしたら片付けのために台所に立たなければならない。いつもなら父が洗い物をしてくれるのだけど、アレがある以上きっとそっちに気を取られるに決まってる。
「良いけど、だったら食べ終わった食器洗っておいてくれる? 食べっぱなしだったら明日の夕飯抜きだからね」
「うは、そりゃあきついな。わかったよ。ちゃんと洗っておくから。ああ、結構重いから気をつけてな。無理に動かさなくていいから」
 私はため息をついてどんより重くなった腰を上げる。今に始まったことではないけれど、流石に年頃の娘にこういうことをやらせるのはどうかと思う。ううん、絶対におかしい。母も一緒になって楽しんでるのが信じられない。
 玄関の明かりを点けて、ハサミを片手に手際よく梱包を外していく。いくつ目か忘れたけれど、毎回手伝わされていればコツも勝手につかめるというもの。こんなコツ、欲しくもない。外装を外すと中から緩衝材にくるまれた大きな本体が姿を現す。横にごろりと転がして外装を剥ぎ取ってゴミ袋に詰める。緩衝材は結構な大きさのゴミになるので袋には詰めないで畳んで使っていた梱包紐で縛る。2重3重にくるまれた緩衝材を取り去るとビニールに包まれたソレが姿を現す。色白で血色の悪い肌が無機物丸出しで、私にはどうしても好きになれない。硬質な肢体が不気味で夢に出てきたこともある。ソレは父の仕事関係の展示会で使用されたマネキン人形なのだ。
 人形は本来分解して運ぶ。簡単な物だと上下分割のみ。ポーズによっては腕が外れたり他のパーツが脱着可能になってるらしい。しかし、それは一般的な人形であって、父が持ち帰ってくるソレは全く別物。展示会のメインとなる商品を着せるためにわざわざ有名な造形師を選んで特注の人形を製作するのだそうだ。はっきり言ってお金の無駄使いこの上ない。きっと来場者は人形ではなくて服を見に来るのだから、いくら精巧な人形があったところでそれに興味など示さないのではないだろうか、と言うのが私の見解。だけど世の中には好事家がいるらしく、その類で広まる噂は計り知れないそうだ。なにか間違ってる。

 ビニールから透けて見える肢体は服を着たままの背中部分で頭の部分と手先足先には破損防止にウレタンフォームが巻きつけられている。この時点ではどんな顔をしているのかまだわからない。服を着せたままなのは展示が終わってすぐに梱包に入ったからだろう。どうせ父の扱う商品なのだから引き取っても問題はないし、この人形に合わせて作られたオートクチュールの可能性だってある。そんなことは私には関係ない。
 ゆっくりとビニールを剥いでいく。台所から洗い物をする音がしてきたあたり、父は言われた通りにしているらしい。が、そこで私の手が止まる。いつもと違う様子に気がついたからだ。
「マヤ~、今日の子はどうだい? いつもより全然素晴らしい作品だってみんなが羨ましがってたんだが、お前はどう思う?」
 呑気な父の間延びした声に私はどう答えていいのか、しばし迷った。迷った挙句に、とりあえず聞いてみた。
「あのさ、これってどっちなの?」
「どっちって、何が? ああ、ドレスが可愛いだろ? 新人がデザインしたんだけど、結構評判よくてね。思い切ってやらせてみたら会場でもすごい反響だったよ。斬新な形で、ほら良くゲームとかで出てくるキャラクターのファッションにも似てるだろ? それでいて普段にも来ていけるような新しさを持ってる。最近の若い子は感性あるよなぁ」
 全然違う。
 目前にある等身大の人形はドレスなんか着ちゃあいない。斬新ではあるけれど、ちょっと普段には恥ずかしい派手なシャツにベスト、どこぞのブランドに似せたジーンズをウォッシュアウトした感じのボトム。これじゃあ全く反対の……
 と、そこまで考えて私は父に問いかけた。
「父さん、間違えたでしょ。展示会のメインってメンズとレディース両方あったんじゃない?」
「あれ、よくわかったね。そうなんだよ。今回はウチから独立したチームと組んでコラボレート企画だったんだ。あっちはメンズが主力だからいい機会だと思ってやってみたら上手い具合に当たったみたいでね。いやぁカップルが多くて困ったよ。母さんも連れて行きたかったなぁ」
 全然聞いてないし。まあ、ここまで出してしまったらもう一度梱包するのも大変だし、全部出してしまおうと、私は残りのビニールとウレタンを剥ぎ取りにかかった。
 でも、それが奇妙な出来事の始まりになるなんて思いも寄らなかった。


 男性アイドルグループが画面の中で歌っている。今流行りの歌って踊ってコメディも出来るマルチプレイヤー振りと、イケメンフェイスが高い人気を獲得していた。
「えーとね、この右側の子かな? 小宮山君だっけ?」
 うろ覚えの名前と顔が一致していない私は、ベッドの上の母に指で指し示してみせる。あら、可愛いじゃない、とそれほどショックを受けていない母に対して、脇に座りこんだ父には濃い暗雲が立ち込めていた。どうやら今回の件がよほど堪えたらしい。

 持ち帰った人形は男の子。父が持ち帰ろうとしていたのは同時に展示されていた女の子の人形だったのだ。それも開催前日から期待していて、一目で惚れて気に入って、絶対に持って帰ると心に決めた人形だったらしく、落胆さは計り知れない。その覇気を自分のところの商品にかけるべきではないだろうか。
「あのミイナが造った傑作だよ? 女性の造形はしないって言ってたのに造ってくれたんだよ? もう悔しいったらありゃしないよ」
「でも、手違いで持ってきちゃっただけだから、本物はちゃんと保管されてるんじゃないかしら。連絡は入れたんでしょ?」
「そりゃあもちろんだよ。朝一番で電話した。でも留守電なんだよね…… 役目の終わった人形は廃棄しちゃうらしいから何とかしたいんだけど」
 もはや泣き出しそうな顔をしている父。母はそれでも他人事の様子。いや、もしかしたら興味は別のところに移りつつあるかもしれない。

 両親の人形好きは今に始まったことではない。私が生まれる前から小さなフィギュアを二人してコレクションして楽しんでいたらしい。父が就職をアパレルに進んだのも人形に可愛い服を着せたいからという普通の人とはだいぶ違った願望があり、幸運にもそれが実って今の企画部長という地位にたどり着いた。社内でも父の人形好きは有名らしい。
 母はデザインから始まって被服関係に携わっていたが結婚を期に退職。現在は専業主婦として父のサポートに回ってるのだけど……
「それより母さん。具合の方はどうなの?」
「心配ないわ。ちょっと早く陣痛がきちゃっただけだから。しばらくこのまま様子を見る感じね。まあ、それでも出てこないならお腹切るしかないかも」
 大きくなったお腹をさすりながら満足そうに微笑んでいた。そのお腹には私の弟になる命が宿っている。予定日は来月だったのだけど、先日、夕飯前に急に苦しみだして救急搬送されて今に至る。母子共に危険は無いそうで、毎日院内を闊歩して注意されているそうな。我が母ながらとても恥ずかしい。
「麻耶、面倒なこと押し付けちゃってゴメンネ。お父さんこんなだから、すごく助かってるわ。ありがとうね。もし、どうにもならなかったら姉さんのところに電話して来てもらって」
「大丈夫。それに妙子さん、ウチに来たがらないでしょ。気味悪いって、この間もお茶だけ飲んですぐ帰っちゃったし。私で出来るところは何とかするから、母さんは心配しないで赤ちゃん産んで。間違っても病院でウォーキングなんてしないで。恥ずかしいから」
「あら、それは誤解よ。適度に運動しないと逆に正常に産まれてこないんだから。ベッドで寝てるだけじゃお通じだって悪くなっちゃうわ」
 まともに聞くとは思わなかったけど、一応釘は刺しておいたし、容態もわかったところで私は父を急かして立たせることにした。いつまでもここでダークになられては他の患者さんに迷惑がかかる。
「ねえ、麻耶」
 部屋を出掛かったところで母に呼び止められた。
「今度の彼、もし出来たらで良いんだけど写真に撮っておいてくれる? 本当は現物を見たいんだけど行けそうもないから。私が帰るまで居てくれたら良いんだけどね~」
 やっぱり。興味はそっちにあったのか。間違えて家に来た男の子の人形。それは母の興味を引くには十分すぎる魅力を持っていた。男性人気アイドルクループの一人にソックリな顔をしていたのだ。父のことが好きで結婚したものの母だって女だ。イケメン男子に憧れることだってあるだろう。それが今回ど真ん中ストライクな相手に逆転満塁ホームランだったわけだ。
 ヒラヒラと爽やかな笑顔で手を振る母に引きつった愛想笑いをしながら私は病院をあとにしたのだった。

 彼の名前はセオンというらしい。世音と書いてセオン。連絡を取った父から教えてもらった。なんだか男らしくない。そういえばコイツにソックリなアイドルもルカなんて女っぽい名前だったっけか。芸名かもしれないけど、どう考えても名前と顔が一致しないじゃない。普通なら、一郎君だったら一郎君っぽい顔してるし、龍平君だったら龍平っぽい男っぽさがあるわけでしょう。セオン? ルカ? どこのファンタジーの住人なのよ。いや、片方は人間じゃないけど。
 幾分か落ち着きを取り戻した父は客間にずっと入り浸っていた。どうやら新しく加わるであろう仲間の居場所を確保しているようだ。ウチは普通の一戸建てよりだいぶ大きな敷地に立っている。と言うのも、分譲されていた区画2軒分を買い取って建てた家だからだ。建築会社も二世帯住宅でも作るのかと思ったのだろう。随分と広い客間がリビングの奥に鎮座する間取りになっている。それもそのはず、客間とは名ばかりの洋間で、そこは両親が今までコレクションとして集めてきたフィギュアや人形たちの住処となっているのだ。ある意味、本当の住人である私たちよりも豪華な住まいに住んでいると言えるかもしれない。現在フィギュアはいくつあるのか数えたことはないけれど、人形だけで六体は住んでいる。他の部屋の掃除はできてもこの部屋だけは私の手に負えない。何か問題が起きた場合私の力で対処できるとは思えないからだ。
「父さん、明日は早いんでしょう? そのくらいにしてもう寝たら?」
「ああ、もう少しな。彼女はとびきりだから一番いい席を用意したいんだよ。なに、すぐ終わるから、麻耶は心配しないで先に部屋に行ってなさい」
 勝手なことを言ってるが、言わなければ明け方までいじくりまわしてるに違いない。まるで私が母みたいじゃないか。考えてみれば馬鹿らしい。父の心配をするより自分のことを考えるべきだろう。明日は数学の小テストがあるから少し見直しておいたほうがいい。私は小さく鼻を鳴らして二階の自分の部屋へ向かおうとした。
 階段の下に蹲るように座る男の子がいる。例の人形だ。
 興味がないからって父も酷いことをする。そういえば母が写真をと言っていたのを思いだし、部屋にデジカメを取りに戻った。

「父さん。彼はいつ引取りに来るの?」
 明朝、寝ぼけ状態で電話に出た父に聞いてみた。会話の応対からそれらしき内容だと判断できた。まあ、幾分父の狼狽振りが見て取れたところで大体予想はつくのだけれど。
「聞いてくれよ…… 来週にならないと先生が帰ってこないんだって」
「先生? 誰? ソレ」
 御飯をよそって父に渡しながら私は問い直した。今日の朝食はベーコンエッグとサラダ。いつもより張りのあるタマゴは見事なドームを描いて光っている。昨日の帰りに買い込んだ野菜を水洗いして出しただけのサラダだけど、味噌汁まで作ると私にはこれ以上支度するのは無理。この上自分のお弁当まで詰めなければいけないのだから、毎日の母の苦労がよくわかる。
「造型師のミイナ先生だよ。ほら、たまーに現代美術でニュースにも出てるだろ? 現代のミケランジェロって言われてるくらい男性造形に優れてるアーティストなんだよ」
「ふーん、知らないけど、その先生が居ないとダメなんだ」
 私は生返事をしながらお弁当を詰める。レンジで温めた煮物をラップで包んで場所を確保。仕切りに朝食のレタスをつかってほどよく冷めた卵焼きをセット。あとは既製品のミートボールをうまく配置して完成。食べ終わったら御飯を敷き詰めた箱の蓋を閉めて巾着袋に入れたら出来上がり。何か忘れた気がするけど、さっさと朝食を食べてしまわなければならない。
「そうなんだよ。彼女はあの日の夜に先生の工房に運び込まれて、そのあとすぐに先生は別の仕事で出かけちゃったって言うから、戻るまで彼女の身柄は保証されるけど手出しは全くできない状態なんだ」
「あのね、誘拐されたわけじゃないんだから。元はといえば父さんが間違えて持ってきちゃったのがいけないんだから、その先生に迷惑かけてるのわかってる? 大体返すはずのあの男の子、あのままでいいの?」
「あ、いや…… ほら、僕は梱包するの専門じゃないし、下手に包むより取りに来た人に任せたほうが安心かな~と」
 母さんのエプロンを外して私は自分の席に着く。出来立てだったベーコンエッグはだいぶ冷めてしまったようだ。致し方ない。
「父さん。早くしないと遅れるよ。彼だって先生の作品には違いないんだからもっと丁重に扱ったほうが良いと思う。階段の下に座らせるなんてかなり差別してるんじゃないかな」
「そう言われてもなぁ、洋室はもういっぱいだし…… そうだ、マヤの部屋に置かせてもらえないかな? 彼イイ男だろ? ああいうイケメンだったら父さんも許しちゃうよ」
 嘘つけ。置いとくだけなら洋室でいくらでもスペースはあるじゃない。要するに、あそこは自分だけのプライベートスペースで、何物であれ父さんのセンスから外れるものはこれっぽっちも置きたくないってわけだ。それに何? どうして私の部屋なのよ。母じゃあるまいし、私はイケメンが好きなわけじゃないんだから勘弁して欲しい。あの顔をしばらく見て過ごさなきゃいけないなんて、かなりの拷問じゃなくて? なんとかってグループのルカって人を思い出しちゃうじゃない。
 黙々と朝食を流し込む私を父はチラチラと上目遣いに伺っていた。
「なあ、マヤ。頼むよ。今回だけのお願い。父さんが悪かったからさ。お詫びに何か…… そうだ、この間話してた新型のスマホ買ってあげるからさ」
「いらない。どうせ私、電話とメールしか使わないし。父さんと違って新しい物好きでもないし。でも、そうね…… 母さんが帰ってくるまで自分のことは自分でするってことでどう? そうすれば私も今までと同じように自分の時間取れるし、父さんが遅くても待ってなくて済むから」
「ええ~!? じゃあ、ご飯は? 洗濯は? 全部自分でやるの?」
 悲痛な声を上げる父。それでも親か、あんたは。結婚前は自炊してたことあるんだから少しくらいできるでしょう。まあできない部分はフォローしてあげなくもないけど、それくらいのケジメを付けて欲しいと思う。いくら稼ぎ手とは言え勝手気ままではこっちが迷惑だ。親しき仲にも礼儀あり。家族といえど別の人間なのだから。
「わかったよ。マヤにはすごく面倒かけてるもんな。ゴメン。今夜から父さんは、自分のことは自分でする。できるだけマヤに頼らないようにする。だから、彼のこと済まないがよろしく頼むよ」
「頼むよって言われたって、部屋に置いといてどうするの? 手入れとかするんじゃないの?」
「ああ、そっちは…… きっと大丈夫。何ヶ月も放置するわけじゃないし、うん、マヤは綺麗好きだからね」
 どう言う意味よ、と問いかけようとする前に、父は立ち上がって階段の元へ歩いて行った。そして、重たい何かを抱えて二階へ上がる音が響いてくる。さすがこういう行動だけは素早い。この行動力を別のところに生かせないものだろうか。私は箸を置いて席を立った。父の茶碗と皿はいつの間にかカラになっていて、洗ってくださいとばかりに行儀よくテーブルに重ねられていた。


 4時限目が終了してクラスメートたちが昼食のために活動しだす。私も気の合う仲間と教室で机を寄せ合い準備を進める。が、取り出した巾着袋の手応えから重要な物がないことに気づいた。
「お箸…… 忘れちゃった」
 痛恨のミス。中身が無いなんて大ポカではないものの、出しておいて忘れるなんてお話にならない。父と話しながら用意していたから話に気を取られたんだろう。
「えー、どうするの?」
「食べ終わってからで良かったら貸してあげるよ」
 私は苦笑いを作って大丈夫のアピールをする。食堂に行けば箸くらい借りられるだろう。開いた弁当箱を一旦閉じて私は席を立った。
 学園には大食堂がある。かなり大きな施設になっていて高等部の生徒だけでなく隣接する大学部、研究員から教職員や教授まで利用する公共の場となっている。メニューも豊富で学園関係者であれば誰でも買い求めることができる。また購買部とも併設になっており、パンや惣菜もそこで見繕うこともできる。懐の豊かな人達は決まってそこで食事をしているようだが、私自身これまで一度も利用したことがなかった。唯一の欠点としてこちらの校舎からかなり距離があり、ゆっくりとした昼休みを満喫するには難があったのだ。
 今から急いで行けばみんなは食べ終わってしまうかもしれないけれど、休み時間後半までには戻ってこれるだろう。そう判断して私は教室を出ようとした。
「森口、待ちなって」
「何? 急いでるんだけど」
 扉の手前で一人の男子に遮られる。隣のクラスの異端児、播磨勇作だった。相変わらずちょっかいを出してくるどうにも癪に触る男子で、それでいて女子にそれなりの支持されてるからあまり無下にもできない。扱いづらい人種とは彼のような人を言うんだろう。どうせなら徹底的に無視したり、大っ嫌いだから近づかないでと言えたらどんなにスッキリするかと思うのだが、いかんせん彼はそこまで悪人ではないからタチが悪い。適当にあしらって終わりにしようと口を開きかけて、結局セリフを紡ぐことができなかった。
 彼の差し出した手に、コンビニの割り箸が握られていたからだ。
「無いんだろ? まだ使ってないからやるよ。弁当買ったらレジのオバサン2膳入れたらしくてな」
「あ、ありがとう…… 助かったわ」
「ほれ、さっさと戻って食いねえ」
 勇作に背中を押されて席に戻ると、今度は仲間から冷やかしの声が上がる。のろのろと封を切って箸を取り出して自前の弁当に口をつける。なんか悔しい。またこれでアイツにポイント取られた気分だ。ささやかな親切なんだけど、アイツにされると素直に受け取れない自分がいる。どうしてなんだろうか。自信作の卵焼きは味も素っ気も感じられず、ストンと胃袋に落ちただけだった。

 全員が食べ終わって、弁当箱も片付けてまもなく、弾んだ会話にやはりアイツは絡んでいた。
「でさ~、アタシ思ったわけ。スタイルも結構重要だけど、第一印象は顔で決まるじゃない? はっきり言ってそこがダメなら全部ダメだよね~」
「そんなことねぇだろ。お前みたいなオッパイでかい女が好きな奴いくらでもいるし、そいつらにしてみりゃ顔なんてそこそこで良いんだよ。全然問題ねぇって」
「そうかなぁ。だってさ、そう言う奴ってエッチがしたいだけって感じじゃない?」
 いつもの如くエロ全開な英美と勇作のマシンガントークが続く。隣の陽子はニコニコしながら聞いているだけだが、本当にわかっているのか定かではない。そりゃあ私だって興味がないわけじゃないけれど、真昼間から教室の一角で結構なボリューム上げて会話してたら、はっきり言って注目の的。いや、教室にいるみんながこっちの話を聞いている。恥ずかしいったらありゃしない。人目をはばからず堂々と話し続けられる神経が不快に感じるのだ。
「そういや森口さ~。お前の親父さんがやってた展示会、アレ面白かったな」
「えー、なになに? 麻耶のお父さん、なんかやってるの?」
「え、ちょっ、急に話しを振らないでよ」
 虚しいばかりの抵抗を試みてみるものの、それがなかったことのようにスルーされるなんていつものこと。どのがんばってもコイツは私を話のネタにするつもりなんだ。
「ほら秋冬コレクションの展示会。毎年んやってるアパレルのアレだよ。今年はすごかったな。メインの衣装着た人形がさ、マジ人間みたいなの。あれやばいよ。なんつったっけかあのアーティスト。ほら現代のなんとかって言う女の彫刻家」
「現代のミケランジェロ。彫刻家じゃなくて造形師。ミイナ先生」
 と、口をはさんでみる。全て今朝の父からの受け売りではあるけれど。間違った情報で突き進まれても困るのはこっちだ。もっとも、知っててワザとやってる節もあるから悔しい。
「おーそれそれ。男性造形師だっけか。宮深衣奈って凄腕の人らしいな。魔法使いじゃねぇかっても言われてるらしいぜ。親父さんもよく引っ張ってこれたよな」
「そんなすごいんだ。ねえ、それってまだやってる? 見たい見たい~」
「残念でした。先週で終わり。ネットに動画とか上がってんじゃね? でもさ~、あの人形下手したら数千万の値が付くんじゃねぇの? 服も話題になったけど、やっぱり目玉はあの人形だろ。掲示板でも盛り上がってるみたいでさ」
 どうしてだろう。優作は私の方に話を振ってくる。さっきまであんなに楽しそうに英美と話していたのに、今度は私をダシに使おうっていうのか。随分と事情を知ってるみたいだけど、私自身人形には全く興味はないし、父の仕事に関してこれっぽっちも知っていることはない。話を合わせようにもさっき出した知識で終わりなのだから後がない。
「ご、ゴメン。その手のことは全然知らないの。人形のこともつい先日知ったばかりで、父さんには本当に迷惑してるのよ」
「え…… マジで?」
 ピタリと彼の動きが止まる。ああ、やっちゃった、と思った。話を切るつもりはなかったのだけど、私のセリフは勇作にとってあまりに衝撃的だったようだ。少し困ったような顔をして、それから何かを言おうとしたが、やっぱり言葉にならなかった。
 彼のセリフの直前に休み時間終了のベルが鳴ったからだ。


 西の空に傾く太陽が昼間より大きく感じる夕刻、多くの生徒が下校していて、残っているのは部活動している運動部か、生徒自治会のメンバーくらいなもので、残念ながら私はそのどちらにも所属はしていなかった。被服科講師から通じて美術科専任講師の三枝先生に呼び出されていたのだ。母が学園のOGで被服科では優秀な成績を収めていたことから未だに繋がりがあるようで、母の後輩でもある被服科講師はウチの内情を逐一母から聞き出していたようである。今回の展示会でお披露目された造型師ミイナの作品はおいそれと世間に出回るものではなく愛好家の間で目が飛び出るような金額で取引される代物なんだそうだ。そう言った現代アートの粋である人形のことを三枝先生は聞きつけたようで、どうにかして実習として直に拝見できないか父に申し入れてくれないかと懇願してきたのだ。私とて本当に貢献できるのなら受け入れたいくらいの申し出ではあるものの、所有者は私ではなく父であるからしてあまり期待できないことだけはお伝えして、話はしてみることで了承を得たのだった。
 外を眺めればあと1時間もすぎれば夜の帳が降り始めるところまで来ていた。今から買出ししても空振りに終わるかもしれない。昨日作った煮物と干物がまだ残っているはずだから、今夜は粗食で揃えよう。下手に有り合わせの惣菜を並べるよりも父には悪いが外で食べてきてもらったほうが良い。今から電話を入れれば間に合うだろう。そう思って美術室を出てから私は携帯を開いた。
「あら、校内では通話禁止よ」
 発信しようとした瞬間に声をかけられて飛び上がらんばかりに驚いた。室内に残っていたのは先生だけだと思っていたのだが、資料室側で残っていた生徒がいたらしい。
「スイマセンっ! ゴメンなさい!」
「そんなに謝ることはないけど、もし私が生徒指導の先生だったら問答無用で携帯取り上げられちゃうから。誰もいないところで隠れて電話する癖をつけておいたほうが良いと思うわ」
 スケッチブックを小脇に抱えていたのは、少し長めの黒髪をした凛々しい感じの女生徒。リボンの色から先輩であることがわかる。もしかすると卒業制作で残っていたのかもしれない。その先輩はそのまま私をしばらくじっと見つめて少し考えて、そして納得したように口を開いた。
「貴女、森口さんね?」
「あ、はい。あの…… ご存知なんですか? 私のこと」
「ええ、貴女のお父様と少しお話をしたことがあるわ。その時に貴女の写真を見せてもらっていたから。どこかで見た記憶があると思ったの」
 フッと柔らかく口元が笑う。でも眼差しは少しも揺れていなくて、少し冷たい感じのする微笑だった。一つしか歳が離れていないというのに、すごく遠い存在で、大人の香りが漂うとはこんな感じなんだろうと勝手に思い込んでしまった。その挙句に自分でも突拍子もないことを尋ねてしまった。
「あの、父とは、その、どんな関係なんですか?」
「貴女のお父様の会社は葛面川にとって有望な部署だから視察を兼ねて展示会で何度かお会いしたのよ。女性向けアパレルでは今のところ他にはない切り口で開拓して売上を伸ばしてるから、御祖父様としても繋いでおきたいと考えたのね」
「葛面川…… 葛面川グループですか?! あの!?」
 グループとしては屈指の国内企業でこの学園の創設にも大きく関わっている葛面川グループ。老舗として名高いのは百貨店経営よりもむしろ和菓子専門店としての店構え。この学園の生徒ならさわりくらい誰でも知ってることである。そのグループと父の会社が関係していたなんて私にとって大きな衝撃だった。一中流平凡レベルの家庭だと思っていた位置が2ランクほどジャンプアップしてしまった気分だった。そして、目前に優雅に佇む先輩はそのグループの……
「自己紹介がまだだったわね。私は有瀬菜摘。葛面川は私の御祖父様の起てた会社だから直接は関係していないけど、今のところ後継者が決まってない上に御祖父様が出席したがらないおかげで私が出る羽目になってるの。まあ、このことは一応オフレコだから黙っておいてね。私自身普通の女子生徒としてこの学園に通ってるわけだし」
「はあ…… でも、どうしてそれを私に?」
 すると先輩はたまらず笑い出した。しかも止めようとしても止まらない、思い出し笑いにお腹をかかえて身をよじる始末。私には事情が飲み込めず、先輩が収まることを待つしかない。ひとしきり苦しんだあと、先輩は目元を指先で拭ってため息をついた。
「ゴメンなさい。あまりに貴女のお父様が印象的だから可笑しくって。いえ、悪い意味ではないの。すごく愛されてるんだなって、本当に羨ましかったくらいだから」
「どういうことなんです?」
「貴女のお父様はね、すごくシャイな方なんだけど、家族思いで素晴らしい方よ。貴女の写真を手帳に入れて持ち歩いてるくらいなんだから奥様が可哀想に思えてくるわ」
 先輩の言葉にイマイチ納得ができないでいた。母を口説き落とすのに三日もかけて念入りに用意をしていたけれど、全部それが母にはバレバレで、慌てて取り繕って狼狽しまくる父は付き合う告白よりも先にプロポーズをしたというのだから、シャイというよりは鈍臭いのではないだろうか。ただ、いつも自分の趣味に没頭してるように見えて、なんだかんだと家族のことを考えてやりくりをしているかもしれない。母が救急車で運ばれたとき、仕事中だったというのに運ばれた先の病院で既に待っていた父。どんなに遅くなっても必ず家に帰ってくる父。毎年誕生日を祝ってくれる父。思えば父のおかげでこうしてこの学園で自由に学ぶことができているのではないだろうか。
「さて、私はそろそろ帰るわ。夕飯の支度もしなきゃいけないし」
「ええ!? 先輩もですか!?」

「もって何? 森口さんも夕食の準備とか、するの?」
 意外そうな顔をして振り返る先輩が、私にとって超超強力な助っ人に見えてきた。はっきり言って私の周りで、自分で料理を作る人は少ない。ケーキやクッキーなどスイーツを自前でチャレンジする猛者はいるけれど、毎日の食事を準備するまでには至らない。恐らくは手伝い程度に台所へ入るのだろう。そう考えると私自身いかに大変な仕事を任されているのか身にしみてわかった気がする。この学園に通う生徒だからと言うこともあるだろう。一般的な苦学生だったら自炊くらい当たり前だと聞いたことはある。父も母も学生時代はずっと自炊してたらしいから私は全然恵まれてるんだと思う。
 私は思い切って前フリなしに聞いてみることにした。
「あの、失礼ですけど、食材の買い出しとかってどちらでされてますか?」
 先輩はやっぱり、口元だけで微笑んで、一緒に行きましょうか、と手を差し出してくれた。
 父さん、やっぱり今日は遅くなっても良いから帰ってきていいや。そう願いを込めて私は携帯をカバンにしまい込んだのだった。

 私の見込み通り先輩は物凄いスキルの持ち主だった。スキルだけではなく、それに甘んじないで研ぎ澄ましたかの如く節制を積み重ねた生活が垣間見れた。会長の孫娘と言えば豪華なマンション住まいとか高級家具に囲まれた部屋とか召使が幾人も付いてて専門のシェフがいたりしてもおかしくないわけだけど、先輩はどれ一つとして所持していなかった。ごく普通のアパートにウチよりも数段劣る質素な家具が並び、それでも小奇麗にされた部屋を使いこなして快適な空間を作り出していた。
 2kで2階建ての2階、角部屋のアパートは築20年ほどで防音もあまりよろしくはなさそうだったけど、それでも防犯はしっかりしていて2重ロック扉に針金入りスリガラスの窓と雨戸、エアコンが設置されていた。残念ながらお風呂はユニットで冬場は近くの銭湯に三日に一度出かけるのだそうだ。
「じゃあ早速始めましょう。下ごしらえが出来ればお家に持ち帰ってすぐ作れるわ。1人分作るのも3人分作るのも、量が違うだけでそんなに手間はかからないわよ」
 ちゃぶ台にスーパーの袋を並べて必要な食材を取り出しながら、先輩は手際よく進めていく。シンクに水を張り野菜を手洗いしていった。
「スイマセン、ありがとうございます。無理言って手伝ってもらうみたいで、部屋にも上がらせてもらっちゃって、本当にスイマセン」
「いいのよ。一人で作るより一緒に作ったほうが楽しいし、森口さんのことを知るいい機会だもんね。野菜の選び方、お母様に習ったのかしら? 中々いいセンスしてると思うわ」
「あ、ありがとうございます」
 冷蔵庫の上に畳んであったエプロンを制服のまま袖に通して、まな板をと包丁を取り出すと、先輩はひと呼吸おいて布巾拭って、それからリズミカルにキャベツを刻み始めた。

 買い物の最中にいろんなことを話した。先輩は物静かだけど少し冷たくて怖い気がしていた。でも、話しているうちに何故そんな雰囲気になったのかわかったような気がした。有瀬の家は葛面川の分家で、元々本家とはあまり交流がなかったそうだ。小さい頃はそれこそ私たちと同じように何のしがらみもなく自由に毎日を過ごしていて楽しかったそうだ。住んでいたのはもっと山奥ののんびりとした町で自然があふれる場所だったそうだ。それが数年前に両親を亡くして葛面川本家に引き取られることになってこちらに移ってきたらしい。
 葛面川は以前から後継者についてグループ内での揉め事がニュースにも発表されていた。現会長の権力が大きくてそれを任せられる人間がいないと父が教えてくれた。大きな力は一つ間違えば世界を揺るがしかねない大事件に発展する恐れがある。私たちの生活は今のところ安定しているけれど、僅かにズレただけでも大きな被害を被ることになる。例えば、台風や大雪など自然災害によって流通が止まってしまったら、本来手に入るはずの食材が全く食べられなくなる恐れがある。この国は比較的裕福だけど、自分の国で自給自足ができているわけではなくて、ほとんどの物を輸入に頼っている。もしこれが止まってしまったら私たちを含め多くの人たちが生活に困ることだろう。大きな力の影響とはきっとそう言う事なんだと思う。
 先輩はすごく大人っぽい。格好良い女性とはこんな感じを指すんじゃないだろうか。気取っていなくて、誰かに頼ってもいなくて、真っ直ぐで凛々しくて、一人で立ってる。自分でしっかり考えて正しい方向を向いてる。そのことに自信を持ってる。私にはまだそんな胸を張って行ける気がしない。そう、全てにおいて余裕があるのだ。慌てて、焦って取り繕うわけじゃなくて、問題が起きたとしてもすぐさま対処ができる。こうすれば大丈夫って答えが出る。これこそ大人の余裕なんだろう。
「何? 私、何か変?」
「あ、いえ、全然、すごいです」
 急に目が合って驚いた。恥ずかしい。ハズカシイ。私みたいなのが先輩の傍に居ても良いんだろうか。これは夢なんじゃないか。誰かのしくんだドッキリだったりはしないか。まともに先輩を見つめることに罪悪感を感じていた。
 こんな素敵な女性になれたらいい。
 私の淡く儚い憧れだった。

 小一時間はいた気がするのだけど、実際には20分程度。楽しい時間は過ぎるのが早い。でもそれはちょっと違う。時間はきっといつもと同じように流れている。違うのは自分の中の思い。毎日のリズムで思考を繰り返したなら20分なんてあっという間。でも、高速回転で普段の数倍の思考を繰り返したらとても内容が濃くて長い。その代償として、考えたことがしっかり記録できていなくて、すごく感動してもどんなことに感動したか覚えていない。人間の脳がこなせる仕事は上限が決まっているんだ。なんだか残念な気持ちになる。
 仕込んだ食材を借りたタッパーに入れて準備完了。これで先輩とはさよならだ。名残は惜しいけれどいつまでもお邪魔するわけにはいかないし、父さんも帰ってきてしまう。早く準備しなければせっかく先輩が手伝ってくれた仕込みが台無しになってしまう。
「先輩、あの、本当にありがとうございました……」
 歯切れの悪い挨拶をしてしまったが、先輩には気づかれなかったらしい。いつの間にか普段着に着替えて私を見送りに出てきてくれた。どこにでもある無地のシャツにジーンズのパンツなのに、何故かカッコイイ。
「こちらこそ、引き込んじゃったみたいで悪かったわ。でも、楽しいお話ができてよかった。お父様によろしくね。何か相談したいことがあったら遠慮なく言ってね。一応私、森口さんの先輩だから」
「はい、こちらこそ、よろしくです。では、失礼します」
 また明日、学園で、と手を振りながら先輩は扉を閉めた。
 私は、少しだけその場所に立ち尽くして、それから階段を降りたのだった。

続く

(未校正 推敲無し 原文のまま掲載)

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