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2012年10月の日記

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2012/10/23(火) 雨ですよ~

みなさんこんばんは。
せっかくの三連休は物書きでほとんど消化してしまいました。

予定ではMMDを少しでも弄ろうかと思っていたのですが、思いのほか物書きが進んでしまったため、全てそちらに回してしまった感じですね。
学園奮戦記、追加のエピソードを一つ立ち上げてしまいました。こちらについては今のところ何も前情報なしで掲載していきます。
それと先行して進めている「氷る世界」についても、思ったより長いエピソードになりそうな気がします。ショートストーリーでまとめたかったんですけど、色々と書き足してくと結構な長さになりそうですね。もしかしたら頓挫するかも……w

今月の連休は全て消化してしまい、また明日から通常の仕事に戻ります。なので、月が明けるまでは執筆が滞りそうです。でも、来月も連休をもらえるので、この機会にガーッと書き進めておきたいと思ってます。

まあ、サイトの手直しまで回れないとは思いますけど、今年中にMMDを使った何かはやりたいんで、頑張ってみます。ハイ。

また次回です。

セオン~身代わりの人形(ヒトガタチ) 1

創作小説
 ある日アパレル販売を手がけている父が身の丈ほどある大きな荷物を抱えて帰ってきた。と言っても、本当に持って歩けるほど軽いものではなく、その細長い梱包物は玄関口で出迎えた私には到底支えきれる代物ではなかった。門扉の外にお店の車が来ていたところを見るとどうやらソレを積んで送ってもらったらしく、嬉しそうに手を振って送り出していた。ソレがなんであるか少しだけ読めた気がした。
 母が入院中とあって家には私と父しかいない。仕事で不規則気味な父に対して私ができることは精々母から教わった栄養の偏らないレシピで食事を作り、汚れ物を洗濯して、家の中を軽く掃除するくらいだ。どんなに頑張ったところで母にはかなわないので、入院前にそれだけははっきりと断っておいた。すると「あなたの本分は学生なんだからそちらを優先しなさい」と鼻で笑われてしまった。一体それはどういう意味なののか、釈然としない気持ちのまま日々を過ごしている。
 鼻歌を口ずさみながら父は真っ先に風呂に向かう。邪魔臭いソレは玄関に放置されたまま、私には移動出来そうもないので仕方なく夕食の準備を進めることにした。その時は、父のコレクションがもう一つ増えるくらいにしか思ってなかったのだ。

「マヤ。済まないが玄関の荷物の梱包を解いておいてくれないかな?」
 暖め直したおかずを突っつきながら父は私に呼びかけてきた。どの道父が食べ終わるまで私はテレビをながめて待つしかない。部屋に戻ってもしばらくしたら片付けのために台所に立たなければならない。いつもなら父が洗い物をしてくれるのだけど、アレがある以上きっとそっちに気を取られるに決まってる。
「良いけど、だったら食べ終わった食器洗っておいてくれる? 食べっぱなしだったら明日の夕飯抜きだからね」
「うは、そりゃあきついな。わかったよ。ちゃんと洗っておくから。ああ、結構重いから気をつけてな。無理に動かさなくていいから」
 私はため息をついてどんより重くなった腰を上げる。今に始まったことではないけれど、流石に年頃の娘にこういうことをやらせるのはどうかと思う。ううん、絶対におかしい。母も一緒になって楽しんでるのが信じられない。
 玄関の明かりを点けて、ハサミを片手に手際よく梱包を外していく。いくつ目か忘れたけれど、毎回手伝わされていればコツも勝手につかめるというもの。こんなコツ、欲しくもない。外装を外すと中から緩衝材にくるまれた大きな本体が姿を現す。横にごろりと転がして外装を剥ぎ取ってゴミ袋に詰める。緩衝材は結構な大きさのゴミになるので袋には詰めないで畳んで使っていた梱包紐で縛る。2重3重にくるまれた緩衝材を取り去るとビニールに包まれたソレが姿を現す。色白で血色の悪い肌が無機物丸出しで、私にはどうしても好きになれない。硬質な肢体が不気味で夢に出てきたこともある。ソレは父の仕事関係の展示会で使用されたマネキン人形なのだ。
 人形は本来分解して運ぶ。簡単な物だと上下分割のみ。ポーズによっては腕が外れたり他のパーツが脱着可能になってるらしい。しかし、それは一般的な人形であって、父が持ち帰ってくるソレは全く別物。展示会のメインとなる商品を着せるためにわざわざ有名な造形師を選んで特注の人形を製作するのだそうだ。はっきり言ってお金の無駄使いこの上ない。きっと来場者は人形ではなくて服を見に来るのだから、いくら精巧な人形があったところでそれに興味など示さないのではないだろうか、と言うのが私の見解。だけど世の中には好事家がいるらしく、その類で広まる噂は計り知れないそうだ。なにか間違ってる。

 ビニールから透けて見える肢体は服を着たままの背中部分で頭の部分と手先足先には破損防止にウレタンフォームが巻きつけられている。この時点ではどんな顔をしているのかまだわからない。服を着せたままなのは展示が終わってすぐに梱包に入ったからだろう。どうせ父の扱う商品なのだから引き取っても問題はないし、この人形に合わせて作られたオートクチュールの可能性だってある。そんなことは私には関係ない。
 ゆっくりとビニールを剥いでいく。台所から洗い物をする音がしてきたあたり、父は言われた通りにしているらしい。が、そこで私の手が止まる。いつもと違う様子に気がついたからだ。
「マヤ~、今日の子はどうだい? いつもより全然素晴らしい作品だってみんなが羨ましがってたんだが、お前はどう思う?」
 呑気な父の間延びした声に私はどう答えていいのか、しばし迷った。迷った挙句に、とりあえず聞いてみた。
「あのさ、これってどっちなの?」
「どっちって、何が? ああ、ドレスが可愛いだろ? 新人がデザインしたんだけど、結構評判よくてね。思い切ってやらせてみたら会場でもすごい反響だったよ。斬新な形で、ほら良くゲームとかで出てくるキャラクターのファッションにも似てるだろ? それでいて普段にも来ていけるような新しさを持ってる。最近の若い子は感性あるよなぁ」
 全然違う。
 目前にある等身大の人形はドレスなんか着ちゃあいない。斬新ではあるけれど、ちょっと普段には恥ずかしい派手なシャツにベスト、どこぞのブランドに似せたジーンズをウォッシュアウトした感じのボトム。これじゃあ全く反対の……
 と、そこまで考えて私は父に問いかけた。
「父さん、間違えたでしょ。展示会のメインってメンズとレディース両方あったんじゃない?」
「あれ、よくわかったね。そうなんだよ。今回はウチから独立したチームと組んでコラボレート企画だったんだ。あっちはメンズが主力だからいい機会だと思ってやってみたら上手い具合に当たったみたいでね。いやぁカップルが多くて困ったよ。母さんも連れて行きたかったなぁ」
 全然聞いてないし。まあ、ここまで出してしまったらもう一度梱包するのも大変だし、全部出してしまおうと、私は残りのビニールとウレタンを剥ぎ取りにかかった。
 でも、それが奇妙な出来事の始まりになるなんて思いも寄らなかった。


 男性アイドルグループが画面の中で歌っている。今流行りの歌って踊ってコメディも出来るマルチプレイヤー振りと、イケメンフェイスが高い人気を獲得していた。
「えーとね、この右側の子かな? 小宮山君だっけ?」
 うろ覚えの名前と顔が一致していない私は、ベッドの上の母に指で指し示してみせる。あら、可愛いじゃない、とそれほどショックを受けていない母に対して、脇に座りこんだ父には濃い暗雲が立ち込めていた。どうやら今回の件がよほど堪えたらしい。

 持ち帰った人形は男の子。父が持ち帰ろうとしていたのは同時に展示されていた女の子の人形だったのだ。それも開催前日から期待していて、一目で惚れて気に入って、絶対に持って帰ると心に決めた人形だったらしく、落胆さは計り知れない。その覇気を自分のところの商品にかけるべきではないだろうか。
「あのミイナが造った傑作だよ? 女性の造形はしないって言ってたのに造ってくれたんだよ? もう悔しいったらありゃしないよ」
「でも、手違いで持ってきちゃっただけだから、本物はちゃんと保管されてるんじゃないかしら。連絡は入れたんでしょ?」
「そりゃあもちろんだよ。朝一番で電話した。でも留守電なんだよね…… 役目の終わった人形は廃棄しちゃうらしいから何とかしたいんだけど」
 もはや泣き出しそうな顔をしている父。母はそれでも他人事の様子。いや、もしかしたら興味は別のところに移りつつあるかもしれない。

 両親の人形好きは今に始まったことではない。私が生まれる前から小さなフィギュアを二人してコレクションして楽しんでいたらしい。父が就職をアパレルに進んだのも人形に可愛い服を着せたいからという普通の人とはだいぶ違った願望があり、幸運にもそれが実って今の企画部長という地位にたどり着いた。社内でも父の人形好きは有名らしい。
 母はデザインから始まって被服関係に携わっていたが結婚を期に退職。現在は専業主婦として父のサポートに回ってるのだけど……
「それより母さん。具合の方はどうなの?」
「心配ないわ。ちょっと早く陣痛がきちゃっただけだから。しばらくこのまま様子を見る感じね。まあ、それでも出てこないならお腹切るしかないかも」
 大きくなったお腹をさすりながら満足そうに微笑んでいた。そのお腹には私の弟になる命が宿っている。予定日は来月だったのだけど、先日、夕飯前に急に苦しみだして救急搬送されて今に至る。母子共に危険は無いそうで、毎日院内を闊歩して注意されているそうな。我が母ながらとても恥ずかしい。
「麻耶、面倒なこと押し付けちゃってゴメンネ。お父さんこんなだから、すごく助かってるわ。ありがとうね。もし、どうにもならなかったら姉さんのところに電話して来てもらって」
「大丈夫。それに妙子さん、ウチに来たがらないでしょ。気味悪いって、この間もお茶だけ飲んですぐ帰っちゃったし。私で出来るところは何とかするから、母さんは心配しないで赤ちゃん産んで。間違っても病院でウォーキングなんてしないで。恥ずかしいから」
「あら、それは誤解よ。適度に運動しないと逆に正常に産まれてこないんだから。ベッドで寝てるだけじゃお通じだって悪くなっちゃうわ」
 まともに聞くとは思わなかったけど、一応釘は刺しておいたし、容態もわかったところで私は父を急かして立たせることにした。いつまでもここでダークになられては他の患者さんに迷惑がかかる。
「ねえ、麻耶」
 部屋を出掛かったところで母に呼び止められた。
「今度の彼、もし出来たらで良いんだけど写真に撮っておいてくれる? 本当は現物を見たいんだけど行けそうもないから。私が帰るまで居てくれたら良いんだけどね~」
 やっぱり。興味はそっちにあったのか。間違えて家に来た男の子の人形。それは母の興味を引くには十分すぎる魅力を持っていた。男性人気アイドルクループの一人にソックリな顔をしていたのだ。父のことが好きで結婚したものの母だって女だ。イケメン男子に憧れることだってあるだろう。それが今回ど真ん中ストライクな相手に逆転満塁ホームランだったわけだ。
 ヒラヒラと爽やかな笑顔で手を振る母に引きつった愛想笑いをしながら私は病院をあとにしたのだった。

 彼の名前はセオンというらしい。世音と書いてセオン。連絡を取った父から教えてもらった。なんだか男らしくない。そういえばコイツにソックリなアイドルもルカなんて女っぽい名前だったっけか。芸名かもしれないけど、どう考えても名前と顔が一致しないじゃない。普通なら、一郎君だったら一郎君っぽい顔してるし、龍平君だったら龍平っぽい男っぽさがあるわけでしょう。セオン? ルカ? どこのファンタジーの住人なのよ。いや、片方は人間じゃないけど。
 幾分か落ち着きを取り戻した父は客間にずっと入り浸っていた。どうやら新しく加わるであろう仲間の居場所を確保しているようだ。ウチは普通の一戸建てよりだいぶ大きな敷地に立っている。と言うのも、分譲されていた区画2軒分を買い取って建てた家だからだ。建築会社も二世帯住宅でも作るのかと思ったのだろう。随分と広い客間がリビングの奥に鎮座する間取りになっている。それもそのはず、客間とは名ばかりの洋間で、そこは両親が今までコレクションとして集めてきたフィギュアや人形たちの住処となっているのだ。ある意味、本当の住人である私たちよりも豪華な住まいに住んでいると言えるかもしれない。現在フィギュアはいくつあるのか数えたことはないけれど、人形だけで六体は住んでいる。他の部屋の掃除はできてもこの部屋だけは私の手に負えない。何か問題が起きた場合私の力で対処できるとは思えないからだ。
「父さん、明日は早いんでしょう? そのくらいにしてもう寝たら?」
「ああ、もう少しな。彼女はとびきりだから一番いい席を用意したいんだよ。なに、すぐ終わるから、麻耶は心配しないで先に部屋に行ってなさい」
 勝手なことを言ってるが、言わなければ明け方までいじくりまわしてるに違いない。まるで私が母みたいじゃないか。考えてみれば馬鹿らしい。父の心配をするより自分のことを考えるべきだろう。明日は数学の小テストがあるから少し見直しておいたほうがいい。私は小さく鼻を鳴らして二階の自分の部屋へ向かおうとした。
 階段の下に蹲るように座る男の子がいる。例の人形だ。
 興味がないからって父も酷いことをする。そういえば母が写真をと言っていたのを思いだし、部屋にデジカメを取りに戻った。

「父さん。彼はいつ引取りに来るの?」
 明朝、寝ぼけ状態で電話に出た父に聞いてみた。会話の応対からそれらしき内容だと判断できた。まあ、幾分父の狼狽振りが見て取れたところで大体予想はつくのだけれど。
「聞いてくれよ…… 来週にならないと先生が帰ってこないんだって」
「先生? 誰? ソレ」
 御飯をよそって父に渡しながら私は問い直した。今日の朝食はベーコンエッグとサラダ。いつもより張りのあるタマゴは見事なドームを描いて光っている。昨日の帰りに買い込んだ野菜を水洗いして出しただけのサラダだけど、味噌汁まで作ると私にはこれ以上支度するのは無理。この上自分のお弁当まで詰めなければいけないのだから、毎日の母の苦労がよくわかる。
「造型師のミイナ先生だよ。ほら、たまーに現代美術でニュースにも出てるだろ? 現代のミケランジェロって言われてるくらい男性造形に優れてるアーティストなんだよ」
「ふーん、知らないけど、その先生が居ないとダメなんだ」
 私は生返事をしながらお弁当を詰める。レンジで温めた煮物をラップで包んで場所を確保。仕切りに朝食のレタスをつかってほどよく冷めた卵焼きをセット。あとは既製品のミートボールをうまく配置して完成。食べ終わったら御飯を敷き詰めた箱の蓋を閉めて巾着袋に入れたら出来上がり。何か忘れた気がするけど、さっさと朝食を食べてしまわなければならない。
「そうなんだよ。彼女はあの日の夜に先生の工房に運び込まれて、そのあとすぐに先生は別の仕事で出かけちゃったって言うから、戻るまで彼女の身柄は保証されるけど手出しは全くできない状態なんだ」
「あのね、誘拐されたわけじゃないんだから。元はといえば父さんが間違えて持ってきちゃったのがいけないんだから、その先生に迷惑かけてるのわかってる? 大体返すはずのあの男の子、あのままでいいの?」
「あ、いや…… ほら、僕は梱包するの専門じゃないし、下手に包むより取りに来た人に任せたほうが安心かな~と」
 母さんのエプロンを外して私は自分の席に着く。出来立てだったベーコンエッグはだいぶ冷めてしまったようだ。致し方ない。
「父さん。早くしないと遅れるよ。彼だって先生の作品には違いないんだからもっと丁重に扱ったほうが良いと思う。階段の下に座らせるなんてかなり差別してるんじゃないかな」
「そう言われてもなぁ、洋室はもういっぱいだし…… そうだ、マヤの部屋に置かせてもらえないかな? 彼イイ男だろ? ああいうイケメンだったら父さんも許しちゃうよ」
 嘘つけ。置いとくだけなら洋室でいくらでもスペースはあるじゃない。要するに、あそこは自分だけのプライベートスペースで、何物であれ父さんのセンスから外れるものはこれっぽっちも置きたくないってわけだ。それに何? どうして私の部屋なのよ。母じゃあるまいし、私はイケメンが好きなわけじゃないんだから勘弁して欲しい。あの顔をしばらく見て過ごさなきゃいけないなんて、かなりの拷問じゃなくて? なんとかってグループのルカって人を思い出しちゃうじゃない。
 黙々と朝食を流し込む私を父はチラチラと上目遣いに伺っていた。
「なあ、マヤ。頼むよ。今回だけのお願い。父さんが悪かったからさ。お詫びに何か…… そうだ、この間話してた新型のスマホ買ってあげるからさ」
「いらない。どうせ私、電話とメールしか使わないし。父さんと違って新しい物好きでもないし。でも、そうね…… 母さんが帰ってくるまで自分のことは自分でするってことでどう? そうすれば私も今までと同じように自分の時間取れるし、父さんが遅くても待ってなくて済むから」
「ええ~!? じゃあ、ご飯は? 洗濯は? 全部自分でやるの?」
 悲痛な声を上げる父。それでも親か、あんたは。結婚前は自炊してたことあるんだから少しくらいできるでしょう。まあできない部分はフォローしてあげなくもないけど、それくらいのケジメを付けて欲しいと思う。いくら稼ぎ手とは言え勝手気ままではこっちが迷惑だ。親しき仲にも礼儀あり。家族といえど別の人間なのだから。
「わかったよ。マヤにはすごく面倒かけてるもんな。ゴメン。今夜から父さんは、自分のことは自分でする。できるだけマヤに頼らないようにする。だから、彼のこと済まないがよろしく頼むよ」
「頼むよって言われたって、部屋に置いといてどうするの? 手入れとかするんじゃないの?」
「ああ、そっちは…… きっと大丈夫。何ヶ月も放置するわけじゃないし、うん、マヤは綺麗好きだからね」
 どう言う意味よ、と問いかけようとする前に、父は立ち上がって階段の元へ歩いて行った。そして、重たい何かを抱えて二階へ上がる音が響いてくる。さすがこういう行動だけは素早い。この行動力を別のところに生かせないものだろうか。私は箸を置いて席を立った。父の茶碗と皿はいつの間にかカラになっていて、洗ってくださいとばかりに行儀よくテーブルに重ねられていた。


 4時限目が終了してクラスメートたちが昼食のために活動しだす。私も気の合う仲間と教室で机を寄せ合い準備を進める。が、取り出した巾着袋の手応えから重要な物がないことに気づいた。
「お箸…… 忘れちゃった」
 痛恨のミス。中身が無いなんて大ポカではないものの、出しておいて忘れるなんてお話にならない。父と話しながら用意していたから話に気を取られたんだろう。
「えー、どうするの?」
「食べ終わってからで良かったら貸してあげるよ」
 私は苦笑いを作って大丈夫のアピールをする。食堂に行けば箸くらい借りられるだろう。開いた弁当箱を一旦閉じて私は席を立った。
 学園には大食堂がある。かなり大きな施設になっていて高等部の生徒だけでなく隣接する大学部、研究員から教職員や教授まで利用する公共の場となっている。メニューも豊富で学園関係者であれば誰でも買い求めることができる。また購買部とも併設になっており、パンや惣菜もそこで見繕うこともできる。懐の豊かな人達は決まってそこで食事をしているようだが、私自身これまで一度も利用したことがなかった。唯一の欠点としてこちらの校舎からかなり距離があり、ゆっくりとした昼休みを満喫するには難があったのだ。
 今から急いで行けばみんなは食べ終わってしまうかもしれないけれど、休み時間後半までには戻ってこれるだろう。そう判断して私は教室を出ようとした。
「森口、待ちなって」
「何? 急いでるんだけど」
 扉の手前で一人の男子に遮られる。隣のクラスの異端児、播磨勇作だった。相変わらずちょっかいを出してくるどうにも癪に触る男子で、それでいて女子にそれなりの支持されてるからあまり無下にもできない。扱いづらい人種とは彼のような人を言うんだろう。どうせなら徹底的に無視したり、大っ嫌いだから近づかないでと言えたらどんなにスッキリするかと思うのだが、いかんせん彼はそこまで悪人ではないからタチが悪い。適当にあしらって終わりにしようと口を開きかけて、結局セリフを紡ぐことができなかった。
 彼の差し出した手に、コンビニの割り箸が握られていたからだ。
「無いんだろ? まだ使ってないからやるよ。弁当買ったらレジのオバサン2膳入れたらしくてな」
「あ、ありがとう…… 助かったわ」
「ほれ、さっさと戻って食いねえ」
 勇作に背中を押されて席に戻ると、今度は仲間から冷やかしの声が上がる。のろのろと封を切って箸を取り出して自前の弁当に口をつける。なんか悔しい。またこれでアイツにポイント取られた気分だ。ささやかな親切なんだけど、アイツにされると素直に受け取れない自分がいる。どうしてなんだろうか。自信作の卵焼きは味も素っ気も感じられず、ストンと胃袋に落ちただけだった。

 全員が食べ終わって、弁当箱も片付けてまもなく、弾んだ会話にやはりアイツは絡んでいた。
「でさ~、アタシ思ったわけ。スタイルも結構重要だけど、第一印象は顔で決まるじゃない? はっきり言ってそこがダメなら全部ダメだよね~」
「そんなことねぇだろ。お前みたいなオッパイでかい女が好きな奴いくらでもいるし、そいつらにしてみりゃ顔なんてそこそこで良いんだよ。全然問題ねぇって」
「そうかなぁ。だってさ、そう言う奴ってエッチがしたいだけって感じじゃない?」
 いつもの如くエロ全開な英美と勇作のマシンガントークが続く。隣の陽子はニコニコしながら聞いているだけだが、本当にわかっているのか定かではない。そりゃあ私だって興味がないわけじゃないけれど、真昼間から教室の一角で結構なボリューム上げて会話してたら、はっきり言って注目の的。いや、教室にいるみんながこっちの話を聞いている。恥ずかしいったらありゃしない。人目をはばからず堂々と話し続けられる神経が不快に感じるのだ。
「そういや森口さ~。お前の親父さんがやってた展示会、アレ面白かったな」
「えー、なになに? 麻耶のお父さん、なんかやってるの?」
「え、ちょっ、急に話しを振らないでよ」
 虚しいばかりの抵抗を試みてみるものの、それがなかったことのようにスルーされるなんていつものこと。どのがんばってもコイツは私を話のネタにするつもりなんだ。
「ほら秋冬コレクションの展示会。毎年んやってるアパレルのアレだよ。今年はすごかったな。メインの衣装着た人形がさ、マジ人間みたいなの。あれやばいよ。なんつったっけかあのアーティスト。ほら現代のなんとかって言う女の彫刻家」
「現代のミケランジェロ。彫刻家じゃなくて造形師。ミイナ先生」
 と、口をはさんでみる。全て今朝の父からの受け売りではあるけれど。間違った情報で突き進まれても困るのはこっちだ。もっとも、知っててワザとやってる節もあるから悔しい。
「おーそれそれ。男性造形師だっけか。宮深衣奈って凄腕の人らしいな。魔法使いじゃねぇかっても言われてるらしいぜ。親父さんもよく引っ張ってこれたよな」
「そんなすごいんだ。ねえ、それってまだやってる? 見たい見たい~」
「残念でした。先週で終わり。ネットに動画とか上がってんじゃね? でもさ~、あの人形下手したら数千万の値が付くんじゃねぇの? 服も話題になったけど、やっぱり目玉はあの人形だろ。掲示板でも盛り上がってるみたいでさ」
 どうしてだろう。優作は私の方に話を振ってくる。さっきまであんなに楽しそうに英美と話していたのに、今度は私をダシに使おうっていうのか。随分と事情を知ってるみたいだけど、私自身人形には全く興味はないし、父の仕事に関してこれっぽっちも知っていることはない。話を合わせようにもさっき出した知識で終わりなのだから後がない。
「ご、ゴメン。その手のことは全然知らないの。人形のこともつい先日知ったばかりで、父さんには本当に迷惑してるのよ」
「え…… マジで?」
 ピタリと彼の動きが止まる。ああ、やっちゃった、と思った。話を切るつもりはなかったのだけど、私のセリフは勇作にとってあまりに衝撃的だったようだ。少し困ったような顔をして、それから何かを言おうとしたが、やっぱり言葉にならなかった。
 彼のセリフの直前に休み時間終了のベルが鳴ったからだ。


 西の空に傾く太陽が昼間より大きく感じる夕刻、多くの生徒が下校していて、残っているのは部活動している運動部か、生徒自治会のメンバーくらいなもので、残念ながら私はそのどちらにも所属はしていなかった。被服科講師から通じて美術科専任講師の三枝先生に呼び出されていたのだ。母が学園のOGで被服科では優秀な成績を収めていたことから未だに繋がりがあるようで、母の後輩でもある被服科講師はウチの内情を逐一母から聞き出していたようである。今回の展示会でお披露目された造型師ミイナの作品はおいそれと世間に出回るものではなく愛好家の間で目が飛び出るような金額で取引される代物なんだそうだ。そう言った現代アートの粋である人形のことを三枝先生は聞きつけたようで、どうにかして実習として直に拝見できないか父に申し入れてくれないかと懇願してきたのだ。私とて本当に貢献できるのなら受け入れたいくらいの申し出ではあるものの、所有者は私ではなく父であるからしてあまり期待できないことだけはお伝えして、話はしてみることで了承を得たのだった。
 外を眺めればあと1時間もすぎれば夜の帳が降り始めるところまで来ていた。今から買出ししても空振りに終わるかもしれない。昨日作った煮物と干物がまだ残っているはずだから、今夜は粗食で揃えよう。下手に有り合わせの惣菜を並べるよりも父には悪いが外で食べてきてもらったほうが良い。今から電話を入れれば間に合うだろう。そう思って美術室を出てから私は携帯を開いた。
「あら、校内では通話禁止よ」
 発信しようとした瞬間に声をかけられて飛び上がらんばかりに驚いた。室内に残っていたのは先生だけだと思っていたのだが、資料室側で残っていた生徒がいたらしい。
「スイマセンっ! ゴメンなさい!」
「そんなに謝ることはないけど、もし私が生徒指導の先生だったら問答無用で携帯取り上げられちゃうから。誰もいないところで隠れて電話する癖をつけておいたほうが良いと思うわ」
 スケッチブックを小脇に抱えていたのは、少し長めの黒髪をした凛々しい感じの女生徒。リボンの色から先輩であることがわかる。もしかすると卒業制作で残っていたのかもしれない。その先輩はそのまま私をしばらくじっと見つめて少し考えて、そして納得したように口を開いた。
「貴女、森口さんね?」
「あ、はい。あの…… ご存知なんですか? 私のこと」
「ええ、貴女のお父様と少しお話をしたことがあるわ。その時に貴女の写真を見せてもらっていたから。どこかで見た記憶があると思ったの」
 フッと柔らかく口元が笑う。でも眼差しは少しも揺れていなくて、少し冷たい感じのする微笑だった。一つしか歳が離れていないというのに、すごく遠い存在で、大人の香りが漂うとはこんな感じなんだろうと勝手に思い込んでしまった。その挙句に自分でも突拍子もないことを尋ねてしまった。
「あの、父とは、その、どんな関係なんですか?」
「貴女のお父様の会社は葛面川にとって有望な部署だから視察を兼ねて展示会で何度かお会いしたのよ。女性向けアパレルでは今のところ他にはない切り口で開拓して売上を伸ばしてるから、御祖父様としても繋いでおきたいと考えたのね」
「葛面川…… 葛面川グループですか?! あの!?」
 グループとしては屈指の国内企業でこの学園の創設にも大きく関わっている葛面川グループ。老舗として名高いのは百貨店経営よりもむしろ和菓子専門店としての店構え。この学園の生徒ならさわりくらい誰でも知ってることである。そのグループと父の会社が関係していたなんて私にとって大きな衝撃だった。一中流平凡レベルの家庭だと思っていた位置が2ランクほどジャンプアップしてしまった気分だった。そして、目前に優雅に佇む先輩はそのグループの……
「自己紹介がまだだったわね。私は有瀬菜摘。葛面川は私の御祖父様の起てた会社だから直接は関係していないけど、今のところ後継者が決まってない上に御祖父様が出席したがらないおかげで私が出る羽目になってるの。まあ、このことは一応オフレコだから黙っておいてね。私自身普通の女子生徒としてこの学園に通ってるわけだし」
「はあ…… でも、どうしてそれを私に?」
 すると先輩はたまらず笑い出した。しかも止めようとしても止まらない、思い出し笑いにお腹をかかえて身をよじる始末。私には事情が飲み込めず、先輩が収まることを待つしかない。ひとしきり苦しんだあと、先輩は目元を指先で拭ってため息をついた。
「ゴメンなさい。あまりに貴女のお父様が印象的だから可笑しくって。いえ、悪い意味ではないの。すごく愛されてるんだなって、本当に羨ましかったくらいだから」
「どういうことなんです?」
「貴女のお父様はね、すごくシャイな方なんだけど、家族思いで素晴らしい方よ。貴女の写真を手帳に入れて持ち歩いてるくらいなんだから奥様が可哀想に思えてくるわ」
 先輩の言葉にイマイチ納得ができないでいた。母を口説き落とすのに三日もかけて念入りに用意をしていたけれど、全部それが母にはバレバレで、慌てて取り繕って狼狽しまくる父は付き合う告白よりも先にプロポーズをしたというのだから、シャイというよりは鈍臭いのではないだろうか。ただ、いつも自分の趣味に没頭してるように見えて、なんだかんだと家族のことを考えてやりくりをしているかもしれない。母が救急車で運ばれたとき、仕事中だったというのに運ばれた先の病院で既に待っていた父。どんなに遅くなっても必ず家に帰ってくる父。毎年誕生日を祝ってくれる父。思えば父のおかげでこうしてこの学園で自由に学ぶことができているのではないだろうか。
「さて、私はそろそろ帰るわ。夕飯の支度もしなきゃいけないし」
「ええ!? 先輩もですか!?」

「もって何? 森口さんも夕食の準備とか、するの?」
 意外そうな顔をして振り返る先輩が、私にとって超超強力な助っ人に見えてきた。はっきり言って私の周りで、自分で料理を作る人は少ない。ケーキやクッキーなどスイーツを自前でチャレンジする猛者はいるけれど、毎日の食事を準備するまでには至らない。恐らくは手伝い程度に台所へ入るのだろう。そう考えると私自身いかに大変な仕事を任されているのか身にしみてわかった気がする。この学園に通う生徒だからと言うこともあるだろう。一般的な苦学生だったら自炊くらい当たり前だと聞いたことはある。父も母も学生時代はずっと自炊してたらしいから私は全然恵まれてるんだと思う。
 私は思い切って前フリなしに聞いてみることにした。
「あの、失礼ですけど、食材の買い出しとかってどちらでされてますか?」
 先輩はやっぱり、口元だけで微笑んで、一緒に行きましょうか、と手を差し出してくれた。
 父さん、やっぱり今日は遅くなっても良いから帰ってきていいや。そう願いを込めて私は携帯をカバンにしまい込んだのだった。

 私の見込み通り先輩は物凄いスキルの持ち主だった。スキルだけではなく、それに甘んじないで研ぎ澄ましたかの如く節制を積み重ねた生活が垣間見れた。会長の孫娘と言えば豪華なマンション住まいとか高級家具に囲まれた部屋とか召使が幾人も付いてて専門のシェフがいたりしてもおかしくないわけだけど、先輩はどれ一つとして所持していなかった。ごく普通のアパートにウチよりも数段劣る質素な家具が並び、それでも小奇麗にされた部屋を使いこなして快適な空間を作り出していた。
 2kで2階建ての2階、角部屋のアパートは築20年ほどで防音もあまりよろしくはなさそうだったけど、それでも防犯はしっかりしていて2重ロック扉に針金入りスリガラスの窓と雨戸、エアコンが設置されていた。残念ながらお風呂はユニットで冬場は近くの銭湯に三日に一度出かけるのだそうだ。
「じゃあ早速始めましょう。下ごしらえが出来ればお家に持ち帰ってすぐ作れるわ。1人分作るのも3人分作るのも、量が違うだけでそんなに手間はかからないわよ」
 ちゃぶ台にスーパーの袋を並べて必要な食材を取り出しながら、先輩は手際よく進めていく。シンクに水を張り野菜を手洗いしていった。
「スイマセン、ありがとうございます。無理言って手伝ってもらうみたいで、部屋にも上がらせてもらっちゃって、本当にスイマセン」
「いいのよ。一人で作るより一緒に作ったほうが楽しいし、森口さんのことを知るいい機会だもんね。野菜の選び方、お母様に習ったのかしら? 中々いいセンスしてると思うわ」
「あ、ありがとうございます」
 冷蔵庫の上に畳んであったエプロンを制服のまま袖に通して、まな板をと包丁を取り出すと、先輩はひと呼吸おいて布巾拭って、それからリズミカルにキャベツを刻み始めた。

 買い物の最中にいろんなことを話した。先輩は物静かだけど少し冷たくて怖い気がしていた。でも、話しているうちに何故そんな雰囲気になったのかわかったような気がした。有瀬の家は葛面川の分家で、元々本家とはあまり交流がなかったそうだ。小さい頃はそれこそ私たちと同じように何のしがらみもなく自由に毎日を過ごしていて楽しかったそうだ。住んでいたのはもっと山奥ののんびりとした町で自然があふれる場所だったそうだ。それが数年前に両親を亡くして葛面川本家に引き取られることになってこちらに移ってきたらしい。
 葛面川は以前から後継者についてグループ内での揉め事がニュースにも発表されていた。現会長の権力が大きくてそれを任せられる人間がいないと父が教えてくれた。大きな力は一つ間違えば世界を揺るがしかねない大事件に発展する恐れがある。私たちの生活は今のところ安定しているけれど、僅かにズレただけでも大きな被害を被ることになる。例えば、台風や大雪など自然災害によって流通が止まってしまったら、本来手に入るはずの食材が全く食べられなくなる恐れがある。この国は比較的裕福だけど、自分の国で自給自足ができているわけではなくて、ほとんどの物を輸入に頼っている。もしこれが止まってしまったら私たちを含め多くの人たちが生活に困ることだろう。大きな力の影響とはきっとそう言う事なんだと思う。
 先輩はすごく大人っぽい。格好良い女性とはこんな感じを指すんじゃないだろうか。気取っていなくて、誰かに頼ってもいなくて、真っ直ぐで凛々しくて、一人で立ってる。自分でしっかり考えて正しい方向を向いてる。そのことに自信を持ってる。私にはまだそんな胸を張って行ける気がしない。そう、全てにおいて余裕があるのだ。慌てて、焦って取り繕うわけじゃなくて、問題が起きたとしてもすぐさま対処ができる。こうすれば大丈夫って答えが出る。これこそ大人の余裕なんだろう。
「何? 私、何か変?」
「あ、いえ、全然、すごいです」
 急に目が合って驚いた。恥ずかしい。ハズカシイ。私みたいなのが先輩の傍に居ても良いんだろうか。これは夢なんじゃないか。誰かのしくんだドッキリだったりはしないか。まともに先輩を見つめることに罪悪感を感じていた。
 こんな素敵な女性になれたらいい。
 私の淡く儚い憧れだった。

 小一時間はいた気がするのだけど、実際には20分程度。楽しい時間は過ぎるのが早い。でもそれはちょっと違う。時間はきっといつもと同じように流れている。違うのは自分の中の思い。毎日のリズムで思考を繰り返したなら20分なんてあっという間。でも、高速回転で普段の数倍の思考を繰り返したらとても内容が濃くて長い。その代償として、考えたことがしっかり記録できていなくて、すごく感動してもどんなことに感動したか覚えていない。人間の脳がこなせる仕事は上限が決まっているんだ。なんだか残念な気持ちになる。
 仕込んだ食材を借りたタッパーに入れて準備完了。これで先輩とはさよならだ。名残は惜しいけれどいつまでもお邪魔するわけにはいかないし、父さんも帰ってきてしまう。早く準備しなければせっかく先輩が手伝ってくれた仕込みが台無しになってしまう。
「先輩、あの、本当にありがとうございました……」
 歯切れの悪い挨拶をしてしまったが、先輩には気づかれなかったらしい。いつの間にか普段着に着替えて私を見送りに出てきてくれた。どこにでもある無地のシャツにジーンズのパンツなのに、何故かカッコイイ。
「こちらこそ、引き込んじゃったみたいで悪かったわ。でも、楽しいお話ができてよかった。お父様によろしくね。何か相談したいことがあったら遠慮なく言ってね。一応私、森口さんの先輩だから」
「はい、こちらこそ、よろしくです。では、失礼します」
 また明日、学園で、と手を振りながら先輩は扉を閉めた。
 私は、少しだけその場所に立ち尽くして、それから階段を降りたのだった。

続く

(未校正 推敲無し 原文のまま掲載)

2012/10/18(木) 久しぶりに載せてみた

みなさんこんばんは。
相変わらず自堕落してます。

久しぶりにぷらっと打ち込んだ未完ストーリーを載せてみました。
推敲もしてないので誤字脱字が、意味不明の文節が、そもそもなに言ってんのこいつ? みたいなw
それはそれで笑ってやってください。

いい加減季節も宜しくなってきたのでぼちぼち書き溜めていきたいところです。
大体5月から9月あたりまであんなに仕事が忙しいなんてちっとも思わなかったもんですから、大幅に予定が狂いましたとも。いや、予定なんて立ててませんでしたがw
でもほら、もっと余裕持って進められるかなぁなんて安易に考えていたのが間違いでしたね。めっちゃきつかったっす。マジで。

これからは閑散期になるので比較的時間も作れると思うので、動画も作りたいかな~なんてね。MMDやりたいのに全然できなかったし。イラストは…ほぼ諦めましたw これからはモデリングやります。もしかしたらちょっとはやるかも。

とりあえず、今月来月はお休みが多くもらえる(と思う)のでちょっとはマシな更新ができるはずです。でも、作品には期待しないでね。

また次回ノシ

natsumi ~教授と少女

創作小説
 特に先だった約束事もなかった午後、僕は気晴らしに表に出ることにした。
 ここのところ気がつけば夕暮れで、そこから寝るまでの時間が実に慌ただしい。だというのに日中を有意義に過ごしているかと言えば、恐らくそうではない。目を閉じる頃になってあれをやっておけばよかったと思い返すこと度々で、かなりの猶予がありながら何をやっていたのかとんと覚えがないのだ。きっとこのままでは今日も同じ繰り返しである。悪循環のスパイラルを断ち切るには今までとは違った行動をとるべきなのだ。
 だが歩き出して気がつく。はてさてどこへ向かおうか。目的地を決めなければ進めないほど思考が凝り固まってしまっているようだ。はふんと吐息をついた後、僕はおもむろに足を進めることにした。数週間ぶりになるだろうか。青々と茂っていた雑木林の緑は幾分か勢いが薄れ、低くなった下草が向こうの通りを覗かせている。日差しは強いが真夏のそれよりは穏やかになっている。これで心地よいそよ風が舞えば季節を感じ得ずにはいられないだろう。
 残念ながらそれが訪れる間もなく、小奇麗でアンティークチックな扉を付けた一件の店が視界に入った。
 クイントベリーは近所でも知られた喫茶店である、はずなのだが、何故か本来の機能よりも酒屋に近い営業をしている。せっかくあつらえたアンティーク様式の家具類は累々の酒瓶棚にされてしまい、来客は安楽椅子よりもディスカウントショップでまとめ買いしたパイプ椅子に座らせられることになった。そんな少々道を誤ったクイントベリーであるが、僕はコンビニよりもずっと愛用していたのだ。
 扉を開ければカウベルの代わりに蝶番が軋みをあげ体の良い呼び鈴替わりになっている。所狭しと積み上げられた酒のケースの向こうに申し訳程度のカウンターが顔を出していた。そして手前から二つ目の席には、どうやら今日は当たりらしい、彼女が座っていた。
「マスター、ブレンドをホットで一つ」
 わざわざ彼女を避けて奥の席に割り込んで、僕はいつものオーダーを告げた。
「この暑いのにホットで頼むなんてどうかしてるわ。もっとも、ここでまともにオーダーしてる客も珍しいけどね」
 独り言のように彼女は皮肉たっぷりにつぶやく。それはあてつけだと取るべきなのだろうか。ただ、それ以上の言葉を紡ぐこともなかったから、あえて聞き流しておく。最初に映ったときにポロシャツだと思ったのだが、実はノースリーブに近いブラウスだった。ロングのフレアスカートでも履いていれば何処かへ散歩に出かけたのかと思ういでたちではあるが、スリムのスラックスにパンプスと来れば諸用に最中なのかもしれない。それにしてもホワイトを基調にしたパステルカラーでまとまった姿はこの店に眩しすぎる。琥珀の液体はそれだけでカフェオレになるだろう。しかし、彼女の脇をすり抜けた時に鼻腔をくすぐったのは紫煙の残り香だった。
 出されたカップをブラックのままで一口頂いてから僕は彼女に向き直る。それがいつもの合図であるからして。
 彼女の名前は有瀬菜摘。
 希代の魔法使いにして現代を生きるクールな女性。
 僕の願望を一身に受けて光り輝く赤色の代行者。
 彼女と言う人物をもっと知るために、言葉を交わして深く追求してみたいと思っていた。そばにいることは叶わなくても、その片鱗に触れることが許されるなら、彼女の軌跡を少しだけ記録して保存しよう。
 飾り時計が鳴り始め少しだけ静寂を破る。短針は水平を沈みゆく。そういえばあの時計は彼女のお気に入りではなかったか。自然と彼女の様子を伺っている自分がいた。相変わらず無表情でいながらも瞳は踊る飾りを追い続けていた。あの絡繰人形にどんな思いを寄せているのか、機会があれば是非聞いてみたいものだ。今はきっと何を訪ねても届くことはないだろうから。

 有瀬菜摘。年齢不詳の女で、初めて出会ったのは2年ほど前、英雄伝説の続編を構想し始めて設定を考えていた時だった。その頃の彼女はまだ学生で初々しさを醸し出している少女だった。かねてより影響を受け続けてきたヒューマノイド型巨大兵器を軸にした物語は彼女のせいで頓挫して一変、学園伝奇物へと様変わりしてしまったのだ。強烈な個性があるわけでもなくスタイルも中の上、愛くるしさも麗しさも兼ね揃えているわけじゃない。ただ、その瞳の奥に秘めた赤紫色の空間に僕はいつの間にか取り込まれてしまったようだった。
 飾り気がない女だと思う。それでも醸し出されるほのかな色気は大人の女とも違う。魔性の香りと形容したらどうだろう。いや、きっとそれも違う。高価な金品が無くとも彼女は高貴な装いに見え、礼節完璧でもないのに一つ一つの仕草に品がある。
 ああ、そうか。彼女自身が高邁な存在であるからこそ、その全てにおいて感じるのだと、僕は自分の半分ほどの年齢と思われる少女に憧れたのだ。

「呼び出したつもりはないのだけど、せっかくだから付き合うわよ」
 どのような意図があって口にしたのか検討はつかなかったが、願ってもいない機会を頂いたものだ。僕は少しだけ頬が緩むのを感じつつ話を切り出すことにした。

 店を出てゆっくりと歩を進める。並んでというよりも、彼女が一歩先に進んでいる。だというのに僕の選ぶ道を先回りして先導している。気ままに歩いているはずがいつしか彼女のあとを追う羽目になっている。どちらが付き合っているのか釈然としない。それなのに、不思議と悪い気はしないのだ。
 170cmほどある彼女の背丈は僕とほぼ変わらない。ヒールを履けば見上げる高さになるだろう。その高さが心地よい安心感を与えてくれる。揺れる髪が楽しげに踊っているようだった。
「新作には、私は登場するのかしら?」
 唐突な質問に僕は立ち止まってしまう。
「ああ、別に他意はないの。貴方とだからなんとなくそんな話になると思って聞いてみただけ。もちろん出してもらえるなら嬉しいわ。クインベリーで見つけた数少ない旧友としてね」
「それは皮肉かい? もっぱら酒飲みしか集まらないあの場所で肩身狭くお茶してるなんて僕らくらいだとは思うけれど」
「悪い意味で取らないで。これでも高く評価してるのよ? 大して豆を在庫しないマスターに貴方が来るからってことで喫茶店として機能させてるんだから。おかげで私も堪能できてるわ。マスター、珈琲淹れるのだけは上手いから」
「そんなことだろうと思ったよ。いや、君に何かを期待する僕が間違っているな。所詮しがない物書きの戯言。君のことを飯の種にしてるくらいだから文句なんてとんでもないことだ」
「あのね、いつから貴方そんな卑屈者になったのよ」
 立ち止まった彼女は背を向けたまま、少し苛立ち混じりに言い放つ。
 しまったな。しばらくぶりだというのに言葉が過ぎたようだ。スパイラルを断ち切るつもりだったのに彼女まで巻き込もうとしている自分に気がついた。
「ごめん。そんなつもりじゃなかったんだ」
「いいのよ。どうせ篭っているうちにネガティブ思考が抜けなくなっちゃったんでしょうから。多少は覚悟してたわよ。その顔を見た時からね」
「あ、いや、そんなにひどい顔してた?」
「当たり前じゃない。なんで私が付き合うって言ったのか、これで分かったでしょ」
 そして彼女はゆっくりと僕に振り返った。
 やはりその赤紫色の瞳に囚われているのは僕の方だった。

 星鈴学園という幼児教育から大学院まで一貫教育を目指す指折りの学校法人がある。僕の仕事場兼住居から目と鼻の先にあるこの学園は菜摘の母校でもある。休み時間ともなれば部屋の窓から生徒達が顔を出して談笑している姿も垣間見ることができる。自分にもあんな頃があったんだと、思い返しては自己嫌悪に至るわけなのだが。ここから見える校舎は高等部のもので中等部までと大学院施設は別の敷地にあるそうだ。ただでさえ膨大な数の生徒数だというのにこの程度の建物面積ですべての人間を吸収できるはずもないだろう。菜摘が在籍した当時で1学年28クラスあったらしいからその凄まじさは想像を絶する。
 僕が知る限りでは高等部に指定の制服はあるものの、基本的に色や体裁を外れなければ私服でも構わないとのこと。毎朝様々な趣向を凝らしたファッションで登校してくる生徒たちを見るたびに羨ましく思ったものだった。なにせ僕の時代にはネクタイ一つ違っただけで校則違反だったのだから。そんな星鈴だから上から下まですべて既存の制服姿でいれば逆に目立つもので、初めて菜摘と出会ったときの姿を思い出してしまう。

 それはとある平日の午前中のことだった。
 少し肌寒さを感じる夏前の季節、タバコを買いに出た帰りの公園で、もうすでに衣替えは済んだと思っていたのに冬服でベンチに座り込む少女がいた。
 綺麗に伸びた髪の毛とシワのない真新しさの残る制服姿はどこか精巧に作られた人形のように思えた。うつろな表情がどこか儚げにも感じられた。触れれば消えてしまうとはまさにこのことではないかと悟ったくらい存在感がなかったのだ。

 扉を強く叩く音で我に返る。慌てて玄関へ向かうと猫なで声が喚いていた。
「せんせー、できましたか? 早くしてくれないとあたしが怒られちゃいます!」
 鍵を開けるやいなや、飛び込んできたのは平沢アイカだった。
「さっきから呼んでるのにちっとも気づいてくれないなんて、もしかしたら没頭しちゃってあたしが今日来るの忘れちゃってるのかと思っちゃいました」
「ああ、うん。実際忘れてたんだ。ごめん」
「うわ、酷いです。ちゃんと昨日メールしたし、電話も入れたし、FAXだって送ったのにどうして忘れちゃうんですか! とりあえずもういいです。お邪魔します。喉が渇いたのでお水ください。ううん、さっきコンビニで買ってきましたから、はい、これ差し入れです。ちなみにビッグプリンはあたしのですからダメですよ?」
 一方的にまくし立てて完結した挙句、彼女は何事もなかったように上がってきた。彼女は僕の作品を校正して編集する出版社の人間。今時イチイチ作家のところに足を運ぶのは連載開始当初か終了間際だけと思っていた。パソコンでの打ち込みが多くなった現在、原稿はメールで編集部に送信すれば事足りてしまう。それを足を使って取りに来るのだから変わった女性だと言えよう。
「見てください! 今日は新発売をゲットですよ? 期間限定ミックスフルーチュプリンです。どうです? 食べたいですか? 食べたいでしょう? 残念ながら1個しかありませんでしたのでせんせーのはナシです」
「ああ、仕方ないな。それで今日はどうしたの? 何か急ぎの用事でもあったかな」
「何言ってるんですか! お仕事ですよ。締切過ぎてます。ほらほら早くしないと部長に怒られちゃいますって。あたしがはむっと堪能してるあいだにササッと書き上げてくれちゃえば、うんうんこのことは勘弁してあげちゃいましょう。頑張って部長を説得しちゃいます。ええ、毎回せんせーにはいいお話書いて頂いてますからね。少しくらいだったらあたしも一肌脱いじゃいます」
 その言葉が本心かどうかは定かではないが、明らかに意識はその手に持ったミックスフルーチュプリンに集中している。むしろそっちの事しか考えていないだろう。スプーンで掬い上げられ、今まさに彼女の口元にその欠片が吸い込まれようとしていた。
「でも、今月分は先週取りに来たじゃない。早くて助かったーって喜んでたのはアイカちゃんじゃなかったっけ?」
 ピタリと動きが止まる。いや、止まっているようだが小刻みに震えているようにも見えた。
「なんだったかな、来週はお休みしてもいいですかー的なこと言ってた気がするんだけど。違ったかな? まあ、いいや。来月分はもうしばらくかかるから待ってても上がらないと思うよ。どうするの――」
 と、その時電波系な着信メロディが鳴り響いた。残念ながら僕はその手の着信設定をしていないから僕の携帯ではない。数十秒沈黙が続き、曲が止まる。
 なんとなく流れが理解できた。

 アイカは決して悪い子ではない。むしろ好感の持てる元気で活発な子だろう。そもそも既に成人してる女性を子供扱いするのはいささか気が引けるのだが、彼女自身子供っぽさが抜けきらない。考え方が幼稚な面が多いし、駆け引きも下手くそで、何かとモノに釣られるあたり自制心を養うべきだとも思う。それでいてその容姿と比較するとびっくりするのだ。
「すいません、せんせー。あたしとんでもない思い違いしちゃってました。ゴメンなさい。先週入稿したのすっかり忘れてて、……プリンのことばかり考えてたみたいです」
「いやなに、僕はちっとも構わないんだけどね」
「ああ、せんせー! お願いであります! 部長には今日は大事な相談事を持ちかけられたということで話を合わせておいてください。次回の作品についてとかそのまた次の作品とかそれ以後とかなんとか」
「うん、それは良いんだけど……」
「さっすがせんせー! やさしいです!」
 ガバっと立ち上がったと思うと、アイカは僕の頭を抱きしめて来た。感激の抱擁で彼女の胸に埋められることになる。気持ちいい、訳が無い。苦しい事この上ない。おまけにブラのワイヤーや縫い目が当たって頬が痛い。
 アイカは英国人ハーフである。身長185cmもあり顔一つ分は違う。背丈だけならともかく体格も全てビッグサイズである。遠目から見ればちょっとふくよかなモデルさん位には見えるかもしれない。しかし、間近で見ればビッグマムそのものと言えるだろう。きっと洋服には苦労してるに違いない。
「苦しいから。アイカちゃん、窒息するって」
「うは、ゴメンなさい! 興奮しちゃいました。お詫びに1個しかないミックスフルーチュ、半分差し上げます。次からはこんなことがないように頑張りますのでお許し下さいー」
「それはせっかく買ってきたんだからアイカちゃんが食べるといいよ。部長さんには僕から連絡しておくからスケジュールを確認しておきなよ」
「せんせぇ…… ありがとうですぅ」
 ちなみに、今日のアイカは非番だったらしい。
 だというのに出勤してきたアイカを見て気になった部長が確認の電話してきただけだったのだ。

 30分ほど後、僕らはクインベリーにいた。
 自らの失敗により休みの日の予定が立ち消えになったアイカは帰ることも億劫になってしまったらしい。その日暮しの色が見え隠れする彼女のことだから、おおかたチェックしていたバーゲンセールを諦めてこちらで羽を伸ばす算段でも着いたのだろう。出かける僕のあとにひょっこりと付いて来たのだった。
「せんせー、おでこが痛いです」
 マスターに出してもらったお手拭きタオルを額に当てて涙目混じりにつぶやく。
「まさか本当にぶつかるとは思わなかったよ。きっと君が初めてだね」
「全然嬉しくないです。あたしが無駄にでかいってはっきりしちゃっただけじゃないですか」
 無駄とは語弊があるかもしれないが、アイカがこの店に入るには入口の設置サイズが幾分低かったようだ。アンティーク調ではあるけれど、クインベリーはれっきとした日本建築様式だ。当然日本人サイズで建てられている。しかし平均身長が僕の世代よりも数十年前の建物であるからして、現在の基準よりもはるかに丈は低いのだった。思えば僕の背でも余裕はわずかしかない。加えて、扉の根元が段になっているのなら上方不注意が起きても致し方なかろう。促さなかった僕が悪いのだ。
「特製あんみつをおごってあげるから、そんなに拗ねないでよ」
「うー、拗ねてなんかないですよー。せんせーが意地悪だって今更気付いて騙された気分になってただけですよー」
 どこに違いがあるのか問いただしたくなったものの、出されたあんみつを口に含んだとたん満面の笑みを浮かべるあたり、現金なものだと苦笑してしまった。ああ、そういえばあの時もこのあんみつで笑顔をもらったんだな。一度も僕は食べたことがなかったのにそれを見てからこのあんみつが笑顔になる特効薬だと思い込んでるのかもしれない。

 あの頃はマスターにも爽やかな黒髪が光ってて、いかにもジェントルマンを気取れるスタイルだった。今のようにテーブルに酒瓶ケースが積み上げられてることもなくて、本当におしゃれな喫茶店だったのだ。お客も飲んだくれなんて一人もいなかったし、良いとこのオジサンオバサン連中が優雅なひとときを満喫しに来てくれるくらいには繁盛していたのだ。
 そんなクインベリーに初めて入ったのは、こともあろうか星鈴高等部の女子学生と一緒だった。
「いらっしゃい。貴方は確か…… そう、作家の先生でしたよね? はっは、隠さなくても知ってますよ。こういう店をやってるとね勝手に情報通になってしまうんですよね。近所で売れてる作家を知らないなんてモグリもいいところですよ。ええ、皆さん噂されてますから」
 当時のマスターは見た目によらず相当なおしゃべり好きで来るたびに何かしらの話題を振りまいてくれていた。そのおかげで僕も彼女も気兼ねなく打ち解けることができたんだと思う。きっとここに来ていなければ、彼女のその瞳に囚われることはなかっただろうけど、彼女と知り合うこともなかったに違いない。
「作家? 小説家? おじさん、物語を書いてるの?」
「あ、ああ。やっと口をきいてくれたね。まあ、これでも駄文で飯が食えてることには変わりないかな。色々と期待されてるみたいで本当に申し訳ないけど」
「ふーん。凄いんだ。じゃあ、私もその物語に出られるかな? どこかのシーンのチョイ役で構わないから居てくれたら嬉しいな。私がここにいるって実感できるから」
「は? いや、まあ、それは構わないけど、どうしてそんなことを僕に?」
「だって貴方、物語を書いてるんでしょう? 貴方の作る世界の中に私が登場するなら、それだけでも私の存在意義があるじゃない。ううん、気にしないで。こっちのことだから。それよりお願い。私をお話に出演させて。私の名前だけでもいいから」
 それまでうつろだった表情に懇願の生気が満ちていた。ああ、こんな顔もできるんじゃないか。そう思ったら彼女の別の素顔も見たくなった。顔立ちは決して悪くない。美少女でもとびきり可愛い子でもないけれど、きっとこの子は魅力的だ。そう直感していた。

「ごちそうさまー あんみつがこんなに美味しいとは思わなかったですよ。あたし和菓子ってあまり好きじゃなくて。スイーツは選り好みしないんですけど、和菓子だけはずっと苦手で。ほらパサパサしてるって言うか甘すぎるっていうか、ケーキとかと微妙にニュアンスが違うと思いません?」
 確かにたくさん食べるものではない、という点においてニュアンスは違うものだと思う。それを言うべきかどうか僕はしばし悩んだ。
「でも、ここのあんみつって甘いんだけど程よい甘さですごく舌触りがいいの。後味もすっきりしてるし、一つ食べるだけですごく満足できちゃったの。こんなの初めてですよ? さすがせんせーです。あたしの預かり知らぬことをまだまだ秘めているようですね。今回はこれに免じて許して差し上げましょう。ええ」
 アイカは大層気に入ったようだったが、お代わりは結局頼まず僕と同じブレンドを1杯追加。それからしばしマスターとの会話を楽しみ、飾り時計が動き出したところを見計らって僕は席を立つ。
 今日はごちそうさまー といつになく殊勝な挨拶を残して彼女はバス停に向かっていく。あの程度で喜んでもらえるなら安いものである。さすがに毎回となると困るのだけど。それよりも先程からちらつく過去の記憶が気になって仕方がなかった。まさか今の今まですっかり忘れていたのには薄情なやつだと思うしかなかったのだけど。
 見送った姿勢のままぼんやりとしていると不意に肩を叩かれて驚いた。
「よお! 教授! 久しぶりじゃん」
 初老の男、にしてはだいぶ軽いノリではあるが、幾分か白スジが多い頭と抱えた太っ腹を見れば到底僕と同い年とは思わないだろう。だが、彼は正真正銘僕の同級、加賀谷寿史であった。
「ああ、久しぶり。帰りか? 今日は早かったんだね」
「研修でな。俺、寿史だけにひさしぶりなんちて!」
「夏なのに寒いよ。奥さんとは上手くやってるのかい?」
「それがさ、最近冷たいんだよな。なんとかってドラマにハマってるらしいんだけど、そればっかでよ。イケメン追っかけるのは構わんが俺もちょっとは相手してくんないかな」
 寿史は星鈴学園で数学の教師なんてものをこなしてるバリバリの教育者だ。彼に教授なんて呼ばれてるが、彼の方がよっぽど教授らしいと思う。典型的なオヤジ風体ではあるが、ユーモア溢れるトークで昔から人気者だった。今でもそのジョークは健在らしい。星鈴には彼も含め僕の知る人間が数人勤めている。流石に全員と会う機会は滅多にないが、そのなかでも比較的頻繁に会っているのが彼だった。腹を見ての通り無類の酒好きな彼は三日に一度はクインベリーに寄っていく。そこにたまたま僕が居合わせるのがいつものパターンだった。
「しかしよ、さっきの姉ちゃんでかかったな。すげえビッグサイズだよ。うちの嫁さんなんか問題じゃねえや。いつの間によろしくやってんだよ、コノ!」
「残念ながらそんなんじゃないよ。出版社の編集の子。想像するのは勝手だけど、現実は甘くないよ」
「んなことあるか。うちの見てみぃよ。二人も産んだらしぼんじまって悲しいったらありゃしない。おっぱいはドーンとおっきくなきゃいかん。それこそ男の夢。男のロマン。そうだろ?」
 恥ずかしいことこの上ないオヤジトークを夕方とは言え明るいうちから外で話せるのはきっと彼だけだ。そう、あの頃からずっと変わってないのも彼だけだろうから。
「なあ、教授。ちょっとだけベリーに寄ってこうぜ。なあに、飲むわけじゃなくてよ。ちょっと話がしたい気分なんだよ。良いだろ?」
 僕は苦笑して彼の誘いに相槌をうち、出てきた店にもどる羽目になった。

 もう20数年も昔のこと。
 その頃はまだ星鈴学園なんて設立されてなくて、僕らは近くの進学校と名高い公立高校へ入って出会った。いかにも軽薄そうなくせに要領の良さで切り抜ける寿史に対して、僕は必死になって勉強しても上の下程度の成績。ルックスにしたって童顔っぽい僕がポーカーフェイスの似合う彼の人気に敵うはずもなく、羨む日々を送っていたのだ。そんな彼が僕を教授と呼ぶようになったのは些細なきっかけからだった。
「お前こんなことよく知ってんな。やっぱ知識のある奴は違うよなぁ。勉強できてもそれを活かせる奴とそうじゃない奴がいるだろ? お前は間違いなく活かせる奴だよ。俺が保証してやるよ」
 それまでの劣等感が嘘のように氷解して、僕は彼とともに過ごすことが多くなった。悪い遊びも覚えたし、夜遊びだって試みた。先生が気に入らなければ論破してみせたし、二人でかかればなんでもできるんじゃないかとまで思えた。それが若い頃の勘違いと言うものなんだろう。所詮は浅知恵でしかなく、同世代よりも少しだけ知恵と知識があったから大人になった気でいたのだ。
 それを気付かせてくれたのが一人の女子だった。

 先程までの物静かな店内と売って変わり、ひっきりなしに客が出入りしている。マスターは相変わらずカウンターに直立しているものの、奥さんと娘が入口で忙しく対応している。酒屋としてのクインベリーの姿だった。
 マスター自身酒屋をやるつもりはなかったと公言している通り取り扱い免許は持っていない。が、奥さんが元々卸酒屋の娘であったために始まった政策だという。こじんまりとした喫茶店経営で生計が立つはずもないのは明らかで、丸々酒屋にするのは流石に奥さんも忍びないと思ったらしく昼間は喫茶店、夕方から酒屋と変貌するのがここクインベリーなのだ。
 客の流れを尻目に僕らはカウンターから追い出されて隅の丸テーブルで顔を付き合わせていた。もちろん寿史は今夜のお供を取り置き済みだった。
「混んできたな。タイミング悪かったか?」
「仕方ないよ。寿史の時間に合わせたらどうしたってかぶっちゃうよ。まだ飲み客がいないだけマシかな」
「悪いな。本当は家に寄ろうかと思ってたんだけどな。仕事場で辛気臭い話するもんじゃないだろ? どうするか悩んでたら今日お前のことそこで見つけてさ。思わず声かけちまったってわけ」
 そんな遠慮をする仲でもないだろうに、と思いつつ彼の切り出しそうな話題を探ってみる。僕に話を持ちかける時点で仕事関係は除外してよさそうだ。もっとも愚痴であれば所構わないだろうけど、この場合酒が入って当たり前のはず。プライベートで考えれば家庭事情があるかもしれない。まあ、考えられなくはないが悠長に酒を買って帰ろうとしてる場合ではないはずだろう。あとはなんだろうか? 学校行事に担がれたことはあったけど、僕にできることなんてたかがしてれるし、良いとこ文芸部か何かの添削でもするくらいしかやりようがない。まてよ? この間通販の話をしていたな。へんなねずみ講にハマってるんじゃないだろうな? いやいや、可能性はあるな。悪いがその話はパスだ。というか、そんなもの早く止めろ。奥さんに見つかったらただじゃ済まないって。
「ん? どうした? そんな怖い顔して。別に構えるような話をしようってわけじゃないんだが……」
「なあ、悪いことは言わないから今すぐ手を引けよ。どうしようもなくなってからじゃ助けられないんだから。奥さんと二人の子供のためにも」
「はあ? 何の話だよ。勘違いしてんのか? 怪しい話じゃないっての」
「ねずみ講じゃないのか? この間言ってた通販の」
 とたんに寿史は大声で笑い出した。
「あれね! いや、悪い。俺もてっきり騙されたよ。いやいやお前がそんなに心配してくれるとは思わなかった。すまんな。実はあのあと嫁さんにこってり絞られてさ。まあ、その日のうちにご破算にはなってたんだけどさ、本当はお前がやるって言ったらやるつもりだったんだよ。煮え切らないみたいだったから俺も躊躇して踏み出さなかったのさ。結果的にやらなくて正解。今回も俺は教授に助けられたってわけ」
 出っ張った腹が笑うたびにテーブルを揺らす。灰皿が小さなテーブルの上の踊りまわっていた。
 呆れたやつだ。おいしい話にはすぐ飛びつくくせに胡散臭さがあると僕に判断を仰ぎに来る。よしんば抱き込んで一蓮托生狙いとは。挙句には責任転嫁されそうな気配すらある。その時は一生かけて呪ってやるから覚悟しておけよ。
 しかしまあ、教師とはストレスの溜まる仕事だと聞いた。危ない橋を渡るようなことを何度もしでかしてきた彼だが、本当に渡ることは恐らくしないだろう。仮にも家族を持ってる大黒柱なのだから。それでもストレスに耐え切れなくなればスリルを求めてそんなことをしでかそうとするのだろうか。あまりにも馬鹿げてると思うのだけど。
「で、本題に入ろう」
 ずいっとテーブルに肘を立てて寿史はにじり寄ってきた。

「大園祐子って、覚えてるか? 覚えてるよな?」
 誰だ? と記憶を辿るのに数秒かかった。それほど耳にしていない時間が長かったのだから記憶と記録を認識して一致させるには時間が必要だった。寿史の言う名前は高校の同級だ。クラスには誰がいた? 女子で大園、大園…… ああ、そうか。
「…… ああ、覚えてるよ」
「どうしてるか、聞いたことはあるか?」
 そうだ、卒業して初めての同窓会に、彼女は来なかったんだ。地方の国立大に合格して引っ越して、一度だけ絵葉書をもらった記憶がある。あれはどこにしまってあっただろうか。雲海の中に浮かぶ山々の写真がいかにもチープで彼女らしかったけど、結局返事は書かなかった。いや、書けなかったんだ。
「卒業後引っ越したって聞いたっきりかな。寿史は何か知ってるの?」
「まあ、俺もつい最近聞いたばかりでお前に言おうかちょっと悩んでたんだけどさ……」
 そこで言いよどんで、彼は懐から手帳を開くと、中から写真らしき物を一枚出した。そこにはだいぶ大人びて髪型も変わっているものの面影は変わらぬ女性が写っていた。そう彼女は美人と言って差し障り無いほど整った顔立ちをしていた。スタイルこそ他の女子と比較にはならなかったのは、彼女は痩せすぎだったのだ。もっと太りたいと同性の間では禁句ともいえる言葉をいつも口にしていた。写真を見る限り、あの頃は幾分かふっくらしたように思える。幸せな生活を送れているのだろうか。
「今、彼女、何をしてるんだい?」
「そうだなぁ、アーティストってやつなのかな? 今風に言うと」
「歌手なの? バンド組んでるとか?」
「うーん、肩書きがいろいろあるらしい。シンガーソングライターってわかるか?」
「ああ、うん。自分で作詞作曲してる人だよね」
「そう。それと絵画も描くそうだ。ヨーロッパで個展もやってたんだと。マイナーだが名が知れてるらしい」
「だから、アーティストなんだ」
「芸術家だよな」
 二人して、それから押し黙ってしまった。
 憧れの少女との距離は20数年の間に、こんなにも遠く隔たりができてしまったことに気づいたのだった。自分が間違ったわけじゃない。彼も間違っていない。彼女だって。ただひたすら、自分の目指す道を歩いた結果が距離になっただけ。いや、初めから隔たりはあった。本当はどこにも交わる場所なんてなかったのだ。でもあの日の出来事は確かに三人が一緒にいた事を焼き付けている。
 引き寄せられた3本の道筋は、ある視点からであれば交わるように見える。でもそれは少しでも角度をずらせばたちまち交わらなくなり永遠に平行線となって進むだけなのだ。
 アーティストとは恐れ入った。芸術家肌とは感じていたけれど、マルチプレイヤーとして名を馳せるまでになるとは思いもよらなかった。でも、彼女の性格を考えれば容易に想像できたかもしれない。目標ができればひたすら走り続ける強い意志の持ち主で、持ち合わせた才能に甘んじることなく自分を磨き続けられる女性。彼女はまだあの言葉を信じているのだろうか。

 ある能力が秀でている者はなかなか周囲にとけ込めない。集団やグループとは同じようなレベルの者たちが群れをなすことであって、派閥学閥と大きな差はない。その同じ空間において何かだけ抜きん出て秀でていることが周囲に知れると、人は大抵距離を置きたくなるのだ。その能力の恩恵を受けたいと思う反面、自分では到底理解できない並ぶことのできない能力に対し大きな劣等感を受けるのだ。どうあがいても勝つことのできない者に異端のレッテルを張りつけ集団から隔離することで自分たちの世界の体裁を守ろうとするのだ。
 大園祐子はそのような仕打ちを受けたていた女子の一人であった。
 男子のガキ大将が指令するささやかな仕打ちに比べ、女子集団の徹底した嫌がらせはきっと体験したものにしか理解できないだろう。もちろん僕や寿史に分かるはずもなかった。
 実のところ、彼女はその秘密さえ知られなければ辛い生活を強いられることもなく、楽しい学生生活を最後まで送ることができたに違いない。しかし、それを壊してしまったのは他ならぬ僕らだったのだ。

 彼女の写真をそっとテーブルに置く。憂いを秘めた眼差しの彼女は今もなお僕らを叱責しているように感じられた。今だから正視していられる。でも、当時は写真ですら彼女の顔をまともに見ることができなかった。それはきっと、彼女が眩しすぎたからだろう。下劣で邪な僕らにとって彼女は女神のごとく神聖で無垢な存在だったからだろう。
 だから、僕は彼女に問いただすことができなかったのだ。

 どこからとなく伸びてきた細い指に、その写真は取り上げられた。
「お前…… 有瀬じゃないか!」
 振り返った先の人物に寿史は驚いていた。
「おひさしぶりですね、先生。二人して何を密談してるのかと思えば、渦中のこちらもご無沙汰してる方じゃないですか。祐子先生ですよね? これ」
「あ、君、知ってるんだ?」
「なんでお前が知ってるんだよ。つーか、祐子先生って何?」
 取り返そうと寿史は手を伸ばすが、菜摘はいともたやすくそれをいなしてみせる。運動でもしてればともかく、太っ腹の緩慢な動きに女性とは言え若い彼女が捕まるはずがない。
「加賀屋先生。私これでも星鈴のOBですよ? 先生の授業はいくつかサボリはしましたけど、落とした単位もなければ出席日数も足りてました。もちろん特別授業にも参加してました」
「それが知ってることとどう関係があるんだ? ……あ、そっか」
 寿史は思い出したようだが、星鈴学園には地元を含めた有名人、著名人、作家、画家、音楽家等々の特別講義が催されている。様々な分野における成功例や活動内容を知るためと歌っているが、その方面に少しでも足がかりを付けるためのきっかけとも言えなくはない。事実コネクションを結んでチャンスをモノにした生徒も中にはいる。
「祐子先生の講義は私が3年の時でした。他の先生方が一日一時限で流してしまうところを三日もかけて丁寧に説明してくれましたからよく覚えてます。確か、その時加賀屋先生は怪我で入院されてた気がしますけど」
「ぐ、そんなことまでよく覚えてんな。怪我っていうか、ギックリ腰だ。前の週、子供の運動会でちょっと本気出したら体が悲鳴あげたんだよ」
「それはご愁傷様でしたね。先生に会えなかったことをとても残念そうにしてましたよ」
「後で電話もらった。嫁さんがな。お大事にって言ってたって。俺はそれどころじゃなかったし」
 なんだ、と、いうことは彼女は少なくとも数年前にはこっちに戻ってきていたってことか。そんなこと一言も聞いてなかったんだが。
「と、悪い。その分だと、あいつやっぱり教授のところには電話しなかったんだな。俺はてっきり知ってるもんだとばかり思ってたからさ。今、話しててどうもおかしいとは思ったんだよ。有瀬が知ってるっていうのは別の意味で驚いたけどな」
「ふーん、先生は私がそんな極悪で不良学生だと思ってたんだ。実際その通りだったと思うけどね」
「そうじゃねえって何度も言ってるだろ? 元担任教師をからかうんじゃない。全く、お前ほど手のかかった生徒は居なかったよ。ほんと」
「それはそれは、大変お世話になりました。ちゃんとお給料分働いたってことですね」
「ちがわい! 時間外も含めたらちっとも割に合わないっての! もういい、ちょっと黙ってろ。俺は教授に話があるんだから。お前はそこのレジでも手伝ってこいや」
「はぁい、わかりましたよ」
 拗ねた声を出して席を離れる菜摘。その横顔が少しだけ小悪魔的な表情をしていたのを僕は見逃さなかった。寿史の前ではあえて先生と生徒と言う以前の関係を保ちたかったのだろうか。それとも寿史の前で茶目っ気を見せることで僕との関係を隠しておきたかったのだろうか。どちらにしても僕は二人のやり取りに口を挟めなかったわけだ。

 話を戻そう。
 寿史が祐子という思い出の人物を持ち出してきたのはそれらしき理由があったのだ。
 普段はアーティストとして活動している彼女は、拠点を別のところに置いているそうだ。こちらにはまだ実家が残っているらしく三ヶ月に一度の割合で戻ってくるようだが、先日たまたまタイミングが合ったのか、寿史は彼女と会う機会があったそうだ。
「それで、寿史は僕に何をさせようって言うのさ? 今更彼女に会って昔話に花を咲かせろってことならお断りだよ。僕はそんなに口が上手いわけでもないし、語って聞かせるほどの経歴があるわけじゃない。エスコートするなら断然寿史の方が楽しいんじゃないの?」
「そんなに会うのが怖いか? まあ、その原因を作った俺が言えた義理でもないんだけどな。とりあえず、彼女はお前に会いたがってる。何か言いたいことがあるなら伝えてやるって言っても、直接言いたいからってさ。ああ、そうそう、彼女、お前が物書きやってるのかなり前から知ってたらしいぜ。ほら、ネットで投稿してたって言ってたじゃん? かなり昔の、俺もお前に読ませてもらったヤツを知ってたよ。案外ずっと見ててくれたのかもな」
「またそんなこと持ち上げて。そりゃあペンネームだってひねりが聴いてるわけじゃないんだから、読む人が読めばすぐわかるでしょ。クラスの連中だってあの頃は毎回メールで感想送ってきてたからね。茶道部の、ほら、なんて言ったっけ……」
「松浦? はー、あいつならしつこく駄目出ししてきそうだな。一般論で言うと~、なんて口癖でさ」
 あの頃は松浦さんも含め大勢の同級生が期待して激励の言葉を送ってくれていた。そのおかげもあって第一作目が完結まで書き切ることができたのだ。しかし、僕はその作品をネット上では最終章まで掲載しておらず、未完のままで終わらせている。
「つーかさ、あれって終わってないんだろ? 続きがお前の家にあったじゃないか。なんで載せねぇんだよ。今となっちゃ少々稚拙な物かもしれないけどよ、尻切れで止めとくのはどうかと思うぜ」
「良いんだよ。終わってなくて。もしかしたら、この先結末を変えたいと思うかもしれないし、ある日突然そのままで出すかもしれない。でも出してしまったらあの作品は完全に終了してしまうんだ。終わらない方がその先を自由な発想で想像することができるけど、終わらせてしまったらどうあがいてもその結末にしかたどり着かなくなってしまうんだよ」
「ふーん、そういうもんかね」
 怪訝そうな面持ちで腕組をするところを見ると、どうやら寿史的には納得できないらしい。彼だけではなく他の読者からも同様の意見をもらってはいるが、僕自身、あの作品は続きを掲載する気はない。もっとも、今掲載してしまうとほかの媒体で発表することが困難になってしまうと言う事情もある。また、処女作であるにもかかわらず、僕の原点からは隔たりがあることも要因の一つだった。

 すると、いきなり小さなテーブルに品書きが勢いよく立てられた。
「お客さん。そろそろオーダーしてもらわないとマスターも困っちゃうよ?」
 不機嫌そうな菜摘の顔が見下ろしていた。見渡せば、既に飲み屋の時間に突入しているようだった。大した話をしたつもりはなかったのに、かなり時間が経過してしまっているようだった。
「いけね! こんな時間かよ? とっとと帰らねぇと嫁さんが怒り出すな。悪いが俺はこの辺でお暇するわ。なあ、今日は俺の奢りにしとくからさ、彼女と会ってやってくれよ。俺じゃどうにもならなくてさ」
「なんとか言って、奥さんにも言われてるんじゃないの? 浮気じゃないのかって」
「実はな。そんな気はないのに相手が相手だからな。流石にこれ以上は俺も突っ込んで会い続けるわけにもいかないんだよ」
 身支度を整えて、寿史は逃げるようにクインベリーをあとにした。帰り際にセッティングはしておくと豪語していたが、僕はまだ了承したわけではない。頑なにそう思っていることに気がついて、自らの滑稽さに苦笑した。そんな僕に向かって傍らに立っていた菜摘が耳打ちしてきた。
「ねえ、まだ時間あるでしょ? 奥で食事作ったから食べて行って。どうせこのあとどこかで食べるならどこで食べても同じだし、ちょうどマスターも娘さんも食べ終わったところだから」
「は?」
「クインベリーは料理屋じゃないんだからこっちじゃ食べられないでしょう。それとも私の作った物だと信用できないかしら? とにかく、ほら、飲まないんだからテーブル開けて」
 追い立てられるようにして、僕はカウンターの奥へ連れ込まれてしまった。

 有瀬菜摘は僕にとって類希なる人物である。
 今まで出会った女性の中で恐らく一番印象的であり、最も親しく、優れた視野を持って僕に相対してくれている。飛び抜けて美しいわけでも、スタイルが良いわけでも、才能があるわけでもない。他の人から見れば極一般的で平均的な若い女性の一人として映るのだろう。しかしどうして、僕だけそのように感じるのか未だに理解していない。

続く(かもw)

未校正 推敲無し 原文のまま

氷る世界

創作小説
1)

 雲一つない蒼天が広がる。日差しは秋分を過ぎたというのに異常なほど鋭く、一面から照り返されるコントラストで視界は痛いほどに原色を放っている。
 だというのに、これっぽっちも暖かさを感じることはできず、目眩を起こしそうなほど静寂に包まれていた。
 自分の足で立ち尽くしているにもかかわらず、その実感が持てないなんてはっきり言ってありえない。靴底から伝わる接地感が捉えている映像と一致しないことが原因だ。俺は確かに土手の草むらを前にして、幾重にも車輪で掘り返され、轍で形成されたむき出しの盛土歩道にいる。しかし、足が訴えるその感触は、踏みつければ崩れる柔らかな土よりもはるかに強固。およそ人の手では掘削出来るはずもない鋼鉄の岩盤に思える。
 一体これはなんだ? 何十と繰り返されてきた疑問符が再びこみ上げる。
 恐らく、一歩先に広がる草むらですら踏み分けて行ける代物ではないだろう。いや、下手をすれば天を仰ぐ無数の細剣とも言える。デッキシューズ程度の強度では体重をかけた途端に踏み抜いてしまう。天然に自生したトラップのようだ。
 俺は考えられる事態を一つ、また一つ塗りつぶしながら、そこから引き返した。

 真昼だというのに体感温度はかなり低い。明け方の気温はこの時期にしては寒いと思ったが、厚手の防寒着が必要なほどではなかったはずだ。しかし、制服のブレザージャケットが意味をなさないほど冷え込みを感じる。服の隙間から体温を引き抜かれて行くようで、俺は無駄と知りながらも袖口と襟元を閉じる。
 半開きの門をくぐり校舎へ入ると、やはりその光景は今も続いていた。
 網膜に入力される画像は静止画。
 俺は画像を見ているわけではない。これはディスプレイから覗いている映像ではない。俺の二つの目玉から視神経を通して脳に送られている状況であることは間違いない。俺自身の手足身体を確認してもその動きは動作させる意思と結果が連動している。つまり、俺の意思通りに動いている。右手で何かを掴みたければその通りに右手はそれを掴むのだ。これが逆の左手で掴んでしまったり、意思とは裏腹に走り出してしまったりしたら、俺が見ているものは俺の意思ではなく別の誰かの視界かもしれないと推測できる。見ているものと行動が一致しないのだから。
 だがしかし、残念なことに全く寸分違わぬ程に一致している限り、この景観は俺の前でまさに起きている状況に間違いはないのだろう。
 固まっている。
 全てが、あらゆるものが、彩を保ちながら、ある瞬間を封じ込めたように。
 俺だけが自由に、固まることなく、その空間を移動していた。

 教室の時計はその秒針を稼働させていない。ということは時間すら固まって、いや、時間が止まっていると言い換えたほうが正解だろう。俺は止まった世界に放り込まれているのか。俺だけが止まっていないのか。もしくは、何かの拍子にこの世界を作り出してしまったのか。
 いくら考えたところで18年そこそこの僅かな経験しか持たない俺に解明できる現象ではない。昼休みが永遠に続いてほしいと願ったつもりはなかった。俺は疎らに活動し始めた。であろう生徒達を避けながら教室を覗いて回った。


 数時間前、だと思う。時計が止まっている以上俺の体感時間でしかないのだが、俺は屋上に向かっていた。
 授業が終わってすぐ、いつもなら食堂に直行するルートを変更して階段を駆け上がっていた。空腹を満たすよりも重要な案件なんてしがない男子学生にとっていくつもあるわけじゃない。教師や先輩に呼び出しを喰らうケースは論外にしても、自分の学園生活に大きく関わることの他にあるはずがない。そう、女か金か。
 週にわずかなバイトで小銭を稼ぐ程度の収入ですべての欲求を満たすなんてできないことはハナからわかっている。賢い奴はその微々たる元手を数倍にする手段を知っているらしいが、あいにく俺はそこまで執着しているわけでもない。節度をわきまえて、足りない分は親のゴマをすって取り入れば今のところは事足りている。もちろんささやかな儲け話であれば乗らないこともない。ただ、焦って稼がなければいけないほど困窮した生活ではないのだから身の丈に合った物欲を満たすだけだった。
 
 屋上には普段から施錠がされているが、どの生徒もその外し方を知っている。番号を合わせるだけの回転式錠前なんて時間をかければ解除できて当たり前で、そんなことをしなくても知っている者から人伝いに解除番号くらい流れてくる。
 しかし、絡みついているはずの錠はすでに解放されていた。先客がいる。急いで来たつもりだったが、クラスによって授業の終わる時間に若干の差があるだろう。加えて、屋上までの経路は俺の教室からは距離がある。そんなことを考えるまでもない。俺はきっとその人物を知っている。なぜなら、昼休みにこの場所で落ち合うことを約束していたのだから。
 開け放ったドアの向こうに蒼天の空が広がっていた。快晴。雲一つない秋晴れ。最近のぐずついた天気から解放されて目一杯降り注ぐ陽光に敷き詰められた石畳風のタイルが白くきらめいていた。囲まれたフェンスの向こうに控えめに育った雑木林と、駅周辺の景観が臨むことができる。
 そのフェンスに寄りかかるように一人女子生徒がいた。ドアの開く音に気付いて、彼女は首だけで振り向いてこちらを確認する。背中まで伸ばした黒髪が艶っぽく揺れると安心したように肩を落とした。
「お昼は?」
「いや、まだだよ。終わってすぐにこっちに来た。志倉はずいぶん早いな」
 その返事に不満を持ったらしく、整った顔を少しだけ歪めた。

 志倉秋緒と親しくなったのは一ヶ月ほど前のことだった。選択科目では同じ授業を受けている関係で名前は知っていたが、クラスが違う上に授業で挨拶や二言三言交わすだけの間柄でしかなかった。もっとも、見栄えする彼女が俺のことを相手にするとは思えなかったし、クラスの女子連中とバカ騒ぎしている方に気を取られていたこともあって、彼女に対する関心はほとんど無かったと言える。それがある日の帰り、駅前でばったりと会ったところから始まったのだ。
 同じ趣味だとわかった途端に打ち解けて、素性の良くわからない同級生から一気に親密な友達へと変わっていったのだ。
「ねえ。今日はどうして呼んだかわかる?」
 謎かけにも似た彼女の問いに俺はすぐさま答えることができない。まともに考えたところで正解できるとは思えないし、気の利いたジョークで返そうにも上手い言葉が思いつかない。クラスで飛ばし合ってる時はノリと勢いで口にしてるだけで、本当はまともに話すこともできない口下手だったということ。いや、そうじゃない。気付いているのに俺自身が認めていないだけで、わかっているはずのこと。
「どうだろう。俺、何か怒らせることでも言ったかな?」
「……そうね。まあ、遠まわしにそういうことになるかもしれない。怒っているわけではないけど、気付いてくれそうもないからその話をしようと思ったんだけど」
「よくわからないな。どうすれば良いんだ?」
「また、そう言う。私が教えることじゃなくて自分で考えることよ。私達のこと、他の人がどう見てるか考えたことある? ただの友達って言うにはだいぶ親しくなりすぎなんじゃないかしら」
 鼓動が一気に跳ね上がる音を聞いた。実際に聞こえたわけではない。もしかすると別の音かもしれない。ああ、これは、暗に関係を止めようとしている前振りではないのだろうか。俺との関係を周りに見られることを気にしている。確かに親しくなりすぎていると思う。付き合い始めたわけでもないのに時間があれば二人で居ることが多い。ただなんとなくいると安心するし、共通の話題もある。クラスの連中と騒いでいるのも楽しいが、彼女といる時間は凄く安らげる。
 しかし、ここ数日の彼女の態度は少々冷たく感じていた。まるで、関係がなかったかのような顔見知りの状態に近い接し方だった。予期していたこと。いずれは関係が壊れることを少なからず感じていた。彼女と居れば確かに楽しい。しかし、俺自身今一歩、彼女に向かって踏み込めない枷が存在していたのだった。

続く

(未校正 推敲無し 原文のまま掲載)